結局学校への滞在時間は二時間にも満たなかった。
ホームルームは一人ずつ自己紹介をしたり、担任の黒川先生が学校での生活や、勉強を頑張るようにというような話をしただけで終わったのだ。
「あの北大路さんって人、受験の時に駿介君が助けた子だったんだ。それで、昨日も一緒に遊んだ女の子ーー」
学校帰り。東城はぽつりと呟く。そしてようやく合点がいったようで、立ち止まった。
「ん、どうしたの? 」
彼女が止まったことに先に気付いた西野が一歩、二歩と歩みより問いかける。駿介も気になる様子で近付き、大丈夫かと東城の手を握り見つめる。
「さっき話してた北大路さんって人の事なんだけど、駿介君の事が好き、なんでしょう? 」
「ああ。そう言ってくれてたな」
「あのね、実は教室に入る前に聞かれたの。“貴女も仲間駿介君と付き合ってるの? ”って」
いち早く理解したのは西野だった。
彼女はそういう事かぁと、少し遅れて気が付いた駿介をジト目で見つめる。
好きな人に彼女がいるだけでも一つの障害となりうるのに、想い人に複数の恋人がいたとなると“普通”は驚くだけではすまないだろう。
「……一応、あたしとしては北大路さんはいい子みたいだし、駿介くんと付き合うことには賛成かな」
「私も、賛成。あんな風に落ち込んでしまうくらい、駿介君の事が好きなんだもん。きっと仲良くなれると思うの」
どうしようと思案する駿介に、二人は彼の手を握り真っ直ぐと見つめる。その瞳は強い意思を感じさせる程に凛としており、美しい。駿介はそれに答える為に一度だけ小さく息を吐き、誠実に気持ちを伝える。
「俺は二人の事が、大好きだよ。綾とつかさと出会えて、付き合えて、本当に幸せだ。もしかしたら二人が言うように、新しく誰かと付き合うことになるかもしれない。だけど忘れないでほしい。俺はどんな時も、綾とつかさの事を愛し続けるって」
「ーーっ。たまにそーゆー事を言ってさ、どんどん好きにさせてくるよね、駿介くん。あたしは限界まで好きなのにさ! 」
「っっ……本当そうよね。こんなにドキドキさせられたら、心臓に悪いわ」
そうは言いながらも、二人は駿介と繋がれた手を両手に抱き、胸元へと当ててぬくもりと、早いテンポで高鳴る鼓動を彼へと伝える。実は以前にメールで、駿介をドキドキさせようという作戦を立てた時に思い付いた一つなのだが、効果はてきめんだった。
「うっーーちょ、誰か来たらヤバイってーーっ」
「うふふ。そうなったら、あたし達が駿介くんの彼女だぞーって事が直ぐに全校生徒に知れ渡るね!」
「うんーーだけど、私はちょっと恥ずかしい、かな?今もすっごくドキドキしちゃってるもん」
真っ赤な顔の三人は、雲一つない空の下、誰にも見られることなく想いを確かめあうのだった。
ちなみに、胸の鼓動は東城よりも、割と平然を装っていた西野の方が早かった事に駿介は気付いた。もちろん、東城の方も充分早いのだが、西野のそれは心配になる程に早かったのだ。
もちろん、それを知るのは後にも先にも駿介だけなのであった。
一方その頃さつきは一人で教室に残っていた。
ホームルームが終わり、話しかけてくれようとした駿介にきづかないふりをして、誰よりも先に教室を飛び出したのに。
「そりゃあさ、あれだけいい男なんだし、付き合っている子がいるのが普通だよ。それでも諦められないくらい好きになっちゃったのにーー」
二人の女子と付き合っているという事を聞いても、正直あたしはそんなに驚きはなかった。
大好きなレインの“トオル”だってハーレムを作っている事で有名だし、その父親の何とかっていう政治家の人もハーレムを作っている事は勉強とか社会の事に疎いあたしだって知っている。
だけど、好きになった人が実際そういう人だと知ると、言い様のないもやもやが心の中に渦巻いて、それに全身が支配されてしまう。
「らしくないーー」
そう。あたしらしくない。うじうじとして、どうしようなんて思い悩んで。
このままでいてもなんの意味もない。そんなことは分かっているのに、自分の身体すら自由に動かせない。
外から聞こえる部活をする生徒達の声だけが、虚しく響いて聞こえる。あたしも何か部活をしたら、このもやもやも消えるのかなあ、なんて不毛な考えが頭をよぎった。
「なんだ、まだ残っていたのか。確かーー北大路さつき、だったか。何をしている? 」
不意に開かれた扉。気の強そうなキリッとした顔の担任、黒川先生が入ってきて、無遠慮にあたしの前の席へと座った。長い足を組んで。
「いえ、別に。ただ考え事をしてたら、ぼーっとしちゃってたみたいで」
たぶん、上手く笑えていない。先生の強い言葉の中に何故か温かな優しさを感じて、堪えていたわけでもないのに、ダムが決壊したように涙が溢れてきたのだ。
先生は何もいうことなく、あたしが泣き止むのを待っていた。
それは五分くらいだった気もするし、十分以上だった気もする。時計なんて見ていないから、正確なことは分からない。
だけど、黒川先生が優しく待ってくれていた事実は変わらない。
「すびばぜんでしたーーっ。じぶんでも、どうじて泣いちゃったのかわがらなぐて、本当にーーっ」
「……気にするな。そういう事もある。自分の感情が、気持ちが分からない事がな」
どこか懐かしむような、それでいて後悔と悲しみをおびた言葉だった。強そうな先生の、一番弱い部分を見てしまった気がして、気が付くとあたしは「先生も、そんなことがあったんですか」等と不躾な質問をしてしまっていた。
「あ、のーー」
咄嗟に謝ろうとしたけど、開いた口からは言葉が出なかった。黒川先生が立ち上がり、窓際まで行きグラウンドを走り回る生徒達を見始めたからだ。
「……好きな男がいたんだ。むかーし、な」
黒川はそっと目を閉じた。忘れたいと願えば願うほど、その記憶は色をつけて鮮やかに映し出される。
何の汚れも知らぬ、幼い日の記憶。初めて誰かを好きになった、甘酸っぱくも、苦い思い出。
それは泉坂高校の前身、泉坂学園にまだ中等部が存在する頃の話。
私は成長を期待して買った、すこしだけ大きな制服を着た少女だった。恋のこの文字すら知らない、無垢な存在。
しかし突然現れた彼に、一瞬で恋に落ちた。
仲間徹。既に友人たちと共にメジャーデビューを果たしていた学校で一番モテるセンパイ。
だけど、既に恋人がいた。それも、五人も。
「仲間先輩にまさか事実はの映画の歌を作ってもらえるなんて、俺幸せっす」
当時、部活動は中等部と高等部が共に活動していた。あたしは顔馴染みである角倉に誘われるがままに映像部へと入部した。そこは今にも潰れかけていた、人数がギリギリ部活動として認められている程度の部活だった。
彼が、角倉が昔からの知り合いである“仲間先輩”に楽曲作成を頼み、その作品が音楽面だけでなく、一つの作品として文化祭で高い評価を受けるまでは。
「いやいや。お前の才能だよ。光にはちゃんと人が集まるんだ。栞ちゃんっていう眩しいくらいの光を放つ子もいるしな! 」
眩しいくらいに一番光っている先輩が、あたしの肩を気さくに抱いて朗らかに笑う。そんな何気ない事にドキドキしてしまう自分と、妹みたいな存在としか見てくれない彼に言い様のない怒りを覚えた。だけど、それでも初めは小さかった彼への想いは日に日に大きくなっていく。
それに比例するように、先輩の人気は留まる事を知らずに大きくなっていった。
私生活でも、恋人の一人が高校の卒業すこし前に出産。それを機に、高校卒業と同時にマンションを借りて、大学に通いながら恋人達との生活を始めたと、角倉から聞かされた。
それでも募る想いは捨てきれないまま、時間だけが過ぎていく。
あっという間に訪れた高校生活最後の年。あたしは中学卒業と同時に逃げるように辞めていた映像部に再び入る事になった。
角倉が高校生活で作る、最後の作品を記念として仲間先輩がまた楽曲を提供してくれるからと角倉に説得されたからだ。
思えば私の気持ちを知りながら、彼が画策した事かもしれないが、実際の所は分からない。
「ずっとーーずっと、貴方が好きでした」
長年積み重なた想いヒロインである私が告白し、男に抱き締められた所でエンディングが流れる。優しくも強さを感じさせる、優しいバラード。いつまでも聴いていたい優しい歌声だった。
「……最高に泣ける、いい映画だったな」
夕陽が差し込む視聴覚室。隣に座る仲間先輩は真っ直ぐと、映像、を写し終えてブラックアウトしたテレビ画面を見つめながら、力強く言った。
本当にいい映画だと、映画なんてあまり見ないし興味もない私でも心から思えた。だけど、いつも近くで馬鹿なことばかりやっていた角倉にまで置いていかれた気がして、“私はこのままでいいのか”と強く感じさせられた。
「……仲間、先輩っ!! 」
勢いよく立ち上がったせいで、パイプ椅子が後ろへと滑り、小さな軋みの音と共に倒れた。だけど仲間先輩は、そんな事は気にすることなく立ち上がり、あたしを見つめてくれる。あたし、だけを。
「……私は、仲間先輩のーーーーつくる、歌が好きです。これからも、頑張ってくださいね。ずっと応援していますから」
「ああ。分かった。ありがとうな、栞」
いつもと変わらない、くしゃっとした笑い顔。私は真っ直ぐに見つめてくれた彼から逃げるように「用事を思い出したので失礼します」と視聴覚室を飛び出した。
涙が溢れて溢れて、前が見えない。放課後の、生徒が少なくなった校舎を私は走り続けた。立ち止まってしまうと、募らせた大きすぎる想いに押し潰されそうで。
結局、私はそれから何日か学校を休んだ。
自分の部屋で、何度も何度も自分を責め立てる。どうして逃げたのだ、どうして自分の想いを裏切ったのかと。
出た答えは、醜く情けないものだった。だけど、私自身を守ってくれた理由だった。
ハーレムなんて普通じゃない。どれだけ好きだとしても、普通じゃない関係の中では幸せになんてなれない。
何度も何度も自分を慰めるようにそう言い聞かせた。
そうしなければ、後悔の波に飲み込まれて溺れてしまいそうだったから。結局は、勇気を持てなかっただけなのに。
「……一度は泣き止んだのに、どうしてまた泣いているんだ。北大路」
黒川が振り返ると、さつきは先程と同じように泣いていた。今度は、彼女の話を聞いて。しかし、泣きじゃくりながらも彼女は黒川に問い掛ける。どうしてそんな話をしてくれたんですか、と。
「お前が……お前が“仲間駿介”を見つめては落ち込んで、と繰り返していたからな。少しでも私の情けない経験が活かされたら嬉しいと思ったーーそれだけだ」
初めて見せた彼女の小さな笑みは直ぐに消え、元の凛々しく氷の冷たさを思わせる鋭い表情へと戻る。だけど、その笑みが黒川先生の本質的な優しい部分だとあたしは思った。
「黒川先生……本当に、ありがとうございます。向き合ってみたいと思います。こんな大切な気持ちになったのは、生まれて初めてだから」
晴れやかな笑顔だった。
涙の跡が残る事を感じさせない、キラキラと光るような、眩しい笑顔。
黒川はそうかと短く答え、満足げな顔で教室を後にした。
その足取りは午前とは違う、軽やかになっていたのだがーー彼女は気付く事は無かったのだった。
沢山のご意見頂きまして、本当にありがとうございます。お礼の代わりに、過去最高クラスの文字数になりました。物語はまったく進んでいませんけど。
ただ、頑張りました笑。
まだ先の話とはなるかもしれませんが、黒川先生もヒロインになると思います。あくまで予定ですが、、、
次の更新は、出来れば今週中には出来るように頑張りたいと思います。
ありがとうございました。