男の鼓膜を独特な着信音が振るわした。リンクシェルの着信音だ。この音にあまり良い思い出はないが、今回ばかりはそうではないはずだ。
これに連絡できるのは一人しかいない。どうやらようやく、“その時”が来たようだ。
『しばらく見ないうちに、随分と賑やかになっていますね。お友達ですか?』
憎たらしい少年の声に電子音が混じったような奇妙な声が聞こえた。もう随分と聞き慣れたが、紛うことなき男の相棒の声である。
しかし、待ちに待った連絡の第一声がこんなものでは、正直気が抜けるというものだ。
「……ルームメイトだ」
努めて冷静にそう通信に答える。
初めて会った時は大人しく礼儀正しい奴だと思っていたが、何時の間にこんな馴れ馴れしく生意気な奴になったのか。
元々そう言った気質だったのか、色々あって吹っ切れたのか、もしくはただ単に舐められているだけなのか。どちらにせよ、前の世界でこいつの相手をしていた“ヤツ”はさぞかし苦労したことだろう。
「随分と遅かったな、首尾はどうだ?」
気を取り直して、男は通信相手に聞いた。
『上々です。システムに侵入するのに少し手間取りましたが、問題ありません。現在、データーのダウンロードとデリート中です。セキュリティーの掌握は既に完了済み。あなたの事もここからよく見えていますよ。何時でも行けます』
それはなりよりな朗報だ。こんな薄暗い牢獄にぶち込まれた甲斐があったというものである。
「なら、さっさとここから出るぞ」
当然であるが、男は好き好んでここに閉じ込められている訳ではない。やるべきことをやるために、ここにいるのだ。いくら高級ホテルと相違ないと言っても、牢獄は牢獄だ。いつまでも長居したい場所では無かった。
準備が整ったというのであれば、さっさとこんな辛気臭い場所からおさらばするべきだ。
『“例の場所”は地下4階です。詳細は……これでよし! 今、あなたの地図にアップロードしました。確認してみて下さい』
「了解……確認した。
更新された地図を確認しながら男は答える。その顔には余裕の笑みが浮かんでいた。
『帝国の施設は何処に行ってもセキュリティーがガバガバですからね。どんなに革新的なシステムでも、そればかりに頼るのは柔軟性に欠けるといういい例です』
通信先の人物がそう高閲を述べるが、帝国のセキュリティーシステムはむしろ盤石であり、脆弱などでは勿論なかった。今回のケースの方が特例中の特例であるのだ。言ってしまえば「相手が悪い」のである。
「お前が“ソレ”に憑依したのは運が良かったな」
『そのせいで一度、あなたに殺されかけましたけどね』
そんな皮肉を通信相手が言ってくる。
誤解であったとはいえ、その見た目のせいで出会い頭に戦闘となり、手違いで殺されそうになったのだから、その言葉もやむなしであろう。
しかしながら、結果的には幸運であったのは確かであった。その肉体が無ければ、ここまで簡単にことを進めることは叶わなかったはずだ。
『しかし、相変わらずトラブルが絶えないお人ですね。彼らも運が良いんだか、悪いんだか……』
「うるさい、お前も似たようなものだろう」
呆れた物言いの通信相手に対し、男はそう反論した。別に好きでこんなトラブル体質になった訳ではない。それに、境遇的に言えば、通信相手も大した違いはないはずだ。
『いえ、僕はあなたほどお人好しではなかったですよ。まあ、その結果どうなったかは、お察しなんですがね……で、どうするんですか?』
「……ここから出す」
苦虫を噛みつぶしたような渋い表情で、男は言った。
その口調から不本意であるというのがありありと見て取れるが、内心のところどうであるのかは分からなかった。
どちらにせよ、男がここを出ると言うのであれば、必然的に彼らの脱出に手を貸すことになる。まさか、わざわざ別の部屋に彼らをぶち込む訳にもいくまいし、嫌でもそうなるだろう。
『ほら、実にお人好しです』
きっと通信先の人物は、今頃「思っていた通り」と微笑んでいることだろう。
「言っておくが……」
『はいはい、この出会いにも何か意味があるのかも知れませんからね。僕たちにとってそれは、重要な事ですし、流石にこのまま見捨てる訳にもいきません』
「……そう言うことだ」
男はチラリと目線を動かし、先ほどからとてもじゃないが建設的とは思えない議論に華を咲かせている男女の方を見た。
運命や宿命なんてものは信じてはいないが、こうして現れた彼らには何かあるのかもしれない。根拠なんてものは無いただの直感であるが、今までそういった直感に何度も助けられてきたのだ。
今回も、その
「だが、手を貸すのは最初だけだ」
『あとは彼ら次第……ということですね。まあ、強要するものでも無いですし、何よりも大切なのは、彼らの『意志』ですから……』
男たちにとって、その言葉はとても重要な意味を持っていた。
誰かに強要され、決定づけられ、宿命づけられるのではなく。大事なのは、自分自身の『意志』で行動できるかどうかなのだ。結果的にそれが運命であったと言われようとも、だ。
「兎に角、一度ここを出るぞ。あとは打ち合わせ通りだ。コイツらは……おまえに任せた」
面倒ごとは丸投げして男はそう言った。年代的にも近いはずだし問題ないはずだ。まあ、見た目的には問題はあるかもしれないが。
『えぇ!? そんな!?』
通信器から抗議の声が聞こえたが、それが最良の選択でもあった。男と共に行動すると、必然的に“アレ”を見ることになってしまう。
「じゃあ、コイツらに“アレ”を見せるのか?」
躊躇わず男が言い返す。
『それは……』
言い淀む通信主。まだ何も知らない彼らに、いきなり“アレ”を見せるのは確かに早計であると言えた。彼らにはそれ程の知識も覚悟もないのだから。
『……分かりました、任せて下さい』
渋々といった調子で通信相手が答えた。とはいえ面倒見が良い通信主のことだ、本心から嫌がっているということではないだろう。だからこそ、男も彼らを任せようとしているのだ。
「あぁ、任せたぞ」
そう言って男は通信を終えた。
さぁ、ここからは男の仕事だ。
己の中に眠る原初の魂が震えるのを感じる。戦いの始まりを予感し、精神が高揚していく。
燃え上がる魂の鼓動を完璧に制御しながら、男は未だに議論の決着が見えない男女をうかがった。
「そうだ! 君が服を脱いで敵を誘惑するってのはどうだ?」
「馬鹿言わないでよ!!」
馬鹿な議論に花を咲かせているその二人に、男は何処か懐かしさを感じた。
男がまだ駆け出しであったころ、出会ったばかりの“アイツ”とあんな風に馬鹿みたいな話をした気がする。
あの時はまるで世間のことなど知らない若造だったが、気付けばこうして世界の命運を賭けて戦う戦士となっていたのだ。もしかしたら、この二人も……。
とにかく、ここから出ない限り、話は始まらないだろう。暗い闇の中から、眩しい光へと飛び立つのだ。
新たな冒険が始まる予感をひしひしと感じ、笑みを浮かべると、男は彼らに向かって声をかけた。
「建設的な議論はすんだのか?」
*
牢獄から外に出ると、辺りはシンと静まり返っていた。
あれだけの轟音が鳴り、牢が破られ、囚人が逃亡したにも関わらずに、だ。
異変を察知した魔導兵や帝国兵が様子を見に来るどころか、警報すら鳴り響かない。不気味なまでに静寂に包まれていた。
明らかに異常事態であるが、僕たちにとってそれは好都合以外の何物でもなかった。
「あんたが何かしたのか?」
つい、僕は疑問を溢す。
「さて、どうだろうな」
目ざとく聞き取った男がそう答えるが、僕はこの男が原因であると半ば確信していた。
一体どんな
「聞きたいことは色々あるけれど、ともかくここから逃げましょう。何時までもこのまま、という訳にはいかないでしょうから」
困惑する僕に、彼女がそう急かしてくる。彼女こそ聞きたいことが山ほどありそうだが、それを押し殺しての発言であろう。
確かに悠長にしている暇はない。依然として敵地にいることには変わりはないのだ。
だが、何処に逃げればいいというのだろうか。僕たちはこの施設の構造を良く把握していない。飛空艇からここに至るまでの道順は覚えているが、まさかあそこに逃げ込む訳にもいかないだろう。
それは彼女も同じのようで、逃げようと言ったはいいが足は動かない様子だ。
「ここは地下一階だ。この場所から向こうに真っ直ぐ移動して階段を一つ上に行けば、駐車場に出る」
男がそう言うと、僕たちから向かって右側の通路の先を指さした。僅かな照明に照らされた通路の最奥に、微かに階段が見える。
男が続ける。
「車のロックは全て外れているはずだ。おまえたちは好きなのを選んで脱出しろ。車の運転は……できるな?」
そこまでは面倒見切れないぞとでも言いたいように、男が僕に向かって言ってきた。彼女の方に言わなかったのは雰囲気的に僕の方が運転できそうであったからか、違う理由からか。確かに車両の運転は出来るが、何から何まで用意周到すぎて、逆に恐ろしくなってくる。
男の質問に、僕は「ああ」としか呟くことができなかった。
「ちょっと、じゃあ、あなたはどうするの?」
彼女が慌てた様子で質問する。そうだ、男の口ぶりはまるで「僕たちだけで脱出しろ」と言っているようなものだ。これほどまでに完璧に準備をしてて、牢獄を破壊しただけでハイ、さようならとはいかないのだろう。何か目的があるに違いない。
「悪いが別行動だ。
突き放すように冷たい口調で男が言う。
実際、突き放しているのだろう。あの頑丈な鉄格子を一撃で破壊するような男が、これ程までに準備を重ねてまで実行する『仕事』だ。きっと並大抵のものじゃないだろう。
無関係な僕たちはさっさと退くべきなのかもしれない。
「助けられた上に、武器を与えられて、その上このままおめおめと逃げ出せですって? 私はそんなに恩知らずな女じゃない!! 手伝うわ!!」
しかし、どうやら彼女は違う意見だったらしい。
断固たる決意で堂々と啖呵を切ってみせる。とはいえ、これまでのことを考えると明らかに僕たちでは……。
「おまえたち程度じゃ足手纏いだ、って言っているのが分からないのか?」
心底迷惑そうな様子で男が言う。
そう、明らかに僕たちは足手纏いだ。魔法も使えない、戦闘で役に立つかも分からない僕たちがついて行っても、正直邪魔になるだけだろう。そんなこと彼女も百も承知のはずだ。
しかし、それを分かっていながらも彼女は言い返そうと一歩踏み出す。
「止めておけ。生半可な覚悟と実力じゃ死ぬだけだ。牢から出した。武器も与えた。これ以上、あんたの欺瞞や信条に付き合う義理はないね、
「お姫様ってッ!!」
お姫様という言葉に、過剰に反応を示す彼女。感情にながされるまま、電光石火の如く彼女が動いた。
手に持つレイピアが閃光の様に煌めく。一瞬で距離をつめ、男の喉元に剣先を突き立てる。
「言わないでちょうだいッッッ!!」
激昂し、そう叫ぶ彼女。荒々しく呼吸を乱している。明らかに興奮していた。
反対に男の方は全くもって余裕そうだ。レイピアの切っ先を突き立てられているのにも関わらずに、だ。
「生半可な覚悟なんかじゃない!! 実力は伴ってないかもしれないけれど、何もしないでいるのは、もう嫌なの!!」
必死の形相で言うそれは、男に向けられた言葉ではなく、ここにはいない他の誰かに向けられた言葉の様に感じた。
まるで男を通して、自分自身の思いをその人に訴えるかのように。
「中途半端な覚悟じゃ死ぬだけだぞ?」
「分かっているわ」
「『分かっている』なんて言葉、気安く言うな。あんたがここから進もうとしている道は、あんたが想像している以上に過酷な道だ。進むからには後悔も、途中下車もできないぞ?」
念を押して男が問いかける。
「上等よ」
売り言葉に買い言葉で彼女がそう答えた。
決意の籠もったアメジストの瞳と、鋭く睨み返すブルーの瞳が交差する。
「……なら好きにしろ」
「ええ、好きにするわ」
そう言って男がやれやれといった表情をすると、彼女は笑みを浮かべレイピアを引いた。
彼女の意志に、男が根負けした形だ。
「それで、おまえの方はどうするんだ?」
今度は僕に向かって男が聞いてきた。彼女を説得する時に比べ棘がないのは、気のせいだろうか?
この雰囲気の中で「やっぱ帰ります」と言うのは中々に胆力ある人間だろう。生憎であるが僕にそこまでの胆力はない。
それに正直なところ、男の企みに興味があったのも本音である。
非力っぽい彼女を護衛するために脱出することを優先に考えていたが、どうやらその必要も無さそうだし、このまま逃げ出す理由は一つもない。
「僕も──」
「言っておくが」
返事をしようとした矢先、男が言葉を重ねて言ってくる。
「変な責任感なんか感じるなよ? 生半可な気持ちなら、止めておけ」
男の言葉が頭の中で反芻する。
これは僕にとって人生の岐路になるかもしれない選択だ。不思議とそう確信できた。
このまま逃げ出した先に何があるだろうか?
「王の剣」の仲間はきっともう僕を諦めているだろう。帝国領内で王国民が生き残る可能性は限りなく低い。待っているのは「死」だけだ。
反対に、男と共に突き進んだらどうなるのだろうか?
それは全く分からない。正に「未知」の世界だ。それはまるで子供の頃、友人たちと線路沿いを探検したあの時のような感覚だった。なんだか、胸が高鳴ってくる気持ちだ。
「未知」か「死」か、選ぶべき道はどちらだろう。
「『途中下車はできない』だろ? 分かっている。乗り掛かった船だ。この際、僕も最後までとことん付き合うよ」
きっと答えなんて最初から決まっていたのだ。何もかも失った先で唯一、何かを与えてくれたのはこの男だけだったのだから。
まあ、狐型の双剣ってのがちょっとアレだが。彼女と同様に恩を仇で返すわけにはいかない。
「……後悔はするなよ」
嬉しいような悲しいような呆れたような、そんな複雑な表情を浮かべ男が言う。
絶対に後悔なんかしないなんてことは断言できないが、少なくとも、今の僕にはその言葉は無用だった。
*
まるで無人の如く静まり返る研究所内を走り抜けていると、リンクシェルに通信があった。
『結局、こうなりましたか。こうなってしまえば計画は変更せざるを得ませんね』
「あぁ、そうだな」
後方で疾走する男女をチラリと見ると、男は再び前を向いた。
『しかし、本当に良かったんですか? 無関係な人間を巻き込んだことになりますが』
「こいつらが自分の意志で選んだ選択だ。良いも悪いもないだろうさ」
『『大事なのは光か闇かじゃない、自分自身の意志だ』でしたっけ? 確かにその通りですが、過酷ですね』
きっとこの先、彼らは想像を絶する困難に遭遇することだろう。後悔も困惑もするだろう。もしかしたら志半ばにして力尽きるかもしれない。自身の意志だからと済ませるにはあまりにも過酷であった。
「だがどっちみち、あの程度の覚悟も示せないようじゃ、この先、野垂れ死ぬだけのことだ」
『しかし、あの程度の覚悟だけで普通、世界を救う大仕事に巻き込みますか?』
少し責めるような口ぶりで通信主が言う。
根は優しく大人しい性格の通信主らしい意見だった。あの程度の覚悟を示したからといって、世界を救う重荷を背負わせて良いのかということだろう。
「むしろ、多少なりとも選択肢があっただけマシだ。俺もおまえも碌な選択肢なんて無かっただろう?」
『それは、そうですが……』
「それに、世界を救うのに、
それこそが男の持論であった。
辺境の山村出身の男でさえも、その程度の覚悟で紛いなりにも世界を救ってみせた。
その切っ掛けは実に些細な出来事ばかりで小さな因縁だったが、それが積み重なって巡り巡っていくうちに大きな因果となり、世界を救う偉業へと成就していった。
結局のところ、最初なんてそんな些細で小さな出来事から始まるのだ。
もっとも、救い過ぎても問題があるとは、その時は到底思いもしていなかったが。
『見知らぬ誰かに手を貸すのが世界を救う始まり……そのことにもう少し早く気付いていれば、僕の世界も多少はマシになっていたのかもしれませんね』
ぼそぼそと通信主が呟く。その声色は暗く沈んでいた。
「俺もおまえも、決して正しかったとは言えない。むしろ間違っていた側の人間だ。だが、だからこそ──」
『えぇ、僕たちの世界のような過ちは、もう二度と起こすわけにはいかないですからね』
これまでにない決意を籠めて、通信主は言った。
この、どこか故郷に似た雰囲気のある世界を見捨てるわけにはいかないのだ。
彼らにとってこの戦いは、言わば贖罪の戦いでもあった。
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