"愛してる"の想いを 作:燕尾
20話目です。
私はそわそわしながら、居間でずっと待っていた。
時刻は夜の八時手前。特別な仕事がない限り、そろそろ仕事を終えて帰ってくる時間。
いつもなら、夕飯の下準備をして、あとは仕上げをするところまでの準備を終えている時間なのだが、今日は聞かなければいけないことがあるため、夕食はもう作り終えてしまっていた。冷めたときはレンジで温め直せばいい。
「お母さん、まだかな……」
待っている時間が長く感じる。いつもなら夕食の準備の途中で帰ってくることが多いから、もう帰ってきた、と思うのだが、こうも手持ち無沙汰だとこんなに待ち遠しく思ってしまうのか。
「――っ、帰ってきた!!」
外から家の車庫から車の音が聞こえてくる。私は、エプロンをはずして玄関へと向かう。
「ただいま――ふぅ、今日も疲れたわ……」
サラリーマンのような言い方はスルーして、私はお母さんへと詰め寄った。
「お母さん!」
「わっ――こ、ことり? どうしたのよ、そんな怖い顔して」
「どうしたもこうしたもないよっ! どういうことなのっ!?」
一瞬だけ何のことなのかわからないというようなお母さんだったが、すぐに得心したようだった。
「そう、聞いたのね。どういうことって言われてもそのままの意味よ」
「だから、どうして春人くんを停学にしたの!?」
「とりあえず着替えてからでいいかしら。家でいつまでもこの格好したくないわ。ちゃんと話はするから」
たしかに玄関では碌に話せないし、お母さんも仕事で疲れているだろう。
「……うん、今のうちにご飯の準備しておくね」
言葉とは裏腹に私は不満そうな顔をしていたのか、お母さんが苦笑いして部屋に行った。
その間に私は料理を温めなおす。
すべて温め終わると同じくらいに、お母さんがリビングへと戻ってきた。
「お待たせ」
「うん、こっちも丁度準備ができたところだよ」
「ありがとう」
そういいながらお母さんは冷蔵庫から缶を一つ取り出す。それを見た私はあれ、と意外に思った。
「珍しいね、お母さんがビールを飲むなんて」
「ええ。たまには、ね……それに少しお酒の力を頼ろうかと思うの」
それじゃあいただきましょうか、と座って手を合わせるお母さんに、私も同じように席につく。
「「いただきます」」
私たちはとりあえずお箸を伸ばす。いつもなら間に会話があるのだが、今日は黙々と食べ進めていた。
「んくっ、んくっ――はあ……うん。ご飯美味しいわ、ことり」
「うん、ありがと……」
言葉を交わしてもどこか素っ気ないようなものだった。いつ話してくれるのかを待っている私がどうしてもおざなりに返事をしてしまうのだ。
それに耐えかねたのか、お母さんが一つ溜息をはいた。
「それで――春人くんのことだったわよね」
お母さんは目を細めて缶を
「どうして停学にしたかって話だったわよね――正直に言うと学院としての体裁のためよ」
「えっ……」
お母さんの言っている意味がわからない。春人くんは悪いことしていないのに、そんな勝手な都合で、処分を与えるというのか。
「学院側は常に公平じゃないといけないの。どちらか一方を悪いと決め付けるのは公平性に欠けるし、学院としてやってはいけないのよ」
そういって料理を口に運ぶお母さん。代わって、私は箸が止まっていた。
「そんなことのために、春人くんを停学にしたっていうの……」
「そんなことでも大切なことなのよ」
もう、我慢の限界だった――
「ふざけないでっ!!」
私は机を叩いて立ち上がっていた。
「春人くんは悪いことしていないんだよ!? ちゃんと事情だって話したし、証拠だってだしたでしょ!?」
「ええ、話は山田先生から聞いたし提出された動画も確認したわ」
「だったら――」
「だけど、桜坂くんも手を出した、そこが処分すべき場所になったのよ」
「そうしないと春人くんが危ないからだよ。下手したらもっとエスカレートしていたかもしれなかったから!」
「それでも桜坂くんは"被害者"で居るべきだった」
お母さんは何を言っているのだろうか? 被害者で居るべきだった?
「そんなのおかしいよ、春人くんは立派な"被害者"だったんだよ!」
「ならことり、男子生徒の三人の倒れた原因わかるかしら?」
突然のお母さんの質問に私は詰まる。私もきちんと現場や動画を見ていたわけじゃないから答えられない。ただ、春人くんが反撃しただけだという認識だった。
「それは、
脳震盪……言葉は聞いたことある。簡単な意味しかわからないけど、たしか脳が揺さぶられて動けなくなったり、気を失ったりすること――だったはず。
「大体はあっているわ。でもその知識が先行しているせいでよく軽く見られがちなのよ。脳震盪は一歩間違えれば身体障害とかの後遺症が起こりかねないの」
「そこまでは知らなかったけど、それって余程のことがない限り起こることないんじゃ――」
「でもそうなってもおかしくないことを桜坂くんはしたのよ」
「でも、それは……相手の自業自得だよ」
彼らが春人くんに暴力を振るわなかったら起こるはずのなかったことだ。自分の身を守るのが悪いことなら、一体何が正しいというのか。
「そうね、私もそこは否定しないわ。だけどさっきも言ったとおり、桜坂くんも非難されてしまうところを作ってしまったのよ」
もっと上手くやれたのではないか、逃げるとか、他にも方法があったのではないか、とそういっているのだ。
私はそれ以上何もいえなかった。言葉を紡ごうにも目の前の"
私が諦めてしまったのを感じ取ったのか、お母さんはふう、と息を吐いた。
「もちろんことりの言う通り、元凶は先に手を出した生徒たちだからこそ、桜坂くんを最低限の処分にしたのよ」
「えっ? それって……」
「それで全部丸く収まるのよ。一生徒を贔屓しないっていうのを親たちにもわからせるために。だから言ったでしょう――」
――学院の体裁のためだって
お母さんは悪い笑みを浮かべて再びビールに手を伸ばす。その真意を測りかねて、怒りが霧散していく。
「……ちなみに、先に春人くんに手を上げた人たちの処分はどうしたの?」
「取りあえずは二週間の停学ね。全員の親御さんを呼んで動画を見せて、事情と原因を告げたわ。そのときにヒスを起こした親や生徒もいるのだけれど、自分の非を認めさせるまで懇切丁寧に一からじっくりとお話して問いかけてあげたわ、ふふ、うふふ……」
一応聞いてみたのだが、お母さんは捲し立てるようにスラスラといいあげて、不気味に笑う。その様子が簡単に思い浮かんで怖くなった私はそうなんだ、としかいえなかった。
どうやら、お母さんもよほど腹に据えかねているらしい。
「まあ、桜坂くんには悪いと思っているわ。こっちの都合で二日間家で休ませてしまうのだもの。でも仕方のないことなのよ、これは"公平に判断した結果"だから。とりあえずはしっかり休んでほしいものだわ」
「お母さん……」
柔らかな顔をしてわざとらしく言うお母さんに、私も顔が緩む。
「あと明日は臨時で全校集会を開くことになっているから。今回のことは噂に尾ひれが付きすぎて起こったことだし、一度大々的に説明して、釘を指しておかないとね」
インパクトが大きければ、それだけ真実味が出てくる。いや、真実なのだけども。
それでも疑っている人に余地を与えることはなくなるだろう。
「それにしても驚いたわ」
いろいろ考えていたときに、お母さんが意外を口にした。よくわからない私は、何が、と聞き返す。
「桜坂くんのためにここまでことりが必死になっていたことよ」
「――っ!!」
お母さんの指摘に私は顔が真っ赤になる。それを見たお母さんはますます調子付く。
「うちの娘にもようやく春がやってきたのかしら」
「そ、そんなんじゃないよっ!?」
「いいのよ。お母さん、応援してるから」
「だから違うんだってば~~!!」
恥ずかしさを誤魔化すために叫んだ声が家中に響く。
でも心の中では素直に喜んでもいいのかな?
私はようやく一連の騒動に終止符が打たれたのだと、そう思うのだった――
が、
「どう考えてもおかしいよ!! 海未ちゃんもことりちゃんもそう思うでしょ!?」
「ええ、これには私も納得できません!!」
「こうなったら、直接理事長のところに話を聞きに行こう!!」
「はい!!」
「ちょっと、海未ちゃん、穂乃果ちゃん。お、落ち着いて~~~!?」
次の朝、結果だけを知っている二人を抑えるのにすごく苦労するのだった。
「……ふう。何もないとなると暇だな」
本を読み終えた俺はそれを傍らにおいて、呟く。
今日起きて朝ごはんを食べて、家事をし終えてから、かれこれ五冊ぐらいは読破していた。何かほかの事を、と探しても結局のところは本を読むことぐらいしかない。
「今日は暖かいな……」
天気もよく日差しが眩しい。まだ春ではあるが、着々と夏が近づいてきていることを感じさせるような気温だった。
だが、吹いてくる風は少し冷たかった。だが、それがまた心地よかった。俺は湯飲みに入れたお茶を啜り、庭に植えられている大きな木を見つめる。
それはずっと前からあった桜の木だった。おそらくこの家が建てられるまえから植えられていたものなのか、普通の桜の木と変わらないぐらい大きかった。
今は桜の花びらは散り、新しい緑が見えてきたところだ。なんだかんだでこうして桜を眺めていると気持ちが落ち着く。
一息入れて落ち着いたところで新しい本へと手を伸ばしたとき、ガラガラ、と家の戸が開けられる音がした。
「お邪魔するぞ。桜坂、いるか?」
出迎えるまでもなく勝手に上がりこんできたのは担任の教師。
「山田先生?」
「おう、ちゃんと――って、またお前はそこでボケーとしていたのか。相変わらず枯れているな」
山田先生は呆れたように見る。先生にはこの姿はお馴染みと化すほど何度も見られている。
「枯れているとは失礼な」
「縁側で外を見つめながらお茶を飲んでいるやつなんて、今時の若者じゃお前だけだろう」
「いいんですよ、こうしていると落ち着きますし。好きなんです。桜の木を見るのが」
「お前は爺さんか」
「まだ十六ですよ」
「その行動がすでに爺さんだろう。まったく……桜も散っているのに見ているのが好きだなんて物好きもお前だけだろうな」
そういいながら勝手に湯飲みを持ってきてお茶を注ぎ、俺の隣に座って静かに飲み始める先生。
「理事長からの伝言と侘びの品だ。こちらの都合ですまなかった、と」
手に持っていた紙袋をそのまま差し出してくる。俺は素直に受け取った。
「いえ、体を休めるにはいい機会だと思っていましたから。気にしないでください」
「そう言ってもらえるとこちらも助かる。桜坂には非がないというのに処分を与えるなんてことをしてしまったのだから罪悪感もあるのだよ。それに――高坂や園田を止めるのが大変だった」
「ああ……」
俺は先生の心中を察する。連絡を取った俺ですら宥めるのに苦労したのだから実際に対面していた先生はもっと大変だっただろう。
「お疲れ様です」
「まあ、家で理事長から話を聞いていた南がいてくれたからまだ何とかなったよ。あいつが高坂や園田の方だったらもっと大変だった」
「本当に、迷惑をかけました」
「いいんだ、そこに関してはあいつらの方が正しいからな。そうやって噛み付いてくるほどお前のことが大事だったんだろう」
「……」
「ん、なんだ桜坂。照れているのか?」
先生は俺の顔を見て意地の悪い表情をした。無言で顔をそらす俺に小さく笑う先生。
「最近はお前のいろいろな表情を見れて面白い」
「先生は意地が悪い」
「よく言われているよ」
俺の言葉は先生には通用しなかった。
「……それより、あのあとはどうなったんですか?」
「露骨に話をそらしたな」
「いいから教えてください」
やれやれ、という顔をする先生に少しいらっとする。だが、ここでさらに噛み付いても仕方がないので抑える。
「とりあえず臨時集会をした」
先生から聞いたのは想像もしていないことだった。まさかそこまで大事にするとは思わなかったからだ。
「私たち教師もそこまでするとは思わなかったよ。ただ、今回は噂も広がりすぎたり、停学騒ぎにもなったりしたからな。釘を刺すという意味でもいい機会だと思ってな」
「納得です。あの生徒たちの処分は?」
「とりあえず停学二週間に反省文と課題。反省文と課題を出さなかったら退学処分にするという脅しつきだ」
それは随分と重たい処罰だ。学生同士の喧嘩にしはやりすぎなのではないだろうか。しかも随分と偏りがある。俺は課題や反省文など課されていないのだ。
「本来はお前が被害届を出せば傷害事件として扱われるものだ。やり過ぎということはない――というか、桜坂……お前あいつらの心配しているのか?」
「また、顔に出ていたのか……いえ、あの生徒たちはどうでもいいんですよ。ただ、学院側にクレーム来ませんでしたか?」
「まあな。処罰の対象の生徒の親たちが生徒を引き連れて押し寄せてきたよ」
そうだろうな。いきなりではないものの自分の子供の話しか知らない親からすればどうしてだと思うだろう。
「だが理事長は小泉が撮影した動画を見せて、噂の真実をぶつけてあいつらの言い分を一から全部否定して逆に叱りつけていたよ。当事者たちじゃなかったお前たちがどうして偉そうに制裁だの口にするんだ……ってな。それを聞いて生徒も親もみんな黙ったよ」
「それは……言葉も出せないでしょうね」
理事長――ことりの母親も出させないつもりでことに及んだのだろう。
「とりあえずは、一段落したと考えていいんですね」
「ああ。臨時集会でも次にこんなことがあったら理由関係なく然るべき所に突き出すとも脅しておいたからな」
「それは学院としてやってはいけないと思いますけど」
「脅しにはやりすぎ程度が丁度いいんだよ」
わからなくはない。高校生という年頃はまだ子供といえるだろう。基本警察に恐怖を感じる。仮に、恐怖を感じないでいきがって行動を起こしたやつはそれこそお世話になるだろう。
「大人しくしていればそれで良し、嘘だと思った人間から先に潰れていく。そういうことですか、怖いですね。大人のすることは」
「それを理解している時点で君も十分大人だよ」
先生はお茶を一気に喉に通し、立ち上がる。
「さて、そろそろお暇する。桜坂、一応停学で扱われているからあまりぶらつくなよ」
「わかってますよ」
「ただ、お前も一人暮らしだから食材の調達とかもあるだろうし、たまには外食したりもしたくなるだろう。そのついでに神社とかで道草食って何かをしていたとしても学院側は関与できないから気をつけるように」
「好きにしていいという風に聞こえたのは気のせいですか?」
「その判断は任せるさ。考えられないお前じゃないだろう?」
俺の溜息が声とともに出る。最初から注意するつもりないくせによく言ったものだ。しかもご丁寧に今日の練習場所を告げていくとは。
じゃあな、と学院へと戻っていく先生に俺は頭を下げた。
「さて、行くか……」
そして、俺は上着に袖を通して外へと出て行くのだった。これは買い物なのだといない誰かに言い訳をして――
いかがでしたでしょうか。別作品も投稿しているので興味があればそちらも読んでみてください。
ではまた次回に。