IS:ボンド   作:田中ジョージア州

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待たせたな。
投稿ペースの回復はもう諦めてくれ(笑
前回で超展開になって漸く新章に進むと思ったか?

残念箸休め回だ


ステージ2
46話 夏休みだー


「みーんみーん...」

 

 蝉もみーんみーんと返してくれる。

 それがなんだか嬉しくて鈴音はまた蝉の鳴き真似をする。

 窓の外から見えるボンヤリとしたビル街が蜃気楼で揺らいでいる。

 本島からは10キロだけ離れているIS学園はどうやって蝉の侵入を許したのだろうと鈴音はベッドに寝っ転がって考える。

 人から聞くに、蝉はあまり飛ぶのが得意ではないらしい。

 せいぜい100〜200メートル程だろうとも言われている。

 船かモノレールにでも取り付いてここまで移動してきたのだろうか。 周りに耳を澄ませば少なくとも三種類の蝉がいることが確認できる。

 それを耳を澄ませて聴き分けて今度は喉を震わせて窓の外の何処かに居る蝉に仲間入りを要求する。

 

「じーわじーわ...」

 

 謂わば窓が鈴音と蝉をへだてる国境で蝉の国に入るためには自分を蝉と、蝉たちに認めさせねばならない。

 蝉は向こうでは住民であると同じく権力者なのだ。

 蝉の住居を認める人間なんていない。 だから蝉は権力者でなければならない。 蝉がだれかの家の庭にでも植えてある木を気に入れば、人間はそれを拒否することは出来ない。 しかしそれに対して鈴音は蝉がわがままだとは思わない。

 もともとこの世に自分の所有物などないのだ。

 ライオンだって縄張りに入り込む敵は追い払うが、それは自分より身体が小さいものだけで、像などが襲ってくれば逃げるしかない。

 もしかしたら他のライオンに縄張りを取られてしまう事だってある。

 返って蝿などは小さすぎるのでライオンもムキになったりはしない。 体力の無駄遣いだからだ。

 人間の家も同じだ。

 役所通いで手に入れた土地の権利書も蝉には関係ない。

 季節が来れば勝手にやってきて蝉はそこを自分の国にするのだ。

 では追い払うのかといえば違う。 体力と水分の無駄遣いだからだ。

 ではこの声真似で蝉が言うことを聞いてくれるのかというとそれも違う。

 いくら蝉同士だって自分の国を明け渡せと言われてもいやだろうし、なにより鈴音が出来るのは蝉語では無く蝉の声真似だ。 「ああああ」は日本語ではなく只の壊れたラジカセだ。

 現に蝉は鈴音の呼びかけに一瞬だけ鳴きを止めたかと思えば直ぐに再開してもう鈴音がいくら呼びかけようとも出て行く事もしない。

 

「あ、そう...」

 

 少しは話をし返してくれるかもしれないと思っていた鈴音は不貞腐れてベッドに顔を埋める。

 少し硬い安物のクッションは鈴音の軽い身体を少し凹んで、でもそれ以上は彼女を受け入れる事はせずに異物を跳ね返そうとしている。 その自重と反発の相互関係に鈴音は眠気を誘われた。

 元より昼寝のつもりでベッドに入り込んだのだ。 なぜ蝉なんかと会話していたのだろうと不思議になる。

 蝉と会話なんてできるわけがない。 部屋に潜り込んでこないまでは無視しておけば良い。

 鈴音は当初の目的通り、この硬い嫌われたベッドを無理矢理黙らせて眠りに落ちようと目を閉じる。

 

「だから場所取りすぎなんだよお前、どけよ」

 

 巧が鈴音の軽い身体をベッドの外に蹴り飛ばした。

 思ったより飛距離がでたのはもしかしたら眠る直前だったので軽かったのかもしれない。 夢を見る時人は軽くなるに違いなかった。

 フォーカス視点を彼女に戻して、空中で器用に回転しきっちりと四つ足で着地した鈴音は眠気の代わりに怒気を、眠気まなこを睨みに変えてベッドに登る。

 

「命の恩人に対して何よその態度は...」

 

 ふん、と鼻を笑わせて巧が鈴音のペースを塞ぐようにベッドを転がる。

 

「嘘つけ、俺を担いで走ったのはセシリアだったんだろうが」

 

「見つけたのは私よ。というかアンタ、まだ私やセシリアにお礼とか言って無いじゃないのよ。ありがとうぐらい言いなさいよ。」

 

 巧の足を足で除けつつ鈴音がずいっと来る。

 

「セシリアには私から言っとくからアンタここで私にお礼言いなさい。二回よ二回。2人分なんだからね。優しい鈴さんありがとう御座いますと美しい鈴さんありがとう御座いますって」

 

「二回ともおめえ宛てじゃねーか」

 

「居ない女に礼なんて言ったって仕方ないでしょう。私を有難がれば正解よ」

 

 どんな理論だと巧は鈴音の身体をもう一度蹴ろうとしたが手でアッサリとはたき落とされてしまう。

 それでも言う通りにするのは癪でしかないため断る。

 

「やだね。頼んでねえ事すんなよ」

 

 ムッとなる鈴音。

 死にそうなところを助けてもらってこれは酷いと思った。

 

「心配したんだよ?」

 

 流石にあんまりだ。

 本当にあの時のセシリアに担がれぐったりとしていた姿に鈴音はともすれば泣きそうだったといっても過言ではなかった。

 

「そうかい」

 

 多分この先を言ってくるとすれば「頼んでねえ事すんな」に決まっている。

 ここら辺一夏ならば謝罪と一緒に一つ頭でも撫でてくれるはずだ。 もしかしたらその逞しくなった腕で抱きしめてくれるかもしれない。

 

「アンタって本当にガキっぽいわね...なのはさんでも見習ったら?それと一夏ね。朴念仁は兎も角人間性は学んでおきなさい...あっ、やっぱ朴念仁も見習いなさい。もしアンタに好意持つ子が居て、もし実ったりしたらその子の人生が台無しだしね」

 

「お前な...」

 

 のそりと巧がものぐさそうに起き上がる。 部屋の熱気が湿りを肌に産む。

 動いただけで汗をかきそうだ。

 

「アンタ1人部屋の癖になんでクーラー効かせてないのよ。誰に気ぃ遣ってんのよ」

 

「元からクーラーなんてねーよ」

 

 夏休みに入ってIS学園に鈴音は辟易していた。

 他の部屋とは違う巧の1人部屋ならもしかしたらと暑い中やって来たのだが徒労に終わってしまった。

 最早今更眠る気にもなれずに鈴音は湿気と熱気の中でゴロンとかき混ぜてやった。

 換気扇に変身すればこの蒸し暑い室内もマシになるのかもしれない。 オルフェノクって換気扇とかあるんだろうか。

 

「ねえ、換気扇オルフェノクとか居ないの?」

 

「いねーよ」

 

「なんだ〜」

 

 もしなれるなら死ぬのも少し悪くないかもしれない。

 いや、やっぱり換気扇オルフェノクもそんなに良いものじゃないだろう。

 きっと頭が換気扇になって回るのだ。 となると換気扇なのだからメンテナンスが必要だ。 自宅兼店でもあったそこの厨房にも業務用の換気扇があったが、父は毎朝軽い掃除をして週末には完璧に新品の状態にメンテナンスをしていた。

 多分そういうのはオルフェノクになっても必要なものだろう。

 もしそうなら大変だ。

 なにせ自分の頭なのだから目が見えない。

 それに換気扇とは中々に入り組んで掃除に手間がかかる。

 頭ということは下からでしか手は回らないのだからどうしても手が入らない所が産まれてしまい、何十年後にはそこが錆びてその錆が身体全身へと回っていずれ動かなくなってしまうのだ。

 そして換気扇なので回るのが仕事だ。 無理に回ってポッキリいってしまうのだ。

 やはり人間のままの方が良い。

 多分寝返りも頭が邪魔になるからろくに寝られない。

 もう一度ゴロンとかき混ぜてみる。 全然暑い。 やっぱ換気扇だ。 換気扇オルフェノクだ。

 

「冷房効いてるとこあるぞ...」

 

「先言いなさいよ。今までの私の妄想がバカみたいじゃないの。アンタこそ換気扇になんなさい。錆なさい。折れなさい」

 

「ほんとうるさい女だなお前は...真理の方がお淑やかだったぜ」

 

 あの女もあの女で理解し難いところはあるが巧に向かい換気扇になれとは言わないと思う。

 恐らく冷房の効いた部屋に突っ込めばこの鬱陶しいからみも無くなるだろう、と巧は心の頂点の蓋を取っ払い鈴音の期待に早く答えてやることにした。

 

「トレーニングルームってあるだろ」

 

「クーラーあんの?」

 

 頷く巧に鈴音が喜びを隠さずに笑う。

 

「何よ!使えないわね」

 

「はあ?どうしろってんだよ」

 

「もっと早く言えってことよ。さ、連れてきなさいよ」

 

 やはり真理の方がお淑やかだったかもしれない。

 巧は肌にくっつくシャツを鬱陶しく剥がして部屋のドアを開く。

 新鮮な生あったかい空気で身を引き締めると鈴音と巧はお目当てとなる冷房の効いたトレーニングルームへと向かう。

 それほどでもない道のりも暑い陽気に決意が萎えて来る。

 そんな中を沈んだ気持ちながら切り抜けトレーニングルームの扉を開けた鈴音はやっと手に入れた清涼感に体を跳ねさせた。

 巧はいつかの湿気の高い日の早朝でぴょんぴょん楽しそうに跳ねる鈴音を思い出した。

 

「お前って暑いの平気だったんじゃないのか」

 

「嫌いよ。特にこの国はジメジメしてて最悪よ。人も季節ももうちょっとサッパリ!キッパリ!出来ないのかしら?」

 

 陰湿な国ねと毒づく鈴音に巧は取り敢えず陽気の点にだけは同意しておいた。

 別に蒸し暑くなる必要は無いだろうに。 陰湿な国だ。

 多分前は鈴音としては許容範囲の暑さだったのだろう。

 

「季節に言っても仕方ないだろ」

 

 巧は兎に角後ろの熱気を扉でシャットアウトし、中へと進んでいく。

 着替え用のロッカールームを通り過ぎ、巧は自分が鈴音にこの場を渋った原因が今日も元気に器具を利用して鍛えている光景に溜息をついた。

 巧の溜息にはジムの扉が開いた時から予想していた。 運動部の居残り練習の類が無いIS学園にとって、夏休みに入ってココを使う人間といったら暑さに参った巧くらいだからだ。

 案の定つかれた溜息に苦笑しながらなのはは柔軟とベンチプレスを終え、現在のダンベルフライの重量を上げた。

 何も重い物を持てば良いというのが筋トレでは無い。 ちょうど良い重さというものがあるのだ。

 器具のベッドに仰向けになって足裏は地面にペタッとつける。 足の裏の皮まで力を伝達させるのだ。 よく見た目だけで誤解されがちだが実は大胸筋を鍛えるのならベンチプレスよりも効果的なのだ。

 なのははそこまで筋肉は欲しく無いためあくまで全身満遍なく鈍らせないために器具を使用しているだけで、彼女の好みは実際に訓練形式で体を動かすことなのだが流石に異世界で魔法訓練をホイホイと行うわけにはいかない。

 我慢してジムで済ませる。

 しかし今やそのジムでの訓練も巧と鈴音により邪魔され中断してしまう。

 鈴音が無邪気になのはにくっついて来たことでダンベルは下におろさざるを得なくなった。

 オマケに普段は離れたがる巧も今日だけは何故かなのはのベッドに腰掛けて来る。

 

「ねえ」

 

 汗をタオルで拭き取るなのはに鈴音が声をかける。 上目な視線が本当に猫のようだ。

 

「なんでなのはさんも残ってんの?」

 

 も、とは巧を指して言っているのだろう。

 IS学園に夏休み中の居残り義務は基本的にない。

 この季節に節約のために冷房停止は中々に痛い。 大抵はみんな自宅へ帰って家族に会いに行っている。

 

「私はここで生活する予定だから残ってるんだ。鈴ちゃんこそどうして」

 

 きっちり相手の謎に答えて上げてから質問を返す。

 

「んー...とねー...」

 

 口ごもる鈴音は最初の無邪気さが消えて感じられない。

 罰が悪そうに目を逸らして小さく丸まっている。

 

(聞かれたく無いものなんだろうな)

 

 ならば無理に聞くようなものでも無いだろう。

 相手に尋ねたら自分も打ち明けなければならない制度はない。

 

「織斑に告白でもするんだろ」

 

「ーーっ‼︎」

 

 赤い頰から煙がプシューと出ている。

 図星らしい。

 あ〜と納得するなのはに背景に鈴音はポカポカと巧を叩く。

 

「最低最低最低最低最低‼︎」

 

 直ぐに頭を押さえ引き剥がされる。 そのままぐるぐると拳を振り回す鈴音は何やら古典芸能のようだ。

 ならばこの後は散々腕を振り回して息を切らしながら「今日はこの辺にしといたるわ」だろうか。 そうだとしたら自分の役割はずっこけである。

 

「いつでもオッケーだからね鈴ちゃん!」

 

「何がよ⁉︎」

 

 結局ずっこけはなかった。

 普通に巧の手を振りほどいて一発脇腹に拳を入れた鈴音は、しかし観念したようで一夏のことについて打ち明けた。

 

「今日はあいつが学校に残ってるらしいの。だから、その...待ってあげてるだけで。そんな、ちがうもん...」

 

 もじもじと手を絡ませて急にしおらしくなる鈴音に巧は先程の換気扇を思い浮かべて驚いていた。

 真理の時もたまに意識した異性を発見してビックリした。

 

「はいはい。そっかぁ鈴ちゃん頑張るんだね今日」

 

 なのはが保護者目線で頭を撫でる。

 かーっと顔を赤らめて鈴音が振り解こうとするがそれすらも可愛らしくて、なのはは意地悪にあしらい頭を撫で続けた。

 

「やめてよ。まだ行くなんて言ってないでしょ?」

 

 やっと解放してもらえた鈴音がそう言うがなのはも巧も取り合わない。

 

「嘘つけ。というか行けよ。腰抜けかよ」

 

「応援してるよ鈴ちゃん」

 

 2人とも既に本気にしている。 というよりはなから鈴音の告白イベント以外眼中に無い。 もし本当に自分が一夏に会いに行くのを取りやめると言いでもすれば、2人共実力行使で無理矢理従わせるだろう。

 こんなことなら涼もうと努力していないで自身の部屋で耐えていればよかった。 少なくとも自分のタイミングで行けた。

 だがこうなっては最早当初通りとは望めまい。

 覚悟を決めよう。

 幸いこの2人も茶化そうというよりは純粋に応援してくれる筈だから、一夏への告白自体はこちらの裁量に委ねてくれるはずだ。

 暫しの時間ののち、さっきとは別の意味で顔を赤らめた鈴音が小さく呻いた。

 

「邪魔したら承知しないんだからね...」

 

 2人がコクリと頷いた。

 その後は2人とも本当に鈴音の負担にならない程度に気をきかせてくれた。

 といってもそんなに大それたものではない。

 精々一夏の通りかかるルートを手分けして探して巧が連絡を入れた後は文字通りの応援で終始した。

 告白するかしないかまで鈴音の自由だ。

 少し離れた位置からなのはのサーチャーでこっちをモニターしている以外はなにもしてこない。

 

(それはそれで邪魔なんですけど)

 

 しかし一旦そのことは頭の隅に置いておく事にしよう。

 なにせ彼女が今置かれた状況はまさに一大イベント発生場所なのだから。

 

「よっ」

 

 手を上げて一夏が笑みを浮かべる。

 何故ここに?の思いよりも友人に会えた事を大事に喜んでいるだろう純粋な笑顔だ。

 そして自分はその友人の立ち位置から一歩先のポジションへとステップアップするためにここに居るのだ。

 

「...」

 

 高ぶる気を一旦沈めなければならない。

 このままでは上ずってなにも言えない。

 

「お前まだ寮に居たんだな。帰省はしてないのか?顔を出しにくいってのはわかるけど...それでも形だけでも仲良くしてやれよ?別れたままだったら本当に関係直せなくなるぞ」

 

 一夏は自分には家族がいない。

 その事も手伝い、鈴音の両親との関係に対しては人一倍気を払っている。

 離婚に関しては今更一夏にはどうすることも出来ない。

 シャルロットの件は兎も角、一夏は基本的に他人の家庭事情にそこまで関わるのは無粋だと認識している。

 こうしてお節介を焼いてはいるが、口頭だけで実際に鈴音の実家に殴り込みをかけてまで修復を図ろうとは思ってはいないし、今だって鈴音に感謝してほしいとは微塵も思ってはいないのだ。

 

「...」

 

 しかしそれにしてもダンマリは感じが悪いと思わなくはない。

 引きずるなとは言えないが、ぶっきら棒でも「はいはい」くらいの返事はしても良いのではなかろうか。

 

(まあ、俺からしたら普通でも鈴からしたら余計な世話なのかもしれん)

 

 元より一夏とて小言が好きなわけではない。

 相手が嫌がっているならこのくらいで切り上げよう。

 

(この前は泣かしちまったし、ここらでお詫びになにか奢ってやろうかな。親父さんの料理のお礼もあるしな)

 

 ふと見ると鈴音がポケットを何やらゴソゴソとまさぐっている。

 あ、と一夏は思った。 ハンカチか。 汗かいてるし。

 これは気遣いが足りなかった。

 今日は冷房も切られているしここは丁度窓から日差しも当たる。

 なんということだ。と一夏は瞳を恥ずかしさで瞑った。

 成る程だから気が悪かったのだな。

 

「鈴、悪い」

 

 一先ず自分の部屋に招いて冷たいお茶でも与えてやろう。 冷蔵庫までは運転を停止してはいないはずだ。

 体だけを自室へ向けて一夏は鈴音に手を差し伸べようとしたところで、皆には少し視点の切り替えと時間の巻き戻しに付き合って頂く。

 

(えっとえっとえっとえっと)

 

 一夏に出会ってからずっとテンパりまくりだった鈴音は一夏の親切心の言葉を全て聴いてもいなかった。

 見た目にはダンマリのまま動いていないように見えるが、中身は証券取引所以上に目まぐるしく変動していた。

 もっとも上がるか下がるかはしっかり二分されている株価よりは、鈴音の場合焦りが募る以外の動きが無い分、遥かに分かり易いかもしれない。

 またポカンとしていても耳がなくなった訳では無い。

 そのため一夏の最後の一言を拾い、その言葉の意味を今の焦り切った頭でサッサと結論付けた。

 

「鈴、悪い」

 

(悪い?...悪い=断る。断る=振られた)

 

 因みに一応書くとまだ告白もしていない。

 そして鈴音は混乱と、そんな中でもしっかり作用する悲壮感を一夏へと訳も分からずぶつけた。

 

 

 

「ホワチャァ‼︎」

 

 

 

「ぐべあ」

 

 一夏は顎を撃ち抜かれて卒倒した。

 視界が暗転する前に鈴音のポケットに入っていた、今月出来たばかりのウォーターワールドのチケットがヒラヒラと舞っていくのが見えた。

 

『......』

 

 サーチャーからの映像をレイジングハートで可視化したモニターを観ながら、なのはと巧はポカンとしていた。

 言語化すれば「え?なにやってんのあいつ」である。

「うわーん」と本当に泣きながら、彼らの隠れていた廊下の角を鈴音が走り去っていく。

 なのははレイジングハートをしまい巧に向いた。

 

「ご飯食べに行く?」

 

 気づけばもう昼時である。

 

「行く」

 

 2人は本島で営業している喫茶店の予約を確認した。

 

 

ーー

「うわーん」

 

「判ったからもう泣くな凰代表候補生。書類が纏まらない」

 

 今度は本国に渡すための書類を纏めようと、残っていたラウラの部屋にやって来ていた鈴音。

 もう帰ろうとしていたためか鈴音と違い、夏服のIS学園の制服に身を包んだラウラ。 後は鞄にシュバルツェア・レーゲンの稼働データと日報を容れるだけだったのだが、急に飛び込んで来た鈴音が泣きついて来て今に至る。

 

「ボーデヴィッヒー」

 

「どうしたというのだ。上官に叱られたか?君はそんな事で応えなさそうだがな」

 

 引っ付いてくる鈴音を拒まずラウラは空いた手で書類を鞄にしまっていく。

 そのかいあってか鈴音も泣き止みはしないものの話の通じる様子には落ち着いたようである。

 泣き声で一夏との事を説明する。

 大雑把な性格だが要領は悪くない鈴音の説明は主観が多かったが解りやすく、ラウラは最低限の状況把握をした。

 

「今日は一緒に寝てー」

 

「いや、出来れば今日中に日本の領空から出たいんだが」

 

「うわーん‼︎」

 

「あ、こらよせ、暴れるな。書類が舞う‼︎」

 

 ラウラを押し倒して鈴音が暴れる。

 体格差の無いラウラは苦労しながら、抱きつく鈴音の頭を掴んで引き剥がそうとする。

 鞄も床に叩きつけられそれなりの量がバサりと扇子を開いている。

 ラウラはそれらに焦りを覚えながらも、下手に動いて書類を潰してしまうことを恐れ、未だに乱暴に振り払えないでいた。

 おろし立ての制服に涙や鼻水を付けたくはないため、顔面だけは手で押さえているがこのままでは当分空港どころか学園の門さえ潜れそうに無い。

 両手を挙げたくなる(挙げられないが)ラウラを助けたのは一連の様子を見ていた同室のシャルロットだった。

 少なくとも3年は理由無しに祖国へ帰る気は無い彼女は勿論私服で鈴音を脇から担いでラウラから離す。

 その隙に書類を鞄に全て容れたラウラはそのまま服を直す。

 

「ほら鈴、ラウラ困ってるよ?僕が一緒に寝てあげるからさ。一夏のことは聴いたけどそれって多分鈴の早とちりだと思うよ?」

 

 早とちりのワードは鈴音の耳に入るより前の、シャルロットの口内から大気に飛び出した瞬間に鈴音を反応させた。

 

「本当?」

 

 グルンと首を180°反転させてシャルロットを睨む鈴音。 もう涙は枯れている。 泣かれないことは嬉しいが逆にホラーになった感がある。

 思わずシャルロットは鈴音を離す。

 

「う、うん」

 

「雑技団かお前は...」

 

 直前まで泣きついていたラウラすら眼中に無い。

 取り敢えず怖いので首だけは元に戻してもらいシャルロットは鈴音に説明した。

 

「だってまだ鈴は告白もしてないんだよね?そもそもフラれようが無いと思うんだけど」

 

「私も同意見だ。君は織斑くんに会っただけだろう」

 

「てゆーか、その後の飛び膝蹴りの方を心配するべきだと思うよ...」

 

「同意見。凰代表候補生の蹴りは生身でも充分凶器に成る」

 

 交互に前と後ろで正論をかけられ鈴音の頭の熱が頭上から抜けていく。

 言われれば言われるほどそうなのかも知れないと冷静になっていく。

 そして頭によぎる飛び蹴りのシーン。

 

「あっ、チケット渡しただけだった」

 

 本当ならそこでデートの約束をして改めて異性として意識させるつもりだったのに、あれでは一方的にプレゼントしただけではないか。 鈴音としてはデートの初めから自分の事を意識してもらいたかった訳で、これでは失敗である。 そもそもペアだということすら伝えてはいない。

 

「あれを渡したと言うのだろうか...」

「鈴って結構ズレてる所あるよね...」

 

 2人は鈴音の恋を応援するつもりだが、たまにこれで良いのだろうかという念に捉われる。

 その後ラウラは当初の予定通り空港へと出発した。

 

 

ーーSide一夏

「どうやって返そうか...」

 

 俺は鈴音が持っていて、顎を蹴り飛ばされた時に落としたプールのチケットの端を持ってヒラヒラさせている。

 目が覚めた時は自室のベッドの上だったからきっと俺と同じく、自主的に居残り組の人が見つけて運んでくれたんだろう。 後で縁が合ったらお礼を言っておかなくてはいけないな。

 まあそこは置いておくとして今はこの落し物だ。

 

「ウォーターワールド」

 

 なんとなしに口に出してみるとマジでありきたりなネーミングだな。 いや、バカにしてる訳じゃなくてね。

 調べてみると今月オープンしたばかりのプールらしい。 俺は生憎市民プールくらいしか馴染みが無いためピンとこないが、所謂プールの遊園地だ。 観覧車やジェットコースターの代わりに、螺旋を描いた滑り台で水着一枚にて音速を超えたり、流れるプールで永遠に終わらない周回マラソンを強制され続けるのだ。

 

「行きたくはないな」

 

 態々金を払ってプールに入るなんてどうかしてる。

 プールは大人たちが無料で入らせてくれるものだ。

 千冬姉が俺の代わりに払ってくれるものだ。

 そもそも水に金を払うこと自体嫌だ。 鈴や弾達と一緒に川で遊んだ時は、危ないことをするな。と怒られた事はあっても金を取られた事は無い。

 俺は下を向いて落ち込んでいて、その下をアメンボが滑って行った。

 夏休みの市民プールもたまにアメンボが浮いていたことがあった。

 アメンボから金を取る法律が作られない限り俺は金を取るプールには行きたくなかった。

 俺は今風の電話をスイスイと指を滑らせて画面にWebの情報を載せている。

 勿論Wi-Fi完備だ。 俺は電波も誰かに助けてもらわないと飛ばしたく無い。

 

「げっ、ここ当日買うのに2時間待ちかよ」

 

 前売り券はすでに売り切れて、今手に入れるとしたら俺から奪い取るしか無い訳だ。

 しかもこのチケットから見るに使用できる日は明日の土曜日のようである。

 俺は要らないから行かないとして、これは鈴のものだ。 届けてやらねばならない。

 蹴られた事に文句が無い訳では無いが、あれはきっと俺が何時もの如く悪いのだろう。

 恨みが無いなら届けてやるのが世の常だ。

 俺はチケットが折り曲がらないように厚紙に挟んで懐にいれた。 鈴はああは言ったが多分まだ帰国しようとはしていないだろう。

 部屋を当たればまだ間に合うかもしれない。

 急がねば。

 気が変わればフットワークが軽い鈴のことだ。 国境を超えるのもポケットに収まる荷物で済ませるに違いない。

 こっちもチケット一枚ならフットワークは互角だ。

 俺は部屋の扉を開いて鈴を探しに行こうとしたところで俺の前に緑の毛糸が現れた。

 

「山田先生」

 

 どうやら毛糸の正体は我が副担任の山田先生だったようだ。

 山田先生は何やら申し訳なさそうな顔をしている。

 先生は書類を俺に見せてきた。

 

「織斑君って明日空いてるかな?」

 

 

ーー

 面白い喫茶店だった。

 入店の時に案内してくれたのはメイドだった。

 そしてメニューを運んできたのは執事だった。

 なのはが面白そうと見つけて巧が面白いと意気込んで入ってみた駅前のファミレス。 @クルーズは店員が女ならメイド、男なら執事服を着て接客する店だったのだ。

 最初は俗に言う「萌え萌え」な店を想像して躊躇いの気持ちが無かった訳では無かったが、いざ入店してみると意外とモダンで、メイドや執事に相応しい「格式」めいたものを感じる大人的な雰囲気に2人は一瞬で気に入った。

 従業員の服がやけにフリフリしていないのも好印象だ。

 店員が客に媚びるのは金銭関係だけで十分だ。

 

「これ食いたい」

 

 巧が一つしかないメニューを指で決める。

 文字しかない、一枚開きのシックな色合いがお洒落なメニュー表をなのはが目で順に品名を飛ばす。

 そして巧の指し示す期間限定パフェを見て顰める。

 

「お昼食べに来たんだよ...て、高っ」

 

 単品で2500円というファストフードならポテトとドリンクのセットが4、5品は食べられる料金設定になのはは財布を確認するまでもなく首を振った。

 

「無理無理。電車賃無くなっちゃうもん」

 

 巧がナチュラルに財布どころか定期券すら持って来ていないことは学園のモノレール駅ですでに分かっている。

 IS学園しか行き先の無いモノレール駅だが、建設の際の民間会社との諸々の契約の末、生徒や教員でも金を取る。

 誘った以上奢る事には別段抵抗は何もないのはなのはだが、それでも流石に限度があるという物。

 

「ほら、カツカレーとか410円だよ。食堂並みだよ」

 

 他にも鉄板プレートの皿を使った濃厚ジューシーハンバーグだとか、パルメザンチーズがタップリのっかったマカロニグラタンだとかをなのはが指していくが巧は拒否の代わりに睨んできた。

 

「もしかしてそんなにお腹空いてない?」

 

 ならばパフェだけで済まそうとしたのも考えられない事はない。

 なのははアラカルトの項目から提案を開始してみた。

 

「タコ焼きは?ピザは?」

 

 しかし巧はむしろ口籠ったようにメニューの文字列を目で流している。

 困っていると、客はけがひと段落付いたらしい店員の執事が注文を取りに来た。

 大学生くらいの目元がスッキリとした執事は慣れたようになのはと巧に注文を訪ねて来た。

 

「すみません。まだです」

 

 なのははもうオムライスセットに決めてあるのだが、巧を気遣い注文を待ってもらう事にした。

 無理に急かすのも可哀想だった。

 

「あの」

 

 巧がおずおずと店員に顔を向けた。

 店員の執事が爽やかな笑顔を向け、巧が少し言いづらそうに尋ねた。

 

「あんまり熱くない奴ってありますか?」

 

 一瞬店員はポカンとしてすぐにああと一人付いた。

 もうなのはにも分かった。

 

(熱いの苦手だったんだ)

 

 これは選べる筈も無い。

 写真の無い聞いたことの無いメニューの中から必死に熱くないランチを探していたらしい。

 

(しかし熱くないのって...冷たいのお願いしますならバレなかったかもしれないのに)

 

 夏だし、冷房越しでも冷たいものを食べたいのだろうと思い、猫舌は隠せたかもしれない。

 そう思うと何やら無性に子供っぽく思えてくる。

 巧もその事に気づいたのか店員が親切にメニューの説明をしている中こちらと目を合わせようとしていない。

 結局巧は『トンノロッソ風パスタ(Fredda)』という料理にした。

 店員がかしこまりましたと頭を下げて厨房に知らせに行く。

 巧は店員のメイドが持ってきた水を口に含む。 からりとコップの中の氷が音を立てて位置を変える。

 なのはが自分も水を呑んでからりと音を出す。

 人懐っこいまあるい瞳が巧を覗く。

 

「ふふっ」

 

「なにが可笑しいんだよ」

 

 なのはが声を出す。 巧も声を出す。

 なのはが笑って巧がしかめっ面。

 なのはがなんでもないと口にし巧がそうかなんでもないかと返す。

 じきに料理が運ばれて来た。

 なのはのオムライスは予想通りのオムライスセットだった。

 サラダとコンソメスープが付いてふっくらとした薄焼き卵の下は予想通りのケチャップライス。

 味も美味しいが予想通りのオムライスだった。

 楽しみだったのは巧の風のパスタだ。

 色合いはどうやら普通のトマトソースがベースらしいが、フォークで巻いて食べてみた巧が一言思いついたようにトンノロッソの意味に気がついた。

 

「ツナだ」

 

 へえとなのはがサラダをフォークで刺しながら言った。

 成る程ツナなら冷えても美味しいな。

 トマトも今なのはが食べているサラダの付け合わせに乗っているため、ソースにされても冷えていても美味しいのだろう。

 玉ねぎとニンニクが甘くスパイシーで味を一調単(いっちょうたん)にしない。

 少量入れられた唐辛子が胡椒と合わさって体と舌を冷やしすぎずに味を楽しめる。

 巧は夢中でフォークを動かしてトンノロッソを頬張る。

 そんな巧にふと羨ましくなったなのはが尋ねる。

 

「一口良い?」

 

 ニヤリと笑って巧。

 

「やだね」

 

 会話もなく早めに終わった食事を後になのははコーヒーで場を和んでいた。

 サービスとしてその場で砂糖をいれようかと店員のメイドが訪ねて来たが、今日は気分と共に味もハッキリと判りやすくしたかった。

 巧は相変わらず何も頼まず、最初のお冷の水を飲み干し残った氷を口に放り込んで食べていた。

 巧からすれば味の入ったジュースなどより氷の方がより冷たさに真摯だった。

 

「良いお店だね」

 

 独り言にもしないつもりだった気持ちが声に出してなのはから発せられた。

 律儀に答えてやる程でもなかったが断る理由もなく、口内の溶けかけの氷の冷たさに免じて巧が肯定を返した。

 

「ありがとね」

 

 驚く2人にさっきの店員の執事よりも年上そうなメイドがスカートの裾を軽くつまんで上げて会釈をしてみせた。

 その後にすぐ大人びたプライベートな女性が2人に微笑んだ。

 

「お姉さんISの人?」

 

 学園の生徒かと聞かれているのだと分かったなのはは返事を返して肯定し、巧は関係ないと感じてまた氷を口に放り込んだ。 前の氷が溶けたのだ。

 

 

ーー

 

 寮から来たの?あそこの寮って凄く豪華らしいわね、結構休みの日でも制服の子が居たりするわ。IS学園の倍率って一万いったりするんだって?やっぱ品の良さそうな顔してるわねー。可愛いし彼氏もカッコいいしその上ISも動かせるなんてあこがれだわー。あのね、やっぱ賢いがっこの子って違うのねぇ。もう顔つきが高校生離れしてるのよ。お姉さんはその中でも特にしっかりしてる‼︎って顔してる。あ、でもお兄さんも大人びててクールよね。いくつ?ああ、じゃあお姉さんの方が歳上なんだ。歳下のイケメン系⁉︎きゃ〜...でもお兄さんも良い顔してるよ?なんか......歴戦の強者って感じ?なんだそれ。ゴメンね。あははーーそれでお兄さんはどこの高校?うち城南付属の子も来るけどそっち?そっか〜、でも十分名門よ。でもそれだとバスとか駅とか結構掛かったでしょう。IS以外だとお客さんに学生少ないんだ。え?ただ?でもここはマンションとかもないよ。セキュリティ上の問題でね、家とか建てちゃいけないから、私も向こうの橋から毎日身分証明して入ってるんだよ。車で片道40分だから大したこと無いんだけど...って話逸れちゃった。もしかして歩いて来たの?うん、バスだよね。ああ、定期券?......え〜、お姉さんが?ダメだよきみー。女の子に奢らせたら、ここのご飯もだよね?うんうん、んで帰りもだ。ダメだよ〜そういうの。あーもう、いいのいいのそういうの。お姉さんも気をつけてね?財布忘れたら走って取りに行かせないとダメ!結構かかるんだからね。知ってたきみ?知らなかったでしょ。ヨシっせめてここはタダにしてあげよう。大丈夫、私店長だもん。うわ、きみ彼女に優しくしない上に失礼だね。だあれがコネだってえ。コラ、無視するな。私は立派な店長ですぅ

 

 

ーーモノレール駅前

 

 @クルーズでの昼食代が浮いたことでなのはは構内にて少し買い食いをする事にした。

 といっても駅の中にある売店なためそれ程豪華なものは買えない。

 ガラス戸の奥で冷やされた飲料水を眺める巧を後ろ目で見てなのはは左手で冷んやりとした世界へと探索に入った。

 パフェを取ろうとしたのは単に猫舌なだけでなく、味覚が甘党気味な可能性高い。

 だが単に甘いだけでは、もし濃厚チョコといった系統のものだった場合、喉が渇いてしまう。 ある程度清涼感のある方が良い。 またこの気候で大き過ぎるタイプも食べる速度が溶ける速度に追いつかずに手を汚してしまうため好ましくない。

 暫しの思考の末なのははカウンターへとそれを持って行った。

 

 巧は先の店長の言葉が頭にずっと残っていた。

 大きな世話だと思ったし、大半を聞き流す気でソッポを向いていた。

 しかしどうやら耳にこびりついていたという事は自分でもなのはに金を使わせていた事に負い目を感じていたということだろう。

 店長の好意でチャラになったが、あのままなのはに払わせていれば一般的な映画館の学生料金くらいは使わせていただろう。

 あのモノレール駅で今日は奢るとなのはは言った。

 言われた以上奢らせること自体には正当性はあると判断している。

 しかしどこかそこを免罪符にしていた節があったのではないだろうか。

 今なのはは売店で何かを買っているが巧は正直どうしたらいいのか分からない心境だった。

 勿論目の前の飲み物を奢ってもらう気はない。 モノレール賃以外は受け取る必要はない。

 ただこの間はなんとかならないものか。

 外で待っているとなのはをなんだか急かしてしまう(+冷房を求めて)一緒に入ってみたが、何もせずにいるのは相手が視認できる位置に居るのも相まってかなり気を使う。

 あくまで普通にしていようと心がけるがそもそもここに居ること自体がなのはへの負担なのだろうか?

 ガラス戸の向こうの冷気が巧を冷やそうとしてガラス戸に遮られる。

 不安を冷やして鈍くしてもらおうと冷気を求めたが今度はガラス戸が欲しくなった。

 不安と心の間にガラス戸を置いて、冷気と同じく塞き止めて貰いたかった。

 しかしガラス戸を外すと怒られてしまう。

 巧は諦めてアイス売り場の方を見た。 上に口の空いたボックスの表面をもっと強い冷気が覆っている。

 だが巧はダメだと足を向かわせない。

 不安は嫌だがそれは凍らせてはいけない。 どこかで動かし、感じていないと心がダメになってしまう。

 不安に無頓着な人間はいるが、それはそういう人間だから凍らせても大丈夫なのだ。 巧はそうではない。 オルフェノクに覚醒したからか、もう忘れたが。 巧は常に不安を抱いてなければいけないのだ。

 なのはがカウンターで会計を済ませているのが見えた。

 そろそろここから動かなければ、自分だけ店内に残っていればいやらしい。

 なのはの目につかないように売店の外に避難した巧は初めて暑さに感謝した。

 暑さが不安を燃やして感覚を麻痺させてくれる。

 

「巧くん」

 

 ヒヤリ

 

 なんだ。 せっかく太陽と夏が俺に味方してくれているのに、冷気なんて要らないぞ。

 

「これ食べる?」

 

 差し出されたのは二つの容器を一つに接着したもので、それぞれ中に水色の、恐らくソーダ味か辺りがシャーベット状になって入っている。 容器の接着部分をポッキリと折ることで二つのアイスとして食べられるタイプだ。

 それをなのはは差し出している。

 

「なんだよ」

 

「知らない?これ真ん中で折ると二つになるんだ。食べようよ」

 

 巧が渋っているとなのははもう、と勝手にアイスを折って片方を巧に持たせた。

 戸惑う巧に明るい笑顔がかかる。

 

「私まだ約束果たしてないからね」

 

 首を傾げる巧。

 なのはがピシッと巧の分のアイスを指差す。

 

「奢る」

 

 なのはがアイスの栓を千切って中のソーダ味を口に含んだ。 味がしない。 まだ固まっていた。

 

「いや...あれ」

 

 巧が改札口を指差す。

 切符を買ってくれたのはなのはだ。

 なのはがウウンと首を振る。

 

「あれは買ったものを()()()。私が約束したのは()()。ね。違うでしょ」

 

 つまりなのはが買った。この場合は切符だが、そのなのはの所有物を巧に渡したというだけだと彼女は言うわけだ。

 変な理屈だと思わなかったでは無いが、なのはの笑顔がなんだか甘くてそういう気持ちにさせた。

 

「あんたがいいんならいいよ」

 

 巧は栓を口で千切って開き口を啜った。

 いい具合に溶けていたシャーベットが舌に引っ付いて消えていく。

 ふと巧はあのしつこい不安も消えていること気づいてアイスを強く啜った。

 トドメのように啜り、後はなのはの近くに寄った。 アイスよりなのはの近くに居る方が不安は逃げ出すと思った。

 栗色の髪が風に揺れて笑顔が振り向いた。

 

「まだ時間あるからゲームセンターにでも行く?」

 

 コクリと容器を売店近くのゴミ箱に捨てながらうなづく巧に、なのはもまた頷く。

 もう気遣いなど微塵も残っていなかった。

 なのはがやりたいようにやるなら巧もやりたいことをやるだけだった。

 どの道先立つものがなければ2人とも楽しめない。

 なのはが前にここの出島の地図を大まかに記憶する機会があった事も幸いし、海側のあまり人並みが入らない雑貨ビルの二階にあるゲームセンターを抑えることができた。

 廃れたイメージもあって少々不安だったのだが、こちらも@クルーズ同じく上手く裏切ってくれた。

 対戦式のカーレースで取り敢えずの持ち小銭が無くなるまで車体を壁や相手の車にクラッシュさせ続けた2人は、なのはが換金して小銭を増やしたことでさらに加速。 ゾンビが敵な定番のガンシューティングゲームでは巧が狙いを慎重に付け過ぎて役に立たずなのはも当てずっぽうで速攻でゲームオーバーになり、逆にエアホッケーでは巧の驚異の反射神経と乱暴なスマッシュになのはが的確についていく好勝負が展開された。

 そして最期の百円玉がクレーンゲームに消えた時には既に午後5時を回っていた。

 階段が見つからなかったので狭いエレベーターに乗って地上へと降りた。

 お互いの火照った体の熱気で1分にも満たない開閉までの時間がもどかしい。

 未だに高い日の目の下でなのはが財布を開いて固まった。

 

「...ごめん全部すっちゃった」

 

「何やってんだ...」

 

 これでは帰れない。

 なのはは定期券があるため帰るだけなら何とかなるし、寮に帰れば束の工面してくれた生活費がまだある。

 それを知った巧は自分の保護者との甘さが全然違うと嘆いたものだ。

 

「結局俺が貰ったのはあの時の5000円だけだぜ。知ってっか、俺ここに来る時は大体自腹なんだぜ」

 

 一応学業ならば学園側から、そして千冬も個人的な頼みを聞いてもらう時には自分の財布の紐を緩める。

 驚いたのはそれ以外の所謂巧の私用は、たとえオルフェノク関連でも千冬は金をおろさない事だ。

 文句を言った巧を千冬は少し睨んでこう言った。

 

「私が頼んだ事なら、100万だろうと工面してやる。だが乾巧が個人で決めたことは初志貫徹では無いが、他人に頼る前に乾巧の自己負担で行うのが筋というもの...人助けでも同じだ」

 

 

ーー

 

「さすが先生だね」

 

「テロリスト科学者の方がいいね。変えてくれよ」

 

「んー、束さんと君の問題だから私は良いけど…あんまり私以外に面倒見て欲しく無いな」

 

「きったねー」

 

 取り敢えず駅まで歩きながらなのはが顎に手を当て唸る。

 

「例えば私は未成年だけど、今より更に幼い...9歳くらいだとする」

 

 巧の頭に小さいなのはがいいとこの小学校の制服を着て現れた。

 

「そんな私がタバコに憧れを持って吸いたいと思う」

 

 頭の中のなのはがちょいワル系のオヤジの一服光景に目を輝かせている。

 似合わない。

 

「私の親は束さんで、ある日その想いを打ち明けてタバコを買ってきてくれるようにお願いしたとする。......どうなると思う?」

 

「買ってくるんじゃないか?」

 

 全く違和感なくそう思えた。

 その日中かは分からないが、断る理由がなければきっと買い与える。 そしてその断る理由になのはの健康への害を懸念する気持ちは含まれていない筈だ。

 

「だから出来れば別の子を任せたくないんだ。面倒見てもらってあれだけど...」

 

 バツの悪そうななのはに巧は視線を外してもう一度千冬を睨んでみた。

 昔真理が聞いた話を自分に言ってくれたことがあった。

 家は母性があっても良いけど学校は父性が強くなければいけないらしい。

 子供が間違った道に進んだ場合は母性では引き戻せない時があるから、そんな時に学校が殴ってやるのだという。

「まあお父さんは殴ったことないけどね」と真理がせんべいを齧った。

 千冬は父性なのだ。

 見たことはあまり無いが一夏や箒が叩かれているところは確かにそんな感じなのかもしれない。

 なのはは話を聞いてまた顎を触って唸った。

 

「それで着いてこれる子ならそれでも良いのかもしれないけど、父性も色々あるんだよね」

 

 また巧には解らないものが来た。

 そういえば向こうでは軍の教官みたいな位置に居るらしい。

 千冬もそうだが、2人は大きく違う。

 

「私の同僚...階級は違うけど古い付き合いの人が同じ立場なんだけどね?2人とも父性って感じだけどタイプ違うんだ。相手の自主性に任せるタイプと逐一ここが悪いって叱るタイプ」

 

 なんだかどちらも初対面で好印象は抱けなさそうだ。

 最初の奴はお固そうで、ナチュラルに見下してきそうだし、後の奴はきっと生意気が服を着て歩いているのだ。

 

「放任タイプの人はまだ型にはめるには未成熟な子。叱るタイプの人はその子達よりは大きいけど、若くて危うい子を見てたからある程度そういうのもあるんだろうけど...」

 

 途端になのははあの時の事を思い出した。

 少し黙ってなのはは言葉を探す。

 巧はそれをただ待った。

 

「でもどんなタイプでも変わらないのは、その人はその人の正しさ以外で教えることは出来ないってこと...それが相手にちゃんと伝わるとは限らないってこと」

 

「伝わらなかったのか?」

 

 巧が無邪気に聞いてくる。

 シャーリーには人の過去を勝手に打ち明けるなと言ったが今回のは自分が自爆しただけだ。

 なのははうん、と頷いた。

 

「その時は丁度話し合おうって時に敵の無人機が現れて...飛行機みたいなガジェットドローンね。それで話せずじまいだったの」

 

「じゃあ面倒そうだな、その後」

 

 話が益々こじれてしまったに違いない。

 

「それがね、教官どころか指導には直接関係無い職員の子がなんとかしてくれてたんだ」

 

「ラッキーだったな」

 

 本当にそう思う巧が言う。

 なのはもそうかもしれないなと感じた。

 担当教官な以上シャーリーに頼らず解決しなければならないし、なのはならば実際に解決してみせただろう。 ティアナの暴走原因は分かっていたから後は少し早いお披露目をすれば納得した筈だ。

 しかしそれで治ったものはきっと以前通りで、以前以上のものでは無かっただろう。

 その後のフォワード達との関係は間違いなくそれ以前よりもプラスになっていた。

 あれこそまさに

 

「母性って奴だと思うよ」

 

 なのはは身の上話になりかけた話の流れを元に戻した。

 

「ISって危ないから厳しくしないといけないのは確かなんだけど。考えてみたら寮生活で、初めての子って色々溜め込んじゃうからそういう時に心が安まる場所が居るんじゃないかな」

 

 それが母性だと言うのだ。

 

「だからメリハリが大事っていうか...あ、ごめん。へんな話になっちゃったね。着いたよ」

 

 そうこうしているうちに何時の間にか問題の駅に戻ってきた2人はすっかり忘れていた目下の課題を思い出し立ち止まった。

 駅の前で立ち往生している2人は利用者が限られているとはいえ観光名所で行き交う人々の中に紛れて目立たない。

 やがてなのはが財布を開き、しまってあった定期券を取り出す。

 

「はい」

 

 それを巧に差し出す。

 目を丸くする巧。

 実はね、となのはが切り出す。

 

「私今日は帰ろうかなって思ってるんだ」

 

 帰るとは寮の事ではないだろう。

 

「私がこの学校へ来た理由。巧くん教えたっけ?」

 

 む、と巧が思考する。

 確か初めて正体を明かされた時に知ったと思う。

 少し時間を要して巧が頷いた。

 

「織斑と篠ノ之の護衛かなんかだろ」

 

 そうとなのはが正解を出す。

 ここにきて成る程と巧も頭の中で手を打った。

 

「あいつらどっかに行ったのか?」

 

 なのはが魔法で作った見えないドローンで2人を監視していることは知っている。

 映像は映さないらしいが常に位置情報を記録しているらしい。

 そのなのはが寮には居ないと言うのならそうなのだろう。

 

「今は箒ちゃんだけね。取り敢えず軽い結界でも張って来るよ」

 

「それならバスとかどうするんだよ」

 

「歩いて行くよ」

 

 さらっと言っているが大変な距離だろう。

 少なくともこの出島より歩く事になる。

 

「巧くんは悪いんだけどそれで帰って。それで悪いんだけど、返す時はここに持ってきてくれないかな?その時に使うお金は私が後で払うから」

 

 それについては急だが巧に文句はなかった。

 取り敢えず寮とはいえ休めるのだ。 金も返してくれるのなら断る理由はない。 今日は色々と良くしてもらった。

 

「......」

 

 少し黙った後巧は駅へと弾かれたように走って行った。

 驚いたのはなのはだが帰ったのだろうと合点を付けて自分もサーチャーからの位置情報を頼りに踵を返して歩き始める。

 まだ夏場で日差しは明るいが時刻はもうすぐ夕食時だ。

 束からはもう護衛は必要ないとは言われているなのはだが、彼女はもしもの事態に慣れている。

 それは準備を万全にしたと思っていても思わぬところで襲って来て痛手を負わされる。

 歩きながらもなのはの気持ちは急いでいた。

 行き交う観光客を追い抜き、すれ違いながらなのはは広い大通りの広い歩道を進んでいく。

 

「高町ー‼︎」

 

 バイクが突っ込んで来た。

 

「あっぶ⁉︎」

 

 なんだかこのやり取りに近視感を覚えながらなのははバイクを躱し、その場所にバイクはスライディング気味に停車した。

 甲高いスキール音に紛れて軽く悲鳴が聞こえる。

 バイクのライダーはフルフェイスのヘルメットを取って巧の顔を出した。

 巧はなのはのどうしてを言わす暇も与えずにもう一つのメットをなのはに投げた。

 鈴音のメットだ。

 

「乗れ」

 

 ようやく混乱から脱して冷静に判断出来た。

 先程走って行ったのは立体駐車場に停めてあったオートバジンを取りに行くためだったのだ。

 束に回収され点検され直したオートバジンは車体もピカピカの新品である。

 

(でももう少し優しく出来なかったのかな...)

 

 半径2メートルは離れて通り過ぎる通行人を見ながら思うなのは。

 しかし巧はそのようなことは気にしないらしい。

 いつまでも乗らないなのはに苛立ったか少し語気を強めて後部座席を指す。

 

「早くしろって。2ケツだよ」

 

 口調は乱暴、ついでに行動はもっと乱暴だったがその根幹は手助けだろうその想いを感じ取りなのはは呆れながらも仕方ないと諦め、メットを被る。

 

「おにーさーん、ちょっといいかなー」

 

「あ」

 

 よくよく考えれば駅前というのは大抵の都会ならば近くに駐在所があったりするものだ。

 IS学園に繋がる駅ともなれば当然。

 巡回中の巡査が高確率でいる中で派手にドリフト駐車をすれば現行犯か通報かで駆けつけて来るのも不思議ではない。

 間抜け風に気づいたなのはの目線に制服の婦人警官が同僚らしいもう1人の女性を背後に控えさせてフランクに巧に手を挙げている。

 勿論仲良くなろうと近づいて来た訳でもなく仕事モードだ。

 

「危ないねー。歩道の一時停止って知ってる?みんな守んないんだよねー。道路にも流れってものがあるからウチらも大目に見てるんだけど、流石にねー。出待ちのタクシーでももっと安全に客拾うよー?」

 

 日本人らしい黒い髪の警官は二十代くらいの外見に四十代くらいの笑顔だった。 多分仕事中はずっと四十代に違いなかった。 実際後ろの同年代の同僚は二十代らしい容姿に二十代くらいの真面目な顔だった。

 四十代の警官は一頻り語尾を伸ばしながら巧に説教をしてから特に罰則を与えずに巡回に戻って行った。

 一瞬目のあった二十代の警官が別に挨拶をする訳でもなく真面目な顔のまま後ろをついて行く。 きっと仕事中はずっと真面目顔に違いない。

 そしてすっかり意気消沈して2割方シュンとして見える巧の肩をポンと叩きなのははオートバジンに跨った。

 

「はい、連れてってね」

 

 巧は今度は歩道から出る時にしっかり一時停止をしてから道路へと出た。

 アクセルを開ける毎に後部座席でもかんじる風に成る程と以前鈴音から聞いた爽快感に納得する。

 9歳の頃を思い出す。

 

 空を飛んだ時。

 

(あの時はちょっと楽しむ余裕あんまなかったけど)

 

 思い返せば初めて本格的に空を飛んだのはフェイトと初対面した時だったろうか。

 当時は素人同然だったなのはは猫を守るために、そして襲いかかって来るフェイトから身を躱すために空を飛んだ。

 レイジングハートに任せっきりで今のように自由に飛び回っていたわけではないしあの時なのはの注目は空ではなく金色の魔力光へと向けられていた。

 飛び交う魔力弾と斬り交う魔力刃から必死に逃げていたあの頃の自分に比べれば今は人に任せている分随分と楽だ。

 オートバジンがスーパーマシンなこともあるだろうが、こんなに気持ちが良いのなら今度元の世界へ帰った時にはティアナのバイクに乗せてもらえるか頼んでみるかとなのはは少し顔を後ろに逸らした。

 首ごと風が引っこ抜いてしまうような感覚。

 魔法で体を保護しているなのはや操縦者保護システムがあるISでは絶対に感じることの出来ないこの猛威。

 速く進むとは本来ならこういう事なのだ。

 技術体系と努力に洗練化された元々の素養である魔力保有量の恩恵に隠されていた大気の猛威が今のなのはにはなんだか自然が教えてくれる恩恵のように思えた。

 普段楽をしている事に説教をしているように風の音が聞こえた。

 なのはは巧の腰を柔らかく持って体を固定させる。

 本当は密着させているのはあまり褒められた事ではないのは知っているが、生憎オートバジンのシートにはタンデム用の持ち手など無いので、せめて巧の自由度を極力減らすためになのはは重心の移動を意識していない。

 バイクの傾きに合わせて力を抜いて身を任せるのだ。

 大切なのは自分を物だと思うことだ。

 それが一番運転手を不安にさせない。

 なのはの気遣いのお陰で巧の胸中に何時もと比べての不便さは無い。

 いつしかなのはのことを大事な荷物程度に扱うようになり、それは緊張を良い塩梅に調整してくれた。

 右へ左へオートバジンが車体を揺らす。

 渋滞をすり抜けで躱してあっという間に出島を出たオートバジンはそのまま本土で見かけたコンビニの駐車場へと停められ、巧は乗車したままヘルメット越しに後ろのなのはを呼んだ。

 

「そんで篠ノ之の家ってどこだい」

 

「うん、ちょっと待って」

 

 ちょうどその事への疑問を抱いていたなのははやはり知らなかった巧に応えるように懐から取り出したバッジを巧のシャツに取り付ける。

 その際背中に同級生たちより成熟した形の良い胸が背中に押し当てられるため巧は一瞬ドキッとするが、直ぐにその気持ちはシャツに取り付けられた未知のアクセサリーに興味を奪われる。

 

ーー聴こえる?

 

 耳ではなく頭か心に、大気では無く神経を震わせて巧を驚かせるなのはの声はISのプライベートチャネルを連想させる。

 念話だと巧が思い当たったのは、なのはがリニスやプレシアと使用していたことを見て羨ましく思っていたことから驚きから立ち直って直ぐの事だった。

 

 巧はとりあえず心の中で尋ねる感覚を手探りでつかんでなのはに答えた。

 頭の右後ろで話すよりは簡単だった。

 

 巧からの返事を確認してなのははここにはいない束に礼を思う。

 無論このバッジは篠ノ之束が制作したもので、マンティスシュリンプオルフェノクに炸裂させたブローチと同時期に作られたリンカーコア非所有者を対象にアプローチされたものだ。

 その目的は実に分かりやすく、念話が使えない人間に念話を使用させることが出来るという代物だ。

 といってもなのはに渡してある初期の発明品である通信機のサーチャーを中継させる機能と同じく、これ単体では魔法を行使することは出来ないため、なのはが通信を繋げていなければいけないので束自身は満足していないのだが、魔法の存在を認識してまだ半年という事とスカリエッティ捜索以外の限られた研究時間を加味すれば間違いなく天災の発明である。

 なのはは巧に自分がナビすることを伝え再びオートバジンを発進させた。

 なのはがサーチャーから伝えられる箒の現在位置を念話に乗せて、まるでパソコンに画像データをコピーさせるように巧に渡す。

 これが一番確実なナビだろう。

 そして巧の頭の中の地図をなのはが念話を駆使して同じ机の上で地図に赤線を引くように巧に指示を出す。

 念話は通常生活に使用される思考回路とは完全に切り離してしよう出来るため、念話の片手間に通常時と全く変わらないパフォーマンスを披露出来る。

 バイクの操作が道路が高速域やカーブに差し掛かっても全く陰りが見えないのもそのためだ。

 オートバジンの走破性もありなのはは歩きは勿論公共手段よりも遥かに速い時間で箒が現在身を落ち着かせている篠ノ之神社へと辿り着くことができた。

 

「ありがとう巧くん。この後はどうするの?」

 

 メットを返して空を見上げる。

 暗みを帯びてきた空色と平常時と言うには少々我慢の必要が出だした空きっ腹。

 もう学園に戻ったとして、自分がいないぶん身軽とはいえあそこに戻る頃には完全に夜になってしまうだろう。

 すると巧も空を見上げて腹をおさえる。

 

「まあ。帰るさ」

 

 なのはの定期券をチラつかせながら巧はなんでもないように言ってのける。

 放浪生活が長いらしい巧には先行きが不安な事態は慣れているのだろう。

 鈴音のメットをしまって巧はオートバジンのエンジンをふかして篠ノ之神社から、なのはから離れていった。

 あっという間に消えていってしまった巧になのはは手を振る暇もなく追っかけていく気もなかったため、篠ノ之神社の外周をまわり出した。

 

 

ーーIS学園 寮

 

「メールでもいいんじゃない?」

 

「ダメよ。乙女の決心は1日一回だけなんだから、一夏が届けるのを待つ」

 

 ラウラが空港に出かけて2人部屋の定員そのままに住民だけ変わって、シャルロットは落ち着いた鈴音を相手に一夏がしているであろう誤解を解きに行こうと説得しているのだが鈴音は頑なに受け入れようとしないで困っていた。

 

「このままじゃ誤解されたままだよ?今からペアのこと言って来なよ」

 

「やだやだー」

 

「もう...」

 

 首を振りまくって拒否をする鈴音にシャルロットは溜息をつく。

 

「なのはさんや乾くんも絶対その方がいいってゆーよ?」

 

「関係ないもん」

 

 口をとんがらせてそう言う鈴音は見た目も相まって幼く見えてシャルロットは更に呆れた。

 ラウラも意外と可愛い洋服に興味があったりリンゴは兎さんが好きだったりといった面があったが、ああいうのはギャップだ。 鈴音の場合はただただ子供っぽい。

 きっとこのまま説得を続けたらいずれ癇癪を起こすに違いなかった。

 シャルロットはそれでも諦めない。

 鈴音が動こうとしないのなら自分がお節介を焼けばいいだけだ。

 

「分かった。鈴がいいんならそれで良いよ。僕も鈴のために動くのは止める。やりたいように一夏に話しかけて、秘密とか君への気遣いなんてせずに話す。それでいいね」

 

 鈴音が少しうっとなりそしてそれでいいと頷いた。

 鈴音自身もこのままの進展は期待できないと思っていたのだが、いかんせん子供なりのプライドで一夏に真意を伝えられずにいたところにシャルロットの助け舟だ。

 意外に素直な鈴音に拍子抜けするもシャルロットは笑顔で頷き返す。

 

「うん、じゃあ待っててね」

 

 他人の恋路にはフットワークが異様に軽くなるタイプのシャルロットはすぐ様ドアを開き手振りも途中で一夏のもとへ向かって行った。

 慌てて鈴音が差し出した右手が伸びきる前にシャルロットは部屋から出て行ってしまう。

 中途半端に伸ばされた手が虚空を切る。

 まるで水もつけずに粘土でもこねているかのように重い動きで鈴音は空気をかき混ぜる。

 空気同士が互いにくっ付いて鈴音の手を拒んでいるようだった。

 このまま一夏からも拒まれてしまうのだろうかと鈴音は思う。

 十分にあり得る。

 ここ最近一夏に他の女子とのリード差を広げられないでいる鈴音は、先日の福音戦後になんだかいい感じになってきた箒にさらに危機感を募らせていた。

 突然一夏と箒が食事の場からいなくなっていることに気づいたら次の朝には箒のチャームポイントである黒髪に色が加えられていた。

 それだけならば鈴音も趣味が変わったのかと気に留めなかったが、一抹の不安で親友のセシリアに尋ねると彼女はにこやかに言ってのけた。

 

「一夏さんからの誕生日プレゼントですわ」

 

 とりあえず黙っていた罰として側頭蹴りを入れておいたがセシリアの笑顔は小揺るぎともしなかった。

 モデル体型のくせにアマレス選手並みの首の強さだった。 ISに頼ってはいるが体も一応隅々まで鍛え抜いているのだろう。 喧嘩を売るのはやめておこう。

 というわけでライバルの箒に現在大量リードを許している鈴音だったが実はそれ以外でも不安要素がある。

 

 実はその不安要素とは今しがた出て行ったシャルロットであり親友のセシリアでありラウラ達であるのだ。

 三人は今のところ鈴音の味方という立ち位置に居る。 もっともラウラはあまりサポートには興味を示さず、セシリアもなんだか最近は一夏にちょっかいをかけて遊んでいるだけだが。

 これは箒があまり彼女達と人付き合いをする機会がなく、社交的な鈴音が徳をした形になった訳だが、今やその味方ポジションも危うくなってきているのだ。

 

 というのもラウラはともかくセシリアとシャルロットは上記の理由で一夏によく関わっているのだが、そのせいで一夏が2人を異性として意識してしまっている節が偶にあるのである。

 特に目下の不安はシャルロットだ。

 セシリアは何だかんだで意識してやっているためスキンシップの頻度をセーブしたり、逆に過剰にやりすぎて一夏にウザがられるように仕向けて好感度を微調整してくれているのだが、シャルロットは完全に善意。 なんなら若干天然気味に一夏に接触しているため始末が一番悪いのだ。

 男性の時のノリを引きずっているのか、それとも完全に一夏を友人目線で見ているためか、変に異性として意識している他のライバル達よりもよほど自然に過激に一夏とスキンシップを取っているのだ。

 シャルロット自身一夏の事が好きなことには変わりないため横から見ていてかなり仲良くしている。

 この前も鈴音とのデートを取り付けるため一夏の肩に抱きついて話しかけた時は慌てて引き剥がして、お陰でその時のデートは有耶無耶になってしまった。

 向こうも悪気などなく行ってくれているためハッキリと文句を言えずここまでズルズルと続いていて困っているというわけだ。

 多分一夏がシャルロットにプロポーズしたとしてアッチもまんざらでもないのかもしれない。 恩人なわけだし。 私も恩人だけど...

 

「俺たち付き合うことにしたんだ」

 

「鈴ごめんね」

 

 頭に浮かんだ最悪の未来をかき消して鈴音は手をかき混ぜるのを止めた。

 

(なに弱気になってるのよ‼︎シャルロットに一夏の意識がいってんのは私自身のアプローチが足りないせいでしょ。私が努力すればいいのよ)

 

 そうだそうだと繰り返して鈴音はシャルロットのスキンシップがあまり激しくないことを祈って待った。

 そしてしばらくして戻ってきたシャルロットがどこか罰の悪そうな顔で鈴音はなんとなくまたデートがお流れになったのだと知った。

 時間はもちろん待ってはくれずにIS学園は土曜日を迎える事になった。

 

 

ーー

 

 IS学園の普段は生徒と教員以外滅多に使わないモノレール駅に一般利用者が乗り込んでいく。

 全員何やら統一された。 生徒の制服に似た彼らの制服を身につけている。

 スーツ。

 だれがみてもわかる公共用の正装を着こなして手にはそれぞれ大仰な手荷物を控えさせている。

 片手で済ませる者から台車を押す者までいる。

 これらの器具一式が彼らの仕事道具なのだろう。

 太陽の照りつく暑さを彼らの器具が吸い取っている。

 暑さを吸い取り冷たくなっていく器具達を運んで冷たいモノレールに乗り込んでいく。

 冷たい先にある雪を求めて。

 

 IS学園の備え付けの整備室にてたくさんのケーブルで繋がれた白式と装着者の一夏。

 ISは他の搭乗タイプの機械と比べてなによりも装着者との繋がりを重視する。

 それは一夏が身につけている専用のスーツからしても確認出来る。

 例えば戦闘機に搭乗する人間は耐Gスーツという専用の衣服を着用するがGスーツの目的はあくまでも人間と外気の間の緩衝材でしか無い。

 ISスーツは確かに拳銃程度の弾丸を防ぐ程度の防弾防刃を誇るが、その目的は人間とISの間を取り持つ伝導材であるのだ。

 それこそ白式の無骨と言えるクローも一夏にとっては生身の手のように多彩に繊細に稼働させることが可能だ。

 装甲はまるで胸や腿のように接続されるケーブルの感触を一夏に気持ち悪く伝えている。

 それでももちろん緩衝材でもあるISスーツは一夏の不快度数を管理してそれだけにとどめてくれている。

 一夏は退屈な時間を過ごしていた。

 

(鈴と一緒にプール行きたかったなー)

 

 白式を纏っていても若干の暑さを感じる。

 そしてそれを意識すればするほど余計に強調され一夏は白式のせいで暑くなっていた。

 この際鈴音の蹴りは照れ隠しだと解決しよう。 それか暑さで頭をやられたのかだ。

 猪武者の一夏がグダったのだ。 元気の子もやられたに違いない。

 きっと今日は水を頭から被ってすっかり何時もの鈴音に戻っているだろう。

 久しぶりの友人とのプールならこうしてじっと点検終了を待っているだけなどよりも余程楽しいし有意義な筈だ。

 しかし今更この点検をキャンセルすることは出来ない。

 

(そういえば白式って誰が所有してんだっけ)

 

 暇な時間を思案する。

 製造元の倉持技研で一夏は貸し出されているだけだと言われるかもしれないが、一度考えてしまうと瞬間的にその理論にツッコミたくなってしまう。

 

(白式は俺の相棒だから、こいつは俺のものだよな〜)

 

 もっともその内容は人に聞かせるほどの大したものでは無いが。

 精々がこうして時間を潰す妄想の題材として気を紛らわせるだけであった。

 そしてそういう始めから薄い内容の話題は直ぐに底が見える。

 

(プール行きたかったな〜)

 

 案の定一夏は叶わぬ想いにより、元のもどかしい時間をもう一度過ごす羽目となるのだった。

 そしてその願望の遊び場を共に過ごす筈だった友人は偶然一夏と同じような想いを別の形で抱いていた。

 

 

ーー

(一夏とプール来たかったな〜)

 

 こちらは場所ではなく連れ添い人に不満を抱いているそもそもの企画人である凰鈴音。

 こちらはプライベートであるため別段声に出しても問題ないのだが、それをしないということも彼女なりの気遣いで

 あるのだろう。

 

「ごめんなさい、一夏くん...じゃなくて」

 

 しかし横の無愛想な割に人の機微にはやけに鋭い四組の友人の友人にはお見通しのようである。

 視線は彼女たちの前面にあるこのプールの目玉である長大な丸い管。 要するにウォータースライダーである。

 天窓で仕切られた一画から一度外へ出てそこから長い階段を降ろしており中々の列が出来ている。

 CMや朝の報道番組のコーナーでも宣伝している『世界一高いウォータースライダー』でありその最高時速は時速80キロメートルに達するとかしないとかいう、そういう類が苦手な人間には専用の処刑台としても機能しそうな謎のハイクオリティ滑り台を紅い瞳で見つめる簪は昨日の夜に寮に帰ってきた巧が事情を聴き用意したペアであった。

 せっかくのチケットを無駄にするなという言葉の裏には恐らく遊びの中で鈴音の傷心を癒そうという巧の気遣いがあったろう。

 それは鈴音も認めるし有難いと思っているのだが、この気まずい状況は勘弁していただきたい。

 

(そういえば私この子と話したことってほぼゼロ?)

 

 顔を合わせたことはそれなりに多いがそれは食堂で見かけたことが多数あるといった感じで、鈴音の方から挨拶をして簪が会釈で返すか視線を合わせるだけな時を仲が良いと言うのはかなり無理がある。

 他もラウラの暴走事件や福音の暴走事件などの非常事態で、純粋なプライベートと言える転入当初のラウラを招いた食堂以外なく、そこでも2人はロクな会話をしていなかった。

 

「更識さん」

 

「苗字で呼ばないで」

 

(あう...)

 

 まるでいつもの2人の性格を交換しているように鈴音は凹んだ。

 まるで楽しめそうにない。

 

「だって巧クンはアンタのこと苗字で呼んでるし...」

 

 せめてもの快活さか。

 恨みも込めて鈴音が憎まれ口を簪に使う。

 鈴音ほどではないが小柄な彼女は視線を外さずに代わりに言葉だけ鈴音に向けた。

 

「乾くんは、いいの...あの子は特別」

 

 人情味を感じるような語気ではなかったが巧への高評価が意外な鈴音は少し回復する。

 

(というか『あの子』って、どんだけ年下の娘に格下に見られてんのよアイツ)

 

 既に巨大人参にてなのはと巧の実年齢を知っている鈴音は、内向的な簪にすら年上扱いされない巧は少し哀れかもしれないと思った。

 

「好きなの?あの子」

 

 ちゃっかり自分も格下扱いする鈴音。

 簪は微塵も動揺せずに首を振る。

 

「乱暴...だから」

 

「なんかされたの」

 

「胸ぐらを掴まれてメンチを切られた。初対面で」

 

「何やってんのよアイツ」

 

 初対面の人間にする行いではない。 少なくとも年長者がする行いではない。

 逆によく好感度を回復させたものだ。

 なにか理由があるのだろう。 鈴音は当初の不機嫌を忘れて簪への興味を抱いた。

 

「なんで苗字が嫌なの」

 

 いきなり地雷原直行。

 簪にとって更識の件はトラウマに直結したモノなため他人に詮索されることが好ましい筈がない。

 初めて反応を示してくれた簪は果たして険しい表情で鈴音を見下ろす。

 

「ねえ、なんでー」

 

 しかしそこは巧以上に飾り毛がなく、なのは以上にフレンドリー、そして一夏以上に図太い鈴音。

 獣的な直感でそれが簪にとっての恥部なことには察しが付いていたが、気になるものは気になるのが彼女だ。

 あっさりと気遣いを捨ててストレートにしつこく聞き回る。

 

「教えないと今日はずっと抱きついて1日過ごすから」

 

「暑い...やめて。言うから」

 

 思ったほど躊躇しない簪は抱きつく鈴音を引き剥がしてため息も付かずに直ぐに教えてくれた。

 

 幼少の頃より姉の更識楯無と比べて卑屈になっていたこと。 それの後遺症でいつの日か更識という名前自体がトラウマになっていたこと。 それをある程度解消してくれた人が転入してきたなのはであること。

 なのはにすら詳しくは言ってはいない簪の身の上話は勿論鈴音にとっては初めて聞くものだ。

 

「私にとって更識はお姉ちゃんのもの。私を指すものではない」

 

 更識=優秀。

 そんな固定概念が生まれてしまっていた。

 

(そういえば千冬さんも前に更識妹って呼んでたっけ)

 

 鈴音にはわからないが多分本人からすればそういうのも凄く嫌なのだろう。

 

「乾くんがお姉ちゃんのことなんて言ってるか知ってる?」

 

 ちょっとだけ明るい顔に意外に思いながらも否定する。

 

「更識姉だって」

 

 ふふ、と笑って簪が嬉しそうにする。

 

(ああ、なるほど)

 

 その簡単なワードがまさに簪にどストライクだったらしい。

 常に姉と更識のネームバリューに苦しめられてきた彼女にとってそれは二つを同時に打ち砕くものだったろう。

 きっと性格的な相性はそこまで良くは無いだろうが、いわばタイミングと選択肢を上手に選んだ巧のファインプレーなのだ。

 

「でもアイツ私らの事女の子扱いしなくない?」

 

「うん。昨日は着替え中に部屋に入ってきて...しかもこんな時間にモタモタ着替えるなって文句言われた」

 

「私なんてもう野良犬蹴飛ばす感じよ。昨日もウジウジすんな、鬱陶しいっつわれて蹴飛ばされたわよ」

 

「野良犬っていうか....野良猫」

 

「野良は抜かしなさい」

 

 軽口を交わし合い笑い合う2人。

 本来の目的とは違ってしまったが巧の思い描いた通りに鈴音は元気になっていた。

 2人はそのまま更衣室で水着に着替えて、鈴音はこの日のために用意していた勝負水着を、海の時と変わらない簪に弄られたり流れるプールに浮かんだりして遊んだ。

 世界一のウォータースライダーは列が長すぎて辞めた。

 今は体を動かして疲れたい気分だった。

 疲れとともにプールの水が鈴音の嫌なものを流してくれるようであった。

 一頻り遊び終えた2人は園内にある喫茶店で寛いでいた。

 鈴音は注文したアイスティーをガブ飲みし、あっという間になくなった液体の代わりに凹みの空いた氷をグラスを傾け口に放り込んだ。 ガリガリと齧ったり舌で舐めて溶かした。

 簪は何も頼まず水だけを舐めながらずっと携帯の画面を額に皺を作って眺めていた。

 画面全体に目を流してそこに書かれてある文字を読んでいるみたいだった。

 どうやらメールのようだった。

 ネット小説を読むようなたちではないように思えたし、簪は賢い。 顔を顰めるような作品を自分から読んだりはしない。

 気になった鈴音は一旦2個の氷を吐き出してグラスに戻す。

 丸くなった四角い氷が他の四角い氷とくっつく。

 

「お姉さん?」

 

 多分そうなんだろう。

 簪は驚かずに険しい顔のまま淡々と肯定して説明しだした。

 口は冷静なのに表情だけは怖いのがなんだか面白かった。 自然に笑ってしまい簪は口も怖くなった。

 

「夏休みのお誘いなんだ」

 

 最近仲直りしてきた2人に楯無が誘ったのだ。

 時間を作って虚や本音と一緒に旅行にでも行こうかとメールで長文で知らせてきたらしい。

 本人は既に行くこと前提らしく簪には旅行先を聞いてきた。

 

「そういうの...一番困る」

 

 水を舐める簪に鈴音も吐き出した氷を口に放り込み噛み砕いた。

 

「飽きた。他の行こうよ」

 

「私にとっては一大事なんだけど」

 

 珍しく簪が自分の不満を言う。 鈴音は全く悪びれない。

 

「私にとってはどうでもいいの。今は一夏への傷心を癒しに来たのよ」

 

 余計な事に思考なんか使いたくなかった。

 鈴音はさっさと氷を全て食べると簪を置いて会計に進む。

 簪も諦めて水を半分飲んで席を立った。

 水着客もいるため最低限の冷房しかかからない店内から出たところで園内放送が流れた。

 爽やかな女性の声ではっきりとした口調で興味のない鈴音の耳にもバッチリ入ってくる。

 広いプールを利用したペアでの障害物レースの参加案内であった。

「第一回」なんて言葉を選ぶ辺りもしかしたらこれからの目玉として使うつもりかもしれない。

 ふーん、と聞き流していた鈴音ではあったが優勝ペアへの商品の説明に入ると目の色が変わった。

 

「簪、今商品なんだって」

 

「沖縄五泊六日の旅をペアでご招待」

 

 流石の一言一句違えることなくリピートしてみせた簪に鈴音がニヤリと笑って簪が嫌そうな顔をした。

 

「出るわよ」

 

「.........」

 

 断ったら殺されそうだと感じ取り簪は仕方なくそれを二つ返事で受諾した。

 

 

ーー

 

「さあ!第一回ウォーターワールド水上ペア障害物レース、開催です!」

 

 司会のお姉さんが元気に飛び跳ねて会場から野太い声が聞こえる。

 何気に山田先生並だ。

 わざわざビキニを着用している辺り策士である。

 男性達は喜び声援を飛ばして、女性達はそれにドン引きしながらも異常な熱気に文句を言う気も起きずむしろ巻き込まれて共に声援を水上の24人、12ペアに送った。

 全員女性だ。

 なんでも受付で男性チームは急に帰って行ったらしい。

 

「古くよりプールの騎馬戦は女人しか立ち入る事を許されないのだ」

 

 ウォーターワールドのオーナーである向島光一郎(むこうじまこういちろう)がお姉さんにマイクを持たせながら答える。

 自身に満ちた声に会場からは光一郎コールが盛り上がる。

 

「また女性だからってなんでもいい訳ではない」

 

 荘厳な趣に会場が生唾を吞み下す。

 

「古くよりプールの騎馬戦は美人しか立ち入る事を許されないのだ」

 

 天窓が割れんばかりの大音量の歓声が向島を讃える。

 因みに大体が男性であり女性陣は大半がドン引きを飛び越えて、絶対零度の侮蔑の目で男どもを見下していたがやはり熱量が凄いのでブーイングは起きなかった。

 実際集まったメンバーはスタイル抜群であったり顔がよかったりそうでもないが引き立て役に特別に参加を許可されていた。

 そんな中でも既に人気を獲得しているのが鈴音・簪ペアだ。

 最年少ペアの一つである2人は一番輝いていた。

 何処から調べたのか2人の名前が入った横断幕が掲げられていたり、アメプロファンでも居るのか2人を応援するチャントまで起こっており鈴音は兎も角簪は観客席から目を外して若干怯えていた。

 

「これは、女尊男卑な世界にして正解...」

 

 出来ればこの会場の男性はみんな刑務所に入って欲しい。

 メイド服やバニーガールなど着た記憶のない衣装を身につけた簪がセクシーポーズをしている画像を貼っつけたTシャツを見た時は蕁麻疹が出た。

 変態は次元の壁も壊すのだ。

 その横で柔軟に精を出す鈴音はネコ科の猛獣を思わせる目でコースや対戦者達を品定めしていた。

 

(コースは私と簪なら大した問題じゃない。見た目重視の参加者なんて目じゃない。後はヒール役の処理だけど...)

 

 向島曰くブスは引き立て役とヒール役なら参加していいらしい。

 マイクで堂々と持論を展開した向島は観客の涙ながらの暖かい声に迎えられて控え室へと消えて行った。

 お姉さんが再び巨乳を揺らして開始合図を叫びピストルを鳴らす。

 

「おらあ‼︎」

 

 開始と同時に鈴音の蹴りが横に居た彼女達の引き立て役の背中を蹴り飛ばす。

 つんのめって倒れる引き立て役はもう1人の引き立て役を巻き込んで空中に浮く島からもろ共落ちた。

 高い水柱に簪が固まる。

 

「よし、ブスペア1撃破。簪、先に行ってなさい」

 

 どうやら鈴音の作戦とは簪に単独で行かせて後方ペアを鈴音が纏めて叩き落とすというものらしい。

 最初の奇襲に他のペアも虚を突かれてその場で居付き、前に出れないでいた。

 

「そこまでして一夏くんと...?」

 

 鈴音にとっては台無しになったデートの代用としてこの優勝商品を狙っている事は明らか。

 正直簪からすれば理解に苦しみ呆れる案件なのであり鈴音の姿は酷く滑稽に見えた。

 

「さっさと行かんか貴様ァ、もぐぞ⁉︎」

 

 いつまでもまごまごしている簪に鈴音が吼える。 本当に牙が見えた。

 

「なにを⁉︎い、行ってきます‼︎」

 

 飛び出した簪は最初の島に飛び乗り後続組も襲いかかる。

 それと同時に雄叫びと着水の音が簪の後ろで起こる。

 割れんばかりの声援からすると恐らく鈴音の大立ち回りが作戦通り遂行されているのだろうが、生憎簪にその様子を見る気は無い。

 振り返った途端あの鈴音の獣の形相が自分に噛み付いてくる気がした。

 そうでなくとも気が緩んで万が一島から落ちてしまうとスタート地点からやり直す羽目になるのだが、スタート地点には勿論鈴音が居る。

 

(こ、殺される‼︎)

 

 たかが友達の友達のデート予算のために命を落としたくはない簪は全力で浮島を跳び渡っていく。

 女性1人の重みで揺らぐ島を簪は軽やかに通過していく。

 見た目と性格から想像がつかないが彼女とて国内に数人しかいないISの国家代表候補生。

 それこそ宇宙飛行士並みの装備と厳しい環境で動作チェックをし、スポーツアスリート並みの有酸素運動と体調管理をこなして、軍人並みの格闘訓練と戦技指導を受けているのである。

 もっともそれは候補生になるまでのことであり、今は生徒でもあるため一時期程のトレーニングはしてはいないが、一般人を対象にした障害物競争を突破するには充分過ぎるほどの身体能力と体力を簪は持っているのと、彼女には他に強力な技能がある。

 姉の楯無すら越える状況判断の速さに直結する演算処理・空間認識・情報処理能力に代表される頭の回転のスピードである。

 同じくその分野を得意とする同学年がセシリアやシャルロットだが、簪は視覚などの入ってくる情報の処理・解釈の速度が群を抜いているのだ。

 セシリアが直感で、シャルロットが堅実に選択するルートを彼女は完璧に頭の中で数値化して結論している。

 島の揺れや園内の大気の流れ、内緒でISの機能を使って回収したそのバラバラな情報を重ね合わせて洗練化し、限りなく完璧な設計図のように理想的なルートを成形して駆け抜けるのである。

 

「速いぃぃ‼︎2人でないと超えられない筈の障害物を目にも留まらぬ速さで突破して行きます。さながら人に羽が生えていたらこう動くんだというように、水上の天使が大空へと舞っております‼︎」

 

 お姉さんの実況が簪をさらに注目させ歓声を引き起こす。

 

「突如受付口に現れエントリーしたこの美少女ペア。ツインテールの一際小柄な凰選手、纏わりついてくる対戦者を鋭い蹴り一閃...うわーっと‼︎2人まとめて吹っ飛んだぞ何という威力。まるで日本刀にの鋭さにバズーカの威力が付与されているようであります

『人間バズーカ』凰鈴音‼︎

小さな体に詰まったビッグバン。触った不届き者から爆発だぁ」

 

 なにやら誰かが乗り移っているような気がするなと簪がぼんやりと思いながらも放水を行う障害物を最小限のジャンプで飛び越える。

 

「大ジャーーンプ!!」

 

 一瞬ビクリとしてコケそうになるがすんでのところで鈴音を思い出して踏みとどまる。

 お姉さんはまるで気にせずに更にエキサイトしている。

 

「なんという高さ‼︎正に天使、翼の生えた戦闘マシーン。まるで彼女の通る道だけ予め安全に舗装されているかのようであります。

そう‼︎人とはそれぞれ自分だけの道を通ります。別々の人生はそれぞれ別々の過酷なものであるますが、そこには確かに格差の差異が存在しております

我々は彼ら天才が舗装されて高速道路をスポーツカーで走って行くのを砂利道より自転車から見上げているのであります

才能の壁‼︎

人生が険しい道だと誰が言ったのか⁉︎

この世がそうであるのならこの天空の浮島はその天才を我々の土俵に引きずり落とす真の漢道‼︎」

 

「人類みな家族‼︎家族は分かち合うもの。だったら俺らの苦しみとお前の幸せ交換な?そんな想いを込めて屑どもが建設したこの天才絶対道ずれステージ‼︎

ここで我々は初めて平和になれる。他人の足に抱きついて連帯責任だ

しかしそれすらも天才というものは乗り越えてくるのであります。背中に翼の生えた水色の戦士。私の髪の色はこの天の色よ‼︎空こそが私のステージだとでもいうようなこの更識選手

凡人が用意した仮初めの天空の島を一飛びで踏み潰して参ります」

 

「これが人類が太古より見上げてきた夢の舞台。本物の天国。私も貴方もお友達も、きっとこれを見て思い出しているはずであります。かつて幼少の頃に憧れたあの雄大な渡り鳥の姿を‼︎

あの時はお母さんが夕飯で呼んでたから私が「うっせえババァ‼︎」と言ったらその日は家に入れて貰えませんでした。良い子のみんなは親孝行しようね

人は進化の末に翼を捨てて生きる道を選びました。地面を一歩。また一歩と堅実に踏みしめて生きる人生を選んだのであります。重力に支配れて我々はこの星から出られなでいたのであります

しかし本当にそれが原因か?本当は出られたのにその道を選ばなかったのではないのか⁉︎だってみんな地面に居るんだもん‼︎寂しいもんと同調意識に囚われて抜け出せないのが今の現代日本ではないのでありましょうか」

 

「『出る杭は打たれる』を実践して共同体を崩さずに生きることが本当に幸せなのか?自由とは確かに危険なものであります。自由は時に無礼に繋がります。みんな無礼者になったら大変だ

しかしそれならば、それならば、何が悪いと言うんだ?

気を遣い合わないと生きていけないような窮屈な世界から抜け出ることこそが人類の目指すべき進化ではないのだろうか?

みんな一度はそんな考えに行き着いて直ぐに恐くなってしまい又ブラック企業に勤めるのではないのだろうか?

取り敢えずあのクソ課長はマジで死ね

今、私はあの時気づけなかった答えをこの瞳で目の当たりにしております。ご覧あれあの雄大な姿を‼︎恐がる必要などどこにある⁉︎嫌われたくない必要がどこにある⁉︎代わりに自由と君自身が君の親友になるだけであります

自由の体現者、更識簪。自由の道を進んで生きます‼︎」

 

(...疲れてるのかな)

 

 お姉さんの熱の入った実況に冷めた感想を抱く簪は第四の障害を超えて最後の島に差し掛かる。

 ここを越えれば沖縄旅行。 もとい鈴音のデート券が手に入る。

 ここまで来ればもうネタ切れか流石のバラエティ豊かだった障害物も島同士の距離が少し遠いという単純なものになっていた。

 この程度ならば簪が飛び越えられないわけがない。

 しかし今大会はペア対抗戦なのだ。

 鈴音が抑えきれなかった、22人のうちで容姿重視ではないポテンシャルの参加者がペアの枠を越えて結託して簪に追いすがってきていた。

 後ろを気にしなかった簪は直ぐ近くまで迫ってきていた相手に気づかなかったのだ。

 中盤からは慎重に進んでいたことを含めても簪はそのことに少々焦る。

 お姉さんも簪からフェードアウトして実況をする。

 

「さあ、ここで浮上して参りました。本来優勝候補であったメダリストコンビの木崎が凰選手の相手を柔道の岸本に預け、更に横には同じく後輩であります。学生時代陸上・体操で鳴らした猛者を引き連れて、自由の翼陥落に追いすがって参りました

不意を突かれたか足、いえ、羽ばたくことを辞めてしまった更識選手に今‼︎猛然と襲いかかって参ります」

 

 お姉さんの実況に簪はあれ、と思い中央の木崎に注目する。

 

(あの人...レスリングの人か)

 

 新聞にも乗ったことがあるから知っている。

 先のオリンピックでは見事に金メダルを獲得した言葉通りのメダリストだ。

 マッチョウーマンの名が相応しい肉体をセパレートの水着で覆い、さながらレスリングの試合を思わせる。

 

(となると凰さんが足止めをくらっている相手は柔道の銀...)

 

「大陸から上陸してきた二脚の電鋸怪人。ここにきて流石の刃こぼれか岸本相手に距離を詰めようと致しません

それに対して岸本、自らの機動力の不安は重々承知しております。浮き島の丁度端の方で、腰を落とし、両手を広げて待ちの姿勢。

ここを通らば私が相手だ。そう言わんばかりに、仁王のように水際防衛をかって出ました‼︎

これにはさしもの東洋の原子力殺戮機も迂闊には詰められません」

 

 なんだか鈴音と自分の扱いに大分差があることに気になりながらも鈴音の救助が間に合わないとなると自力でなんとかするしかない。

 簪は上がってきた息をなおす暇もなく最後の障害に飛び乗る。

 これまでで一番大きな浮島は10メートルはある円形のもので、それを越えた先にゴールであるフラッグが立ててある。

 あれを取れば優勝。

 その気の緩みが全力で走れば問題なかった間合いを潰した。

 木崎の指示でギアをあげた現役時代は短距離走の選手だった取り巻きの1人が最後の直線で簪に追いつき、そしてタックルを仕掛けてきたのだ。

 

「ああーーっと交通事故だ‼︎世俗と離れた...巴投げで返す‼︎世俗と離れた浮島にて筋肉のブルドーザーが躍動しております。油断かはたまた限界を超えた人間の力か、どちらにせよ精密機械の判断がここに来て狂ってしまった‼︎」

 

 背後に肩を叩きつけられた簪はつんのめりばがら簪は両方だと思った。

 ゴールを手前に油断を突かれたのと後は相手の力量を把握しきれていなかった。

 なんとか倒れる勢いで投げ飛ばしてプールに落としたが、次は躱せない。

 

「バランスを崩した更識に飛びかかるー...高ーいぃ‼︎」

 

 もう1人の取り巻きが先行して簪に飛びかかってくる。

 流石に他人の昔取った杵柄まで知っているほどスポーツに興味のない簪だったが、どうやら相当だったらしい。

 実況通りの高い跳躍で簪に抱きついた。

 喧嘩慣れしているわけでもなく体格にも大差ないため直ぐに払いのけられるだろうが木崎が来るには充分な時間稼ぎになる。

 しかも困ったことに相手は自分がゴールすることより簪を道ずれにして落水する腹のようなのだ。

 流石にメダリスト相手に力で抗うのは不利なのでなんとか抱きつく取り巻きを引き剥がそうとする。

 人を殴ったことなどない簪が初めて取り巻きの側頭部に肘を入れ、怯んだところを自分も後ろに倒れるほどの前蹴りでたたらを踏ませる。

 バランスを崩したまま最後の取り巻きが浮島から落ちる。

 時間は無駄にできない。 倒れた状態で簪は再度状況の確認をする。

 慌てず急いで正確に、簪の頭脳がこの状況を打開する最適な解を導き出す。

 

(これは...凰さんに殺されるな)

 

 どうあっても簪の身体能力ではこの体勢から木崎のタックルから逃げる方法は0だった。

 むしろ立ったらその分吹っ飛ばされやすくなり、また倒れたままでも木崎とパワー比べで簪に勝機はない。

 このまま抱え上げられて一緒に落水が結論だった。

 

(せめて痛くないようにして欲しいな)

 

 木崎が目の前まで来て簪の腕を掴む。

 

(うわ、やっぱ痛いな...男の人みたい。メダリストって凄いんだな、なんでこんな大会に出てるんだろう...暇なのかな?)

 

 あっという間に引き上げられそうになる簪は最後にフラッグを見る。

 カバーケースに立てられて呑気にたまに揺らぐ布を見ると、益々こんな大会で体力を無駄に使った自分がバカに思えて来る。

 

(でも、ちょっと悔しいかな...)

 

 グッと委ねていた腕を引いて抵抗する。

 不意な強さに簪のポジションが元の位置に戻る。

 驚いた木崎が直ぐに顔を引き締める。

 

(あっ馬鹿...本気にさせてどうするのよ)

 

 せっかく怪我しない程度には手加減されていたのに、もしかしたら腕がすっぽ抜けるかもしれない。

 病院が旅行先になってしまう。

 しかしその前に簪は謎の浮遊感を味わう。

 それはどうやら自分だけの体調不良ではないらしく、木崎も簪の腕は掴んだままだが引き上げの力はまるで入っておらず、倒れないようにバランスを取ろうとしている。

 

「天が傾いたぁぁ‼︎」

 

 お姉さんの実況を聞いても何のことかまるで分からなかった。

 しかし簪の脳は簪の心に起こる同様とは別に動作し、事実を回収する。

 

 揺れと聴いてまず行き当たるのが急な地震だが、ISにはそういった今時の携帯が備えているアラート機能は一通り搭載してある。

 震源地が丁度ウォーターワールドの直下で、基地局との遅れがあるとしても揺れから2秒以上が経過しているためその線はない。

 それに実況での通りこれは()()だ。

 地面、正しくはプール上に吊るされた浮島が文字通り斜めに傾いている。

 

(そうか...!)

 

 特大の浮島を支えるために一際太いワイヤーだったので見逃してはいない。

 四隅を四本。

 特注品だろうワイヤーのそのうち一本が中程から寸断され宙に揺らいでいた。

 なにが原因かは探らないで置いた方が良いだろう。

 体勢的にアドバンテージがあるうちに。

 

「天女飛翔ぅぅぅぅぅ‼︎」

 

 腕を掴む木崎の手を簪は蹴りで跳ね上げ、後ろに飛び起きた。

 木崎が驚き無理矢理体を安定させるが、しかし既に簪は傾いた地面をクラウチングスタートの体勢で駆け上がろうとしていた。

 倒れた簪が浮遊感を感じるほどの傾斜角度。

 持ちこたえた足腰の鍛錬と体幹の強さは流石といえるだろう。

 しかし世界の舞台で闘うことを想定して鍛えられたメンタルは、地面そのものが傾くというアマレスでは到底あり得ない状況に、木崎の頭は簪を数秒だけ思考より消し去らせた。

 勿論簪とてこんな状況、普段から想像しているわけではないが、兎も角としてその数秒の差は互いの次のアクションへの決定的な差を生んだ。

 

「ふ...!」

 

 息を止めて体のバネを解き放つ。

 それはもしかしたらこれまでの人生の中で初めての全力投球だったのかもしれない。

 性格や生い立ちのこともあり常に複数のことを頭に抱えて、気にして、過ごしていた彼女がなにか一つのことに焦点を置いて後先考えないで没頭したこと。 何故かは分からないし今の簪はなにも考えてはいなかった。 ただ全力疾走で駆け抜けるだけである。

 

(意味わかんない...)

 

 気付いた時には右手に握りしめるフラッグを頂点に、飛び上がり雄叫びを上げていた。

 あれ程注目を嫌がっていた筈だったのに。

 しかし、まあ...

 

「いっか」

 

 自分が笑顔なことに気づき、簪は更に笑った。

 

 

ーーウォーターワールド 事務室

 

「とにかく!こういったことは!金輪際!しないで下さいね!」

 

「はい...」

 

 さっきまで水着を着ていた司会のお姉さんに事務室でこってりと絞られて、私服に着替えた鈴音はしゅんと小さくなる。

 その様子を無視して簪はお姉さんが用意してくれた椅子に座って、携帯端末で贔屓のアニメを観ていた。

 イヤホンで聴覚の面でも鈴音のことは無視している。

 

 実はあの攻防の中で浮島のワイヤーを寸断したのは、岸本に捕まりながらも右腕だけ甲龍を展開した鈴音が投擲した双天牙月だったのだ。

 簪が捕まりそうになったことに焦った彼女が迷わずしたことである。

 観客も簪に集中しており誰も気付いておらず、このことは優勝を諦めてスタート地点で傍観していた参加者と、急なIS展開に度肝を抜いて仰け反りバランスを崩してプールに落ちた岸本選手達が大会側にクレームをして発覚したことだ。

 幸いにして怪我人は1人もおらず、園内の損害もワイヤー一本だけとなった。

 しかしそれでも下手をすれば夏休みのプールに昼間っから惨殺死体があがることになりかねなかったのだ。

 

「とりあえず!このことは貴方の学校におしらせしないといけません」

 

「はい...」

 

 縮こまる鈴音。

 これは学園とそして学園の義務として報せを受ける本国の高官から大目玉を覚悟しなくてはならない。

 一般人には鈴音の国籍は秘密なので世論のイメージに影響は少ないだろうし、あまり好ましくないのだろうがISの代表候補生で、しかも専用機持ちの鈴音ならば()()()0()()()でどうこうなったりはしない。

 精々厳重注意でなんならお姉さん説教が一番キツイ罰でも可笑しくないのだ。

 しかし一夏絡み以外なら基本的に良い子な鈴音は猛反省しており貰われてきた猫のように大人しくしていた。

 

「......」

 

 アニメの視聴が終わり簪がイヤホンを外す。

 お姉さんにあの、と声をかける。

 簪はなにもしていないため怒ってないのか普通に応対してくれた。

 

「賞品はやっぱり貰えませんか」

 

 お姉さんが「ん〜」と顎に唸る。

 本来なら表彰台で来場者達の前で表彰するのだが危険行為があったということで協議でお預けをくらっているのだ。

 言い淀むお姉さんに簪はずいっと迫る。

 

「妨害がオーケーとしたのはそちらの方ですよね?危険行為についての説明も十分とは言えなかった」

 

 お姉さんがうっ、となる。

 何を隠そうこの女性が大会前に参加者にルール説明をしていたのである。

 そして確かに危険行為に対しては特に掘り下げなかった。

 参加者達のテンション維持に気を使っており、精々「怪我には気をつけるように」というお決まりの事しかしていない。

 もちろんだからといって非が大きいのは鈴音の方に変わりはない。

 図工の時間に「彫刻刀で人を殺してはいけない」と事前に教師が言わなかったとしても一番悪いのは隣のクラスメートを刺し殺した方だ。

 その場合は管理責任には問われるだろうがお姉さんは参加者の保護者ではないし、鈴音だって小学生ではなく高校生の年齢だ。

 しかし当事者の良心に簪は訴えている。

 

「ISを使うなとも言われませんでしたしコースを破壊するなとも言われてません」

 

「いや、そんな..だって...」

 

「貴方側は今回の大会開催にあたって十分な安全対策をしていたと言えますか?」

 

 息もつかせぬ言及はさながら取り調べである。

 相手の落ち度を武器に良心を責め立て、罪悪感を肥大化させる。

 改めて正気に戻ってみても今日の自分はなんだか意味がわからない。

 鈴音も驚いている。

 

「......ちょっと待ってて」

 

 それだけ言ってお姉さんは急いで事務室から出て行った。

 そして暫くしてから戻ってきて、少し間を空けて口を開いた。

 

「オーナーと...それから岸本さんとお話しをしてきました」

 

 鈴音が顔を伏せる。

 鈴音を捕まえていた柔道の銀メダリストであり、鈴音の暴挙で一番被害をこうむった人物だ。

 さしもの簪も彼女の名を出されて責める事は出来ない。

 今度は鈴音がお姉さんに声をかけた。

 

「岸本さん、怪我は...?」

 

「切り傷は無かったけど、頭から落っこちたせいでちょっと首痛めたらしいよ」

 

 それを聴いた鈴音が青ざめる。

 首の怪我はスポーツ、特に格闘技選手にとっては致命的な事は鈴音も充分分かっているからだ。

 簪も流石に岸本の不注意だと言うほど図太い神経は持ち合わせてはいない。

 静かになった2人にお姉さんが一つ息を吸って答えた。

 

「怒ってないってさ」

 

 え、となる鈴音にお姉さんが初めて優しく微笑んだ。

 

「受け身を取り損ねた自分が悪いってさ。トップアスリートとなると違うわねぇ。なーんか私が性格悪いみたいに感じたわ」

 

 ケラケラと笑ってお姉さん。

 これには簪も呆気にとられる。

 

「まあ、ぶっちゃけ。落水に関してはうちのせいなんだけどね。ほら、浮いてるじゃん、島。あなたの言う通りキチンと出来ていたかと言われると、やっぱりうーんなところがあるってのは私らも思ってたから」

 

 あっそれととお姉さんは懐から封筒を取り出した。

 

「はい、賞品の沖縄旅行」

 

 そしてそれを鈴音に渡した。

 目を丸くする鈴音にお姉さんはさっきより笑って口を開いた。

 

「オーナーから預かってきた。実は最初っから渡すつもりでさ、あの人可愛い子には甘いのよ...それに妨害じゃなくてお友達助けようとしたのは立派だって。後、学校へもなんかもう面倒いから電話やめとくわ。まあ、取り敢えずそういうことだから、おめでとうございます」

 

 パチパチと拍手をするお姉さんに簪はふうっと息を吐いた。

 

「よかったね...」

 

 鈴音に笑いかける。

 それに反応したのか鈴音はバッと立ち上がりお姉さんに体をくの字にさせて、要するに頭を下げた。

 

「今日は本当にすいませんでした‼︎」

 

「はい、分かったから他の参加者の人、まだ控え室に居るから一言言って来なさい。それと岸本さんにもね」

 

「はい!」

 

 簪はそんな鈴音を見て昔小さい時に家の誰かか、学校の教師か、友達かが言っていた言葉を思い出した。

 

「後悔はせずに反省をするべし」

 

 特に自分に対して言われたわけではないため意図は知らぬが、簪はそれを「卑下して思い悩む時間は無駄なため、再発防止のための時間に当てなさい」と解釈しているが今の鈴音はまさしくそれだと思った。

 簪は他人に身の振り方を求める柄ではないが、鈴音の姿は輝いて見えた。

 

 その後は控え室にて鈴音が岸本に謝罪をし、他の面々にも詫びを入れた。

 事前にお姉さんがフォローを入れてくれていたらしく全員あたたかく鈴音を許してくれた。

 今はそれぞれの帰り道で別れるところだ。

 

「今日はゴメンね簪」

 

「ううん...楽しかったし」

 

 そういう簪は来た時と同じく無表情だ。

 鈴音は苦笑する。

 

「賞金取れたしね」

 

 今度は僅かにだが微笑んだ。

 最初は飽きれていたが、今日を通じて友人の友人でも彼女の幸せについて笑顔を湛えてやるくらいには簪は鈴音のことが好きになっていた。

 性格はどうにも合いそうにないが、そこは仕方がない。

 

(それならなんで、乾くんとは仲良いんだろ...私)

 

 性格的には鈴音並みに合わないのに...

 そんな簪の思いを鈴音の「あ」という思い出したかのような声が遮る。

 

「そうだ、忘れる前に...」

 

 そんな鈴音が懐から取り出したのはその賞金の入った封筒だ。

 帯が付いた上質な袋を鈴音は出来るだけ大切に扱いながら、

 

「はいこれ」

 

 簪に差し出した。

 

「......へ?」

 

 理解が追いつかず固まる簪。

 なんとか持ち直し口を開く。

 

「これ...一夏くんとの、じゃないの?」

 

「違うけど」

 

 ますます混乱する。

 ならば何のためにあの大会に出たのだ。

 

「アンタ言ってたじゃん。お姉さんとの旅行先見つからないって」

 

 喫茶店のことを思い出す。

 

「もしかしてそれのために...」

 

「うん」

 

 頷いて見せる鈴音。

 あの時早々に興味を失った鈴音であったが、アナウンスで優勝商品の品を聴いた時に思いついていたのだ。

 これを使えば良いのではなかろうかと。

 そして簪を誘った。

 ようやく理解した簪はため息を吐く。

 死ぬような想いをしてまでまさか自分のために空を走り回っていたとは。

 

「言えばよかったじゃない」

 

 なんだか騙された気分の簪は少し気を悪くする。

 

「だって、そしたらアンタ参加した?」

 

 しなかっただろう。

 そんなことのために労力を割く気はあの時の簪には決して起きないだろう。

 

「だから黙ってたの」

 

 ペロリと鈴音が舌を出す。

 何も言えなくなった簪が口を窄める。

 多分なにを言ってもずっとこんな感じで意味などないに決まっていた。

 もう一度ため息をする。

 

「最後に一つだけ聞かせて、なんでそんなことしようとしたの?」

 

「私が喜ぶとでも思った?」

 

 責めるように簪。

 お姉さんにした口撃を返答次第では鈴音にもする気である。

 対して鈴音は、んー、とだいぶ悩んだ後に首を横に振った。

 

「思わない」

 

(こいつ...)

 

 もう少しだけ我慢しようと言い聞かせる簪。

 そしてそんな簪の心境など知ったことではないとばかりにたっぷり間を空けて、鈴音が口を開いた。

 

「嫌なの。身内でギクシャクしてるの」

 

 簪が少し顔を上げた。

 

「色々問題重ねて、結構重要なもんなんだってのは分かってるけど...それでも思い出したら家族って楽しかった時が一番楽しかったじゃない」

 

「...(ああ、そっか)」

 

 なぜ相性のあまり良くない巧がなのはや本音並みに仲が良いのか。

 分かった。 というか理解したわけでもないしまだ論理的には何一つ以前の状態からは進んでいないが、何となく分かった。

 

「そんな理由なんだけど...ダメ?」

 

 伺うように鈴音が首を傾げる。

 驚くほど図々しく無神経。 その上他人の問題に積極的に関わっていき、その際本人に許可など取ったりしない。 巧と鈴音はソックリであった。

 本当にムカつくし一緒に居たくはないのだが、

 

(ぶっきらぼうにしか謝ってくれなかったし)

 

 控え室でのやり取りなど正に自分と巧の相性の最悪さを物語っている。

 許す気にならないはずなのだが、

 

(勝手に人を走らせ回るし)

 

 結局簪のためではなく自分本位の自己満足である。

 嫌いな人種であるのだが、

 

(なんか)

 

「ううんーー」

 

(好きだな)

 

「ありがとう...()

 

 所謂、よくわかんないけど気がついたら好きになっていたという奴である。

 友人の鈴音との破茶滅茶な1日はこうして幕を降ろした。

 

 

ーーIS学園 生徒会室

 

「あつーい。だるーい。虚ちゃんクーラーいれてよ」

 

「経費削減です」

 

 一言ののちに爆散される懇願。

 生徒会長の更識楯無は会長の机にベターっと突っ伏している。

 色々と忙しい生徒会なのだが実質的に現在業務をこなしているのは虚と本音である。

 ダラけた会長を切り捨てて書類の山を片付けていく姿は出来る女といったところだ。

 

「あつーい。だるーい。本音ちゃんクーラーいれてよ」

 

 今度は彼女の妹に頼むつもりらしい。

 どちらにしても虚が止めるのだが。

 しかし今日のグータラ姫は珍しいようで、キッと真剣な表情になる。

 

「だめで〜す。たてなっちゃんはー、生徒会長なんだから、みんなのお手本にならないと」

 

「おお、珍しいじゃない本音」

 

 うげ、と楯無がなり虚が褒める。

 大好きな姉に褒められたとあって本音はキリリとした顔を崩してのほほんと笑う。

 

「だって、たてなっちゃんが仕事してないと、私は眠っちゃいけないからー」

 

「いや、どういう理屈よ」

 

 やはり褒めない方が良かった。

 頭を抱えたくなる虚。

 只でさえうちは人手に難があるのだ。 そろそろまともな人間が欲しい。

 

「.......」

 

「ほらほら、書類溜まってますよー」

 

 ドサリと楯無の場所を奪うかのように書類が彼女を追い出しキチンと座らせる。

 携帯を弄ったままの楯無ははあ、とため息をついた。

 

「こっちのセリフです。そんなに気になるんですか?」

 

 簪お嬢様が、と虚が続けて楯無が跳ねたように唸った。

 

「んあーーっなんで既読無視すんのよぉ」

 

 ガタンと苛立ったように携帯を机に投げ捨てるように放った。

 どれどれと試しに虚と本音が作業を一時中断させて携帯を覗き込んだ。

 チャットアプリの簪の項目に最新のメッセージが付いている。

 つい昨日簪を説得して漸く入れてくれた連絡先で、初日の楯無の「簪ちゃーん」に既読が一つ付いている以外で唯一のものである。

 

「なになに〜、『ぷりぷり〜ん❤️お姉ちゃんだよーん(^o^)』...」

 

「はい、ゴミぶんしょー」

 

 虚が倒した書類がゴミ文章を土に還す。

 

「やめんか‼︎だれのメッセがゴミ文章ですって⁉︎」

 

「いや、ゴミですってこんなの。関係修復してない姉から急にこんな謎テンションのメール来たら正気疑いますわ。怖くてアプリごと連絡先消しますわ。ついでに現物も消えてください」

 

 本音ですら引いている。

 このテンションがあと4000字は続くと考えると背筋が凍る。

 

「おうねーちゃん、ちょっと表出ようか」

 

 青筋を立てた楯無が指の骨を鳴らしながら立ち上がる。

 それに対して虚も夏服の袖をまくって応戦する。

 

「しゃおらぁ、こいやタココラ」

 

「なんじゃコラタコタココラ」

 

「いっけ〜、どっちも負けるなー」

 

 暑さとは人をここまで壊してしまうのか。

 さり気なくクーラーを入れて近くで涼む本音の声援の元、2人の生徒会役員が取っ組み合いをする。

 置き型のクーラーの上に座って事の成り行きを見守っていた本音だったが、ふと楯無の埋もれた携帯から漏れ出た光が書類の山から出ていることに気がつき、あれ、と思う。

 楯無の携帯は周囲の明かりに反応してスリープモードに移行するタイプなので、今光っているということは電話かメールが来たことになる。

 楯無の電話の着信音を知っている本音は同乗の理由で本体内蔵のメールとも違うことを看破し、書類の山を掘った。

 

「むー。あ、お〜い、たてなっちゃ〜ん」

 

 本音が2人に声をかけたところで備品を破壊しながらの喧嘩の結末は楯無が虚に机からの断崖式のパイルドライバーを食らったところで終わった。

 拳を突き上げ本音から勝ち名乗りを受ける虚は、そのままの足で何事も無かったように書類の整理に戻った。

 因みにクーラーは消された。

 残念がる本音だが虚が相手ならば敵わない。 楯無の携帯を倒れる会長に差し出す。

 

「かんちゃんから返事来てるよ」

 

「!!」

 

 簪のワードを聞いた途端飛び起きた楯無は本音がロックを解除して呼び出したアプリの画面を見て暫し黙ったままだった。

 しかし直ぐに本音から携帯を引ったくり、そして虚に抱きついた。

 不意を突かれ表情を強張らせるも今度は再戦が望みではないようで、虚に見せびらかすように携帯の画面を見せる。

 

「...ふう、良かったですね会長」

 

「うん‼︎」

 

 そこには短く『定員2人になっちゃうけど』という文と、それに添付された二枚組のチケットの写真があった。

 

 




今回は初の4万字を超えた回となりました。
本当はもっと書いて、@クルーズからミックスクレープの件までやりたかったのですが流石にダラダラと続けすぎかということで一旦区切って次回にしようかと思っております。
プロットが出来てる分少し早いかも?

改変要素

今回は鈴とセシリアのペアから簪に替えて障害物レースをさせました。
特に理由はなく当初はシャルにさせるつもりだったのですが、セシリアと同じくクロス先のメンバーと親しいわりに後半物語に殆ど絡めないでいた簪嬢がこっちを見ていたので。
簪と同じく後半空気な楯無さんの見せ場に繋げることにしました。
例によってキャラ崩壊のオンパレードに、ワールドプロレス見ながら書いたからか古舘節の影響が出ております。

※人気投票の開催。詳細は活動報告にて
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