<おはようございます! 今日も一日頑張りましょう!>
そんな喧しいモーニングコールで目を覚ました。
上体を起こし、周りを見回す。ここは小さなホテル。地名は知らない。厚手のカーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。
隣を見る。齢14程の少女が丸くなるように眠っていた。あのでかい声で目を覚まさないとは図太い性格をしているようだ。幸せそうに眠り続ける少女の髪を撫でる。さらさらとした感触が指の間を抜け、銀色の艶のある髪が朝日を反射した。僅かに桃色の唇が動く。夢でも見ているのか。
<あれ? まだ起きてないんですか? おはようございまーす!>
「もう起きてる。うるさい」
無視していたのを寝ていると勘違いしたのか再び喚かれる。俺は掛けてあるコートから銅鏡のようなモノを取り出し、少女の安眠を妨げる可愛らしい声にそう短く返事をした。
<あ、おはようございます、
もう一度うるさい、と返そうとしたがやめた。ホテル特有の異様に柔らかいベッドを降り、身支度を整える。
姿見に自身を映す。鏡に映る姿は18歳位の青年。肩まで伸びた灰色の蓬髪、世捨て人のように虚ろな蒼色の瞳が薄くこちらを睨み返している。
コートを羽織り、銅鏡もどきをタオルでぐるぐる巻きにしてからポケットに仕舞おうとした所で、再びそれから声が発せられる。
<青さん、うるさいからってまたツナガリをタオルで包んじゃ駄目ですからね?>
何故分かったんだ。映像を送る機能はないはずだが。いや、いつも通り過ぎて勘付かれていただけか。タオルは諦め、銅鏡……ツナガリをそのままポケットへと滑り込ませる。
準備が済んだ所でカーテンを開ける。眩い朝日に目を細めた。眼下に広がるのはいつもの日常。猥雑な、街ゆく車と人の山。大小様々なコンクリートの海。
「……ん」
背後から聞こえた声に振り向くと、少女が薄目を開けてこちらを見ていた。碧色の瞳が朝の日差しを吸い込んで柔らかく光る。
「おはよう、アイ」
「……おはよ」
アイは眠たそうに目をこすり、立ち上がる。腰まである長い銀髪がふわりと遅れて揺れた。ふらふらと覚束ない様子で着替えを始めたのを横目に窓枠に腰掛ける。
数分して、アイが俺のものと同じコートを羽織り、着替え終わったのを確認して腰を上げる。サイズも俺のものと同じ灰色のチェスターコートは背の低い彼女が着るとぶかぶかだが、本人はそれで良いらしい。
「もう行くの?」
「あぁ、
<私は別に催促してないですよ!>
「おはよ、結」
<あっ、おはようございますアイちゃん! 貴女が今日も素晴らしい一日でありますように!>
「ありがとう」
結は俺とアイとでは態度が変わる。はじめは露骨すぎやしないかと思ったが今ではこれが当たり前になってしまった。結曰く、アイは妹のようなものであるとのことだが。
因みに結は(見た目では)16歳前後の眼鏡を掛けた女性で、見た目は喋りから分かる通り活発そのものといった雰囲気である。そして離れた場所からツナガリを通して話している。そこは協会と呼ばれ、場所はこの世界のどこでもないのだが……その話はまた後でしよう。
「行くか」
「うん」
短く言葉を交わし、アイが先に部屋の扉を
「俺より先に出るんじゃない」
<またそれ言ってる……青さんは過保護過ぎですよ! クイのような危険な存在がいたら私が教えますからいい加減に安心してください>
「結も言ってるけど、大丈夫。わたしは人から見えないから」
「そんなことは知ってる。だが……」
<だがもヘチマもありません!>
――― ――― ――― ―――
そんな取るに足らないやり取りをしながら、ホテルを出た。ツナガリの声は俺やアイにしか聞こえていないため、それに受け答える俺は一見すれば一人でブツクサ言いながら放浪している怪しい者にしか見えないだろうが、そんな事は歯牙にも掛けない。どうでもいいことだ。
問題があるとすれば一人に見えるが故にベッドが一つの部屋しか取れないところか。しかしそれも安上がりという点では役立っている。寧ろ、別々のベッドで寝ようとするとアイが嫌がるため、最早ツインベッドの部屋を取ることは選択肢に入っていない。
<さて、本日のお仕事ですが。この近くにヨルが三つほどありますね。内2つは小さなヨルです>
「もう一つは」
<最後の一つはヨリドコロを形成しているようですが、クイ化している様子はありません>
「分かった」
「一番近いのはどこ?」
<えっと、最寄りのは無機物のヨルですね。案内します>
「お願い」
結の案内を元に朝焼けの街を歩く。すれ違う人、人、人。彼等の日常は俺の日常と違う。だがかつての俺の日常なら。
すぅっと街の喧騒が引いてゆく。瞼の裏を幸せだった日々がよぎる。毎日がキラキラと輝いていたあの頃。俺は、それを……
「青。また、昔のこと考えてる」
「……すまん」
アイの言葉で現実に引き戻された。
<青さん、大丈夫ですか? そろそろ目的地周辺ですよ>
「あぁ、問題ない」
カーナビか、とは突っ込まない。代わりに辺りを見渡す。どうやら住宅地のようだ。この何処かにヨルが存在しているのだろう。
<えっと、その右側の家ですね。ヨルを感じますか?>
見ると、そこはよくある一軒家。肩の高さの塀に囲まれている。中には家と小さな庭と、白い物置。
精神を研ぎ澄ます。
……なるほど、確かにここのようだ。うっすらと感じ取れる。場所は……この家の横、外に置かれたトタンの物置の中だろうか。
「見付けた。悠遠化して入る」
<危険は無いはずですが、一応気を付けてくださいね>
「了解」
「偵察はいらない?」
「あぁ、この程度なら問題ない」
「分かった」
<アイちゃんは怪しい人がいないか気を付けてくださいね! 今の世の中コワイですから!>
もし怪しい人がいてもアイは見えないだろう、それについさっきあれ程俺の心配性を糾弾したじゃないか、と言うのはやめた。いつもの下らない洒落のつもりだろう。
「悠遠化する」
宣言して、瞳を閉じる。暗闇の奥で、灰色の墨が水に混じり溶けていくような感覚。身体が軽くなり、世界が遠くなる。
目を開ける。身体とその外側との境界が曖昧になっていた。
「いつも通り、5分経っても戻らなかったら様子を見に来てくれ」
「はーい」
一歩、踏み出して庭の中に入る。二歩、三歩。足音は無い。下を見ると、影も消えている。
そのまま進み、閉められた物置の扉に手をかざす。その手は、扉に触れること無く飲み込まれる。その瞬間、手の形に薄い煙がその場に残った。更に数歩、身体も扉を通り抜ける。身体が薄く剥がされるような感触。
「中に入った。灯りを頼む」
<任せて下さい!>
ポケットからツナガリを取り出すと、それは淡い燐光を放ち物置の中を照らす。そこにはごくごく有りがちな雑貨が積まれていた。
「……この机か」
<残した存在の残滓を回収しなければいけないので早めにお願いしますね>
「判ってる」
見ると、それは子供が使っていたと思われる勉強机。その天板には鉛筆で書かれたであろう絵や、長年に渡って使われたことが分かる小さな傷があちこちにある。
そしてその引き出しの中に、ヨルが存在しているのを感じ取る。引き出しに手を透過させ、それを取り出した。
「時計……か」
今は誰も使っていないような、古い螺旋巻き式の懐中時計だった。メッキの殆どが剥がれ、ところどころ錆びついている。文字盤は黄色く変色し、歪んでいた。
「この場で刈る」
<了解しました>
左手に時計を持ち、右手を水平に伸ばして、静止。脳内にイメージする。形は鎌。長い柄と鋭い刃先。
右手を握る。硬い感触。死神の持つような鎌がそこにあった。
「夢に……還れ」
時計を放り投げ、一閃。
キィン、と甲高い音と共に、時計が両断された。
それと同時に、脳内に流れ込んでくる奔流。
冷たい、記憶。
―――――――――
それは、懐中時計だった。
懐中時計は数十年も昔に、ある男性に買われた。男性は懐中時計を女性に渡した。女性は男性の妻だった。女性は懐中時計を大いに喜び、いつも身に付けていた。懐中時計はそれを嬉しく思った。
長い年月が過ぎ、女性は老婆になった。老婆は懐中時計を少年に渡した。少年は老婆の孫だった。孫は懐中時計を大いに喜び、いつも机の上に置いて使っていた。懐中時計はそれを嬉しく思った。
数年が過ぎ、懐中時計は錆びて動かなくなった。孫は青年となり、腕時計を使うようになっていた。
青年は懐中時計を机の引き出しに仕舞った。懐中時計はそれでも良いと思った。再びその孫に受け継がれると思った。
青年は壮年になり、家庭を持った。懐中時計の入った机は物置に仕舞われた。懐中時計はそれでも受け継がれるのを待った。
しかし、懐中時計は時を忘れていた。時を刻まなくなった懐中時計は、今が何時で、受け継がれるのがいつになるのかが分からなくなった。
懐中時計は、諦めた。真っ暗な引き出しの中で、時も分からず、ただ待ち続けるのは耐えられなかった。
いつしか懐中時計は、その存在を希薄にした。
―――――――――
幻視が掻き消え、景色が戻ってくる。握っていた右手を解くと、鎌が霧散した。真っ二つになった懐中時計は、既にどこにもない。
「……」
<刈り取り、確認しました。お疲れ様です>
「……あぁ」
<いつもの、ですか>
「問題ない。俺達刈人の使命は……」
<使命は、消えることが出来ずに残されたヨルを刈り、この世に存在が溢れることを阻止する、ですよね>
「……そうだ」
<もう覚えちゃいましたよ、その台詞。分かってます、青さんは大丈夫だって信じてますから>
「そう……だな」
<だって、青さんにはアイちゃんが居ますから! だから安心です>
「お前……」
言いかけた言葉を飲み込む。
<じゃあ、戻りましょうか。アイちゃんが心配してますよ>
「あぁ」
ツナガリをポケットに入れ、机に背を向ける。これも、いつかはヨルになるのだろうか……そんな事を考えながら。
物置を出ると、扉の外側に漂っていた薄い煙が纏わり付いてやがて身体に吸い込まれた。ふわふわと朧げだった四肢に力が戻ってくるような感触。
<存在の残滓は回収できましたか?>
「問題ない」
庭を出て、悠遠化を解く。足元に薄い影が戻ってきた。
「おかえりなさい。もうちょっとで5分経つとこだった」
「すまん」
「いい、無事に帰って来られたから。それで、何だったの?」
「時計だった。古い、懐中時計」
「ふぅん」
聞いておいて、アイはすぐ興味を失ったようだ。いつもこうだった。いつか彼女が俺の見た記憶を尋ねることはあるのだろうか。
「そう、さっきウサギが通ったよ」
「ウサギ……」
「真っ白なウサギ。急いでたみたい」
「それ、ヨルじゃないのか」
<えっ!? か、確認してみます! ……あ、そうですね。ヨルの反応が動いてます>
なるほど、かくれんぼの次は鬼ごっこか。
――― ――― ――― ―――
ヨルを追うこと暫し、既に陽は頭上高く上がっていた。
<うーん……反応が曖昧ですね>
これだけ経っても追いつけないのには、理由があった。
<既にヨリドコロを形成し始めている可能性があります。それだと、曖昧な座標しか伝えられません>
「一旦、休憩にするか。朝食もまだだから」
「分かった」
<それでは近くの御食事処を探しましょうか?>
「頼む」
<丁度この辺りにもう一つの反応もあるのでその付近で検索しますね>
ヨルだけでなく飯屋も探せるとは、協会も便利になったものだと思う。協会に行ったことはないがコンピュータでも使っているのだろうか。
<あ、ここなんか良いんじゃないですか? おしゃれなカフェです>
「カフェ、行きたい」
良いんじゃないですか? と言われてもその映像が見られないのだから反応に困る。しかしアイが行きたいと言うなら是非はない。
<案内しますね。と言ってもすぐ近くですが>
「お願い」
<アイちゃんの頼みとあらば、お任せ下さい!>
感情の起伏の激しい奴だ。
数分としない内に、目的地に着いた。
なるほど、おしゃれだ。屋根付きのテラス席がある。今はまだ昼食時ではないから空いているようだ。
アイを連れ立ってテラス席に着き、朝食セットを2つ頼む。店員は一瞬訝しげな顔をしたが、そこはプロ、次の瞬間には何もなかったようにオーダーを取っていた。
そして出てきたホットケーキにアイは目を輝かせた。
「いただきますっ」
「いただきます」
律儀に手を合わせてから食べ始める。ふわふわに厚く焼き上げられた三枚のホットケーキにはバターが乗っていた。それと別に、ランプ型のポットにメイプルシロップが入っている。
一口、シロップを掛けずに食べる。粉や牛乳の割合が特殊なのか、口の中で溶けそうなほどに柔らかく、そしてシロップを掛けずともほんのりと甘い。
「ふぐ、ん、おいひい!」
「あまりがっついて食べるな。はしたないぞ」
「ごめんなふぁい……」
口の端に付いたシロップをナプキンで拭き取ってやる。
「ふにゅ」
こういうところを見ると、子供らしさを感じる。いつもは物静かだが、その内面は大人とは程遠い。
「あむ、むぐ……」
アイが心底嬉しそうに頬張っている様をぼんやりと見ながら食べ進める。ゆったりとした愛しい時間。
二枚を食べた所で、残る一枚をアイに譲る。
「俺には甘すぎてな、もう食いきれん」
「ん……ありがと」
アイは目を丸くし、すぐに顔を綻ばせ礼を言った。俺の言葉は勿論建前だし、アイもそれを分かっているようだった。
一足先に食後のコーヒーを飲み終え、会計を済ませて外に出る。
<良い雰囲気じゃないですかー良いなぁ良いなぁ>
と同時に、結が茶化してきた。
「お前、食ってる間はわざと黙ってたな」
<ご明察ぅ>
まぁ、それくらいは予想付いてたが。こいつの事だろうからあえて邪魔をせずにニヤニヤしながら聞いていたのだろう。いい性格してる。
<口を拭いてあげちゃったりして、甲斐甲斐しいですなぁ>
「うるさい、黙れ」
結と下らないやりとりをしている間に、アイが出てきた。
「ごめんなさい、遅くなった」
「問題ない」
<聞いてくださいよアイちゃーん、青さんったらアイちゃんといちゃこらしてたのを恥ずかしがっちゃってまあ>
「結……あとで覚えとけよ」
<う、嘘ですってー冗談ですよー!>
呑気なやりとりだ。それが阿呆らしくもあり、同時に尊いとも思える。
そんな最中、不意に肩を叩かれた。
「そこの君、帽子は要らんかね?」
しゃがれた声に返事をしようとして振り返り……目を見開いた。
眼前にあったのはつい先程遅い朝食をしたカフェではなく、
「帽子は、要らんかね?」
古びた帽子屋だった。