次に目覚めた場所は、高そうなホテルの一室。
久しく見ていなかった夜空。新鮮な外の空気に触れる中、現実に引き戻したのはウェスカーだった。
名を偽ってホテルを貸し切りにしていたウェスカーは、ウイルスが安定したお祝いの『褒美』だと言って、このホテルにわたしをひとり住まわせた。
見張りは無く、ホテルの従業員のみ。わたしはきっと、金持ちの囲われ女にしか思われていない。
用済みなら解放してほしかったのに、必要なものはわたしでしか作られないと、搾り取られる作業は相変わらずだった。それが毎日でなくて本当に良かったと思う。
ウェスカーは採取の為に数日後現れたりするだけで、1人でいる事の方が多かった。
逃げ出せる事も出来た筈なのに、わたしはしなかった。島で脱出を図るも、結局は誘導されていただけだった事もあるし、家族は常に盾にされている。普通の人間ではなくなった自分が、今まで通り普通の暮らしを求めるなんて無理に決まっている。
それに、今のわたしをクリスには知られたくなかった。
数日を空けて現れるウェスカーに、採取の為とはいえ抱かれる行為は、快楽と苦しみが付きまとう。
家族を思って堪えるのにも限界が来ていた。細胞、身体は快楽を求めても、心までは奪われたくない。
そんなある日、クリスを想って何とかギリギリを保っていたわたしの前に、ジャックという男性が現れた。
彼は似ていた。──クリスに。
きっとそのせいだ。わたしは彼にクリスを重ねて想った。
ウェスカーからの危機を感じ、『一緒に逃げよう』と言う彼を拒んだ。その時、弾みによって木の枝で傷付いてしまった頬の傷が癒える瞬間を見たジャックは、恐ろしいもの見る目でわたしを見た。
わたしは彼から逃げる様に去った。ジャックがその後どうなったのか、もう知る事は出来ないだろう。
弱いくせに浴びる程お酒を呑んだ。
こんな事ぐらいしか思いつかない、現実逃避だ。
だからわたしの感情をいちいち乱すウェスカーが、わたしを見つめながら他の誰かを重ねて見る様な眼差しが、ジャックにクリスを重ねて見た自分と同じだと気付いた時、わたしは自らウェスカーの唇に吸い付いた。
こんなのは、最初で最後だったと思う。ただの男女の様な交わりが終わった後、ひとりになったベッドの上で永遠とわたしは泣いた。久しく出なかった涙を何度も手で拭う。クリスへの想いを捨てようと決めながら。
半年ぐらい経った頃、ウェスカーの代わりにわたしを迎えに来た人物がいた。
リカルド・アーヴィング。トライセル・アフリカ支社の資源開発部門が所有する油田の所長を務めていながら、裏では同社製薬部門に所属し、生物兵器の運用試験や、闇のマーケットでテロリストや犯罪組織に流し、膨大な利益を上げて資金を調達する役割を任されている男だ。
中型のジェット機に乗せられて今度は何処へ連れて行かれるのかと思えば、降り立った場所はアフリカだった。
窓の外一切をカーテンで隠したジープに乗せられ数時間後。到着した先は新たな研究施設。どこか古びている様子があり、増築や修理をしている作業員の姿が目立った。
前を歩くアーヴィングと傭兵に挟まれて施設内に入り、暫く移動した後、着いた扉の前にわたしを1人残して、アーヴィングは施設から去って行ってしまった。
扉を開ける以外何も無く、溜め息と共に扉を開ける。
部屋の中心部、広いデスクに軽く腰を掛けていたのは、わたしに威圧的な態度を向けるウェスカー。それと、もう一人──。
「……アルバート、これが例の重要なサンプルなの?」
少し訛りのある英語を喋り、長い黒髪を高く一つに纏め上げ、胸元を大胆に開けた黒のタイトワンピースを着こなしている若い女。その女は、ウェスカーにそっと擦り寄いながら、キツそうな眼差しでわたしを訝しげに見た。
エクセラ・ギオネ。ヨーロッパでも名の通った貿易商、ギオネ家の令嬢であるエクセラは、世界的製薬企業、トライセル社のアフリカ支社長を務めている女だった。
ウェスカーがこのエクセラと行動を共にしている理由を知るのは、この日からひと月以上経ってからの事だ。
わたしには『少しばかりの自由』が与えられた。
と言っても、自分が置かれる部屋以外に数部屋への出入りだけ。制限はあるし、カメラもある。
逃げ出す事は不可能じゃない。監視の目は常にあるけど、死角を見つけるのは簡単なのだ。
けれど逃げるなんて考え、今の自分にはなかった。
このままずっと、ウェスカーの言いなりで生きていかなくてはならないのかと思うと癪だ。
此処へ連れて来られてからも検査と血液採取の日々。わたしのやる事は何一つ変わらない。ウェスカーの部屋に呼び出され、乱暴に犯される。本格的に作業らしい行為だった。
その最中、一気に全身が冷える。
──見られてる……!?
仕掛けられていなかった筈のカメラや盗聴器が作動しているのがわかった。ウェスカーは気付いていない。じゃあ誰が仕掛けたのか。
犯人は、自ずと姿を現した。
仕掛けたのはアーヴィング。自ら自白したのだ。
ウェスカーやエクセラの下で、資金源としても動かされていた事への不満による"ストレス発散"の為、普段から特殊なカメラや盗聴器を使って盗み見をしていたアーヴィングは、わたしの血液採取の様子に興味を抱き、試しにウェスカーの部屋に仕掛けたのだと言う。
不愉快極まりない。だけどわたしの前にわざわざ現れてくれたのは都合が良かった。外の世界やこの施設を自由に行き来出来るアーヴィングは、多くの情報を得易い。
カメラや盗聴器を脅しの材料にしてでも今の現状や、ウェスカーがこの施設で何をやろうとしているのかを知りたかった。こんな状況だけど。
「……オレにメリットが無い。だから嘘を教えるかもなぁ」
あっさりとはいけなかった。じゃあ無理矢理と言う手もある。でも、嘘を教えられては意味がない。
アーヴィングは、余裕のある表情で等価交換を要求してきた。──何で。此方が有利だったのに。
「あいつらからの無理難題に、文句の一つも言わず下手に出てやる。……オレはそうやって面倒な仕事をこなし、成功させてきたんだ」
そんな中で得た情報を求めるならそれ相応のものを。それが、わたしとウェスカーの行為だった。
「オレはこれでも仕事が出来るからなぁ、あいつらも稼ぎ頭を失いたくないだろ」
余裕だったのは、これがあるからだ。
返事を渋っていれば、アーヴィングは『オマケ』だと言って自分の立場を明かした。信用ならない相手との等価交換。受けるか否かを迫られる。短い時間で葛藤しながらも、わたしはそれを受け入れた。
作業という屈辱、他人に覗き見される嫌悪に堪えて1週間後。監視の無い部屋の前の廊下で落ち合い、事前にアーヴィングがカメラに細工していたお陰で、普段は入るのを許されていない部屋に入る。
この日に知れたのは、1966年に始祖ウィルス発見を皮切りに、1998年の9月。ラクーンシティでバイオハザードが発生し、街が壊滅。アメリカ政府が出した決断によって核ミサイルが放たれ、10月1日にラクーンシティが消滅した事。──そして自分の死亡記事。
他にも知りたい事はあった。
「……おっと、残念。今回はここまでだ」
肝心な事が知れていない。アーヴィングは途中で去ろうとした。
盗撮までさせたというのに。更に屈辱を与える要求に怒りをぶつける。『まだまだ重要な情報がある』と半笑いのアーヴィングへ『もういい』と返す。
「あの"ジル・バレンタイン"の情報を知りたいだろ?」
何故ジルを。彼女に何かあったのか。
思惑通り。不服にも、このまま『取引』を続行しなければならなくなった。またもわたしは堪える。
2週間経ち、偶然にも会えたアーヴィングのノート型パソコンで、途中までだった情報が見れた。
2004年にアンブレラが倒産。けれど、アンブレラの遺した負の遺産は世界に流れてしまっていた。
エクセラがアフリカの支社長を務めるトライセル社も製薬部門のある大企業だ。まさかアンブレラと同じ事を……。
それを問えば、『アンブレラとは少々違う』と返ってきた。この施設などは、アフリカ支社長の地位を使ったエクセラ個人で秘密裏に動かしているのだと。
「──否、実質操ってんのはウェスカーか」
ウェスカーにべったりと寄り添うエクセラが頭の中で過ぎる。支社長の地位にまでなれたのは、ウェスカーが手に入れていたウィルスや寄生生物のお陰だった。
──何をしようとしているの?
重要だけれど、今はジルの事が先だ。また『取引』だ何だと言われては困る。
「情報というか、アンタには残念な報らせさ」
ふざけるなという思いを込めてアーヴィングに問えば、全く残念そうにない顔でこう答えた。
「ジル・バレンタインは、死んだ」
クリスと同じくBSAAという組織にいたジルは、任務の最中に崖から落ちて死んだと言う。
──信じたくない。
見せられた墓石の画像には、ジル・バレンタインの名。彼女が死ぬなんて本当に信じられなかった。取引で得たジルの情報が "死" だったなんて、あんまりだ。
やめたくなった取引は、まだ肝心な事が知れていない。
──次で終わり……。
採取の日、わたしはずっと上の空だった。ジルの死と、それを知ってわたしよりショックを受けているであろうクリスの事を考えていたからだ。
ウェスカーの声でやっと我に返えり、
「……ジルは、本当に死んだの?」
動きが僅かに止まった。ウェスカーは、上の空の理由を作ったのがアーヴィングだと気付いたようだった。
「偶然よ。わたしの事、よく知ってるみたいだったし」
以前渡り廊下でたまたま一緒になった所も知られているだろうし、その部分を隠す必要はない。
「フン……、ジルか。今更気になるのか?」
そんなの当たり前だ。わたしにとってジルは────。
「元同僚? 仲間? 友人か? ……否、恋敵だろ?」
違う。ジルは仲間、そして大切な友人だ。
煽る言い方をするウェスカーにそう返せば、唇の両端を少し弓なりに下のほうへ曲げて、わたしを蔑むように笑った。
「ジルはクリスの相棒、良きパートナー。BSAAでも2人は常に一緒だった。さぞ、ジルの死をクリスは悲しんだだろうな」
これを聞いたわたしは、疑惑から確信へと傾く。
更に挑発は続き、ウェスカーに『クリスはお前を見てない、知らない。今もこれからも』と言われ、否定をした。
「まだ否定か? 違わないだろ? お前はクリスを想い、2人の絆に嫉妬した筈だ」
──嫉妬なんて、無い。
2人が好きなのだ。クリスが笑い、ジルも笑う。息の合った2人の姿がわたしの憧れだった。だから……、だから嫉妬なんてしてない。そう思っていた。──なのに。
不意に、胸が針に刺されたように痛んだ時の事が過ぎった。あれが、嫉妬だったのだろうか。
「報われないな、ダイアナ」
わたしは何も言い返せなかった。止まっていた行為が動き出す。
この身が悍ましい。当たり前の女のように抱かれ、憎い男に直ぐにでも溺れてしまいそうになる。……それだけは嫌だ。体は全て奪われようと、心だけは奪われるものか。絶対に……。
アーヴィングから情報を得る為にこれが最後として会ったわたしは、もう取引をしない事を告げた。相手が相手だし、やめる事で情報をまともに出さない心配はあったけれど、意外にもそれは無用に終わった。
そして最後に得た情報は──、【ウロボロス計画】。ウェスカーがこの地で行っている事だった。
わざわざエクセラをアフリカ支社長の座につかせ、アフリカ奥地にあるこの施設を選んだのも、ウロボロス計画の為。
過去、アンブレラが始祖ウィルスの源泉である植物、始祖花を研究するのにこの場所を研究施設として使用していたのを、ウェスカーは利用した。
他のウィルスの欠点を克服して強制的な進化を起こさせ、始祖花から生成させた完全な新種のウィルスを生み出す事に成功。これが【ウロボロス・ウィルス】。若干の不安定さは残るものの、完全までには時間の問題なのだそうだ。
「もっと楽しい取引出来ると思ってたんだがなぁ。まあ、オレ様は寛大だ。取引にはいつでも応じるぜ」
へらへらと薄ら笑いをするアーヴィングを横目にしながら、最後に
後生大事に持っていたノートパソコンの中に保存していると疑っていたからだ。
「まさか! オレの頭の中には永久に保存するけどなぁ。信じろよオレをさぁ、アンタとオレの仲だろ?」
信じられない。
するとここで、タイミング良くアーヴィングの携帯電話が鳴った。アーヴィングは会議室にわたしひとりを残すと、仕事の話なのか慌てて出て行ってしまった。
わたしはすかさず、マヌケな男が置いて行ったノートパソコンに手を伸ばす。疑っていた通り、アーヴィングのパソコンの中には採取のデータが隠しフォルダの中にあった。
──無用心ね。
下衆な取引のお返しに。それらのデータが全て吹っ飛ぶよう細工し終えれば、何も気づいていないアーヴィングが会議室に戻って来た。
「さぁ、お開きだ」
ジュラルミンケースにノートパソコンを仕舞い、去ろうとするアーヴィングを呼び止める。
「忘れ物よ」
自身も去り際、アーヴィングの手のひらに、隠しカメラと盗聴器の残骸を渡してやった。
1年と半年。
ウロボロス・ウィルスの安定に向けての研究は、ウェスカーとエクセラの指示通り、研究員等によって着々と進められていた。
日常と化す"採取"の間隔は、二週間もしくは三週間だったり。例の『お返し』でアーヴィングがこっそりと訪ねて来た事もあったけれど、もう関わりたくはない。そんなのに気を回すよりもわたしは、僅かな隙を狙って密かに探っている事があったから。
それは一週間前、わたしはある事を耳にする。
「ジル・バレンタインの様子はどうだ?」
偶然通りかかった研究員達の会話の中で、ジルの名前が出された。聴力が上がっている耳で確かに聞いたのだから、決して聞き間違いなんかじゃない。
「その名前を出すな"被験体J-α"、だろ」
"被験体J-α"とは一体何なのか。もしかしたらジルも実験体にされてしまったのだろうか。
わたしはその日から、監視を避けて死角を見つけながら何とか研究室内に入れないものかと探っていたのだ。
試しに、監視の目が無い自分の部屋から。天井にある点検口を見つけ、蓋を開けて駆け上る様にダクトの中へ入った。
人ひとり通れるくらいのダクトを這う様に進み、突き当たりを左に曲がる。下から漏れる光を見つけて近付いて見れば、二つ隣の部屋だった。
このダクトが繋がっていれば目的の部屋に入れるかもしれない。そのまま進むかどうか迷ったけれど、慎重に調べてからにしようと、一旦は自分の部屋に戻る事にした。
翌日。出入りが可能な他の部屋や廊下を歩きながら、死角に隠れつつ天井の点検口を確認。これを繰り返し、やっと研究室内に繋がっているルートを見つけ出せた。
「ライアン、そろそろ休憩しとけよ」
実行中、点検口から漏れる光の先に進んでいると人の声がした。僅かな隙間から下を覗けば、予想通りの研究室だった。研究員の数は今のところこの部屋に2人。1人は研究室から出ようとし、ライアンと呼ばれた方はパソコンを操作している。
短い会話の後、先に1人が出て先に一人が出て行き、残るはライアンのみ。研究室内にカタカタとキーボードを打つ音だけが響く。この状況をもどかしく思いながら5分程待つと、やっとライアンが室内から出て行った。
監視カメラは作動していない。『今だ』と、点検口の蓋をゆっくりと開いて室内に降りたわたしは、目的のパソコンへ向かう。他には用が無い。研究員が戻ってくる前にジルの事を調べたかったからだ。
ライアンが使っていたパソコンは直ぐに操作出来た。ウィルスの研究のフォルダ以外に被験体への実験や被験体リストを発見し、ジルの名前を探した。だけど何処にも無い。
──まさか。
ジルの名前を"被験体J-α"と言い直していたのを思い出し、被験体リストの中の"被験体J-α"というデータを検索してみた。表示された内容には、ジルと同じ特徴に、『長期間にわたり薬剤による保存状態にある』と。しかも血圧、体温などのバイタルサインは全て正常だと記されていた。
リストの他に画像ファイルが目に入り、これをクリックして更に驚いた。その画像には、何かの容器の中なのか、その中に入れられて目を閉じているジルの姿が写し出されていたのだ。
死んだと聞かされたジル。でもこのデータ通り、生きているとしたら……。
二日後にアーヴィングがまた現れた。消えたデータの事はもう水に流したらしい。取引を持ち掛ける気だったようだけれど、二度とごめんだ。わたしは睨みつける。
何故ジルが死んだなどと言ったのか。そうカマをかけてみれば、アーヴィングは僅かに焦りの表情を浮かべた。
「な、何だ、それももう聞いちまったのか。……ハハ、別に嘘でもないだろ? ジル・バレンタインは公には死んでるんだから」
アーヴィングは全てを吐き出す様に続ける。どうして死んだとされるジルがこの施設にいるのか。
オズウェル・E・スペンサーの拘束任務受けていたジルは、同じく一緒に行動していたクリスを庇い、ウェスカーを道連れにして崖から落ちた。けれどウェスカーを道連れにするどころか、逆にその身を回収されてこの施設へ。
救助に向かわれた崖下でジルが見つかる筈もなく、その後公に死亡扱いとなったのだ。
「今は保存液の中でおねんね中さ」
ジルは本当に生きていた。
アーヴィングの呼び止めをも無視し、わたしは研究室に急いだ。すんなりとダクトの中に侵入し、様子を伺いつつ研究室内へ。都合良くパソコンはネットも繋がっている。BSAAには、パスがかけられている専用のホームページがあった。
これで伝わるのかどうか正直わからなかった。だけど、どうしても知らせたかった。今のわたしに出来るのはこれくらいしかなかったから。
『元同僚? 仲間? 友人か? ……否、恋敵だろ?』
ウェスカーが言った言葉を思い出す。
良き先輩、友人、憧れ。クリスの隣にいつもいる
わたしはクリスが好きで、それと同じ位、尊敬するジルの事も好きなのだ。
きっとクリスは、わたし以上にジルを亡くした事を悲しんでいる。少しでも希望を持ってくれたら良い。どうかクリスに伝わりますように。
そう祈りながら、BSAAのサイトに進入し、『ジルは生きている』とメッセージを残した。