遊戯王Wings「神に見放された決闘者」 作:shou9029
「…随分と遅いさねぇ、
各校のトップ達のために用意された、岸に停泊していた巨大なクルーザーの中にある特別観覧室。
その、全参加者たちの映像が流れている200のモニターの前で…サウス校理事長である獅子原 トウコは、どこか呆れているような声でもう何度目かになるその台詞を再び放っていた。
…それはいつまで経っても戻ってこない、イースト校の理事長とデュエリア校の学長へと向けた苦言。
トイレに行くと言って出て行った劉玄斎の戻りが遅いこともそうだが、【決島】が始まる前は理事長としての責務がどうとか偉そうな事を言っていたにも関わらず、先程血相を変えて飛び出していった砺波に対してもトウコは顔をしかめ呆れを…いや、呆れより、苛立ちを感じている顔を見せていて。
「浜臣の奴が一人で突っ走るのは今に始まったことじゃないが…アタシに偉そうな事言った癖に、自分は随分好き勝手やってくれるじゃないさ。」
「と、砺波理事長、何やら血相を変えて飛び出していかれましたが…何かあったのでしょうか。」
「さぁね。けど戻ってきたらただじゃ置かないよあの悪ガキ。それに
「…仕事の電話でも来たのでしょう。劉義兄さんも、その…お忙しい身でしょうし…」
「ハッ、あの馬鹿も偉くなったモンさねぇ。」
「…相変わらず、機嫌が悪いと聞く耳を持たない…」
「何か言ったかい、木蓮。」
「い、いえ、何も…」
ウエスト校理事長、李 木蓮のフォローを全く耳に入れる気もなく。
時間が経つ毎に、その苛立ちを益々強くしていくトウコの言葉には棘のような鋭さが生まれ始め…
それに応じて彼女の周囲の空気が揺らめき、まるで怒りの炎のような幻覚がウエスト校理事長である李 木蓮の目に見え始めたのは、きっと錯覚ではないことだろう。
決闘界きっての女傑と恐れられる獅子原 トウコの、その怒りが織り成す『実害』はウエスト校理事長である李 木蓮も過去に何度か目にしてきた。
だからこそ、自分ではどうすることも出来ない獅子の怒りには、木蓮とてただただ冷や汗を垂らすばかりであり…
…もしこのまま砺波と劉玄斎が戻ってこなければ、トウコの八つ当たりにも似た『実害』が降りかかるのは自分自身。
木蓮とてそれだけは回避したいところではあるのだろうが、先ほどから連絡も取れず帰って来る気配もない砺波と劉玄斎に祈りを捧げたところで、それが無駄だと言う事を彼もどこか悟っている様子。
…すると、そんな冷や汗をかいている木蓮を見かねたのか。
特別観覧席で、一人置物のように座っていた【決闘世界】最高幹部…『妖怪』と呼ばれる翁、綿貫 景虎が徐にその口を開き始めた。
「フォッフォッフォ。トウコちゃんや、そんなにカリカリしとると皺が増えるぞ?」
「…ジジイ、喧嘩売ってんのかい?皺だらけのジジイに言われたくないさね。」
「まぁまぁ、落ち着けと言っとるんじゃ、そんなに気にせんでもよかろうて。…ま、気持ちはわからんでもないがのぅ。もしかしたら、どっかでドンパチおっ始めとるのかもしれんし、あの悪ガキ共。」
「適当なこと言うんじゃないさよ。そりゃあ、あの二人は昔からソリが合わない奴等だったけれども、幾らなんでも【決島】の最中に私怨でデュエルするような馬鹿どもじゃ…馬鹿共じゃ…」
「でもトウコちゃん、否定できんかろう?」
「…チッ、浜臣の奴はキレやすいからねぇ。何か焦ってるようだったし、
「フォフォッ、
「………はぁ…何で歳食ってからもあの悪ガキ共の心配しなきゃいけないさね。心配かけられるのは孫達だけで充分だってのに。」
「うむ、トウコちゃんや、ジジイその気持ち、よーく分かるぞい。」
決闘界の至宝とも呼ばれる【白鯨】と『逆鱗』に対して、悪ガキ扱いを出来るのも彼等を昔から良く知る『烈火』と『妖怪』だからこそなのだろう。
砺波と劉玄斎の事を、昔から良く知るトウコと綿貫。あの二人が【白鯨】と『逆鱗』と呼ばれる前からよく衝突していた事を知っているが故に、いい大人どころか壮年になった砺波と劉玄斎に対しても心配事は消えないのか。
…しかし、流石に長い付き合いの所為か。
決闘界の女傑と言えども、『妖怪』と呼ばれる綿貫 景虎にかかっては、先ほどのまでの怒りから一転。その言葉を、どこか呆れたモノへと変えるしかない様子でもあり…
綿貫 景虎がその長い髭を皺だらけの細い指で弄りながら幾つか会話を重ねると、先程までの獣の苛立ちが嘘のようにトウコはその怒りを呆れへと戻していく。
「ハッ、ジジイは昔からとことん悪ガキ共に甘いさね。」
「フォッフォッフォ。馬鹿なガキほど可愛いもんじゃて。孫が沢山おるトウコちゃんならわかるじゃろ?」
「…まぁねぇ。」
「じゃから心配せんでも、浜臣も
すると、トウコの獣の怒りが、呆れへと完全に変わったところで。
綿貫はそのまま、どこか含みのある言い方で…
「…そう、きっと…の。」
皺だらけの瞼の奥で遠い眼をしつつ。
古くから歴戦を見守ってきた『妖怪』は、静かに静かに…
―そう、呟いたのだった。
―…
激戦が繰り広げられている【決島】の、その中心に聳え立つ休火山。
その中腹にぽっかりと口を開けた、山の胎内へと誘う洞窟の中を…
遊良は、全速力で駆け抜けていた。
…息を乱し、心臓を跳ね上げ、逸る鼓動に焦りを感じて。
しかし、それもそのはず。
…何者かによって、ルキが攫われたのだ。
敵がルキの持つ『赤き竜神』を狙っている事は明白で、もしも敵がルキの体内に宿っている『赤き竜神』を解き放ちでもすれば、それはそのままルキの『命』にも関わってくる。
…冗談ではない。いや、冗談では済まない。
幼少の過去、師である【黒翼】の元で一度だけ起こった、幼いルキの身に起きた『神』の暴走。
そのあまりに凄惨な光景は、もう思い出したくも無い程に遊良の心に深く刻まれているのだ。だからこそ、遊良とてもう二度とルキをそんな目に遭わせたくは絶対になく。
また、遊良の心にはもう一つ気になっていることがあり…
それはついさっき、決闘学園デュエリア校学長である『逆鱗』、劉玄斎の隣を走り抜けたその時に聞こえた『言葉』。
その、自分にだけ聞こえるかのようにつぶやかれた劉玄斎の重々しい声…それが何故か、今も遊良の耳に強く残っていて…
―『すまねぇなぁ…』
―『…え?』
「『逆鱗』の劉玄斎…なんであの時、俺にあんな言葉を…」
ルキを連れ去ったと自白した、『逆鱗』は間違いなく『敵』のはず。
それが一体、どうしてすれ違いざまに自分にだけ聞こえるような小声でそう言ってきたのか。
…ルキを連れ去った『敵』が、謝ってくるその意味が遊良にはわからない。
…しかし、何故か、不思議と。
劉玄斎の謝罪を聞いた遊良の心には、『逆鱗』の劉玄斎がどうしても『敵』だとは思えないのだという、自分でも理解が出来ない不思議な感情が浮かび上がってきており…
それは説明したくても説明の出来ない、言葉には言い表せない不思議な感情。
ルキを連れ去った憎むべき『敵』だというのにも関わらず、遊良にはどうしても劉玄斎が『敵』だとは思えない…そんな相反した感情が、心の中に渦巻いていて。
「…いや、今はそれ所じゃない。…早くルキを見つけないと…」
とは言え…
今はそんな事に、頭を悩ませている暇などない。
早く、ルキを助けなければ。今遊良が考えなければならない事はただそれだけであり、敵の思惑が分からない以上、ルキの身の安全がとにかく遊良には第一。
そう、ルキにとって初めての『祭典』である【決島】を、『敵』の為に台無しになどさせてはならない。例えルキが既に『失格』扱いになってしまっているのだとしても、これが非常事態であるが故に無事に救い出せばまだルキにだって『祭典』を続ける権利はあるだろう…と。
だからこそ、一刻も早くルキを助けるために。遊良は洞窟内の滑る岩肌を、とにかく全速力で駆け抜けていて…
―そして、しばらく走った後。
遊良の視界に、急に明るさが飛び込んできたかと思うと…
足を止めたそこは、山の中心…洞窟内にぽっかりと開いた、あまりに広い『大空洞』であった。
「なんだ…この場所…洞窟の中にこんな場所が…」
その『大空洞』のあまりの広さに、遊良も思わず言葉を詰まらせてしまう。
しかし、圧倒されたかのような遊良の言葉も最もであり…
…デュエルスタジアムほどもある広々とした空間と、到底昇り切れそうもないほどに高い天井。
洞窟の中だと言うのに、頬に当たる風は外界のモノ。更には岩肌に囲まれたこの大空洞の、到底登れそうにない程に高い天井の中心には、天に向かう巨大な『穴』が開いていて。
そしてその穴から降り注ぐ空の光は、この大空洞を明るく照らしており…
山の胎内であるはずのこの空間が、外界となんら変わりない明るさに包まれているではないか。
…自然に出来た空洞のような、それでいて人の手が加えられているような…そんな外界と隔絶されているが故に、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している山の胎内の大空洞。
その、急に飛び込んできた明るさに、暗順応していた遊良の眼が一瞬だけ眩んだものの…
すぐに明るさに慣れたのか。『何か』大切なモノが目に入ったような気がして、遊良は大空洞の入り口から更にその奥へと眼を凝らし始め…
―そこには…
「ルキ!」
視界が明るさに慣れた瞬間に、思わず声を張り上げた遊良。
そう、今遊良が叫んだ通り。
下手なデュエルスタジアムよりも広いであろう、この大空洞の…その中心には、見間違えるはずもなくルキの姿があったのだ。
しかし、今のルキの状態が、紛れもなく異常事態であるコトを遊良の頭はすぐに理解してしまう。
…何故なら、大空洞の中心に設置された『祭壇』の上のルキの体が…
―祭られているかのように、宙に浮かんでいたのだから。
「ふふ、来ましたか…天城 遊良。」
「ッ!?」
すると、突然。
祭壇の向こう側…遊良が入ってきた『入り口』とは反対方向の『穴』から、突然聞いたことのない声が遊良へと届けられた。
…その、大空洞の中に反響し始めた、1人の男の声。
それは、あまりの胡散臭さを孕んだ声質であり…そのままゆっくりと祭壇へと向かって歩いてきたのは、スーツと言う名の胡散臭さを身に纏った、細身で長身の一人の男。
その姿は、『捻じれた』と言う表現があまりに似合う…
身振り手振り歩き方からして、『嘘』と『胡散臭さ』が滲み出ているかのような、得体の知れない素振りと気配を隠す気も無く。
どこまでも嘘の塊のような立ち振る舞いで、飄々とこちらへと歩いてくる。
…この男が、ルキを連れ去った犯人。
この見るからに胡散臭い捻じれた男を見れば、誰に説明されるでもなくこの男が『悪者』なのだという事くらい、遊良の目にだって明らかな事。
ソレほどまでに遊良の眼は、この男の立ち振る舞いと言動には『悪意』しかない事を感じ取ってしまい…
そんな、身構えている遊良へと向かって。
『捻じれた男』は、胸の内がざわつくような苛立つ声質で…ゆっくりと、その捻じれた口を開き始めた。
「ですが、ここから先はちょっと進まないで欲しいですねぇ。まだ準備がありますので、えぇ。」
「だ、誰だお前は!ルキに何する気だ!?」
「私は【紫影】…と言っても、君のような子どもでは私の名を聞いてもピンと来ないでしょうが。」
「…【紫影】…?」
「ふふ…天城 遊良、Ex適正の無いデュエリストですか…面白い素材ですねぇ。本来ならば『神』の奪取などよりも、あの少女と君の体を解剖でもして調べたいところですが…生憎、これも私の仕事なので今回は仕方ありませんねぇ。とても残念です、えぇ。」
「…な、か、解…剖…?」
「えぇ、私の趣味なんですよ。他人と違うモノを持っている者の、中身を開いて見てみたい…ふふ、君の場合だと、他人が持っているモノを待っていないという事になりますがねぇ、えぇ。」
放つ言葉の一つ一つが、明確な悪意を孕んでいる【紫影】と名乗る男の声。
…気味が悪い。
ここで初めて邂逅した、初対面の人間にそんな印象をハッキリと覚えたことに遊良は少々驚きを感じつつも…
しかし、そう思わずにはいられないほどに、あまりにこの【紫影】と名乗った捻れた男はその存在感が不穏なのだ。
…耳の中を直接くすぐられているかの様な、気味の悪い声の振動。
…こちらの心の内を見透かしているかのような、気味の悪い眼の動き。
形容ではない、本気で『解剖』したがってそうな【紫影】のその発言に、遊良も思わず身震いを感じてしまい…
それ故、今すぐにでも【紫影】と名乗った捻じれた男に背を向けて、この大空洞から逃げ出したい衝動に遊良が駆られてしまったとしても…それはある意味、当たり前と言えるだろう。
経験したことのない本気の悪意、悪事を悪事と思ってないかのような【紫影】の言葉を耳にしている遊良の体は、この男とはこれ以上会話を続けてはならないと警笛を鳴らし続けていて…
…しかし、連れ去られたルキを目の前にして、遊良が逃げ出せるはずもなく。
痛いくらいに逸る心臓を押さえつつ。遊良は、【紫影】へと向かって声を張り上げる。
「そ、それより、ルキをどうするつもりなんだ!」
「何と言われましても…見て分かりませんかねぇ?『神』を解放しようとしているだけです、えぇ。」
「…解放…そ、そんなコトしたらルキが!」
「死にますよ?当たり前じゃないですか。」
「なっ!?あ、当たり前って…じ、じゃあ知ってて何でそんな事…」
「ですからこれも仕事なんですよねぇ。仕事なんだから仕方ないじゃないですか。」
「ふ、ふざけるな!人が死ぬって言ってるんだぞ!?ルキを何だと思ってるんだ!」
「別に、何とも?」
「な…」
…話にならない…いや、話をして貰えてすらいない。
こちらの言葉など聞く気は無く、あくまでも自分の『仕事』と称した悪事を堂々と行おうとしている【紫影】からは、全く悪びれた様子も申し訳なさも感じられず。
…吐き気がするほどの『悪意』の塊と、怖いくらいの他人への無関心。
果たして、命を何だと思っているのか。その、命を命とも思っていない【紫影】の言動と立ち振る舞いは、ただただ淡々と己の仕事を遂行しようとしているだけであり…
…話し合いや説得で、どうにか出来る問題ではない。
この短いやり取りでも、遊良はソレを痛いほど理解したのだろう。
こんな相手に正論を並べたところで、そもそも会話が成立しないのだから、捻れた男がこちらの言葉に耳を傾けてくれるはずもなく…
ならば、話の通じない相手を前にした時に…やるべき事は、唯一つ。
「だ、だったら…だったら力ずくでも止めてやる!」
「ふふ…勇ましいですねぇ。ですが…」
そうして…
無理矢理にでもルキを助けるため、遊良が【紫影】へと向かって走ろうとした…
―その時だった。
「ッ!?」
【紫影】が、その異常に細長い指を鳴らした瞬間。
突然、遊良の体に電流のような衝撃が走り…そのあまりに急に襲ってきた痛みのせいで、遊良は足を凭れさせて転んでしまったではないか。
…痺れるような鋭い痛み、全身に走る苦痛と電撃。
それはまるで、【決島】に採用されているリアル・ダメージルールによって発生する衝撃と似た…
…いや、『似た』ではない。
【決島】でのこれまでの戦いで、いやでもソレを喰らってきたからこそ分かる。
遊良の体に生じた衝撃…それは紛れも無く、遊良が腕に着けている、リアル・ダメージルール用の装置から発生したモノであった。
「…あぐっ!…な、何で…」
「ふふ…『逆鱗』にリアル・ダメージルールを行うよう進言したのは私、そして子ども達が着けているその装置も私が用意したモノ…ゆえに、コントロールは私が握っているんですよねぇ。ですから、今みたいに意図的にダメージを発生させる事も出来ますし…何なら、装着者ごと木っ端微塵に爆破する事も…ふふ、出来るのですよ、それはもう綺麗な花火のようにもねぇ、えぇ。」
「な…」
「…あぁ、いい顔ですねぇ天城 遊良。その、私の言葉の真偽を疑い、それでも『その可能性』を少しでも考えてしまった顔…それにしても良い響きですよねぇ『木っ端微塵』とは…そう思いませんか?ふふ…ふふふ…」
…狂っている。
単純に、狂っている。
自分の言葉に陶酔しているような【紫影】の顔は、明らかに精神に異常をきたした者のソレ。
それは、隠す気の無い本気の悪意。見たこともない捻れた男の、聞いたこともない【紫影】と言う名の、そんな見知らぬはずの初対面の男にすらソレを感じられる程に…今遊良の目の前いる、この捻れた男は明らかに異常者。
…正気の沙汰ではない。『何か』によって発生した悪意ではなく、ただの生身の人間が正気を保ったまま、こんな駄々漏れの悪意を放っているなど。
口から出まかせを言っているだけのような【紫影】の言葉など、到底信じられるはずがないというのに…それでもこの男ならば『やりかねない』とさえ思ってしまった遊良の思考は、きっと間違ってはいないはず。
「…さて。ではそろそろ始めましょうかねぇ。早く終わらせたいですし、えぇ。」
そう言って…
ダメージによって転んでしまっている遊良を、見下しながら一暼したかと思うと。
【紫影】はそのまま遊良へと背を向けて、その異常に長細い足で歩を進め。ルキが浮いている祭壇へと近付いて、靴音を鳴らしながら歩いて行く。
一歩、二歩…
【紫影】が歩みを進める毎に、大空洞の中にコツコツと気味の悪い靴音が響き…それに連動して、冷たく重いモノが渦巻きを強くしていく遊良の胸の内。
…ルキが危ない。
遊良とて、直感でそれが分かっているというのに。突然襲いかかってきたリアル・ダメージの痺れが足から抜けず、立ち上がることがどうしても出来ずにいるのだ。
…こんな時に、鷹矢が居てくれたら。
きっとあの頑丈馬鹿ならば、ダメージを無視してでも【紫影】に飛びかかっているだろう。しかし鷹矢とは体の作りが違う遊良では、どうしても立ち上がることが出来ずにいて。
そうして…
【紫影】が、その捻れた腕を持ち上げ。そのまま、ルキに手を
…宙に浮いているルキの体が、鈍く赤い輝きを放ち始めた。
「…な、何をする気だ…」
「ふふ、すぐ終わりますよ。…いえ、始まると言った方がいいですかねぇ、えぇ。」
そして…
『何』をしたのか。【紫影】が、異常に細長い指を大きく鳴らした…
ーその瞬間
―!
弾けるような音を立てて、更に大きくなる赤い光。
その赤い光は轟音を立て、空へと向かって伸びていく。
それは、キーンと耳の痛くなるような鳴音と…
そしてその音の中に、『何か』が割れていくような乾いた音が混ざり合った奇怪な音であり…
その赤い光を見ている遊良には、その音の正体がすぐに分か…否、『ソレ』を幼少の過去に一度見た事のある遊良には、すぐにその『割れていく音』の正体が分かってしまった。
ーそう、その何かが『割れていく音』
…それは紛れもない。
赤い光の中心に居るルキの体が、文字通り『崩壊』し始めていく音だったのだから。
「ルキ!」
「ふふ、これで準備は整いました…後は、『神』が出てくるきっかけを作るだけ…さて、では私はこの辺で。」
「なっ!?ま、待て!逃げるのか!?」
「えぇ、その通りでございます。長居は無用ですからねぇ…と言うより、貴方が来るのを待っていたのですから、これでやっとこんな辛気臭い場所から帰れます。」
「…くそっ、絶対に逃がさ…」
「はいはい、そんなに勇まなくとも、貴方の相手は既に用意してありますからご安心くださいませ。…さて、では天城 遊良の相手は任せましたよ?その為に貴方を連れてきたのですから、えぇ。」
全くもって悪びれもなく、飄々と遊良の怒りをすり抜けて立ち去ろうとする【紫影】。
そんな【紫影】を止めようと、痺れる足を無理矢理に立ち上がらせた遊良に対し…
【紫影】が促すようにして背後へと声をかけたかと思うと、その後ろの『穴』から誰かが歩いてきたではないか。
「なっ!?お、お前は!?」
その、暗闇から歩いてきた者を見て…思わず、声を上ずらせて叫んだ遊良。
しかし、それもそのはず。
暗闇の向こうから歩いてきたのは、『黒いフード』で顔を隠し…全身を闇に溶け込ませ、気配を消していた人物だったのだから。
その、黒いフードの人物を見て。これまで以上に大きく跳ねた心臓が、遊良の体を内側から叩く。
…忘れたわけがない。いや、忘れられるわけがない。
ー『お前の声を聞いていると虫唾が走る!お前の顔を見てると!イライラするんだよ!』
ー『どうしてお前が生きていて、何故こんなにも無様なデュエルを続けられる!こんなにも弱くて、こんなにも無様な癖に…不愉快だ…天城 遊良!お前の存在が!どうしようもなく不愉快だ!』
ー『儀式召喚!現れろ、レベル1!来い、【サクリファイス】!』
ー『消え去れぇ!天城 遊良ぁぁぁぁぁぁぁあ!』
そう、夏が始まる前に、突如自分に襲いかかってきたフードの男。
この世界において、忘れ去られた過去の召喚法である『儀式召喚』を扱い…なぜか自分に、この世のモノとは思えない憤怒をぶつけてきた、あの謎の男の姿が遊良の脳裏をよぎったのだ。
…何故か【堕天使】のカードが言うことを聞かず、そして【堕天使】のカードが自分の元から消え去ったあの事件。
その時の恐怖と痛み、そして【堕天使】を無くした時にも感じた喪失感が、今再び遊良の心に浮かび上がってきて…
しかし…
その身覚えのあるような黒いフードの装束に、一瞬だけ遊良の心臓が大きく跳ね上がったものの…
(違う…あの時のフードの男じゃない…)
そう、一度真正面から対峙したが故に、遊良には目の前のフードの人物と自分を襲った『フードの男』が、全くの別人であると気がついた。
顔が見えぬ怪しい『フード』を深く被り、全身が漆黒のコートに包まれてはいるものの…
あの時の『男』と目の前の人物では、纏う雰囲気が似ても似つかない。
そう、襲われたあの時に感じた、恐ろしいほどの怒気と圧倒的な怨嗟、そしてそこに居るのに『居ない』と錯覚するほどの気配の無さが、目の前のフードの人物からは感じないのだ。
…それに、最も違うのは『身長』。
あの時のフードの男は自分と同じくらいの背丈だった。
しかし目の前の人物は、長身の【紫影】の腰くらいまでしかない背丈であると遊良は気が付いて。
…それはまるで、『子供』の様な背丈。
「ふふ、【デュエルフェスタ】と【決闘祭】の優勝者同士の戦い…ソレはソレで金が取れそうな組み合わせですねぇ、えぇ。」
「…なぁ、ホンマにアイツを倒せば良いだけなんやな?」
「えぇ、えぇ、その通りでございます。貴女のお仕事はあの少年と戦って勝つことだけ。そうすれば…貴女の『願い』は、きっと『神』の力によって叶うことでしょう、えぇ。」
そうして…
子供のような背丈の人物が、その特徴的なイントネーションの言葉とともに、フードを外したそこに居たのは…
煌く金髪、小鳥のさえずりのような声、初等部の学生と見間違えそうなくらいに小さい体。
昨年度デュエリアで行なわれた祭典、【デュエルフェスタ】で優勝した、紛れもない確かな強者。
―アイナ・アイリーン・アイヴィ・アイオーン
「…わかった。やるわ、ウチ。…死んだアイツを生き返らせるためなら…」
一刻も早くルキを助けたい遊良の前に…
昨年度、デュエリアで頂点に立った者が立ち塞がったのだ。
ー…