IS:ボンド   作:田中ジョージア州

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お待たせ
いやいや、長らくお待たせしました。
そのお詫びといってはお粗末ですが、今回は作品最長の3万375字です。
実験的という名の気分的に決めた変な設定とか文面に混乱することなく頭を空っぽにして見ることをお勧めします。


45話 銀の翼

「ーー以上が概要だ。それでは別れ!」

 

 号令とともに人波が別れる。

 世の中の十〜5、6歳でも訓練されればこの程度、そんな当たり前なくらいのスムーズさで一学年達が千冬の言葉に優秀に答える。

 IS学園が花月荘を何年も贔屓にしている理由の一つがこの理想的な立地だ。

 彼女たちが演習場として使っているこの場所は四方がドーム状の反った崖により覆われておりそしてその表面はまるでドーム球場のように滑らかに計算し尽くされた角度で真ん丸太陽を差し込ませている。

 断面からは雑草すら生えずに窪みや出っ張りの無いこの崖は間違いなく崖なのだが、その崖らしからぬ姿が見る者に崖だと認識させない。

 聞くところによればこの人工物のような綺麗な曲線はIS学園の国家予算の惰性で作られた訳ではないらしく全くの自然物なのだという。

 旅館はもとい現地では結構な有名話として民話という形で方々にて残っている。

 一夏は旅館の利用者である老婆から偶然その話を知った。

 曰くこの崖がまだただの地面だった時、そのちょっと上が海だった時の事らしい。

 

 その時は崖の穴もまだ小さな窪みだったらしくその上を何メートルかの海が浅瀬となって横たわっていた。

 やがて水位が低くなり海は窪みの中の少し大きめな水たまりになった。

 窪みを乗り越え切れない海がトカゲの尻尾切りのように自分の中の数キログラムを窪みに残したのだ。

 たかが数センチの段差だろうと抵抗があれば海は抗おうとはしない。

 大きな体の割に海とは意外と根性無しなのだ。 と老婆は何やらこちらを煽るように語気を嫌な感じにした。

 一夏を通してその向こう側の海を貶した。

 その頃には窪みの周りは天も見えないくらいの森林の緑で覆われていた。

 光も熱気も通さない涼しい環境と途轍もなく水はけの悪い土壌のお陰で窪みの中の海は蒸発することもなく何千年も残った。

 その長い間水溜りは重力に従って窪みをどんどん深く広くしていった。

 

 そんなに上手くいくものかと一夏は首を捻った。

 雨が切り立った岩を長い年月をかけて当たり丸く削るという事は知っている。

 しかしそれは速度が軽い雨粒を脅威に変えたからで水自体が乗っかっても岩が沈む様子は想像できない。

 ましてや海は根性無しだ。 直ぐに根を上げて諦めそうだった。

 その旨を伝えると老婆は笑った。

 皺くちゃが更にくちゃっとなった。

 岩もまた根性無しなのだ。 老婆はまた一夏を岩に見立てて見下した。

 そもそも老婆に言わせれば自然は全て根性無しなのだと言う。

 

「なんでですか」

 

 流石に気になった。

 老婆はまたもくちゃっとなって説明した。

 例えばお前の手に水を置く。

 お前の皮膚は水を絶対に通す事なく弾いて流す。

 これはお前の体が根性があるという事だ。

 そもそも生物とはみんな根性があるのだ。

 根性があるものに命は宿る。

 自分の体を構成してそして管理する。

 分子同士をガッチリと固定させた生物の体は水一滴が通行するために体に穴を開けたりはしない。

 だからこそ岩は自然なのだと老婆は言い同時に岩を削ったのが水だからあんな崖を作ったのだと老婆は言った。

 あの綺麗な岩肌は水が必ず平行に均等に体を伸ばす性質だからできたのだ。

 水は下だけではなく横にも体を伸ばす。

 根性無しの岩は勿論それを防いだりはせずに下にそして横に広がっていく。

 しかし流石に硬いので最初のうちは広がらない。

 あまりデカすぎると自然は鈍くなるのだと老婆は言った。

 長い年月でようやく気づき始めた岩が水の為に下に横に穴を広げていってあのドーム型の崖が完成したのだ。

 

「本当」

 

 一夏は首を傾げた。

 崖の経緯は大学のえらい教授が何十年も前に解明したらしいので事実だろうがそれにしても老婆の語り口はまるで生き字引のようで気になった。

 やはりくちゃっとなった。

 崖の下には小さな花が生えてある。

 そいつは崖がまだ岩だった頃からそこに生えているのだ。

 人は木々や草花も自然だと言うが俺に言わせればそれは間違いだ。

 自然なのに水に道を開けるどころか奴らは食っている。

 根性があるんだと老婆は言った。

 そいつは岩に穴を開けて暗闇の中で何千年もそこに居るのだ。

 そして俺はそいつから直に話を聞いた。

 生物同士はたとえ種族が違っても話が聞けるというらしい。

 くしゃっとして老婆は言った。

 お前だって根性無しより根性有りの方が良いだろう。

 花は俺のことが気に入ったので話をしてくれたのだ。

 生物でも根性無しはいる。

 長生きする奴ほど根性が太い。

 俺はもう200年も生きたから花は俺に身の上話をしてくれたのだ。

 最後に老婆は一夏の肩をバンバンと叩いてお前も根性有りになれと言った。

 もう100年くらいは生きそうなくらい痛かった。

 

「あった。」

 

 一夏は千冬に怒られないようにコッソリ花を探していて今見つけたところだった。

 千冬が知ったら恐らく「軟弱者なのか…それとも図太くなったのか…」と頭を抱えるだろう。

 白式のハイパーセンサーの感度と方向を弄って花に耳を済ます。

 姉を悲しませるわけにはいかない一夏はバレないように専用パーツの動作チェックをこなしながら片手間に出来るだけ時間を使ったが花は答えてはくれなかった。

 

「俺に根性が無いからだな。そりゃあそうだ、俺はまだ15だ。」

 

 それこそ花は何千年も生きているのだ。

 一夏など話してやるに値しないのだろう。

 花に話を聞くにはあと200年生きなければならない。

 気が遠くなる日数に一夏は急にバカらしくなった。

 取り敢えず大先輩を潰さないように気をつけながら一夏は白式の零落白夜に目を落とす。

 現在は腕だけを召喚してパワーアシストで雪片弐型を支えている。

 一般の生徒は用意されたISの機材を、そして専用機持ちは各々が今日この日のために本国から送られてきた最新装備の点検を行う。

 専用機持ちは色々と好待遇だなと一夏は思い直ぐにいや、となった。

 そもそもIS学園に入学すること自体がこういった最新技術の稼働実験をするためな所がある。

 ISは最新技術を発明しても国際法でそれを世界に公表しなければならなかった。

 不干渉が保証された無国籍なIS学園はIS所有国にとっては正にエデンだったのだ。

 そして新しいパッケージの動作確認をしていたセシリアがふと頭の右後ろ側で通話をしてきた。

 プライベート・チャネルの使い方を覚えるのには大変な苦労を積んだ。

 

「お花は喋ってくれました?」

 

 千冬にも気取られなかったのに、一夏はギョッとして納得した。

 思ってみれば態々この花を探すために結構ウロウロしていた。

 咎められなかっただけで千冬も真耶も本当は気づいていただろう。

 ただ花と会話をしようとしていたことがバレたのは驚いた。

 バスの中で中島敦を突っ込まれた時と同じ笑みをたたえてセシリアはストライク・ガンナーの点検をした。

 

「私の父も昔、鷹の心を見抜こうとしてましたの。」

 

 どきり、心境を表すように一夏のながら点検に綻びが生じて頭に衝撃が走った。

 

「集中しろ。」

 

 言って千冬が立ち去る。

 一夏は再び今度は花からセシリアへと対象を変えて作業をした。

 

「父は鷹の心を見抜くには銃で見逃さずに捉え続ける事だと言ってました。同じ動物と話すのにもそのような儀式が必要なのですから植物となるとさぞかしむつかしいんでしょうね。」

 

 ちょっといつもよりおちゃらけたセシリアに一夏は老婆から聞いた条件を話した。

 

「成る程。お年寄りの方は中々気難しいと聞きます。小僧にはお話しして下さらないのね。」

 

「小娘もだぞ。」

 

 小僧発言がなんだかいやに癇に障ったので一夏は少し嫌味を言ってやった。

 しかしそれをいたずらっ子ぽく笑い返され更に癇に障った。

 

「残念ながら、わたくしは今しがたこのお花さんに話しかけられましたのよ。ナンパされましたの。だから一夏さんがこのお花さんに話しかけようとしていた事にも直ぐに合点がいきましたわ。花と会話しようだなんて馬鹿な事、普通考えませんもの。」

 

 嘘をつくんじゃねえ。

 そう言ってやる前に一夏は納得してしまった。

 きっとこの花は男なんだ。

 男ならセシリアのような美人をほっとくわけがない。

 あんな化け物みたいな婆さん以外にも話し相手が欲しいのならセシリアみたいな人が良いに決まっている。

 せっかく尊敬するところだったのに。

 この根性無しめが。 一夏はセシリアに障られた癇の分まで花を睨みつけた。

 

 一夏は気を紛らわせようと完全に花もセシリアも意識からシャットアウトして雪片を点検した。

 今一夏の脳裏にあるのは雪片弐型の能力、正確には白式の単一能力である零落白夜のとてつもない燃費の悪さである。

 もう4分の一年は共にいる相棒だがこの特性は未だに使いこなせない。

 というより使い所がほぼ無いのだ。

 現在の使用用途といえば近づいた時に発動して斬る。だ。

 ISは基本的に中〜遠距離仕様の武装が完備されている。

 どれだけISが進化しても近代戦の道理を超えることはできないという事だ。

 操縦者保護により可能となった急制動や急加速にもやはり限界はある。

 何よりブレードなんか使うより撃った方が楽だし隙がない。

 打鉄でさえ侍か鎧武者なんて見た目とコンセプトなのにちゃっかりアサルトライフルの焔備を標準装備している。

 実際に箒はたまにそれで一夏をチクチクと虐めている。

 それでもって煽ってくる箒に流石にむっとなり、試しに一度「ひきょうもの〜」と煽ったら更に集中砲火を浴びて落とされたのはもう1ヶ月も前の事だ。

 

(まあ戦とかは侍も弓とか火縄も使ってたし普通なのか。プロだもんなお侍さんは。傭兵だもんな。)

 

 そんな中で1人だけ本差一本で特攻する以外ない一夏はさながら的であった。

 

「さながらじゃねーよ、そのまんまだよ。」

 

 スパーン‼︎

 

 突っ込んだ一夏に出席簿ならぬ硬いデータ表が突っ込まれた。

 立ち去る千冬。 隣ではセシリアがストライクガンナーの点検に勤しんでいた。

 

「……」

 

 集中するか。

 今度こそ一夏は本当に集中した。

 

 専用機持ち達は勿論、交代交代でパーツを点検していた一般生徒も粗方片付いたところで真耶が慌ただしくなった。

 真耶がパタパタと両腕を振ってアタフタしている。

 何時もの見慣れた光景だ。

 気にする者はいない。

 ただパタパタでボヨンボヨンと跳ねる二つの球体は何時も一定数の視聴者が飽きずに付いている。

 因みに一夏はさりげに目を逸らしていた。

 見るどころか見ないようにしている行為すら気取られないようにする自然さは女子校を平穏に生きる為に身についた世渡り術だ。

 そして結果的に視線が行く事になったセシリア。

 無論ナイスなプロポーションからはちゃんと逸らしてある。

 頭一つ分上を見ている。

 無言で虚空を見つめる一夏。

 

 ポヨン。

 

 急にジャンプして視界に入ってきたセシリアの均整の取れた形の良い乳が上下に揺れる。

 吹き出す一夏。

 

「なにしやがる。」

 

「イタズラ?」

 

 ぺろっと舌を出す。

 因みに声は出してはいない。

 作業がひと段落ついたとはいえ授業中に私語などしては死後の世界へfor goだ。

 

「英語が使えないのに無理するから。」

 

 うるさい心を読むな。

 頭の右後ろ側で言った一夏はセシリアから目を逸らした。

 この女に構っているとまた吹き出すことになってしまう。

 あくまでも見渡していることも気取られずに丁度良い同級生を見つけた一夏はその子にフォーカスをセットする。

 今度は全身だ。

 今回はキチンと胸部や臀部をガン見しても誤解されない抜群のプロポーションの持ち主を選んだ。

 よもや周りの人も自身が彼女に下心があるなど天地がひっくり返っても想像できないだろう。

 しかし無断も悪いのでお礼をちゃんと言う。

 勿論頭の右後ろ側で。

 

「ありがとう鈴。」

 

「帰ったらブチ殺すから覚悟しな。」

 

 なんとお礼を言ったら死刑宣告で返された。

 この世は可笑しい。

 しかしそのお陰で緊張は解けた一夏に丁度真耶と手話で話し込んでいた千冬の声が響く。

 

「現時刻よりIS学園教員は特殊任務行動へと移る。今日のテスト稼働は中止。各班、ISを片付けて旅館に戻れ。連絡があるまで各自室内待機すること。以上だ!」

 

 冷や水を刺したかなように不安が生徒に広がっていく。

 それを千冬はごく当たり前のように怒鳴り飛ばして無理矢理散らした。

 室外に出れば有無を言わさずに拘束すると釘を刺された彼女たちはその言葉通りに行動する。

 織斑千冬は学園においてはそういう存在なのだ。

 機材を片付け真耶と千冬に一礼して来た道を走って帰っていく一年組。

 それを見送りながら一夏は丁度穴の真上にやって来た太陽からの光で身を焼かれ、思わず暑そうだな。 と彼女たちを哀れに思った。

 一夏はその波に乗ることはなく目を向けることもなく武装を解除して千冬を見ていた。

 千冬に言って残された専用機持ちが直立不動で千冬に向いている。

 それまで一年組が並ぶとしたら横も縦も一列に一糸乱れず並んでいたが、専用機持ち達は其々が最後に作業していたところから一歩も動いておらず、謂わばバラバラの状況であった。

 乱れた位置で乱れない格好で直る。 それがなんだか特別感があって一夏は少しだけ高揚する。

 なにより自分もその乱れた位置で許されている事が良かった。

 千冬は辺りにバラけた教員が戻って来て一人一人なにやら確認をしている。

 恐らく周辺の人影を確認しているのだろう。

 軈て最後の教員から安全確認をした千冬は改めて専用機持ちに直った。

 

「これから諸君らには特別な部屋へと移動してもらう。諸君らに命令しておきたいのはそこまでの道のり、何があっても声を上げるなという事だ。」

 

 なんだここで話すんじゃないのか。

 少し肩透かしを食らうがそれも仕方ないかと納得する。

 多分そこは秘密の場所だ。

 生徒は勿論、旅館の人も入れないような秘密の場所に違いない。

 秘密の話ならこんな開けた場所よりも秘密の場所の方が相応しい。

 

「はい、いいえは勿論「あっ」でも「おっ」でも言語として成り立つような一切を発するな。許されるのは呼吸だけだ。」

 

「相手への接触や目配せもするなよ。歩き出したら自分の周りの一切を意識するな。お前たちに許されるのは前の人間について行く事だけだ。」

 

 千冬はそう言うと他の生徒達が慌てて帰って行った唯一の抜け道へと足を進める。

 一度だけ左手でクイッと流してこっちを誘ったきり、一夏達の事は居ないかのように無視をしている。

 

(ええっと、他の奴が行ってから行こうかな。)

 

 何となく先頭を着るのが恥ずかしい一夏は真耶と数人の他クラスの教員。 そしてラウラがそこに混じってから自分も列に参加した。

 道のりを戻っていく時は本当に呼吸以外耳に入らなかった。

 その呼吸もまるで憚られるが如く息を潜められ、一夏の耳に一番残るのは傘を踏みしめる自分の足音だけだった。

 

 自分以外の存在は居ないものと扱え。

 

 最初はそんなの無理だと少しくらい思ったがいざ無音の中を自分が歩いていると本当に自分以外の人間が居ないものなのではないかと錯覚が起きる。

 本当は一夏の直ぐ前と後ろには前の人間に追随する人が居るのだが、それが一夏にはまるで標識のように見えた。

 他の標識と違うところは上下に体を揺らして本当に自分を導いてくれる事だけだった。

 人間は自分一人だった。

 それは旅館に着いて他のちゃんとした人間に会ってからも同じだった。

 受付はどうやら事前に教師の誰かが連絡しておいたらしく標識と自分には何一つ関心を払わずに、一夏が本当に前後の人間を人間だと気づけたのは部屋に着いてからだった。

 畳の部屋に見たこともない大型の空間モニターやコンソールを叩く何人かの教員。

 最新式の機器が自分の部屋と同じ畳の上に並ぶ光景がなにやら余計にミスマッチな感じがした。

 そのミスマッチ感に頭が冷めた事により頭に掛かっていたある種の催眠術が解除されたようだ。

 さっきまで人間が標識に見えていた自分が信じられない。

 人は生き物だ。 標識なわけがない。

 宴会用の大座敷風花(かざばな)を改装した特設のコントロールルームに入った一夏の後ろでピシャリと襖が閉まった。

 目的地に着いたのでもう標識ではないため背後を向いて確認すると列に居た教員が2人ほど欠けていた。

 どうやら外で見張りをしているらしい。

 やはりここが千冬の言った秘密の場所のようだ。

 先頭の千冬がいつのまにかこちらを向いて佇んでいるのを見て一夏は空かさず姿勢を正した。

 部屋の教員と改めて情報を確かめた千冬は淀みなく言葉を続けた。

 

「では、現状を説明する。」

 

 軍用IS、暴走、接近、迎撃。

 

 茫然自失となる一夏。 しかしそれはそんな緊急事態の発生とその対処に自分達が当てられた事に起因するものではない。

 昨日そして今朝にその想いは巡っていた。

 

(スカリエッティ)

 

 自然と浮かんできた首謀者の名前。

 まだ暴走原因は確かでもないのに明らかに鮮明される彼の名前。

 一夏はスカリエッティ一味の関係に意識を持ってかれ暫く脳天をぶっ叩かれたように混乱した。

 戻ってきてからはと思い至り横を見ると、やはりというかスカリエッティの情報を手に入れている鈴音も同じ様子だった。

 見た目には恐らく全く分からないが同じ巨大にんじんの下で過ごした者同士通ずる何かが一夏に報せた。

 

「質問がある者は挙手で知らせろ。」

 

 そんなこと言っても…と一夏と鈴音は思った。

 物事がデカすぎて急すぎて纏まらない。

 福音の事だけなら兎も角鈴音は頭を即座に切り替えられただろう。 ISの事ならば彼女はある意味専門家だ。 しかし異世界の事となると二人はただの高校生だ。

 一夏は目が合い困った顔をする鈴音から視線を外して前を見る。

 ここからは顔が見えないがきっと目の前の金髪もその胸中かもしれない。

 

「はい。」

 

 金髪の右からほっそりとした腕が上がった。

 

「目標ISの詳細なスペックデータを要求します。」

 

 その声色に一夏は鈴音にも感じたシンパシーを捉えなかった。

 セシリアは正常である。

 驚くとともに納得する。

 花にナンパされても飄々としていた女だ。

 今更既に聞いていた存在の可能性など気にすることではないのだろう。

 実際一夏の思った通りセシリアはスカリエッティの存在を感じたのまでは二人と同じだが、その事実に事実以上の感情の揺らぎなど微塵もなかった。

 そんな普通のセシリアに千冬は勿論一夏達と同様なモノを抱いたが彼とは違いそれを表に出すと事はしない。

 

「分かった。ただこれは二カ国の最重要軍事機密だ。決して口外はするな。情報が漏洩した場合、諸君らには査問委員会による裁判と最低でも2年の監視がつけられる。」

 

「了解しました。」

 

(いやほいほい了解すんな、んなもん。)

 

 仕方ない事なのだとは分かってはいても文句を抱いた一夏。

 因みに査問委員会とは特定の組織に対する識別名称ではなく、組織所属の人間が犯した不祥事に対して組織独自が行う取り調べに結成されたグループの事を言う、組織運営に欠かせない役割だ。

 一応無国籍であり尚且つ国際色豊かなこのメンバーも問答無用で枠組みにぶち込む組織。

 言うなればそれは世界そのものである。

 生憎その事実に行き着くまでは知識が足りない一夏はそれでも感覚的にそれレベルの事態に進行していると察知し気を引き締める。 無論鈴音はそれより早く代表候補生としての顔になった。

 空間ディスプレイが銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)の詳細な情報を映し出す。

 それを囲んで専用気持ち達が(正確には候補生達)が議論を飛ばす。

 

 セシリアが福音の射撃装備に興味を示すと、鈴音は甲龍と比べてその完成度の高さに舌を巻き、シャルロットはさり気なく変化した自分の現状戦力を知らせ、ラウラも提示されたデータに不足を訴える、最後に簪がそれらをまとめた上で最も可能性の高い策を考えた。

 

「一夏くんが斬る。」

 

 ズバッと、刀で斬るジェスチャーをして無表情に簪が一夏に説明する。

 当然の如く嫌そうな顔をする一夏。

 他の四人もその作戦前提で話を進める。

 冗談ではなく本気なところが背中に変な汗をかかせた。

 

「織斑、これは訓練ではない、実践だ。もし覚悟がないなら、無理強いはしない。」

 

「やります、俺がやってみせます。

 

 数巡遅れで一夏が答えた。

 それに千冬は即その決意を疑った。

 その場の気分で決断されていざ現場で揺らがれては敵わないからだ。

 千冬の読心術はなのはやセシリアなどの訓練を積んだ上で精神力のある者なら兎も角素人のその決意が一過性のものかどうかくらい判断できる。

 果たしてその結果に千冬は少しだけ驚いた。

 一夏は危険が分かった上で硬くこの作戦に決意していたのだ。

 しかし直ぐにその原因は解明した。

 

 それは一言で言うと存在価値。

 

 千冬の言葉に感じた存在価値の危機に一夏は反応したのだ。

 一夏にとった強さとは他の人間が抱くそれよりも強く彼の人格形成の根幹に結びついている。

 家族を守るという一番奥底にある幼少期から蓄積され形成された意識がそのまま強さに大きく結びついていた。

 一夏にとって千冬の通告に首を振ることは強さを否定する事と同じ。

 要するに織斑一夏にとっては織斑一夏であるために否定することは出来ない事だったのだ。

 

 弟の自分への想いの再確認に胸に来るものを感じながら千冬はその決定を受け入れた。

 

「よし、それでは作戦の具体的な内容に入る。この専用気持ちの中で最高速度が出せる機体はどれだ。」

 

 今度も手を挙げたのはセシリアだった。

 一夏も見たあの強襲用高起機動パッケージ、ストライク・ガンナーがセシリアを更に空へと進化させていた。

 

「オルコット、超音速化での戦闘訓練時間は?」

 

「20時間です。」

 

 ふむと千冬は思考を巡らす。

 立場上何度か面識のある、今でも現役バリバリで各国の空域を守っているトップガンやイーグルドライバー達と比べると少し、というか大分頼りない数字だが平常時の扱いの熟練度ならば十分だ。

 それに高速下での互換性もセシリアならばその20時間で完璧に掴んでいるだろう。

 そうでなくともセシリアの実力はこの六人の中でも頭一つか二つ飛び抜けている。

 決断をした千冬はセシリアに言葉を続けた。

 

「それならば適任

 

 

ーー

 だな。

 後に続くだろう言葉の前に誰もがチクリとした。

 

 違和感に震えた。

 震えようのない身体の機能を補うため悪寒がその役目を果たす。

 人も虫も鳥も木もこの世界そのものも震えた。

 この1秒にも満たない言葉の繋ぎ。

 それが正常に移行する事に世界が違和感を感じ、そして時が流れた。

 

 千冬が言葉を繋いだ

 

だな」

 

ーー

 ブルー・ティアーズへのストライク・ガンナー粒子変換(インストール)が済むまで一夏はその他の専用気持ちメンバーから高速戦闘下でのイロハを取り敢えず叩き込まれていた。

 

「超高感度ハイパーセンサーってのは使うと世界がスローモーションに感じるのよ。ま、最初だけだけどね。」

 

 鈴音の分かりやすいがアバウトな説明に一夏は質問をする。

 

「なんでスローになるんだ?」

 

 しかしその矛先は鈴音ではなくシャルロットだ。

 若干ムッとする鈴音を目で捉えて内心苦笑しながらもシャルロットは一夏を気遣い丁寧に教えた。

 

「ハイパーセンサーが操縦者に詳細なデータを送るために感覚を鋭敏化させているからだよ。一夏ってゲームする?」

 

 する。と一夏が答える。

 

「よかった。要するに処理落ちがもっとヌルヌルになった物だよ。処理量が多すぎてそれに一つずつ対応するから世界がスローモーションになったように感じるの。でも本当に最初だけだから気にしなくても平気だよ。脳が慣れて直ぐに処理能力はそのままに普通の速度で動けるようになるから。」

 

 成る程と一夏はなる。

 理屈で全てを理解した訳ではないが何となく掴めた。

 というかスローモーションへの不安よりもフランス人であるシャルロットから飛び出た「ヌルヌル」にライトゲーマーとして少し親近感を感じていた。

 デュノア社時代は精神的には兎も角物理的には恵まれた環境だったことも鑑みてテレビゲームの一つくらいあったのかもしれない。

 

「それよりも注意すべきはブーストの残量だろう。」

 

 ラウラは質問など待たずとも一夏の問題点を客観的に判断していた。

 

「特に織斑君は瞬時加速を多用する傾向にあるから、一層気を配るべきだ。高速戦闘状態ではブースト残量は通常の倍近い速度で減っていくぞ。」

 

 普段二人きりの時か親しい友人達と一緒の時なんかは一夏、と呼び捨てで呼んでくれるのだが流石に仕事モードなラウラに友達として少し寂しく思う一夏であった。

 

「まあそこはセシリアがカバーしてくれると思うよ?僕らのエースだからね。」

 

 急と言ってはなんだがにやけるシャルロットに少し一夏は気をとられる。

 しかし直ぐにそれが自分の緊張を和らげるためのジョークの要素があるのだと知り感謝すると共に早速功を奏した。

 

「でも、油断は禁物…」

 

 最低限聞こえるだけのボリュームで簪が一夏の視線を奪った。

 姉譲りの紅い瞳も姉が太陽を感じさせる色なら簪のはビー玉並みの冷たさだった。

 

「高速になった事でその分ダメージも大きい…いつもが40キロの車なら、高速時は200キロのスーパーカーにひかれるようなもの…一発でアーマーブレイクの危険もある。」

 

 しかしそれでも一夏を心配する気持ちは伝わってくる。

 

「いくらオルコットさんでも、リミッターを外した軍事用ISを相手にカバーし切るのは難しい…一夏くん自身も気をつけて。」

 

「うん、分かった。」

 

 激励とアドバイス。 そして優しさを感じながら一夏は、途中加わった真耶と共に友人達からの言葉を一言一句頭に刻んでいった。

 やがて侃侃諤諤も終わりに近づいて一夏の気迫も高まってきた頃合いだった。

 

「お待たせしました。」

 

 凛と張った綺麗な声が掛かった。

 準備が全て整った。

 

 

ーー

 作戦開始の11時半。

 七月の空はこれでもかとばかりに晴れ渡り、容赦のない陽光が降り注いでいる。

 砂浜で一夏とセシリアはISを展開した。

 一夏は白式の名前を呼んで、セシリアは一瞬眩い空に目を細めたかと思うと次の瞬間には2人の体は最新鋭の叡智が包み込んだ。

 パワーアシストによる他の器具では与えられない充満感をそのままに一夏は早速セシリアの背中に気をつけながら飛び乗った。

 

「いやん、エッチ〜」

 

「………」

 

 何となくムカついたので取り敢えず雪片弐型の柄の方で軽く殴っておく一夏。 うっかりシールドエネルギーが減らないくらいの力だ。 無論零落白夜は発動していない。

 

「和ませて差し上げようとしましたのに。」

 

「なんか今日のお前は殴りたくなる。」

 

「あらあら。」

 

 最近、楯無を彷彿とさせるくらいには飄々と一夏を揶揄い出しているセシリア。

 一夏の遠慮がない毒も軽く受け流し改めて一夏に注意喚起をする。

 

「操縦者保護機能があるとはいえ音速に近い急加速は慣れていないと相当な衝撃ですわ。一夏さん、戦闘機で音速を超えた経験は?」

 

 ある訳がない。

 こちとらちょっと前まで高校を出たら働こうと人生設計を始めていた中学生だったのだ。

 そんな金の掛かりそうな遊びは千冬に申し訳がなさすぎて出来ない。

 

「本来なら代表候補生や国家代表の訓練はISの熟練度を上げる事で新たに新技術開発を役立てるものが主です。以外と戦闘の訓練は少ないんですの。」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、そういうのは軍人さんのお仕事ですわ。」

 

 そう言うと改めてセシリアの実力は桁違いなのだと確信する。

 そういう仕事であるラウラに匹敵する力はおとぎ話のお姫様みたいな可憐な美少女からは想像もつかない。

 

「ただ高速稼働をより円滑に行うために戦闘機を使用した搭乗訓練がありますの。」

 

 成る程と一夏はセシリアの背中で器用に手を打つ。

 旧世代となってしまった戦闘機だが、空中戦闘についてはISの大先輩だ。

 実際に戦うことはなくともしっかりと大空の女神に先人の知恵を授けているのだろう。

 個人的に男の子のヒロイズム的価値観に基づいて、幼少期は戦闘機の事がそれなりに好きだった一夏はなんだか誇らしくなる。

 

「ああ、それから今は戦闘機もISの技術を流用・開発してパッケージとして改修されてますから、今でも現役、というかISの数もあってバリバリの一線級ですのよ。」

 

「へー。」

 

 それは良いことだ。

 

「わたくしもユーロファイターは勿論、スホーイ系の最新鋭機や米軍のステルス機と個人的に模擬戦をさせていただいていますが、流石に空戦においては一日の長。中々に身の入る訓練でしてよ。」

 

「へー。ん?」

 

 思わず聞き返す。

 模擬戦をしているところではない。

 個人的の部分だ。

 

「年に数回程ですが各国の空軍にお申し込みを送って許諾を頂ければ、ブルー・ティアーズでお相手をお願いしてますの。本当はいけないんでしょうけど、候補生の自由度の賜物ですわね。」

 

 さも当たり前のように言ってのけるがそれってつまりセシリアが自腹で行なっているという事だ。

 なんという格差。

 自分も千冬からの仕送りはそれなりに多かったが流石に空軍全面協力で遅刻のために戦闘機を借りて登校したことは無かった。

 

「最近だと入学前に空自の40周年を迎えて更に改修されたF-15Jとドッグファイトのワルツをご一緒しましたわね。お相手の方は相棒と同い年でお髭が素敵なおじさまでしてね、熱くて、それでいて機械のような冷たい熱情は正に職人芸でした。」

 

 少々熱っぽく語るセシリアに一夏は自国の事を褒められたようでちょっと嬉しくなる。

 

「一夏さんとのワルツとは大違いでしたわ。」

 

「はあ!?なんで俺が出てくんだよ!」

 

「だって、一夏さん。突っ込んで斬るだけだなんて…私まるでマタドール気分でしたのよ?」

 

 正に言いたい放題である。

 

「猪男。」

 

 最後に吐き捨てる。

 

「この野郎…」

 

 やはり先ほどは零落白夜を発動して叩っ斬っておけばよかった。

 そんな中でもやはり時間は流れるもの。

 向こう側で福音の動きを感知した千冬が2人に通信を入れた。

 

『今回の作戦は一撃必殺(ワンアプローチ・ワンダウン)だ。短期決戦を心がけろ。』

 

 オープンチャネルで千冬が2人に告げる。

 今更ながらに緊張がぶり返して来るかと思っていた一夏だったが、馬鹿騒ぎのおかげかリラックスしており、その調子で返事を返した。

 ふと、振り返ったセシリアが微笑んでいる。

 やはりそういう意図があったのだろう。

 なんだかんだいって気配りは出来る女だ。

 しかしムカついたのは確かなのでもう一回殴っておいた。

 そして遂にその時は来た。

 

 張り詰める空気。

 ブルー・ティアーズの装甲にガッシリと捕まり片手の雪片を握り直す。 かくはずのない手汗で滑り落ちてしまいそうだった。

 セシリアはもう一度空を見上げて、今度はめいいっぱい瞼を開いてその蒼い瞳と空を同調させた。

 シンとした海岸でチャネルを通じた2人にしか聞こえない号令が響く。

 

『では、はじめ!』

 

 作戦開始。

 

 ゴウッとブルー・ティアーズのビットを推進力としたストライクガンナーが火を噴いた。

 途端に身体が地面と鎖で繋がれているかのような感覚に焦りを覚える。

 しかしそれも一瞬の杞憂で、接続的には頼りない腕一本の文字通りアームバーは一夏を一気に上空300メートルの世界へと加速させた。

 間違いなく瞬時加速以上の速度だがそれへの驚愕は後数秒の遅れがある。

 操縦者の神経や思考回路に直接作用して、超高感度ハイパーセンサーによる途轍もない情報処理の弊害による一瞬の映像のスローモーションがその加速度を麻痺させる。

 漸く一夏がそれに気づいて正しい感想を抱けたのは福音の点在高度である高度500メートルに到達し、機体が急停止したところである。

 

「速いな。」

 

「もっと速く出来ますわよ。」

 

 展開されたパッケージ付属のバイザー越しにセシリアの声が聞こえる。

 一夏は位置情報で福音の場所を改めて確認した。

 この速度ならば恐らく数十秒程度で福音にたどり着くだろう。

 一瞬の気の緩みも許されない。

 グッともう一度姿勢と雪片の握りを確かめ直す。

 初撃が外されれば一番危険なのは体勢を立て直すのにハンデがあるセシリアだ。

 

「そういえばあのリボンはどちらにお渡ししますの?」

 

「え?」

 

 なんだ急に。

 今言うことか?

 そんな考えよりも一夏はなぜバレたのだ。の類いが強かった。

 

「シャルからだな。」

 

 買い物に付き添ってもらい選んだプレゼント用のリボン。

 シャルロットとも仲が良いセシリアが聞いたのだろう。

 しかし、と一夏は首を傾げる。

 あのシャルロットがホイホイと容易く、出来れば本人の耳に入れたくはなかった一夏の事を喋ったりはしない筈だ。

 

「いいえ、話しては下さらなかったですけれど、少し気になったのでささやかに誘導してみましたの。」

 

 まるでメンタリストのように言葉巧にシャルロットから情報を誘い出したのだ。

 

「幸い女性を買い物に付き合わせるという情報が既に有りましたので、特定は難しくありませんでしたわ。」

 

 アッサリと言う辺り彼女にとっては朝飯前だったのだろう。

 

「手に入れたかったのは女性物の衣類・香水、又はインテリア。服の場合一夏さんが女装癖の持ち主だとしても…「違う!」可能性の話ですわ。」

 

 笑っている顔を見るとどうも本気にしても可笑しくは無いと一夏は思った。

 

「もしその場合わたくしが知らない以上、一夏さんはその事実を隠していることになり、シャルロットさんを同行させる意味も有りませんのでコレは考えられませんわ。」

 

 当たり前だ。 一夏は背中越しに睨みつける。

 

「となればプレゼント用。しかしそれはシャルロットさんに対してではありません。」

 

「なんでだよ。俺がその場でシャルに奢った可能性もあったろ。」

 

 少し気が変わったのか、興が乗ったのか、セシリアの捜査に茶々を入れたくなった一夏。

 それは芝居掛かったセシリアにより否定される。

 

「でしたら買ったその日か翌日に開封して身につけるか、飾るかする筈ですわ。シャルロットさんが休日、新しい服や小物を身に付けていた記憶は有りませんし、この前部屋に遊びに行く機会が有りましたが特に目立ったインテリアも有りませんでした。同上の理由で香水もバツです。」

 

「そもそもそれならわたくしに対して秘密にしておく必要がありません。」

 

 つまり最初の段階でシャルロットはセシリアにアレがプレゼント用だと無言で教えてしまっていたのである。

 

「後は何を買ったかですけど…これは金銭的な都合でだいたいは掴めます。」

 

 ストレートに一夏を傷つけまいとして持って回った言い回しをしたのだろうが、一夏は嫌味を言われた気がして逆効果だ。

「この貧乏人〜」とでも言われたような感じだ。

 

「シャルロットさんの事ですからご自身も財布を出してきたかもしれません。でも一夏さんは意地っ張りですから、そういうのは格好がつかないと却下した。」

 

 まるで当然とでもいうような口振りだが一夏は反論しない。

 全て事実だからだ。

 シャルロットが割り勘を申し出てきたことも、自分がプレゼントを他の人間の金を使って買うことに負い目を感じて断った事も全てセシリアの言った通りだ。

 

「後は一夏さんの親しい間柄を洗っていき…一夏さんならばその方のチャームポイントに合わせてプレゼントを贈るだろうと考えたので、リストの人間の特徴の中で一番金銭的にも現実的な人を絞っていけば…」

 

「贈り物はリボン。そしてその相手は箒さんか鈴さんのどちらか、ということになります。」

 

 最後にパチンと指をスナップさせセシリアはもう一度問う。

 

「どちらへ?」

 

「……」

 

 本当は誰にも教えずにサプライズで上げたかったのだがこうなっては仕方ない。

 観念して一夏はセシリアに贈り先を白状する事にした。

 

「箒だよ。」

「あら。」

「なんであらなんだよ。」

「いえ別に。」

 

 親友の鈴音ではないかと密かに期待していたセシリアが思わず漏らした。

 しかしそのこと自体にはセシリアも示唆していた。

 一夏は相手から強請られるのなら兎も角、自分から相手に理由なくプレゼントを贈るタイプではない。

 恐らく特別な理由。 それも世間一般でその日はプレゼントを贈る事が特に不思議ではない。

 以上の点からセシリアはその特別な日の事も、鈴音が選ばれることはない事も知っていた。

 

「7月7日があいつの誕生日なんだ。」

 

「それはそれは。」

 

 タイミングの悪い事だとセシリアは思った。

 まさに今日が7月7日だった。

 勿論鈴音の誕生日ではない。

 一夏はISを展開した状態で懐を触る。

 取り出せないそこにプレゼントであるリボンがあるのだろう。

 それを取り出そうとして出来ない一夏は少し寂しげだ。

 

「この戦いが終わったら渡すさ。」

 

 自分を慰めるように呟くと一夏はプレゼントの代わりに己の武器を展開する。

 

「無駄話はここまでだ。作戦中だぞ。」

 

「ええ、では今度こそ行きますわ。」

 

 もしかしたらこの雑談はセシリアなりの気遣いだったのかもしれない。

 自分では気持ちは収まったと思っていた一夏であったが、セシリアから見てまだ動揺の余地があったのだ。

 そしてその不安とまでは言えない心の引っ掛かりの正体が正に渡せなくなったリボンにあると突き止めたセシリアが、それを解消するために一芝居打ってくれたのだ。

 スラスターを今一度吹かそうとするセシリアに一夏は改めてこのクラスメイトに自分は頭が上がらないと思った。

 

「行きます。」

 

 スラスターを全開にさせ福音へと一直線に向かう。

 後10余秒で戦闘区域に変貌するこの海と空に一夏は少しも気後れしない。

 今度こそ本当に万全に準備万端だ。

 雪片弐型を握り締め、超高感度ハイパーセンサーに意識を集中する。

 

「確認しました。構えて。」

 

 やはり狙撃手だからか、同じハイパーセンサーなのに自分よりも速く視認したセシリアが指示を飛ばす。

 やがて海上に浮かぶ白い球体を確認した一夏は、それが羽を丸めた福音だという事が分かると空かさず零落白夜を発動させる。

 シールドエネルギーの残量がいつもより緩やかに減っていくのは、移動の分のエネルギーをセシリアが補っているためだ。

 自分がする事はただ刀を振るだけ。

 だからこそ失敗出来ない。

 一夏は機体を隔てて近いセシリアの事すら一度頭の片隅に追いやって神経を研ぎ澄まさせる。

 距離は最早肉眼でもその全貌を薄っすらと確認できるほどの近さ。

 ブルー・ティアーズの音速下での移動ならばほんの1秒の半分程で接触する超近接戦闘。

 しかし一夏の求める戦闘領域は本当に近接。

 雪片が届く真の意味での半径2メートル程が彼の主戦場だ。

 本当にジャストタイミングで振るわねば直撃など不可能。

 そして直撃でなければ銀の福音は絶対に落ちない。

 そんな予感がするからこそ彼の意識は世界をモノクロ化させた。

 色彩や音さえも擬似的に捨てて、距離だけを感じ取ろうと脳を騙す。

 聴覚や触覚を脳の伝達信号そのものを切り取り、視覚すらもコントロールする技術を一夏は勿論会得してはいない。

 箒や千冬すら会得していない、現状では彼の知る限り篠ノ之柳韻だけが皆伝した篠ノ之流の奥義の一つだ。

 才能ならかつては箒よりも上だったとはいえ、2人よりも技量で劣る現在の一夏はそのハンデを極限状態で外れた人体のリミッターと専用機である白式で補い、限定的に開放していた。

 超高感度ハイパーセンサーを視覚野へのアプローチに積極的に切り替え、サポートする。

 今この時だけは一夏は世界最高峰の剣士の仲間入りを果たしていた。

 

「っーー迎撃きますわ」

 

 この高速化では一言喋る間に全てが流れていってしまう。

 チャネルを繋いでセシリアが思考回路が言葉の形を作り出す前に叫ぶが、直ぐに一夏の超絶的集中の前に無反応で終わってしまう。

 

「へぇ、最近授業では上の空だった反動かしら?」

 

 茶化すが勿論返ってくるはずがない。

 セシリアは心で不適な笑みを浮かべた。

 

「了解しました。あなたはそのままで結構ーー全てわたくしとブルー・ティアーズに任せなさい‼︎」

 

 福音が不審者の存在にとっくに認識し、体を丸めていた羽を広げた。

 データと違うその形状にセシリアが気づく。

 二次移行(セカンドシフト)で新たに産まれた福音の翼は一度巧により剥ぎ取られた。

 現在彼女に実装されている翼は修理を請け負ったスカリエッティが試験的に導入したミッドチルダ式の術式を組み込んだ砲台兼任のものだ。

 仮面の男と村上が持ち帰ったなのはのエクシードモードのデータで組み上げられた新しい銀色の翼は、その二対を制止させホバリングさせたまま色とりどりの砲撃・誘導魔法を放ってくる。

 無論なのはがする安全対策など無し。

 当たれば圧倒的質量と熱量にラウラのシュヴァルツェア・レーゲンの装甲やオルフェノクの肉体ですら蒸発してしまうだろう暴力濁流の中を青と白の閃光が駆け抜けていく。

 

 ただの一撃も掠る。 その予感すらさせずに白式を乗せるブルー・ティアーズは蟻の抜け出る隙間も見えない超速の流れの変化を当たり前のように飛行して抜けていく。

 まるでそよ風の壁を通過しているかの如く、福音の魔法攻撃は問題なく彼らの後ろの大気を押しのけ一瞬だけ真空状態を作り出す。

 

「ら、ら、らーー」

 

 歌っていたのは福音ではなくセシリアだった。

 彼女は彼女だけに見える福音の旋律をなぞってスラスターを傾け、ついでに歌っていた。

 

「そうでしたの。貴方はその方を守ろうとしてらしたのね。」

 

 父が猟銃を構えて鷹の心を読み解いたようにセシリアは銀の福音の旋律を歌う事で銀の福音の心を読み解いた。

 空中に浮かんでいるフワフワとした旋律のカケラはまるでシャボン玉のようにセシリア達が通過するたびにパチンと割れてしまう。

 それはまるで福音の寿命を定める、運命の示した鎮魂曲(レクイエム)のようだった。

 福音との距離は既に100mを切っていた。

 銀色の綺麗なシャボン玉はパチンと割れると液剤の雫とともに空中に溶けて無くなる。

 きっと一夏が雪片弐型を振り抜いた時、福音の体もまた弾けて液剤とともに空中に溶けてしまうのだろう。

 やはりやめないか?

 セシリアは言おうとしてそういえばと気づく。

 一夏は集中しているのだ。

 自分の声は聞こえない。

 それに今止まってしまえば自分たちは砲撃により消えてしまう。

 一夏はリボンを箒に渡すのだ。 落とすわけにはいかない。

 

 高調

 高揚

 高度

 高域

 高次元

 あらゆる意味で高まっていく一夏と白式。

 それは出会った当初から彼らの頭上にあった一段上の領域を目の前へと到達させた事に他ならない。

 白式は白だ。

 単純に白という形式でしか成り立てなかったその体は新たに雪の麗しさを感じさせる白へと生まれ変わっていく。

 白式と一夏のコントラストに新しく産まれた概念である『美』は更なるシールドエネルギーの減少をもたらしていた。

 それこそこの刹那の一太刀を逃せばその時点で一夏と白式の繋がりを排除するほどに高燃費な代物だ。

 しかし一夏は慌てない。

 

「俺はこの戦いが終わったら箒にリボンを渡す」

 

 それは一夏の運命だ。

 一夏自身が掴み取る運命を今の一夏が逃すはずがない。

 そして到達したすれ違いざまに一夏は零落白夜を銀の福音の腹部へと斬りつけた。

 

 

ーー

 海岸に転がっているのは銀色の鉄くず。

 福音の残骸の上に操縦者、ナターシャ・ファイルスは立っていた。

 それを少し離れた位置からISを解除した一夏とセシリアが眺めている。

 ナターシャはヒビが入り中程からポッキリと折れた福音の羽を優しく端から端まで撫でると2人に向き返った。

 

「この子を止めてくれてありがとう。」

 

 ナターシャはかっこよく歩み寄り2人の頰にキスをした。

 2人とも照れることすら憚られた。

 銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)はコアこそ無事だったがそれも喜べないくらいあの美しかった白銀のボディは煤焦げている。

 空を飛ぶのが好きだったのだとセシリアが海に埋没しそうになった福音を抱きとめながら一夏に教えてくれた。

 確かにデータで見たあの翼は非常に綺麗で優美だった。

 スカリエッティ達に改造されたのだろうあの翼はなんだか福音が欲しかった翼のようには見えなかった。

 集中から解けた時に一夏は真っ先に海に落ちていく燃える二対の異界製の翼を眺めながらそう思った。

 福音が生み出した本物の翼ならきっと持ち主が落ちても翼だけ外れて空の彼方へ飛んでいくに違いなかった。

 ここから先はセシリアも読み取れなかった事だが、福音自身あの翼で飛んでいたくはなかったのかもしれない。

 一夏の刃を避けようとはしなかった理由は、一夏達ならナターシャを任せられると思ってもらった事とあの偽物の翼から解放されたかったからなのかもしれないなと一夏は思った。

 

「本当に怪我はないんですか。」

 

 再度一夏が尋ねるとケロっとした顔を向けてナターシャが笑った。

 

「ご心配なく、ナイトさん。私はこの子に守られていましたから」

 

 一夏は再度砂浜に横たわる福音の亡骸を見る。

 

「そうなんですか。」

 

 呟く一夏にナターシャの「ええ、」が返される。

 

「あの子は私を守るために、望まぬ戦いへと身を投じた。強引なセカンド・シフト、それにコア・ネットワークの切断…あの子は私のために、自分の世界を捨てた。」

 

 ナターシャはさっきまでは見せていた何処か陽気な雰囲気は薄れて、ナイフのような鋭い気配を上げていく。

 

「だから私は許さない。あの子の判断能力を奪い、全てのISを敵に見せかけた元凶をーー必ず追って、報いを受けさせる。」

 

 それは自分の作品を勝手に弄られた事に怒った束よりも凄まじいものだった。

 ナターシャには流石に聞けなかったが、一夏もセシリアも千冬や真耶達から事故を起こした銀の福音のISコアがその後どうなるのか、その予想は聞かされている。

 テストパイロットであり福音の存在位置を所謂お偉いさん達から口酸っぱく聞かされているナターシャがそれを思いつかない筈がない。

 福音のコアは回収、二度と事故が起きないために即刻凍結処理されるのだ。

 最早二度と空を飛ぶことは出来ないだろう。

 

「なによりも飛ぶことが好きだったあの子が、翼を奪われた。相手がなんであろうと、私は許しはしない。」

 

 その言葉が全てを物語っていた。

 

「あの…気をつけてくださいね。」

 

 そうとしか言えない一夏にナターシャがその鋭い眼光を少しだけ解かずに見やる。

 

「なんか君、知ってそうね、その元凶の事…」

 

 うっとなる一夏の鼻にフレグランスの香りがつつく。

 一夏を庇うように前に出たセシリアが今度はナターシャの眼光に晒される。

 

「織斑くんは貴方の恩人ですわよ。」

 

 珍しく少しだけ責めるような口調でナターシャを嗜める。

 どうなってしまうんだと慌てた一夏だったがそれはすぐに収まった。

 最初こそ鋭い目つきのままだったが、不意に朗らかな笑顔を称えて一夏に両手を合わせてきた。

 

「ごめんごめん。そうよね、お姉さんちょっと大人気なかった。ごめん一夏くん!」

 

 ナターシャにもうあの怖い一面は感じられない。

 しかしあれは檻の中のライオンかトラだと一夏は思った。

 人間はみんな自分では制御できない獣を心に飼っている。

 普段は自分にも分からない心の奥底で眠っているが今のナターシャはその獣を解き放ち、今は心の表面の少し下のところで大人しくさせているのだ。

 もうナターシャ自身も眠らせてはおけない獣をナターシャは寝床を上へ持ってくる事で内心に抑えている。

 首輪の鎖で縛ってはいるがその長さは寝床から心を飛び出てナターシャの体を乗っ取るには十分なものだった。

 きっとナターシャなら杖を一振りして人を消してしまう恐ろしい魔女や神話に出てくるような鬼のような怪物であろうと、それが元凶と分かったなら躊躇わずに噛み付くだろう。

 そしてそれは一夏に止めることは出来ない。

 セシリアや束の復讐を止めることが出来ないように一夏にはそれが出来ないのだ。

 一夏はもう一度福音の残骸を撫で始めるナターシャに背を向け懐を弄る。

 綺麗に梱包されたちょっと高めの袋は少し曲がってはいたが折り目などは全く見当たらなかった。

 セシリアにはボロクソに言われたが、中のリボンもそうそう屁古垂れたりはしない贅沢なものなのできっとプレゼントとして大丈夫な状態を保ってくれているだろう。

 一夏はリボンを大切に仕舞い、右腕のガントレットへと視線を移し替える。

 

「……」

 

 新しい姿になった相棒に何か労いの言葉でも掛けてやろうと思ったが、なにも浮かんでこなかったためナターシャを習ってガントレットを優しく撫でてやった。

 セシリアが海を指差して声を上げた。

 海保の巡視船に千冬と友人達の姿が見えた。

 手を大きく振ってやってから一夏は今度は空を見た。

 青い空に一筋の銀色の光が登っていくのが見えた。

 

 

ーー

 

 その後はチョット騒がしい事になった。

 ナターシャを海上保安庁に預けたところで一夏とセシリアはいきなり鈴音に抱きつかれた。

 驚く2人に鈴音は少しだけ潤んだ瞳を向けてからもう一度2人を抱きしめたのだ。

 勝気な彼女に珍しい。 昨日の独白に勝るかもしれないインパクトに一夏とセシリアは揃って困惑したのである。

 

「凰代表候補生はキミたちの事を随分と心配がっていた。2人の無事な姿を見て感極まってしまったのだろう。」

 

 代表するようにラウラが答える。

 普段寡黙なラウラのフォロー。

 それだけで鈴音が自分たちがいない間どんな風に振舞っていたのか分かる。

 

「うっさいばかボーデヴィッヒ、バカウサギ、ウサギ嫌い。」

 

「すまんな、黒兎隊の名前は私の一存ではないんだ。」

 

 何処までも生真面目なラウラの受け答えが何処かシュールで、自分の怒りが余計に幼稚に思えて鈴音は益々赤くなる。

 それを見てシャルロットや簪までクスリと笑う。

 遂には千冬まで口元を手で覆う。

 今更ながら自分の行動に冷静になり言いようのない羞恥心が潤んでいただけで済んでいた目に本当に玉粒を作り出した。

 

 ぽん、と。

 

 頭に乗せられた2つの手。

 勿論位置的に自分が抱きついている一夏とセシリアの手だろうそれが優しく鈴音の髪を撫でてくれる。

 

「帰ってきたぞ鈴。」

 

 一夏の言葉に鈴音は今度こそ2人に笑顔を見せた。

 

 

ーー花月荘

 

 福音の影響で実質的にただの旅行になってしまった今回の課外授業だが、食事となると全員生き生きとしている。

 特に代表候補生達に事の経緯をしつこく聞いてくるクラスメートはこの賑やかな空間の中心人物だ。

 勿論受け答えに応じる彼女たちが答えることはない。

 裁判など受けたくないし、受けさせたくもないからだ。

 

「だーめ、いい?聞いたら制約がついちゃうんだよ。」

 

 現在はシャルロットが特に群がられている。

 その理由は大凡見当がつく。

 取っつきやすいシャルロットならば容易く教えてくれるだろうと踏んだのだろう。

 だが案外あのメンバーの中でシャルロットは一番この手のことに対してはシッカリとしている。

 言葉巧みにあしらわれていくクラスメイトを見て相席のセシリアは微笑んだ。

 

「もう完全にクラスの一員ね」

 

 シャルル問題は学園全体に反響を産んだ正しく大事件と呼ぶに相応しいインパクトだった。

 数ヶ月程度の修正でここまで関係を修復出来たことは驚異的と言えるだろう。

 友人のそういう光景にセシリアは嬉しく思う。

 

「嬉しいといえばあの2人はどうしたのかしら」

 

 プレゼントを渡すという計画を果たす一夏も渡される箒も嬉しい気持ちの筈だ。

 しかし衆人監修の前での受け渡しは照れ臭いのか2人は食事を済ませるといつのまにか何処かへ消えてしまった。

 一夏に連れられた箒は不思議に思いつつも手を引かれてすっかり元通りになった大部屋から出て行ったのだ。

 隣同士で襖に近い位置だったのと一同の注目が専用機持ちに行っていたことの隙をついたようだった。

 一夏も勿論作戦参加の1人なため最初こそ他のメンバーと同じく質問攻めを受けていたが、例により取っつきやすいシャルロットへと流れていくか

 喋らない彼に諦めて興味が薄れるかでさほど拘束時間は長くなかったのである。

 そして隙を見て一夏が箒を連れ出すのをセシリアはバッチリと見ていた。

 因みに千冬も教師と話し込んでいながらしっかりと見ていたが見逃した所を見ると、特に問題はない行動らしい。

 

 ついていきたい。

 

 そんな感情が浮かんでこない訳ではないが今は遠慮しておこう。

 多分自分はお邪魔だ。

 隣の鈴音にも悪いが伝えないでおいてやろう。

 セシリアは刺身にパクつく鈴音を横目で見る。

 刺身から天ぷらに箸が移行した。

 視線が離れたところでさり気なく自分の分の本わさを箸で取れるだけ持ち上げマグロに乗せた。

 マグロに箸をつける。

 どうやら最後の楽しみ的に取っておいたらしい。

 隣の人間と話していて視線は向いていない。

 隣の友人がビクリと肩を止める。

 口に持っていく。

 食べる。

 

ーー

ーーーー

ーーーーーー

 

 

 

「セシリアァァァァ‼︎」

 

 

 鈴音には刺身全てと海老の天ぷらを差し出すことで許してもらった。

 

 

ーー

 海に潜ると呼吸が出来ない。

 人間は魚とは違って泳ぐように出来ていないからだ。

 海には海の、陸には陸の其々ルールがある。

 陸はしっかりとした地面があって生き物は自重を自分の足で支えないといけない。

 その代わりに息を吸う時に大気以外を器官に入れる心配は無い。

 海は重力を水が包んで打ち消してくれるがあまり深いと水は重さを持って牙を剥く。

 海の中で息を吸うには水もいっしょに吸い込むため海に住むには水と体を透過させないといけない。

 魚は体に取り込んだ水と酸素を別々に処理して海に住んでいる。

 人間はそれが出来ないため自分の肺に貯めたぶんの酸素を使って海に潜る。

 陸のルールは海には数分くらいしか通用しない。

 その度に人間は暗い海の底から舞い戻って行かなければならない。

 その底も魚からすれば髪の毛の付け根くらいの深さだろうが。

 

「態々誘っておいて黙って泳ぐだけが目的か?」

 

 俺がすーはーと大気から酸素を取り込んでいると近くの岩場に腰掛けた箒が見下ろしている。

 どうやら泳いでいるうちに流れで海岸近くに押し戻されたようだった。

 勢いよく沖に出ているようで実はバタバタと手足を動かしながら波に押し戻されていた俺は多分上から見て中々カッコ悪かったに違いない。

 

「箒は泳がないのか。」

 

 昨日見たようなアイツには珍しいビキニ姿ではなく私服のままのこいつは俺が手を引いているうちは嬉しそうだったが俺が泳ごうと言って手を離した途端不機嫌になった。

 別に俺の身勝手が気にくわないのなら説明はつく。

 急に夜の海に連れてきて泳げと言われてもイラッとくるだけだ。

 しかし手を繋がれて嬉しそうにしたのは俺にはちょっと分からない。

 手をつなぐ事は自由を奪う事だ。

 俺は無断で手を握った。 これは最早誘拐に近い。 俺は箒の自由を誘拐したのだ。

 俺の身勝手が嫌いなのならば手を繋がれたことを嬉しいと思うのは可笑しい。

 もしかしたら箒はそういう趣向なのかもしれない。

 だとしたら俺が考えても答えが浮かぶわけがない。 やめよう。

 

「泳げよ。」

 

「水着がない。気分でもない。」

 

 冷たく言い放つ箒。

 そこら辺は夜でもちょっとヌルいここの海を見習ってほしい。

 

「なんだよ入れよ。」

 

 俺は急に入って欲しくなった。

 

「嫌だと言っているだろう。」

 

 箒も傍若無人な俺に眉間にしわを寄せた。

 

「知らん、入れ。それとも生理か?」

 

 少し最低過ぎたかもしれん。

 箒は少し黙ってその後でドスを効かせて言ってきた。

 

「よし、入ってやる。泳いでやるからお前も潜れ。」

 

 俺の真上へと躍り掛かった箒はそのまま俺の上で泳ぎ始めた。

 手足と濡れて重くなった衣服を上手に使い俺の浮上口を塞いでいる。

 当然空気を吸えない俺は苦しい。

 陸のルールだとか小洒落た事を思い出す時間なんぞあるかバカ。 ちったあ考えろ。

 パニックになった俺は夢中で上を向いて箒を蹴り飛ばした。

 少しだけ跳ね上がった箒は直ぐに体勢を変えて再び俺の頭を沈める。

 打撃じゃダメだ。

 俺は爪が負ける危険をまるで考えずに無茶苦茶に引っ掻いてやった。

 流石に怯んだ箒を跳ね除け俺は海面に上がる。

 会場に上がる瞬間、薄い膜のような水と空気の間の壁が違和感を産んで俺を気持ち悪くさせる。

 その一瞬を乗り越えなければ息は吸えない。

 口と鼻に痛みが走るのも構わず俺は真上から息を思い切り吸った。

 水が切り裂かれ波として呼吸をする俺に覆いかぶさる。

 箒が右腕を振って俺に水の刃を飛ばしたのだ。

 箒が両腕を裂いて水しぶきを飛ばしながら前進してくる。

 俺はちょっと痛いが剥けていない爪を立てて手刀を顔面に突き出した。

 首を傾けられ当たりを避けられる。 避けきれなかった頰に二本ばかしの小さい赤い線が出来た。

 突きを避けた箒はそのまま水の抵抗を上手く躱して俺の背後を取り頭を掴んで更に海に叩きつけた。

 開かれた目に塩水が染みる。 なんとか外して睨み付けると箒の腕に俺のつけた引っ掻き傷が無数に見えた。 あいつは俺以上に染みたに違いなかった。

 もっと沁みさせてやるぜ。

 俺は爪を差し出そうとしてあいつの右腕を更に狙う。

 しかし箒はそれを利用して俺の腕を足場がわりにして俺の頭に飛び乗りそのまま腕ごと頭を巻き込んで腕を絡めた。

 フロントネックロックの体勢にされた俺は箒の着水と共に再び我慢地獄へと突入する。

 今度は中々簡単には抜け出せない。

 力も掛けにくいしここは海の中だ。

 俺は海で戦う事を諦めた。

 手足を漕いで俺は足場を求めた。

 元々浅瀬に近かったため時間はかからなかった。

 足をしっかりと踏ん張れる位置まで来た時には俺は箒を抱えたまま後ろに背筋を反っていた。

 砂浜に頭から叩きつけられる箒を後ろの目で感じる。 ざまを見ろ。

 俺は今度は顔でも踏んづけてやろうと思い振り向くと箒の倒れた姿勢のままの足払いで今度は俺が頭を打った。

 後頭部を打つ瞬間しっかりと受身を取っていたようだ。

 俺は受け身をとれずに頭を打ち付けた。

 じゅくりと水を含んだ砂が頭に埋もれる。

 もう許してやるもんか。

 俺が起き上がると箒は既に拳を握ってアウトボクサーのように構えていた。

 いつのまにかリボンが千切れたか外れたかして無くなり下された髪が新鮮だった。

 

「その髪型も似合うな。」

 

「そうかありがとう、しかし弁償しろ。千切れたんだ。」

 

 俺は答えずに思い切り拳を振り上げた。

 地面が俺の力に耐えきれずぐぼっと沈む。

 陸に上がったと思ったがどうやら俺はまだ海の中のようらしい。

 力を満足に入れられない。

 砂浜は陸ではなく海の一部だったのである。

 箒は避けずに俺のアッパーカットを顎に受けた。

 グッと拳が止まる。 箒の顎と肩の筋肉に止められた。 正直この対処法はあまりよろしくない。 衝撃が逃げないからだ。

 あれは足をすくわれながらも今度は振り上げた右腕を箒の頭に叩きつけた。

 顎と頭頂部とでサンドイッチを受けた箒はグラリと揺らぐ。

 俺はもたつきながらもダッシュして箒に飛びつき、今度はあいつの顔を砂に突っ込んで窒息させてやろうとした。

 やはり砂浜は海ではなく陸だ。 そして陸で溺れることは大変不名誉な事だ。 女侍のプライドをへし折ってやる。

 しかし箒は倒れながらも腕だけを反応させ頭に飛びつこうとしていた俺の両手を掌合わせて捕まえてしまった。

 

「潰れちまえ。」

 

 それでも構わず上背が10センチある俺が押しつぶそうとするが箒の女の子の手はガッチリと俺の手を押し返して寧ろ目線を合わせさせられた。

 箒が俺より体格があるなら兎も角、小さな女に力で押されるのは悔しかった。

 せめて睨んで唾を吐く。

 海でつけた二本の線を狙った。

 因みにこの手四つで初めて箒の顔をまじまじと見たが特に怒ってはいなかった。

 

「お前は私と喧嘩がしたくて海へと誘ったのか一夏君。」

 

 一夏君とは俺が箒と道場くらいでしか面識がなかった時一度だけ箒が呼んだ呼び方だ。

 千冬姉と区別するために呼んでいたに違いない。

 まるで俺に対しての認識だけがあの頃に戻ってしまったようだった。

 ならば勝てるかもしれない。

 俺の脳裏に光明が浮かんだ。

 あの頃は俺の方が強かったからな。

 

「そうだ。勝った方が言う事を聞かせるんだ。」

 

「へえ。いいよ、打ち込んできな。」

 

 箒が言い終わる前に俺は腕を引き寄せて箒の体勢を崩す。

 しかし不意を突かれた後は直ぐに鍛えた体幹で踏みとどまり依然として手四つは俺が支配下に置かれている。

 構わず俺は飛び膝を大きな胸元に打ち込む。

 確かな感触の次に腕が解かれる。

 そして俺は宙に浮いていた。

 蹴り足を受け止めた箒が俺の体を持ち上げたのだ。

 素晴らしい足腰だ。

 俺は負けじと無防備になった顔面に肘を落とす。

 だが箒は海での攻撃と同じく首を傾げて俺の肘鉄を肩で受ける。

 高さがあった分肩までは俺の肘鉄も威力が半減している。

 次にこいつは俺の武器を奪いにきた。

 傾げた首を今度は俺の肘へと下ろし肩と首で俺の腕を固定したのだ。

 まるでアマレス出身者のような首の力で俺の腕を締め上げる。

 右腕を封じられた。 ならば左腕だ。

 奴は今首を固定している。 打ち込むならば今を置いて他にはない。

 

 そう思って俺はふとこいつが本当に箒なのか疑問になった。

 連れてきたのは俺だしそこまで触れ合っていた箒は正しく箒だった。

 しかしこうして喧嘩をしている箒はなんだか別人のような感じを受けた。

 そもそも俺は箒と喧嘩なんかした事はない。

 女の子相手だし、そうでなくとも俺も喧嘩が得意ではない。 痛い目に遭いたくなかったからこれまで不機嫌な箒には刺激をしないでいた。

 大体何故今更呼び方をあの頃に戻しているのだ。

 もしかしたらこの箒は俺が泳いでいる間に俺の目を盗んだ海が箒を乗っ取ったものなのかもしれない。

 箒はさっきから俺を縛るような攻撃をしてきている。

 自由を奪うのは海の特性だ。

 海は自分の体を切り裂いて分不相応にも溺れなかった俺に業を煮やして箒を乗っ取って溺れさせようとしているのだ。

 あの老婆の話が頭に思い浮かぶ。

 

 海は根性無しだとあの老婆は言った。

 本当にその通りだ。

 女の体を使って喧嘩をしなければ俺を溺れさせられないのだ。

 俺は箒に溺れさせられた怒りを海への怒りへと変えて箒に飛びかかった。

 肘鉄はダメだ。 箒の綺麗な顔をこれ以上傷つける訳にはいかない。

 俺は箒の髪を引っ張り無理矢理箒の唇を奪った。

 やはり口の中には海が侵入したらしく塩っぱさがあった。

 俺は精一杯力を込めて箒の中の海を吸い出した。

 あまり海の水を感じなかったため焦ったが効果はあったようで箒は俺をゆっくりと地面に下ろした。

 足が地面について箒が俺の足を離した時にはもう海の水は感じなかった。

 俺は最後に吸い取った海を飲み込み俺の胃液で殺す。

 大海で溺れなかった俺ならこの程度の海ならば問題はない。

 

「箒。」

 

「なんだ。」

 

 いつもの箒だ。

 もう俺を溺れさせようとはしていない。

 俺は岩場に濡れないように置いていた着替えを取り再び箒の前に戻ってくる。

 上着のポケットを弄ってキチッとした包装袋を取り出して箒に差し出す。時計を確認する。

 秒数まで合わせたかった。

 

「誕生日おめでとう。」

 

 俺は水で濡れた箒の髪をリボンで結んでやった。

 

 

ーー

 花月荘へと戻ってきた2人に千冬が仁王立ちで玄関先で迎えた。

 隣にはプレシアも浴衣姿で佇んでいる。

 千冬は2人のずぶ濡れの体とほのかに香る磯の匂いを確認すると次に箒の顔と右腕の怪我に目を細める。

 

「織斑。お前も女を殴れるようになったか。」

 

 揶揄うように千冬が笑った。

 

「違います。喧嘩です。」

 

 一夏が訂正する。

 少なくとも一夏は箒に振るった拳よりも自分が溺れさせられかけた方が多いと思っている。

 千冬がそうか喧嘩かと笑う。

 

「だけど顔はダメよ。男の子みたいに傷は勲章じゃないのよ?しかも引っ掻いたでしょ、コレ。ダメよ。治りにくいんだから。」

 

 呆れたプレシアは人目を確認して箒の頰を撫でる。

 紫色の淡い光が箒の傷を癒していく。

 

「あ、海の水も確認してください。」

 

「海って?悪いけどそれは洗濯機でやりなさい。」

 

 一夏の言葉を服を乾かしてくれという意味に受け取ったプレシアは首を振る。

 しかし海という単語が唯一濡れていない箒のリボンに目を付かせた。

 

「そういえばこのリボンっていつもと柄が違うわね。」

 

 箒も流石に一年中同じリボンをしている訳ではないが今の箒がしているリボンは普段の種類から感じられる彼女の趣向とは違っていた。

 プレシアに言われて見た千冬もそれを感じてすぐに合点を出す。

 

「そういえば今日は箒ちゃんの誕生日だったな。」

 

(千冬姉まであの頃の呼び方だ。流石にこの人と戦うのは嫌だぞ。)

 

 しかし箒に関しての千冬のプライベートでの呼び方はそれこそ箒の一夏君呼びと同じくらいの頻度しか一夏は聞いていない。

 初めて道場に一夏を招いた千冬が箒を紹介した時以来だ。

 もしかしたら千冬はあの時から呼び方を変えていないのかもしれない。

 そもそも千冬は海の香りなんてしない。

 一安心した一夏に千冬が頭を小突いた。

 

「お前も浪漫のない奴だな。プレゼントの前に相手と喧嘩をする奴があるか。」

 

 右腕の怪我を治したプレシアがきゃあとはしゃいだ。

 

「えー、じゃあこのリボンって一夏くんが箒ちゃんに贈ったの?素敵じゃない!」

 

「ああ、でも海水で濡れた髪に縛ったら折角のプレゼントも傷んじゃうわよ。一旦外して、温泉に入って、髪を乾かしてからもう一回絞めなさい。」

 

 プレシアは箒の髪から丁寧にリボンを解いて丁寧に束ねて箒に手渡した。

 

「長い間喧嘩をしていたせいでもう温泉の使用者はお前達しかいない。貸切だな。」

 

「早く入ってこい。磯臭くて堪らん。」

 

 追い出されるように温泉までやってきた2人はのれん通りの男湯と女湯へと別れる。

 濡れた衣服を変える箒と比べて一夏は海パンをビニール袋に入れるだけで済む。

 1人で入るにはかなり広い浴場を少し迷って一番広い湯船を選ぶ。

 かけ湯と石鹸で体から海の匂いを出来るだけ消して天然の暖かさへと身を委ねる。

 波もないし座っても顔が出る。

 海よりも余程従順だった。

 天井のないタイプの浴場で星を眺めながら一夏は顔を沈めてみた。

 海では沁みた目に少し熱い水が最後の塩水を洗い流す。

 湯船に溜まったお湯を絶えず下の排水溝から排出して少しづつ交換している天然温泉ならではの清潔な水だ。

 もしかしたら箒の体にも効能があるかもしれない。

 少し熱めのお湯が汗とともに最後の海の水を発汗させ洗い流すのだ。

 きっと風呂上がりになる頃には海は完全に箒の体から居なくなっているだろう。

 そうして箒のことを考えていたからか木製の仕切りから箒の声がした。

 もちろん仕切りは喋ったりしない。

 3メートル程の高さの仕切りの向こう側の箒が一夏に尋ねた。

 

「あれはキスという解釈でいいのか。」

 

「あー…あれか…」

 

 困った。

 どうやら記憶までは海とともに出て行かなかったらしい。

 流石に適当に誤魔化せるような状況ではない。

 仕方なく一夏は頭を精一杯フル回転させて答えた。

 

「違う。あれは人工呼吸だ。」

 

「はあ?」

 

 向こう側の一夏の突拍子のない発言に箒はふざけているのかと思う。

 寸前まで暴れていた人間になぜ人工呼吸など必要なのだ。

 

「おまえは溺れていたからな。俺が水を吸い取ってやったんだ。」

 

 溺れているのは一夏の方ではないのだろうか。

 しかし声は至って真剣だ。

 箒はもう少し付き合ってやる事にした。

 

「どうしてお前は私が溺れていると思ったのだ?私は丘の上でピンピンとしていたぞ。」

 

「箒の体には海の水が入り込んでいた。海が箒を溺れさせて暴れさせたんだ。」

 

 ああ、こいつは溺れてはいない。 酔っているんだと箒は思った。

 きっと専用機持ちが集められたのは千冬が持ち込んだ酒を密かに振る舞うためだったのだ。

 千冬もかなりの酒豪で酔うとかなりの悪酔いをする類だ。

 ブリュンヒルデの力で教員も止められず、酒をガブガブと飲まされた一夏はまだ酔いが覚めないのだ。

 酒の匂いは全くしなかったがそこはきっと珍しい酒なのだ。

 無臭で、海に触れると頭を可笑しくさせるのだ。

 なんだ。 シラフではなかったのか。

 漸く一夏が自分の事を女として見てくれたと思ったのに…箒は残念がる。

 しかし下された髪を撫でてプレゼントのリボンの事を思い出してクスりと笑う。

 シラフかどうかは兎も角プレゼントについては事実だし嬉しいものに違いはなかった。

 

「分かった。起こしてくれてありがとう一夏。」

 

 向こう側から聞こえてきた声に一夏はホッとなる。

 正直溺れているのはお前だ。そうでなければ酒でも飲んだのだろう。 と言われるかもしれないと思っていたので納得してくれたのは本当にラッキーだった。

 もう一度星を見上げながら一夏は箒が出来るだけ長風呂をしてくれる事を願った。

 また暴れる箒を押さえつけるのは御免だ。

 きっと箒なら旅館の中でも一夏を海の中で溺れさせる。

 

 

ーー花月荘・駐車場

 

 白いワンボックスカーに乗り込むプレシアを見送る人間は千冬1人だ。

 

「もう大丈夫なのか。」

 

 今まで片時も花月荘を離れずに寝ずの番をしていたプレシアが急に帰宅するというのだ。

 少しばかりの不信感は許されるだろう。

 

「ええ、少なくとも今日と明日はもうスカリエッティはガジェットドローンの一体も送ってこないわ。安心して眠ってちょうだい先生。」

 

 当のプレシアとくれば何を言ってもこの調子でまるで緊張感などない。

 そこまで言われてしまうと千冬も従わざるを得ない。

 千冬にISのステルス性能並みのガジェットドローンを感知するための探知魔法などない。

 プレシアにはなにかそう結論づけられるだけの確信が存在するのだろう。

 取り敢えず今日はプレシアの行為に甘えて久しぶりの熟睡を取る事にしよう。

 

 

ーー

 一面のガラス張りだったこの部屋も随分と様変わりしたなとスコールは肌に叩きつけられる風でそよぐ髪を抑えながらまだ高い太陽からの光に目を細める。

 ただのガラスでしかなかったがこの部屋に付けられると、たとえどんなに煌々と日が差してもこの部屋だけは常に一定の明るさと暗さだった。

 照明器具など一切なくたとえ夜だろうとこのビルの最上階だけには灯りがともることはなかった。

 まるでこの部屋だけは外の世界の影響を受けないかのようにスカリエッティ達を閉じ込めていた。

 そのガラスがたった今村上により砕かれビルの外へと落下している。

 村上の掌から発せられた波動がガラスを破壊して吹き飛ばしたのだ。

 今頃地上では軽い騒ぎが起きているだろう。

 じきに警官か、けが人がいれば救急隊がやってくるだろう。

 しかしそんなことなど些細なものだ。

 外との隔たりは言うなれば異物を閉じ込めておくための檻でありこの世界が崩壊してしまわないための処置であった。

 なのはと巧にガジェットやオルフェノク以外は許容範囲外であったこの世界を壊さないため。

 無機質でありこの世界の鋼材で開発した新型のガジェットドローンとこの世界で誕生したオルフェノクで細々と干渉する事で、漸くここまで慣れさせ、適応させたのだ。

 数日前と昨日には村上が、そしてたった今この世界へと解き放たれた十年ぶりの人工発明の極致、発展系の原初感情、古代ベルカの残した魔法科学の一つの最終進化形態がその身を朗らかな陽気へと晒した。

 色素の抜けたような毛髪は太陽の光を吸収しそのまま無限の空間へと落とし込んでいるようだった。

 

 ジェイル・スカリエッティは息を吐いた。

 それはこの世界全体に落ち込んで、ズッシリと重くなり段々とこの世界を沈ませ始めた。

 

「漸く君と私が同時行動できるだけのキャパシティが生まれたか。」

 

 村上がそれに笑みだけで答える。

 スカリエッティの目は村上を見てはいなかった。

 虚無へと通じているのかと思わせるその瞳がこの世界の果てまでも見据えて笑っていた。

 

「あれも、あれも、あれも、あれも、あれも…」

 

 指をさしながらこの世界の一つ一つを値踏みしていく。

 それは人でもビルでも道端の石ころでもそうだった。

 

「そうなんだな…あれら全てに触れられるのだな。撫でられるのだな。叩けるのだな。壊せるのだな。つくれるのだな。」

 

 いつのまにかスカリエッティの背後には三大勢力が揃い踏みしていた。

 村上や近藤、オルコットを始めとしたスーツ姿の男女数人。

 スコールの背後には女性だけの亡国企業の実働部隊。

 この部屋を飛び抜けてこのビル全体を始めとして、町や隣の町や隣の国までにも広がる無限の欲望の同志たち。

 世界に広がる三世界の賛同者たちの末に虚無の如き無限の根幹。 スカリエッティは手を広げた。

 天に浮かぶ太陽をつかみ取ろうとするかのように。

 スカリエッティの二つの手は太陽を包み込んだ。

 

 

ーー

 まんまるお日様の代わりにまんまるお月様が水の開けた崖の穴から差し込まれていき、2人を照らす。

 月に照らされた老婆の顔は早朝に一夏に対してしたようにくちゃっとなった。

 老婆の前には戦士がいた。

 全身を鎧で隠し、右腕には逆手に持った十字の剣が怪しい光を晒していた。

 まるで老婆を迎えに来た天使が十字架を武器にして老婆を張り付けにしようと天界からやって来たかのようだった。

 2人の真ん中にはあの花がある。

 派手でもない地味でもない普通の小さな花だ。

 花は真っ直ぐ上に身を授けて月の光を浴びている。

 花は太陽の光よりも月の光の方が気持ち良いようだった。

 老婆の顔面の皺が崩れていく。

 小さく腰の曲がった老婆が遂にはテニスボールほどの大きさまで崩れて小さくなったところで老婆は戦士に襲いかかった。

 崩れたテニスボールがまるで卵のように割れてスラッグオルフェノクが粘液を撒き散らしながら飛び出した。

 老婆は一夏にこの崖のことを話した後に心臓発作で死んだ。

 そして今老婆の体はナメクジの特性を持ったスラッグオルフェノクへと姿を変えていた。

 恐らく老婆はこの恐ろしい姿のことを自分の太い根性が死を跳ね除けたのだと誇るに違いがなかった。

 オルフェノクとして生を受けた老婆はその足で自分に身の上話をしてくれた花の元へと進んだ。

 特に理由があった訳ではないが死んだ人間が怪物として生き返るなんて現象は老婆の200年の知識の中でも経験が無かった。

 老婆はこの現象を知りたかった。

 しかし人間ではダメだ。

 老婆以外の人間なんて老婆に言わせれば自然が根性無しであることも知らない無知な連中だったからだ。

 花だけが老婆にものを教えられる存在であり花だけが老婆が敬意を払う相手だった。

 第二の体は酷くゆっくりとしか歩けなかった。

 朝から10時間以上かけて漸く花の下へと辿り着いた老婆が花に唾を吐きかけた。

 唾を吐きかけることは自分の一部を情報として相手に明け渡し自分の敬意の念を伝える老婆なりの儀式だった。

 数千年生きた花ほどになれば自分の唾から自分の感情や思っていることを言い当てるに決まっていたからだ。

 花はいつもの様に老婆の唾をあっという間に吸収してしまう。

 真上に向いて月の光を浴びる花に釣られて老婆も顔を上げる。

 戦士がそこに居た。

 花が老婆に語りかける。

お前の体はもう死んでいる。 私は死体に興味はない。 もうお前に話すことはない。 あの戦士はお前を本当に殺しに来たのだ。 死んだ者は死ななければならない。 お前は死を誤魔化して生きている。 いよいよ死ぬ時だ。

 ふざけるなと老婆は思った。

 現に自分は生きている。

 老婆は今までの敬意を捨ててあの戦士を殺した後はお前を引っこ抜いてやろうと花に話し、その身をスラッグオルフェノクへと変えた。

 500キロはありそうな肉の塊を醜く揺らして戦士へと疾駆する。

 体から落ちる粘液が地面に落ち煙を上げて固い地盤を溶かす。

 戦士は剣を構えて腰を落とす。

 戦士の体に流動している高エネルギーが剣に収束していき怪しい光をさらに強める。

 やがて崖周り一帯がそこに超小型の太陽を置いたくらいに明るくなった時、戦士の剣がスラッグオルフェノクの巨大な肉を真一文字に切り裂いた。

 ドチャリと大きな肉が灰となり崩れた。

 スラッグオルフェノクの真下にいた花が巨大な灰に埋もれる。

 しかし恐らく潰れてはいないだろう。

 きっとこの先数十年で灰が風で飛ばされるか雨で洗い流されるまでじっと静かに生きていくだろう。

 誰もいなくなった崖の下に再び月の光が降り注ぐ。

 戦士がベルトから四角い箱を取り出す。

 それは戦士の動力源のようなものだった。

 それのスイッチを切った戦士の体は眩い光と共に消えていく。

 そして現れた女は暫し自分の体を眺めると最後にベルトを腰から取り外して手元にたぐり寄せた。

 

「私達が使っても問題は無さそうね。」

 

 カイザのベルトを品定めするように両手で持ちながらプレシアが呟いた。

 夜の闇がプレシアの声とワンボックスカーの排気音をかき消した。

 

 




これにて福音編及び臨海学校イベントは終わりです。
次回からは新章へと入ります。
いやはや、本当にお待たせしました。

※人気投票の開催。詳細は活動報告にて
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