<1>
ふと外に目をやると分厚い雲が月光を遮り、九校戦会場を覆っていた闇がその色を一層深めていた。その所為かぽつぽつとしか設置されていない外灯も明るさが増したように感じてしまう。この部屋も外から見てしまえば数ある光源の一つにしか過ぎないのだろう。
窓の外へと意識を移していたエミヤは、紅茶の香りを楽しんでいる目の前の女性へと視線を戻す。
「それで話って?」
一通り香りを満喫した響子はカップをソーサーに戻すと、エミヤにそう訊ねた。
「事故のことだ」
事故という言葉が今日のモノリス・コードの事だけを意味している訳ではない事は響子も理解している。怪我人がでる事は去年までの大会にもあったことだが、今大会のような人命に関わる事故は起きていなかった。大会実行委員や関係者の中にも今大会の事故を異質に感じている者はいる。事故に見せかけた何者かによる犯行ではないかと。だが響子が知っているのはここまでだ。それ故に響子の返しも早かった。
「悪いけど、答えられる事は何も無いと思うわよ」
「いやそうではない」
エミヤの予想外の返事に響子は首を傾げる。では自分は何故呼び出されたのかと。
「今回の事故について、烈は何か言っていたか?」
「会ってないから分からないけど、多分何も言っていないと思う。……でも何故祖父の名前がでてくるの?」
思ってもいなかった名前に眉間に皺が寄る。目の前の青年は自身の祖父が事故と関係していると疑っているのだろうか。無意識のうちに前傾姿勢になっていた響子は、エミヤに落ち着くように言われ居住まいを正した。
「今回の一件、烈なら原因が何か分かるかもしれん」
「どうしてそんな事が言えるの?」
響子の質問にエミヤは椅子に深くもたれ掛かったまま目を伏せる。
「烈から今回の事故で四高や七高の選手が言っていた症状と似た話を聞いた事があったのでな。詳しい事は私には分らないが、烈なら知っているだろう」
「……そう」
エミヤの話が本当だとすると烈はこの事態を看過している事になる。いや烈にまで事故の詳細が上がっていない可能性だってある。見逃していると考えるのは早計だろう。考えをまとめている響子を見つめていたエミヤは浅く息を吐き、椅子から腰を上げる。
「私はそろそろ部屋に戻らせてもらうぞ」
「待って」
エミヤがドアノブに手を載せたところで響子が鋭い声を上げる。
「知っていることは本当にそれだけ?」
「……あぁ」
思い過ごしであって欲しいと願いながら問い詰めるような口調で尋ねたが、響子の位置からエミヤの表情は分からなかった。エミヤが後ろ手に戸を閉めた事を確認すると、響子は情報端末を立ち上げ事故の報告書を開く。その日、響子の部屋から灯りが消えることはなかった。
○ ○ ○
アラームが役目を果たすよりも早く雫は新人戦最終日の朝を迎えた。携帯端末を見ると時刻は間もなく六時をまわるところだ。朝食の時間まであと一時間以上はある。軽くシャワーでも浴びようかと考えていると、携帯端末が振動し二件のメッセージを受信する。一件はエミヤからで今日の朝食は一緒に光井と二人でとってくれという内容。もう片方は深雪からで新人戦モノリス・コードの交代選手に達也と幹比古、エミヤが選ばれ、もうすぐ一高の天幕に集合するという内容だった。
早朝から送ってくるということは昨夜には決まっていたのだろう。メッセージを見た雫の動きが段々と素早いものになっていく。雫は横のベッドで寝ている光井の肩を揺らすが、幸せそうな寝言を言うだけで起きる様子が全くない。メモを残すことも考えたが達也が関わっている以上、後のことを考えれば今起こしておいた方が良い。
「ほのか、達也さんが来てるよ」
「う……達也さん?」
少々大きな声でそう呼びかけると、光井の瞼がうっすらと開く。まさか“達也”という単語にここまで力があるとは思わなかったが、反応をみるところ効果はあるらしい。
「そう達也さんが来てる」
「達也さん……達也さん!?」
光井は目をくわっと見開き、キョロキョロと部屋を見渡すが勿論達也はいない。ここまでのリアクションを見せられると、雫も罪悪感を多少感じなくもないが今は時間が惜しい。
「冗談だよ。達也さん達がモノリス・コードの選手に選ばれたんだって。今から天幕に集まる――」
「ま、待ってて!」
雫の話を遮りベッドから飛び出した光井は慌ただしく準備を始める。乱暴に投げられた裏返しのパジャマを見て、雫は溜息を堪えきれなかった。
結局、光井の支度が終わったのは六時半を少し過ぎた頃だった。二人で軽く朝食をとり、一高の本部テントに向かう。道中、エリカ達を見かけたが向かう方向が逆だったので挨拶だけに留まった。
テントには少ないとは言え、真由美や服部といった生徒会役員や渡辺といったメンバーが揃っていた。奥の部屋から達也の声が聞こえるあたり、打ち合わせをしているに違いない。
「雫、ほのか」
天幕の奥の方から深雪が歩いてくる。間違いなく達也の付き添いなのであろう。深雪本人は恋愛感情を否定していたが、本当に尊敬しているだけでここまで尽くせるものだろうか。最近、雫は深雪が兄妹以上の情を達也に抱いているのではないかと訝しんでいる。
「達也さん達は?」
「すぐに出てこられるわ」
深雪が言ったとおり、一分も経たずに達也、幹比古、エミヤの順で出てきた。幹比古は雫達と挨拶を交わすと、朝食が未だ済んでいないらしくそのままテントを出ていく。
「最初は八高が相手?」
「そうだな。勝てば次の試合の相手は二高だ」
昨日の予選で決勝リーグに出場できる四枠の内、一枠は一条将輝率いる三高で埋まっている。残りの三枠が一高の試合結果によって変わってくるのだ。一高は一勝さえすれば他校の試合結果に関らず、確実に決勝リーグへと駒を進める事ができる。
「勝てそう?」
雫は少し明るい声でエミヤに声を掛ける。
「手を抜くつもりはないが、遠回しに優勝しろと脅されているからな。安々と負ければどうなることか」
エミヤがわざとらしく困ったような声で口にすると、達也も同情したのか少し口角を上げる。
「渡辺先輩も士郎には期待しているんだろう」
「……私も期待してるから」
雫が対抗するように呟いた言葉は横の光井の耳にはしっかり届いていた。何処か嬉しそうな目で光井が見ている事に雫は気づかない。仮に気づいたとしても何故そんな目で見られるのか不思議に思った程度だろう。
それから二十分程話をしていると、競技エリアに移動するようにエミヤ達に指示がでる。八高との試合は森林ステージで行われるらしい。
「行ってくる」
「頑張ってください!」
深雪は何も言わず軽く腰を曲げ、光井は激励を送る。雫も何か言おうと口を開いたが、結局出てきたのは飾り気のない素直な気持ちだった。
「頑張ってね」
最近エミヤによく見せるようになった笑みを浮かべ、雫はそう言葉にした。
○ ○ ○
雫達がエリカ達と合流して観客席に着いた時、一番最初に目に付いたのは他校の生徒の多さだ。本来であれば不戦敗になるはずだった一高が、特例により選手の交代が認められたのだ。他校、特に三高や二高の生徒は自校の代表と戦うのがどんな選手なのか気になっているのだろう。
今まで黒一色だったモニターが八高と一高の出場選手を映す。そしてエミヤがアップで映されると、客席にどよめきが広がった。代わりの選手としてエミヤが出場するのは考えられた事とは言え、やはり他校からすれば好ましくない事なのだろう。
「そういえば何で最初から士郎君が選ばれなかったんだろ?」
周囲の喧騒をものともせず、疑問に思ったエリカはそう口にする。エリカの隣の美月も同じことを思っていたようで頭を捻っている。
「確かに士郎の実力なら最初から選ばれても可笑しくねぇのにな」
「詳しくは知らないけれど、最初の選考の時に辞退したそうよ」
深雪は自身も最近知った情報をエリカ達に教えると、エミヤについての話題は一先ず終わりを迎えた。
歓声に溢れる観客席の影でモニターを見つめる二人の青年が居た。一人は日本の魔法師を代表する十師族、一条家の次期当主。片や魔法理論の分野において天才とまで言われる人物。そんな二人の眼に映っているのは二人の一高選手だった。
「出てきたね。それも二人とも」
「あぁ。衛宮の方は予想していたが、司波達也まで出てくるとはな」
達也本人からはエンジニアと聞いていたので、選手として現れるとは予想だにしていなかった。二人の視線はエミヤ達のCADへと移る。エミヤが右手につけているのはブレスレット型の汎用型CAD。達也は二丁拳銃スタイルで、彼もまた右手にブレスレット型のCADをしている。特筆すべき点がないエミヤに対して、複数のデバイスを準備している達也の狙いは何なのだろうか。
「お手並み拝見といこうか」
○ ○ ○
試合が始まった。エミヤは防衛の為にモノリスの前に立っているのだが、目を瞑ったままピクリとも動かない。試合前の打ち合わせの通り事が進んでいるのなら、ちょうど達也が敵陣のモノリスを開いた頃だろう。
そんな事を考えているエミヤを木の陰から八高のオフェンスの選手が覗いていた。舐められているのか、それとも作戦なのかは判別がつかないがチャンスには違いない。急襲をかけ戦闘不能に追い込めば、勝利したも同然だ。スピード・シューティングの時には騒がれていたようだが、大したことはなさそうだ。
勝利を収める自分のビジョンに頬が吊り上がるの感じながら勢いよく飛び出す。一歩目で起動式を読み込み、二歩目で魔法式を展開する。決まった。そう確信しながら、三歩目を踏み同時に魔法を発動するはずだった。
「は?」
だが思い描いた未来はこなかった。右足が地面に着くと同時に地面が
「い、嫌だぁ!」
何処まで落ちるか分からない。そんな恐怖で喉から情けない声が出てきてしまう。剥がれそうな爪から血が出るのも構わずに何度も何度も砂を掴むが、砂の上に赤い線を描くだけだ。こんな筈じゃなかったのにと自然と涙が出てくる。だがそんな努力もむなしく足が着いたと気づいた時には、いくら手を伸ばしても這い上がれる深さではなかった。
「安心したまえ。モノの数分、大人しくしてもらうだけだ」
「やっ――」
エミヤが独り言のように言葉をこぼすと、周囲の砂が八高選手を閉じ込めるかのように割れ目を塞いでいく。八高選手の世界から光が奪われていく。呼吸の為に開けられた穴からは鼻を啜る音以外、もう何も聞こえない。
何事もなかったかのようにエミヤは試合開始時同様に目を瞑り腕を組んでいる。八高の選手が其処に居た事を証明するのは砂のキャンバスに残った血の跡だけだった。
「……ジョージ」
「分ってるよ、将輝。衛宮士郎の実力は本物だ。……それに多分彼は未だ本気なんか出してない」
干渉力が必要とされる破城槌の応用であるだろう魔法。それに魔法の発動速度は並大抵の高校生のレベルではない。真紅郎は自身の敗北が決して慢心だけが原因ではなかったと改めて実感する。そして決勝戦の相手が彼等になる事も。
「……本部に戻ろう。作戦を練るぞ」
「最後まで見なくていいの?」
「あぁ、今から決勝まで嫌という位見るからな」
それ以上は口を開かず二人は会場を後にする。試合が終わったのはそれから三分後の事だった。
試合を終え本部に戻ってきたばかりのエミヤを真由美は直ぐに奥の部屋に呼び出した。何故か真由美に同席するように頼まれた渡辺も含めて部屋に居るのは三人。向かいの席に座ったエミヤに何と話を切り出すか迷った真由美だが、前置きなしで本題に入る事にした。
「八高との試合、やり過ぎだと思うの」
「そうか?あたしは八高選手が焦ってパニックを起こしただけだと思うが……」
意図しない形で話の腰を折った渡辺だったが、真由美も彼女の言う事は理解している。だがそれでも過去二年間、モノリス・コードで血を見ることはなかった。この件だけであれば態々呼び出して注意する必要はないのだが、事故も重なり各校の保護者はあらゆる事に敏感になっている。火は大きくなる前に消しておくべきだろう。
「分かった、気を付けておこう」
真由美はエミヤの反応に満足する。
「それにしても八高の選手が泣くとは思わなかったわ」
「あたしも試合中に泣いたのは驚いたよ。まさか士郎君、狙ってやったんじゃないのだろうな?」
試合終了後も八高のフォワードの眼は赤く腫れており、大会委員に医療テントに行くように案内されていた。他校の生徒も可哀想だと思ったのか心配する声も多くはないがあった。
「まさか。私もそこまで陰険ではないよ」
普段の様子から想像できなくもなかった二人だが、エミヤの口から出た言葉に安堵する。
「そろそろ行かせてもらうぞ」
「次の試合は廃ビルエリアよね。分かっているとは思うけど、加重系統の魔法は控えてね」
背中に投げた真由美の言葉に返事はない。テントを出ていく姿を見届けた真由美は摩利に視線を向ける。
「士郎君の事、どう思う?」
「どうって実力もあるし、頭の回転も速い。心配する事ないんじゃないか?」
「そうじゃないの」
真由美から帰ってきた否定の言葉に渡辺は首を捻る。渡辺に続きを促され、生唾を飲み込むと喉がゴクリと音を立てる。
「彼、百家なんじゃないかしら」
「考えられなくもないが……本気で思ってるのか?」
渡辺の呆れた様な視線を受け、たじろぐ真由美。彼女も確証があって言っている訳ではない。
「でも他に士郎君の実力を説明できないでしょ?」
「百家以外にも優秀な魔法師はいるだろ。司波兄妹が良い例だ」
確かに規格外という点においては今年の一年生は豊作だろう。しかしあの兄妹もエミヤも何か裏があるような気がしてならない。それとも自分の考えすぎだろうか。頭の整理がつかないままモニターへと目を移す。そこには丁度エミヤ達の姿が映っていた。
○ ○ ○
結果から言えば一高の準決勝までの試合結果は圧勝だった。フォワードの達也と遊撃の幹比古が順序良く相手のモノリスを攻略する一方、エミヤは二戦とも移動魔法で相手を吹き飛ばし一撃で戦闘不能に持ち込んでいた。
「ジョージはどうみる?」
将輝は左隣の席で試合を観戦していた真紅郎に目をやる。真紅郎は組んでいた手を口元まで持ってくると自分の予測を語り始めた。
「司波達也は戦闘技術の高さが目立つ一方で、肝心の魔法は初戦の術式解体以外目立った所がない。魔法力自体はそこまで高くないと思う」
「遊撃の吉田幹比古は直接的な戦闘を避けるような立ち回りにも見えたな」
作戦本部のモニターに一高の試合の画像や動画をピックアップしていく。相手の死角からモノリスを開いたり、古式魔法で霧を発生させる結界を作り出し相手を彷徨わせるといった魔法を使用しているシーンが多い。そして中央に映し出された二本の動画。
「衛宮士郎についてはどうだ?」
「魔法力は高いね。だけどディフェンスという所を見ると、主に使えるのは遠距離型か
エミヤが前衛に出て魔法を使ってくる可能性は低い。そう予測した真紅郎は話を締めくくり始める。
「援護に気を付けながら司波達也と吉田幹比古を先に倒して、最後に三人がかりで衛宮士郎を近距離の戦闘に持ち込み戦闘不能に追い込む。そうすれば僕等の勝ちだ」
三高が対策を講じている時、一高の本部テントでは中央モニターが決勝戦が草原エリアで行われることを達也達に告げていた。
「司波、勝算はあるのか?」
「今まで通りの戦法であれば五分五分といったところでしょうが、そこは考えがあります」
四月と比べれば服部も達也に対して大分丸くなったように感じる。服部の問いに簡単に答えた達也はエミヤ達を正面に見据え直した。幹比古にはインビジブル・ブリット対策用のローブを既に渡している。今回の作戦は三高が最も警戒しているであろうエミヤが主軸となる。そのためには相手に今までと同じポジションだと思い込ませる必要がある。
「問題がなければ一旦解散にしたいと思うが」
達也の声に反発は起こらない。達也が集合時間を伝えると幹比古はテントを出ていく。達也は未だやるべき事があるようでテントに残るらしい。試合まで何もする事がないエミヤは部屋でゆっくりしようかと宿舎に向かって天幕を出ると、雫達と入れ違いになる。
「今から休憩?」
「そんなところだ」
エミヤの反応を見た雫は深雪達と二言三言交わしエミヤの方へと戻ってくる。
「ちょっと歩かない?」
どうせ部屋に戻ってもする事はないのだ。雫と散歩するのも良いかもしれないとエミヤは「あぁ」と短く答えた。一見、無愛想な返事だが雫にとっては十分だったようで頷くとエミヤに肩を並べて歩きだす。
「夏休みは何処か行ったりするの?」
カレンダー上は夏休みになっているのだが、雫達は九校戦があるので実質的な休みは未だだ。エミヤは悩む素振りさえ見せずに答える。
「いや特に予定はないな」
「そう」
雫は少し間を置き話を続ける。
「九校戦が終わったら何処か行かない?」
「……それも良いかもしれんな。だが大人数で行くとなると遠出は難しいぞ」
エミヤの言葉に雫の表情が若干固まる。エミヤは達也達も一緒だと思っているらしい。それが嫌という訳ではないが雫が言っているのは二人でという意味でだ。普段から察しが良いのだから、こういう時もすぐに気づいてほしいものだ。
「誰か誘うのも良いけど、士郎さんと二人で行きたい」
「デートの誘いか?」
自身の気持ちをストレートに言葉にしたというのに、エミヤは口端を上げ意地悪な笑みを浮かべている。雫をからかっているのだろう。少しムッとなるがここで引く訳にはいかない。
「そう、デートの誘い」
真剣な表情で雫がそう言うと、一瞬意外そうな顔をしたエミヤも先程とは違う慈愛が感じられる笑みを見せる。
「……分かった。近い内にな」
「ん。約束」
まるで幼子の様に嬉しげな雫はエミヤに小指を立て、エミヤは自身の小指をか細いそれに絡める。力を入れれば簡単に折れてしまいそうな少女の手を雫が満足するまでエミヤは優しく握っていた。
○ ○ ○
決勝戦前の会場は一高選手、正確に言うのなら幹比古の姿に騒めく観客達に埋め尽くされていた。大会規定のプロテクターの上に黒いローブを羽織っている幹比古は、恥ずかしさのあまりにフードを深く被り顔を隠す。
「何で僕だけ……」
「仕方ないだろう?俺と士郎は作戦上、どうしても邪魔になる」
幹比古も達也の言うことは納得しているが、それでも自分一人がこうして群衆に曝されるというのは嫌なシチュエーションだ。観客席を見なくて済むように顔を明後日の方向に向けると、幹比古の肩にエミヤの手が置かれる。
「そう意識しなくとも、試合が始まれば気にしてられなくなる」
「……そうだね」
目の前の二人が緊張という言葉とは無縁だと再認識した幹比古は深呼吸をする。試合に勝つために全力を尽くす。其処にかつての自信過剰な少年の面影はなかった。
九校戦の会場には観客席とは別に来賓席が設置されている施設がある。普段はあまり人が来ないこの来賓席だが、今日は姿を見せた一人の老人の姿に人の出入りが頻繁だった。
「九島先生、何故このようなところに!?」
「此処で観戦するのも良いかと思ってな」
役員は革張りの椅子へと案内し、何か御用でしたらお呼び下さいと言うと出入り口に控える。
「さて楽しませてもらうかの」
純粋とは程遠い笑みを浮かべ、烈は独り言を漏らした。
サイレンが新人戦最後の試合開始を告げる。同時に将輝がCADの引き金を引き魔法式を展開するが、達也が術式解体で魔法式を吹き飛ばす。達也も振動魔法を放つが将輝に豆鉄砲かのように簡単に防がれてしまう。両者、距離を詰めながら魔法を放っては防ぐことを繰り返す。
観客は目の前で起こっている魔法戦に歓声を上げているが、三高の優勢にも思える試合展開に真紅郎と将輝は妙な突っかかりを覚えた。
本来であれば遮蔽部のない草原フィールドでは遠距離魔法が重宝される。遠距離戦を得意とする筈のエミヤは援護どころか予選と同じくモノリスの前から全く動いていない。自分たちの読みが外れたのかとも思ったが、モノリスの前に誘き寄せる罠という可能性もある。作戦通り慎重に行動した方がいいだろう。
ディフェンスに声を掛けると真紅郎は幹比古を戦闘不能に持ち込まんと草原を駆ける。そして幹比古を不可視の弾丸の射程に収めた時にそれは起こった。幹比古の姿が一人、二人と増えたのだ。
「くそっ」
幻術だと分かってはいるが不可視の弾丸は対象を視認しなければ効果を発揮できない。一旦距離を取ろうと真紅郎はバックステップを踏むが、幹比古が乱れ髪を発動し絡みついた草が中々足を離さない。幹比古がCADを操作する姿を見て、真紅郎もこの状況を何とかしようとCADに指を置く。だがその時、CADに指を滑らせていた幹比古が空気の爆発によって横に吹き飛ばされた。
「助かった!」
真紅郎は魔法を放ったであろう主に顔を向ける。真紅郎に会釈をすると将輝は此方に向かってきている達也に再び視線を戻し、目を見開いた。
今まで此方に向かってきていた達也が後退しているのだ。その代わりに言葉もなく達也と視線を交わしたエミヤが一歩また一歩と足を前に進めている。
「あとは頼んだぞ」
達也とすれ違う時そう声を掛けられた。エミヤは表情を変える事無く、ただ将輝たちとの距離を詰める。
「ジョージ、一旦下がれ!」
将輝が叫んだ時には真紅郎は既にすぐ近く迄戻ってきていた。エミヤが前衛に出てくるのは将輝たちにとって予想外の事態だ。恐らく最初に達也が今まで同様前衛だったのは、エミヤがオフェンスに出てくることを悟らせないようにするためだろう。
「どうする?」
「散らばった方がいいだろう。順番は変わったが、連携を取って衛宮を戦闘不能に追い込む」
将輝達は早口で作戦の変更をする。だが彼等が動き出そうとしたときには、エミヤとの距離が三十メートルを切っていた。
将輝達とエミヤ、いや観客席を含んだ会場全体に静寂が訪れる。まるで時間が止まったかのようだ。
「これでも食らいやがれ!」
そんな静けさに堪え切れなかったのか三高のディフェンスはエミヤに向かってエア・ブリットを放とうとするが後衛に下がった達也の援護によって失敗に終わる。そして刹那、目の前の光景に息を呑んだ。
エミヤの背に展開される魔法式。その数が尋常ではない。数えずとも三十近くはある。その全てが将輝達を向いているのだ。脳が将輝に警鐘を鳴らす。
「避けっ――」
咄嗟にでた言葉は地面を抉る豪音にかき消されてしまう。エミヤが放った魔法は将輝も使っていた圧縮空気弾。将輝は本能的に展開した魔法障壁で防ぐが、気を抜けばそのまま押し潰されてしまうと悟っていた。砂埃が晴れると漸くエミヤの魔法を防ぎ切ったと理解する。
「大丈夫か!?」
崩れるように片足を着いた将輝は振り返って背後にいた真紅郎達を確認するが、少し離れた所で二人とも倒れている。意識があるかも定かではない。下唇に歯を立て、将輝はエミヤに向けて同じ圧縮空気弾を展開する。だがそれを達也が見逃すわけもなく不発に終わる。
自分達は一高の読み通り行動していたのだろう。だがこのまま負ける事は将輝のプライドが許さなかった。一矢報いようと立ち上がるが、強制的に再び地面に這いつくばることになる。
(加重系統か!)
そう判断した時には追い打ちをかけるようにエミヤから魔法が放たれた。
三高の選手全員が戦闘不能と判断されると、会場には両者を称える温かい拍手に包まれる。事故やオーバーアタックを心配していた雫も、何事もなく終わりホッとしていた。頬が緩むのを感じながら、スタンドの方へと歩いてくるエミヤを見つめる。
「雫、手振ってあげなよ」
光井に言われるがままに、控えめにけれどもエミヤの視界に入るように雫は手を上げる。エミヤも雫の姿に気づいたのか軽く手を振り返した。この時誰にでも分かるくらい、珍しく雫の頬は緩み切っていた。
○ ○ ○
「彼の演算処理の速さはすごかったな!」
モノリス・コードの会場からの帰路で温度感が上がりっぱなしの同僚に響子は辟易していた。エミヤが大量の魔法式を展開した時にはそれはもう鼻息荒く邪気めいた表情で、まさに変態という言葉がお似合いだった。
「試合も終わったんですから少し落ち着いてはどうですか?」
呆れ返っている響子を見て山中は咳払いをして落ち着いたふりをする。それでもなお響子に半信半疑の目を向けられ、居心地の悪さを感じたのか山中は話題の転換を図った。
「それにしても彼は何者なんだ?」
「……さぁ、PDには目立った所はなかったですけど」
不測の山中の質問に言葉がすんなり出てこなかったが、ぎこちなくは無かった。響子が知らないはずがない。エミヤのPDは烈に頼まれた彼女自身が作ったモノなのだから。それも目立たないように、矛盾がないように家族構成も細部まで作り込んだ。響子がエミヤのPDを作る時期以前にデータを記録していない限りは、違和感どころか誰かが作ったなんて気づきもしないだろう。
だが前方に顔を向けていた響子は知らない。山中が訝しむような視線を送っていたことを。
「……既にPDは見ていたのか。もしかして藤林女史は青少年がお好きなのかな?」
だが山中は深く追及するつもりはないらしく、冷やかすような口調で尋ねる。響子は怒りも呆れも通り越しているのか疲れているように大きく息を吐くとゆっくりだった歩調を早める。少し言い過ぎたかと頭を押さえた山中は、翼がはためく音に背後を振り返る。
縄張り争いだろうか。烏が大きく翼を広げ、尖った嘴で相手を傷つけようと互いに突き合っている。烏は相手の痛みなど分からないだろう。人間ですらそうなのだ。だが人間は予測できる生き物だ。片方の烏が苦しそうに鳴くのを聞いた山中は、響子の背中を追うように足を動かした。
皆様、お久しぶりです。ききゅうです。投稿が年を越してしまい大変申し訳ありませんでした。また投稿をお待ちいただきました皆様、本当にありがとうございます!
また高評価を頂きました仁ノ二乗様、龍葉様、正当な予言者の王様、戦極凌馬様、泣きそう様、士郎大好きマン様、AC6934様、フランベルン様、駆け出し始め様、クロロフィール様、ドラリオン様、草木狐様、nh1084様、四暗刻様、そんちの様、 落ちを着けたい程度の作者様、ハヤセ様、海苔海苔様、ロジオン様、かるたん様、Mark・Rain様、kikikomi様、死屍様、edit8様、ルピナス様、豚兵衛様、アオオニ様、自称オタクの高校生様、やたか様、カイアベル様、ゴレム様、ポン&コン様、真碧様、黒神九十九様、Y u K i兄さん様、imitation様、からあげ3号様、シュンSAN様、halchan様、烏瑠様、似非粋人ゆーた様、シエロティエラ様、糞駄文量産機(産廃)様、小米様、馬鹿犬様、黒服の一般人様、つかじー様、むちょ様、 sairant様、Air Ride様、ラーク08様、込む寸様、借金持ちの天秤座様、ザキノ海軍中佐様、nekoage1様、エルキドゥ様、黯戯様、狂嘩様、wscxh1様、感想を送っていただきました皆様、メッセージを送っていただきました皆様、そしてこの作品を読んでくださっている皆様には心より感謝いたします。皆様のおかげで私はこうして話を進めることができております。メッセージもゆっくりではありますが返信させていただきます。
さた漸く新人戦が終わり、九校戦も終わりが近づいてきました。今回の話ではエミヤの活躍が少ないと感じられる方が多くいらっしゃると思いますが、後から支障をきたすと判断させていただきました。申し訳ございません。次回で九校戦編は終わりますが、まだこの物語の歯車は回ってもいませんので作者としては「あく横浜ぁ!」といった感じです。
大変お待たせして申し訳ありませんが、魔法科高校の贋作者はこれからも続いていきます。お付き合いいただければ幸いです。
これからも魔法科高校の贋作者をよろしくお願いいたします!
次回は三月の二週を予定しておりますが、分量が少ないため早めに投稿できるかもしれません。