BIOHAZARD エージェント E   作:あまてら

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 研究室からダクトを通って自分の部屋へと戻れば、ドアの横に見張りがいないのが少し気になった。

 

「鼠の様に動き回るのは、あまり感心しないぞ」

 

 警戒しながら中に入れば、ウェスカーが壁に寄りかかる様に立っていた。こそこそと動いている事は気付かれているようだったけれど、何をしていたのかまでは知られてはいなかった。

 

「"採取"はまだの筈よね?」

 

 一体何の用があって来たのか。それに対しての返事は無い。ウェスカーは、トランシーバーで『入れ』と誰かを呼んだ。廊下で待っていたのだろう、直ぐにドアを開けて誰かが入って来た。

 誰なのか見当がつかなかった。何せ仮面のせいで顔は見えず、足元までの長さのあるフード付きマントを羽織っていて性別もよくわからないからだ。

 誰なのかを訊けば、『忠実なる『部下』だ」と返ってきた。

 

「今日はお前の為に来たんじゃない」

 

 ウェスカーに腕を掴まれ、座っていたベッドから強引に床へと突き飛ばされた。

 

「ダイアナを押さえろ」

 

 命令を受けた仮面の人物に、わたしは上から押さえ込まれてしまった。うつ伏せ状態のまま力強く床に押さえ付けられ、なかなか身動きが取れない。でも、逃れられない程の力ではなかった。

 押し退けようと動けば、思い出したくもない痛みが襲う。ウェスカーがわたしの手をナイフで刺し、左肩を銃で撃ったのだ。

 傷口が回復する様を仮面の人物に見せつけ、可笑しそうに見下ろしながらウェスカーは笑う。

 

「あれを打て」

 

 次の命令を受けた仮面の人物は、持っていたペン型の注射器をわたしの首元に打った。

 

「ぐっ……!」

 

 全ての機能を停止させるかの様な痺れが襲い、硬直。呼吸も出来ない程の熱が全身を覆った。四肢の動きを奪う薬の改良版らしく、以前よりも強力だった。

 ウェスカーに上半身を無理矢理起こされたわたしの意識は、朦朧としていた。息を何度か吐いては吸ってを繰り返す。徐々に呼吸機能は正常を取り戻せていたけれど、身体は言う事を聞いてくれない。

 

「これで取り乱し暴れられる心配もなくなった。仮面を外して顔を見せてやれ」

 

 ──まさか、そんな。

 

 フードを下ろして仮面を外し、此方を見るジル・バレンタインと目が合った。間違いなく彼女だった。だけどわたしを見る目はどこか冷たく、まるで知らない人を見る目をしていた。

 髪の色は金、肌の色はより白く。ウイルスを打たれたわたしの様な見た目の変化に、とても胸騒ぎがした。

 

「ジルに、な、何を?」

 

 捕らえられた後のジルについて、ウェスカーは語った。

 

「死にかけのジルを回収し、実験に利用する為に暫く冷凍睡眠状態で生かしておいた」

 

 始祖花から生成させた新しいウイルス。ウロボロス・ウイルスは、欠点だらけの今までのウィルスとは違っていた。適合すれば、投与された者の精神や外観を損ねる事無く知性的、肉体的な超強化を及ぼし、劇的な進化をもたらす。けれど毒性が強過ぎて難航。

 

「……そんな時、ジルが役に立った」

 

 彼女にはT-ウイルスの抗体が出来上がっていた。ラクーンシティでT-ウイルスに感染し、ワクチンで回復していた過去があるそうだ。

 冷凍睡眠により、数年間体内に潜伏していたT-ウイルスは完全に死滅し、彼女の体は非常に強力なウイルス抗体を生成するようになった。その抗体を使用する事で、毒性を弱められたのだと言う。

 

「ウイルスの実験に使えなくなったのは残念だが、抗体以外はいくらでも他に使い道はある。お前を従わせるには家族を、ジルの場合は薬物"P30"だ」

 

 P30とは、肉体を強化すると同時に、意識を奪う事なく精神を支配する薬物だ。強化する成分の一部には、わたしの中のウイルスも使用されていた。ウェスカーはP30をジルに長期投薬し、実験台にしていたのだ。

 

「意識はあるが、何度呼んでも無駄だぞ。もうジルは俺に逆らう事も出来んのだからな」

 

 ウェスカーは嘲笑っている。家族の為に逆らえないわたしと、意識がありながらも薬物による支配で歯向かう事の出来ないジルを。

 部屋の外で待てと言われたジルは仮面を再び被り、此方を一度も振り返る事なく部屋から出てしまった。

 残ったウェスカーがわたしに何をするのか、考えなくてもわかる。全力で拒否する力は、薬によって奪われていた。されるがままだ。

 採取を終え、身だしなみを整えたウェスカーが部屋の外の方を向いてジルを呼んだ。勿論、入って来た彼女にベッドの上で乱れた姿を見られる。わたしは目を閉じた。こんな再会なんて、あんまりだ。

 頭の中で繰り返されるのは、仮面を外したジルの顔。

 その日から許可無く部屋を出る事を禁じられ、数ヶ月が経った。

 

 2009年。ウロボロス・ウイルスは、遂に完成。

 部屋から出る事が出来なくなったわたしは、抜け殻の様に一日中ベッドの上で仰向けになっているか、部屋の隅で壁にもたれながら座っているかのどちらかをして過ごしていた。

 監視カメラは常にわたしを見ている。三週間に一度、ウェスカーがジルを連れてやって来る。──採取だ。その時だけは、カメラが作動しない。

 ジルを部屋の外で待機させ、わたしを犯して採取した血液を届けさせる。拒否などすれば薬を打たれ、苦しみと快楽が待っているのだ。

 採取した血液を受け取るジルの視線が、仮面越しから深く突き刺さる。意識のあるジルは、こんなわたしをどう見ているのか。きっと軽蔑している筈だろう。わたしはそれに堪えられなかった。

 

 ──違う、違うのよ。見ないで、聞かないで。これはわたしじゃない。

 

 心の中で何度も謝った。救えなくてごめんなさい、逆らいもせずに憎い男を受け入れるわたしを許して。

 

「お前は俺に従い続けるしかない」

 

 眼を細めてウェスカーが言った。

 

「お前の全てを受け入れる事が出来るのは、俺だけだ」

 

 それはまるで、愛の囁きのよう。

 わたしを繋ぎ止めている細い糸は限界を迎え、今にもぷつりと切れてしまいそうだ。

 

『諦めろ』

 

 空っぽにした筈の頭の中で、誰かの声が。

 

『何もかも全て忘れてしまえば、楽になれる』

 

 心までは奪われない様に堪えてきたけれど、毎日がとても苦しくて辛かった。このまま快楽に溺れ、ウェスカーに溺れれば楽になれるのか。

 

 ──楽に、なりたい。

 

 何もかもを諦めてしまいそうになった瞬間、言い表せぬ恐怖が訪れた。島で初めてを奪われた、恐ろしい時間が蘇ったから。

 あの時の様に泣き喚き、必死になってウェスカーから離れ、半狂乱になって部屋を飛び出す。だけど直ぐに阻止されてしまった。ウェスカーの声に動いたジルが、背後から体当たりをしてきたのだ。

 

「離して! いやぁあ!」

 

 床にうつ伏せに倒されて、抵抗虚しく薬を打たれた。

 

「ぐうっ!」

 

 力の抜けた身体は、ジルに引きずられながら部屋に放り戻される。床に仰向けに倒れて小刻みに震えるわたしを、ウェスカーは冷たい目で見下ろしたまま、『もう一度打ってやれ』とジルに命令した。

 一度でもキツイ薬をまた打たれるなんて。目だけをジルに向けて『やめて』と訴えたけれど、今の彼女には届かなかった。

 二度目は鈍器で思いっきり頭を殴られた様な衝撃を受け、目の前が真っ白になって何も聞こえない。身体中が燃える様に熱くなると、意識はそこで落ちた。

 薬を打たれると必ず酷い吐き気に襲われる。目覚めてから怠い身体を起こし、トイレに駆け込む。いつも以上に苦しんだのは、二度も打たれたせいだ。

 とにかく頭から水を浴びたくなって、そのままシャワーのレバーを捻って水を出す。少しも冷たくない。身体の熱は一向に冷めてはくれなかった。

 気づけば、わたしはまた気を失っていた。怠さや吐き気は治まったけど、あんなに熱かった身体が氷みたいに冷たい。体を拭いてシャワールームから出ると、ベッドの上に倒れ込んだ。悪寒に震え、壊れてしまいそうになりかけた自分を思い出す。一瞬だったけど、あの時全てを諦めようとした。

 一体いつまで、壊れない様に正気を保とうとする事が出来るのだろうか……。

 ふと、指先に目が行った。中指の第二関節辺りに、真新しい血の様なものが付着している。手で拭ってみると、僅かにその部分が痛む。直ぐに癒える体になった今では懐かしい痛みだ。

 もう一度凝らして見たけれど、不思議な事に傷口はどこにも無かった。少し気にはなる。でも、それよりも寒さが今は勝っていた。

 ベッドの上で暫く丸まって震えていると、誰かの気配。仮面を被ったジルが、『部屋を出なさい』とわたしに言う。

 何故。そう返そうとしたら声が出ない。喉元を軽く押さえながらもう一度試してみた。──やっぱり出せない。

 連続で打たれた薬のせいか、または精神的によるものなのかは不明だ。話したくもない相手と会話しなくて済むなら良いけど、このままずっと喋れなくなってしまうのは不便に思う。だけど壊れてしまったら、きっとそんな事を考えもしなくなるだろう。

 

「早く」

 

 ジルに急かされ部屋を出る。先頭にはジル。真ん中に挟まれて歩くわたしの後ろには、防弾チョッキを纏った黒人が武器を持って付いて来ていた。今までいた見張り達の姿はどこにも無い。代わりに同じ様な武装をした者達を何人も見た。よく見れば皆、一部の肌に変色と破損が目立っている。

 後になって知った情報によると、彼等はスワヒリ語で悪霊と意味を持つ"マジニ"と呼ばれ、寄生生物プラーガに肉体を乗っ取られた元人間なのだそうだ。

 他に気になるのは、何人もいた筈の研究員達。1人も姿を見ない。実験動物の鳴き声だけがこの施設内に響いている。

 通路からエレベーターに乗ると、ジルの合図で突然目隠しをされた。言葉を喋れない今は何も返せやしないし、大人しく従う。

 それにしても寒い。吐き気や怠さは消えて薬の効果は切れている筈なのに、いつまで経っても身体は冷えている。

 わたしは、普通じゃなくなってから今まで何ともなかった体の中の異変に、久しぶりの不安を抱いていた。

 手まで後ろに縛られたまま、移動して数十分後。縛られた手を解放され、後ろから肩を押されて何処かに入った。扉の閉まる音と共に、威圧的な気配がわたしを包む。

 ウェスカーだ。見えなくても、その存在だけは確実にわかる。目隠しを外し、電球の眩しさに目を細めながらウェスカーを視界に入れた。

 

「遂にウロボロスが完成した」

 

 満足気に言う。ウェスカーは、完成させたウィルスをこれからどうするつもりなのか。

 

「これで腐りきってしまった世界は浄化され、新たな世界を俺が創り出す。ウロボロスに選ばれた資格のある者だけが生きる世界だ」

 

 わたしは堪らず苦笑した。くだらない悪役が使う台詞の様だったから。まさかこの男の口からそんな事を聞かされるとは思わなかった。

 

「……可笑しいか?」

 

 わたしの顎を掴み上げるその手には、強い力が込められる。

 

 ──何が新たな世界だ。

 

 言葉の代わりにウェスカーの手を払い退けると、違う手で首を絞められて壁に押し付けられた。

 

「口も利けなくなったか」

 

 何も返さないでいると、ウェスカーがわたしの耳元で静かに囁く。

 

「お前の家族がウロボロスに選ばれるかどうか楽しみだな」

 

 怒りが湧いた。暴れ出る寸前、止められてしまったけれど。

 

「逆らいたいのか?」

 

 ウェスカーは、コートの内側からペン型の注射器を取り出して見せた。中身に感付いたわたしは、慌てて首を横に振る。薬を打たれるのを身体中で恐れたからだ。それ程までに、抑える薬は酷くわたしを苦しめていた。

 採取を終え、エクセラからの連絡を受けてウェスカーは行く。いつの間にか身体の冷えは治り、ひとり残されたわたしは、部屋の中で床に伏せて咽び泣いた。

 ウェスカーがこれからやろうとする事を止めるでもなく、何にも出来ない、しようとしない弱い自分に対してや、快楽の苦しみから起こる恐怖のせいで。

 

 数日が過ぎた。

 今度は薄暗い通路を歩かされ、更に暗くて狭い部屋の中に無理矢理押し込まれてドアを閉められた。中では冷たいシャワーを浴びせられ、出れば新しい衣服に着替えさせられる。

 濡れたままの髪の状態で次に向かわされたのは、コントロールルームらしき部屋だった。全体を見渡せるかの様なガラス張り仕様で、監視用であろう旧型モニター画面が無数に設置されているのが目に入った。

 部屋の中央に置かれている上等な黒いソファに深く腰をかけていたウェスカーは、ノート型のパソコンの画面をわたしに向けて告げた。

 

「クリス・レッドフィールドだ」

 

 心臓が強く跳ねる。荒い画質だったけれど、クリスらしき男の姿を見せられた。

 B.S.A.A.が動いていて、この地に来たと。そしてその最前線にクリスがいると言うのだ。

 ウェスカーはわたしの反応を鼻で笑っている。この男はきっと、このままクリスを放っておく筈がない。

 

「先に連れて行け」

 

 何も喋れないわたしは、半ば強制的に何処かへ連れて行かれた。

 寄生体に寄生され、人間の成れの果てとなってしまった見張りのマジニ数名に囲まれる様にして歩く。

 久しぶりの外の空気だ。微かな潮の香りがわたしの鼻をかすめた。

 

 ──船だ。

 

 とてつもなく大きい貨物船だった。

 乗り込んだ船の甲板を通り、船倉へ。階段やエレベーターを使って出た先は、船の中央。気付けば空は暗くなっていて、いつの間にか船も動いている。

 船央甲板、広い場所の真ん中に集められた大量の人の死体が視界に入り、その異様な光景に驚いた。何のつもりで死体を積み上げているのか見当がつかない。

 数分、この場所からそれ以上進むでもなく待たされた。此処まで一緒だったマジニ達は、1人2人と元来た道を戻って行き、わたしだけになってしまった。

 

「お待たせ」

 

 嫌な女の声がして振り向けば、先程抜けたマジニの1人を連れたエクセラが、何やら勝ち誇った様な笑みでわたしに近づいて来る。

 

「アルバートが望む世界はもう直ぐ」

 

 ゆっくりとわたしを中心にして回りながら、エクセラが暗い夜空を仰いだ。その時、四方からわたしへの囲む様な視線が刺さる。先程戻ったマジニ達だろうか。

 

 ──近い。

 

 わたしは確かめる様に目で追った。

 

「新しい世界で私は生きる。そして彼の隣に立つのはこの私、私だけなの。だから……!」

 

 此方へ銃口を向ける目の前のマジニと、四方の視線に気を取られ過ぎていたわたしは、避けようと動いた瞬間、真横にいたエクセラから注射器で腕を刺されてしまった。

 

「邪魔、本当に邪魔。アルバートと私の世界にあんたは不必要なのよ! 彼を救うのは私、私に出来ない事は無いの。だからもう用済み。最後の足止めになりなさい」

 

 いつもの動けなくする薬のせいで倒れて動けないわたしを見下ろすエクセラは、別の注射器を胸元から取り出した。

 

「ウロボロスよ。たまたま運が良かっただけのあんたが、ウロボロスにまで選ばれるとは思えない」

 

 邪魔なもの(わたし)を排除出来る喜びに、表面の美しさを歪ませる程の醜い心を露わにしたエクセラは、下品な高笑いをした。

 

「エクセラ」

 

 いつの間にやら甲板に姿を現したウェスカーが、エクセラと私のもとへと歩み寄る。

 

「アルバート!」

 

 正面から抱きつく様にして、エクセラはウェスカーに擦り寄った。

 

「私達を邪魔するものは全部終わりにしなくちゃ。ウロボロスを打って此処に置いて行けば……、クリス・レッドフィールドを止めている間に飛び立てるわ。貴方の代わりの安定剤は私が必ず見つけてみせるから。ねえ、良いでしょう?」

 

 ウェスカーは、言葉の代わりにエクセラを優しく抱き締める。

 

「アルバート……」

 

 抱き締め返された事を喜ぶエクセラは、優越に浸った顔でわたしを一度見た。『彼に相応しいのは私よ』と言って。

 首に己の腕を回し、ウェスカーと唇を重ねる。彼女が持っていた注射器は、自然にウェスカーが手に取った。

 

「──え?」

 

 唇を先に離したエクセラが、右側の首元を手で押さえた。それはウェスカーが、ウロボロス入りの注射器をエクセラに打ったからだ。

 

「アルバート? い、今、何を……っ」

 

 突如、エクセラはむせる咳を始めた。ウェスカーは何事も無い様に視線をエクセラから外し、ショルダーホルスターから拳銃を取り出すと、瞬く間に目の前と四方にいたマジニ達を撃ち殺してしまった。

 

「新しい世界への資格があるのかは、ウロボロスに訊かねばならんからな」

 

 回りきりった薬の所為か、わたしの意識が一気に朦朧となる。動けない体は、わたしの前に移動したウェスカーに簡単に担ぎ上げられた。

 

「待って、ま、待って────!」

 

 連れ去られながら耳に入って来るのは、愛しい男の名を呼ぶ悲痛なエクセラの声。

 

 暫くはっきりとはしなかったけれど、徐々に回復してくる意識。抑えられた感覚が、今までよりも早く戻っている様に思えた。壁を背にもたれかかっていたわたしは、僅かに動かせた顔を上げて今の状況を掴もうとする。

 中は薄暗く船内。前方には、此方に背を向けたウェスカー。丁度、船蛇室の真ん中だろう場所に立って、何かを呟いていた。

 相手は──クリス。ウェスカーは、ウロボロスか世界に放たれる事を告げると、次はエクセラへ向けても言った。

 

「やはりお前には資格がなかったようだな。今までご苦労だった。最後の仕事をくれてやる」

 

 エクセラはウロボロス・ウイルスに適合しなかった。やがてウィルスは暴走し、エクセラを含んだ周囲のあらゆる有機物を摂取して成長し続ける。大量の死体が確か甲板中央にあった。すれば彼女だったそれが、一気に巨大化するのは確実だ。

 

「お別れだ。クリス」

 

 わたしの思考が、最後にクリスへ別れを告げたウェスカーへ飛ぶ。エクセラを足止めに使って、その間にどうする気か。

 

 ──まさか空から……。

 

 甲板にいたあの時、エクセラがわたしをクリスの足止めにしている間に『飛び立てる』と言っていたのを思い出す。ウェスカーは航空機を使い、ウロボロスを世界に放つつもりだった。

 船が揺れる。ウロボロスに取り込まれたエクセラによるものだ。

 マイクを切ったウェスカーが此方へ振り向いた。動悸が激しくなる。わたしの前に立つまでの僅かな時間、どう行動すべきなのか考えた。抵抗するのも逃げるのも止めてしまった自分に、一体何が出来るのかを。

 

「う、……だ、め……っ」

 

 もう喋れなくなってしまったのかと思っていたのに、意外にも呆気なく声が出せるようになった。それと同時、わたしはウェスカーに抱き上げられた。

 

「これで奴も終わる」

 

 足止めが成功すると思っているらしい勝ち誇った表情だ。

 

「わ、たしを、あんたの言う新しい世界へ、連れて行く気? それとも、わたしもエクセラみたいに、ウロボロスを打って捨てる?」

 

 返事は無い。

 

「もう、降ろ、して」

 

 格納庫を目前に、わたしはもう立てる事を伝えた。

 

「まだ薬は切れてない筈だが?」

「打たれ過ぎたから耐性がついた、んじゃない? また改良した方が、良いわよ」

 

 格納庫に繋がる自動ドアを抜ければ、ウロボロスを積んだ爆撃機が目に飛び込んだ。自ら降りようと地面に両脚を下ろした直後、思っていたよりも力が入らなくてバランスを崩したわたしは、そのままウェスカーの胸にしがみ付いてしまった。一瞬、酒に酔って現実逃避をした時の事が頭を過る。

 

「……ね、え、わたしはいつ、まで、こうなの?」

 

 何故だろうか。わたしは直ぐ離れようとはしなかった。躊躇いがちに、ウェスカーの背中と腰に腕を回した。その腕に力を込め、顔を上げて何かを乞う様にウェスカーを見つめれば、サングラス越しの赤い眼がわたしを見つめ返した。

 

「あなたを愛したら、この苦しみから、解放され──」

 

 後頭部を少し乱暴に掴まれ、わたしの唇がウェスカーの唇で塞がれた。痛いくらいに目頭が熱いのは、わたしのこれまでの日々が走馬灯の様に脳裏を駆け巡ったからだ。

 そして背中に回していた手を、徐々に腰へと移動させながらある物を掴んだ時、勘付いたウェスカーがわたしを押しのける様にして離れた。

 

「お前には学習力というものが無いな」

 

 手すりに背をもたれて立つ、わたしの右手に目をやってウェスカーは睨んだ。掴み取ったのは、ウェスカーのサバイバルナイフ。

 

「それで何が出来る? 止める為に俺を刺すか?」

 

 無理だ。そんなのわかってる。

 

「意識を苦痛に思うなら、新しい世界を迎えるまで待てば良い」

「ジルにしたように、わたしにもP30を試すの?」

 

 ウェスカーから一度も目を逸らさず、掴んでいた右手に力を込めた。

 

「このナイフを取ったのは、こうするからよ……!!」

 

 振り上げた手は自分の中心へ。自分で自分の胸に、ナイフを深く突き刺した。

 無意味な事を何故、ウェスカーはため息を吐く。馬鹿らしいと呆れている。だけどわたしは微笑うのだ。

 痛みは不思議と感じなかった。

 残された力を振り絞り、刺したナイフを一気に引き抜く。わたしの胸からは、大量の血液が噴き出した。掴んでいたナイフが血に濡れた手から滑り落ちる。出続ける血液があまりにも可笑しくて咳き込むと、口からも血が溢れ出てしまった。

 ウェスカーは眉間に皺を寄せた。胸の傷口が再生しようと閉じかけるも、それを抗うかの様にぱっくりと開くを繰り返し、いつまで経っても完全に閉じられる様子がないからだろう。

 指先に付着していた真新しい血液、治りかけの傷の様な、久しい痛みの感覚。わたしはずっと気になっていたのだ。

 高い再生能力の衰えか、バケモノになる以前の体に戻ったのか。でも、それ以外の変化は特別感じられはしなかった。原因の全てはわからない。わたしを抑える薬を過剰に受けた事での副作用かもしれない。

 だけど、これは単なる憶測に過ぎなかった。わたしを使った安定剤用の血液採取や、原因かもしれない薬の使用は、変わらずに続けられたのだし。

 再生能力の有無を試したかったからだけじゃない。この先のわたしの運命の選択をしたんだ。どちらかの結果になっても受け入れようと。

 再生すれば、何もかも諦めてウェスカーに従っていく。再生しなければ、死。

 傷口は、再生しなかった。

 全てを捧げたエクセラは死に、大量の出血があるわたしも、もう長くはない。これでこの男を助ける者は──誰もいなくなる。

 

「ざん、ねんね、死体じゃ、安定剤、もう作れない」

 

 失った血液の多さに意識が混濁する中、ずっとウェスカーから目を離さなかったわたしは、此処へ近づいて来る2人の気配に気付く。

 最後に微笑みを向け、手すりに力の抜けた身体を完全に預ければ、浮遊感が背中から伝わった。

 

 ──これで、これでわたしは……。

 

 終わったと思っていたのに。

 

 

 

 

 

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