"愛してる"の想いを   作:燕尾

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こちらの投稿は一ヶ月ぶりですね。申し訳ないです。
第十五話目です。





15.発作

 

 

「……大丈夫か?」

 

「……」

 

「……」

 

くたりとしている穂乃果とことりに声をかけたが屍のように返事はなかった。

 

「取り敢えずこれでも飲んで水分補給しといた方がいい」

 

「ちょうだいっ!」

 

「ありがとう、春人くん!!」

 

「えっ……?」

 

差し入れとして持ってきたスポーツドリンクを取り出す。すると二人は腹を空かした動物のように飛び付いてきた。そうなると当然、

 

「うわっ!?」

 

「わっ!?」

 

「きゃ!?」

 

巻き込まれるように態勢が崩れる。

二人は覆い被さるように俺にのし掛かっている。正直この状態はまずい。そしてなにより――

 

「な、な、なぁ……!?」

 

後ろで顔を真っ赤にしつつも鬼の形相をしている海未が怖い。海未の背後から禍々しい気配が見えるほどだ。

 

「なにやってるんですか、春人!? は、ははは、ハレンチです!!」

 

「俺が(とが)められるのか……!」

 

海未の理不尽なお叱りは何度かあったのだが、未だに慣れない。それよりもまずはこの状況をどうにかしないと、女の子の柔らかさやら匂いやらで頭が沸騰しそうだ。

 

「穂乃果、ことり。早く退()いてほしい。この態勢は色々とまずい」

 

「あ、ご、ごめんね? 春人くん」

 

ことりは素直に俺の上から離れていく。次は穂乃果、かと思ったのだが、

 

「……」

 

穂乃果はジッと俺を見下ろしている。

 

「穂乃果?」

 

「……」

 

反応がない。ただただじっと俺を見つめている穂乃果。そして、理由はわからないが、俺の身体をスー、と指でなぞってきた。穂乃果の柔らかい指の感触は男女の違いを実感させる。

 

「なっ!?」

 

「わぁ!」

 

その光景を見ていた海未の顔がさらに赤くなり、ことりは興味津々と言ったように声をあげる。

 

「ん……穂乃果、くすぐったい」

 

「えっ? あ!」

 

ご、ごめん! と慌てて俺の上から離れていく。

自分の行動は無意識下だったのか、顔を真っ赤にして戸惑っている穂乃果。

 

「その、ごめんね?」

 

「いや、別に構わないんだが……どうしたんだ、いきなり」

 

「それはっ……えっと、内緒っ」

 

「そうか」

 

お互い、恥ずかしさでこれ以上言葉を交わすことはできない。俺と穂乃果の間に流れる微妙な沈黙。ちらちらと様子を見れば目が合ってまたさらに顔を伏せる。

 

「ん……ん゛ん゛!!」

 

そんなどうしようもない状況を打ち破ったのは一つの咳払い。その声の出所を見た俺と穂乃果は顔を蒼くした。

 

「春人、穂乃果」

 

俺たちの名を呼ぶ海未の声は恐ろしく低かった。ことりも今まで聞いたことのない幼馴染の声に怯えている。

 

「ファーストライブまでの時間はあと一ヶ月ちょっと……遊んでいる時間はありません、わかりますよね?」

 

「あ、ああ……」

 

「はい……」

 

「でしたら、一分一秒惜しいこの時期にあなたたちは何をしているのでしょうかねぇ……」

 

人は怒りが大きいほど笑う人が多いとよく言うが、海未の怒りはそれをとうに越えた般若の顔だった。

 

「「すみませんでしたっ」」

 

俺と穂乃果は直ちに頭を下げた。下手な言い訳をしようものなら制裁なんて生ぬるいことをされると感じるほどの気迫があった。

 

「まったく……ほら、トレーニングの続きをしますよ」

 

事なき事を得た俺たちは安堵の息を洩らしながら、海未の指導のもとトレーニングを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の昼休み、俺は一つの紙を持って一年生の教室に来ていた。しかし、

 

「……いないみたいだな」

 

教室の中を覗いて見るが件の子が見つからない。教室の隅々まで見渡したのだが、やはり見つからない。

 

「あの、どうかしましたか?」

 

どうしたものかと、途方に暮れていたところに一人の女の子が声を掛けてくれた。

 

「ん?」

 

「ひっ……」

 

声につられて振り向いたのだが、声を掛けてくれた女の子は顔を見るなり急に(おび)えだしてしまった。

 

「ああ、驚かしてすまない。捕って喰うとかしないから、そんなに怯えないでくれると助かる」

 

少し傷つきながらもこれ以上怯えさせないように、安心させるように言うと女の子はすみません、と謝ってくる。

 

「その、先輩ですよね? 誰かに用事ですか?」

 

「ああ」

 

様子を伺うように問いかけてくる女の子に返事をしただけなのだが、ひぅ、と再び怯えられてしまう。

何もしていないはずなのにこの反応は悲しく思う。そんな表情が顔に出てしまったのか、女の子はさらに萎縮してしまった。

 

「す、すみませんすみません! 私、男の人がちょっと苦手で……本当にごめんなさい」

 

怒られている子供のように言葉が尻すぼみしていく。

 

「別に気を悪くしたわけじゃないから、気にしない――」

 

「かよちんになにしているにゃー!!」

 

フォローを入れようとしている途中、俺の横腹に衝撃が(はし)る。

完全に不意を突かれた俺は勢いよく背中から壁に衝突した。

 

「凛ちゃん!?」

 

凛、と呼ばれた少女はフシャー、と猫のように俺を威嚇している。

 

「げほっ、俺は、何もしてないんだが……」

 

「嘘をつくニャ! かよちんがすっごい困っていたニャ!」

 

痛む脇腹を押さえて抗議するが、凛という女の子は聞く耳を持たない。

 

「凛ちゃん、違うよ。これは私が……」

 

「かよちん、大丈夫ニャ。悪い人は凛が追っ払うニャ!」

 

最初に声を掛けてくれた、かよちん、という女の子が止めに入ってくれるも勘違いを駆け抜けている凛という少女には意味がなかった。

 

「なになに、どうしたの?」

 

「なんか、男の先輩が後輩の女の子を脅してお金を取ろうとしたらしいよ」

 

「うわ、最低……」

 

「男の風上にも置けねえな」

 

さらに悪いことに、騒ぎを聞きつけた野次馬たちが間違った形のざわめきを繰り広げていた。

 

「誰か先生呼んできて!」

 

「そこの男は俺たちが取り押さえておく!」

 

正義感に駆られた生徒たちがにじり寄ってくる。

 

「あ、あの……! 私の話を……!」

 

唯一事実を理解しているかよちんという少女は必死に弁明しようとしているのだが、周りの声にかき消されている。

もうこれではあの子を探すどころではないし、大勢のなかで先生に連行されれば弁明する機会はない。一度、騒ぎが収まるまで引いたほうがいいようだ。それに、さっきの飛び蹴りは俺の身体には重たすぎた。

 

「あっ、逃げた!」

 

「逃がすな、必ず捕まえろ!」

 

「はぁ、なんでこんなことになっているんだ……?」

 

痛む身体を引き摺って、俺は愚痴を零しながら逃げる。

上手く階段や曲がり角を使いつつ下級生たちを撒いていくが、予想以上にしつこかった。

 

「どこかに隠れていたほうがいいか」

 

俺は走った先にあった教室に飛び込む。その直後、追いかけていた男子生徒たちの声が過ぎ去っていった。

息を整えてはあ、と吐く俺に一つの視線が突き刺さる。

 

「……」

 

「あ……」

 

厳しい目を向けているその女の子は俺が捜していた赤髪の女の子だった。

女の子はピアノに座ったまま不機嫌そうに俺を見ている。多分歌っている最中に邪魔された、というところだろう。

 

「悪い、邪魔するつもりはなかったんだ」

 

「別に、私は何も言っていないのだけれど」

 

どう見てもその目は不審者を見る目だ。ただ、必要以上に騒ぐようなことはしないでいてくれた。

 

「あなた、高坂先輩と一緒にいた……」

 

「覚えてたのか」

 

「それは……あんな先輩と一緒にいる人でしたから」

 

あんな先輩、と呼ばれる穂乃果がちょっと不憫に思ってしまった。

 

「それで、ここに来たのはあなたも私に作曲してほしいって言うつもりですか?」

 

「ここに来たのは単なる偶然、って言っても信用できないか。まあ、実際頼むために探していたのは事実だ」

 

「そう、それなら出ていってくれる? 邪魔なのだけれど」

 

辛辣だな、と俺は思わず苦笑いしてしまう。

 

「悪いけど、昼休み終わるまでいさせてもらうと助かる。いろいろあって追われてる身なんだ」

 

「一体、なにをしたのよ……」

 

「実は俺は世界的有名な大泥棒で――」

 

「無表情で言っても意味ないじゃない、本当のことを言わないなら今すぐ音楽室から追い出すわよ」

 

軽い冗談のつもりだったのだが、赤髪の女の子には通じなかったようだ。

 

「君を探していたときに話しかけてきてくれた女の子がいたんだだが、その子、男が苦手だったらしくて怯えてたところに別の人が来て勘違いが広がっていった、ってところだ」

 

「なにそれ、馬鹿みたい」

 

女の子はばっさり言い捨てた。どうやらこの子は周りに左右されにくい子らしい。

 

「それで、そんなに苦しそうにしているのは何かされたからかしら?」

 

「脇腹に飛び蹴りがな……それと――」

 

そこまで言いかけて俺は胸を押さえつける。

逃げていたときはチクチクと針で突かれていたような痛みだったのだが、落ち着いて負担が一気にのしかかってきたのか刃物で刺されたような痛みに変わってくる。

それはやがて形容しがたいほどの痛みに変わることを俺は知っていた。

 

「はぁ……はぁ……ぐっ……」

 

「ちょっと、あなた!?」

 

変貌した俺の様子に慌てた少女が寄ってくる。が、俺は片腕でそれを制した。

痛みで暴れないように早くここから離れないといけない。

 

「だい、じょうぶ。めいわく、かけた」

 

俺は滝のような汗を流しながら教室を後にしようとする。しかし、それは許されなかった。ドアの目の前で壁にもたれ掛かる。

 

「あ、が……ああ……あああ! ぐ、あああ……!」

 

今すぐ握りつぶしたくなるほど、心臓が激しく収縮する。それはあの発作の始まり。こうなっては痛みが治まるまでどうしようもない。痛みを紛らわせるために俺は胸元に爪を立ててしまう。

 

「駄目よ!」

 

胸を押さえて掻き毟る俺を止めようと女の子が腕を押さえる。

 

「はな、れろ……あぶ……ない……が、ああ」

 

「しっかりしなさい、そんなことをしては駄目よ、息をちゃんと吸って! 浅く呼吸しちゃ――きゃあ!」

 

痛みで暴れる俺は彼女を振りほどいて飛ばしてしまう。倒れ込んだ赤髪の女の子の姿を視界の端で捕らえた俺は胸の痛みを逸らすように右腕に噛み付いて痛みを与える。

 

「ん゛ん゛ぐう゛う゛う゛……!!」

 

それでも、発作に勝ることはない。食い込むほどの力を胸に込める。

 

「ん゛ん゛ん゛ん゛、う゛、ぐぅぅっ!!」

 

ぐちゅり、と口の中に液体が入り込む。だが、それが自分の右腕から出た血なのだとは気づかない。

 

「ぐう゛う゛う゛う゛う゛――うう……う、んん……」

 

始まってから数分、ようやく峠を越えた。

右腕から口を離し、胸を押さえながら浅く息をする。

引っ掻いた傷や、食いちぎった腕がドクドク脈を打っているがいまそれを気にしてはいられない。

 

「はぁ、はぁ……けがは、ないか……わる、い、な……つきとばして……」

 

赤髪の女の子は突き飛ばしたときに押された腕を押さえながら、俺の様子をまさぐる。

 

「私の心配をしているしている場合じゃないでしょう! 自分の心配をしなさいよ!!」

 

「いい、んだ……いつものことだから……直に治まる」

 

「いつものこと?」

 

痛みが引いて深く呼吸ができるようになった俺は息を整える。

 

「昔から、心臓が弱くて……ふとした拍子に酷い動悸が起きるんだ」

 

実を言ってしまうと心臓が弱いなんてものじゃない。それでも、本当のことをことを教えるわけには行かない。

が、しかし――

 

「嘘」

 

赤髪の女の子はばっさりと言い切った。

 

「どれだけ心臓が弱くても自傷行為に至るほどの動悸が起きることはないわ。それは発作よ、あなた心臓に疾患があるのでしょう」

 

「……っ」

 

驚いた、まさか知識を持った人間がいるだなんて思わなかった。

 

「これでも私、大きい病院の娘なの。それに、将来病院を継ぐことになるから勉強のために色々とカルテとかを見させてもらえることがあるの。だからそれなりに知識もあるわ」

 

大きい病院――ここら辺で一番大きい病院といえば――

 

「――西木野、総合病院……か」

 

「ええ、私は西木野真姫。西木野総合病院の一人娘よ」

 

よりにもよって通っていた病院の娘の前で発作を起こしてしまったのか。今日はとんだ厄日だ。

思わず小さく息をついた俺に西木野さんはムッ、と眉をひそめた。

 

「なんでため息を吐くのよ」

 

「西木野さんの前で……言うのは失礼かもしれないが、今日はとことん運がないと思って」

 

「本当に失礼ね」

 

さらに眉間に皺を寄せる西木野さん。だけど、心の底から嫌悪しているわけではないようで、西木野さんは手を差し伸べてくる。

 

「ほら、保健室に行くわよ。動ける?」

 

「ああ、ありがとう」

 

周りを警戒しながら、西木野さんの手を借りて保健室へと向かう。

道中、俺はあつかましいと思いつつ、西木野さんに頼みごとをした。

 

「こんなこと頼むのもおかしいけど、このことは――」

 

「――わかってるわよ、誰にも言わないわ」

 

まともに話したのは今日が初めてなのだが、西木野さんの言葉は信用できる、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みが終わり、教室に戻った俺はクラス全員の視線を集めた。

その原因はわかっている。一年生の教室でのことだろう。噂の広まりが早いな、と変に感心した。

さすがに穂乃果、海未、ことりは信じていないようだったが、俺を心配するような視線を送ってきている。俺は大丈夫、と視線を返す。

三人に誤解されていなければ他の人になんと思われても構わない。それに噂のおかげで、顔色の悪さは気づかれなかったようだ。

気まずい空気の中、午後の授業が終わり、ホームルームが終わって放課後になった直後、俺は担任の山田先生に呼ばれていた。

 

「どうしたんですか?」

 

「どうしたもなにもないだろう。お前いま、すごい噂になっているぞ」

 

まあ、そんなところだろうとは思っていた。

 

「下級生の女子にカツアゲ、脅迫をしようとした挙句にわいせつ未遂」

 

「とんでもない尾ひれがついてる……!?」

 

「お前がヘタレの小心者だとしてもさすがにこの噂はな」

 

「そこは善人とでもしておいてくださいよ」

 

山田先生は追い討ちをかけにきたのかと、疑いたくなってくる。

 

「まあ、お前の人となりは知っているつもりだからそんなことはしないのはわかっているが、一応確認はしておかないといけなくてな」

 

で、どうなんだ? と聴いてい来る山田先生。この人のこういう公平性は尊敬できるところだ。

 

「当然、根も葉もない噂ですよ」

 

「じゃあ、一年生の教室で何をしようとしていたんだ?」

 

「一年生で作曲が出来る子がいたから頼みに行こうとしてたんです、それで廊下から教室の中を伺っていると"かよちん"という女の子が声をかけてきて」

 

先生は頷きながら、それで、と続きを促してくる。

 

「俺は返事をしただけですけどその"かよちん"って子は男子が苦手らしくて怯え始めたんです。それを遠くにいた"凛"って女の子が勘違いをして俺に飛び蹴りをしてきたんです」

 

「かよちんに凛……小泉と星空だな」

 

二人の苗字は初耳だが、先生が言うには間違いなくあの二人だろう。

 

「で、その騒ぎを取り巻きで見ていた生徒たちの伝言ゲームとお前の逃走劇が始まったのか、まったく……面倒を起こしてくれる」

 

先生は深いため息をはく。

 

「……すみません」

 

「お前が悪いわけないだろう」

 

そう言って貰えるだけで幾分かは心が楽になる。

 

「事情はわかった、小泉と星空の二人にも事情を聞いているから。まあ、小泉が落ち着いて話しているなら星空の誤解もすぐ解けるだろう。噂は学院側で何とかしておく」

 

「ありがとうございます、じゃあ、俺はこれで」

 

立ち上がろうとする俺を、待て、と先生が留めてくる。

 

「なんですか?」

 

「なんですかじゃない、お前――発作起きたんだろう、大丈夫なのか?」

 

先生は右腕を見てそういった。やはり、この人はよく人を見ている。

 

「……ええ、まあ」

 

「顔色も悪かったし、さっき保健の養護教諭のやつから聞いたよ、右腕から血を流したお前が西木野に支えられながら来たってな。それもあったから心配していたんだよ」

 

西木野にバレたのか? と聴いてくる先生に俺は悩んだ。

 

「わからないです。核心までは知らないでしょうけど、なにせ西木野総合病院の娘ですから。調べられたら気づきますね。あれは」

 

「……今日は災難だな」

 

「ええ、俺もそう思ってました」

 

お互い、絶えない気苦労から目を逸らす。その直後、教室のドアがノックされる。

入っていいぞ、と先生が促すとドアが開く。そこに立っていたのは、小泉さんと星空さんの二人だった。だけどその表情は暗い。

彼女たち、特に俺にとび蹴りをした星空さんは特に落ち込んでいた。

 

「ほら、二人とも」

 

二人の後ろにいた――おそらく彼女たちの担任が二人に促した。

彼女たちは恐る恐るといったように、テーブルの前まで歩み寄る。そして、

 

「「すみませんでした……!!」」

 

二人は深々と頭を下げた。

 

「私たちのせいで、何もしていない先輩に変な噂が立ってしまって――」

 

「凛たちのせいで、周囲から誤解されるようなことになってしまって――」

 

「「本当に、すみませんでした!!」」

 

頭を下げたままの二人に俺は戸惑う。

 

「えっと、どうすればいいんですか、これ?」

 

「んなもんしらん、当事者の桜坂が収めるのが筋だろう?」

 

「ただただ面倒くさいだけでしょう、あんた」

 

尊敬できると思った途端、すぐこれだ。とにかく今は担任に文句を垂れている場合じゃない。

 

「別に俺はどうでも――」

 

そこまで言いかけて俺は気づいた。彼女たちの身体が震えていることに。

この子達は心の底から自分たちの行動を後悔して、謝りに来たのだ。それをぞんざいな言葉で片付けるのは失礼だろう。

俺は椅子から立ち上がり、二人の目の前に立った、

気配を感じ取ったのか、二人はさらに身を硬くした。だけど、どんな批難でも受け取る覚悟はできているようだった。

 

「二人とも――」

 

そういいながら、俺は両手を挙げる。彼女たちの担任は固唾を呑んでいたが、山田先生はニヤニヤしながら俺を見ていた。

そんな先生方を無視して、俺は丁度いい高さにある二人の頭に手を置いた。

 

「――!?」

 

「……っ!!」

 

そして、頭を優しく撫でる。二人の髪は柔らかく、さらさらしていた。思わず癖になりそうなほどだった。

 

「大丈夫だ。怒ってない」

 

ひとしきり二人の頭を堪能した俺はそっと手を離す。それと同時に二人は顔を上げる。その顔は涙を滲ませて堪えていた。

 

「でも、私たちのせいで……先輩は……」

 

「凛も、何も悪くないのに……先輩を……蹴っちゃって……」

 

「いい。今回は色々偶然と勘違いが重なっただけ。だから、こうして謝りに来たんだろ。俺はそれで十分だ。だから気にしないでくれ」

 

泣かせないように言ったのだけれど、二人の涙腺は崩壊していた。

 

「すみません、先輩、ごめんなさい……!!」

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

 

「いいんだ。俺は許してるから、後は二人が自分を許すようにしろ」

 

子供をあやすように、もう一度二人の頭にぽん、と手を置いてゆっくり撫でてやる。

二人が泣き止んだのはそれからしばらく後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、しばらく先生たちと話をした後、先生方の計らいで俺は小泉さんと星空さんと一緒に肩を並べて帰ることになった。

 

「桜坂先輩は嫌いな食べ物はないんですか?」

 

「これといったものはない……ああ、でも紫蘇だけはあまり口にしたくない。あの風味が苦手だ」

 

「へぇ、以外だにゃ~。じゃあ、反対に好きなものは何なのにゃ?」

 

「好き、というわけじゃないが、家だとよく煎餅を食べる」

 

「あれかにゃ? あの、縁側に座ってお茶を飲みながら煎餅食べてゆっくりしている、みたいな?」

 

「基本的にそんな感じだ」

 

「な、なんだか、お爺さんみたいですね」

 

「ん、まあそうなんだろうな。一人暮らしだから、時間を持て余すといつも本を読むか縁側でゆっくりしていることが多い」

 

「ええっ? 桜坂先輩、一人で暮らしているんですか?」

 

最初こそはお互いに緊張やさっきの空気を引き摺っていたのだが、時間が経つほど、それなりに会話が弾んだ。今では軽い身の上話をするほど、打ち解けられたような気がする。

 

「ああ、家庭の事情で。中学の頃から親とは別に暮らしてる」

 

「あっ……えっと……」

 

「気にしなくていい。仕方のないことだし、俺も割り切ってる。それに事情と言っても仕事の都合だから」

 

それでも時々、話が深くなって二人が気まずくなることもあるが、俺が話しているだけなのでフォローをする。

全部が本当のことではない。時折嘘も混ぜている。二人にはちょっとした罪悪感はあるが、正直に話すわけにもいかない。

 

「寂しくはないんですか?」

 

もし自分が同じ立場だったら、と想像したのか小泉さんは心配そうに問いかけてくる。

 

「寂しいとは思わない。時々家が広いと思ったことはあったけど、ただそれだけだ」

 

「そう、ですか」

 

小泉さんは複雑そうな顔をする。本当に気にしていないのだけど、聞いてしまった相手はそうもいかない見たいだ。

こういう表情をされるのは苦手だ。哀れみや同情ではないだけまだマシだが、気を使われるのは疲れてしまう。

 

「それより、小泉さんや星空さんは随分と仲がいいけど長い付き合いなのか?」

 

「そ、そうにゃ! 凛とかよちんは家が近くで小さい頃から一緒だったのにゃ」

 

露骨な話題逸らしに乗ってきてくれる星空さん。

内心助かったと思いながら彼女たちと帰路を共にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は放課後、もう一度音楽室に足を運んでいた。

ピアノの鍵盤の蓋を開け、ピーン、と一つ音を鳴らす。綺麗な音色が響く中、頭に浮かんだのは昼に出会ったあの先輩。

 

「そういえば、名前聞いてなかったわね……」

 

一方的に私が名乗っただけで、先輩の事を聞くのをすっかり忘れていた。

 

――いや、忘れていたわけじゃなかった。訊くに訊けなかっただけだ。あの光景を目の当たりにして。

 

「先輩、なんでもないって言っていたけれど」

 

先天性の心臓病でも、痛みを紛らわせるために自分を傷つけるほどの発作は聞いたことがない。もちろん後天性でもだ。

私の知識量はパパの半分以下もない、まだ高校入ったばかりの私が先輩の診断ができると思うほど思い上がってはいないし、そこまでの勉強もできていない。

 

――だが、知ろうとする努力はできる。

 

「今度パパに――って、あれ……」

 

荷物をまとめて立ち上がる私の目に、一つの紙切れが見えた。拾い上げると、小さな血痕が紙を染めていた。

 

「これ……」

 

あの先輩が持っていた紙だ。握り締められてぐしゃぐしゃになっているが間違いない。

開いてみると、そこに書かれていたのは歌詞だった。そこで、彼の本来の目的が作曲のお願いだったのだと思い出す。

 

「……」

 

私は書かれた歌詞に目を通す。

 

「いい詞ね……」

 

学生が書いたとは思えない。これから走り始める、ゴールの見えない暗闇を切り開いて前に進んでいくような、始まりを感じさせるような詩。

私は帰ろうとしていた足を止め、再びピアノの前に座る。そして、

 

「――♪」

 

頭に思いついたまま、詞に沿って弾き語る。

途中で止まることはない。不思議と次々フレーズが思い浮かぶ。まるで元々あったかのように。

 

――楽しい

 

私はいま、楽しく思っている。こうしてピアノを弾いて歌うことに、こうして、音楽に関わっていることに――

 

「――っ!!」

 

それに気づいた私は身体に力が入った。最後に置いた全ての指が鍵盤に食い込み、汚い音が鳴り響く。

 

「私……いま、何を……」

 

とっくに諦めていた。諦めていたつもりだった。なのに、それなのに――

 

「違う、私はちゃんと……しっかり断ち切ったはずよ……」

 

音楽に未練なんかない、進む道を決めたのだから。

言い聞かせるように呟く。私は言いようのない感覚に襲われた。

 

「……帰ろ」

 

重たい腰を上げて鞄に手を伸ばした瞬間、ドアの向こうから音が聞こえた。

一瞬見えた人の陰が誰のものなのか私にはすぐにわかった。そもそもこの時間に音楽室に来る人なんて私に用がある人以外誰もいないのだ。

 

「隠れても遅いわよ、高坂先輩」

 

「あはははは……ごめんね……」

 

バツが悪そうに入ってきた高坂先輩に私はため息をつく。

 

「ん? なんか疲れてる? 西木野さん」

 

思っていたより顔に出ていたのか私を見た高坂先輩はそんなことを言う。

 

「別に、疲れてなんか……それより、なんのようですか?」

 

「いやあ、やっぱりもう一度だけお願いしようと思って」

 

「しつこいですね」

 

嫌味をこめて言ったはずなのに高坂先輩はそうなんだよね、と笑っている。能天気な彼女に私はまたため息をついてしまう。

 

「私、ああいう曲聴かないから。聞くのはジャズとかクラシックとか」

 

「でも、まったく知らないわけじゃないよね?」

 

「は?」

 

「いや、だってさっき西木野さん、楽しそうに歌ってたでしょ? あれもオリジナル?」

 

「見ていたの!?」

 

私は明らかに動揺してしまった。よりにもよってこの先輩に見られていたなんて、穴があったら入りたい気分だ。

 

「あ、あれは周りがしつこく押してくるからどんなものか試してみただけで」

 

口から出るのは明らかな嘘。恥ずかしい自分を守る嘘で私は心を落ち着ける。

 

「そっか、それでどうだった?」

 

普通なら誰でもわかる嘘を高坂先輩は疑うことなく信じ込んだ。

 

「やっぱり私には合わないわ」

 

「へぇ~、どうして?」

 

「軽いからよ。なんか薄っぺらくて、遊んでいるみたいで……」

 

これは本心だ。周りの人たちがよく話題にするポップスの良さが私にはわからない。これで諦めてくれたらいいのだけれど、

 

「そうだよね!」

 

高坂先輩は私の否定を肯定した。

 

「私も思ってたんだよね。なんかこう、お祭りみたいにパァーっと盛り上がって、楽しく歌っていればいいのかなって」

 

「私が見てる限りそういう風に思います。だから――」

 

「でもっ……でもね? それって結構大変なことなの」

 

実感の込められた言葉。それに対してやったことのない私には返す言葉がなかった。

 

「ねえ、腕立て伏せできる?」

 

「な、なんでそんなこと」

 

「ん~? できないんだぁ~」

 

挑発する高坂先輩。普段なら歯牙にもかけないはずだけど、先輩の顔に腹が立った。

 

「できますよ、そのくらい!!」

 

挑発に乗ってしまった私は、ブレザーを脱いで床に手をついて足をピンと伸ばす。

 

「ほら、1、2、3……これでいいんでしょう!?」

 

半ばやけくそ気味に腕立て伏せを続ける。

 

「おお~! 私よりできてる!!」

 

感心している高坂先輩に私は余裕を見せる。

 

「当たり前よ、これでも私は――」

 

「じゃあ、そのまま笑顔でできる?」

 

すると、先輩は追加の指示を出してきた。

高坂先輩に(うなが)されるまま私は笑顔を作って腕立て伏せをしようとする。

 

「うっ――ううぅ…………」

 

が、いいようにできなかった。笑顔を意識すると腕立てがおろそかになり、腕立てを意識すると顔がおろそかになる。

 

「ね? アイドルって大変でしょ?」

 

「な、何の話よ!?」

 

思わず言ってしまったが、彼女が言いたいことはわかった。わかってしまった。

 

「はいこれ、歌詞」

 

「――っ、だから私は――」

 

「読むだけならいいでしょ? 今度聞きにくるから、そのとき駄目って言われたら諦めるよ」

 

手を伸ばして私に差し出してくる一つの紙。それは間違いなくさっき見たものと同じ内容だろう。

 

「……答えが変わることはないと思いますけど」

 

私はそういいながら、紙を受け取る。

 

「だったらそれでもいい。そのときはまた西木野さんの歌を聞かせてよ。私、西木野さんの歌とピアノに感動したから。だから西木野さんに作曲してもらいたいって思ったんだ」

 

それじゃあね、と高坂先輩は教室から出て行こうとする。出口まで行くと先輩はピタリと足を止め、私に振り向いた。

 

「そうだ! 私たち、毎日朝と夕方に神田明神の階段で練習してるから、よかったら遊びに来てよ」

 

そして今度こそ先輩は出て行った。

 

「はぁ、なんかドッと疲れたわ……」

 

先輩の足が遠くなったところで私は大きく息を吐いた。

私は高坂先輩から受け取った紙と、男子の先輩が落としていった紙を見比べる。

紙に書かれた内容は一緒でも一方は女の子らしい文字、一方は書道をやっているかのような達筆だった。

 

「高坂先輩は先輩が来たことは知らないでしょうね」

 

もし知っていたなら高坂先輩は来なかったはず。

本当に不思議な人たちだ。高坂先輩もあの先輩も。勝手なのか尊重しているのかわからない。

私は荷物を持って学校を出る。

高坂先輩から受け取った一つの紙――それが私なりの答えだったというのに気づくのはもう少し後のことだった。

 

 

 

 

 







いかがでしたでしょうか? 
一万文字以上超えたのは久しぶりかもしれません。

ではまた次回にお会いしましょう!

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