IS:ボンド   作:田中ジョージア州

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期間が空いた〜♪
カフェでしこしこ書いてる方が家より進むね。
休みの日は朝からお店の人の許可を経てコンセント借りて夕方までのんびり執筆活動の田中ジョージア州です。
もちろん朝昼にランチと間食のドリンクを注文してるよ‼︎
ショバ代も納めんくせに椅子と机は借りんよ。

さて今回は先月言っていた@クルーズ編です。
甘酸っぱい濃縮ストーリーを7万字まるまるどうぞ‼︎


47話 セシリア、初のバイトはメイドさん⁉︎

ーー篠ノ之神社

 

 立派な神社だった。

 それ程大きな訳ではない。

 入り口に繋がる石段が長いこと以外は他の神社と大して変わらない立地、規模、スケール、開発費、誕生経緯。

 そんな神社を外回り。

 アスファルトの上。 道路と私有地の境目を歩いて私有地をみて回る。

 内側ではなく外側からこいつの隙を探す。

 神社の敷地には中心を囲むように竹が埋められており中の様子を伺い知ることは出来なかったが、別にそれがなくともなのはの感想は変わらなかっただろう。

 

「すごいところだな...」

 

 荘厳といった具合を感じさせる趣は竹越しでも十二分に伝わってくる。

 歩き回って感じる好感触をなのはは身に詰め込んで行く。

 境内に入るのが楽しみになってくる。

 由緒がある神社だとも聞いている。 少なくとも江戸時代から続いている伝統があるらしい。

 海鳴市内にも八束神社という似た趣の神社があるが篠ノ之神社から感じる相似点は見た目以上になのはの感性に刺激を与える。

 

(なんだか最近違和感がなくなって...それはそれでやり難かったんだけど)

 

 異世界だからか、なのははこの世界に来てからずっと自分以外の存在の全てに自分とは決定的に違う。 確証を得ない断定的な違和感を抱えていた。

 完璧に仕上げられた美しい絵画に一点だけ付いたシミ汚れのように、そしてそのシミとはなのはだ。

 人間から犬に小石、果ては暑さや寒さに音。 この世界の全てが自分と相容れない。

 簪や本音とどれほど仲が深まろうとその一線だけは超えられなかった。

 絆などの感情だけがなのはとこの世界を繋いでくれる共通理解だった。

 なのはが特に違和感を受けたものがISだ。

 ISもこちらからは触れもするし操れも出来る。

 しかしISの方からなのはに対してなんらかのアプローチを掛けてきたことは只の一度も無かった。

 数値上は正常ななのはのISは、なぜか他の生徒達が動かす仕草に何時もワンテンポ遅れていた。

 束が自分からISについて詳しく話してくれた事はないが、なのははISには心があると思っている。

 人間よりもこの世界に近い位置に居る彼女たちは異物であるなのはを瞬時に嫌ったのだ。

 それは違和感の無くなった今でも変わらない。

 教師からも不出来な自分に対し幾度とため息をつかれたことか、もう数えられない。

 それでもなのはの質問や日常生活での触れ合いでは快く接してくれる辺りは流石世界トップレベルの学校か。 金持ち喧嘩せずのように、生徒は恵まれた環境で過ごしてきたのだろう年頃らしく多感だがキチンと規律だっている。 教師も厳しかったり優しかったりそこは個性だが、全員根気強い。 同じ指導者として頭が下がる思いだ。

 しかしそれでも向こうが気を合わせてくれない以上どうしようもないというのが束の判断だ。

 ISは信頼関係が鍵なのだと言う。

 ならば自分は最悪だなとなのはは苦笑した。

 

 むしろ世界からの違和感が無くなった今の方がISは言うことをきいてくれない気すらする。

 

 違和感が無くなってからISからの嫌悪感が強く感じるようになった。

 これまでのものが他の小石達と同じく単なる疎外感ならば今度のは明確な敵意だ。

 なのはは異世界の人間として周りが馴染めないのは仕方のない事として、この疎外感には耐性を持っていたため気にせず過ごせていたのだが、敵意に関しては正直まいっている。

 IS学園に居る以上どうしてもISには触れ合う。

 簪などの候補生は常に専用機を持っているし、なのはに言わせれば専用機の異世界人に対しての嫌われ具合は群を抜いている。

 正に殺意である。

 まるで世界がなのはを受け入れてしまったために彼女達が世界に代わってなのはを殺そうとしているようだ。

 お陰で学園で過ごしている最中は四方八方から殺気を当てられているストレス地獄になっている。

 それをなのはは一々考えないように思考放棄することで図太く生きているのだが矢張り前の方が過ごしやすかった事は間違いない。

 

 そんな生活を続けていて分かったことがある。

 それはISにも人間と同じく個性があるという事。 そしてそれは持ち主である人間に大きく左右されるという事。

 事実簪の専用機である打鉄弐式は簪と同じく事なかれ主義でこちらがなんらかのアクションを起こさない限り殺気をぶつけてはこないし、それが打鉄弐式に近づくことなのだがそうなってもなのはを警戒するだけでそれ以上はない。 それでも嫌われている事はわかるのだが。

 打鉄弐式と比べて両極端なのが鈴音の甲龍だ。

 本人と同じく難しいことを嫌うのか単純明快な殺気を常になのはに送っている。

 嫌ったものはトコトンまで嫌う、分かりやすい性格をしている。 激情しか送ってこない姿勢は返って一番やり易い相手だ。

 ラウラのシュバルツェア・レーゲンは甲龍の徹底のなさと打鉄弐式の冷静さを備えた冷徹な殺意を送ってくるし、シャルロットのラファール・リヴァイブ・カスタムⅡは一番融通が利くらしくなのはももしかしたら好意的になってくれるかもと期待しているのだが、今は近づくと威嚇するように敵意を向けてくるだけで進展しない。

 人間の方とは全員仲は良好なのだがISだけは変わらず敵意ましましだ。

 真耶にすら嫌われているのには少しショックだった。

 他の上級生組の所有する専用機達も軒並み変わらないもので、なのはは最近はむしろそんなISたちに慣れたか彼女達の生態観察が趣味となっている。

 上に書いた専用機達の性格はその分析の賜物だ。

 最初は仲の良い子達から嫌われているようでそれなりに凹んだが、敵意・殺意しか向けられないのは一周回れば変に勘ぐる必要がないため簡単でやり易い。

 そんななのはが一番苦手としているのは矢張りというべきかブルー・ティアーズだ。

 実は唯一なのはに悪感情を向けていないISなのだがそれが逆にセシリアと同じく何を考えているのか分からずに不気味である。

 セシリアと違い笑ったり喋ったりしないところがポイントで、たまにこちらを値踏みするように意識を向けることはあり、その時の纏わりつくような不快感は中々に応えるものがある。

 次点は楯無のミステリアス・レイディで名前の通りの秘密主義者であるが敵意だけは変わらないためまだブルー・ティアーズよりはマシといったところか。

 

 そんな調子なためなのはは若干ISが苦手になっており、気構え無しに触れ合えるのはゴーレムとクロエの黒鍵くらいだ。

 無人機で個性が完全に無いゴーレムと生体同期型でクロエの影響を受けているためなのか、なんのアプローチもしてこない黒鍵がいる束のラボがなのはの今の安住の地だ。

 箒や一夏の警護でそんな事はしていられないのだが。

 一応村上との一戦のあとは戦闘好意は専らリニスが変わってくれているらしいが、束がなんの指示連絡を出してくれないので、こうしてなのはは単身箒の神社に来ているのである。

 一応束には今日の予定は連絡しているのだが当の束からはなんの返信も帰ってこない。

 なんだか世界に受け入れられた代わりに束から拒絶されたようでなのははもやっとしている。

 そうこうしている内に敷地外を一回りし終えたなのはは石段の前で止まって深呼吸をした。

 

(落ち着く)

 

 神経を使う機会が多かったなのはに漸く以前の世界と同じ過ごしやすさを篠ノ之神社は与えていた。

 それがISがないためなのかそうでないのかは分からないが、何時迄もここに居る訳にはいかない。

 近隣住民から不審者と思われるやもしれないとなのははいよいよ境内に入っていった。

 石段の感触はもちろんなのはの知っているゴツゴツとした切り石のものだ。

 水と油のように弾かれる感覚はない。

 なのはは中々急な傾斜を気をつけながら進んでいく。

 傾いて隠れそうな太陽からの光が竹に完全に阻まれて暗い。

 これは早々に上りきらないと危なそうだ。

 駆け足気味に石段を一つ飛びで駆け上がったなのはは頂上に置かれた鳥居に礼をしてくぐる。

 神社と道場の二つの建物があるが、人が住むのなら道場の方だろうとなのはは左手に見える道場に足を進める。

 辺りの植物の影響かここは下に比べれば幾分涼しい。

 一歩一歩進む毎に感じるのは生暖かい空気を泳ぐ感覚ではなく、刀のようにピリっとした済んだ空気であり、それがなんだか今は爽やかに感じる。

 刀のように研ぎ澄まされた空気はなのはを避けるどころかその身を切り裂こうとしてくる。

 異物だったころのなのははどこにいっても空気はなのはを避けていた。

 涼しいも暑いもなのははそれまで他の人間よりもガラス一枚挟まれたような距離感で体感させられていた。

 本当の意味で肌で感じることはこの世界では無理なのだとずっと思っていたため、ここにきての本当の季節感に触れ合えたこの感覚を楽しみながら歩みを進める。

 そして道場にたどり着いたなのはが呼び鈴を探している間に背後から声がかけられた。

 

「高町さんか?」

 

「あ、箒ちゃんこんにちは」

 

 私服の洋服に着替えた箒がいつのまにかなのはを見つけて不思議そうな顔をしている。

 そういえば連絡もしていなかったなと思い起こす。

 

「ゴメンね、急に来ちゃって」

 

「いや、構わないが。慣れてるし、歓迎するよ」

 

 道場と神社が実家な箒には参拝客や見学者などで急な来客は慣れっこなのだろうが、それでも即座にフォローを返せる辺りは人柄の良さといえる。

 関心するなのは。

 

「しっかりしてるねー」

 

 言っててなんかまた老けたかなと自分でダメージを受けるなのは。

 しかし相手は普通に受け止めてくれたらしく嬉しそうな表情で礼を言う。

 

「どうも。立ち話もなんだ。中に入ってくれ」

 

 踵を返して箒はなのはを案内する。

 自身も剣道部に在籍しているためか日常生活でも背筋の良い姿は、平均程度の箒の背丈を高く見せた。

 しかし直ぐになのははその予想に首を振った。

 きっと日常的に昔から剣の稽古を続けて居たのだろう。

 でなければ数ヶ月の日数をかじったところで普段から姿勢を正しているなど不可能だ。

 感心するなのはをよそに、箒は神社の表側から回って参拝客から目につかない真後ろへと歩を進めて行く。

 

「神社のほうなんだね」

 

 当初思っていた居住区とは違うらしい。

 コクリと頷く箒に案内されてなのはは改めて神社を見やる。

 こうして横から見ると、確かに居住区らしき境目のようなものが建築に感じられる。

 あるラインから窓や換気扇が目につくようになるが、恐らくそこからが篠ノ之家なのだ。

 

「いらっしゃい」

 

 いつの間にか着いていたらしく、そこのやはり明らかに一般家庭向けの横開きの扉を開いて箒が言う。

 意外にも洋風な内装の作りを見回しながら、遅れて扉を閉めた箒に向き直る。

 

「この家は箒ちゃん1人?」

 

 物珍しげな見渡しはその実、住人の気配を探っていたのだ。

 聞かれた方は少しの間も置かずに肯定した。

 

「本当は雪子さんという方が手入れをしてくださっているんだが、暫くは私に任せて家を外している。お盆週には帰って来る」

 

 靴を脱ぎ綺麗に揃えた箒が再び案内を始める。

 

「取り敢えず居間でいいか?」

 

 うん、と肯定し礼と改めて急に尋ねた事を詫びる。

 するともう一度短く、気にするな。とした箒が今度はなのはのための菓子類を取りに台所に出て行った。

 残されたなのはは取り敢えず案内されたソファに腰を落とす。

 固くないが、といってお尻が沈みすぎて不便なわけではない、丁度良い柔らかさだ。

 箒の影響か背もたれを使わずに自然と背筋を伸ばしてなのはは箒の到着を待つ。

 ソファの前のテーブルには対角線上にあるテレビのリモコンが置いてあるのだが、流石に勝手に弄るのは図々しいかということで他人の家特有の嗅ぎ慣れない雰囲気を楽しんでいた。

 なのはは昔からアリサやすずかの家にお呼ばれした時に、まず最新のゲームや子猫よりも先にこの雰囲気が先になのはの感性を刺激した。

 幼少期の子供が階段や屋根裏などまだ自分の脚では辿り着けない所に興味を持つように、なのはも体が成長するにつれその興味の対象は二階から庭へ、庭から表の裏通りへと広くなっていった。

 士郎と桃子もなのはの短時間の自由行動を見逃すようになり、恭弥や美由紀も自分の時間を満喫し出して来た頃合いを見計らって、なのははある日少し嘘とイケない事の冒険をしたのだ。

 

 いつもの様に近所の散歩に行く事を母親に伝えて家を出たなのはは、産まれて初めて住居不法侵入を犯した。

 ターゲットにしたのはお隣の家。

 士郎の古い友人でなのはが産まれる前に妻に先立たれた白髪の老人が一人で住んでいる日本家屋がなのはの選んだ侵入先だ。

 ノロマな老人ならば容易く目をすり抜けられるとか、独り身だからとか、日常的に遊んでもらって仲が良いからもしバレてもお咎めなしにしてくれるとか、そういう打算的なものもないわけではないが、本当のところはなのははまだこの老人の事をよく知らない。

 その事に対して幼心に不快感を抱いき、それを強引なかたちで解決しようとしているのだ。

 長男の恭弥の時代から高町家の子供は老人に遊んでもらうのが幼少期の習わしである。

 老人はなのはたち子供の事をなんでも知っていた。

 誕生日は士郎や桃子が一度も伝えていないのにも関わらず理解していたし、なのは自身も気づかない本当に欲しいものをプレゼントにくれた。

 なのはが曲がり角の先にある未知に惹かれて迷子になってしまった時も見つけてくれたのは両親ではなく老人であった。

 遊んでいる最中、ふと道端や空や建物に気をもったなのはがそれを口に出す前に老人はそれらを事細かに説明してみせた。

 なのはにとって老人は遊び相手であると同時に自分自身ではたどり着けない心理の奥底にアクセスして言葉にならない疑問の正体を見つけてくれる生き字引のような存在だった。

 なのはがそんな不思議な老人に不満を抱いているところがあるとするならばそれは老人が一度たりともなのはを自宅に招き入れたことがない事である。

 

 こちらの事は知られているのに自分は老人の事を何も知らないという事態をなのはは嫌った。

 それは子供の背伸び的なものだったのだろう。

 老人はなのはにとって一番認めてもらいたい存在であった。

 そのためになのはは老人の脅威になろうと考えた。

 人が相手を認める時は相手を脅威に感じた時だとなのははなんとなく考えていた。

 すずかの拾ってきたばかりの猫に引っかかれるまで猫とは無害なものだと思っていたし、その時初めて野良猫を警戒するという事を覚えた。

 老人に認めさせたければまずは老人に自分の力を誇示しなければいけない。

 そしてその力は老人を困らせる程度のものでなければダメだ。

 子供の範疇に収まるような反抗では微笑ましいだけだ。 そして老人は幼稚なものに脅威を感じるほど小物ではない。

 士郎の古い知り合いならば恐ろしいものなど見飽きているだろう。

 なのはは士郎の昔のことは大して詳しくないがそう思えるくらいには士郎は只者ではなかった。

 自分単体では知力でも体力でも老人を脅かすことは出来ない。

 よってなのはは取り敢えず予想がつく限りの老人が嫌がる事を思い浮かべ、唯一実行可能なものが一度もあげてくれなかった自宅への無断侵入だったのだ。

 丁度探索が許されていた範囲を調べ尽くしたなのはは物珍しさへの興味も手伝い即決で行動した。

 

 車に気をつけて塀の向こうに姿を隠したなのはは全速で老人の家を目指した。

 老人は普段から家の外には出ない。 それを今まで気にしたことはない。

 なのはが老人と遊びたいと思えば老人はいつのまにか高町家の家の前に居た。

 だから今日は老人について一切考えることは禁止だ。

 なのはの心の中を読んで、すぐ玄関の扉を開けて見つかってしまう。

 この日のために何ヶ月も前から父にせがんで教えてもらった心を鎮めるすべを今日は朝から続けていた。

 心の中に縁までいっぱいまではった水瓶をイメージして、その水が溢れないように注意を払うのだ。

 なのははこんな事でいいのかと士郎に文句を言ったが士郎は優しく、体の揺れは心の揺れに比例して大きくなると教えてくれた。

 心の水瓶にまで気を配れるほど慎重な人間は自然と身のこなしに無駄がなくなるらしい。

 なのはは心の水瓶をこぼさないように気をつかいながら、家の玄関を開けた。

 内装よりもまず匂いがなのはの探究心を刺激した。

 この時がなのはにとって初めての他人の家の香りだった。

 それまで目で見えるものだけを求めて、曲がり角や部屋などの見えない向こうへ足を進めてきたなのはが初めて足を止めて入り口付近からまるで動かずにジッとしていた。

 これまで知らないことは全て目から頭に取り入れられてきた。

 目に移らないものが秘密なのだとずっと思い、見ることこそが秘密を暴く唯一の解決策だと考えてきたなのはにとって、匂いの未知は本当に未知なものであった。

 とりあえず対処法が分からないためその場で鼻だけ動かして、不意に懐から鳴り響く大音量のアラームになのはは慌てて逃げ出した。

 侵入するにあたってセットしておいた携帯のアラームだ。

 音量を最大に設定しており時間が来たら鳴り響くようにしておいたのである。

 それはなのはなりのルールであった。

 老人に対して出来る限りフェアでいたいという気持ちがリスクを負うという決まりを作らせた。

 うっかり忘れていたなのははそのままアラームを切らずに家へと走った。

 

 翌日から老人はなのはに会うことはなかった。

 士郎になんとなしに聞いてみると海外に行ったと一言だけ教えられた。

 なぜ海外に行ってしまったのかと思ったが、そこは海の近くの立地が解決してくれた。

 きっと老人にとって匂いとはずっと秘密にしておきたいものだったのだ。

 家にあげなかった理由もそれで合点がいった。 なのはは人一倍未知のものに敏感だったので一番気をつけていた相手だろう。

 常に自分の心を読んで疑問に答えていたのも秘密を解決してあげることで得られる高揚感で、その時その時をごまかしていこうとしていたのだ。

 そしてそれが叶わなかったため老人は海外に行ってしまったのだ。

 海の匂いが家の匂いを誤魔化してくれるから。

 悪いことをしてしまったなとなのはは反省した。

 海外に行くにはとてもお金がかかると士郎が言っていた。

 その日を境になのはは他人の家の匂いだけでなく曲がり道を目指すこともやめた。

 人にはそれぞれ秘密があるに違いなく、それを暴くと皆老人のようになのはの前から居なくなってしまう気がしたため、それを未然に防ぐためだ。

 秘密を探そうとしなければ秘密は暴かれない。

 なのははそれを自分にとっての秘密とし心の奥に閉まって忘れた。

 

 その日のことはなのはは全く覚えていないし老人の存在自体も忘れてしまっていたが、今でもお呼ばれした際に嗅ぐ他人の家の匂いはなんとなく好きだった。

 この知らない香りが嗅ぎ慣れたものになった時がそこの住民と本当に仲良くなれた時のように思えた。

 

「おまたせ」

 

 言葉通り茶菓子を持ってきた箒はそれをなのはの目の前のテーブルの上に置いた。

 粗茶ですがと丁寧に差し出してきた。

 受け取って見てみるとなかなか趣がありそうな湯のみである。

 詳しくはないがなんだか箒らしい感じがした。

 ほのかに湯気が立っている。 玄米茶のようだった。

 菓子として用意されたのも焦げ茶色の煎餅。 味は恐らく醤油だろう。 益々らしい。

 

「すまないな。もっと甘いものを出してやれたら良かったのだが...」

 

 一応年頃の女の子らしくないということは気にしていたようだ。

 煎餅に手を伸ばす。 重ね合わせなため一枚だけ取り出すと他と擦り合い、持ち上げ、落として音を出す。

 乾いた音を聞く限り見た目以上にかた焼きらしい。

 手で皿を作るのはマナー違反だがカーペットを汚すのも悪いだろうと気をつけて薄いフリスビー型に齧り付く。

 勢いよく落とし、上げた両顎だったが思いの外の硬度に表面を少し沈めただけで弾かれる。 本当に硬いようである。 少し歯が痛い。

 それでも負けじと顎に力を込めて煎餅に歯をめり込ませていく。

 唾液にもまるで湿気ないタレと乾燥でコーティングされた表面に段々と歯がめり込んで行きある程度いくと高い音をたてて砕けた。

 飛び散った破片を手のひらで受け止めて、大きな破片を口内で砕いて食べる。

 しばらくして咀嚼を終えて飲み込んだところで流石に慣れているらしくとっくにお茶に手をつけていた箒がこちらを見ていた。

 苦心して固焼きを食べるなのはを少し不安な面持ちで見ている。

 

「美味しいよ」

 

 空かさずフォローを入れたなのは。 実際嘘ではなく本当に美味しい。

 緑屋で出されるケーキは様々なフルーツや桃子独自のブレンドされた生クリームなどの複数の味を組み合わせて理想の菓子を追求していたがこの醤油煎餅は本当に醤油の味しかしない。

 だがそれでこれがケーキに劣るわけではない。

 しつこくなくそれでいてはっきりと主張してくる醤油の絶妙なバランスは単一の食材だからこそ出せる味だ。

 舌が肥えているなのはからしてもそれは高評価である。

 

「それに私お茶菓子は和風も好きだから平気だよ。お煎餅も久しぶりに食べるから嬉しいしね」

 

 手についた破片を舐めて残りの煎餅も口に放り込む。

 バリバリと口内でくぐもった破砕音が聞こえる。

 ひとしきり噛み砕き破片でほっぺが膨らまない程度には片付けた後で出された、まだ仄かに湯気が立ち上る玄米茶を口に含み飲みこみ一息つく。

 あれっといった顔が箒の目に入る。

 

「あれ、このお茶玄米じゃないの?少し味違うね」

 

 舌の触りに違和感があった。

 すると箒は鋭い目を少し丸くしてほう、と一つ間を打った。

 

「よく分かったな。それは玄米は玄米だが沸かす時に味のない素焼き煎餅を一緒にいれているんだ」

 

 煎餅?となのはが繰り返し箒が頷く。

 

「詳しくはないんだが玄米茶は元々古びた餅や煎餅を湯呑みに入れて茶と一緒に飲んだことが始まりらしくてな。私が個人的に真似してみて上手くいった奴を出した」

 

 初めて知る豆知識に感心しながらもう一度湯呑みを傾ける。

 戸惑っていた味もそういうものだと思えば中々イケるものだった。

 一口二口と上下させた後頻りに唸って口角を緩ませる様子に箒の猛禽類か日本刀のような鋭さの面持ちも柔らかくなる。

 そのまま二人で暫く高い破砕音だけを奏で、やがてそれが一息ついたところでなのはは手の破片を皿に落として箒を呼んだ。

 優しいまま真剣さを感じさせる表情に、箒もまた合わせて背筋を伸ばす。

 一瞬の硬直のままなのはは口を開いた。

 

「お姉さんからなにか連絡きてない?」

 

「あなたが来ることがか?それならきていないが」

 

「ううん、それは私の独断だから。臨海学校が終わってから束さんが電話かメールをくれたことはない?」

 

「いや...ないな」

 

「そっか...」

 

 それを聞いてなのはは少し束に口を尖らせたくなった。

 箒も流石に急に声のトーンを落として黙るなのはに感じるものがあり思わず返す。

 

「敵に何か動きがあったのか?私の家に攻めてくるとか」

 

 本題に入る前に確信を突かれたなのはは瞬きの間だけ身じろぎをして迷うように首を横に振る。

 否定のようだが自信がなさそうな仕草に箒はなんとなく悟る。

「確定的ではないがその恐れがある」といった程度だろうと当たりを付け、なのはの煮え切らない態度にも合点をした。

 優しい彼女の「箒にその可能性を伝えて不安にさせたくない」という気持ちがなのはの生来の素直さとぶつかって曖昧な首の振らせ方をさせたのだ。

 しかしそこは思い切りのいいなのは。 すぐに態度を切り替えて箒に話を進めた。

 

「束さんの考えではスカリエッティが君を直接襲う理由はないらしいんだけど....気になってね」

 

 束の考えていることはなのはには大部分が解らない。

 自分の事はほとんど語ってくれないし、たまに呼び出したかと思うと取るに足りないその場の思いつきでなのはを振り回す。

 例を出せばテレビゲームの対戦相手になってくれだの、キャッチボールをしたいから球をなげてくれだのばかりでなんの意味があるのか解らなかったし、実際それらの行為が行為以上の意味を果たしたことなどただの一度もなかった。

 束は「遊び相手が欲しかった」というだけで地球の裏側だろうが相手を呼びつけられる。 そんな人間である。

 しかしそんな彼女にも身内に対しての愛情は一般人の自分にも理解できる正常なものだった。

 些か自分中心的で本人にすれば多少傍迷惑な愛情表現ばかりだが、紛れもなく箒は束にとっての掛け替えのない存在でありそんな彼女が篠ノ之神社への護衛に乗り気ではないということは、本当に天災篠ノ之束の脳裏にはスカリエッティによる襲撃はあり得ないのだろう。

 それを理解できないなのはではない。

 そもそもなのはとは職業柄他人の意志や特徴を尊重するスタンスを取る一方で、本質的には自分の感性を優先して人と関わる少々強引な性格の持ち主だ。

 当初のフェイトを助けようとしたのだってそれだ。

 フェイトは否定するだろうが、なのはにとってあの時の助けたいという決意はフェイトを尊重したものというよりは自分が彼女の生き方を許容することが出来なかったためであり、なのはもあの時の想いを間違っていたと否定するつもりはないが、だからといってあれが正しかったと言うつもりもない。

 全ては自己満足によるものだと自覚している。 だからこそ行動に移る前に自分を咎めることはしない。 開き直っているわけではないが自分の行いで起きる利益不利益は覚悟しているつもり故だ。

 

「箒ちゃん。守らせてください」

 

 優しい瞳が箒の瞳と合わさる。

 箒はこういういざという時に見える決意の表れのような強い意志を感じさせる表情に弱い。

 他人は本人自身が決めたことに従う方が、結果が良い悪い関わらず望ましいことだと考えているためだ。

 

「よろしくお願いします」

 

 相手に合わせるように箒も瞳を合わせながら最後には頭を下げた。

 目線を外されたことで話題を終わらせた箒は残った煎餅に手を伸ばした。

 

「高町さんが良いのならば今日は泊まっていってくれ。うちの風呂は檜風呂なんだ」

 

 檜風呂という単語になのはが目を輝かせる様子を箒は意外そうに思い、そして同じく微笑んだ。

 

 

ーー

 他人の定期券を使うことに不安はあったが無事なんでもなく改札を通過しモノレールの効いた空調で一息ついた巧は窓から見える景色をなんとなしに目の端から端へ流していた。

 窓際の席が好きなわけではないが、昔から電車やバスに乗る際は空いていれば必ず通路側よりも窓際を選んで座った。

 窓というものがなにやら気になった。

 透明な壁の奥に写る少し埃や汚れでくぐもった街並みが視界の端から端へと現れては消えていくのが幼い巧の心に今でも消えない習慣として興味を残した。

 窓がこの地上を中と外に切り離してくれている。

 歩けばいつかはたどり着く距離を景色として永遠に届かなくさせている。

 横移動で右から左へ、左から右へ、北から南へ、西から東へスライドさせて視界から消していく。

 旅人として流浪の日々を過ごしていた巧がこの動く箱の中では、美術館で作品に取り憑かれて動かない客のようだった。

 結局巧はモノレールが学園に着く数分の間をずっと流れる景色を眺めることに終始していた。

 遠くに写る自然の景色がつい数メートルの駅のホームの壁に移り変わったところで巧はその時初めて窓から視線を外して通路側に出ようと腰を浮かせた。

 

「なんだよ。居たんなら声かけてくれよ」

 

 隣に座られたのに気づかなかったのは単に夢中になっていたからか、音を立てずに歩く事が彼女のお家芸だったからか、今はどうでもよかった。

 それ以上に気になる何かを巧はリニスに感じていた。

 

「先輩には敬語で返すのがこの国の習わしですよ」

 

 天井で長方形の口を開けて首を振っている。 クーラーの冷たい風が薄茶色の髪を涼しく触った。

 猫が元であるからか、巧にはそのサラサラとした髪にキューティクルといった言葉よりも良い毛並みを適用した。

 下町を歩いていたら近所に住んでいるのか、やけに人に慣れた猫が足元に擦り寄ってきたようなそういう印象を受けた巧は以前もそうした様に、今度も足元の雌猫の頭を撫でようと手を伸ばす。

 

「やめてください」

 

 猫が喋って抗議する。

 構わず頭を撫でる。

 見た目通りのよく手入れされた毛並みに手を埋める。

 たまにごわごわな猫だと無造作に伸びた毛が肌にチクチクと痛いのだが、やはり手入れが行き届いているらしい。

 猫が頭を振って巧の手から逃れる。

 さっきまで手櫛で流していた毛が急に離れたせいで座席付近にいい匂いが引き抜かれて少しの間残る。

 その残り香が消えた時に巧はもう一度猫の頭に手を伸ばそうとする。

 引っ掻かれようと構う気は無かった。

 

「巧君」

 

 引っ掻かれなかった代わりに語気は鋭かった。

 金縛りというほどではないが、確かに後10センチといったところで手を止められた巧は口をすぼめる。

 リニスはそれに反応して手で巧の伸ばした手を押しのける。

 肌に触れる手が体毛に覆われていないことに気づき、漸く巧はリニスが人間であることを認めた。

 

「降りますよ。話は歩きながらします。バッジは着けてますね」

 

 巧はなのはから貰った念話が出来るバッジを思い出した。

 隠れてする話らしい。

 ますます便利なものをもらった。

 リニスが立ち上がると同時に車内に車掌らしき男性のアナウンスが流れて窓の景色の流れが緩やかになっていく。

 すると線路か車体の不調か。 急ブレーキが巧に世界が一瞬停まった感覚を与えた。

 椅子から飛び出し前の座席に額からぶつかりそうになるところを、横から体毛のない腕が丁寧に押しとどめる。 リニスは小揺るぎもしていなかった。

 

「大丈夫ですか。行きましょう」

 

 顎を下ろして答える巧にリニスは事務的な対応で、こちらは異常もなくスムーズに開いた扉から軽やかな足取りでホーム内に出た。

 足音一つしない後ろ姿は目で捉えていなければ置いていかれそうだった。

 慌てて追いかける巧の脳裏に午後のナビゲーションの体験がリフレインされた。

 

ーーきみのベルトのことで話があります

 

 念話の中でも気配を感じさせない女だった。

 今度は耳も使えないため声が聞こえなければ本当にどこにいるのかわからない。

 それ以上に頭に響く声が言った単語が巧の肩をビクリとさせた。

 

「なんだそりゃあ」

 

ーーほらほら、なのはさんから教わってないんですか?心の中で念じるように…

 

 思わず飛び出た言葉。

 既に学内で何人かの生徒が未だ帰省せずに残っている。

 私服姿の彼女たちの目線が巧に向けられる。

 リニスが慌てず咎める。

 念話で周りからバレないようにという配慮だというのに口で喋っては意味がない。

 なのはのナビゲーションのように念話に慣れない彼にやり方を伝えた。

 図式の明快さと口頭の要領の良さを併せ持つのが念話の特徴だ。

 他人とのイメージを完璧に共有出来ることが念話の素晴らしさだ。

 リニスは理想的に即座に巧にそれを伝えた。

 

 しかし巧が秘匿性を構わず口を出したのは決して念話のやり方を忘れたわけではない。

 

ーーなんで今更ベルトのことなんか聞くんだよ

 

ーーむしろ今まで聞かれなかったことを不思議に思った方が良いかと

 

ーーうお、ほんとに思ったこと全部通じんのな

 

ーー聞かれたくないものは心に鍵をかけるイメージで防げますよ

 

(口だけじゃなく心の中もこの世界だと油断ならねぇな)

 

 早速バレてしまった心の隙。

 ファイズのベルトは巧にとって様々な思い入れのあるアイテムだが、別段それに対して依存的なものはない。

 かつて真理の判断により村上たちにベルトを預けた際にはしばらくファイズロスの状態になってはいたが、それも昔のことだ。

 それでも巧にとっては「はい、そうですか」とあっさり渡すものではない。

 特にリニスのバックにいるだろうプレシアやさらに繋がっている束には。

 

ーー解析させるつもりはないって前に言っただろ

 

ーー私にとっては初耳ですね。プレシアと博士に言われただけですので

 

 釘を刺すつもりだったがリニスにはまるで応えない。

 念話の声の調子は嘘をついている風ではなかった。

 巧の足が遅くなりリニスの顔が隠れる。

 リニス自身も気にせずに前を歩き、巧も彼女を抜かせずその距離のまま景色が移動していく。

 窓がないここでは世界は単なる道に過ぎない。

 巧の目には先行するリニス以外映らない。

 背中で語るという言葉があるが、彼女が巧の想いを汲んでこの話題を切り上げることはないだろうということを、巧は言葉を交わす必要もなく悟った。

 

ーーわかったよ。あんたに頼むのはやめた...だがそうだとして俺はベルトを持ってきてはいない。なぜ駅の時に声をかけなかったんだ

 

 巧は普段ベルトを持ち歩いてはいない。

 以前の世界では下宿している菊池店に預けていることもあったが、それは真理や啓太郎のことを信用していたしなにより菊池店は家だ。 この世界で拠点にしているIS学園の寮は確かに外部からのセキュリティこそ西洋洗濯舗菊池よりずっと上だろうが、やはり学校の寮に安心してベルトを預ける気分にはなれなかった。

 せめて同居人がセシリアや鈴音みたいな気の知れた人間だけならばまだ分からなかったが、良い子達だろうがほぼ初対面の高校生が出入りする部屋に大事なベルトを残すわけにもいかない。

 よってファイズのベルトは常に非使用の時にはモノレール駅に駐車しているオートバジンの後部に取り付けているのだ。

 これは束も知っていることであるためリニスが伝えられてないのは考えられなかった。

 今の状況なら尚更だ。

 そんな疑問に答えるようにリニスは念話で気配の取れない声で初めて巧が読み取れる感情を出した。

 

ーーええ、聴いていますよ。その方が都合が良いですから

 

『言葉の意図が読み取れない』

 その違和感を巧は念話で通じた言葉選びではなく感情で感じた。

 今まで無表情だったリニスの言葉に初めて浮かんだ感情の種類があまりに見知った彼女からして似つかわしくなかった。

 

ーー...あんた、なんか怒ってんのか?

 

 好意的ではない。 というレベルではない。

 敵意とまでいえる悪感情を巧は今のリニスに感じている。

 だからこそこの念話越しの確認は彼なりの賭けだった。

 もしこれでリニスが返答に今以上の敵意を混ぜてきたのならばその時はリニス含めてプレシア・束は巧の敵として処理する。

 巧は出来ることなら思考の通りになってほしくないという視線を、未だ一度も見えていないリニスの優しい笑顔に向ける。

 

「そうですか」

 

 足が止まった。

 今まで流れていた景色が止まる。

 巧は窓の代わりにリニスを介して我が身を世界から浮いた存在という感覚を覚えていた。

 

「きみはそう思いましたか」

 

 背後を向けたまま動かないリニスから目を離せない巧に、周囲の極めてのん気に流れる日常など絵画並みに現実味を持たない。

 ここ最近感じていなかった世界からの疎外感に巧はリニスから目を離せなかった。

 まるでリニスが世界と自分を繋ぐ唯一の出口のように。

 リニスが笑った頃にその出口が開き巧は元の世界へと戻れるのだ。

 巧は一筋の願いを込めてリニスの反応を待った。

 

「それはすみませんね、誤解させてしまったようで」

 

 念話とは意思疎通を目的とする数多の人類が持ちうる手段の中でもトップの有用性を持っている。

 文面と口頭の良いところを持ち合わせている。

 感情や勘違いが起きやすい言葉などの意図なども、まるで文章とグラフで事細かに記されているかのように相手に伝えられ、そしてその伝達スピードは口での発音などよりも遥かに早急で正確だ。

 電子機器が電源ボタン一つで全てを理解し立ち上がるように、念話は全てを高精度に熟す。

 聞き間違いや読み間違いなどの相手の能力によりコミュニケーションの厄介さが増加したりしない。

 巧もリニスから送られてきた言葉の真意やそれにのせられてきた感情を彼女の望むものと寸分違わず瞬時に把握した。

 

ーー私はきみと出会った時からきみに好意的だった事など一度もないわよ。化け物さん

 

 敵意の言葉。

 敵意の感情。

 敵意の攻撃。

 

 全てが同時だった。

 巧が体感したのは閉ざされた世界からの脱出ではなく、更なる拒絶だった。

 

 

ーー

 湯船に浮かぶのは煙。

 湯けむりが自分が含む水分の重さに耐えられずに水面に揺蕩い、やがて重い余分な水をお湯に残して気体として空へと消えていく。

 お湯が煙を生み出して、煙がお湯に帰っていく。 帰って来れなかった煙が雲として上がっていきやがて地面に降りてくる。

 今度はお湯の代わりに地面が彼らの受け皿になっている。

 目の高さからドンドン沈んで浮かんで別れていく煙になのはは知らぬうちに自身を重ねていた。

 別に目の前の現象は物理的にも概念的にも何一つ、自分の置かれた異世界旅行に箸にも棒にもかからない。

 ただこのなんでもない煙の行き交いがなのはには今までのなによりもマッチして鮮明に感じた。

 檜の香りがお湯に溶けて鼻を嗅ぐわす。

 辺りを囲む孟宗竹が湿気で違った趣を表に出す。

 思わず心が躍る。 これは実際にここにきて見なければ一生感じることの出来なかったインスピレーションだ。

 箒に風呂を借りることとなったなのははまるで銭湯のような本格的な和の空気に心を安らいでいた。

 神社に住んでいることも珍しかったが、まさかここまでレアな生活を体感出来るとは思ってもいなかったなのはは、本来の目的を忘れ。た訳ではないが、滅多に体験できない檜風呂と竹の匂いに声を潜めてゆったりと楽しんでいた。

 

「高町さん。湯加減はどうだ」

 

 敷居の向こうから箒の声が聞こえる。

 窓を開け放って自然の音を聴いているなのはには少し遠いものに感じる。

 

「良い加減だよ」

 

 心配なので声をいつもより大きくして返事を返した。

 箒のそうかの声がやはり遠い。

 自然の空気に負けている。

 なのはは外に集中した。 扉の向こうの微かな声を拾うよりも、回り道して窓から箒の声を探したほうが確実だった。

 そんなに時間はかからなかった。

 直ぐに箒の凛とした声を探し当てたなのはは、嬉しくなり当初はそんな予定はなかった話題を切り出していた。

 

「お姉さんって...束さんってどんな人?」

 

 急な話にえっ、ともらす箒の狼狽がハッキリと聞こえすぎてなのははどきりとする。

 しかし直ぐに気を取直して続けて聞く。

 頭に浮かんだ束と箒の姿がなんとなく噛み合わない気がして気になっていた。

 

「無神経な質問だろうけど.....きみがあの人のこと苦手だってことは分かるよ。いつも急だもんねあの人」

 

 箒が窓の向こうから笑った。

 気遣ったほど気に病んではいないみたいだ。 むしろ噂話に興じる種類の人間のように箒は自身の身の上話を切り出していた。

 幼い日から今の日までの、束のお陰で被ってきた理不尽な被害になのはは全て首を小刻みに振ってうんうんと返して納得した。

 全てイメージで再現が容易だ。

 束なら何をしても納得できる。

 今は箒が8歳の時に友達との他愛ない張り合いで出てきた『夏休みの宿題をどれだけ速く終わらせられるか』という勝負をうっかり束に漏らしたため、束が夏休みの一日目のままこの世の時間を止める装置の実験で出た爆発で家が危うく全焼しかけた辺りだ。

 

「そんなドタバタがあったから結局宿題はギリギリまで伸びてな...だが、勝負はその子が喧嘩そのものを忘れたためノーコンテストとなったんだ」

 

 子供の口約束などそんなものだろう。

 なのはもアリサ達と昔した大事な約束の数々。 その大部分が忘れるかうやむやになっているかで、実際に達成されたことはほとんどない。

 それで有耶無耶な頭のまま、有耶無耶でないアリサに怒られてまた喧嘩になって最終的にはアリサも喧嘩の激しさに原因を忘れて、結果は有耶無耶となってしまうのだ。

 

「でも束さんは過保護だね」

 

 箒が話してくれた武勇伝はどれもノーベル賞ものなぶっ飛び加減で、改めてなのはは篠ノ之束のすごさを再認識した。

 そして同時にその力が今までの二十余年の人生でよく社会の枠組みから逸脱せずに成長を遂げられたものだと感心する。

 彼女自身の人間性はお世辞にも優れているとは言えないため、そこも含めてなのははこの奇跡の要因を暇な時間ずっと考えて、いつしかレイジングハートの内臓メモリに考察を記録させるほどのめり込んでいた。

 そのお陰である程度得られた結論が、彼女が身内には超がつくほど甘いということ。

 最も彼女が身内に甘いというよりは、それ以外の他人に対しての配慮が一般人に比べて遥かに気薄なため強調されているといえ、束自身の愛情の範囲自体はきっと普通の人間が家族に抱く感情とさして大差は無いはずだ。

 そんな彼女は勿論身内の言うことならある程度の融通がきく。

 幼い千冬や箒らが多感な時期になんとか彼女を普通の枠内に収まるくらいには誘導したのだろう。

 ここは彼らのファインプレーだ。

 過保護な束は箒に弱いのだ。

 ため息をついて「妹離れできないダメ姉だ」と毒を吐く箒に笑いながら、なのははいつもよりのぼせるまで長風呂を楽しんだ。

 

 湯上りに箒の着物を借りて、居間にて今度は冷たいお茶を出された。

 入浴中のぬるめの水が、健康的にも摂取効率的にも良いのだが、気持ちいいものが一番良いものだ。

 風呂上がりに冷たい飲み物を一気飲みが至高の作法。 なのはは流石にもう一気飲みで一喜一憂する歳ではないが、今日くらいは童心に帰ってみるのも悪くない。 グイッと片手サイズの湯のみを傾け喉の奥に嚥下する。 むせた。

 

「大丈夫か?」

 

 心配した箒が苦笑いを浮かべてティッシュを差し出してくる。

 礼を言って受け取り口周りを拭う。

 やはりそういう歳ではなかった。

 火照ったからではない赤い頰を隠すようになのはは窓の先で日を隠した山を見る。 もうすぐ誰もが夜になったと感じる時間帯になる。 IS学園は地理的に太陽が隠れる先は水平線なためまだ少し明るいだろう。 まだ残っている生徒や教師たちは今頃少し早いか遅い夕食にありついている頃合いだ。

 そんな考えに行き着いたからか、鋭敏になった嗅覚が箒が作ってくれているのだろう腹の虫を空かせる匂いを捉えた。

 

「急に来られたから碌なものは作れないが...食べて行ってくれ」

 

 当然喜んで食べる。

 ここ最近大人びた彼女しか見ていなかった箒は、ずっと微笑ましいなのはを新鮮に思っていた。

 本当はこんな感じの年頃の少女なのだろう。

 そんな彼女だからこそ箒には気になってしょうがなかった。

 

「なぜあなたは姉さんと行動をともにしているのだ?」

 

 振り返ったなのはは明らかに不意を突かれていた。

 先ほど束の話を自分から切り出していたくせに、予想だにしなかった辺り、本当に姉とは日常的に行動を共にしており、質問のタネにされるとは遂に思っていなかったに違いない。

 

「スカリエッティのことは理解している。だがあなたたちはそういう利害の一致以上に、なんというか...仲が良いように感じている」

 

 なのはは時空管理局として、束は個人的な恨みから。 どちらもスカリエッティに関わるために協力することは納得出来たし、実際始めの関係性はそんな感じだったはずだ。

 それがいつしかなのは個人としても束と深い関わりを持つようになっている。

 これは箒から質問されて改めてなのは自身気づいたことだ。

 なのはは顎に手を当てて思案する。

 箒も黙って待つ。

 やがて湯のみの霜が集まり重さで伝い、なのはの腕に落ちた時彼女は箒の目をしっかりと見て告げた。

 

「束さん...........良い人、だから?」

 

「なぜ疑問形」

 

 箒のツッコミになのはがあれ?となる。

 どうやら自分で自分の声の調子を理解していなかったようで、箒に改めて瞳を合わせて

 

「疑問形だった?」

 

「だった」

 

 箒が頷くとえ〜っとなったなのはは恥ずかしそうに頰を隠し、冷たい湯のみを当てて冷やす。

 その姿がなんだか可愛らしくて箒は遂に声を出して笑う。

 赤くなって俯くなのはに謝罪をして顔を上げさせる。

 

「そうか、姉さんは良い人なのか」

 

 口にしてみて考える。

 確かに悪人かと言われるとどうだろうと首をかしげる人だ。

 たまに本当に洒落にならないことをするし。 あの歳にしては常識が欠如しているし。 見た目は美人だがもし恋人を連れてきたら全力で相手を説得して目を覚まさせてやるだろう。

 とても人に誇れるような人間ではない。

 だが自分がかけられた愛情は本物だったし、良い思い出もたくさんあった。

 なのははそういう本質的なものに惹かれたのだろう。

 そしてそれは束も同じく。

 なのはが日課としている『束。常識人化原因解明』の一因となったのはなのはと触れ合い、彼女の人となりに感化されたからだ。

 知らず知らずのうちに天災が丸くなる要因を作っていたとつゆ知らず。

 おそらく束も知らない。 というか気にしてもいないだろう。

 箒は久し振りにあった束の、幼き日と変わったことと変わらないことを比べながら、照れ隠しに湯のみを傾けるなのはを眺めた。

 

 落ち着き、おしゃべりにも間が生まれた頃合いで箒はなんとなしになのはを見た。

 宝石の形となったレイジングハートを掌に乗せ、真剣な表情のなのははさっきの面影を微塵も見せない。

 本来の訪ねてきた目的である箒の護衛。

 そのための準備を済ませているなのはは最後にそれらの動作チェックに移っていた。

 レイジングハートを中継させて作業を進めるなのはに箒は邪魔をしてはいけないと声もかけられずにいた。

 そうでなくとも話題が浮かばない。

 間違いなく口下手な方である彼女はなのはが作業を終え、そして笑顔で終了報告をしてきた際も頷くことしか出来なかった。

 なのははそんな箒にもう一度微笑んだ。

 夕食のために皿を出す手伝いをしているなのはに先に声をかけられたのもそのことが尾を引いたからである。

 鍋を菜箸でつつく箒が肩を跳ねさせ目だけで後ろを向こうとする。 しかし直ぐに人体の可動域に引っかかり結局いつも通りな無愛想な格好でなのはに答える。

 

「なんだ」

 

 返事も無愛想だ。

 いつもこうだと箒はいつものように眉を潜めた。

 あと少しの努力ができない。

 友達が少ないのもここら辺の気配りができないからだろう。

 

「ううん、大したことじゃないんだけどね」

 

 なのはとは正反対だなと、感じる。

 人の機微に気づくくらいは箒にも出来るが、このちょっとした思いやりの言葉が出せない。

 もう諦めるしかないなと、箒は観念してなのはに集中する。

 人の話を聞かないほどにはなりたくない。

 

「ごめんね。今日は突然来ちゃって」

 

「そんなことか」

 

(違う違う。もっと優しい言葉使いが出来んのか...だいたいなんでそこで切る。これではつまらない発言をするなと言っているみたいじゃないか)

 

「気にするな」

 

 出来るだけ早く気にするなにこぎつけた箒は神経を張り詰めさせる。

 次の発言は迅速に優しくするのだ。

 そんな思いの甲斐なくなのははそれから何も口に出すことはなかった。

 仕方なく箒は自分から切り出すことにする。

 このままでは自分だけ気分が悪い。

 

(自分勝手なやつだ)

 

 思いながら箒はやはり楽しかったおしゃべりの続きを申し出ることにした。

 

「今日の献立である味噌汁はな。なんと近所のスーパーで買った普通の味噌を同じスーパーで買った普通の食材と混ぜて普通の鍋で煮ているんだーーしかし唯一豆腐は少し大きなスーパーで買った600円の高級品だ。

驚いたか?

なぜかというとな、豆腐だけ売り切れていたからだ。豆腐がないと味気ないから奮発したんだ」

 

 出来る限りの茶目っ気を混ぜて背後のなのはの優しい反応を待つ。

 

「箒ちゃん...」

 

 結構ガチめなシリアストーンに箒はビビる。

 後悔しながら慌てて振り返ると、なのはの見たことのない怖い顔が写る。

 なんとなくそれは自分のセンスのないジョークに憤慨しているわけではないということが分かった。

 なのははカチャリと重ねた平たい皿をテーブルに置き、箒に一瞥する。

 冷たい瞳に確かな怒りの火が見え、箒は肩を竦ませる。

 

「先に食べてて。服、借りるね...」

 

 次の瞬間には今まで箒が見たこともない迅速さで篠ノ之邸を飛び出したなのはは、人目も憚らず桃色の光を解放。 その身を魔力で包むと突風を巻き起こして夜空に舞い上がる。 密集した竹がその風で揺れ擦れ合い、その音だけが箒が感知できたなのはの痕跡だった。

 普通の味噌汁が泡立つ。

 沸騰させてしまった。

 箒は火を切れなかった。

 

 

ーー

 高速機動は得意ではないが、それでもこうして一度家の上を通れば、スーパーマシンであるオートバジンよりも速い時間で不吉な予感のするIS学園へ急行することは容易である。

 認識阻害もかけていなければ、人の視力の限界である高高度を飛んで誤魔化すことすらしていない。 今家の上を飛んでいるのも、箒の家から飛び立つのに竹が邪魔だったからであり、そこから少しも高度は気にしてはいない。 もしかしたらもっとスレスレを飛行している可能性すらあった。

「魔法が当たり前にあったミッドでの生活が彼女の常識を蝕んだ」というわけでは断じてない。

 元々彼女にとって魔法とは非日常のものであり、ユーノとレイジングハートの注意の元おっかなびっくり空を飛んでいた彼女が、今更これを怠ることはあり得ない。

 

 すなわち高町なのはは慌てていた。

 

 幸いなのかなにかの力が働いているのか飯時の現在。

 道を歩く人間や車がなのはに気づくことはなく、出来る限りのフルスピードで飛行するなのははそんなことに気づく筈がなく、大凡行きの2分の1の短縮で本島の端に辿り着いたなのはは目の前に広がる異質な靄のような空間異常に歯をぎしりと鳴らして漏れ出るような呻きをした。

 

「どういうことですか...束さんっ」

 

 プレシアがかけたと思しき結界がIS学園を中心に半径数十キロを覆っていた。

 かつての守護騎士達のそれに匹敵するやもしれない大規模な広域結界を前に、なのはは篠ノ之邸で感じた協力な魔力反応をこの結界の波長のものだと特定した。

 いつかの駅周りで発生した敵の魔導師が張った人払いの結界とは訳が違う。

 結界の表面にて立ち込める瘴気のような靄は見た目そのまま、結界の凶悪性を露呈していた。

 数百メートル離れたこの位置からしても肌にひりつく感覚は毒にも似ている。

 恐らく学園内に残っている生徒達はこの異様なプレッシャーにて意識を失っていると見て取れた。

 

「ブレイク...」

 

 こういう時のなのはは速い。

 心に浮かぶあらゆる感情よりも、結界破壊による救出を優先した彼女はレイジングハートの砲身へ魔力を集中させる。

 完全に暗がりになってしまった海辺に桜色の太陽が昇る。

 なのはの周りを流れる魔力素が片っ端からレイジングハートの先端に集まって収束していく。

 杖の表面。 正面。

 あらゆる角度から粒子状の魔力が矛となるため珠玉の相棒により変換されていく。

 その輝きが洗練され頂点に達した時、なのはは自身が待てる最大の貫通力を誇る砲撃魔法。 『エクセリオンバスター』を結界へと放った。

 

「シュート‼︎」

 

 ディバインバスターとは明らかに違う粒子の移動。

 光の濁流と評したディバインバスターの時と違い、粒子の一つ一つがまるで柄から伸び続ける一本の鍛え上げられた刃の如き統一性で射出されている。 射程と精密性、そして細かな出力調整を度外視した結果。 ディバインバスター以上の威力を誇るなのはの本気用の一撃だ。

 結界に当たると同時に切っ先が壁を構成分子ごと破壊しようと突き立つ。

 靄が刀身にまとわりつき触れたところから腐食させていく。

 刃こぼれをしながらも、これは砲撃。 絶えず降り注ぐ質量を持った光がそれで靄をも跳ね除け、着々と結界を穿っていく。

 予想以上の頑強さだ。

 なのはは焦る気持ちの中でも冷静に分析をしていた。

 

(これほどの結界となればプレシアさんだけど、いくら大魔導師でもこの魔力量は個人が運用できる魔力量を超えている。やっぱり束さんが……)

 

 彼女の保有できる魔力総量自体はさほどのものではない。

 プレシアが大魔導師として登録された理由は、媒体から魔力を供給することで天文学的な規模の魔導運用を個人で、しかも複数回行使することが可能であることだ。

 それは即ちこの世界に天文学的な総量の魔力を生成出来る装置が存在しているということに他ならない。 そしてそれを作り出せる人物となれば、なのはの知る限り一人しかいない。

 

ーー巧くん‼︎聞こえる⁉︎

 

 まだ胸に着けていることを願って念話を飛ばす。 が、だめだ。

 砂嵐のようなノイズが走り、念話を妨害している。

 恐らく結界の持つ余剰な力が干渉しているのだろうが、それ以上に直接的な妨害が巧を襲っているのだとなのはは確証なく確信した。

 未だに穴の開かない結界に焦る。

 更なるブーストをプラスする。

 ポンプアクションで薬莢を排出したレイジングハートが、薬室内で炸裂した爆発的な魔力ブーストで刀身を更に加速・強化させて放つ。それは勿論なのはにもダイレクトに伝わる。 力の高まりが全身に伝わる。 テンションの高揚に任せて今一度のブーストを上乗せした。

 

「っ……ぶっ…!」

 

 口内の鉄の味とともにフラッシュバックされる地獄の瞬間。

 心の奥に冷水をかけられたかのような我慢仕切れない悪寒が体を駆け巡る。

 

(リミッター越しでも、ここまで...‼︎)

 

 束に自分から打ち明けた最悪の展開が思考を支配する。

 不屈と心を怖いくらいの冷たい何かが這いずり回る。

 昂ぶる心のなかでも冷静だったなのはの理性が、この展開で余計に冷たく計算をはじき出した。

 流動する魔力の勢いが強くなればそれだけ着実に我が身に近づく絶対的永遠な『冷』をなのはの理性は全力で回避しようとした。

 それでも不屈の心は向こうの命を選ぶ。

 

 その日一番の光量が海岸線を照らした。

 

 ひらけた景色にもう行き先を隠す靄はない。

 途端にがくりと鉛のような感覚が襲う。

 全身の筋肉を叱咤し拒絶したなのはの口元から一筋の赤い線がツーっと流れた。

 

「っ....か、ふぅ...」

 

 喉を空気が通るだけで突き刺されたような痛みが起きる。

 指を動かすだけで繋がる皮膚から神経の一本一本が断ち切られたかのような痺れが襲う。

 それでもなのははアクセルフィンを発動して全速力で離れ小島へ向かった。

 もはや死に体のなのはだが、これはまだリミッターのかかった適した魔力運用状態だったからこの程度で済んでいるのだ。

 これで本当に次の全力全開には死がつきまとうということを再認識した。

 それでも彼女が止まる理由にはならない。

 途切れそう。 いやもう半分気絶しているかもしれない。 魂に檄をいれて感情で自身を飛ばしているに過ぎない。

 体が軋みを上げる。

 それこそこの魔法を解き、地面に足をつけた瞬間。 身体が崩れてしまうと錯覚してしまう程に。

 気力では限界がある。

 それでも気力で飛ばすしかない。

 最早戦闘をこなす余裕はないかもしれない。

 死の恐怖は収まったものの相変わらず冷静ななのはの理性が休息を必要と叫んでいる。

 事実このままハイペースで移動してスタミナが持つはずがなかった。

 しかしそれは今も危険に晒されている巧を前にしたなのはに、決断させることは出来なかった。

 自分とのせめぎあいの中でなのはの体がふわりと浮いた。

 誰かが空中でなのはを抱き上げたのだ。

 

「きみは...」

 

 驚き、その人物を見て納得した。

 喋れない代わりに電子音をピロロロと鳴らし、フェイスカバーになったメーター群に光を走らせた二脚の鉄人。 バトルモードとなったオートバジンが背中のスラスターを吹かして空を飛んでいた。 なのはの身体を両手の中におさめた彼は物言わぬ姿でIS学園に向け進路をとった。

 

『私が呼んだのです。彼にもなんらかの妨害工作が仕組まれていたので受信に手間取りましたが』

 

 レイジングハートの機械的な声が暖かいものに感じる。

「休みなさい」そう言われた気がした。

 

「有難う。二人とも」

 

 オートバジンの飛行速度は時速70kmと低速ながらも学園に辿り着くまでにかかる時間はほんの10分足らずだろう。 それでもアイドリング時間が有ると無いとでは大分違う。

 短いながらも慈しみの配慮はなのはの体とそれ以上に精神を落ち着かせた。

 

『時にバジン君。2時間23分07秒前のドライブデートですが、とても素晴らしいものでした。今度はいつか二台きりで出かけたいものです』

 

ピロロロ

 

『なるほどすでにピックアップしてくれたのですね。では念話で位置情報を交換します。ここまで近ければもう電波障害の心配はありませんからね』

 

ピロロロ

 

『把握しました。大変良いドライブロードですね。トラブルが起きた場合、安易なタイタニック的吊り橋効果でバカなカップルが生まれそうな場所です』

 

ピロロロ(その前に死にそう)

 

『では記録しておきましょう。フォルダ名は「落ちたら死ぬよ♪国道157号」で』

 

...........んん?

 

「え、なに?なんの話してるのデートって何?え、どんな関係性なの二人とも」

 

 高町なのはがデバイス同士の交際を知るのはもう少し後のこと。

 

『いましたmaster。位置情報を転送します」

 

 レイジングハートの変わらぬテンションな迅速な仕事により、目的地を確認したなのははその場所に視力をこらした。

 結界。

 しかし今度は外に張られていたものほど凶悪なものではない。 ごく一般的な認識阻害の結界で、ユーノが使用していたものと同系統なものだ。 内部への干渉も全くないだろう。 魔力の質からプレシアによる二段構えだということが分かった。

 しかしそれに安心している暇はない。

 あの中に巧囚われていることは間違いない。

 ピロロロ。

 電子音が鳴る。

 

『Masterーバジン君は登録されているようです』

 

 ますます不思議だ。

 邪魔されたくないのならなぜ2枚目の手を抜く。

 プレシアなら2枚目に力を注ぐ程度の余力は問題なく有るはずだ。

 それとも一枚目を抜かれたことは想定外なのか。 ただ単に気にしていないだけか。

 疲弊させたなのはを叩くためだとしても、わざわざ招き入れずともこの空域にゴーレムを配置しておけば事足りるだろうし、なによりそんな必要性が見えない。 こんな時だが、なのはは束が自分を殺すとは考えられなかった。

 

(でも力を使わせることが目的なのは間違いない....招き入れたくても邪魔されたくはない?)

 

 思考の余地はさほど残ってはいない。

 オートバジンはもう数十秒で結界内に突入する。

 流石は機械だ。 躊躇いがない。

 なのはも躊躇うわけにはいかない。 状況に即時対応して行動するのが砲撃手だ。

 少しの減速もなくなのはは紫色の淡い光を貫いた。

 

 黄色の閃光が灰色の残像を追っている。

 ブレイドモードに移行させたカイザブレイガンが周囲の湿気を蒸発させながら黄色い残光を走らせる。

 初見のなのははそれがファイズと同系統のものだと見抜いた。

 カイザの全身を流れるフォトンブラッドの循環路『ダブルストリーム』がスーツ表面に浮かび上がり闇の空間に黄色い魔人を誕生させていた。

 そんなカイザから逃れる影。

 光の浸食を闇へ闇へと避難しながら灰色の影が疾駆している。

 結界内でもそのままとなっている広場のモニュメントを凹ませながら、木製のベンチに亀裂を与えながら縦横無尽に暗闇に消えていく影をカイザブレイガンの明かりが照らし出す。

 灰色の体表。

 オルフェノクがその獣を思わせる脚を駆使してカイザの刃から逃れていた。

 なのははすぐに行動する。

 想像を絶する光景などとうに理解していた。

 こういった手合いの対処法ならば簡単だ。

 なのはは先程である程度回復した魔力を使って空中に魔法の帯を編み始める。

 警察官としての活動の多い時空管理局員が最も多用する魔導運用の一つであろう。 捕獲魔法、バインドを生成したなのはは対象を正確に捉えた。

 

『Restrict Lock』

 

 高町なのは基本にして最強の捕獲魔法が跳び回るオルフェノクと剣を振るうカイザを同時に捉えた。

 ビタリと完全に勢いを止められたカイザとオルフェノクはほぼ同時になのはに向いた。

 無言のままレイジングハートを向けるなのは。

 

「.......普通、逆では?」

 

 その先端はカイザを捉えていた。

 

「どういうつもりなんですか......リニスさん」

 

 本来高めのなのはの声がドスの効いた低いものになり、カイザに変身したリニスを威圧する。

 なのはを地面に降ろしたオートバジンが前輪が変形したガトリング砲を同じくリニスに向ける。 内蔵された12㎜口径の16門銃身はオルフェノクの硬い表皮をも砕く。 いかにカイザの装甲といえども無防備に食らってタダで済むはずがない。

 横にはファイズたちの必殺技すら超える殲滅力を誇る。 桃色の砲身が狙っている。

 そのお陰かどうかは不明だが、リニスは観念したように手に持つカイザブレイガンを落とした。

 生成されたままの刀身がアスファルトの地面に刺さり柄まで貫通する。

 

「化け物退治です。スパイのね」

 

 その分自由になった指で拳銃を作りリニスはオルフェノクを撃った。

 弾丸の代わりになのはのこめかみにシワが寄せられた。

 

「どういうことなの......巧くん」

 

「見ての通りだ。こういうことだよ」

 

 ウルフオルフェノクの影が巧の姿となりなのはに答えた。

 考えられないことではなかった。

 オルフェノクのことを説明する様子で、ベルトのことを説明する様子で、それ以外の情報で、

 

 乾巧の正体がオルフェノクであることは別に意外なことではなかった。

 

 元より常識が通用しない世界だ。 なのはは十分準備できる機会を貰っていた。

 それでもなお説明のできない辛さが胸中に現れた。

 

「俺はオルフェノクだ。あんたらを騙してたんだよ」

 

 言葉の節々。 1秒の刹那。 巧が出すあらゆる一瞬の繋ぎでなのはは悲痛を感じた。

 

「そうじゃないよ...なんで、なんでそうとしか言わないの?」

 

 なのはは分かっていた。

 この状況で自分が感じている辛さの何百倍も強いものを巧は感じている。

 この突き放すような嫌な言い方は彼の逃げ出したいという想いが出させている悲しい叫びだ。

 

「私には関係ない‼︎巧くんは巧くんだよ‼︎バイクに乗せて運んでくれた。あの巧くんに変わりはない‼︎」

 

 ウルフオルフェノクの能面が少し動いた気がした。

 なのははもう一つの能面も動かそうとした。

 

「リニスさんも...どうしたんですか?

あなたは見かけであの子を判断するような人じゃないはずです。なにか理由があるのなら言ってください」

 

 それは仲間としてでもあり友達としてでもあった。

 目の前の仮面の騎士と頭の中の優しい少女が当てはまらなかった。

 読み取れない無言のカイザをなのははジッと睨みつける。 リニスを隠す仮面の騎士を睨みつける。

 一陣のそよ風とともに肌にピリリと走る電流が流れた。

 

「私も変わらないよ。なのはちゃん」

 

 いつのまにか捕らえられたリニスの後方に、目に悪い敗色のドレスを身につけたウサ耳のアリスが現れた。 横に従えたバリアジャケット姿のプレシアを認める前になのはが叫ぶ。

 

「束さん‼︎なんで‼︎」

 

「だったらなんで彼を襲うのかって?」

 

 いい?なのはちゃんと束のよく通る声がなのはの怒りを貫通する。

 

「確かに私もリニスちゃんも君と同じく乾くんへの認識は変わらない。オルフェノクだったとしても彼が私に牙をむく可能性は低いし、私も今まで通りこの子と接することができる」

 

 淡々と、自己分析するかのように束のコンピューターが弾き出した結論が発声によりなのはに告げられる。

 冷静になったなのはの目から見ても束に何一つ狂気に似た念は感じられなかった。 彼女は自然体でそこに立っている。

 それが余計になのはには嫌だった。

 躊躇いなく巧に危害を加えられる束の姿が嫌だった。

 束はでもねと言葉を続けた。

 

「対応が変化するのはしょうがないと思わないかな?

何より....私の目標はスカリエッティを叩きのめすことだから」

 

「それを達成させるための手段は、なによりも博士と我々には優先されることです」

 

 リニスも普段の調子でなのはに言う。

 フェイトに魔法を教えていたとすればおそらくこんな感じだろうと思われる優しい口調で。

 プレシアが放った電流がカイザの表面を走り、バインドを焼き切る。

 

「巧君はオルフェノク攻略のため、捕獲し解析するわ」

 

 プレシアの言ったことがなのはの疑問に対する全てだった。

 スカリエッティが亡国企業とオルフェノクたちと繋がっていることはすでに分かっている。

 ムラがあるものの戦闘力という点でもっとも厄介なのはオルフェノクだ。

 奴らのメカニズムを調べ上げ、弱点を見つけることが出来れば、大きな戦力となるだろう。

 巧はそのために隔離され襲われたのだ。

 そう理解し、レイジングハートを握る拳から音がする。

 抑えられない。 しかしぶつけることのできない感情をそれでも押し殺すように、なのはが強く歯を噛みしめる。

 

「なのはちゃん。私はこういう人だから」

 

 それがトドメとなった。

 なのはの体から無駄な力が抜け、自然体となる。

 伏せられた顔を上げた時にはまるで憑き物が取れたような穏やかな、しかし引き締められた強い意志を感じさせた。

 プレシアが杖をかかげ、リニスが地面に刺さったブレイガンを抜き取る。 束だけがその様子に警戒せずに眺めていた。

 

「分かりました。束さんたちが巧くんを見逃さないというのなら...」

 

 なのはが右手を空に流すと、巧の体を縛っていたバインドが粒子となり崩れる。 元の魔力素として結界内に四散した。

 自由になったウルフオルフェノクが驚いて手足を見てそしてなのはの方を向くと、もう彼女は巧の目の前に立っていた。

 

「私は絶対させません」

 

 巧の前に身を乗り出すなのはの体勢は先程のリニスへのものとは大きく違っていた。

 レイジングハートは先端である砲身を下げ、誰にも向けていない。

 両手を下げ、ただ巧の前に立っているだけだ。

 訝しがり思わず杖を同じように下ろすプレシアと尚も変わらぬ構えのまま、しかし向かってきはしないリニス。 またしても束だけが何もしなかった。

 束が口を開く。

 

「させないって言う割りには腑抜けてるね」

 

 なのはが口を開く。

 

「はい。私は束さんたちには攻撃したくありませんし、束さんたちに巧くんを攻撃させたくありません」

 

「あっ、でもこの姿はこのままで。なにかあった時対処できますから」

 

 なんなら笑ってもみせるなのはにリニスも束の出方を伺う。 カイザの視野は人間のものを遥かに凌駕するため首は動かないのだが、当初の能面ぶりは感じられず戸惑いの感情が浮かんでいる。

 束だけが誰にも読めなかった。

 

「私のこと怒ってるんじゃないの?殴ったりはしないんだ」

 

「殴って済むんならボコボコにしてますよ。今でも腹わたが煮えくりかえるって感じです...でも」

 

「それで解決するのは嫌なんです」

 

 何一つの曇りもなくなのはは言ってのけた。

 プレシアもリニスも、そして巧も、瞬時にそれが本気だと確信した。

 巧の脳裏に午後の会話ででた教え子とのトラブルを思い出した。

 なのはははぐらかしたが、きっと彼女の言葉よりはややこしくて深刻なすれ違いだったのだろう。

 なのはの決意はそれを連想させた。

 殴ったかどうかは分からないが、恐らくなのはにとって不本意な形のまま任務で離れて、その間に解決されたのだろう。

 それはそれで良かったと言えるのだろうが、なのはにとって嫌な方法のまま終わらせてしまったことは不本意なものだったに違いない。

 高町なのはは人を殴ることが嫌いで、出来ることなら話し合いで全て解決して欲しい。

 それでも時として全力でぶつかり合った方が良いこともある。

 

 だがこの場面では話し合いで解決できないが、ぶつかり合いたくない。

 

 そういう状況だと彼女は判断した。

 巧は守り抜くし束たちに渡したりは絶対にしない。

 だが同時に束たちに攻撃したりもしない。

 それはとても甘く。

 そしてとても優しい。

 実質無抵抗宣言であるに関わらずその後ろ姿はどんなオルフェノクよりも力強く見えた。

 

「どうして2枚目に張られていた結界は認識阻害だけで、巧くんのバイクも入れるようになっていたのか…」

 

「それって私に止めて欲しかったからですか?本当は巧くんにこんなことするのが嫌だったから……「違いますわよ」

 

 

 

 

 

…セシリアちゃん?」

 

 なぜここにという言葉が浮かぶ前に私服らしいワンピースを身につけるセシリアはいつものように微笑んだ。

 

「結界の2枚目を弱めるように言ったのは私です。理由はなのはさんに無断で事を遂行したとして、それを貴女が知った場合。怒りに身を任せて協力を打ち切られる危険性を…この方々、まるで考えていませんでしたので」

 

 くすくすと口に手を当てるセシリアと歯止めが合う。

 いつも通り。 いや違う。

 なのはが初めて見る。 同級生としてのセシリア・オルコットではない別の顔だ。

 

「たとえ巧くんへの後遺症が最低限でも、そうなってしまう可能性がある以上、思い切って目の前で説明して反応を見極めた方が対応しやすいですから」

 

「なのはちゃんの力が無くなるのはたとえオルフェノクの弱点を得られても補えるものじゃないからね。セシリアちゃんの言う通りにしたんだ」

 

 セシリアへの注目を避けるように束が視線を自分は向けさせる。

 それを巧が止めた。

 

「お前がこれを考えたのか...?」

 

 巧の質問にセシリアは目線だけ向ける。

 オルフェノクである巧に何一つ動揺せずに白い瞳を覗く。

 

「違います」

 

「私が誘ったんだ。別にこの子に話さない理由もないし、計画を話したのはきみがリニスちゃんと戦ってすぐだよ。あと、勘付かれてたのはきみのせいだから」

 

 またしても束がセシリアにかぶせる。

 セシリアを庇うためかどうかは誰にも分からないが、巧はそうかとだけ言ってメリケンサック状の拳を構えた。 心配して見ていたなのはがえ、となるが巧はまったく悪びれない。

 

「お前がドMだろうが俺には関係ないからな」

 

「どっ、これ、そう言う意味でやったんじゃないよ⁉︎」

 

 人の決意を性癖公開みたいに扱われたことにショックを訴えるなのはだが、やはり巧は何一つ返しはしない。

 それもそうかとなのはも直ぐに気を引きしめる。

 和んだ空気に一瞬なったものの、状況ははっきり言ってかなりヤバい。

 大魔法の後とはいえプレシアに魔力の残量は関係ない。 リニスの纏う鎧のスペックも不明だ。

 そして今は控えているがセシリアの耳にイヤリングとして付けられているブルー・ティアーズが先程からねっとりとした気配で自分を値踏みしているのを感じる。

 BT兵器はこういう場合厄介な相手となる。

 

「おい、今の俺はファイズよりも動ける。いざとなったら構うな」

 

「うん。いざとなったら私が全員抑えるから逃げてね」

 

 巧が不満そうに唸る。

 守り通すと決めた以上巧のことはなにがあっても守るし、束たちにはパンチ一発も反撃しない。

 巧には強要しないがその分前線で全てを引き受ける覚悟だ。

 口元をキュッと締めるとまだ残った血の味が舌の上に広がる。

 巧は知らないだろう。 束とプレシアは知っているかもしれない。 回復した分の余裕はとっくに過ぎている。 今度は本当に死んでしまうかも分からなかった。

 それでもなのはに迷いはない。

 もう混乱から脱したプレシアとリニスがそれぞれ得物を構えている。

 束はここに来て初めて動きをみせる。

 といっても離れた位置に居るセシリアの横に移動して少し前でやはり無表情でこちらを眺める。 彼女は戦闘に参加しないつもりのようだ。

 セシリアは先程から何一つ動かない。

 巧が前傾姿勢になりより獣チックになる。

 見れば脚の関節が増え、更に強靭になっている。

 疾走態となったウルフオルフェノクが両手を広げて構え、その横を直立不動で鉄人オートバジンが並び立つ。

 

 一触即発。

 ......

 ...............

 ...........................

 

「やっぱりいーや。二人ともおさめてくれる」

 

 束の声。

 いつもと変わらぬマイペースな声だ。

 

「考えたら別にオルフェノクを調べなくても、もう有効な攻撃手段は三本も揃ってるんだ。ベルトの力を扱える者を減らす方が馬鹿だったね」

 

 巧が見るからに訝しげな様子を見せる。

 デルタのベルトのことは一夏により人参ロケットに運ばれた際に彼も見ている。

 未だに警戒しているなのはたちを他所に束に指示を受けた二人は呆気なくその通りにした。

 プレシアはバリアジャケットを、リニスはカイザのベルトをそれぞれ外して元の姿に戻る。

 

「リニスさん、あんた...」

 

 巧が影を通して喋る。

 なにやら複雑そうだがなのはにはその理由は分からない。

 代わりにリニスが何食わぬ顔でベルトを肩にかけて、まるで何事もなかったかのように、ついさっき出会ったばかりだという感じを見せた。

 

「これはきみが知っているものとは少々毛色が違うものでしてね、私とプレシアしか使えないのです。条件といえばそれぐらいでしょうか。なんなら試してみますか?失敗した時のことは保証しませんが」

 

 そう言うとリニスはカイザのベルトをあろうことか巧に投げ渡してきたではないか。

 驚きながらも強化された反射神経がベルトをキャッチさせた。

 無骨なオルフェノクの手がメタリックなカイザのベルトを撫でる。

 どうするのだろうか。

 暫し眺めてたなのはだったが巧はこれまたあっさりとカイザのベルトを投げ返した。

 仕返しのつもりかオルフェノクの力で結構な勢いで投げ返した。

 リニスはそれをあっさりと受け流し、回転させたベルトを再び肩にかけ「では」と踵を返す。

 

「なのはさん。貴女は私が「そんな人ではない」と言いましたが、貴女の知っている私などほんの一部分です.....それから巧くん。さっきはああ言いましたし、きみも私のことは嫌いでしょうが、私はきみのことは結構好きですよ?アリシアとも仲良くしてくれてますし」

 

 結界が消え、先ほどまでの光景は全て元どおりとなった。

 プレシアも束も現れた時と同じくいつのまにか消えており、リニスも結界が消滅したと同時に視界から居なくなった。

 まるで今までのことが全て夢幻のようである。

 バリアジャケットも念のため結界の解除と同じく解除しておいたため傍目から見れば完全に日常の何でもない一瞬だ。

 唯一消えていない二人を見て、なのははやはりどちらか消えて貰った方が良かったかもしれないと、難しい顔をした。

 

「さっきのことですが」

 

 セシリア。

 袖無しで露出した肩が白く、月明かりを浴びるとまるで真珠のように美しく際立つ。

 やはり結界とともに人間の姿に戻っていた巧は月に当たるとなんだか人狼のようだった。

 普段は人間に化けているが、夜になり満月を見ると叫び声とともに姿を変えて街へと降りて人を。 そこまで連想したところでなのはは己を叱咤する。

 

「私があなたを襲うように篠ノ之博士たちに提案した.....と」

 

「それがどうしたよ」

 

 吐き捨てるように噛み付く巧に一瞬不安になるが、考えてみれば巧は常になにかに噛み付いて生きているような男だった。

 

「もしそうだとして、どうするつもりでいらしたのかしら」

 

「それこそ聞いてどうするつもりなんだよ」

 

 なのはも同意見だ。

 未だになのはが感じる非日常な状態はセシリアだけだった。

 普段の大人びた雰囲気が、今は単に冷たい。

 もし巧の言葉が意にそぐわないものだったとして躊躇いもなく呼び出したライフルで巧の脳天を撃ち抜く。 そんな雰囲気がセシリアからは感じられ、なのはは恐かった。

 

「別に、どうもしません。そちらは?」

 

「さあな....そん時になってみねーとわかんねーよ」

 

「そうですか」

 

 会話は終わってもセシリアも巧も消えなかった。

 月に雲がかかりセシリアの綺麗な肌が隠れ、巧の表情が見えなくなった。

 暗闇から巧が「おい」と放った。

 

「明日、鈴音の奴とプールに行ってやれないか。織斑に渡すつもりが、あいつ、とちっちまって...一人で行くって言ってるから慰めてやってくれないか」

 

「あら、世話の焼ける方ですこと。でも残念....明日は先約が入っていますの。今日、慰めておきますわね」

 

 いつもの光景がようやく戻ってきた。

 そう感じた瞬間には直ぐになのはも日常へ帰る時間となっていた。

 頭にふと思い浮かんだ夕食をすっぽかしてしまったことと、そこで料理にラップをかけて待っている和風娘。

 やばいと思った頃にはすでに巧もセシリアも闇夜の何処かに居なくなってしまった。

 残されたものは本当に日常しか無くなってしまった。

 あれだけ寿命を削って手に入れた結果がこの孤独感かと思うと虚しく思う自分がいる。

 それをもう一人のなのはがかき消すとパッと陰鬱な心の闇が晴れた。

 あの非日常が終わって無事に戻ってこれたことが何よりの褒美だ。 そんな思いでなのはは気分転換的な気持ちで宝石の待機モードに戻ったレイジングハートを持ち上げ視線にいれた。

 日常も非日常も、どっちの世界にもレイジングハートはそばに居た。

 今回もそのいつもの流れの一つで、月日が経てば埋もれる蓄積に過ぎない。

 レイジングハートいえば気になることがあった。

 

「ねえレイジングハート。バイクは?」

 

 気づけばあの間違いなく人目を惹く鉄人がどこにも見当たらない。

 1番非日常だというのに束やプレシアよりも先に思考から消し去っていた。

 マスターが感知しない間にいつの間にやら仲睦まじい関係に発展していたらしいその片割れならば知っているかもと思いなのはは相棒を求めた。

 

『ガソリンが残り少ないそうだったのでモノレールにしがみついて帰って行きました』

 

 やはり思考よりも先に現場からも消えていたようである。

 取り敢えず心の中でお礼と、メンテナンスをサボり気味らしい持ち主への軽い同情の両方を済ませたなのはは、いよいよ待たせた訪問先の住民を安心させようと辺りを確認して、足元に躓きを感じて見下ろした。

 カードのような硬い長方形の物体。

 拾い上げるとやはりなのはの定期券だ。

 

「こんなところ置かれても気づかないって....」

 

 ついでだ。 切れていた財布の中身も補充しておくかとなのはは駆け足で寮の自室へと向かっていった。

 学園の窓にチラホラと宿る灯りがついに戻ってきた日常の光景として気に留めないなのはの後押しをしているようだった。

 

 

ーー

 なのはが寮へと帰って行った頃合いで入れ替わるように、寮への道先に偶然出会い共に歩幅を合わせることにした二人はなんとなしに言葉を交わした。 頭に浮かんだわけでも心に決めていたわけでもなく、強いて言えば事前の経験から普段よりも強調された日常的な雰囲気が、他愛のないいつでも出来る話題をさせた。

 

「巧くんって猫みたいですわね」

 

 リニスにしたようにセシリアが勝手に巧の頭を撫でる。

 手入れの荒い髪質はボサボサ揺れている。

 リニスほど大人しくはない巧が引っかく代わりに頭を叩く。

 

「でもいぬいって苗字ですわね」

 

 犬に触れるようにセシリアが撫で方を変えた。

 もっとも巧に犬と猫とでの撫で方の違いなんぞ分からない。

 ただ漠然となんか違うということを感じた巧は噛み付く代わりに鳩尾に肘を入れた。

 

「変身したら狼になりますけど」

 

 どうやらセシリアは色んな動物の撫で方をわきまえているようだ。

 相変わらず漠然としか分からない巧はそのどれもに心地良さを感じてしまっている自分に恥ずかしくなった。

 何者にもなれない存在感の薄さの証拠が感度の甘さに繋がっているように思えた。

 オルフェノクにもファイズにも乾巧にもなれない自分は猫と犬と狼の間をグルグルと回っていて、こうして簡単に外部からの撫で方一つでかき混ぜられてしまう。

 やがて混ざりまくった猫と犬と狼で出来たごちゃ混ぜのものが本当の自分なのかもしれない。

 殴ることも噛み付くことも何も手を出せなかった巧は人間らしく口を出すことにした。

 

「お前は高飛車な時があるな」

「冷たい時もあるな」

「奢ってくれない時が多い」

「何を考えているのか分からない時なんてしょっちゅうだ」

 

 思いつく限りの違うセシリアを上げていき髪を撫でてやった。

 リニスに負けず劣らずの見事な手触りだ。

 手なんかですいてやるのが勿体無いくらいだ。

 きっと宝石や黄金の櫛で手入れしても痛ませてしまう。

 人の手が入ってはいけないのだ。

 

「育ちが良いものでして」

 

 撫でられるたびに同じように返答するセシリアに、本当にそうかもしれないと巧は思った。

 産まれからして特別な髪質だ。

 神でもなければこの髪に触れていいのは親だけだ。

 しかしセシリアの親はもういない。

 ホークオルフェノクの鉤爪はこの絹のような束を切り裂いてしまうだろう。

 セシリアはもう頭を撫でられる事はない。

 甘えることは出来ないのだ。

 なんにもなれない自分ではますます彼女の髪を汚すだけだと悟り、髪から手を引き出す。

 乱暴な巧の手に一本の長い金色の髪がついてくる。

 セシリアが抜きましたわねと言うと巧は違う付いてきたんだと返した。

 

「お前は事あるごとに中身を変えて俺を惑わそうとするからな。これはお前の良心だ。髪の毛一本しかお前は俺に懐かない」

 

「まあ、亭主関白的。私、ヨヨヨと泣いてしまいますわ」

 

 笑った顔は友人としてのセシリアだった。

 親になれない巧がしてやれることは友人として振舞ってやることくらいだ。

 結界内で見たセシリアは巧も初めて見るまだ見ぬセシリアだった。

 ホークオルフェノクと対した時と違う。

 相手を値踏みするような雰囲気を感じさせる嫌なセシリアだ。

 巧に彼女の存在を否定する権利はない。

 人格としていくら別れていてもそれらは全てセシリア・オルコットだ。

 セシリアは間違っても猫にはならない。

 人間にもなれない自分を対比すると途端に虚しくなって直ぐに想像をやめた。

 

「そういえばお前、明日予定あるんだってな。なんだよ」

 

「バイト」

 

「バイトぉ?」

 

 心の中でもバイトぉ?と言う。

 心と口じゃ言い足りないくらいだ。

 なぜ人間には口と心しかないのだろう。

 頭に穴を開けてほしい。

 思ったことが自分が認識する前に穴からどっかに捨てて欲しかった。

 モヤモヤしても気になるので掘り進める。

 

「必要ないだろ金持ちなんだから。貧乏人に席を譲れよ。だからお前は髪の毛一本しかついてこないんだ」

 

「道楽でやるのではありません。社長としてのスキルアップです」

 

「社会科見学ってか?1日、2日やってなんの役にたつんだ。トライやる・ウィークかよ」

 

 トライやる・ウィークとは兵庫県内にて中学2年生を対象に行われるお仕事体験だ。

 

「私の計算と勘とセンスと運によれば明日、指定の場所で1日バイトとして業務を遂行すれば我が社の総資産は五年後には10倍になります」

 

 10倍とは凄い。

 巧の財布の中身もそれぐらいあれば交通費を工面したりガソリン代をケチったりしないで済む。

 当然興味が湧いてきた。

 

「俺もそのバイトしていいか?」

 

「空きは丁度一つ余っています。職業選択の自由です。構いません」

 

 連れをつけた程度では会社の利益は変動しないようで、アッサリと同行の許可を得た巧は一瞬鈴音のことを忘れてしまった。

 最後に見た時にはあの大暴走の件だけだが、流石に今は正気に戻って自室で顔を真っ赤にして毛布にくるまっているだろう。

 だが生憎巧はたった今先約を入れてしまったし、この暑い中プールに並ぶのも嫌だ。

 鈴音のためと言いながら結局自分の代わりの生贄を欲しがっている巧は、見えてきた寮の灯に自分の知ったものがないかを探す。

 その流し目が突如止まり細められる。

 

「なあ、この後一緒に鈴音の部屋行ったあともう一部屋寄っていいか?」

 

 セシリアが構わないとする。

 頷いて確認した巧は肌に張り付く服を鬱陶しく剥がした。

 

「こっちこっち。なんとかしてよ」

 

 同室のティナ・ハミルトンが手招きをする。

 勢いよく上下される手のひらがもう少し大きければ二人はきっと飛ばされていただろう。

 鈴音と違いグラマラスな肉体美の彼女はその手に持つバケツアイスで近い将来の肉感ボディにさらなる磨きをかけている。

 彼女に指さされた窓際ベッドに出来上がった小山。

 毛布にくるまり丸くなった鈴音がティナの悩みの種になっている。

 ドヨーンという効果音が似合う重い空気を中心地から部屋中に撒き散らしている。

 部屋の隅に避難して耐え忍んでいた彼女がいよいよ友人の部屋に移動しようかと考えていたところに巧たちが来た。

 プレシアの結界並みに瘴気を醸している毛布結界を張った鈴音の顔は拝めないが、きっと巧が想像しているものと大差はないだろう。 絶望が無表情に昇華している重症な顔だ。

 

「セシリア。やってくれ」

 

「はい」

 

 嫌がる素振りも見せずにセシリアは瘴気の渦に歩みを進め、いよいよ鈴音の目の前まで来たところで彼女は毛布の端を持ち、躊躇い無く引っ張った。

 あまりに勢いが良すぎたのか、もう毛布と一体化してしまったのか、鈴音ごと持ち上がった毛布はそのまま防音完備の天井にぶち当たり凄い速さでしなる。

 

「うわ...」

 

「おう...」

 

「あら?」

 

 ティナが寒気を感じたように我が身を抱いて一歩下がり半身になる。

 毛布鈴音はそのままバウンドして床に叩きつけられる。 ビタン‼︎と物凄い音がした。

 瘴気が止み部屋が静かになる。

 動かなくなった毛布がガバッと起き上がる。

 

「いっっったいわねぇぇぇ‼︎なにすんのよ⁉︎」

 

「生きてんじゃねぇか。おどかすなよ」

 

「にゃん⁉︎」

 

 巧のサッカーボールキックが小さなお尻を蹴り上げ今度は防音完備の壁に顔面から突っ込む。

 ティナは完全に引いている。

 今度も元気に起き上がった鈴音は怒りで髪を逆立ててこちらに牙を剥いて唸る。

 先ほどセシリアは巧を猫だと言ったがやはり猫は鈴音だ。

 完全に怒り心頭といった鈴音を放って置いてセシリアは机に無造作に置かれていた一枚の紙切れを拾い上げた。

 鈴音が「あー」と叫んで慌てて取り返そうと飛びかかる。 が、簡単に頭を片手で抑えられてしまい、その間にチケットは巧の手に渡り、当然鈴音もそれに応じて取り返そうとするのだが。 完全に食い込んで離れないセシリアのブレーンクローに痛がるだけである。

 

「返して。返してよ〜...痛い痛い痛いぃ‼︎」

 

「逃げたら割りますわよ」

 

「なにが⁉︎」

 

 ティナはもはやルームメイトの生存を諦めてアイスを持ったまま友人の部屋に出て行った。

 抵抗虚しく紙切れが渡ってしまった巧はややくしゃくしゃになったそれを広げる。 もっとも中身がなにかはとっくに知っているが。

 

「このプール。お前一人で行く気か」

 

「うるさいわね。アンタに関係ないでしょ」

 

「なんなら一緒に行ってやろうか?」

 

 え、となる鈴音は想像する。

 意外と引き締まった身体。

 カップルで滑るウォータースライダー。

 夕暮れ時、ロマンチックな雰囲気で見つめ合う二人。

 

「おえ...」

 

「セシリア。そいつ殺していいぞ」

 

 吐き気を覚える鈴音に青筋を立てる巧。 そんな二人を微笑ましく笑みを浮かべながらセシリアは、右手の力を増した。

 IS学園に鈴音の悲鳴が木霊した。

 

「よかった。アンタが来るんじゃないんだ」

 

「そうだよ。まだオッケー貰ってないから期待すんなよ」

 

「はなから何もしてないっつの」

 

 額に赤い痣を残して鈴音はどうでも良さそうに巧の申し出を扱った。

 一夏が誘えない以上。 誰が来ても変わらないのだろう。

 心配していた以上に元気いっぱいな彼女に巧は安心して、ここにとどまっても意味はないかとセシリアを連れ目的の部屋へと交渉することにした。

 立ち上がる巧を鈴音はぶっきらぼうに手を振って見送った。

 

 ノーブラの簪が肋骨の下あたりまでTシャツの裾をたくし上げた状態で固まる。

 驚いた顔を耳まで真っ赤にしてノックもなしに扉を開けた巧を凝視している。

 部屋備え付けの時計の秒針が音を刻む度に小刻みに震える簪。 目には軽い涙さえ蓄えている。

 巧は慌てて

 

「こんな時に着替えんな変態‼︎」

 

 濡れ衣を着せ退散した。

 

「.......ええ」

 

 すっかり羞恥心も消え去り困惑した簪はとりあえず理不尽を訴えた。

 

「何してましたの?」

 

 巧の後ろで丁度見えなかったセシリアが笑みをたたえて巧を覗く。

 勢いよく閉じられ少し振動している扉に顔を突っ伏しなにも答えようとしない巧をセシリアは面白そうに弄る。

 右へ左へ表情を隠す巧をセシリアがフットワークを駆使して追いすがる。

 どんどん加速する応酬。

 流れる廊下、扉、廊下、扉、廊下、扉、廊下、扉、鬼、

 

「鬼?」

 

 セシリア、追いつかれた。

 もう恥ずかしさも忘れて、巧は一瞬写った鬼を見るためセシリアをどかす。

 セシリア、鬼、死。

 何が起きたのか一瞬混乱した。

 冷静になった巧の目に正しく状況が入ってきた。

 巧の瞳後数センチのところで静止された閉じられた扇子の柄。 それを突き出す更識姉と、その腕を掴むセシリア。

 

「ねえ、何してましたの?」

 

「本当....なにしてたのかなぁ?このど外道ど変態クソヤンキー」

 

 口から煙を吐き、動けば瞳から紅い残光が宙に走った。 いつかの初登場の時とは比べ物にならない迫力を持って楯無が巧に尋ねる。

 ムカつくセシリアに、恐ろしい楯無、どちらも相手にしたくなかった。

 

「うっせえ」

 

 扉を開けて中へと入る。

 簪がいつも通り薄い反応で出迎えた。

 一瞬巧から視線を外して引きつった顔をしたがそれも巧が扉を閉めた瞬間にただの利用者同士の乱闘に変わる。

 喧嘩は関わらない方が賢い。

 簪はTシャツのまま巧に集中した。

 

「明日暇か」

 

 巧はセシリアが楯無を抑えている間に事を済ませようと伸ばして何とかそのままでも読めるようにしたチケットを簪に差し出した。

 受け取った簪は瞳だけ動かしてそこまでな情報量を読み込み、次に巧を見上げた。

 

「暇だよ。でも...なんで?」

 

 もう半裸を見られたことへの不満はおくびにも出さない。

 言ったところで何にもならないことには感心を示さない。

 幼少期より染み付いた悪癖が今では役に立っている。

 巧もそれに安心して、包み隠さずここへ来た目的を打ち明けた。

 

「凰さんが....脈なし」

 

「頼めるか?」

 

 何気に辛辣なことを言う簪を無視して巧は結論を求める。

 何気に簪の性格に影響されたか、言っても無視されることにはサッサと感心を捨てた。

 勿論簪は結論だけを速やかに言った。

 

「いいよ」

 

「サンキュ」

 

 これで取り敢えず今日の分の厄介ごとは全て終わらせたといえるだろう。

 巧は一息つくと簪への礼と一応の謝罪もそこそこに外へ出るために扉を開けた。

 陥没した壁や床が目に入り、張本人達は今しがたグラウンドでの関節の奪い合いにシフトしたようだ。

 一瞬右足首を囮に脇を取った楯無と目が合う。

 何かある前にセシリアがかかったキーロックごと持ち上げ壁に叩きつける。

 今度はセシリアと目が合い、こちらは反応を示す。

 可愛らしくウィンクをされる。

 もう少しかかりそうらしい。

 頷かずに目線を外した巧は無言で扉を閉めた。

 再び凄い音が扉の向こう側で展開される。

 

「やっぱもう少し泊めてくれ」

 

 簪はやはり躊躇いなく頷いた。

 

 しばらく簪のベッドを借りて寝転がり乱闘が収まるのを待っていた巧はようやく聞こえなくなった物音に反応して立ち上がり、簪に今度こそ礼と謝罪を述べて部屋の扉を開け外に出た。

 修繕に何百万かかるのか想像したくない暴れ具合から目を背けつつ、部屋の外で待っていてくれたセシリアに出迎えられる。

 流石に学園最強は応えたのか。

 珍しく汗をかいたセシリアがハンカチで上品に額を拭っていた。

 

「そんで、お前のバイト先ってどこだよ」

 

 一応辺りを確認しながら歩み寄った巧が尋ねる。

 思い返せば聞いていなかった。

 汗をかいても清涼感のあるセシリアがハンカチの代わりに扇子をバサッと開いた。 戦利品のようだ。

 達筆な字で《@クルーズ》という文字が巧に嫌な顔をさせる。

 

 

ーー

 1日だけ、と思い然程問題にしていなかったが、それでも開店から閉店まで担当するということを聞かされた時は流石に眉を顰めた。

 巧も生活費をバイトで稼ぎ、その日暮らしの日々を送っていた経験はあったが、それ故に必要な分が手に入れば速攻でそのバイトはやめた。

 辛いし別に無理して必要以上に金を手に入れるほど価値あるものとは思えなかった。

 店側も巧がやめるのを、忙しく人手が足りないという事態でもない限りはほとんどの店長が手をひらつかせて送った。 やる気のない労働力はともすればいない方が有り難かったのだ。

 接客業の場合は巧が止めるより速く巧は店から解放されることが多かった。

 女性客にイキナリ「お前メンチョできてるぞ」と言い、怒らせた時なんかは巧は店の誰よりも速く退店させられた。

 東京に近いIS学園近くならメンチョも通じないかもしれなかったが、兎に角接客業は巧は仕事が見つからない限りは自分からすることはなかった。

 しかもよりによって記憶に新しい喫茶店と来たもんだ。

 昨日ここの店長に目をつけられた身としては、向こう一年は来店したくはなかった。

 唯一陰湿な巧を慰めてくれるのは日が昇る前なため比較的猛暑が厳しくない朝の時間だった。

 モノレールで駅へと着いた巧は私服のセシリアに連れられて見覚えのある道を案内されて、目的地である@クルーズへとたどり着いてしまった。

 昨日来た@クルーズと、もしかしたら違う@クルーズかと期待していたが、思わずついた溜息に惹かれたのか、待ち合わせ時間ピッタリに表のドアを開けて出てきた同じく私服姿の店長が巧を見た途端声を上げて指を指した。

 

「また奢らせたの」

 

「違う」

 

 店長の顔を思い出すからと、なけなしの小遣いを切り崩してやって来た巧は実物に噛み付いた。

 

 開店準備を一人と、正従業員らしい何人かの人間とともに何時も済ませるらしい店長は、早速新人2人に業務説明を行なっていた。

 面接にも使う部屋で椅子に座らされた2人の、机を挟んで向かいに居る店長は巧にも分け隔てなく丁寧に緊張をほぐすくらいに明るく笑った。

 とっくに終わった業務説明の後は巧にとってはどうでもいい身の上話をしだした。

 

「兎に角今日が本社の視察が入る日だって言っても聞かなくてね。明日が出会ってちょうど一年目だから、外せないんです‼︎...ってうるさいわ。何が世界の果てまで逃避行よ。おのれらの逃走資金、今まで誰が出してやってたと思ってんのよ。あ〜...道理で長い割に正社員になりたがらなかったわけだわ」

 

「これも計算済みかよ」

 

「さあ?」

 

 勿論まともに聞いちゃいない2人であった。

 暴走気味ながらもそれがデフォルメなのか、ほどほどに切り上げてくれた店長は抜けた2人分の衣装を2人にあてがった。

 当然ながらセシリアはメイド服。 巧は燕尾服を着る。

 執事の格好になった途端に興味が沸いた巧が店長に辞めた2人のことを聞いた。

 

「同い年の大学生で、男の子の方は昨日君の注文を聞いた子よ」

 

 頭の中に優男風の若者が浮かんだ。

 たしかに駆け落ちしそうな見た目だった。

 

「あいつか。親切にしてもらったし、真面目にやってやってもいいぜ」

 

「ねえ、この子本当に大丈夫なの?」

 

 不安そうな店長にセシリアは微笑みだけで答えた。

 

「乾君、四番テーブルに紅茶とコーヒーお願い」

 

 先輩のフロアリーダーが巧に指示を飛ばす。

 別に手が空いていたわけでもない。 目があったから巧に頼んだ。

 普段の巧ならこの程度の理不尽でも直ぐに気を悪くして噛み付く。 だから今まで長続きした飲食店は一つもなかった。

 しかし今日の巧は曲がりなりにもやる気があった。

 彼の人生でも稀な仕事への熱意は、彼を人並みの働きをこなせる普通人にするという奇跡を起こしていた。

 紅茶とコーヒーを店のシンボルでもある@マークが記されたトレーに載せると、言われた通り事前に教えられた店の間取りとテーブルの番号を頼りに四番テーブルで待つ2人組の女性客へと手渡した。

 自分よりも歳上らしい女性客達にそれぞれ注文の品を渡した巧は、こちらも事前に教えられていた@クルーズ専用のサービスの要不要を尋ねた。

 

「お砂糖とミルクはお入れになりますか。よろしければ、こちらで入れさせていただきます」

 

 女性客は2人ともノンシュガー・ミルク派らしい。

 今日がご利用初めてなのか、少し恥ずかしげに首を振って断る。

 

「かしこまりました。ごゆっくり」

 

 恭しくお辞儀をした巧はそのまま次の席へと注文を取りに行く。

 この一連の動作に関わらず、曲がりなりにも複数の店を渡り歩いて来た巧は、基本的にはこういう事は慣れている筈であり、やろうと思えば勤めて一ヶ月くらいの事は出来る。

 店長も意外にもテキパキとこなす巧に感心した視線を送っている。

 対してバイトそのものが今日で初めてな根っからのお嬢様であるセシリアは、やはりというべきか巧以上の働きを見せていた。

 普段は自分が使用人に囲まれて生きている彼女。

 見慣れているからか、それとも試しにやらせてもらったことがあるのか、その立ち振る舞いはメイド喫茶レベルの話しではなく、まるで本職のそれを思わせる完成度の高さだった。

 セシリア自身の美貌もあって、駅前の喫茶店としては本格派なメイド・執事喫茶なのが売りの@クルーズ始まって以来の逸材として、セシリアは常連、新顔、そしてスタッフの心まで掴んでいた。

 店長も文句ないほどの太鼓判だ。

 

「今日だけなのが勿体無いわ。明日から入る子のシフト断ろうかな」

 

 その発言はフロアリーダーから咎められたが、巧も今日限定でしか拝めないのは少々残念かもしれないと思った。

 彼女の言う通り育ちが良いのだろう。

 完璧過ぎる姿に触発されたか、同僚達の士気も上がり、やはりSNSで噂にされていたセシリア目当ての客を次々とさばいて行く。

 そうなってはやはりこれで働いている従業員の手際には巧は叶わない。

 途端に初めてにしては良い動きも陰ってしまった。

 それでも問題にはならない働きぶりのお陰で巧にしては珍しく、お昼休憩に入るまで誰からも叱られることはなかった。

 

 休憩室で上着を脱いで巧は一息着く。

 セシリアは朝から一度も休んではいない。

 聞いてはいないが、どうやら今日一日ずっと働き通すつもりらしく、しきりに隙を見つけては話しかける店長をあしらっている。

 巧はそんな無茶は出来ないため与えられた休憩時間は有意義に使わせてもらう。

 パイプ椅子に深く座り、まかないのサンドウィッチを口に放り込む。

 休憩室のドアの窓から覗いてセシリアの動きを追う。

 やはり見事な手腕だ。

 目で追っていると目が回りそうだった。

 金さえ貰えればそれでいい巧はあんなサービスは出来ない。 精々長く雇ってもらえる動きをするくらいだ。

 息を吸って吐いて天井を見上げる。

 一息つける繋ぎの時間を間に挟むといざ仕事の時に中々調子を取り戻せない人間がたまに居るが、巧もそのことを思って不安になる。

 なにぶん繋ぎなんて挟もうが挟むまいが、最終的にクビにさせられることは変わらなかったから、よく分からない。

 繋ぎの時間が過ぎて行く中で急に休憩室の扉が開かれ女性が1人入ってきた。

 

「なんだよ。撫でるぞ」

 

「撫でましょうか、です」

 

 私服で客として訪れていたリニスは、昨日のことなど微塵も感じさせない。 身構える巧も軽くからかい、皿に残ったまかないのサンドウィッチを無断で取り食べる。 小さな口で上品に食べる姿から、猫時代は大事に飼われていたことが窺えた。

 

「オルコットさんはともかく、きみがキチンと働けるとは.....失礼ながら意外でした」

 

 窓からセシリアをチラ見してワイシャツ姿の巧を眺める。

 

「で、何しにきたんだよ」

 

 サンドウィッチを摘みながら巧が睨みを効かせる。

 狼と猫だが、視殺戦ではリニスの方が一枚上手らしい。

 軽く笑みで返されてまるで応えている様子はない。

 それでも負けるのは嫌な巧はどうにかリニスが喋るまで瞬きも我慢して睨み続けた。

 

「昨日のことを謝りに来ました」

 

 睨む行動に少し煩わしさが含まれた。

 リニスは例によって応えず。

 

「勘違いしないでいただきたいのは、私はきみに対しての罪悪感の類は一切持ち合わせていないということです」

 

 小さくパンを囓り、そのまま丸呑みにした。

 

「昨夜、私は自分がやったことに対して後悔はありません。ここに来たのもあの行為は本当は乗り気ではなかったとか、そういった個人的な言い訳をしに来たのではない」

「きみの立場からして、あの時の一連の行動はとても理不尽なものでしょうし。非礼にまみれたものだ」

「私自身の都合に関係なく、当事者の1人として、不手際を認めきみに謝罪を述べることは筋だろうと私が判断した事で、今日ここに来た次第です」

 

「申し訳のしようがないことをしてしまいました。本当にすみません」

 

 キッチリ角度のある頭の下げ方して、リニスは巧に謝罪した。

 ポカンとした巧だったが、食べかけのサンドウィッチをこちらも飲み込み言葉のままを受け止め咀嚼した。

 リニスは今彼女が言った通り、謝るべきことをしたと考えたから謝りにきただけなのだ。

 彼女自身は巧への負い目など微塵もかんじていないだろうし、それは会話の中でずっと感じていた。

 しかし彼女からは紛れも無い誠意が感じられた。

 それに演技はない。

 最近はのらりくらりとした自由気ままな野良猫の印象を受けていたリニスだったが、この一言と察せられる本心からは、元の礼儀正しく義理堅い彼女を再認識させた。

 第三者として目したならば足りないと感じただろう巧はこれを受け入れた。

 

「申し訳のしようがないって言ったな。それは俺が謝罪以外のものを要求したとしても、それでは釣り合わないって断るのか?」

 

「いいえ、きみが提案する罰ならば全て受け入れます。私が抜けたところで戦況的な損失はありません」

 

 リニスの目はたとえ殺されるとしても変わらないだろう。

 巧はその言葉に偽りはないことを確認し、リニスが変わらぬ瞳で答えるとニヤッと笑った。

 

 すでにセシリアに休憩させることを諦めた店長は新たに減り、その補充に入った従業員の働きぶりにこれまた舌を巻いていた。

 在庫がないせいでセシリアのものを借りることとなった新たなメイド・リニスは、かけたセシリアにも負けない要領の良さと強力な属性を持っていた。

 巧から言われて、普段は隠している使い魔時代の名残である。 尻尾と耳を生やし、ネコ耳メイドさんとなったリニスは早くも固定客を獲得していた。

 休憩が終わるや否や私服姿の巧がドアを開けたと思えば、リニスを紹介して急に辞める旨を伝え、サッサと帰ってしまった時は絶望をすら覚えた彼女だったが、仕方なくいざ雇ってみればどうしたことか。 正直巧が辞めてくれて正解と思えた。

 本社に内緒で勝手につけ耳メイドを働かせることには流石に戸惑ったものの、実際に売り上げが伸びていることがそれを見逃させた。

 

「こっちもいいな〜。男装女子、募集してみようかしら」

 

 メイド服が一着しかないため、より似合うかもと思う方に執事の格好をさせてみたところ、思いの外当たりだったのも店長の機嫌を直させる。

 性別を超えた才能っぷりを開花させたセシリアは、女性客を中心に人気を獲得していた。

 実際のガタイこそ小柄な女子だが、上品にしてメイドの時以上に大胆に客に触れ合う姿は、あまりのオーラに高身長・高収入の異国の王子様として彼女たちの目には写り、すでに同店の執事カーストの最上位に位置付けされていた(今日の客が勝手に作った)。

 スカートでなくなったことが理由か、お淑やかなメイドからジョブチェンジしたせいか、兎に角フットワークも軽くなり、瞬間移動したかのように複数の自分を指名した女性客の元へ馳せ参じては更なる金づるを量産している。

 実質午後からの男性客はリニスが、女性客はセシリアがシェアを一人勝ちしていた。

 半ば暇になったメイドと執事たちは、雑用をしながら今日の出世頭を噂している。

 

「セシリアちゃんもよかったけど、リニスたんも最高だな‼︎」

 

「まるで本当に体から生えているかのような耳と尻尾との黄金比........お上品な家の猫をそのまま人間にしたかのような完成度の高い仕草は正に擬人化ネコ耳メイド.......雑多な芋臭い勘違いコスプレとは格が違う.....!」

 

「尻尾を掴んで怒らせてしまい、頰を赤くして涙に潤んだ顔で引っ掻いてほしい‼︎」

 

「オルコット様.....乾君.....良い.....」

 

「召されるっ...」

 

「リアルスパダリキタコレ‼︎」

 

 仕事を新人に奪われる形となった彼らだが、喜んでいるものばかりのようである。

 店長もフロアリーダーも最初の説明以降、実質的に何も手を貸していないスーパー新人に揃ってため息をつくことしかできない。

 

「リーダー。スパダリってなに?」

 

「表で軽々しく腐るなんて、マイノリティーとしての意識とコミュニティへの配慮が足りないわね。」

 

 発酵食品かな?

 そう思う店長であった。

 因みにオルコット様の前席に居た巧への2人の評価は、「初めてにしては頑張った。途中で投げ出さなければボーナスを出してもよかった」というものだった。

 

 

ーー

 午前中の分の給料の入った封筒を弄りながら、巧は少し離れた喫茶店でアイスコーヒーを傾けていた。

 リニスに出した罰。

 それはもちろんネコ耳メイドリニスたんの強要だったが、真の目的は巧の代わりに稼いだリニスの分の給料を、あとで献上してもらうことであった。

 午前中で早くも限界を感じていた巧は、楽して稼ぐ手段を使ったというわけだ。

 しかしそんな巧を叱るかのようにトラブルは起きる。

 涼しい店内で2人の頑張りを眺めながら、午後の分の給料に心を高ぶらせていた巧の特に理由もなく尖らせていた耳に、その理不尽な展開を報せる悲鳴が叩いた。

 恐怖を言語化したものが悲鳴ならば、巧は人より恐怖を聞いてきた。

 多分一番恐いものだろう命の危機に瀕した者が放つ恐怖の発言。

 巧はアイスコーヒーがこぼれるのも構わずにテーブルを吹き飛ばして立ち上がる。

 慌てた、巧の注文を緩慢に運んできた女性店員が、突然暴れ出した客に恐怖に小さく呻く。

 こんな恐怖ではなく、もっと取り返しのつかない悲鳴を巧は聞いた。

 無駄に時間を使えない。

 弄っていた封筒から適当に取り出した2枚ほどの札と、封筒の口を開けて振り飛び出した小銭を投げ代金として無理やり会計を終わらせた巧が店外へと飛び出すのを止めるものはいなかった。

 最早余分な代金を釣り銭にしてもらう事など頭から抜けている。

 人目についても気にされないギリギリの範囲でオルフェノクの力を使い脚を強化する。

 滴る汗が目に入り沁みる。

 赤信号を突っ切ってすぐ後ろを風がスキール音を立てる。

 突き飛ばした先で呻き声が出る。

 路地からの不注意な自転車に当たり倒れる。

 倒れる。

 転ける。

 痺れる。

 疲れる。

 それでもこの悲鳴に比べれば何のこともない。

 辿り着いた先での光景は巧の聞いた悲鳴が相応しく当てはまる惨状だった。

 駅前の一等地。

 金の集まりも良いだろう。

 銀行強盗には絶好の場所。 かどうかは巧には分からないし、そんな考えに時間を避けるほど巧は平常心ではない。

 悲鳴を上げたのは他でもない銀行強盗だった。

 銃を持った3人組の覆面の男たちが破れた扉から転がり、または脚をもつれさせながら出てきた彼らは覆面越しでもはっきりと恐怖していた。

 駆けつけた巧のことを突き飛ばしながら、拳銃にパニックになった町民が右へ左へ走り回る。

 すっかり巧だけになった銀行前がしんとする。

 逃げていった人数だけでは足りないほどしんとしたここが恐ろしい。

 息を潜めているのとは訳が違う。

 居ないのだ。

 あらゆる感情が消し去られた銀行がしんとしている。

 遅かったか。

 さっきの悲鳴は間違いなく強盗団のものだったはずだ。

 きっと後から攻め入って現場を目撃したのだろう。

 本当に悲鳴を上げるべきだった人たちはその前にしんとしてしまったのだ。

 遅れてやってきた心臓の鼓動がはち切れそうなほど苦しい。

 呼吸の度に口内を突き抜ける酸味が巧の苦しさの上限だった。

 何と小さいものだ。

 動くだけで苦しいのなら動く暇もなく動けなくなってしまった人は一体どんな何何を味わったというんだ。

 言葉で説明出来ない何何を巧は前世で一度体験している。

 あんなもの二度と味わいたくはない。

 同じ経験をしたのならば何故それを人に強要するのか。

 それがオルフェノクとしての本能だからだということは皮肉にも巧が一番知っていた。

 

 衣服とともに散らばる灰がまるで命の燃えかすのように色を失くして、更には残された者の記憶からも消えそうになっている。

 オルフェノクの存在を知らないこの世界の住民はこの灰が愛する者だとは気づかないだろう。

 三体。

 

 猫の特性を持つキャットオルフェノク。

 犬の特性を持つドッグオルフェノク。

 カマキリモドキの特性を持つマンティスパイダーオルフェノク。

 

 巧はギョッとする。

 現れたオルフェノク達は自分から抜け落ちた自分の分身達だと思ったからだ。

 犬は苗字から、猫は熱いものが嫌いな性格から、マンティスパイダーオルフェノクは何者にもなれない巧の存在そのものだった。

 犬と猫と狼と巧が混ざり合えばそこには在るべき自分が生まれる。

 自分は狼として抜け落ちた。

 ここへやって来たのは混ざり合うためだ。

 巧を待っていたかのように犬と猫がやってきた。

 腕を広げて巧を捕まえようとする。

 ウルフオルフェノクが巧の殻を破って外に出て行こうとする。 少なくとも巧はそのように感じた。

 必死にそれを押さえつけなのはの言葉を思い出す。

 記憶中枢ではなく心に残っている。

 それを引っ張りだそうとして、狼が邪魔をする。

 きっとその言葉が自分が居なくならない呪文だ。

 狼の咆哮が優しい言葉を掻き乱す。

 猫と犬が巧の肌に触れようとまで近づく。

 

 二つの影が巧の頭上を飛び越えた。

 猫と犬が吹き飛ぶ。

 二つの人影が放った飛び蹴りに吹き飛ばされたのだ。

 狼が暴れる。

 

「まあ、猫さんに犬さん。偶然かしら?」

 

「?何の話かは知りませんが、スカートとはいえまさか本当に着いて来られるとは.......」

 

 やけに美形な執事だったがどうやら女らしい。 となりのメイドは何やらマニアックな格好だ。 2人とも犬と猫を蹴り飛ばしたにしては華奢すぎる。 目の錯覚でない限り信じられない。

 メイドの方が手に持つアタッシュケースの束の内、一つを手渡してくる。

 思わず握ってみると驚くほど手に馴染んだ。

 

「今度から持ち歩いた方がいいですよ。重いですから、次はわざわざ運びませんよ」

 

 執事が汗で濡れる髪を撫でてきた。

 透き通って心の中まで入ってきそうな綺麗な指が狼を撫でて大人しくさせる。

 

「ワンちゃんを引き受けましょうか?それとも鈴にゃんがよろしいかしら………巧くん」

 

 

 

 

 

巧くんは巧くんだよ‼︎

 

 

 

 

 

「……お前どうでもいいけどやっぱ酷いやつだな」

 

 乾巧。

 なぜ忘れていたのか。

 自分は1人では確かに何にもなれない存在だったかもしれない。

 混ぜ合わせの中で初めて個性を持てる空虚な存在。

 だからこそ乾巧は、彼女達との絆で生まれた借り物ではない自分。

 

「まるで呪いみたいか…」

 

 そうだな。と一夏の言葉を納得する。

 巧は何があっても人を助けたい。

 それは確かに呪いのようなものにかかっているのかもしれない。

 なのはからも事あるごとに気をかけられ、つい最近は鈴音に死ぬほど迷惑をかけた。 表向きは冷たく突き放したが心中はとてつもなく申し訳なかった。

 それでも、

 

「それでもお前らは許せない。人の明日を奪っちまうお前らはな」

 

 夢とは明日を繋ぐもの。

 繋ぎ続けたいつかの明日の先にあるものが夢。

 それを奪うあの三体は自分とは混ざり合っても、乾巧には混じり合わない。

 みんなとの出会いで生まれた乾巧には、自分がようやく持てたたった一つの自分だけの夢がある。

 夢を叶えるため巧は戦う。

 ケースからベルトを取り出し腰に装着‼︎

 

「ずいぶんいじめてくれたな…」

 

 もう狼も巧の殻を破ろうとはしない。

 ケータイの5のボタンを押す。 1…2…3‼︎

 

「今度はこっちの番だ‼︎」

 

 戦いの決意とともに決定ボタンを押し、内蔵された音源案内が準備完了を報告する。

 

「どうやらギリギリで助けたと思いきや遅かったようですね。すみません」

 

 勘違いしたリニスがもう一つのアタッシュケースから取り出したベルトを装着して、少し低い声のガイダンスを鳴らし終えている。

 そういえばあの時この女はいくつアタッシュケースを持っていただろうか。

 自分の分と、彼女の分、そして…

 

「ではワンちゃんにしましょうか」

 

 三本目のベルトを腰に巻くセシリアに巧は驚く。

 公演の時とは違い、キチンとセシリアの細いウェストに合わせられている。 既に使った証拠だ。

 

「セシリア……気をつけろよ」

 

 微笑んだセシリアは電話型デバイスを取り外してコンコンと指で弾く。

 《Standing by》と流れた電子音は、本来は起動コードを音声認識によって発生する事で発動される筈だが、セシリアはそれを指の弾き方で代用してみせた。

 

「2人とタイミングを合わせたくて、こんな事しか思いつきませんでしたが」

 

 ガイダンスを終えた以上、これからする一工程は、正直言って無駄な事だ。

 セシリアの身に付けた技もコードを出来る限り最短化させるためでもある。

 無駄な工程だからこそ。 と言うつもりはない。 無駄なことに違いはない。

 込める気持ちは大それたものではない。

 強く思い。

 願い。

 叶えるための姿へと変身する‼︎

 

 巧がファイズフォンを畳み、天高く掲げる。

 つづくようにリニスとセシリアも構えを取る。

 

『変身‼︎』

 

 それぞれのデバイスがベルトに装着された。

 

《Complete》

 

 眩い光がオルフェノク達の目をくらます。

 フォトンブラッドが巧達の体を流動し、彼らに力を与える。

 そして光が晴れたとき、3人は変身を終えていた。

 巧はファイズに。

 リニスはカイザに。

 セシリアはデルタへと姿を変えていた。

 ここに再び三大ライダーが集結したのだった。

 

「結界は張っています。直ぐにプレシアも来るでしょう。まあ、きみは来てほしくないでしょうがね」

 

「知るか。つまり周りを気にしなくていいってこったろ」

 

「ねえ、ワンちゃんのお相手してもいいかしら」

 

「しつけーよ。好きにしろ」

 

 キャットオルフェノクとドッグオルフェノクがそれぞれの爪と牙を剥き飛びかからんとする。

 マンティスパイダーオルフェノクの巨大な鎌が怪しい輝きを放った。

 マンティスパイダーオルフェノクが両手を振るい、真一文字の真空刃が二本、ファイズ達に襲いかかる。

 一つはカイザがブレイドモードにしたカイザブレイガンで、二つ目もデルタの右手が容易く握りつぶした。

 四散した空気が弾け、銀行の窓が内側から破砕される。

 三者三様。

 襲いかかるオルフェノク達をライダー達はそれぞれ迎撃した。

 マンティスパイダーオルフェノクの鎌とファイズの蹴りが衝撃を生み出し結界内に木霊した。

 

 

ーー

 狭い通路内を壁に天井に、その巨体からは見えない軽やかさでキャットオルフェノクが飛び跳ね、それをブレイガンを片手にカイザが追う。

 キャットオルフェノクの着地した壁に彼が跳び立つと同時に大きな穴が空く。

 陥没したわけではない。

 鋭利な爪と100キロをゆうに超す握力に握られた瞬間、バラバラに粉砕されたのだ。

 大小の降り注ぐ破片をカイザは意に返さず装甲で砕く。

 100メートル6秒の快速列車が進路上の障害物を根こそぎ引き壊していく。

 だがしかし直角の壁を器用に、ゴムまりのように跳ねて曲がっていくキャットオルフェノクの速度は、完璧にカイザを引き離していた。

 戦闘開始とともにカイザに一撃入れ、簡単に片手で跳ね除けられたキャットオルフェノク。

 正面対決では分が悪いと悟ったか、後ろ向きでのバク宙で銀行の壁を突き破り、通路へと避難して現在の逃走劇に繋がる。

 中々追いつく気配のない敵にリニスは内心で舌を打ちたくなった。

 カイザのパワーはファイズ以上のものがある。

 正面からの対決でキャットオルフェノクに遅れを取ることはまずないだろう。

 だが追いつけなければ話にならない。

 他のオルフェノク達のことも含めて、リニスは急いでいた。

 

(少々乱暴ですが.....請求書はプレシアにつけておきましょう)

 

 キャットオルフェノクが消えていった直角の曲がり角をカイザの紫目が冷たく見ていた。

 

 突如鳴りやんだカイザの突進音と、それに準じるように感じた振動音にキャットオルフェノクは疑問に思い、空中で反転。 四つん這いの状態で床に着地する。 四本のバネが、キャットオルフェノクの体躯を羽毛のように軽やかに扱い、着地の音を消し抜き足差し足でカイザが居るはずの曲がり角へと歩み寄っていく。

 人型でありながら本当に四足歩行の獣のようにキャットオルフェノクは気配を消して近づいていく。

 捕まりたくはないが着いて来てくれなければ狙いが外れる。

 フィジカル的な強靭さは他の二体には劣るものの、俊敏性と五感の鋭さは一歩先をいくのがこのキャットオルフェノクだった。

 だからこそキャットオルフェノクは自分の持つ技能の中で最も自信を持つ。 気配を察知する能力に疑問が生じたことに一瞬驚き動きを止めた。

 たとえ壁に隔たれた状況だろうとキャットオルフェノクの第六感にハズレはない。 現に今回も追ってこないカイザの現在位置を、まるで目で見たかのように正確に捉えた。

 その結果、カイザの位置が先ほど自分の匂いも付いた曲がり角の通路ではなく、その少し横の壁の中だというのだ。

 あり得ない結果にキャットオルフェノクは疑問と、自信の感覚へのショックで動きが止まった。

 その隙を、同じく第六感で感じた猫が逃すはずもない。

 

 ボコォ‼︎

 

 正解をいうとキャットオルフェノクの能力は非常に優れていた。

 五感を駆使して、視覚外の半径数キロの大まかな地形すら擬似的に想像出来うる超能力。

 それを透視能力もかくやという彼の第六感で割り出した敵の位置を、その地図に当てはめ先手を取る。

 ISのハイパーセンサーだろうと追随するもののないキャットオルフェノク絶対の自負を持つ武器だ。

 それがズレていた。

 数十センチだが、数メートルの至近距離の獲物の位置情報が可笑しい。

 この結果にキャットオルフェノクは大きく混乱した。

 

「使う者の頭がお粗末では、せっかくのセンサーも錆びがつきますね」

 

 壁から出てきたカイザがキャットオルフェノクの頭を鷲掴みにして言う。

 彼の地図と第六感は間違っていたのではない。

 カイザは本当に曲り角の通路ではなく、壁に埋まっていたのだ。

 キャットオルフェノクの常識が壁に埋まっているという状況よりも、通路にいないカイザの位置情報に疑問をもたらしたのだ。

 能力が彼を裏切ったのではなく、彼が勝手に信じなかっただけだったのである。

 カイザの拳がキャットオルフェノクの顔面をかち割る。

 吹き飛んだキャットオルフェノクは、そのまま通路の壁をぶち壊しながら吹っ飛び、向こう側の部屋へと突っ込んで行った。

 カイザも直ぐに例によって余計な壁を粉砕して突進していく。

 ようやく止まったキャットオルフェノクがダメージにふらつきながら立ち上がった。

 その顔面にカイザの強烈なアッパーが刺さり、キャットオルフェノクをもう一度天井へと吹き飛ばす。

 

《Ready》

 

 ミッションメモリーをブレイガンに差し込み必殺の姿勢に入る。

 必殺剣。 カイザスラッシュを繰り出そうとカイザフォンのEnterキーを押そうと指を伸ばす。

 天井に叩きつけられたキャットオルフェノクがゴムまりのように、リニスの思いも寄らない方向に加速した。

 すぐさま両手持ちに切り替えて、壁で反転してこちらへ飛びかかるキャットオルフェノクを切り裂こうとし、それより遥かに速いキャットオルフェノクの斬撃がカイザの胸部装甲に火花を散らした。

 衝撃に揺れるも踏みとどまり、返す刀で再び突撃してくるキャットオルフェノクを切り返そうとするが。

 

「グッ.....」

 

 やはり速い。

 今度はしっかり吹っ飛ばされたカイザはすぐさま戦法を変える。

 ブレイドモードを解除し刀身を収めたブレイガン片手に、携帯電話型トランスジェネレーターカイザフォンを取り外し、二つ折りのファイズフォンとは違いターンタイプであるリボルバー式のカイザフォンを手首の操作で開き、コードを入力する。

 

《BURST MODE》

 

 フォンブラスターと化したカイザフォンとガンモードへと移行したカイザブレイガンの二丁拳銃で、カイザは部屋の中を縦横無尽に跳ね回るキャットオルフェノクに照準を合わせ、引き金を引いた。

 フォトンブラッドの光弾はファイズフォン以上の威力を誇る。

 華奢なキャットオルフェノクならばこれだけで灰に返すことも可能だろう。

 当たればの話だが。

 

「ちっ...」

 

 凄まじい連射速度を掻い潜り、キャットオルフェノクの爪がカイザのフルメタルラングを切り裂いた。

 蹴りで応戦するカイザを嘲笑うかのように離脱したキャットオルフェノクは、なんとリニスの目の前に着地し髭を舐める。

 明らかな挑発行為だ。

 しかしリニスは冷静だった。

 そして、先ほどの自分の選択ミスを後悔した。

 

(逃げ回っていたと思いましたが、その実脚を活かせるこの部屋を目指していたわけですか.......まんまとショートカットさせてしまったようね)

 

 通路とこの部屋の立地からみて、あの先に繋がっているのが本来ならこの部屋で、キャットオルフェノクはここを目指し自身を誘導していたのだということは直ぐに分かった。

 一杯食わせたと思ったが、どうやら墓穴を掘ってしまったようである。

 そして先刻までで見せていた俊敏さはどうやら彼の本気の2割ですらなかったようだ。

 ゴムまりどころかミサイルが180度ノンストップで跳ね回っているような速度は、明らかにカイザの旋回能力を超えていた。

 

(この姿では追いつけない......‼︎)

 

 ダブルストリームのエネルギー配分と黄色のフォトンブラッドの出力でパワーではファイズを、補助装備である三種のツールによる拡張性ではデルタを、という具合に両方を上回るカイザはパワーと汎用性を併せ持った最もバランスのいい機体といえる。

 しかしそれは裏を返せばどっちつかずとも言えた。

 事実、低出力ゆえに汎用性とベルトの拡張性に特化したファイズはより多様な戦況に対応でき、高出力のデルタは多少のアドバンテージの差は簡単に覆す圧倒的なパワーでそれぞれ特化している。

 訳あってベルトのことを知るリニスから見て、この状況も二本のベルトならば自力で攻略可能なものだった。

 束からもカイザのことを知らせ、解析させた時に、出力で勝るデルタのベルトを勧められた。

 しかし彼女はそれを断った。

 

「使いやすいのはこれですから」

 

 渋るプレシアをそう言いくるめてリニスはデルタを突っ返した。

 心配そうなプレシアを無視して。

 愛着も確かにあったが、それ以上に危険性の高いベルトを他人に任せるわけにはいかなかった。

 巧にはああ言ったが、このベルトの仕様は適合者の違い以外変わらない。

 巧が変身しようとした時は殴ってでも取り返すつもりだった。

 そしてここで自分が死ねば次にカイザのベルトを使うことになるのはプレシアだ。

 アリシアのこともある。

 リニスが前線に出る理由はそれが全てだ。

 

 何度目かの薙ぎ払いがカイザの足を揺らす。

 攻撃力の低いキャットオルフェノクが決め手を欠いているのは明らかだったが、それ以上にカイザの動きが付いていけてないことの方が深刻である。

 リニスは自身の思考をフル回転。

 打開策を立案していく。

 

(変身を解除すればあの動きに付いていくことは容易い.....だがその場合は私の魔法では決定力にかける。フォトンブラッドという最大の利点がある以上、ここで私が自力で戦うことに意味はない)

 

 リニス自身優れた魔導師だが、その圧倒的な力も対魔導師ならの話。 強いというより巧いタイプの戦闘スタイルである彼女では火力不足だ

 オルフェノクの体表を貫き内部にダメージを与える術の少ない彼女は、渡り合うことや手玉にとることは出来ても倒すことにはやはりカイザが必要だった。

 キャットオルフェノクはまだ加速をやめない。

 呆れるほどの体力に運動能力だ。

 瓦礫もだいぶ崩れ、壁も脆くなってきた部屋を自由に跳び交っている。

 おそらく特技である五感により目撃した部屋の傷や崩れ具合と、第六感による危機察知能力を併用し、大丈夫なところを見極めているのだろう。

 先はそこに漬け込んだが、やはり驚異的な能力だ。

 自分には到底不可能な芸当。

 オルフェノクの進化の力がもたらした奇跡なのだろうか。

 キャットオルフェノクの爪が、まだ綺麗だった床を踏み砕いた。

 

(........)

 

「なるほど」

 

 カイザが動く。

 二丁拳銃を左右で振り回し360度に光弾をばら撒く。

 しかし集中した火線が通用しなかった相手に、今更動きが読めない程度のバラけた光弾が躱せない筈がない。

 キャットオルフェノクは無駄弾を嘲笑いながらそれら全てを避ける。

 むしろリニスの撃った弾の大部分は、キャットオルフェノクと関係ないところに当たり、彼にまるで影響していない。

 馬鹿め。 キャットオルフェノクは思った。

 初手の作戦にハマってしまったことと、フィジカルで勝ち目のない相手だったことで、ここまで積極的に近づかないで長期戦に持ち込もうとしていたが、もういいだろう。

 侮れない相手とみなした自分を恥じる。

 確かに先手はいいように取られたことは認めよう。 だが今の奴はどうだ?

 自分の本気を少しでも見せた程度で窮し、無意味な錯乱に走った。

 化けの皮が剥がれたな。賢しい奴め。

 キャットオルフェノクはこの日一番の加速で跳び壁に着地する。

 自慢の能力で見抜いたこの建造物でもっとも硬い内壁は、蓄積ならまだしも未だ踏んでいない新品な状態ならば問題なくキャットオルフェノクの加速を支える。

 カイザは案の定無駄弾で切らした銃をダラけさせて最早キャットオルフェノクの姿を追うことすらしない。

 諦めたか。

 嗤うとともにトドメを指すことに決めた。

 しかし油断するつもりはない。

 念のため視界の外である背後から急所である首を掻き切る。

 無論それは相手も予想しているだろう。

 万が一のカウンターに備え左右どちらかの武装の中、鈍器としての使い方も出来るだろう左手の大きな銃よりも右手に持つ小型の物の方が危険度が低い。

 更にもしスーツの耐久度が自身の爪を上回った時、ただちに来るだろう反撃から逃れるため、足場の吟味も必要だ。

 そしてそれらを超えた先に待つのは、獲物の首級を咥えて勝利を手にした自分だ‼︎

 キャットオルフェノクは壁から天井を伝い、カイザの後ろへ渡ると、全出力をのせて壁を踏み砕き加速した。

 リニスの読みはそれを正確に捉えるがカイザは動けない。

 辛うじて首を動かし背面の装甲で爪を受け流し事無きを得る。 衝撃に耐えるカイザに反撃などできようはずもない。

 キャットオルフェノクは体勢の崩れたカイザが元に戻る前に手前の壁を蹴り更に追撃。 もっと悶えるカイザに改めて後部から喉元を掻っ切るイメージを固め、すれ違うカイザの横を悠々と抜けて行った。

 

《Ready》

 

 勝利の予感を敗北先刻が貫いた。

 

 キャットオルフェノクの真の強みは、健脚でもなければ視覚外の相手や地形さえ見極める超感覚でもない。

 集めた情報を地図としてまとめ上げるその演算能力にこそある。

 4次元的な思考ということに関しては、キャットオルフェノクに勝る処理能力を持つオルフェノクはいないだろう。

 並列思考に優れたユーノ・スクライアや、ISの開発者である天災篠ノ之束を含めて凡ゆる次元世界でキャットオルフェノクの右に出るものはいない。

 そうして更新されていく足場の情報にも即時対応し加速していったその速度は、確かにカイザには追いきれなかった。

 カイザは追いつけない。

 しかし、そこでリニスはそうそうにその事実を認め、別の着眼点からキャットオルフェノク攻略をした。

 速さに対応出来なければ、行き先を誘導させ、タイミングを測って倒せば良い。

 一見して無茶苦茶に見えたあの二丁拳銃の狙いは、キャットオルフェノクの足場を脆くし、キャットオルフェノクの行動範囲を狭めるためのものであった。

 結果的に油断し、その真意を読み違えたキャットオルフェノクはリニスの行為を意味無きものとして大事にはせずに、リニスによって意図的に残されていたジャンプ台を跳んだ。

 そしてカイザは無理でも、リニスの目にはキャットオルフェノクの動きは捉えられる。

 足場を限定した後はキャットオルフェノクの現在位置とその姿勢から次に飛び移る足場を計算し、自らの武装や立ち姿・姿勢などを調整して、相手にとって最も危険が少なく確実に急所を狙える進入角度を作り出し、その一撃をタイミングを見計らい躱すだけ。

 自分の用心深ささえもキャットオルフェノクはコントロールされていた。

 そしてミッションメモリーをはめブレイドモードにしたカイザブレイガンのフォトンブラッドの刀身が、毛ほども考えなかった反撃を生み、キャットオルフェノクを背後から刺し貫いたのだ。

 無防備に背中を貫かれたキャットオルフェノクはあらぬ方向に爪を振ってもがく。

 元に戻したカイザフォンをベルトに挿し直したカイザは今一度カイザフォンをターンさせ内部ボタンを晒す。

 

「やはり使う者の頭が、お粗末でしたね」

 

《EXCEED CHARGE》

 

 ファイズとデルタのものより低音な電子音とともに、キャットオルフェノクを刺し貫くブレイドにエネルギーが収束される。

 

(もしフェイトなら、ブレイドの精製速度よりも速く間合いから離脱できたでしょうね)

 

 今は居ない愛する教え子の少女を思い起こす。

 本当の娘のように思っていた幼い彼女が、今では管理局有数の魔導師だというのだから、人生は何が起こるのか分からない。

 自分は別に彼女に会えなくとも良い。

 もうその必要も権利もないからだ。

 この体と力は今いる愛する者を守るために振るう。

 

「シュッ」

 

 必殺の二連斬り。

 ゼノクラッシュで切り裂かれたキャットオルフェノクは、Xの剣戟の残光を残して青い炎を上げ灰になり崩れた。

 敵の打倒を確認したカイザは光に包まれ変身を解除し、元のネコ耳メイドに戻ったリニスはベルトを外し、気を緩めるように重い息を吐くと残りの2人の加勢に向かおうと踵を返し。

 

「あ.....」

 

 ニヤニヤ顔のプレシアが居た。

 おそらく結界の反応を察知して駆けつけたらしく、扇情的なバリアジャケットに似合わない呑気な顔で、リニスを上から下に目線を動かして眺める。

 そしてだらしない口を開けた。

 

「何してるの〜」

 

 終わった。

 自分の中の何かが終わりを告げたとリニスは思った。

 

 

ーー

 タックルで外に押し出されたデルタに、当の押し出すドッグオルフェノクは違和感を覚えていた。

 三本のベルトシリーズにて最初期に作られたデルタは、完成度こそ他のベルトに譲るものの、単純な出力では後出のカイザ・ファイズにすら匹敵するスペックを誇っている。

 スーツを循環するブライトストリームに流れる白のフォトンブラッドは、それ単体でもかつて帝王のベルトの一本として計画されていたサイガに採用されていた青すら超える出力を持っているが、そこにビガースプリームパターン呼ばれる特殊な配列がこのデルタのスーツが組まれている。

 フォトンブラッドは出力によりある程度の色分けがある。

 最も安定したものがファイズの赤でそこから黄色、白と出力が上がるたびに色も変動する。

 そして当然ながらパワーが上がるごとにその扱いは難易度を増していく。

 ベルトとしての性能を極限まで突き詰めたデルタに採用されたブライトストリームは、そのままの状態ではとても安定した運用の望めない高出力なものだった。

 そこでスマートブレインが採用したこのビガースプリームパターンは、一本のブライトスプリームを三本に分け、敢えてまばらな出力にする事で、高出力なこのフォトンブラッドを流動・循環させることに成功した。

 集団遺伝子学に置ける、集団が激減ののちの繁殖で起きる遺伝的多様性の低さを逆手に取った。 さながら逆ボトルネック効果と呼べる発想だろうか。

 これによりデルタは、フォトンブラッドの最高品質であるシルバーストリームに匹敵しながらも、それを暴走させずにカイザやファイズと同様に安定した運用が可能となっている。

 もっともそれが限界で複雑な機構や拡張ツールは存在せず、基本的なフォトンブラッドを射出する武装以外備えてはいないが。

 ともかくドッグオルフェノクが知るデルタとは上級オルフェノクさえ圧倒する力を持つ強力な存在なのだ。

 スカリエッティが再現した複製品とはいえそれは変わらない。

 それがこのような。

 

「弱いはずがない?」

 

 小鳥がさえずるような可愛らしい声とともにドッグオルフェノクの突進は止められた。

 直立不動で大地を踏みしめるデルタに、ドッグオルフェノクは言い様のない恐怖を感じた。

 止められた後は攻撃が来る。

 その前にバックステップで身を翻したドッグオルフェノクは、早くも切り札を晒す。

 両手に力を集中させ、それを形にした。

 右手に先端のメイスを鎖で繋いだ棍棒。

 左手にはドッグオルフェノクの半身をスッポリと覆う縦に長さのある盾。

 オルフェノクの力で作り上げたドッグオルフェノクの攻防兼備の装備だ。

 ソルメタルすら破壊する。 強力な力を前にデルタを纏うセシリアは身じろぎもしない。

 デモンズ・ストレートが発する電気信号デモンズ・イデアが、装着者の闘争本能を刺激しているからだろうとドッグオルフェノクは当たりを付けた。

 人間がこのデモンズ・イデアに当てられれば、強すぎる闘争心が理性さえ奪ってしまう。

 恐怖や危機感を察することが出来ないため、本来デルタの圧倒的力を有していても臆するかなんらかの警戒をするはずの状況にも、無反応でいるのだ。

 だとすれば直線的な動きだけでも十分効果的だ。

 

 ブオンブオンと、右手のメイスが振り回され、物凄い風切り音が響き渡る。

 空気どころか原子配列さえバラバラに壊しそうな勢いが、見るものにそんなイメージを持たせ、本当なら警戒させる。

 デルタは動かない。

 鎖の長さが伸びその半径がどんどん近づいても、自らに迫る確実な死になんの反応も見せない。

 いかにブライトストリームといえどもスーツの耐久値は決してカイザやファイズの範囲を大きく飛び越えるものではない。

 頭部に当たれば間違いなく致命傷。

 デルタの力に支配されていると考えれば不自然ではない流れだが。

 

 ある一定の時間の中で、ドッグオルフェノクは急に攻勢に出た。

 物体であってもオルフェノクの力により産み出されたこの鎖は、自由に伸縮させることが可能なのだ。

 デルタの頭部を砕かんと迫るメイスにデルタがしたことは、ただ左手を上げただけだった。

 鎖に添えられたその動きをドッグオルフェノクはすぐさま看破した。

 左手で遮られた鎖とメイスの長さと、デルタの頭部までの距離を逆算すると、ギリギリ。 本当にコンマ数ミリ単位の精度で鎖の巻き取りが、頭部へのメイス到達が回避されていた。

 変身前はただの少女だと見なしていたが、この女。 デルタの力に溺れるどころか、在ろう事かその絶大な力を弄ぶかのように使いこなしている。

 先程、闘争心の塊だとみなすには嫌に静かだと不安に思ったのは間違いではない。

 北崎。

 そして草加も使用した。

 巧も一度だけ変身し戦った。

 セシリアはそんな歴戦の戦士である彼らや、木村沙耶以上にデルタの力に順応し、まるで自身の専用機のように操っていた。

 

 ならばやり方を変えるまで。

 ドッグオルフェノクは棍棒を握る右手に力を注ぎ、デルタが触れた先の鎖の長さを伸ばした。

 それによりメイスの軌道を再びデルタの頭部へと戻すことに成功した。

 しかしならばとデルタは鎖を初めて引っ張り強引に直撃を外すと、そのまま手繰り寄せたメイスを右腕を持ってして捕獲しようとする。

 こうすればいかに鎖を伸ばそうが意味はない。

 しかしドッグオルフェノクの念動力の熟練度はセシリアの予想を超えていた。

 手で捕らえる瞬間。

 あろうことか無機物であるはずのメイスが生き物のようにうねり、デルタの腕から逃れたのである。

 デルタは再び顔に向かうメイスを首の動きだけで躱す。

 しかしメイスはするりとデルタの後方に抜けると、そのまま全身に巻きつき、デルタを固定してしまった。

 意表を突かれたデルタはそのまま鎖により締め上げられる。

 これぞドッグオルフェノク最強の武器。

 メイスにばかり目がいきがちになるが、彼の真の武器はそれを繋ぐ鎖だ。

 ドッグオルフェノクの持つオルフェノクの力を特に強く注がれて出来ているこの鎖は、まるで彼の三本目の腕かのように自在に伸ばし、曲げ、動かすことができる。

 メイスを囮に使っての鎖による攻撃のコンビネーションは、これまで一度たりとも破られたことのないドッグオルフェノクの必勝パターンだ。

 そしてまだコンビネーションは終わっていない。

 デルタの動きを封じたドッグオルフェノクが鎖を収縮させデルタの体を手繰り寄せる。

 なすすべもなく操られるデルタはそのままもう一つの武器である長大な盾に叩きつけられた。

 甲高い音を立ててデルタの装甲から火花が散る。

 この盾の本来の使い方だ。

 一枚の板に見えるこの盾。

 実は極小の鎖を巻き合わせて作り上げた鎖の塊なのだ。

 あまりに微細で複雑に絡み合っており解くことは彼にも不可能だが、部位コントロールで振動させ掘削機のように触れるものにダメージを与えることができるのである。

 メイスに盾。

 オルフェノクとして取り立てた技能のないドッグオルフェノクが編み出した錯覚の鎖だ。

 このまま最強のライダーも、今までの敵のようにすり潰してくれよう。

 ドッグオルフェノクは盾と共に体を縛る鎖も振動させる。

 デルタの鎧ごとセシリアを砕かんと猛威を振るうドッグオルフェノクの鎖は彼自身気づかぬ弱点を保有していた。

 

「ここ.....やった」

 

 まるでくじ引きで見事当たりを引いた子供のようにセシリアが笑った。

 その笑顔とともにどうした事か動きを止めた盾にドッグオルフェノクは数瞬間置いて理解し驚愕した。

 セシリアがした事は、盾として構成された無数の髪の毛サイズの鎖のうち一本をつまみ上げた。

 それだけ。

 たったそれだけでドッグオルフェノクの全霊を込めた超振動は停止したのだ。

 ドッグオルフェノクの動揺で集中が切れたことでデルタを縛るメイスの鎖が解け、その中ほどの鎖をデルタは摘んだ。

 今度は驚愕の代わりに戦慄したドッグオルフェノクは、次いでかけられたセシリアの言葉にて、頭の中で浮かびかかった一つの思考が事実だと認識した。

 

「ここ、とここ。均等に分けられているようだけれど...ここの二つがチョット強いよね」

 

 親に自分が見つけた問題の答えを自慢するかのように、セシリアはドッグオルフェノクの目の前に、摘み上げた鎖の箇所を見せびらかし、デルタの首をちょこんと傾げさせた。

 ドッグオルフェノクの脳裏に浮かんだ仮説に採用の判が押される。

 

「貴方が込めたサイコキネシスが鎖の表面から仄かにオーラとして立ち上っていることが気になって初撃を食らってしまいました」

 

 きっと強く念じすぎたからね。 とセシリアは結論づけた。

 そんな馬鹿な。 ドッグオルフェノクは思う。

 オルフェノクの力は進化の力。

 その種類は様々だが、細胞を変化させる。 武器を生成する。 村上のように力の強いオルフェノクならばセシリアのいうようにオーラ状に練り上げた目に見える力を光弾として放つことも可能だが、基本的には既に存在しているものを変化させる人間の何億倍もの超高速での細胞増殖とその応用で、タネもしかけもオーラもない。

 ドッグオルフェノクの鎖でもそれは同様だ。

 彼の鎖は確かに動いて、それは媒体であるドッグオルフェノクが念じることで可能な一見サイコキネシスのような外部的な力によるものと見えるが、結局は体の一部を動かしているに過ぎない。

 なのは達の魔法とは違う。

 スイッチを押すと動くおもちゃのマジックハンドのように。

 そこにあるものが動いているだけ以上のものはない。

 セシリアは面白そうに鎖を弄る。

 

「発現するさいにどうしても出てしまうムラ。もしくは貴方の指令を上手く伝えて動作させるための中枢機関。詳しくは存じませんが、ここだけ全く動いてませんで気になりまして.....とっちゃった」

 

 無邪気な告白と共に摘んでいた箇所が砕かれた。

 それだけで盾とメイスは夢から醒めたようにこの世から消えて無くなった。

 抵抗もしないドッグオルフェノクを尻目に、セシリアはしばしクイズを解いたことに浮足立っていた。

 スキップしながら離れていくデルタをドッグオルフェノクは眺める。

 

 セシリアの言葉は早い段階でドッグオルフェノクに、彼女の言うことは正しいと感じさせたていた。

 自分の体を動かしているだけとしたが、武器として生み出した鎖の操作というものは非常に繊細で困難なもので、彼のように一度体外に出した武器を生き物のように駆使できる使い手を超える者はオルフェノクの中でも一握り。

 鞭を主武装として使う上級オルフェノクと、後は数えるほどしかいない。

 そんなドッグオルフェノクを持ってしても、鎖全体を完璧にしなやかに動かすためには、鎖の一部分に甘えを作らなければとても動かせなかった。

 甘えとはそこだけ動かしていない場所。

 意図的に動かさない。

 手抜きの部分を作って集中力を持たせていた。

 それで鎖は問題なく満足がいく動きになったし、オルフェノクの力は基本的に本人以外感じることは出来ない。

 今の今まで気にしたことはなかった。

 化け物。

 そう形容した。

 ドッグオルフェノクに最早戦意などなかった。

 自分の許容を超えた存在を眺めるしか出来なかった。

 そして冷静だったはずの彼はいつしかボンヤリとこう思った。

 こいつがオルフェノクとなればどれだけの怪物になるのだろうか?

 人間のまま、自分の鎖の謎を攻略したこの女がオルフェノクとなった時、どうなるのだろう。

 見てみたい。

 

 ドッグオルフェノクは後ろを向きこちらを構うことさえしないデルタに突如躍り掛かった。

 バックリと開けられた口から生えた牙は変に一本だけ伸びていた。

 まだ鎖を操れなかった彼の新米時代の武器だ。

 使徒再生。

 迫り来る刃にセシリアはまだご機嫌だった。

 腰から引き抜いたデルタムーバーを電話のように耳に当てる。

 

「本当はコードの解析は終わっているのだけれど、こっちの方が格好いいですものね.......Check」

 

 流暢な英語が死刑宣告のようにドッグオルフェノクは感じた。

 

《Exceed Charge》

 

 デルタムーバーから光の線がドッグオルフェノクに突き立つ。

 それは彼の体に到達すると同時に三角錐状に展開してドッグオルフェノクを拘束する。

 青紫色のポインティングマーカーが暴れるドッグオルフェノクを逃がさない。

 デルタムーバーを優雅にベルトに戻したデルタは、一度顔の前で右手を撫でた。

 まるで生身のセシリアがその綺麗な前髪を払うように。

 見えないはずのスカイブルーの瞳がドッグオルフェノクを捉えた。

 

 デルタが舞う。

 

 ひと跳び38メートルの跳躍力がピタリとポインタの角度と被る。

 一度体を屈ませて、そのまま一気に両足を突き出す。

 スローモーションのように緩慢に見えたその速度が、あるポイントでポインティングマーカーと同化し加速した。

 気づいた時にはデルタは後ろに立って腰からベルトを外していた。

 白い光と共に現れた金髪の少女はドッグオルフェノクのこれまで見た何よりも美しく見えた。

 赤い炎がそれを最後の光景にした。

 24tのデルタ唯一の特殊攻撃。

 ルシファーズハンマーにて貫かれたドッグオルフェノクの体にΔの紋様が浮かび上がり赤の炎と共に灰となり崩れた。

 爆炎の風がセシリアの纏められた髪をほどき広がった。

 

 

ーー

 リニスとセシリアはそれぞれの敵と戦っている。

 ファイズとマンティスパイダーオルフェノクは開始位置と同じく銀行の中で睨み合っていた。

 マンティスパイダーオルフェノクが両手に付けられた主武装である鎌を大びらきに構えて腰を落とす。

 見るからに待ちの姿勢。

 カウンター戦法だ。

 かれこれ数分はこうしている。

 既に地下に行ったリニスと外に出て行ったセシリアの方は一度大爆発の音がした後静かだ。

 多分終わったんだろう。

 だとすればもう少しで2人が帰ってくる。

 リニスの言う通りプレシアが来るかもしれない。

 

 というか来た。

 

 通路側からリニスとやはりプレシアが。

 玄関側からはセシリアが。

 双方執事服とメイド姿だ。

 しかしベルトは装着されており、2人とも今にも飛び出しそうだった。

 

「冗談じゃねー」

 

 巧がカシャリと手首を鳴らした。

 次の瞬間ファイズが走り出す。

 セシリアが「えっ?」と漏らす。 リニスが「なっ...」となりプレシアが「あら」となった。

 突進。

 両腕を構えて待ち構えるマンティスパイダーオルフェノクに、走って突っ込む。

 それ以上の考えはなかった。

 

「馬鹿ですか⁉︎彼は」

 

 リニスがもしものためにカイザフォンにコードを入力する。

 プレシアが険しい顔で眺めている。

 セシリアは不思議そうな顔だ。

 

 マンティスパイダーオルフェノクが真空刃を飛ばす。

 待ちの体勢から急に怒涛の攻めがファイズにかけられる。

 完全に不意を突かれたファイズの面が明らかに動揺していると知らせた。

 それでも直ぐに構わず突っ込んだファイズの全身に、大小の刃が刻まれる。

 カイザフォンから変身準備の完了ガイダンスが流れる。

 リニスの腕がおろされる直前で刃の中を駆け抜けたファイズがそのままの勢いでマンティスパイダーオルフェノクへと向かっていく。

 猫目にならずとも、魔法で強化せずとも、ハイパーセンサーを使わずとも、ファイズの全身に浅からぬ傷が含まれていることは容易に分かった。

 よもや意に返さず突撃してくるとはマンティスパイダーオルフェノクも思わなかっただろう。

 それでも左右に広げた鎌を下ろしはしない。

 ドタドタと瓦礫や砕けたガラスを踏み砕きながらファイズが迫る。

 不意をつく素ぶりがないことは走り出した姿を瞬間に見るものの直感に渡来した。

 マンティスパイダーオルフェノクのがまた刃を飛ばした。

 今度は片腕のみを小さく振るい、紙切れのような微細な薄さの刃をファイズの左足に集中した。

 ファイズは突っ切った。

 

「ーーーっ」

 

 カイザフォンが胸元で悶えたように下ろそうとされ、止まり、また下ろそうとされる繰り返し。

 もどかしい。

 聞くまでもなく苛立っているリニスは今にも変身しそうで、しかしすんでで必ず巧に譲っていた。

 

「一夏さんみたい……」

 

 眺めていたセシリアがぼんやりと口にした。

 猪突猛進が表されるファイトスタイルがクラス代表を決める際に戦った彼と被る。

 そして比べたら分かった。

 

「…もっと危ない」

 

 がくりと遂にファイズの進撃に陰りが見えた。

 ダメージの蓄積でファイズの脚がファイズの意思と関係なく彼に膝をつかせた。

 リニスの葛藤が終わりを告げ、今度こそカイザドライバーが光を発した。

 足の止まったファイズに遠慮などあろうはずもないマンティスパイダーオルフェノクが、巧の首めがけて真空刃を飛ばす。

 すんでのところで駆けつけたカイザの剣が真空刃を中程から切断した。

 

「見てられまっ…ちょっと‼︎」

 

 リニスが無茶な巧に退がっているように言おうとしたところで、ファイズが転がって行った。

 恐らく首への攻撃を避けようと脚がもつれてバランスを崩したことを利用した結果だろう。

 リニスは迎撃に集中して気づかなかった。

 そしてリニスの加勢に気づいているのかすら分からない。 気づいてはいるのだろうが、礼を言うことも憎まれ口を叩くこともなく立ち上がり再び走り出す。

 

「っ…っく‼︎」

 

 カイザも後ろから追いかける。

 ファイズがこちらに構わない以上、己が動かなければ次が来ても防げる自信はなかった。

 既に鎌を振っての飛び道具が通用する間合いではない。

 マンティスパイダーオルフェノクは今度こそ自身の鎌でファイズを両断する構えだ。

 ファイズが跳んだ。

 突然の事に一同が見上げた。

 人の頭の高さ程度に跳んだファイズは、さながら走り幅跳び選手のように手足をバタつかせながら自由落下で、マンティスパイダーオルフェノクの待ち受ける鎌の間に飛び込んだ。

 マンティスパイダーが鳴いた。

 フェイントなし。

 ごまかしなし。

 全てを真一文字に両断し分断する死神の鎌がタイミングドンピシャでファイズの胴に吸い込まれていく。

 

「あっ」

 

 セシリアが思わず声を出していた。

 ファイズが、巧が、狼が、躍動していた。

 

「うるせーんだよどいつもこいつも‼︎」

 

 ファイズが頭上に挙げた両手がそのまま張り手のまま振り下ろされ、マンティスパイダーオルフェノクのどデカイ鎌を上から押さえつける。

 真上ではなく、物を切り裂く形の刃をしている鎌に合わせて指を反らせて実際に抑えていたのは手根だ。 その上を前腕と肘と上腕と肩が斜めに鎌を下に下げさせた。

 

(無理。相手のタイミングが完璧すぎる。上半身を上げても間に合わない‼︎)

 

 巧の狙いを腕で鎌の軌道を尻の下に下げさせて躱す事だと悟ったリニスはその作戦が百パーセント失敗することを止まらぬ鎌の勢いで看破した。

 マンティスパイダーオルフェノクの鎌は確かに刃の上側を押さえられ少々斜めに傾いたことはファイズの力と言えるだろうが、その実斬撃の大部分の勢いを殺せず、直撃は避けられない。

 リニスは望みをかけて最速のカイザスラッシュを狙う。

 それさえ間に合わないかもしれないと感じながら。

 

「つあああああ‼︎」

 

 しかし巧の作戦はリニスの遥か上を飛び抜けていた。

 巧は膝を曲げまるで空中で四股を踏むような姿勢を作ると、気合の雄叫びを上げ、着地と同時に振り下ろした鎌の頭の部分を両膝に添え、ドン‼︎

 

 ジャンプの勢い。

 落下の衝撃。

 ファイズの腕力。

 ファイズの脚力。

 ファイズの体重。

 捻られた鎌と戻そうとした反発。

 固定された鎌とそれでも切り裂こうとする力。

 上方への力と下方への力。

 引く力と押す力。

 切り裂き専門というやつの特性。

 後は気合とetc.

 

 すり潰したような千切り取られたようなへし折れたような生々しく重々しく痛々しく次いで聞こえた壮絶すぎる悲鳴も仕方ないものだった。

 

「すごい」

 

 セシリアがその光景に囚われたように言う。

 身を細めて若干引いているプレシア。

 カイザの変身を解除してしまうほどリニスは、目の前の巧の奇行にもう文句を言う気もなくなった。

 

「ジャンプして...腕と足で挟んで...着地して...折った」

 

 口で説明するとこんなところか。

 もう呆れようにもない。

 マンティスパイダーオルフェノクの鎌を折るために、その攻撃を愚直に全て食いながら、最後に懐に飛び込む跳躍。

 当然獲物を狙った鎌は躊躇いなく自分の胴へと吸い込まれる。

 それを薄い刃の方を腕で、太い峰の方を膝で、その幅約数センチほどの開きは、着地と同時の挟み込みでネジ巻きの要領で回転しようとする。

 マンティスパイダーオルフェノクの斬撃の精確さと強靭な勢いに反発するその動きは、やがて支点となった鎌の間の位置で鎌の耐久度の限界を超え、今の状況を生んだ。

 ドッグオルフェノクの武器とは違い、自分の体の一部を変形させたマンティスパイダーオルフェノクの鎌は、分断された断面から伸びる諸々の生物的ななんだか大事そうな紐が、彼の壮絶な激痛を容易に見ている者に分かりやすく感じさせた。

 

「やめてよ....そういうの.....」

 

 やや青ざめた表情のプレシアがぼやいた。

 人体実験のプロジェクトFの利用者なのにこういうのは苦手なのかとリニスは思い、再びファイズを見る。

 地面に着地したファイズはぶち折った鎌を挟んだ状態だ。

 股を180°近く開いて、手のひらをパンと乗っけている形。

 

「真剣白刃取りですか......ヤンキー座りの」

 

 ファイズが立ち上がり鎌が床に落ちる。

 中に水でも含まれているかのように生々しく鈍い音が立った。

 ファイズの手首がカシャリと鳴った。

 全身は依然として傷だらけ。

 総評すればマンティスパイダーオルフェノクともしかしたら大差ないかもしれない。

 リニスは理解出来なかった。

 

(非合理的どころの話ではない...よくここまで生き残ってこられたものです。以前から思いつきに重点が置かれたファイトスタイルでしたが、それでもまだ安心して見ていられる程度だった)

 

 戦い方が柔軟なのがファイズの利点だ。

 今までの記録にある巧は、意外に器用に立ち回っていた。

 本人の性格もあいまり、比較的異世界人の中では予想のしやすい人間だということがリニスの認識だった。

 

(高町なのはや織斑一夏ばかりを気にしていましたが。乾巧....あなたも中々目を離しておけない子供ですね)

 

 もしかしたら一同の中で一番暴走しがちで、気苦労がかかりそうな巧にリニスは先のことを思い、重々しいため息をついた。

 

 全身が熱い。

 自分でやっといてなんだが巧は無茶をし過ぎたと怠い気持ちになった。

 昨日からセンチな心境になり、今日も三体のオルフェノクたちに自分を重ねて、落ち込んでいるのかよく分からない状態に陥り、セシリアはなぜかデルタになって戦い、今になってアイスコーヒーに払った代金がムダだと気づいた。

 兎も角巧はイラついていた。

 このイライラを発散したい気分だった。

 オルフェノクとしての自分もなにやら怒っているようだった

 

(うるせえ、怒ってんのはお前にもだよ。しつこいんだお前。そんなにキレたいんなら俺に付き合え)

 

 そうして怒っている巧と怒っているウルフオルフェノク。

 2人の怒っているファイズが、普段の2倍の無鉄砲さで誕生した。

 

(こんなことならバイトなんかせずに雲を眺めてればよかったぜ)

 

 流れる雲が時間と共に、モヤモヤしたあの気持ちも流してくれて、巧は傷を負うこともなく復活したはずだった。

 心の怒りはまだ2人分燃えている。

 こうなったらヤケだ。

 とことんまで体を痛めつけて完全燃焼してやる。

 巧は左腕のデバイスから瞳が赤いファイズが描かれたミッションメモリーを取り出すと、それをファイズフォンのものと交換する。

 

《Complete》

 

 傷ついたフルメタルラングが中程から左右に分かれ、内部のブラッディコアが露わになる。

 フルメタルラングが肩にパッドのように収まったと同時にファイズに、正確にはファイズに流動する流体エネルギーフォトンブラッドが変質し、その余波でファイズが光輝く。

 無論その変化に一同が気づかないはずがない。

 プレシアもこの光景に顔を青ざめさせている場合ではなくなった。

 

「銀のブライトカラー......ファイズのライダーシステムが扱えるギリギリの超限定的な形態。こんなところで使うつもりなの⁉︎」

 

 赤のはずのフォトンストリームが、主成分であるソルグラスをファイズが無理矢理高出力に変換させ、フォトンブラッドの最高出力であるシルバーストリームへと変化させる。

 ファイズの複眼が黄色から赤へと変化し、変形は完了した。

 最も出力の低く。 三本のベルトの中でも最後発という背景があり、その結果最高の完成度を誇りカイザ以上の拡張性を誇るこのファイズ最大の特徴。

 フォームチェンジ。

 そしてファイズの持ち味である安定性を犠牲に、一時的だがデルタに並ぶ出力を発揮させるため、諸刃の剣として生み出された爆発的な加速力。

 

「リニス‼︎」

 

 傍観をやめ、行動に移ったプレシアがしたことは防御。

 リニスに命じた彼女はリニスが張った結界に干渉し、それをもっと強固なものにする。

 アクセルフォームがデルタに匹敵するために、決して高エネルギーを扱う仕様に適していないファイズがしたことは、あまりにリスキーでデルタ以上の突貫工事な荒技だった。

 曲がりなりにも安定させ常時展開していられるように、製作されたデルタは確かに高出力だがそれはつまり、それがライダーシステムに注ぎ込める一つの限界値だというのがスマートブレインの意思表示といえよう。

 自壊しないギリギリのライン。

 ブライトストリームが人が扱えるフォトンブラッドの限界ラインなのだ。

 

「オルコットさん‼︎」

 

 先程からぼーっとしているだけなセシリアを疑問に思いながらも魔導師フォームで回収したリニスは2人を覆うシールドを張った。

 リニスに抱かれながら、セシリアは巧を眺めた。

 

「綺麗...」

 

「...あれはアクセルフォーム。通称ファイズアクセルと呼ばれる高出力状態です。本来低出力なファイズの内部コアを露出、余剰エネルギーを輩出させることであの姿となります」

 

 やはり様子の違うセシリアを不安に思いながら、リニスは魔力の安定化の集中した。

 

「もっともそれは、市販の軽自動車のエンジンを戦闘機のものに強引に載せ替えて得たような危ういもの。メインフレームから細かい部品の全てがノーマルな車が....音速を超えるアフターバーナーの加速にいつまでもついていけるはずがありません。

35秒...

それ以上は暴走したシルバーストリームがファイズのスーツを破壊し、空気に触れて劣化したフォトンブラッドが周囲3キロ四方を汚染してしまう。もちろん装着者は死んでしまうでしょう...」

 

 一瞬言いづらそうに、だが直ぐにリニスは惚けるセシリアに巧の危険知らせる。

 セシリアは黙ってファイズを見つめる。

 排出される熱がファイズの周りの景色を歪める。

 その中で手首のスナップ音だけが鮮明だった。

 

「一応自動で終了するはずですし異常があった場合、プレシアがベルトを外させますが、もしもの時は何とかあなただけでも守ります」

 

 リニスの言葉にセシリアはずっと無反応だった。

 巧が駆ける。

 ファイズが編み出せる最高値の拳はマンティスパイダーオルフェノクを簡単に空へ飛ばした

 通常時の1.5倍の威力が手負いのマンティスパイダーオルフェノクに容赦なく突き刺さる。

 そんな一方的な攻勢が十数秒続いたところで、地面を転がるマンティスパイダーオルフェノクが突如変貌した。

 下半身を昆虫的な四本の脚で支え、胴体となるマンティスパイダーオルフェノクを中心に新たに生えた6本の鎌がその鋭利な刃をファイズに向けている。

 マイクロバス並みの大きさになったマンティスパイダーオルフェノクが、防御力の薄くなったコアを狙う。

 後ろに跳びのいて躱したファイズは着地と同時に、左腕のデバイスに手を伸ばす。

 プレシアが悲鳴を上げる。

 

「ちょっとはクーリング走行って発想はないのあの子っ...⁉︎」

 

 ただでさえ危ういアクセルフォーム。

 その上今のファイズは巧の突進の代償に決して浅くない傷を負っている。

 フォトンストリームにも少なからず影響が出ているかもしれない中、スイッチを入れた途端暴発してもおかしくない。

 プレシアが祈る気持ちで外を覆う結界が万が一にも壊れ、被害が漏れ出ないように強化する。

 様々な想いを錯綜させながらSB-555Wファイズアクセルのスタータースイッチが押された。

 

《Start Up》

 

 アクセルフォームの真髄。

 アクセルモードが発動された。

 マンティスパイダーオルフェノクの巨大になった鎌に、ファイズは腰を落としクラウチングスタートの状態になる。

 呑気な格好だが、2人はそれをそう断じることはない。

 勝負は既に決した。

 

《Reformation》

 

 巨体がその分の質量の灰になった

 

 

ーー

 ファイズアクセルの最大の武器は、その身を突き動かす動力源が、シルバーストリームの高出力だということだ。

 デルタでさえ不採用となったその高出力を、フィルターを通さずそのまんまの勢いで体を躍動させることができる。

 体への負荷を視野に入れない力はファイズに音速の壁を破壊させる。

 通常の千倍。

 その言葉の意味が今目の前で起きている光景だ。

 マンティスパイダーオルフェノクがピンポンボールのように空中で弾けて吹っ飛ぶ姿をプレシアはジーっと観察していた。

 

(三本のベルトが、オルフェノクが扱うことを前提として製作された理由がよく分かるわ。あれ何Gあるのかしら?その分ISの操縦者保護ってほんと凄いのね)

 

 見えない。

 時折見える銀と赤の閃光が攻撃を加えるファイズのフォトンストリームと複眼だと認識できるのは、やはりあのシステムを事前に知っていたからだろう。

 初見ならまず分からない。

 時速に換算して62068km。

 第一宇宙速度の約2倍。

 ロシアのICBM、RT-2PM2がマッハ27で時速3万kmだとして、この速度を換算した場合、ファイズアクセルの移動速度はマッハ50を超える。

 正に目にも止まらぬ速さ。

 太陽系最大の恒星、太陽の引力さえ振り切る超スピードについて来られる者など、少なくとも今空中で貼り付けにされているマンティスパイダーオルフェノクにはそのすべはないだろう。

 100mを0、0058秒で走破する今のファイズは正真正銘、世界最速の存在だ。

 ここから一歩でも前に出れば、ソニックブームがプレシアを襲うだろう。

 あれに対抗できる魔導師は自分の知る限り、リニスも含めて何人居ることだろうか。

 一つ他愛のない思考に気を取られたプレシアの伏せられた視界が、突如銀行中を照らすフォトンストリームに引き戻される。

 空中に広がるそれら全てがシルバーストリームにより、常時フル充電状態のファイズがノーモーションで生成したポインティングマーカー群だ。

 アクセルモードの制限時間はアイドリングモードより短い10秒。

 既にファイズアクセルからは危険シグナルを伝えるカウントダウンが始まっていた。

 

《3...》

 

《2...》

 

 クリムゾンスマッシュの1.5倍の威力。

 アクセルクリムゾンスマッシュがマンティスパイダーオルフェノクに叩き込まれた。

 

《1》

 

《Time Out》

 

 

ーー

 

「まったくきみは何を考えているんですか。あそこでスーツがもし壊れたら私たち全員あの世行きでしたよ?」

 

「だから知らねーよそんなん‼︎終わったんだからいいだろ‼︎だいたいあいつらは元々全部俺の獲物だ...」

 

「無抵抗でやられそうになってる所助けられといてよく言いますよね?」

 

「あんたらが邪魔しなけりゃ俺がぶっ飛ばしてたんだよ‼︎」

 

「へー...」

 

「んだよ、やるか⁉︎このコスプレ女‼︎」

 

「きみが着せたんでしょ‼︎」

 

「やめなさい2人とも.....巧くんはこっち来て。手当てするから」

 

 結界を解き、人気が戻った無人の銀行内で、変身を解いた巧はリニスと喧嘩をしていた。

 鈴音ともしょっちゅう憎まれ口を叩き合う巧にとって、本物の猫であるリニスは相性最悪の相手に思えた。

 セシリアはプレシアに手当てされながらもやはりリニスに睨みを利かせている巧の元へと近づき、そのチョット湿気た頭を撫でた。

 疲れているからか、今度は引っ掻きも噛んだりもしない。

 ウンザリした顔はいつもの巧だった。

 

「今度は何に見えるんだよ....猫か?ワンちゃんか?」

 

「巧くん」

 

 何?となる巧。

 

「巧くんが無事で安心しました‼︎」

 

 滅多に張らないセシリアの大声に、巧ですら驚いた。

 怪我に障らないように、優しく引き寄せられた頭が、柔らかい胸元に収められる。

 流石にこれには巧も抵抗した。

 

「マジで頭可笑しいんじゃないかお前⁉︎やめろ、離せ‼︎」

 

「はい、動かないでね。傷開くわよ?」

 

「ああ、巧くん。これ約束のお給料です。急いで容れてもらったんでちょっと足りないかもしれませんが」

 

 プレシアがリニスを発見した時とは別の種類のニヤニヤ笑顔を称えて作業を続ける。

 リニスがメイド服の懐から取り出した生の現金を巧に差し出す。 もちろん巧は受け取りようがない。

 ピラピラと巧の頭上でお札が揺れる。

 

「ほらほら。要らないんなら私が貰っちゃいますよ〜。この服も返しに行かないといけないんで早くしてくださ〜い」

 

 

「いいから全員どっか行けーー‼︎」

 

 

 今日一番真摯な願いを感じる叫びだった。

 

「みんな大丈夫⁉︎御免なさい。結界がヤバげだったから壊さずに待ってたんだけど...」

 

「増えるなよ‼︎」

 

 増えた、結界を察知して駆けつけたがプレシアにより強化された後だったため、雰囲気で内部の切迫した状況を悟り、破壊して突入することが出来ずに外で待っていた(結界が消えた時残っていたのがオルフェノクだった場合は、建物ごとブレイカーで消しさるつもりだった。※一応サーチャーでくまなくチェックした後で)なのはは心底安心した表情だった。

 巧は顔から火が出そうである。

 そんな巧の想いも知らず、もしくは知っていて単に気にしていないなのはがセシリアに抱きしめられる巧の方へ歩み寄って来る。

 因みに魔導師組は全員私服だ。

 箒の家で洗ってもらった前日の服のなのはは、顔の赤い巧のわざわざ前面で目線を合わせる。

 本人は礼儀としてだが、やられた方はテスタロッサファミリーと同等の嫌がらせにしか思えない。

 

「あの姿、ロボコンフォームだっけ?次はあんまり使わなくていいようにするから...遅れてごめんね」

 

 リニスとプレシアが「ロボコン?」となり、巧がブワッとトマトのように赤くなり立ち上がる。

 セシリアが「あっ」と漏らして跳ね除けられた手のまま不思議そうに巧を見た。

 巧はそのままどこか罰の悪そうななのはの肩に手を置くと、今度は自分が目線を合わせる。

 

「なんで知ってんだ」

 

「ハハ...バッジ持ってるでしょ」

 

 昨日渡したやつ、と続けるなのはに言われるがままに、巧はポケットから念話用のバッジを取り出した。

 エライ目にもあったが、やっぱり便利なものなので突っ込んでおいた奴だ。

 朝はキチンと服につけておいたのだが.....

 

「あんたにかけてみたが使えなかったぞ」

 

「距離があると使えないみたいでね。束さんが改良版作ってくれたらしいから交換しとくね」

 

 言われるがままバッジを渡した巧になのはが本題に移る。

 

「束さんに通してないから合ってるかは分からないんだけど。きみの強い想いに誤作動で反応して、その思念が登録者の私に伝わったんだ」

 

「それがなんでロボコンフォームなの?」

 

 手当てをしながら素朴な疑問を投げかけるプレシア。

 巧は少し顔をしかめるが、このままではなのはが喋りそうだったため固い口を開けて説明をした。

 

「ガキの時にやってたヒーローもんだよ。胸がパカって開いたろ?中の機械が見えてるとこが似ててそう呼んでんだ」

 

 へーっとリニスとプレシア、セシリアも言葉を重ねた。

 巧はなにか茶化されないかとドギマギしたが、今度はキチンと空気を読んだなのは。

 

「あれって凄く負担がかかるんだね。体を動かすたびに全身の筋肉と骨・神経に激痛が走る。思念から痛みがダイレクトに伝わって来たよ」

 

 途端にシンミリする空気。

 だが巧は内心ガッツポーズをする。

 茶化される空気でなくなったことに喜ぶ。

 その通り、質問するリニスは真剣だ。

 

「五感の一部そのものまで共有出来たということは、もしかしたら視界も?」

 

「はい」頷いたなのはは受け取ったバッジをまた巧へ渡す。

 巧が受け取ったところで会話がスタートした。

 

「まず見えたのはリニスさんが巧くんにキチンと謝ってくれたところ」

 

 随分前から見えていたらしい。

 これは巧がその時大きく心が動いたからだろう。

 

「それから巧くん。あんまりそういう考えは先輩としてどうかと思うよ?今日は正当な理由があるけど、本来働いて稼ぐお金っていうのはね...」

 

「だあ‼︎分かったよ、やらねえよ。続けろよ」

 

 社会人として巧の楽して稼ぐ姿勢に思うところがあったらしい、なのはの説教もなされ、それも今度はセシリアに向けられることとなった。

 

「セシリアちゃんが決めたことだから、あんまり私が口出すのも違うかもだけど....」

 

「......」

 

 それも伝わってるよな。と巧はやはり見えていた驚きの光景を、同じく共有していたなのはは思うところがあるようであり、セシリアの腰に巻かれたままのデルタギアに視線を落とした。

 何より彼女が憤っているだろうことが、デルタのベルトの所有者が自分ならばセシリアが戦いの場に出ることはなかっただろうということ。 そしてそれが可能な立ち位置に居たにも関わらずそう出来なかった事だということが、念話を使わずとも容易に表情から見て取れた。

 

「無理はしないこと。これだけは守って」

 

「善処します」

 

 相変わらずの塩対応はやはり父親であるホークオルフェノク関係だろうか。

 今のところ彼女の口から事実を打ち明けられたのは巧だけだが、あの場に居てスコールの言葉を聞いているなのはなら察しの一つは付いているかもしれない。

 巧はようやく見せてきた無邪気な一面が、再び不幸な仮面の奥に隠されていくさまを寂しく思った。

 ツンと横を向かされる。

 

「人ごとじゃないからね?」

 

「……おう」

 

「はい」

 

「…」

 

「は・い」

 

「…はい」

 

「はい」

 

 人差し指で刺されたこめかみがジーンと残る。

 

「新ての体感型アトラクションのホラーかスプラッター物かと思ったよ。途中で胴体切られそうになったシーンなんか本気で念話切ろうか迷ったし。背筋凍った回数何回か分かる?」

 

 俯く巧。

 因みに正解をもらえそうな自信はある。

 でも絶対怒られるから言わない。

 なのはが駆けつけたタイミング的に、その時は絶賛駆けつけ中で、それこそ我が事のようにハラハラさせたろうし、もどかしさを与えたに違いなかった。

 冗談混じりだが本当はセシリアではなくなのはに抱きしめられたのかもしれないと思った。

 そう思うとリニスには逆らったが申し訳なくなってくる。

 それでも不貞腐れた態度を取るしか出来ない自分の最低さ加減がなんとも腹に来る。

 一夏を見て何度か人にかける迷惑も考えろと思ったが、まるで人のことを言えない。

 それに向こうはちゃんと謝る。

 間違っても開き直った態度はしない。

 

「まあ無事でよかった。それだけは本当に良かったよ」

 

 結局相手の笑顔にホッとしてしまう。

 待っているだけで何もしなかった。

 

「長くなっちゃったけど最後にこれだけ‼︎」

 

 あまりぐちぐち言うと絶対引きずる巧のためにここいらでキリよく終わらせることにしたなのは。

 過ぎたことは仕方ない。

 これだけは今後のために言っておきたかった。

 

「時間制限あるから慌ててるのは分かるんだけど、移動とか攻撃の間とか大振りになり気味だから気をつけて」

 

 ロボコンフォームもといアクセルフォームの力はなのはも驚いた。

 だからこそその利点が一気に致命傷に繋がる動きを見逃さなかった。

 防御力の低いアクセルフォームは、更に超スピードで動くため、何かあれば即戦闘不能のカウンターとなる。

 今回は精神的に不安定だったこともあるだろうが、今後このようなことが起こった時、なのはのスピードでは最悪の事態を防げない。

 巧自身に防いでもらうしかなかった。

 それは走っている本人である巧もよく分かっている。

 今度こそ素直に礼でも言おうとして気づく。

 

「あんたあの速度でそんなもん分かったのか?」

 

 視覚をある程度共有出来ていることは分かった。

 だがあくまで人間ななのはがその動きを捉えられていることが信じられなかった。

 

「まあ主観映像だから嫌でも目から離れないしね。でもリニスさんなら横からでも見えたんじゃないんですか?」

 

 借り物の制服についた埃を払っていたリニスが振り向く。

 現在も警官隊の突入を遅らせるため高度な結界で外との時間の流れをズラしているため、常時魔力を解放している彼女の瞳孔は縦に鋭く開かれていた。

 オルフェノク以上の感覚を持つリニスはその瞳を終始ファイズに向けていた。

 

「ええ、ある意味ゆっくりと観察できました。初見で自分にかけられていた場合なら五分五分でしょうが、今なら十分対抗も可能です。ですね、プレシア」

 

「....そうね」

 

「あれ、本当に見えてました?」

 

「見えてたけど⁉︎大魔導師だから‼︎」

 

 仕返しか、恐らく分かっててからかうリニス。

 すっかり2人の漫才空間になってしまった。

 だが巧はほのぼのすることはなく、なのはの注意通りだということを噛みしめることとなっていた。

 どれだけ速く動こうが見える者はいるし、戦える者はいるということだ。

 なのはは最後にこう言った。

 

「バッジ。渡しとくね」

 

 巧はバッジを渡した。

 

 結界が解除されたと同時にコッソリ銀行から脱出した一同はそれぞれの行動を取った。

 @クルーズ行きはセシリアとリニスだ。

 制服を返しに行かなければならないし、セシリアに関しては今日の業務が終わるまでバイトを継続するつもりなので、尚更帰れないだろう。

 ネコ耳メイドと男装の麗人に注目する野次馬の中をセシリアがリニスをエスコートしながら優雅に歩いて行く。

 自由行動は巧だけだった。

 さっさと帰っていった。

 束への報告の道を歩くなのはの横を追随するのはプレシアだ。

 結界に阻まれて見えなかった分の報告をしてくれるらしい。

 それを礼を言って受け入れて共に歩くなのはは少し前を歩いている。

 プレシアが尋ねる。

 

「さっきは巧君となにを話していたの?」

 

「みんなに話してました。少し説教くさくてすいません」

 

 なのはは訂正する。

 なのはの話した事はプレシアも位置的に聞いていたはずだ。

 しかしかつてとは異質な威圧感を抱かせるプレシアはふっ、と笑うと首を振る。

 

「なのはちゃん嘘つくの下手ねぇ。セシリアちゃんだって気づいてたんじゃない?....念話で何話してたの?」

 

「......」

 

「一度回収したバッジをもう一度渡した理由。どうして?」

 

「なんとなくです」

 

 プレシアが笑う。

 心底可笑しいという感じだった。

 なのはは無表情でそれに応える。

 

「たとえ登録されてなかろうと、あれだけの至近距離で私が念話を傍受出来ないと思ってるの?さっきは恥をかいたけど。私リニスより魔法、上手いのよ?」

 

 魔力運用ということならば長年研究職についていたプレシアはなのはより幾分上手だ。

 なのはの栗色の髪をプレシアの指が妖しく伝う。

 

「別に隠すような事じゃないでしょ?最近の若い子は水臭くてお姉さんやんなっちゃう」

 

 首元を搦めとるように滑るプレシアの腕をなのはが掴んだ。

 クスリとプレシア。

 管理局員といってもまだまだ齢19の若輩。

 少し弄ってやれば直ぐムキになる。

 

「ごめんなさい。でも隠されると暴きたくなっちゃうのが性ってものじゃないかしら...「それ...」え?」

 

「それ....プレシアさんが決めていいこと何ですか」

 

 言葉の意図は読めないながらも、何故怒っているのかはプレシアにも分かった。

 プレシアの腕を離してなのはが後ろを向く。

 彼女も初めて見る本気で怒ったなのはだった。

 

「巧くんが話したくない事を...どうして私たちが大した事じゃないって決められるんですか」

 

 周囲の通行人には気づかれないほど静かななのはに、確かにプレシアは一歩退がった。

 

「目を離すとすぐこれだ。これ以上なのはちゃんの私への不信感を煽るようだとあなたとの協力もこれまでですよ」

 

 改めて目の前にしてみて我ながら不慣れな割にはよく出来ている。

 作った本人を前にしても声をかけられるまで目の前の黒髪に黒縁眼鏡のどこにでも居そうな女性が天災篠ノ之束だとは気づけなかった。

 

「安心して。そのバッジは念話とは少し違うプロセスで動いているからその人には傍受出来ない。記録機能も付けられないからそのバッジを私が解析しても君達の会話は知り得ない」

 

 目の前に居るのかどうかも怪しいほど気配が辿れない束はなのはの目の前に普通に歩み寄りバッジを回収した。

 そしてその手に新たなバッジを手渡す。

 デザインは変わっていない。

 何処にでも売っていそうな変哲のないアクセサリーだ。

 2つ渡された。

 

「距離と精度を強化しといた。きみが言ってた誤作動の件はまたなんとかしとくよ」

 

「束さん。聞きたいことが有るんですが」

 

 最近の束は機嫌が良くても悪くても変わらぬ事務的な対応をしてくれる。

 プレシアの事で若干不機嫌らしい束は特に嫌な顔一つせずになのはに頷いた。

 

「どうしてベルトをセシリアちゃんに渡したんですか」

 

 先ほどとは違う種類だが、本気で怒っていることは遠目でも理解できた。

 向けられた本人以外には気付きにくい静かな怒りだ。

 しかし不意を突かれたプレシアの時とは違い、今度のは束自身いつ言われるかと予期していた事。

 カラコンの黒い瞳。

 

「あの子が渡してくれって昨日言ってきてね」

 

「昨日....やっぱりあの作戦の事。束さんから誘ったって言ってましたけど...」

 

「誘ったのは本当だよ。もっとも密かに来たはずの学園で待ち伏せされてて、その要求を飲んだ後条件として出したけどね」

 

「巧くんがオルフェノクである事を見せつけてどうするつもりだったんですか?」

 

「別に、普通に渡すつもりだったよ。ただそれで戦うつもりなら友達がオルフェノクなことくらい知っておくべきだと思っただけ」

 

 それがどういう意図で行われたのかなのはには分からない。

 束にとって必要不可欠な譲れない一線だったということがなのはを今のところは納得させた。

 

「分かりました渡しておきます」

 

「うん。それから情報は今日はプレシアさんから聞くから、きみは帰って休みなさい」

 

 束はそう言うとなのは達が行く予定だった道を歩きだす。

 続くプレシアは胸の前で両手を合わせると軽く笑って、元の立ち位置でついて行った。

 残されたなのはは渡されたバッジを懐に入れると今日のところは寮でお言葉に甘えさせてもらうかと踵をかえして、巧も向かっただろう帰り道へと歩む。

 

 

 

 

 

 

ーー銀行内 戦闘後

 

ーー聴こえる?

 

ーーおう

 

 頭の中にかけられた声に同じく頭の中へと声をかけ返す。

 バッジの効果の本来の使い方だ。

 

ーー実はさ、さっきも言った通り私にリンクしたのはきみの強い気持ち。それによって伝わってきたのは視界や痛覚以上に、きみがその瞬間に抱いた思い出だったの

 

 なのはが喋りながら念話で巧に伝える。

 念話とはつくづく便利だ。

 説明はそれ以上必要なかった。

 

 三原。

 草加。

 そして木場

 あの瞬間巧が思わず頭に連想した彼らをなのはも一部の狂いなく体感したのだ。

 その時抱いた巧の悲壮、悲しみ。

 それらを同時に感じたなのはから申し訳ないという気持ちがダイレクトに伝わって来た。

 

ーーごめん

 

 今日はよく謝られる日だと思った。

 恐らくなのはは流れてくるそれを敢えて止めなかったのだ。

 敵の情報を出来るだけ仕入れることが自分のなすべきことだと判断し、巧の秘められた記憶を止めなかった。

 彼女からすればそれはやってはいけない最低な行為だろう。

 辛いもどかしさを自分よりもっと辛い巧の心情を、念話によりモロに共有した。

 今繋がる彼女の感情からはその謝罪の気持ち以外は伝わってこない。

 それが巧にも自分と同じ気持ちを味わい、気遣わせないように巧より魔力の扱いが専門の彼女がコントロールしたものだとわかったのは念話など使わずとも容易だった。

 巧は敢えてそれに突っ込まずこうして2人の交信は終わった。

 

 

ーー

 

(世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに。みんなが笑顔になりますように....か)

 

 一番強く感じた記憶。

 あくまで念話の副作用により断片な記憶しか取れなかったなのはにはその河原の光景がどの場面で、傍の人が巧とどんな関係にあったのか知らない。

 しかしそれが巧にとって今でも残るもっとも強い誓いだということは理解できた。

 普段ぶっきらぼうながらも本当はお人好しで心優しい彼が長年かけて見つけた夢になのはは心が温かくなるのを感じた。

 そしてそれを最後に巧から伝わってきた記憶はなくなった。

 マンティスパイダーオルフェノクへの苛立ちにハラハラしながらも巧は今も無事にこの夢を抱き続けている。

 

(寿命...そんなものどうすればいいの)

 

 夢を抱いたタイミング的にだろうか。

 なのはは巧が隠し続けたオルフェノクの秘密を知った。

 数年かもって十年余り。

 繁殖力の無さは長命で比率を取るのが自然界だ。

 それに反比例するかのようにオルフェノクは、急激な進化による負担で生まれながらにして細胞が疲弊しており、ファイズに倒されずとも放っておけばいずれ繁殖力が追いつかず死滅する。

 誕生と同時に死は誰にでもある運命だが、それが種族全体に初めから備わっているオルフェノクになのはは言葉で表せないものを感じた。

 それと同時に、巧がオルフェノクとしては長命だということはもう分かった。

 もし自分と同じく転移してこの世界にやって来たのなら、彼の寿命はもういつ尽きてもおかしくないという事だ。

 しかしその事実への悲痛さと同じくらいなのはは疑問を抱いていた。

 あの河原の記憶の途切れ方になのはは違和感を覚えていた

 眠るようなうだるげな体と、重い瞼。

 遠のく親しい者達の声。

 閉じられた瞼。

 

(あの記憶はもしかしたら、巧くんにとって本当に最期の記憶だったんじゃ...)

 

 夢を見つけたあの河原で、乾巧の一生は終わったのではないだろうか?

 

(だとすればあの子は一体)

 

 見上げた空に雲が流れる。

 それをもしかしたら見ている巧が、必要以上に遠いものに感じた。

 




如何でしたでしょうか?たっくんの甘酸っぱい夏の思い出(ゲス顔)

一夏「解せぬ」

箒「出番キタよ。モッピー愛されてるよ」

ファイズとリリなの陣営ばかりがストーリーの本筋に関わって、最早タグに『セシリア主人公』『セシリアがヒーロー』「一夏はワンサマー』と入れなければタイトル詐欺にも繋がるレベルに....
しかしご安心を。
ボンドの最初が一夏視点のように、この作品に置ける主人公は紛れもなく一夏ですので。
真の主人公は1話登場しなかったぐらいで影が薄くなるような存在ではありません‼︎ アレ?ワンサマー今回アウトじゃね

追伸
うちのセッシーは将来絶対180cm後半の垂れ目が魅力のお兄さん系イケメンさんになる(確信)

※人気投票の開催。詳細は活動報告にて

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