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意識が、混濁していく。
瞼が重く、俺を生かしている酸素は口から泡となって吐き出され続けていた。
身体は川の流れで揺れ動くが、流れない。
首を動かす事すら難しく感じるがなんとか動かして、川底を覗けば。
俺の左腕は川底に、深く――深く、肘よりも奥。
二の腕辺りまで突き刺さっていた。
体勢を少し変え、川底にうつ伏せになるように動き、右手を川底に押し付け、上半身を弓形に逸らして......
左腕を何度も半回転させ、引き抜く。
思ったよりも簡単に抜け、少し困惑したが――酸素が欲しい。
その一心で、川底を蹴りつけて、上を目指す。
真っ直ぐ上を伸ばしていた右腕が、水を突き抜け、風を感じ取った。
直後に頭が水面を破り、大量の酸素が俺を出迎える。
「――ブハッ!ハッ......はぁ、はぁ......」
死ぬかと、思った。
水が滴り、秋の夜風が体温を奪っていく。
絶え間なく痛みを知らせる左腕を極力動かさない様にして、整備された隅田川の川岸へ泳いで、辿り着いた。
落下防止のフェンスに手を掛け、身体を持ち上げる。
水を吸った防弾制服が、重い。
ただでさえ防弾仕様のせいで重いのに、水を吸って、余計に――重くなった。
片腕で懸垂をしてるような物で、体力を馬鹿みたいに浪費した後のコレは、堪える。
背に腹は代えられない。
俺は、左腕を持ち上げ、フェンスを掴み、今度は両腕で身体を持ち上げた。
左腕が軋んでいく音が、内側から聞こえる。
水なのか、汗なのか分からないが――滝の様に顔から流れ出ていく。
「う......お、おおおっ!!!」
思わず手を放しそうになるが、吠えて、耐えた。
あと、少し。
左腕がガクガクと震え、体重を支え切れていない。
その時、水のせいか、濡れた手がフェンスから滑り落ちた。
俺の体は、そのまま水の中へ吸い込まれるように落ちて、着水。
「はぁ......は......クソォッ!」
何やってんだ、俺は、と自分に問いかける。
キンジに追いつくんだろう、こんな所で水遊びしてる場合じゃないんだよ、と自分を鼓舞して、再びフェンスに食らいつく。
震える左腕の痛みなんて無視して、全力で体を持ち上げ、上半身がようやく、フェンスの頂点を越えた。
そのまま、上半身をフェンスの奥、街道の方へ倒していき、フェンスを掴んでいた腕を離す。
重力に引かれ、下半身がフェンスを乗り越えて、地面へ滑っていく。
やや重い衝撃が伝わり――俺はようやく隅田川から抜け出せた。
大の字になって転がり、荒い息を整える為に何度も深呼吸を行う。
アドレナリンが、頭が冷えてきたこともあってか、急速に沈静化していき、それに伴い身体中が痛みを訴えてくる。
上半身を、腹筋の力だけで起こして自分の身体がどうなっているのか見た。
左足は捻れ、踵が空を見ている。
右足は辛うじて無事、だった。比較的軽傷と言えばいいのか、肉が割けて血を垂れ流しているのだろう、制服のズボンが赤黒く染まり、地面を赤く濡らしている。ただ、それだけで済んでいる。
左腕は制服とシャツごと食い破られたのか、何もなく、素肌を晒している。所々が割け、その傷口から血液は留まる事なく流れ出し、夜風に晒されるだけで神経が痛みを訴える。
右腕は、打撲程度で済んでいるのか、痛みは感じず、動いてくれる。
そのまま右手だけで濡れた防弾制服を脱ぎ捨てる。
シャツも脱ぎ捨て、上半身だけ半裸になり――胴体の損傷を確認。
打撲痕や大小様々な擦り傷以外問題は無さそうで、一先ず安心した。
――皆、怒るんだろうなぁ。
力無く、夜の空を見上げて笑う。
ジャンヌやカナは本当に怒るだろう、キンジも、アリアも、きっとブチギレるんだろう。
でも――
「キンジに、追いつかないと」
――そう、決めたんだ。
俺は、自分の中で決めた事を、今一度思い出す。
キンジがこれ以上、戦わなくていい様に、俺が頑張るって。
キンジが普通の高校生になれるように、俺が助けるんだ。
――俺は普通でありたいなんて望まない。だから、普通を望んでる奴を、助けたい。
烏滸がましいかもしれない。キンジは頼んでないって言うかもしれない。
でも、俺は何時だってそうだった。
やりたい事を、やる。
成すべきと思った事を成す。
だから。
『リターン』。
二度と使うなと言われた、治癒の加速を――俺は躊躇いもなく使った。
傷が塞がり、骨は歪な形から徐々に正常な姿へ。
橋を架ける様にして筋肉や神経が紡がれ、治っていく。
だが、ただ治すだけじゃダメだ。
――もっと、強く。
たかがマッハの数倍程度の攻撃で傷つく肉体は必要ない。
――もっと、硬く、靭に。
肉体の変異を望みながら――
俺は、肉体の強度に愚痴を零している事を鼻で笑ってしまった。
本当は、心の奥底では。
あの
――今までより、ずっと......速くッ!
その願いにも似た悲痛な叫びが、聞き届けられたのかどうかは分からない。
だが、治った俺の身体は――今までとは何処か、雰囲気が違った気がした。
数分前に比べ、かなり伸びた前髪をかき上げて、後ろへ持っていく。
後ろの髪は、背中を3分の1ほど覆う長さまで伸びている。触って理解できた。
立ち上がるべく、何の問題も無くなった左足を立て、右手を地面について力を籠める。
身体はすんなりと持ち上がり、起きられた。
ただ――
――......少し、重い?
俺はGⅢと闘った時よりも少し重くなった身体が、気になった。
水を吸って、制服のズボンが重くなっているだけかもしれない。
それに、今はそんな些細な事を、気にしているヒマはないだろう。
なぜなら――
「......あぁ?なんだ、思ったよりピンピンしてんじゃねぇか」
俺を『桜花』でぶっ飛ばした男......GⅢが目の前に居たからだ。
「じゃあ、俺は帰るぜ。ちと急用が出来たんでな」
「......逃がすとでも、思ったか」
「馬鹿。逆だ、逆。俺が、お前を、逃がしてやるんだよ」
そう笑いながら言って、GⅢはスカイツリーを指した。
「ヒルダが向かってる。キンジやアリアがやべーんじゃあねぇのか?」
「......嘘だ」
「いいや、マジだ。その証拠に――」
突如、街灯の灯りが消滅した。
いや――違う。街灯だけじゃない。
信号も、オフィスの電気も、家の明りさえも、消えていく。
――ただの停電......じゃない。
俺は、これを見たことがある。
アリアのかーちゃんを乗せた護送車を、追走していた時の、停電現象。
「......!」
間違いない。コレは――ヒルダの仕業だ。
「分かっただろ、さっさと行け」
GⅢはそれだけ言うと、身を翻し、闇に染まった街を歩き、消えた。
なぜ、見逃したのか。
それは分からないが......考えるのは後だ、今は一秒でも早く、キンジたちと合流するのが先だ。
駆け足でスカイツリーへ戻っていくと、工事のフェンスは道路に散乱し、内部の工事現場は血で汚れ、鉄板は凹んでいる。
うわぁ、やっちゃったなぁ、なんて思いながらも足を止める事は無く、ライトを照らしてデュランダル・ナイフが突き刺さった場所まで歩いていき、引き抜く。
仮設エレベーターに乗り込み操作盤のボタンを押すが、反応がない。
カチ、カチと押す音だけが虚しく響いて作動はしない。
「――停電のせいか」
外に出て、梯子を探そうとしたが――
突如、金網が閉まり、電力が戻って......操作をしていないのに、エレベーターは急上昇していく。
何が起こったのか見れば、エレベーターの至る所で、紫電が迸っている。
時折火花を散らしたそれを不安気に見つめるが、エレベーターは酷い揺れを起こしながら登っていく。
エレベーターが限界高度に到達し急停止すると、余りに強い勢いを受け姿勢を崩し、背中をエレベーターの床に叩きつけられた。
金網がバチバチと異音をたてて軋みながら開いていく。
身体を起こし、エレベーターから恐る恐る出ていくと――
「――久しぶりねぇ、サエジマ」
女の声が響き......強く、身を裂くような一陣の風が吹き抜ける。
赤銅色の工事現場に掛けられているカバーが裂け、そこから、黒い物体が入ってきて、翼のような物を羽搏かせ更に加速、俺目掛けて飛んでくる。
あれは――!
見間違えるワケもない。
「ヒルダ......!」
俺の目が見たモノは、傘こそ持っていないが、先日の襲撃者。
名前を呼ばれたことで不快そうにヒルダは眉を寄せて俺に急接近し、首を掴んだ。
避ける事すら儘ならず、その細腕からは信じられない程の力で絞め上げられていく。
そのまま身体が浮いて――ヒルダが突き破ってきた方向とは逆へジェットの噴射に似た勢いで突き進んだ。
カバーを突き破り、急停止。
そのまま螺旋を描きながら、スカイツリーの周りを回っていく。
徐々に、徐々に――高度を上げながら、建設途中の最上部を目指して飛翔。
ヒルダが羽のような翼を力強く振るう度に、身体を撫でる風が冷たく、鋭くなっていく。
高く、高く――竜巻に巻き込まれたかの様に上へ引き上げられる。
現在、完成している第二展望台付近まで連れて行かれた俺は......
首を絞められたまま、ヒルダを睨みつける。
ヒルダは俺の視線に気付き、此方を見ると「気持ち悪い」と言い俺を、上へ放り投げた。
無重力のように一瞬だけ体が浮き、すぐに落下を始める。
――落ち、る!
何の抵抗も出来ず、ただただ風を切って落下していく。
せめて受け身でも取ろうと、衝撃に備えようとするが、ヒルダはそれを許してはくれなかった。
「飛ぶことすら許されない存在......地に、伏せなさい」
落下していく俺の上に、羽を広げて滞空したヒルダは、指先を俺に向け、そこから小さな光の珠を作り出し――撃ち出した。
眩い光を放つ、この珠の正体は、電撃。
避けようにも動く事が出来ず、ガードを取れば受け身も出来ない。
しかし、攻撃を食らえば受け身を取る事すらできなくなる。
俺はただ、その電撃が俺に当たるまでの、猶予時間を過ごす事しかできなかった。
そして――
電撃が、身体に吸い込まれた。
全身が痙攣し、跳ねる。
ずぶ濡れになった身体が、更に電撃の威力を上げた。
岸に打ち上げられた魚の様に痙攣する俺は、第二展望台の地面に、頭から落ちていく。
地面は、すぐそこだ。
「――隼人!」
その声に、目を見開く。
痺れた身体が、ぐるりと向きを変えて数度回る。
勢いが削がれ、そのまま床へ投げ出された俺は、困惑しながらも地面を転がり、止まった。
なんとか顔を動かして、俺を助けてくれた――キンジの方を見る。
「助かったぜ、キンジ」
「気にするな、それよりお前......使ったな?」
「じゃなきゃ死んでた」
上空を見上げてヒルダの追撃が無いか警戒するが、追撃は来ない。
その間に痺れが収まり始めたので――まだ少しふらつくが――立ち上がり、首を鳴らし肩を回し、つま先で地面を数度叩く。
――よし、動ける。
自分の身体に動作不良がないか確認してから、周囲を見回す。
ここは、吹き曝しの450m――第二展望台の付近は、冬の雪山の様に寒かった。
気温というのは100m毎に0.6度ずつ下がっていくらしい。
吹き抜けていく風は次第に強さを増していき――
周囲に建物がないから、雪山に立っている気分になってくる。
上着は無く、濡れた身体を撫でる風は通常の何倍の速度で体温を奪っていく。
かなりきつめの寒さを感じて鳥肌が立ち始める。
それを受けて、俺の身体は体温を高める為に、シバリングを数度繰り返す。
その時、
「ハヤト」
後ろから甲高いアニメ声が聞こえ、振り返るとそこにはアリアが居た。
「アリア?無事だったのか」
「ええ」
「ワトソンの野郎は?」
俺の質問に、キンジが近付いてきて、
「ヒルダの奇襲を食らって、ダウンだ。俺が隠した場所で寝てる」
と、答えた。
「成程ね」
程よく身体が温まった所で、もう一度周囲を見渡すと――
機材は周辺に片付けられていて、丸くコンクリートの床が広がっている。
照明はあまり明るくはないモノが、あちこちにあって、床を不規則に照らしていた。
空を見上げてヒルダを警戒するが、姿は見えない。
その代わり、北側の一角に祭壇のようなものがある。
――いや、祭壇じゃない。
通常のもの、俺が知っているソレよりも遙かに大きいが、あれは......棺桶だ。
漆黒の棺が、鮮やかな深紅の薔薇で飾り付けられている。
その薔薇は――かつてブラドがアリアと名付けた新種の薔薇。
それが大量に集められて、棺桶を埋め尽くす様に添えられている。
その周囲には霞草代わりなのか、絡み合うツタ植物がこっちの足元近くにまで伝っていた。
「ハヤト。キンジには既に話したけど、ヒルダと話をするわ」
「何ィー?俺ァ、奴に殺されかけたんだが?正気かよ」
「あんなの超常的存在からしたらお遊びみたいなものでしょ?一々相手にしてたらキリがないわ」
「......だとしても、だぜ。そんなイキナリ、はいそーですか、で仲良く出来るのかよォー?」
「戦うだけが武偵じゃないわ。交渉できるならして、『師団』に寝返らせる......までは行かなくても、ヒルダとバスカービルの間で、不可侵協定ぐらいなら結べるかもしれない」
「......」
「ハヤト?」
「おい、キンジィー......」
「どうした、隼人」
キンジが答えながら振り返った瞬間。
俺は全力で――アリアを後ろ蹴りで蹴り飛ばそうとした。
だがそれは虚しく空を切り――俺の伸びきった右脚に乗ったアリアは、妖艶に笑い、飛び退いた。
「隼人!?何やってんだ!」
キンジが俺の胸倉を掴み、殴りつけようとする。
「何やってんだって言いたいのは俺の方だぜェ、キンジィー」
顔を寄せてきたキンジに目を合わせる事もなく、棺の方へ遠退いたアリアを睨み続けた。
「どういう事だ」
キンジは、HSSの亜種のせいか――いつもの女を口説くキンジとは違う様で、頭が上手く回らないらしい。
このアリアは、アリアじゃあない。
なぜなら――
「おいアリアよォー......どうしてオメーが――」
俺は胸倉を掴み続けているキンジの腕を振り解いて、ある一言を突きつけた。
「――『師団』と『眷属』の件を知っている?まだ、オメーには話してない筈だぜ」
その言葉に、アリアは......
「これだからお前は来てほしくなかったんだ、隼人」
棺の陰から取り出した鎖を伸ばし、キンジの首を縛って――真鍮の錠前を掛けようとしていた。
それを妨害するべくアリアに成りすました奴を蹴り飛ばそうとするが、その行動を妨害するかのように空中で電撃が弾けた。
バチバチィィイイッ!!!という放電音が聞こえ、即座に後退。
キンジを捕縛したアリアらしき者と、俺の間に影が出来て......フワリと上からヒルダが降りてきた。
「少しシナリオとは違ったけれど――上出来よ、理子」
ああ、畜生。
――連戦か!
高度450mの塔の上、暗雲立ち込める中。
俺たちの、今日の2度目の戦いが始まった。