漠然とした「そこそこ」の日常は、不意に終わりを告げる。
これは中途半端な少年が調子に乗ったという、言ってしまえばそれだけの話。
人は醜く、救い難い生き物だという当たり前の事を、ただ書き綴っただけのモノである。

***なろうにも同名で投稿してます。***
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Up to You

俺の愚譚を聞いてくれよ。

 

俺が自分を呪った日の話さ。

 

戻れるもんなら戻りたいよ、あの愚かな俺をぶん殴ってやりたい。

 

まあ、言っても詮無き事だ。失ったものは、決して帰ってこないんだから。

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そろそろ冬服に着替える頃だな、と。

少しの寒さに身を震わせつつ、俺はベッドから身を起こした。そしたら、なんか変な感じなんだ。目が覚めてるんじゃなく、冴えてるっていうか……頭はぼんやりしてんのに視界はハッキリしてて。

そしたら、なんか頭が酷く痛みだして、こりゃ風邪ひいたかなと思ってもう一度ベッドに潜り込んだんだ。そこでカッと視界が広がって……俺の学校が見えてきたんだ。

実は俺の学校、中途半端に田舎なとこがある上に風紀あんまし良くないから、持ち物検査があるんだ。朝のホームルームで、抜き打ちにやるの。俺の目にはその検査で、今日学校に持っていこうとしてたマンガを取り上げられる光景が見えたんだ。

それが、寝ぼけて見た夢にしてはやけにリアルでさ。もしかしたらと思って、そのマンガは家に置きっぱなしにして学校に行ったんだ。持って行ってホームルームの前にどっかに隠すっていうふうにしても良かったかもしれないけど、念のためだ。

そのマンガ貸す予定だったクラスメイト達には軽く小突かれたけどな、検査あるかもって言ったら、半信半疑だったけどそいつらも自分のゲーム機やら何やら隠してた。その内担任が来てホームルームが始まって、そしたら本当に持ち物検査やったんだ。見つかって没収された奴もちらほら居たけど、俺が声かけてた奴らは全員無事。いつもより違反が少ないって担任は喜んでた。バッカじゃないかな。これだけ急に違反が少なくなってたら、普通は逆に疑うだろ。

ホームルームの後、周りの奴らには驚きながら感謝されたよ。なんで知ってたって聞かれたから、勘って答えといた。夢で見たからって言っても別に困らなかったろうけど、さすがにバカにされそうだし、それになんとなく隠しておきたかったんだ。

 

その日から、俺は自分の人生を大いに楽しんだ。三日に二回は未来の夢を見て、そこからより良い未来を生み出せたからだ。ある時は一時間掛けて見つけるはずだったゲーム機を一分で見つけ、別の時はクラスの連中にプロ野球の勝敗で賭けをして大勝ちしといった事を続けた。一つ一つは地味でちっぽけな事だったが、他人の持ち得ない特別な力を持っているという事実が、未来を変えられるという結果以上に素晴らしいものを俺にもたらした。

 

つまり、優越感と自信。

その二つを得てから俺は雰囲気が変わったらしく、自然と周りに集まってくるやつが増えていく。その流れはクラス全体に広がり、気付けば俺はクラスのリーダー格になっていた。

 

ある時隣のクラスの、デブで目つきの悪い奴が俺にちょっかいを掛けてきたんだ。そいつは所謂ガキ大将的な奴で、小学校の頃からずっと暴力で弱い奴を従わせてたらしかった。最近になってクラスを纏めだした(ということになっているらしい)俺が、目立ちたがりで他者の上に立ちたがるそいつにとっては目障りだったんだろう。俺はそいつとタイマンの喧嘩をすることになって、近所の河原に呼びつけられた。俺のクラスメイトとそいつの取り巻きが見物する中、そいつは自信満々でふんぞり返って俺を見下してた。大してデカくもない力こぶ作ってさ、すげえバカ晒してた。

で、いざタイマンって時になって、そいつが頭おかしいこと言い出したんだ。負けた方は勝った方に、自分の子分共々忠誠を誓えとさ。何時代の話だよ、時代錯誤にも程があるだろ。マンガの読み過ぎじゃねえの?バカバカしくなって、

 

「あーはいはい、アンタの小学生以下のママゴトに付き合う気は無いから。ってか子分て、俺のクラスメイトは子分じゃないからな。」

 

「え、お前に着いてきてたあいつら全員子分か?てことはお前、友達いないんだぁ。うわー、友達ゼロ人とかかっわいそー」

 

まあこんな感じに棒読みで煽ってみたら、そいつは凄い勢いで殴りかかってきた。肩震わせて、図星ですって書いてあるみたいな真っ赤な顔してさ。いや図星かよ。てかメンタルよっわ。動揺しまくってるのもあって、凄く大振りの攻撃だったから簡単に躱せる。

で、俺実はこいつの弱点知ってんだ。昨晩見た夢で、こいつと喧嘩する未来を見たから。でもその夢では俺はこいつに負けてる。敗因ははっきりしている、弱点を見つけて油断したからだ。

弱点を見つけて勝利を確信した時に気が緩んで、一発デカいボディーブローを貰っちまったんだ。そこから後はタコ殴りだった。もう同じ轍は踏まない。しっかり目を見開いて大振りのパンチをかわし続け、隙ができる度にそいつの右脚に蹴りを入れていく。ヒットアンドアウェイを繰り返しながらそいつの様子を見ていると段々苦しむような表情になっていって、とうとう右脚を庇うように座り込んだ。元々少し痛めてたらしいそこを集中的に攻撃して、動きを完全に止めてやった形だ。

夢のお返しの分も込めて(夢で殴られても痛くはなかったけどな)顔面に渾身の蹴りを入れてやったら後ろに倒れて、丁度そこにあった大きめの石に頭をぶつけて動かなくなった。気絶したみたいだ。打ち所が悪かったらしいそいつを気遣う義理なんてもちろん無いから、更に鳩尾を踵で踏みつけてやる。まあ、その辺りで気は済んだかな。意気揚々とクラスメイト達の所に戻ると、連中は俺の怪我を気にしてくれつつ、ざまあ見ろとそいつを嗤ってた。いい気味だ。身の程も知らずに自分の力を過信するからこうなるんだ。

 

俺はそのままクラスメイトと別れ、高揚した気分のままに家路につく。そして凱旋のシャワーでも浴びようかと玄関のドアノブに手を掛けた時だった。

 

「**君」

 

女の声に名前を呼ばれて、振り返る。そこに居たのは、俺が最も長い付き合いを持つ同級生。

斜向かいの家に住む、○○だった。

○○はダサい丸眼鏡を掛けていて、正直センスの良い女とは言えない。肩までの髪は三つ編みで、しかもあまり上手く結べてないせいで更に野暮ったい。

 

「何だよ?」

 

○○とできる限り関わりたくない俺は如何にも『迷惑です』という口調で、さっさと帰宅したい意思を示す。

 

「**君、喧嘩したんだって?」

「ああ、したよ?」

 

情報の早い奴だな。鬱陶しい。

 

「自分から殴ったの?」

「いいや、喧嘩売ってきたのも殴ってきたのも向こうから。俺は正当防衛しただけだ」

 

言い訳がましくなっちまった。腹が立つな。

 

「でも**君、喧嘩なんて買わなきゃ良かったでしょ?殴ったりしたら怪我しちゃうんだよ?」

 

小学生に説くように当たり前の事を言われて、更に腹が立った。

 

「うるせえな!正当防衛ッつってんだろ、しつこいんだよ!」

 

勢いに任せて怒鳴りつけ、家に入って力任せにドアを閉める。

くそ、本当にムカつく奴だ。

あいつはなんで未だに、俺に関わろうとするんだ・・・・・・

 

 

 

家が(はす)向かいだから。

そんなありきたりな理由で、俺と○○は腐れ縁になった。

母親同士の仲が良かった事もあってその関係は中々に深いもので、家族ぐるみで遊びに行ったり、泊まりもした。

でも俺は、○○とどうにも仲良くはなれなかった。あいつは、賢すぎて良い子過ぎたんだ。

親や先生の言うことをよく聞き、物事の善悪を正しく見極め、規範通りに行動する。幼少期から発揮されたあいつの才能とも言えるそれは、周囲の大人からしてみればさぞや「優秀」にあいつを見せた事だろう。

そしてあいつが大人に褒められ、もてはやされる度に比べられた俺はその都度、劣等感と苛立ちを募らせていた。

だがあいつはそんな俺の気持ちなどお構いなしに、俺の欠点を指摘し、直させようとしてくる。小学校の中学年頃からはその密度がただうっとうしいだけだった。

何度も関わるなと言ったし、何度も突き放した。顔を思いっきり殴った時は親に酷く叱られたが、俺は決して謝らなかった。

それでもしつこく、○○は事あるごとに俺に小言を挟んでくる。会って口を開けば、二言目には「ちゃんとしなさい」だ。

やれ忘れ物するなだの、親を労れだのと優等生ぶり、俺の不快感を煽ってくるのだ。何が楽しくてそんなに纏わり付いてくるのか全く分からない。

だから俺はあいつが嫌いだ。できるなら二度と顔も見たくない程に、あいつは俺にとって腹立だしい存在なんだ。

====================================

陰鬱な気分を払い除けるように布団を被ったその夜、俺はまた夢を見た。

知らない男が立っていた。日本人にしては高い鼻に身長、顔立ちは整っていて、雑誌のモデルでもやっていそうな美男子。白い壁の前で、黄色いカーディガンを羽織った女性の肩を掴んでいる。

何か言い合いをしているみたいだな、女は男の手を振り解こうとしているようにも見える。ここまではっきりと見えたのは初めてだ。なんか言ってるな・・・・・・へー、そーですか、はいはい・・・・・・

あ、男が身を屈めて・・・・・・キスしやがった。くそ、いちゃつくカップルなんざ見ても何の得にもなんねえよ・・・・・・

 

胸がムカムカするような不快感を味わいながら、俺は目を覚ました。

何だってあんな夢を見たのかさっぱり分からないが、久し振りに普通の夢を見た、と思っておきたい所だ。

何にせよ俺は、昨日のこともあってまだ苛立っていた。だから不機嫌なまま登校したが、クラスメイトから昨日の喧嘩(タイマン)についてあれこれの話をしていると気が紛れ、暫くしたらあいつのことも、見た夢のことも忘れていた。

放課後になって帰る支度を済ませると、クラスのある女子が俺に頼みがあると相談してきた。数日後に姉の結婚披露宴があるので、他に誘っている何人かと一緒に出席してくれないか、ということだ。

話を聞くに、自分のクラスメイトにも自分の姉の晴れ姿を自慢したいと姉に頼んだら、見学という形でならと笑って許可して貰ったという事らしい。

断るのもなんだし、招待を受けた。披露宴なんてものに参加することは今まで無かったから、実は結構楽しみだったりもする。

披露宴までにマナーについて母親から軽く教わったりしていると直ぐにその日は訪れ、俺は披露宴が行われる会場にいた。結構規模のデカい披露宴で、受付でパンフレットみたいなものを受け取った。

その中身を見てビックリしたよ。新郎として写真付きで紹介されていたそいつは、どう見ても俺が数日前に夢で見た男そのものだったんだ。だが、新婦の写真は俺の夢で見た女とは似ても似つかなかった。

不思議に思いながら式が始まったら、俺は夢で見た女を見つけた。夢と同じカーディガンを羽織って、式場の隅にいたんだ。俺はその女の苦しげな、悔しげな表情を見て、一つの予想を立てた。

こいつは、多分お姉さんの恋敵だったんだ。式に来たはいいが、事ここに至ってもまだ踏ん切りがつかない・・・・・・って所かな。情けないな、大人ならもう少し潔く諦めろってんだ。

そういう風に見当を付けていた俺だったけど、トイレから帰る途中の事だった。新郎ともう一人男の声がして、俺はつい聞き耳を立てたんだ。そこで俺は、俺が数日前に見た夢はやっぱり予知夢だったのだと確信した。

 

あのカーディガンの女は、恋敵だったんじゃない。

今現在進行形での、恋敵だったんだ。

 

男はずっと、あのカーディガンの女と浮気をしていたんだ。どうやら相当上手く隠しているみたいだった。その事を知った俺は足音を立てないようにしてこっそりと別の道を通り、会場に戻った。どうやって浮気を暴露してやろうか、笑って考えながら。

会場に戻ると、その機会は向こうからやって来た。例の女子が、俺に頼みがあると言ってきたんだ。

余興の為に頼んでいたパフォーマーが急に来られなくなってしまい、何でも良いから余興をやってくれないかと。

俺は運命の神様に感謝しつつ、その大役を仰せつかった。勿論、披露宴の為の余興をする気などさらさら無い。

その場を借りて、浮気男に制裁を下してやるのだ。

俺がマイクの前に立つと、その場の全員の視線が俺に集まるのを感じる。うん、注目されるのは悪くないな。

 

「えー・・・・・・じゃあそこの新郎クンについて、ちょっとしたスピーチをさせて貰います。」

 

よく知りもしない新郎の何をスピーチするのだ、と(いぶか)しむ視線を感じるが気にしない。最も手短に、それでいてはっきりと奴を糾弾できる言葉を脳内で選ぶ。

・・・・・・よし、これでいいか。俺は大きく息を吸うと奴を睨め付け、言ってやった。

 

「浮気してんじゃねーよクズ野郎。今すぐ土下座して新婦さんに謝れやこのゲス」

 

会場は騒然となった。そりゃ当然だな、二人を祝福するスピーチのはずなのに、一瞬でこの場を修羅場にしちまったんだから。

俺は自分を呼ぶ声も無視して、クズ男に畳みかける。

 

「おい、なんか言ってみろよクズ。浮気してたんだろ?誠意見せて謝れよ」

 

クズ男は何も言わず、手を組んでただ俯いていた。

そして会場はいよいよ騒がしくなり、新郎を問いただす声も上がり始めた時だった。

 

「少し黙ってくれないか」

 

手に持ったマイクで拡声された、凜として響いたその一言は、会場にいる全員の動きを停止させた。クズ男は隣に座る新婦の肩を抱き寄せ、静かな声で続ける。

 

「私はこの人と生涯を共にする覚悟を決め、その誓いを立てたんだ。安易な悪戯心で、その誓いを疑わせるような真似をしないでくれ」

 

その瞬間、一度止まっていた自分の思考が、怒りで赤く染まっていくのが分かった。

こいつ・・・・・・!俺の言葉が全て虚言ってことにして・・・・・・子供の悪ふざけにしようとしてやがるッッッ!!

 

「悪戯をしたくなる少年の気持ちもよく分かる。でもこれは、私達にとって、そしてこの会場にいる皆様にとってとても大切な式なんだ。今自分が何をしているのか、周りを見てよく考えるといい」

 

相手を祝いの席にまで呼ぶという大胆な浮気を完璧に隠し通す話術。クズ男はそれを遺憾なく発揮し、一瞬の内に俺たちの間に絶対的な壁を築き上げてしまっていた。

 

『理解を持ち、愚かな少年を(いさ)める聡明な男性』

『喜びに満ちた宴を一時の感情で打ち壊した、愚かで幼すぎる悪しき少年』

 

俺を悪者にすることで、自分の悪事を隠すどころか逆に株を上げちまったんだ。そして人間は、愚かである人間の言葉よりも聡明な人間の言葉を聞き入れる。年齢と容姿に差があれば尚更だ。

もう俺が何を言おうが、苦し紛れの戯言にしかならない。それでも俺は口を開いた。

何故なら、俺はこいつがあの女と会う未来を見た。キスをする未来を見たんだ。

こいつがいくら口達者だろうが、その事実は揺るがない。

 

「お・・・・・・俺は見たんだ!教会の裏で!お前が女とこっそり会って、キスしてる所を!」

 

だが俺は失念していたんだ。

 

「見た?それは一体、何の話だい?いつ、誰と私が会っていたと?」

 

俺が見たその光景は、未来で俺が見るはず(・・)の光景だったって事を。

その未来が実現されるという証明を、俺はできないんだって事を。

俺は固まった。脳を回転させて反撃の方法を必死に考えたけど、『予知夢』なんて荒唐無稽なものに頼った俺の主張を信じさせる言葉なんて思いつかなかった。

それでも、退くわけにはいかなかった。俺はあいつを追い詰めなければならない。

何故なら廊下でこいつの言葉を聞いた時、その声で思い出したからだ。数日前に見た夢は、それまでの夢と大きく違っていた事を。

 

『―――こんな式、どうせ形だけだよ――――――――』

 

『―――じゃあ明日は、またいつもの場所で―――――――』

 

会話するその声が、浮気野郎の下卑た台詞が、はっきり聞こえていた事を。

夢を思い出した脳が、熱く滾っていく。

 

・・・・・・あいつはクズだ・・・・・・制裁されるべきクズだ・・・・・・!俺が制裁しなきゃならない、俺があいつを・・・・・・!!

 

 

 

 

 

―――そこまでだった。

乾いた音が鳴って、俺の左頬が痺れた。

いつの間にか俺の目の前に立っていた例の女子が、俺の頬を平手で殴ったんだ。

例の女子は何も言わず、ただ涙を流して俺を睨み付けていた。

その涙を見た時、俺は悟った。

もっと別の、賢いやり方があったはずだということを。

もっと確かな証拠を集めて、言い逃れできないようにできたはずだ。浮気現場に張り込んで、カメラで撮影でもすれば決定的な証拠になった。

いや、お姉さんに何らかの形で告げ口するだけでも十分だったはずだ。疑いを持って人を見れば、普通は見落としてしまうような隙も見つけられる。どれだけ嘘が上手かろうと、必ずどこかで(ほころ)びが出るはずだったんだ。

更に言うなら、何の行動を起こさなくても良かったはずだ。俺はあくまでも部外者で、他人の家のことに口を出す権利なんて無い。クズ男がどれだけクズで、誰と浮気をしようが俺には関係無いんだ。部外者なんだから、損もしない。

それなのに俺はクズ男の悪行を暴こうとした。何故だ?正義感からか?違う。俺はそんな良い人間じゃ無い。

欺かれている新婦達姉妹を哀れに思ったからか?違う。俺は今までで一度も、あの姉妹の為なんて事は考えなかった。

それならば何故・・・・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大衆の面前で、あいつの悪行を暴露してしまえば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あいつが膝をつき、謝罪するのをこの目で見られれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それを、俺が成し遂げたならそれは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さぞや面白いことだろうと、思ったからだ。

 

理解した瞬間、俺の中が暗闇で埋め尽くされるのを感じた。

猛吹雪が身体を突き抜けるような寒気と、底の無い大穴に放り込まれたような、得体の知れない浮遊感が全身を襲う。

上手くピントを合わせられない視界をどうにか動かし、会場を見回す。

さっきまでは会場に満ちていた穏やかで柔らかな空気は完全に消え去り、俺を責める冷たい視線だけが、ありとあらゆる方向から鋭く俺を突き刺していた。

脚が勝手に震え出す。

 

なら、俺のしたことは。

 

他者の心を、ただ不躾(ぶしつけ)に踏みにじっただけの行為。

 

あそこで俺を見据え、そうと知って見なければ分からない程僅かに頬を歪める、あのクズと変わらない。

 

変わらないんだ。

 

「・・・・・・ぁ・・・ぁっ・・・・・・」

 

一歩、二歩、後ろへとよろめく。

真後ろに非常出口を見つけた俺は、そのまま無我夢中にドアを開け放った。その勢いのままに走り出す。

外はいつの間にか大降りになっていた。大粒の冷たい水滴が服に染み込み、俺の体温を奪っていく。

それでも走った。全力で、自分の体力の事など思慮すること無く。

震えて怠けようとする脚を叩き、(なり)振り構わず腕を振る。

会場にいた人間達が雪崩を打って追いかけてくるような幻覚に苛まれながら、俺は披露宴会場から逃げ出していた。

====================================

自室の床、這いつくばること本日は二時間。

意味も意思もない動作の数々と、それを無為に見下ろし通り過ぎていく時間。

そして精神の腐臭が充ち満ちる空間に俺は居る。

俺は、自らの心が吐き出すヘドロの日々に溺れていた。

あれから学校へ行くことはおろか、用を足す以外の用事で部屋を出ることすらも一切していない。

母親が部屋へ運んできた食事を口の中で磨り潰し飲み込み、生命を繋ぐ栄養を身体へ流し込む。

もはやこれは作業だ。命、たったその一つを、落とさぬよう握り持つ作業。

言葉の無い抜け殻と化すことを漠然と享受し、それを望みすらすることはもはや日々の一部。

自分を許さず、その怒りを(もっ)て自分への精神攻撃を。そんな悪のプロセスを延々ループさせる、単純で簡単なこの作業はもう何十回、何百回目だろうか。

 

「ヴ、ブ・・・・・・」

 

突然に、そして急激に俺の喉を迫り上がってくる、強烈な吐き気。

完全に不意を突くように押し寄せてきたそれは、俺に僅かな抵抗をすることも許さず。

俺の身体はそのまま無抵抗に、嘔吐中枢から下された命令を忠実に実行に移した。

 

「グゲロアァァァァ!ア゛、ア゛ブ、ブウェ・・・・・・ウゲェアァァァァ――――・・・・・・!」

 

ビチャビチャと、汚泥(おでい)を床に撒き散らす。

床に放り出していたゲームやマンガが汚泥に侵《おか》されていくが、それを気に掛けるような感情の機能もどうやら停止しているらしい。

何の意味も持たない、ただの娯楽用品が使い物にならなくなった程度。その程度のことだと、今の俺はそう受け止めていた。

 

「う゛・・・・・・くぞ・・・・・・」

 

部屋を出て洗面所へ行き、口を濯ぐ。

水を吐き出し顔を上げると、そこの鏡の中にはあまりにも生気に欠け、やつれた顔があった。

 

「・・・・・・っふ、はは」

 

これが人間か。

裕福な国の、平凡な家庭に生まれ育った人間の顔か。

世も末だ。救いようが無いな。

覚束ない足取りで、再び自室へと向かう。

俺が太陽の下に出ることは当分無いんだろうな。

ぼんやりとしたその思考も、また無意味の忘却へ。

俺という人間が朽ちてゆく事を感じはしても、それを止める気などは微塵も起きはしない。

吐瀉物(としゃぶつ)が床に染み込んだ部屋に戻る気は起きなかった。何日も着たままの黒いジャージという身なりを気にすることも無く、俺は玄関を開け放つ。

久々の外の世界。冷気が全身を舐め、身体を震わせ目を覚まさせる。一度立ち止まり逡巡(しゅんじゅん)した。外に出る事に対して、僅かな恐怖心があったからだ。

それでも、半ば無理矢理歩き出す。外にあるかも知れない、俺の出すべき答えを求めて。

町内に響きだした十二時の鐘は俺を追い立てるようで、やけに騒がしく俺の鼓膜を叩いた。

 

足の向くまま、見知った町を歩いた。脚が動かなくなるまで歩き続けるつもりだった。

頭の中を、歩みを止めないようにすることだけで埋めた。思い出したくない事を思い出さないように。

脳から追い出して、二度と戻ってこさせないように。

気付いた時、俺は公園の前に立っていた。そこそこ広い敷地に遊具がぽつぽつと建っている、幼い頃にはいつも遊んでいた公園だ。

不意に、懐かしさがこみ上げてきた。来なくなってからも何度も目にしていた場所のはずなのに、またこの公園で遊びたいという、子供染みた欲求が胸の中を支配していく。

数年ぶりに、公園の中に踏み込む。平日の昼間に、人は居なかった。傍にあったブランコに腰掛け、俺の身体には小さすぎるそれを漕ぐ。

キィ、キィ、と高い音を立て、ブランコが揺れる。規則的な上昇と下降のリズムを、全身で心地よく感じる。

暫くそうしていた俺は、やがて立ち上がると公園の端の方へと歩いて行った。

主な遊具からも入り口からも遠く管理の手が行き届いていないこの場所には、背の高い雑草がいくらでも生える。

小さな子供の体ならすっぽりと覆ってしまえるこの場所は、隠れんぼの人気スポットだった。

とは言え季節柄、今は枯れ草が力無く横たわるのみだ。夏の青々と茂った草花や木の葉は見る影もない。

寂しく地面を露出させているそこに寝転んでみる。

ひやりとした感覚が背中全体を覆い、思わず飛び起きそうになってしまう。それでも背中を起こさずにいると、じわりと自分の体温を感じるようになってくる。

 

微風が通り過ぎていく。遠くに聞こえる車のエンジン音も、今は心地よい雑音だ。

静かで、ゆっくりとした時間が過ぎる。

自分の部屋でもさほど変わらない姿勢でいたはずなのに、それとは全く違う。

この公園に来るまでは不安定だった睡眠も、ここに寝転んで目を閉じた瞬間にすっと眠気が襲ってきた。

あっさりと薄れていく意識を、俺は素直に手放す。

全身を柔らかく包む、優しい浮遊感。

 

 

 

 

 

『―――早くしろよー・・・・・・!』

 

ハッと目を開ける。辺りを見渡す。

公園。やけに綺麗な遊具。運動場。

二人の子。

 

『―――待ってよー・・・・・・!』

 

手を振る男の子。

息を切らしながら追い掛ける女の子。

笑顔だ。

無垢で純真。絵本に出てくる天使のように素直。

追いつく女の子。男の子が撫でる。もっと笑う。

しゃがんで摘む。どこにでもある雑草。白い花。

摘む。繋ぎ合わせる。

男の子の頭に、白の輪を置く女の子。

女の子の首に、大きな白の輪を掛ける男の子。

二人は笑う。

『大きくなったら・・・・・・』

在り来たりな約束。幸せそうな二人。

溢れる暖かな光と、そよ風が連れて来た陽気が、祝福するように二人を抱きしめる。

 

 

 

暖かいな。

もう少しだけ、ここに居たい。

 

 

『ダメだよ』

 

下を向いて、作業に夢中な男の子。真っ直ぐな眼差(まなざ)しで、こちらを見つめる女の子。

目と目が合う。女の子の口が動く。

 

『ちゃんとしなさい』

 

何年も前からずっと聞いてきた、その一言。

それが初めて、俺の胸の中で正しく意味を成した。

暖かさが俺の中に滑り込んで、俺を縛っていた闇を払っていく。

頬を伝う一滴の雫が、地面にぶつかって光を散らす。

 

「ああ・・・・・・そう、だな・・・・・・」

 

湿った声になっちまった。格好悪いな。

 

 

 

ふと後ろを振り向く。

そこには薄いカーテンのような、静かに揺らぐ光があった。光の向こうでは、冷たい木枯らしが吹いて木の葉を散らしている。

俺の身体は、ゆっくりと光の方へ、木枯らしの吹く方へとと引き寄せられていくようだった。

 

「急かさないでくれよ・・・・・・分かってるから」

 

小さく呟き、もう一度前を向く。

微笑みを向けてくれる女の子。こちらを向き、きょとんとした顔で見つめてくる男の子。

 

「ありがとな」

 

俺はそれだけを言って、光に引き寄せられるままになる。

視界が暗くなって、再びの浮遊感。俺は、木枯らしの吹く方へと戻っていった。

====================================

目を開ける。

眩しさに一瞬細めた視界は、揺らいで歪んで何も見えない。

瞬きで揺らめきの原因を弾き出そうとしても、次から次へと溢れてきて、視界を覆ってしまう。

両手で(まぶた)を擦って、そっと開く。

やっと見えるようになった目は、俺の顔を真上から覗き込む一対の目を捕らえ、野暮ったい丸眼鏡を掛けた顔を捕らえた。

俺は特に何も考える事無く、ただその眼鏡越しの目を見つめ返す。

俺たちはお互いに一言も発さず、やがて彼女の方が目を逸らし、顔を上げた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

いつの間にか夕暮れに染め上げられていた公園に、静寂が訪れる。

その静寂を、俺は目覚めて以来ずっと抱いていた疑問をぶつけることで破った。

 

「なあこれ・・・・・・もしかして膝枕か?」

 

そう。俺は冷たい土の上でただ寝転がっていたはずなのに、いつの間にか後頭部が人肌の暖かさと適度な柔らかさに受け止められていたのだ。

 

「そうだよ」

 

こいつは前を向いたまま、しれっとした顔で答える。

 

「重くないか?」

 

「重くない。痩せすぎ」

 

「脚汚れるぞ?」

 

「下はジャージ。今日体育あったから」

 

「・・・・・・そうか」

 

また静寂。

日がどんどん傾いていき、暗闇が夕暮れを飲み込んでいく。

やがて陽光は山の向こうへと消え去り、辺りは街灯に照らされるだけになった。

その間こいつは、何も言わず何もせず、ただ前を向いていた。

・・・・・・こりゃ、俺が何か言わないと絶対に動かないな。

一度自分がこうだと決めたら、絶対に譲らないのがこいつだから。

観念した俺は、声を出すべく口を開いて。

 

「なんで―――――」

 

そして、心の底から驚いた。

俺が見たことの無い悲しそうな、それでいて悔しそうな表情に顔を歪ませて、涙を流しながら。

今まで一度も自分から折れたことの無いこいつが、自分から沈黙を破ったんだから。

 

「なんで、こんな―――」

 

俺は身構えた。

先日の狼藉(ろうぜき)醜態(しゅうたい)を、叱責(しっせき)されるのだと察したからだ。

逃げて逃げて逃げ続けたツケが、今やっと回ってきたというわけだ。

俺は彼女から目を逸らさず、次の言葉を待った。

どんな罵倒をされても、できうる限り誠実に答えようと。

・・・・・・そう覚悟を決めた、のだが。

 

 

 

 

 

「なんで、こんなに痩せるまでちゃんとご飯を食べなかったの!このバカっ!」

 

 

 

 

 

・・・・・・え?

 

「ま、待って○○、怒るとこそこ?」

 

「そこだよ!本気で心配したんだよ!ほとんどご飯食べなくなったって聞いた時、**のお母さんに止められなかったら部屋に押しかけてたんだからね!」

 

「い、いや、もっと他にさ・・・・・・」

 

「それにね、」

 

○○は俺の言葉を遮り、眼鏡を外す。

制服の袖で涙を拭いて、○○は笑った。

 

「その事はもう、自分にたっぷり怒られたでしょ?しょげて学校に来なくなっちゃうくらい。だから、私がその事を怒る必要はないよ」

 

「・・・・・・・・・!!」

 

「私は、**がこんなガリガリになるまで不健康な生活を続けた事を怒ってるの。いい?私達が暮らしてるのはダイエットとか贅沢な悩みができるくらいに豊かな国なんだから―――――」

 

もう、何も聞こえなかった。

我慢できなくなった。

目の奥が熱くなっていく。涙腺が完全に決壊し、二筋の光る線を頬に描き出す。

頭を彼女の膝に乗せたままで嗚咽(おえつ)する。

自分でもみっともないと評せざるを得ない姿だ。

女の子に膝枕して貰って、不健康を叱られて、その上泣いているんだから。

○○は俺の涙に気付くと言葉を切り、俺の頭を撫でた。

二度、三度と撫でた。

 

「俺・・・・・・怖かったんだ。自分がどうしようも無く・・・・・・醜い人間だって分かっちまったから」

 

予知を面白半分に使った自分は、最低の人間なんだと思い知った。

 

「このままどす黒い奴になっていったら、俺も汚い大人になるのかって、考えちまって」

 

テレビに映る、大人が頭を下げている姿に、歳を経た自分の姿を重ねた。

 

「こんなロクでもない人間、消えた方が良いんじゃないかって・・・・・・そう思ったんだよ・・・・・・っ!!」

 

しゃくり上げて何度も途切れる、俺の何一つ飾らない本音。

喉は止まることなく俺の怯えや恐怖を、隠しもせずに吐き出し続ける。

止めようなんて気は起きなかった。今は誰かに、こいつに聞いて欲しかった。

嗚咽混じりの情けない告白を、○○はただ黙って聞き続けてくれた。

 

そして俺が全ての思いを吐き出し終えると彼女は口を開き、ゆっくりと、そしてはっきりと言葉を紡ぎ始めた。

 

「醜い自分を知れたのなら、それは知らない人の何倍も大人ってことだよ、**はさ」

 

「どす黒くなるっていう事を、怖いと思ってるんでしょ?だったらそんな大人にはならない。なりようが無いよ」

 

「誰だって、多少の差はあってもみんな悪いものを抱えて生きてるんだよ。みんなそう」

 

「消えてもいい人間なんて居ない・・・・・・って言えるほど私も大人じゃないけど、これだけははっきり言えるよ。私は、**に居なくなって欲しくない。絶対に消えちゃいけない。消えるな」

 

時間にして一分にも満たないその言葉は、俺が勝手に高く分厚いと思い込んでいた壁をあっさりとぶち破って。

何日もずっと抱えて悩んでいた俺の自己嫌悪を、あっという間に振り払ってしまった。

 

「これから、変えていけば良いんだよ。変わっていけば良いんだよ。そのための時間なら、いくらだってあるんだから」

 

また、滂沱(ぼうだ)と涙が押し寄せ溢れ出す。

彼女の手は、優しく俺の頭を撫で続ける。

何度も何度も、俺が泣き止むまでの間ずっと。

俺の心を労るように、(いつく)しみ癒やすように、その愛撫(あいぶ)は続いた。

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目覚まし時計に叩き起こされ、ベッドから上半身を起こす。

窓から見える今朝の空は雲一つない、澄み切った快晴だ。

お湯で顔を洗い、朝食の良い匂いがするダイニングへ。

食卓に並んだ目玉焼きやトーストを、それぞれよく味わって食べてみる。

・・・・・・料理って、こんなに美味しかったんだな。前はこんなの、いつも当たり前みたいに食べてたのに。

久し振りに制服の袖に腕を通し、薄い埃を被っていた鞄を持つ。

玄関に向かい、履き慣れた靴に足を入れる。

そしてドアノブに手を掛け、これもいつぶりかの出発の挨拶をしようとしたその時。

 

「行ってき―――」

 

寒さでなく、自分の手が僅かに震えている事に気付いた。

目を閉じ、一度の大きい深呼吸。

瞼の裏に、昨日見た光景が蘇ってくる。

花畑に笑う、幼い彼女。

こちらを見下ろしながら微笑みかける、眼鏡の彼女。

瞼を開いてもう一度手を見れば、震えはピタリと止まっていた。

もう一度腕を前に出し、ドアを開ける。

昨日と同じように冷気が吹き、俺の身体を冷やしていく。

 

これからも、自分を責めることがあるだろう。

自分の浅ましさに、醜さに、弱さに絶望する時が来るだろう。

投げ出したくなるかも知れない。全てを諦めて、逃げてしまいたくなるかも知れない。

きっとそれでもいい。でも、必ずまた前を向かなきゃならない。

自分がどれだけ愚かでも汚くても、それを受け止め、少しずつでも変えていこう。

過ぎない嵐が無いように、明けない夜が無いように、変われない人間なんてのもきっといないんだ。

 

「ちゃんと、しなさい」

 

自分に言い聞かせるように、小さく呟く。

もう大丈夫だ。自分の醜さを受け止める覚悟も、自分を変えるための勇気も、彼女に貰った大事なものは全部しっかり持っている。

 

「行ってきます」

 

改めてはっきりと、その一言を口にする。

外へと確かな一歩を踏み出し、通学路を歩き出す。

木枯らしは強く吹き付け、俺の背中を押した。




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