汗が流れ、それにより身体に張り付きすっかり着心地の悪くなったTシャツを脱ぎ捨てる。
早朝より――といっても、早朝以前のまだ薄暗い時間より始めた訓練も、今や太陽が真上に煌々と輝くようになる程度には時間が経っていた。
荒い息を整え、酷使した結果すっかり感覚の無くなってしまった四肢を休めるように、彼はその場で大の字になる。流れる汗が背中に伝い地面を濡らし、代わりに太陽によって熱された地面から背中が熱を貰う。
「そろそろ限界か?! もう休むか!」
そんな彼の下に近づいて来たのは、大柄な男。白い無地のTシャツに深緑の長ズボンというシンプルな格好でありながら、その服を下から押し上げる程に鍛えられた筋肉。画風が違うと言われても納得してしまう程の覇気を持っており、浮かべている笑顔はそれを見た者に安心感を与える。
男は世界中からこう呼ばれている――No.1ヒーロー、"オールマイト"と。
デビュー時の災害事件では、僅か10分足らずで100人以上の怪我人を救出してみせた伝説のヒーロー。その笑顔と実力、圧倒的なパワーというシンプルかつ派手な個性、それらを持つ彼は『平和の象徴』とも呼ばれている。
彼は今、巨大な粗大ゴミが大量に不法投棄された海岸で、とある少年を見下ろしていた。
少年の名前は
――この世界では、一般に『個性』と呼ばれる特殊能力を持つ人間が殆どである。
かつては何の能力を持たない、普通の人間が普通の人間として生まれてくるのが常識だった世界で、突然『光る』赤ん坊が生まれた。
超能力と当時は騒がれたが、それから続々と特殊な能力を持って生まれてくる赤ん坊が増え、遂には超能力を持って生まれてくるのが常識なまでに――世界は一変したのだ。
今では生まれてから4歳までの間に、何かしらの能力に目覚めるのが一般常識となった世界。
炎を出す能力、透明になる能力、瞬間移動する能力、動物の力を使う能力……そういった多種多様のあらゆる能力。それはいつしか『個性』と呼ばれ、人々の生活に浸透していく。
そんな中で生まれたのが、かつて物語の中の存在だった"ヒーロー"という職業。
『個性』というのは実に多種多様であり、様々な場所で活躍させることの出来る能力であった。それこそ、医療やアミューズメント、料理や教育に至るまで、人間にとってより便利になるものが増えた。
だがそれは同時に、全世界の人間が無個性であった時代には不可能であった犯罪形式を増大させる結果を生んだ。
瞬間移動を使えば防犯カメラは意味を失くし、炎を使えば重火器よりも強力な武器になり、分身を使えばアリバイ工作などお手の物。
そう、世界は『個性』によって便利な世の中になったが、より危険な犯罪者の増える世の中になったのだ。
故に生まれたのが"ヒーロー"――『個性』による犯罪を『個性』によって抑止する存在。
彼らは今まで通りでは犯罪を取り締まれなくなった警察組織や、『個性』による犯罪を取り締まる法整備が滞る中、それらを凌駕する能力を行使して犯罪者、今では"
その頂点に立つのがオールマイト……故に平和の象徴、No.1ヒーロー。
ヒーローはすぐに世間から受け入れられ、職業として確立するのにそう時間は掛からなかった。
今では数多くのヒーローが存在し、マスメディアやホビー業界など、様々な場所で人気を獲得している。ヒーロー事務所と呼ばれるヒーローの組織も生まれ、ヒーローを育成する学校すらあるのだ。
「はぁっ……はぁっ……! まだ、まだやれます……!!」
「……うん! 一回休憩しようか!! 無理は禁物だぞ、緑谷少年!!」
ではそのNo.1ヒーローであるオールマイトが、何故緑谷出久という普通の少年とゴミ捨て場と化した海岸にいるのか。それは、緑谷出久が珍しく何の能力も持たない『無個性』であったことに関係する。
オールマイトの個性は世間には全く知られていないが、その正体は――『
これまで数々の先人達から脈々と受け継がれてきた『個性』だ。
今までの先人達が必死に研鑽してきた身体能力を、次へ、また次へと聖火の様に受け継いできた力。それが今代の継承者オールマイトの圧倒的パワーの正体。
そしてオールマイトもその聖火を受け継がせる次なる後継者を探していた時、緑谷出久と出会ったのだ。『無個性』でありながら、誰よりヒーローの心を持っていた少年――緑谷出久に。
そう、つまりこの状況はオールマイトから緑谷出久に『個性』を譲渡する為の訓練という訳だ。強力な身体能力を扱う為の身体作りというわけである。内容は、散乱するゴミを体一つで片付けること。
「はぁ……はぁ……!」
「ハッハッハ! 朝からぶっ通しだったからか、大分進んだじゃないか!! この調子だぞ、緑谷少年!」
「は、はい!」
「どれ、ちょっと飲み物でも買ってくるよ! 休んでるんだぞ!」
近くの階段に腰掛け、未だ荒いままの息を整えている緑谷出久に、オールマイトはいつも通りの笑顔で対応する。バシバシと背中を叩いた後、物凄い速度で自動販売機へと走って行ってしまった。
憧れの存在が去ったことで、ほんの少し緊張が解れる。思い切り深呼吸しながら、身体中に溜まった疲れを吐き出す様に息を吐いた。
「ふぅ……」
海からの風が気持ちいい。疲労とは別に自分を満たす充実感があった。
昼間だからか、この辺りを通る人は少なくない。カップルや家族連れ、犬の散歩など、行き交う人は様々だ。
雑踏から聞こえる声が心地いい。
犬に振り回されている少女の慌てた声。
ランニング中の男性のリズミカルな呼吸音。
ベンチでお弁当を食べる恋人たちの幸せな会話。
キャッチボールをしている父子の笑い声。
買い物帰りの母と子供の言葉――
なんかいいなぁ、そんなことを考えながら緑谷出久は自然と笑みを浮かべた。この風景の一部に、自分がいるというのが、なんだか良い。流れる風が肌を撫で、照り付ける太陽の熱も、息が整った今は気持ち良かった。
「オレも姉ちゃんみたいなすっごい『個性』にめざめて、強いヒーローになるんだ!」
「ふふ、そっかぁ。じゃあお母さん先にサイン貰っちゃおうかしら」
そんな会話をしながら目の前を通ったのは、幼稚園から帰る途中の親子だった。穏やかで優しそうな母と、やんちゃ盛りの男の子。会話の内容から、まだ少年は『個性』に目覚めていない様だった。
僕も昔はそんな会話を母としたっけ――なんて思いながら、緑谷出久は微笑ましいものを見るような表情でソレを眺める。
「(あの頃はまだ見ぬ『個性』に期待して、ワクワクしてたっけ……思えば一番楽しい時期だったかも……まぁ、無個性だったんだけど……)」
たはは……、と乾いた笑いが漏れた。
「おーい! 緑谷少年!」
すると、後方からオールマイトの声が聞こえる。どうやら飲み物を買って戻ってきたらしい。
緑谷出久は両膝に手を当てて立ち上がると、オールマイトの足音の方へと振り返る。そこには物凄いスピードで駆けてくるオールマイトが、手を振っていた。相変わらずの元気に苦笑する。
そろそろ疲れも回復してきた頃だ――もう少し頑張ろう。
少年の無邪気な声に、ほんのちょっぴり元気を貰った緑谷出久だった。
☆
さて、突然だがこの物語はとあるヒーローを目指す少年の話だ。
いやいや、緑谷出久ではない。彼はオールマイトに憧れ、オールマイトの力を受け継ぐことが叶ったいわば特別な存在だ。
そうではない。
この物語で仮に主人公と呼べる人間は、彼とは別にいる。そう、緑谷出久が休憩中に出会った未来に胸躍らせていた少年。彼がこの物語の主人公だ。
名前は
弱冠4歳の健康優良児。家族構成は両親と姉が1人の4人家族。
個性は未だ目覚めておらず、母が『
そして、彼が『個性』に目覚めたのは緑谷出久が彼を見かけた翌日のことである。
そう、彼は『個性』に目覚めた――目覚めて
彼の地獄は、『個性』に目覚めたその瞬間から始まった。
ヒーローとしてであれば強力な武器となるその『個性』が、彼を長い間苦しめることになる。それにより彼の精神は削られて、遂には心が壊れてしまう程の地獄。
―――誰か、助けて……。
彼の下に現れるヒーローは、一人だっていなかった。
いや、違う。彼の傍に居てくれる存在は、誰もいなかったのだ。ヒーローも、友人も、家族も、赤の他人に至るまで、彼の傍に居てくれた人は、彼の言葉を聞いてくれた人は、誰も、誰もいなかったのだ……。
☆☆☆
――雄英高校 受験当日
この日は日本一のヒーロー育成学校である所の、雄英高校受験当日だ。かのオールマイトを始めとした数々の有名ヒーローの殆どが、この雄英高校を卒業した実績を持つ。
故に、ヒーローを志す大体の少年少女達はこぞってこの雄英高校を受験する。東大もかくやと言わんばかりの超難関。この学校を卒業した生徒は皆、何処かのヒーロー事務所に所属し各々がヒーローとして活動していくのだ。
そして今回この学校を受ける一人、緑谷出久もまたこの場に居た。
緊張からかキョロキョロしながら挙動不審な様子で校門を潜っていく。同じ受験生達の様子を見ながら、ぶつぶつと何かを呟いている。
「あうっ……!」
「ん?」
すると、余程集中していたのか前に居た人にぶつかってしまった。彼よりも背の高い背中、身長180㎝は超えているだろうか。出久にぶつかられた彼が振り向き、お互いに眼が合う。
見下ろされていること。また受験の緊張感。そしてぶつかってしまったことへの罪悪感からか、出久は威圧されているように感じ、余計縮こまってしまった。
だが目の前の彼は特に気にした覚えもなく、ポンと出久の肩に手を置いた。
「大丈夫ですか? あはは、もしかして緊張してます? 肩に力入ってますよ」
「ひゃい! あっ、す、すいません……ぶつかっちゃって」
「いえ、大丈夫です。自分も少し緊張していたので、丁度良かったです」
あ、この人いい人だ! 出久は人懐っこい笑みを浮かべる彼を見てそう思った。高身長で顔立ちも良く、物腰柔らかで、人見知りの出久もとっつきやすい雰囲気を持っている。人に好かれやすい人なんだろうな、と初対面の出久でもすぐに分かった。
すると、そのせいか肩に置かれた手からなんだか安心感すら貰える気がして、フッと身体の力が抜けた。緊張で凄く力が入っていたんだなと今更ながら思う。
「あ、あの、ありがとう……僕緑谷出久って言うんだ、一応ヒーロー科志望」
「ああ、俺は風隼怜です。俺もヒーロー科志望なんですよ……まぁ、この場に居る大体はヒーロー科でしょうけどね」
「あはは、確かにそうだね……あ、同い年だし敬語じゃなくても良いよ?」
「おっと……ごめんね、まだ緊張していたみたいだ」
たはは、と頬を掻きながら言う怜に、出久も思わず表情が緩んだ。
なんだか昔から一緒に居た様な居心地の良さに、出久は思う。悲しいときや困った時に、こういう人が傍に居ると救われるんだろうなと。まさしくヒーロー向きな人材だ。
同じ受験生として今はライバルであるが、出久は出来ればこの人には受かってほしいなと思えてしまった。しかもそれが嫌ではない。
「あの、お互いに頑張ろうね!」
「ん、ああ、そうだな。はは、同じ受験生なのに不思議な人だね」
「あ、ごめん! あはは」
不思議なのは君の雰囲気のせいだけどね、と出久は苦笑する。自分じゃ自分のことは良く分からないのは当たり前か、そう思う。
そして、どちらが言ったわけでもなく二人は並んで歩き出す。特に示し合わせたわけじゃないが、一緒に居ても良いかなって思えるような怜の雰囲気がそうさせたようだ。
しかも歩いていると、怜に話しかけてくる人がちらほらいる。道に迷ってパンフを眺めていた受験生や、大人びている彼を学校の人間と思って、質問してくる受験生など。その全員に怜は丁寧に対応し、そつなく打ち解けている。
「凄いな……」
しかも、彼に話しかけた受験生の殆どが彼の雰囲気に当てられて、表情から力が抜けていた。緊張が解けていくのが見て分かる。
結局、校門を潜って校舎に入るまでの数十メートルの間で、怜の周りには出久を含め5、6人程人が集まっていた。
☆
受験内容は筆記と実技。筆記は既に終了し、試験は既に実技に入っていた。
その内容は、仮想敵としてポイント付けされた4種のロボットを制限時間内にどれだけ倒せるか。ヒーローらしく、実地でその実力を見せてみろということなのだろう。
受験生が多い故に会場はいくつかに分かれているが、それでも一つの会場にいる受験者数は相当多い。怜がいるのは出久とは違う会場だった。
緊張で張りつめた空気の中で、怜は落ち着いて佇んでいる。いつでも動き出せる状態だ。
「はいスタートォ!」
そして受験の監督役、ヒーロープレゼントマイクの一声が轟いた瞬間、試験は開始された。
突然のスタート宣告に動揺し硬直してしまった受験生の中で、怜だけはいつも通りの落ち着きの中にいる。そしてハッと我に返って動き出そうとした受験生達が、一歩目を出し、試験が始まる。
結果から言えば、怜は合格する。
だが異常だったのは、この会場における仮想敵ロボットは全て破壊され、その全ての破壊に怜が関わっていたことだろうか――
初投稿です! おそらく更新頻度は遅いですが、よろしくお願いします!