ゴンベエは一願だにしない。
道すがらクレマンティーヌがどう説き付けようが、考えを改める気は無いらしい。ほとほと、厄介ごとに首を突っ込みたがる癖があるらしい。彼はセバスに同行して八本指の娼館に殴り込むと宣うのだ。八本指を敵に回せば平穏無事に過ごせないのを彼女はよく知っていた。
ゴンベエの敗北は想像できない。武力胆力ともに神がかってはいるが、些か頭の方が物足りない。もう少し良く物事を考えてから動いた方がいいと辛辣に物申すが、この馬鹿の手綱を握れるのは不可能だろう。
この貴重な意見にゴンベエは、
「まともな口が利けたのだな」
と返事した。
誰のせいだ、と顔を真っ赤にするクレマンティーヌ。それに対してゴンベエの顔は涼しいものだった。
「道理じゃないのさ」
「じゃあなんなのさ?」
「一人の女の為に命をかける。そんな事は簡単にはできん」
八本指などゴンベエにとってはどうでもいいことである。この襲撃には、セバスに対する義侠で付き合っているのだ。一文の得になるかどうかではない。
他人の為に命をかけるなど綺麗事であるとクレマンティーヌは思っている。自己犠牲など真っ平御免、アホとしか言いようがない行為であると断言できる。だからこそクレマンティーヌはこれに乗り気ではない。しかし付いて行けば、人を殺せる。そろそろ溜まってきた鬱憤を晴らせるというものだが、自分で自分が腹立たしくなった。
このまま、ゴンベエが気の向くままに濃い情けばかり流して世を渡れば、命がいくつ必要なのか。自分が取るべき頃には、残っているのか定かではない。
「話は纏まりましたか? 無理に付いてくる必要はありませんよ」
件の娼館が見えてきた頃、セバスが二人に尋ねた。
「セバス殿、ここまで来て帰るなどできますか」
「そちらの方は嫌がっている様子ですが……」
「そうか。ではお前は帰ってもいいぞ」
「はぁ!? 久しぶりに暴れられるのに帰れるか!」
(じゃあ、今までのは?)
クライムがこのやり取りを見て唖然としていた。この二人は仲が良いのか悪いのかまるで分からない。
クレマンティーヌは、暗殺者たちを倒した後にひょっこりと姿を現した。最初はその不気味な雰囲気から暗殺者の仲間かと思ったほどであった。伊達や酔狂でこの襲撃に加わる類の人間にはとても思えない。人の良さそうなゴンベエとどういった関係なのか定かではないが、上下関係はわりとはっきりとしているようだ。
やがて件の娼館に着いた。周りと比べても変わった様子はない。外観だけでは娼館とは分からない造りとなっている。
その前で四人は顔を合わせた。
「こことあちらにも入り口があるようですね」
セバスは数軒隣の建物を指差して説明する
「二つですか。なら二手に分かれるのが最善でしょうか?」
「そうですね。ちょうど我々は四人ですので、ゴンベエ様とお連れのクレマンティーヌ様。私とあなたで分かれましょうか」
クライムは嬉しそうに頷いた。セバスが連れ立ってくれるのならば不安は完全に無くなる。娼館には「六腕」というアダマンタイト級の戦士が警備に就いているらしい。自分がその者と戦っても勝てないのは分かっていたので、せめて足を引っ張らないようにとクライムは意気込んだ。
「それと、できる限り捕虜としますが―――」
「えぇ~、殺しちゃダメなの?」
不満そうな声をあげるのはクレマンティーヌだ。
「いえ、抵抗するのなら殺しても問題ないでしょう。ですがサキュロントという者だけはなるべく捕まえるよう、お忘れなく」
殺し、という言葉にゴンベエは反応した。覚悟はしていたが、いざとなると迷いが生じるものである。だが殺さずに済む事ではないのは重々承知していた。
腰の刀に目をやった。アンデッドも人間も、斬ることは変わらないはずである。今さら情けない。セバスに対する義を通すのなら、斬ってみせようと意気込んだ。
「行こ」
クレマンティーヌがゴンベエの肩に手を置く。その身体は、炎のように熱くなっていた。これがどういった兆しかは分からなかったが、娼館の中の連中はタダでは済むまいと彼女は悟る。
セバスは入り口の分厚い鉄扉まで迫ると、数軒隣に向かう二人の男女を見る。
正体の良く分からぬ不思議な男。その身に宿らせる内力は計り知れないものであったが、悪いものではない。善良な心の持ち主だということはよく分かった。
セバスは自分の行った行為が浅はかなものであると知っている。だからこうも面倒なことになって、関係の無い人々を巻き込んでしまっているのだ。是が非でもクライムだけは守らねばならない。あの二人はきっと大丈夫だろう。
「では、参りましょうか」
ゴンベエ達が位置についたのを見計らってセバスは呟いた。クライムは既に剣を抜いている。
「どのように攻め入りますか?」
「ノックいたします」
少し離れた場所から、金属同士をぶつけ合わせたような音がした。
「セバス殿が始めたみたいだな」
「何の音?」
クレマンティーヌが音の鳴り方に首を傾げているのを余所に、ゴンベエは鉄扉の前に立つと腰の刀に手をかける。
ひゅう。
風が鳴り、蝶番を断ち切られた鉄扉が手前側に倒れてきた。けたたましい音と困惑した声。ゴンベエが中を覗き込んだ。
「何だお前ら!?」
人相の悪い男が二人を見て瞠目する。ゴンベエは鉄扉を跳び越えて男を蹴り上げると、男は大きく吹き飛び壁に叩き付けられた。それには目もくれず中に乗り込むと、騒ぎを聞き付けた二人の男が飛んできていた。両人とも剣を引っ提げている。荒々しい目付きだ。
忽ち、二本の剣が風を巻き、左右からゴンベエに斬り込んだ。ゴンベエは身じろぎもせず太刀筋を眺めると、飛刀一閃。二人の絶叫があがった。二筋の光が宙を舞い、床に突き立った。男たちは激痛に顔を歪め、斬られた腕を押さえながら身を丸める。鮮血が床に流れ落ちた。ゴンベエの剣筋は一分の狂いもなく、腕の経路を断った。二度と使い物にならないだろう。
ゴンベエが斬り心地を噛み締めていると、傍で風が巻き、瞬き一つの後に鮮血が飛沫を上げた。
「殺すことはなかろう」
クレマンティーヌが刃に付いた血をペロリと舐めて、歪んだ笑顔を浮かべている。
「まだ腕が一本あるよ」
「……」
目の前で人が死んだ。それもあっさりと二人も。言知れぬ感情が芽生える。
「ほら来たよぉ~」
部屋の奥の扉から足音が聞こえた。クレマンティーヌが猛然と駆け、扉が開いた瞬間には、相手の首元にナイフが突き刺さっている。男の体を盾にして部屋の中に斬り込み、何かが床に落ちる音が二つほど聞こえると、顔を赤く濡らしたクレマンティーヌが何事もなかったかのように出てきた。
「中には何もないみたい。隠し扉とかあるのかなぁ?」
「……分かった。二階を見て来い、俺はここを探す」
刀を腰に収め、クレマンティーヌに指示を出してやると彼女は嬉々として階段を上っていく。ゴンベエはそれ程広くない室内を眺めた。三人の男が倒れている。一人は壁に力無く凭れ、一人はうつ伏せで首から血を流してピクリともしない。その向かいに倒れている男は片側に頭を傾け喘いでいたが、死魚のような目だけは、ゴンベエを睨んでいるようだった。今まさに死に逝こうとしている。
(そんな目で俺を見ないでくれよ)
ゴンベエの胸を突いた。言うに言われぬ哀感が、心をひたひたと満たしていく。何となく、腹が立った。
ふと床の血溜りに違和感を覚える。一角がおかしな形で途切れていた。どうやら床下に染み込んでいるらしい。
その辺りに手を這わせると、重い音が鳴って床が僅かに浮き上がった。隙間に指を差し入れ、勢い良く持ち上げると同時に何かが飛び出してきた。反射的に受け止めて、確認するとそれは矢である。隠し扉の裏にクロスボウが取り付けられていたのだ。その鏃は何やら濡れており、何ともなくこれは毒だと理解した。
人間は異常状態に完全な耐性を持たない。装備でそれを補うのが普通であるが、ゴンベエは普段装備しておらず、異常状態を回復する魔法も覚えていない。
サービス終了が発表されて以来、消耗品の補充は怠っていた。使う機会が無い物を買う奴がいるか。だが、もしも刺さっていればどうなっていただろうか。
ゴンベエは一考しない。その時は、その時である。のたうち回って死ぬだけだ。
階上では騒がしい音が聞こえた。クレマンティーヌが暴れているのだろうかとぼんやり考えながら、ゴンベエは隠されていた階段を見下ろした。先の方はやや暗くて見えない。これを降りていくことにした。
降りた先は別段変わった感じはしない石畳の通路であった。両側には牢屋らしきもの、少し先には扉が見える。そこだろうか。
無警戒に通路を歩み、牢屋の中を覗いた。中に数人の女がいる。両手足を鎖でつながれ、布きれのような服を羽織っているばかりだ。ゴンベエの表情が凍った。
「お~い。こっちは終わったよ。二階には特に何も無かったけど………」
鬱憤を晴らしたように清々しい面持ちをしたクレマンティーヌが降りてきたが、忽ち表情を曇らした。ゴンベエが小刻みに身体を震わせている。顔は伏して見えないが、その顔を覗くことが怖くてできない。
ゴンベエはクレマンティーヌが来ていることにも気付かない。義憤と侠気が複雑に混ざり合って、冷静さを欠いていた。
乱暴に歩み、扉を蹴り破ると中は広間だった。地下にしては十分広い。木箱や檻が置かれているのを見るに、荷物置き場だろうか。
「ん?」
静かに、足音も立てずに五人の者がゴンベエを囲んでいた。全員男かと思ったが、囲みの中には女の顔もあった。全員、腰に剣を携えている。刺すような目で、彼らはゴンベエを見ていた。全身に殺気を帯びた視線を受けて、この後に起こるであろう出来事を、ゴンベエは容易に想像した。
「やはりここまで来ていたか。手下を伏せておいて正解だったかな」
囲みの外に二人の男がいた。一人はセバスに教えられた外見に似ている。捕縛しろと言われたサキュロントだ。八本指において最強の六腕の一人、強さはアダマンタイト級に匹敵すると言われたが、ゴンベエにはどの程度なのかはさっぱり分からない。ブレインかクレマンティーヌほどだろうかとぼんやり考えた。
「腕が立ちそうだけど大丈夫なの?」
サキュロントの傍に立っていた男が、甲高い声で彼に訊いた。
「この隙の無い布陣。俺が手を出すまでもなく、生き残るのは不可能だ」
ゴンベエは現在の状況を素早く確かめる。五人に囲まれ、戦わずに逃げる事は叶わない。こうなってしまえば、手段ただ一つ。
斬れ!
(ああ、そうだ。斬らねばならない)
隙間風に乗ってきたかのような女の声。これを受け入れた。
「早く終わらせようか」
サキュロントの顎が、僅かに上がった。それが合図だったらしい。ゴンベエを囲んだ五人の者が、まったく同時に、抜討ちを浴びせかけてきた。五人同時の斬撃である。しかし、ゴンベエはその窮地のど真ん中に居ようと刀も抜かず、一瞬だけ辺りを目配せした。
「んっ!」
ゴンベエは無意識の動きで五つ同時の斬撃をかいくぐり、ほぼ同時に五人の腰から上が天井まで吹き上がった。
息は乱れることなく、太刀を正眼に構えている。付け根から迸る露は、まるで彼の闘志に呼応するかのようだ。
サキュロントと傍の男は一瞬の出来事を理解するのに、少しの時間を用いた。理解してようやく、身震いを起こして呻いた。サキュロントは、まさかゴンベエがここまで腕が立つとは思いもしていない。
「ッ!」
剣を抜こうとした途端、足に力が入らなくなり前方にたたらを踏んで膝を付いた。自分からゴンベエに首を差し出すような格好だ。何が起こったのか、知る由も無かった。刀の峰がサキュロントの下あごを打ち上げた。
甲高い声が広間にこだました。
ゴンベエは立ち所にその声の主に迫るとこれも峰打ちにしようとするが、柄を握る力がふと抜けた。辺りには上下を別たれ血を失った人間が何人も倒れている。これを全て自分がやったのかと思うと、魂が凍えた。逃走する影が見えたがもはやどうでもよかった。
(これは理不尽だ)
斬り始めてからまだ一分と経っていない。誰もが一撃で死に絶え、無残な屍を晒している。彼の知る戦いとは、ユグドラシルでの血沸き肉躍る心満たされるものであった。だがこれは何とも無益だ。
理不尽、憐れ。そんな思いがゴンベエの胸を貫いた。これは、人を斬ったことと、無縁ではない。
柄を握る手には、まだ斬った感触が残っている。空っぽのずた袋を切り裂いたような、何とも軽い感覚。刀の切れ味が良かったのか、はたまたステータスのせいか、硬い物を斬ったという感覚など一切無かった。
(人を殺したというのに)
刀を振る動作一つにも迷いが無く、ユグドラシルで多人数を相手にする時の動きと同じように戦えた。エ・ランテルの墓場の時のように、ただ相手がアンデッドか人間かという違いだけだが、大きく違った。
ゴンベエがこの世界に来て幾何か経っている。最初の数週は、目まぐるしく過ぎた。生まれて初めて、広大な自然を見た。初めて、人と刀で斬り合った。初めて、アンデッドを斬った。初めて、人間社会の裏側を見た。そして、初めて、人を斬った。
人はなんと簡単に死ぬものか、という思いが心に刻まれ哀感が満たした。ただ、悔恨はない。刀を持ち歩き、自由気ままにさすらい、自分の生き方と哲学のためなら、命など捨てる気で生きていこうと決めたのだ。人を斬って悔恨などは覚えない。だが、欲しかったのは命ではなかった。ユグドラシルでは得ていた物が、何一つ無かった。こんな事を、好きにはなれない。
暫く茫々然と立っていたが、気が付くと同じく乗り込んでいた三人が立っていた。傍らには縄で縛りあげた甲高い声の男とサキュロントがいる。
「どうかされましたか?」
セバスが心配そうに言う。
「人を斬ったのは初めてで……」
予想もしていなかった言葉にセバスは目を見開き、僅かに後悔の念を覚えた。まさか剣を携える者が人を斬ったことがないとは思いもしていなかった。
「剣とは無情なもの。硬く、冷たく、鋭く、人を斬るもの……」
剣は無情である。その本質は人を斬るために存在する。人の命を奪うものが無情でないはずがない。持てば人は無情にならねばならない。
諭すように、セバスは剣の本質を語った上で付け加えた。
「ゴンベエ様は情の濃い方でございますね」
だが人は無情になれるのか?
クライムのような人間がいれば、クレマンティーヌのような人間もまたいる。
セバスは、人間に関しては未だ勉強中だ。人間に関しては分からない事の方が多い。
「濃ければ、人など斬りませんよ」
以前のようにはせず、今回は合理性で人を斬った。
「いえ、濃いからこそ私などに手をお貸しになられた。深く生まれたからこそ、薄情の道を歩む者を斬ってしまわれた」
ゴンベエは、顔を伏せた。そう簡単に納得してしまってよいものとは、思えない。後悔はしていない。斬った者らは、斬られるべくして斬られた。
ただ、まだ魂が凍り付いているようだった。
(これがセバス殿の言う無情の剣なのか)
そう様子を見ていたクレマンティーヌが、小さくため息をついているのが見えた。
ゼロが攻め落とされた娼館の扉を観察していた。彼だからこそ、この扉が拳によって穴をあけられたと分かった。しかし、もう一方の扉は蝶番が綺麗に切断されて開けられていた。剣に覚えのあるものならこの程度の芸当は楽々とこなせるがゼロは悪寒を感じていたのだ。勘ではあったが、どうやら的中していたらしい。
サキュロント直属の部下が一刀のもとに斬り捨てられており、反撃することなく殺された様だ。さらに目撃情報が出た。近くで髪を高く結った異国の装いの男を見たと語る証言が出たのだ。現場の検証から他にも仲間がいるらしいが、それはサキュロントを保釈させてから聞き出せばいい。
「マルムヴィスト、ちょっとこっちに来い」
ゼロがそう呼んで声を掛けたのは、一見するとただの優男だが千殺の異名持つ六腕一人である。娼館の一室の隅に彼を呼んだ。
「どうしたボス?」
マルムヴィストは不思議そうにゼロを見詰めていた。
「お前この間、良い毒が手に入ったと言っていたな」
「ああ。あのイジャニーヤのヤツですか?」
「それをよこせ。代金は後で払う」
「えっ? 待ってくださいよ、あの毒は手に入れるのに苦労……」
無言の威圧に押され、マルムヴィストは言葉を詰まらせた。渡さなければゼロは力尽くで、奪ってくるだろうと予感させる。
「分かりましたよ……」
胸元から取り出した小瓶の中には、無色の液体が詰まっている。それこそマルムヴィストが苦労の末に手入れたイジャニーヤの秘中の毒薬らしい。無味無臭で飲まされた事にも気が付かず徐々に弱っていき、翌日には死に至るという。
ゼロは渡された毒をしまうと、後を任せて夜の街に消えた。