高校生として迎える最後の春に、私は恋をした。
重い瞼を無理やりこじ開けて、ぬくぬくと暖かいふとんからずるずる体を起こす。私の1日の始まり。
朝ごはんは食べない、いつも寝坊で時間はない。
顔を冷たい水でごしごし洗って、着慣れた制服をきて、寝起きでふわふわ波打つうっとおしい髪は全部ゴムで縛り上げる。
そうする頃には7時50分、さあ、急がなければ電車に間に合わない。
「ふーちゃん行ってらっしゃい!」
コーヒーを飲みながらニコニコと手をふる母さんに、
「行ってきまぁぁぁすっっ!」
と、大きな声で返事をする。
自転車で地元の田舎道を爆走して、駅に着いたら階段を駆け上がって電車に滑り込む。
これがしんどいったらありゃあしないけれど、ギリギリまで眠りたい私には手慣れたもの。
初めまして、辻本吹雪と言います。
今日から高校三年生です。
前置きは真面目にやっていきましたが、これから私のなんとも適当な、ふざけた毎日が始まります。
どうかどうか、ついてきてくださいね。
「おはよー」
学校に着くと校門付近にクラス分けが貼り出されていた。
私が通うここは、私立浄御原高等学校。
在籍は、私立高校であれば、呼び名は違えど割とどこにでも設置されているだろう「特別進学コース」
在籍人数は26人。
「ふぶちゃんおはよー!」
人混みに入れずにいる私を見つけて走ってきたのは徳永千歳。いわゆる、親友というものだ。
「おはよ徳永。行こうや」
特進クラスである私たちにはクラス換えなど関係がないので、いつも通りスタスタと校舎に入る。
特進の教室は他のクラスとは違う塔にある。
1年、2年、3年の教室がそれぞれ並んであって、ついこの間の春の補習まで入っていた2年の教室を横目に新しい3年の教室に入った。
「あ、おはよー」
既に登校していたクラスのみんなに挨拶をして席に着く。
そのあとは、
がさがさ。
鞄から英単語帳を引っ張り出してひたすら読みあさる。
これは私たちが入学した当初、初めて渡された教材だ。
担任は英語の米沢先生だった。
「いいか、これは俺が英語の先生だから言うんじゃない。どの科目の先生も必ず言う。
受験勉強で一番大事なのは英語だ。どの科目もそうだが、結果を残すのにとりわけ時間がかかるのが英語という科目だからだ。
覚えなくてはいけない単語の数は2000近く。
単語を覚えることは勉強じゃない。
発音、文法、長文読解、リスニング、こいつらをこなしていくための準備でしかない。
毎日毎日、1日に何度も単語帳に目を通すこと。これを必ず習慣にしろ。いいか、それは勉強じゃない、必要最低限の『習慣』だ。それを当たり前にこなせるやつらが居るべき場所、それが特進だ」
英語は、嫌いではないし、割と得点源にしている科目でもある。毎日、息をするように当たり前に、朝は単語帳を見る。
がらがら。
教室のドアが勢いよく開いて、威厳を放ちながらこちらに向かってくる人がいる。
「…………おはようございます」
「おはよう。休み中数学はどうだったんな?」
中月先生。数学担当。あだ名は『鬼悪魔』
恐怖、恐怖、恐怖。
生徒の顔がをその感情で一気に歪ませる、そんな才能をもった人だ。
私は入学当初から数学が、いや理系科目が壊滅的だった。
鬼悪魔こと中月先生に、いや数学科の先生たちみんなに、しごかれしごかれしごかれ……なんとか生きてきた。
「カルキュールで基本的な解法を、全範囲さらう勉強をしました」
中月先生の目がぎろりと私をねめつける。
「つまりまだ、基本的な問題さえまともに解けんてことやろう?甘い、甘すぎるわ。いつまでそんなでおるんな。遅い。早く追いつけ」
恐怖恐怖恐怖。とにかく怖い。
でもちなみに……みんなして中月先生にはかんだかんだ懐いていたりしる。
中月先生の厳しさは愛情あってこそ、それをみんな知っているからだ。よく他の科やコースの人に、特進は先生に対する信仰がアツイと引かれるほど、私たちは先生というものを尊敬している。
中月先生は去り際に、「化学基礎、どうにかしろよお前ら」と怖い声でばぁぁんっと言い放っていった。
先生方いわく、私たちは特進始まって以来の不出来さ。
そして、化学がダントツでできない学年らしい。
春休みの間ひそかに、
「数学最下位の私が、化学基礎1番なれたら汚名回復だ!」と意気込んでいた私にはいい戒めの言葉だった。
運命の悪戯まで、あと40分。