静寂が支配するスカイツリーの内部――重機が端に寄せられ、注意表示の看板が至る所に立てられている建設現場。
その、仮設エレベーターの中央に奴......GⅢは立っている。
「遊ぼうぜ、ハヤト」
夜に溶け込むために用意された服装が、輪郭を暈かしていく。
此方を睨んだまま、悠然と歩を進めてくる。
一歩、また一歩。
僅かに差し込む月明りが奴の顔を照らすが、真っ黒なフェイスペイントのせいで表情が余り読み取れないが――その口元には、張り付いたような笑みが見えた。
「キンジ、今のお前に興味は無ぇ......見逃してやるよ」
GⅢはふと歩みを止めたかと思うと、エレベーターに乗り込んでいたキンジにようやく声を掛けた。
――どうやら、俺と闘いたいらしい。
「キンジ、先に行け」
「――ああ、分かった」
突然の襲来に驚き、臨戦態勢を取っていたキンジは、俺の声で再びエレベーターの操作盤を弄った。
上手く作動したのか、扉代わりの金網が閉じて、エレベーターが不安になりそうな金属音を立てながら上昇していった。
――頑張れよ、キンジ。
俺はキンジの無事を祈りつつ、唯一残された生粋の戦闘武装であるデュランダル・ナイフに手を伸ばそうとして、
「あ?オイ、ハヤト。そりゃあ無しだ、白けるだろうが。今夜はステゴロと行こうぜ」
GⅢがそう言って――突如として目の前に現れ、ナイフの柄を掴み放り投げた。
放り投げられたナイフは強烈な速度で空を切り、闇へと消え――支柱に突き刺さったのか、鈍い音が聞こえた。
「――ボサッとしてんじゃねぇよ。もう始まってんぜ?」
その言葉の直後。しまった、と思うよりも先。
GⅢの挨拶代わりなのだろう、それほど重くない拳が俺の顎を打ち抜けた。
「......っ!」
お返しだ、と声にこそ出さなかった物の、顎を殴られ上半身の右側がやや後ろに下がった状態から、腰の捻りを加えて右ストレートを打ち返す。
「ほぉ、中々に良い」
GⅢは軽口を叩き、口笛を一つ吹いて――上半身を逸らし俺のパンチを回避する。
「だがダメだ、全然遅い」
俺が伸ばしきった腕を引き戻すよりも早く、GⅢの反撃が――
来たっ!
左足を半歩、滑らせる様に前に出し、上半身を捻りながら持ち上げ、その勢いを利用して放たれた強烈なボディーブローは、奴の見た目も相まって、周囲に溶け込んでおり――距離感が掴めなかった。
「......っ」
まるでそこに収まるのが必然の様に、綺麗に、鮮やかに、俺の鳩尾に吸い込まれたボディーブローは、手榴弾が目の前で爆発したんじゃないか......そう思える程の衝撃を全身に伝えた。
息が、出来ない。
肺に溜まっていた空気が全て放り出された。
しかし。
その程度で俺の闘志は潰えるわけは無い。
「――シィ!」
左腕を大きく振り、右腕でフェイントを掛けながらGⅢの顔面を狙ってフックを打ち出す。
「だから、遅ぇよ」
振った腕、その手首をGⅢは呆れ気味に掴んだ。
万力の様なパワーで締め上げられていく手首が、痛みを訴え始める。
「加速しろ、ハヤト。じゃなきゃあ――」
遊びで、死んじまうぜ?
GⅢは俺の手首を掴んだまま一歩前へ出て、顔を近づけてそう囁いた。
そう言われるのは癪だが、事実、まだ一撃も奴に攻撃を与えられていない。
――望み通りに、やってやるさ!
俺はこんな所で時間を潰す暇はない。一秒でも早くキンジと合流しなければ。
「......お、変わったな......フッ、これで――少しは楽しめるはずだ」
その言葉に、俺は少し憤りを感じた。
「その言葉、後で言わなきゃ良かったって後悔させてやるぜ」
「俺も、それを、望むとしよう」
僅かに言葉が交わされた次の瞬間、掴まれたままの腕が思いっきり下方に引き寄せられ――
「そぉらよ!」
少し焦り、抵抗するも虚しく、前傾姿勢になった所を、GⅢの左腕がハンマーのような重さと威力をもって背中を打ちつけた。
砂を僅かに被った鉄板にかなりの勢いで叩きつけられ、息を吐き出してしまう。
倒れている場合ではないと言い聞かせ立ち上がる。
が。
「遅ぇ!」
GⅢのストンプが俺の後頭部にぶち当たり、再び鉄板に打ち伏せられた。
「......はっ......!」
――痛ぇし、速ぇ......!
「寝てる場合じゃあねぇだろ!?」
脇腹を抉るような蹴り。
鋭く、確実に臓器にダメージを負わせる蹴りをモロに受けて、身体が浮く。
「もう一発オマケだ。とっときな」
武偵高のブレザー、その襟をGⅢは掴み、左足を軸に一回転しながら俺を持ち上げ......地面に向かって振り下ろした。
鉄板と、人間の衝突する音が夜の建設現場に響く。
顔は既に腫れ上がっていて、口や鼻からは出血が始まっている。
「オラァどぉした!寝るには早ぇだろ!」
GⅢがなぜか怒っており、顔を僅かに傾けて見れば、振り上げられた右の拳が見えた。
――そう、何度も、食らってやるかよ......!
『アクセル』、スタート。
加速が始まり――視界に映る情報の全てがスローモーションになる。
飛び散る砂、GⅢの拳、俺が吐いた血。
鈍い身体が徐々に情報処理の速度に追いついていく。
俺の望む速度にギアが上がっていく。
そして――
両手の力で身体を横にスライドさせつつ、GⅢの拳を左足で薙ぎ払う。
そのまま振り抜いた足の勢いを利用し、立ち上がった。
「――やっとか」
GⅢは弾かれた右拳を軽く振りながら、俺が加速した事を理解して笑う。
一歩。
GⅢが笑いながら踏み込んだその一歩に合わせるようにして――俺は懐に飛び込む様にして駆け、
「――な」
驚愕の表情で固まったGⅢの顔面に、今までとは威力もスピードも桁違いの右ストレートをぶち込んだ。
「――に?」
はずだった。
驚いたのは、俺の方。
俺の右ストレートは――あっけなく、何時の間にか、GⅢの左手で受け止められていた。
「――Hmm。まぁ、良好か」
未だに状況を呑み込めない俺に、GⅢはどこか不満そうに裏拳で俺の顔面に一撃入れる。
殴られた瞬間に突き飛ばされ、再び距離が開く。
「どうした、まだ始まったばかりだろ。ほら、来いよ」
暗闇に慣れ始めた俺の目が捉えたのは、腕を真っ直ぐ伸ばし、指4本で来い、と数度曲げて挑発をしているGⅢだった。
「......ッ!」
左足を半歩、前へ。
右足を半歩、後ろへ。
左腕を肩ごと突き出す様に前に。
腰を少し落として――左手の指で、GⅢに狙いを定める。
右腕を引いて、握り拳を作り......肩の位置で止めた。
両足を少し浮かせ、つま先立ちに。
数秒の、静けさ。
俺は構え、GⅢは気怠そうに立っている。
先に動いたのは、当然俺。
ほぼ完全な正拳突きのモーションのまま、つま先で地面を蹴り上げて、滑る様にGⅢの目の前まで移動。
踵を鉄板に着けて、固定。揃えていた左手の指を少し広げ、GⅢの視界を塞ぎ――
「ッセイヤアアアアッ!」
正拳突きを中断。
再度踵を上げ、前方へ跳躍しながら右足を前に持っていき、膝蹴りを放つ。
正拳突きのフェイントモーションから放たれる蹴り。
――受けようと思っても、腕を痛めるはず!
「――ハッハァー!」
GⅢは俺の右膝を視界に捉えて、笑い――
――何......!なんで、俺の速度に、ついてこれる!?
少し前後にずらされた拳が少しずつ俺の筋肉を磨り潰す様に奥へ、奥へ進んでいき、骨をかち割らんばかりに締め上げていく。
「う......!?」
左足を地に足をつけることさえ出来ず、今の俺の体はGⅢが万力の如く挟み込んだこの一点のみで持ち上げられていた。
どうにかして脱出しなければ、俺の右足は圧し折られて使い物にならなくなるだろう。
その前に、逃げ出す。
「フッ!ハアアアッ!!」
幸運にも俺の両手は自由で、GⅢの両手は塞がっている。
これなら防御はできない、と確信し――両手の手刀をGⅢの首目掛けて、超スピードで叩きつけた。
――獲った!
「とか、思ってねぇよな?」
馬鹿な、有り得ない。
俺の手刀は確かに、GⅢの首を叩いたはず。
なのに、なんで――
――なんで両腕でガードしてやがる!
目の前の男はただ不敵に笑うばかりで、何を考えているかも読めない。
身体がゆっくりと重力に引かれ、落ちていく。
攻撃が通らなかった以上、しょうがない。
次を決める為に、また動くだけだ。
右足のつま先が、鉄板についた。
「オォラアアッ!!」
片足で屈伸をするように身体を縮め、限界まで縮めきったバネを開放するように、一気に跳躍。
今度は左の膝を使った膝蹴りを放つ。さっきよりも、速く――鋭く!
「ソレは見飽きたぜ」
そう言いながら、GⅢはある構えを作り出した。
その構えは――見覚えがある、なんて話じゃない。
――あの、構えは!
嘘だと叫びたくなった。なんでお前が使えるのかと聞きたくなった。
喉が詰まる。呼吸を、忘れてしまう。
GⅢがとった構えは......『
俺だけの、技。
それは――相手が放つ激流のような攻撃を、弾き、流し――勢いを霧散させる。
GⅢは手首を内側ギリギリまで曲げた状態で、肘を突き出し、腹から持ち上げるように右腕を上げていく。
あれは不味い。
俺が一番理解している技だ。知らないワケがない。
膝を引き戻そうとするが、もう遅い。
俺の膝の内側に肘を滑り込ませたGⅢは......
「テメーの技で、くたばっちまえ」
腰、背中、肩、肘、手首――その全てを同時に動かし、高速をもって外側へ弾く。
円を描く様にして振られたその腕は、俺の膝を叩き、虫を地面に落とすような動きだった。
勢いを一気に削がれ、鉄板の上に忠誠を使う騎士のようなポーズで着地して......余りの衝撃にほんの少し硬直してしまう。
その隙を、GⅢが逃がすワケは無く――
「ぶっ飛びなァ!」
顔を上げると同時、GⅢの脚が、真下から突きあがる鎗の様に打ち出された。
顎をとらえた蹴りはグングンと高度を上げて行き、伸びきった瞬間、慣性で身体が少しの間滞空する。
その後、身体は重力に従い、くの字に曲がって落ちて――
「オマケだ」
くれなかった。
GⅢはその体を捻り、宙に残った俺目掛けて、蹴り上げを叩き込んだ。
その蹴りが鋭く突き刺さったのは、腹部。
――ああ、そん、な......
「が......あ......っ......ぇ」
これも、俺の技。
その伸びきった脚を鎗に見たてて行う、串刺しのような技、『ツェペシュ』。
余りに深く、鋭く突き刺さったせいか、一瞬......意識が飛んだ。
酸素が一気に吐き出され、視界がブラックアウトする。
四肢は力を籠める事を許されず、重力にひかれるがままに垂れ下がってしまう。
――まだ、だ。
すぐに持ち直した俺は、歯を食いしばり、伸びきった脚を殴ろうとして拳を振り上げたが、それは叶わず、俺の動きよりも先にGⅢが伸ばした脚を振って俺を放り投げた。
「......はっ、はっ......ふ、ぅ゛!」
平静を保とうとするが、動揺が強く――あまり、まともに考えが纏まらない。
――なんで、俺の技を......!
「ああん?オイオイ、技をパクられただけだろ?萎えんなよ」
GⅢはどこか楽しそうに両手を広げ、悠然と歩いて距離を詰めてくる。
その顔は、どこかつまらなそうで、しかしどこか楽しそうだった。
「待つのは飽きたな。次は、俺から行くぜ」
俺が立ちあがるのを待ってから、GⅢはそう言った。
鉄板の上を駆ける音が聞こえ――すぐさま防御態勢を取る。
身体を丸め、片膝を上げて両腕を前に突き出して、耐えようとする。
「――ハッハッハァアアアッ!!セイヤアアアアアアアッ!!!」
GⅢは俺に接近すると、両腕の『∞』で俺の腕を払い――
開けた視界には、飛び膝蹴りの体勢のまま迫ってくるGⅢ。
「――っ!」
ブリッジをする様に身体を倒し、両足を揃えて蹴り上げる――『仕切り直し』を行い、距離を取ろうとするが、
「ソレも、知ってるぜぇ!」
膝蹴りを中断したGⅢは、鉄山靠で俺の身体を弾き飛ばした。
吹き飛ばされた勢いで鉄板の上を数度転がり、ブレーキ代わりに左手を砂を被った鉄板の上に置いた。
手のひらを砂に紛れた小石が、皮膚を傷つけていく。1秒か、2秒か。
滑って行き、少し勢いが収まった所でクラウチングを取って完全に勢いを殺し、此方目掛けてやってくるGⅢ目掛け、俺も走りだす。
互いに5歩ほど駆け――俺は跳躍し、右腕を引きながら振り上げる。
逆にGⅢはそこで止まり、回し蹴りをする為に脚を振り上げていた。
速度は互いに互角。
「――しゃあッ!」
「――ハァッ!」
俺の拳と、GⅢの膝が激突した。凄まじい音が鳴り、拳が痛みを訴えてくる。
拳も、脚も――互いに振り抜ける事なく、拮抗した。
飛び上がっていた体が地面に降りるより先に、殴りつけている拳を少し引いて、GⅢの脚を振らせ、その反動に乗る形で後ろへ下がる。
「逃げてんじゃあねーよッ!」
GⅢは目を輝かせながら、ダッキングで再接近をし、アッパーを繰り出してきた。
数瞬遅れて左肘を振り下ろすことでガード。
続けざまに蹴りを数度、素早く打つも、その全てを回避、ガードされ致命には至らず。
GⅢは俺の蹴りを全て避けた後、両腕を使ったジャブ、ストレート、ボディーブロー、フック、アッパー。
ボクシングの基本的な動作を連続で、休むことなく打ち続けてくる。
顔面に迫り来る左ストレートを最小限の動きで回避して、カウンターで左手でボディーブローを放つ。
それを右のジャブで弾かれ、その流れのままアッパーが顎目掛けて振るわれる。
左腕の肘打ちで防ぎ、右腕でレバーブローを狙う。
が、それもダメ。GⅢは俺がしたように肘打ちでそれを妨害した。
このままじゃ埒が明かないと互いに悟り、今度は蹴り技の応酬へと変わっていく。
同時に膝蹴りを打ち、衝突。
弾かれるように距離を取り――互いが駆け寄り、中段の足刀横蹴りを放つ。
これも、同じタイミングで、同じ技。
GⅢが先に、下段刈り蹴りを仕掛け、俺はそれに対応して片足バック宙を行った。
GⅢの攻撃は外れ、俺の攻撃はGⅢの腕に阻まれた。
あまりに激しい連戦に、忘れてしまいそうだったが――
この男......GⅢは、俺の速さについて来ている。
それが信じられず、何度も拳や蹴りを交えた乱打戦を繰り返した。
もう、何度目の殴りあいか数えることすら億劫になったタイミングで、
「――ああん?......ちっ!オイ、ハヤトォ!悪ィが時間切れだ」
「......なん......だと?」
GⅢが突如動きを止めて、時間切れと言い出した。
――どういう意味だ。
目の前の男を見ると、何か考えているのか――顔を傾げ、何かを思いついたらしく人指し指を一本、俺の目に突き出した。
「一回だ」
「何が、だ」
「お前の攻撃を、最後に1回だけ見てやる」
明らかに上から目線の挑発文句を受け、脳が煮え滾る。
「――やって、やんよ」
GⅢから全身の力を使って飛び退き、すぐさま背を向け走り出す。
狭い工事現場を、段々と、ギアが上がっていく様に加速しながらGⅢの周りを走り回る。
挑発されたからには――正面から突っ込んで、ぶち抜く。
俺が走り回る円の中心、そこにいるGⅢは俺の動きを目で追えているのか......顔の動きを合わせて追いかけてきている。
――こん、のぉ!
40週程走り回った所で。
正面から。
渾身の、飛び蹴り。
「ダァラッシャアアアアアア!!」
ほとんど水平移動の、飛び蹴りは――吸い込まれるようにGⅢの顔面へ迫っていく。
GⅢは眉一つ動かす事無く――俺を見据えている。
避ける気がないのか、動く気配がない。
これなら、直撃する。
そう確信した。
だが――
俺の期待は、またしても裏切られた。
「YEAH!!!」
GⅢは、当然の様に俺よりも速く――俺に背を向け、少し屈み......
顔面に当たるはずだった蹴りは何もない虚空を通り過ぎていく。
呆然とする中、俺の脚がGⅢの頭部の上を少し過ぎた所で、掴まれた。
そして、そのままGⅢは腕を全力で足元の方へ引いて行き、飛び蹴りの勢いを利用され加速したまま、鉄板に叩きつけられ――
「サエジマ ハヤト。存外に美しくねぇ奴だったな」
反動で浮いた状態で、顔を壊れかけのブリキ人形のような挙動で動かし、潰れかけた視界でソレを見た。
奴は、GⅢは左足を軸にして、つま先を180度捻って後ろを向きながら腰、背中、腕、肩、手首の力で同時に加速していく。
つま先に円錐水蒸気が発生しているが、まだ加速は終わらない。むしろ、これは始まりに過ぎない。
蹴る為の右足の太ももを振って加速、脛を振って更に加速する。まだ、終わらない。
つま先を超えて...足の土踏まず辺りに円錐水蒸気が発生。まだ、まだ加速していく......!
そして――踵を使い、更に加速。
円錐水蒸気は、徐々に奴のつま先から、足、踵よりも後ろへ消えていく。
――『桜花』、まで......!
「土産だ、受け取っておきな」
その声が聞こえたかと思えば――
俺は工事現場のフェンスを突き破って、道路を何度もボールの様に転がり、跳ねて――
隅田川の川底に、叩き込まれていた。
――――ズパァアアアアアアアアアアアアアアアアアンッッッ!!!!!!
銃声にも似た衝撃音が、遅れて聞こえてきた。