走って、走って、走る。
「いたぞ、あそこだ!」
少女を腕に抱えたまま走る青年はその声を聞き、咄嗟に目の前の曲がり角を速度を維持したまま右に曲がる。
「やれ」
「……わかった」
青年のその一言で意図を察した、彼とともに並走する金髪の少女が走りながら手を後ろに向け、彼女の
「《炎よ》!」
それと同時に、青年に抱えられた黒髪の少女が一節詠唱の魔術で爆炎を放つ。爆炎が発生すると同時に周囲の壁が水へ変わり、水は爆熱を受けて一気に沸騰。発生した湯煙が追っ手の視界を覆い尽くした。
周囲の状況が分からずに立ち止まるしかなかったその追っ手————王室親衛隊の一員は、相手の技能を即座に分析し始めていた。
(炎はまだ理解できる。あの抱えられた少女は、情報によるとかなりの使い手。この程度の炎を一節詠唱するくらいは不思議でも何でもない。……だが、あの水は何だ?錬金術?……だが、あれほどのデタラメな錬金術を標的が使うなど、初耳だぞ…⁉︎)
石の外壁が水に変化する錬金術など、聞いたことがない。あり得るとすれば固有魔術であろうが、元王女の標的がそんな魔術を使うなど初耳だった。
それに気づいたのは、王室親衛隊でもたった1人。もう少し彼が有能だったならば、
「今のところ、問題ないわね」
「ああ。俺達の仕事は時間稼ぎだ。あとはグレン達を信じる他ない」
「ん。よくわからないけど、このまま走る」
抱きかかえられているのは黒髪の少女、リーナ=レーダス。彼女を抱えて走るのはグレン————の姿をしたアルベルトであり、また彼に並走するのはルミアの姿をしたリィエル=レイフォードだ。
話は、およそ1時間前に遡る。
「…何考えてんだ!殺す気か⁉︎」
「ん。…挨拶?」
グレンの怒りなぞどこ吹く風とでも言わんばかりに、青髪の少女リィエルは涼しい顔だ。そのやり取りを見て、リーナとルミアの2人は目を丸くする。当然だ。いきなり襲いかかってきた相手———それも(いくら加減したとはいえ)リーナの迎撃魔術を相殺してみせた男と共にいる少女と親しげに話していれば困惑もするというもの。
————————ふとリーナは、その2人組に既視感を覚えている自分に気づいた。
しかし、どこで出会ったのかが分からない。そう遠い昔ではなかった気がするのだが———
「リーナ、久しぶり」
少し思案に耽っていた間に、いつの間にか青髪の少女が目の前にいた。無表情のまま、リーナを見つめている。
「……久し、ぶり?」
呆然と呟くリーナ。
「…っ!やめろ、バカっ!」
それを見てグレンが慌ててリィエルを止めるが、彼女は事情を知らない。幼き心の純粋さ故に、彼女は地雷を踏み抜いた。
「…どうして?リーナも同じ
その単語だけならば、問題はなかった。アルテリーナとて愚かではない。その程度のことで解けてしまうような封印は施してはいなかった。
だが、状況が悪い。封印された記憶に関わる人物が2人も目の前に現れた状況下で、さらにリーナがその同僚であるという言葉によって得てしまった認識は、彼女の記憶を刺激した。
警告。
記憶領域第25652222番にてエラーを確認。診断の結果、不正に凍結されたものと断定。
解凍開始————管理者『アルテリーナ』の申し立てにより解凍中止。
エラー解消の為、ワード『特務分室』とそれに関わる認識記憶を削除。エラー防止の為、庇護対象リストより未確認情報『リィエル=レイフォード』を削除。
◼️◼️◼️◼️型自律◼️◼️システム再診断———完了。
異常なし。————再起動
———アルテリーナの意図しなかった不具合が、人間の認識速度を遥かに上回るスピードで解消され、リーナの意識が戻る。リーナの方を向いたグレンが安堵したようにため息をつき、リィエルを取り押さえた。
リーナ自身、今自分に起きたことを把握しておらず、精々が『一瞬だけ呆けていた』程度の認識。傍目から見れば何の変化も無かったため、グレンやアルベルトもリーナには何も起きていないと認識しており。
ルミアだけが、リーナに対して違和感を感じていた。
リーナにある程度情報を伏せ、互いに自己紹介を済ませた後、今起きている問題をどう解決するかの検討を始めた。
とはいえ、取れる手段は多くない。あまり長時間走ることの出来ない今のリーナも標的に入っている以上、逃走は困難を極める。そこで、リィエルとアルベルトがグレンとルミアに姿を変え、リーナを抱えて囮になるという作戦になった(リーナを囮にする事にグレンとルミアは強い忌避感を表したが、アルベルトの実力と相手を欺ける可能性を鑑みて渋々引き下がった)。
セリカによれば、グレンが女王とセリカの前に現れた時点で解決の糸が掴めるのだという。この問題を解決さえすればルミアとリーナの安全が確保される以上、彼ら3人の仕事は出来るだけ多くの追っ手を引きつけ、時間を稼ぐことだ。
そして、今に至る。
あらゆる手を尽くして追っ手を撒き、予めリィエルの錬金術で作成しておいた鏡に向けてアルベルトは【ライトニング・ピアス】を行使。アルベルトら3人から数キロメトラ離れた場所に存在する鏡が電撃の槍を反射し、相手を決して殺さないよう、かつ着実にダメージが与えられるように綿密に計算され尽くした攻撃が命中する。
「……ちくしょう、今度はあっちか!」
「なんつう速さで移動したんだ、あいつら⁉︎」
「それより何故【トライ・レジスト】の効果が切れている⁉︎」
「…くそっ!予め結界を張っておいたのか!この場所に入った時点で無効化されているぞ!」
そう言って、鏡のある方に向かう追っ手。相手の視線が囮である鏡の方角へ向いている隙に移動し、その間にリーナはアルベルトに抱えられながら呪文を紡ぐ。
「《自壊せよ》」
その呪文とともに、囮の鏡が粉々に砕け散る。
かつてリーナが作り出した黒魔【セリフ・ディストラクションマーク】。壊したい対象に前もって方陣を刻み込み、呪文をトリガーにして自壊させる魔術。予め術式を対象に書き込む必要があり、また爆発させて周囲を巻き込むこともできない為に戦闘では使い物にならないが、こういう場合には役に立つ。
もしも囮にした鏡の場所に追っ手が辿り着いた場合、すぐにこの仕掛けの種は割れる。そして必然的に思い当たるだろう。「連中は高速で移動したのではなく、鏡を介して攻撃を行っていただけなのだ」、と。そこからさらに、3人が実は王室親衛隊の面々からそれほど離れた場所にいない事にも気がつくのは容易に想像できる。
故に鏡は破壊する。よく見なければ視界に入っても気づかないレベルの大きさの破片に変えてしまえば、このトリックは見抜けまい。
—————何事にも、思いがけないことはあるのね。
リーナは内心で呟く。
この術式【セルフ・ディストラクションマーク】は完全に趣味で作ったもの。強いて言うなら、手品やからくり屋敷を遠隔で操作する際に必要になる魔術の基礎として用意したに過ぎなかったものだ。『破壊する対象に術式を書き込む』という過程において、記述しなければならない内容は『どの程度の力を対象のどの部位にどのような割合で働かせるか』ということ。それ故に術式を何らかの形で簡略化する事も出来ず、予めスタンプのような形式にしておく事も出来ない、完全に戦闘には使えない代物だったのだ。
———————それが今、こうして役に立っている。
どんな魔術も使い方次第。それをリーナは改めて認識した。
(嫌な娘ね、わたし。昔よりも純粋さがなくなっている)
どんな魔術も使い方次第でその効果が変わる、ということは一見良いことに思えるかもしれない。人を殺傷する破壊魔術は老朽化した建物を壊すのに効率が良いし、考え方によっては他にも様々な使い道があるだろう。
————————けれどそれは、本来の使い方を変えればどんな魔術も人を殺し得る、ということだ。
(昔はこんなこと、思いつきもしなかったのに)
この黒魔【セルフ・ディストラクションマーク】ですら、人を殺せる武器になる。昔とは違い、この黒魔を利用した、『人を効率よく殺戮する戦法』を今の彼女は思いついていた。
———————そして驚くべきことに、この戦法にリーナは一切忌避感を抱いていない。否、思いつくだけでなく、実際に実行してもなお自分の心は乱されないだろう。そんな確信がリーナにはあった。
(昔はこんなはずじゃ、なかったのに…)
歪んだ精神性。まるで
セリカは気にしないだろう。だが、愛する兄がそれを知ったら、どう思うだろうか。
悲しみ、怒ってくれるのならば良い。だが、
—————軽蔑されるのだけは耐えられない。
たかだか考え方、精神性。実際に行動に移さなければどのような猟奇的な思想も自由であるのと同様、リーナのそれも決して人に迷惑をかけるものではない。
——————だが潔癖症のリーナには、それが酷く許しがたい。
性悪説、という言葉がある。人は生まれながらにして悪であり、法や裁きによって行動を制限しなければ悪事を為してしまうという考えだ。
しかしリーナは、それが許容できない。人の悪事は法ではなく、良心によって咎められるべきだと彼女は考える。何よりそうでなければ、兄に合わせる顔がない。
——————殺された人間の周囲がどのようになるか、リーナは身をもって知っている。
人殺しに忌避感がなくなってしまうということは、あの悲劇を起こした外道と同類になってしまうということだ。ただそれを実行に移すか、そうでないかの違いのみ。
リーナは、自己嫌悪に沈んだ。この事件が解決されるまで、ずっと。
時間がなかなか取れず、長期間に渡って執筆した結果、なんかこうなった。
最新刊を早く読みたい。