魔法科高校の贋作者   作:ききゅう

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九校戦編Ⅷ

 夜の闇が支配する横浜の中華街。

 その一角で静寂を破るように怒りを露わにする男が居た。男は肥々とした体型からは想像もつかない素早い動作で、手元にあったグラスを叩きつける。

 それでも気は落ち着かなかったのか、男は胸ポケットから葉巻を取り出した。

 

 最近禁煙したと言っていた同僚に睨まれるが、存ぜぬ顔で背もたれに体重を預けゆっくりとふかす。そうでもしないと、気が狂ってしまいそうだった。

 

「落ち着いたか?」

「……少しな」

 

 男は宙に視線を泳がせながら、かすれた声で答えた。

 そして自分の怒りを頂点にした言葉が、聞き間違えでなかったか確認する。

 

「その情報は確かか?」

「あぁ。生まれは平凡、育った環境も親と親戚を亡くしたという事以外は普通。繰り返すようだが、本当にただのガキだ」

 

 返事に大きく溜息を吐きながら、新しいコップに水を注ぐ。それを一気に飲み干すと全員に向けて口を開いた。

 

「一高の優勝は既に決定したようなものだ。このままでは我々がどうなるか分かっているな?」

 

 全員の顔に一瞬絶望が浮かぶ。

 できることなら今直ぐにでもここから逃げ出したい事だろう。だが組織は決して許してはくれない。何処までも彼らを追い続け、最後には気の狂った道具として再び組織に迎えてくれる。

 

 予感としてではなく確信をもってそう明言できた。それはここに座っている全員が望んでいない。

 

「そこで提案がある」

 

 提案というワードに全員の視線が集中する。元々用意していた策は尽きているのだから、彼らも耳を傾けるほかない。

 

「優勝できないよう、大会そのものを中止にしてしまえばいい」

 

 大会を中止にすれば賭け自体無効になり、今期のノルマは達成できない。そうなれば一人二人は粛清されることになるが、其方の方がまだ生き残る見込みがある。

 

 他のメンバーから同意を示され、発案者は話の先を続けた。

 

「今年は事故(・・)のおかげで中止を求める声が多い。我々はそこに人殺しを送ってやればいい」

「思い切ったな」

「何か問題が?」

 

 同僚はニタッとした表情で首を横に振っている。他の顔ぶれも大分心に余裕ができたようだ。この雰囲気ならば大丈夫だろう。

 

「そこでだ。ジェネレーターにこのガキを殺らせる」

 

 思い出すだけでも再び怒りが沸いてくる。男達の計算を搔き乱し、崖っぷちに追いやった青年。奴さえいなければ自分たちがこうして苦悩する必要もなかった。

 

 青年への復讐を主張した男は他のメンバーの顔色を伺う。好感触な反応がほとんどだと感じた矢先、向かいの席で声が挙がった。

 

「それには反対だ」

「……何故だ?」

「あの試合はお前も見ていただろう? 奴は十師族を圧倒する力がある。確実性をとるなら、もっと別の人間を狙うべきだ」

 

 男も言われた事は理解している。

 だがその十師族の歳がまだ十五、六という事を踏まえれば、さほど警戒する必要はないと考えていた。

 

「圧倒したといっても相手は未だ子供だ。油断してたんだろう。どこにでもいるようなガキにジェネレーターが負けるはずない」

「だが!」

「まぁ落ち着け。お前がそこまで言うなら決を採る」

 

 採決の結果は賛成四に、反対一。男はするまでもなく、こうなる事が分かっていた。

 反対していた男は何も口にせず、大きく舌打ちをしたのみ。

 

「決まりだな……。我々が奴を家族と再会させてやろうではないか」

 

 組んだ手で歪んだ口を隠す。その視線の先にはモニターに白髪の男が映っていた。

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 新人戦モノリス・コード決勝の翌朝。

 人の少ない食堂で、エミヤは雫達と一日ぶりに朝食をとっていた。雫はエミヤに合わせたのか和食を、光井は好きなものを軸にチョイスしている。

 

「今日はどうする?」

「どうするって、ミラージ・バットの観戦に行かないの?」

「そうじゃなくて」

 

 光井が首を傾ける。彼女は雫の意図を上手く汲み取れていなかった。

 

「お昼からの話だよ。予選はお昼で終わるし、夜の決勝まで暇になるでしょ」

 

 達也や深雪はミラージ・バットが残っているので邪魔するわけにもいかないし、エリカ達の都合も未だ分かっていない。

 結局何も思いつかなかったようで、光井は「分かんない」と言うと皿を持って席を外した。

 

「どうする?」

 

 光井と同じように雫は隣に座っていたエミヤに尋ねる。彼も雫同様、光井よりも先に食事を終えて、テーブルナプキンで丁寧に口を拭っていた。

 

「やりたい事も無いしな。雫に任せる」

 

 即答で何でも良いと伝えてくるエミヤに、雫は片頬をわずかに膨らませた。

 アイデアが無かったから相談したのに、考える素振りもみせずに丸投げされたら、雫がムッとしてしまうのも仕方ないだろう。

 澄まし顔でコーヒーを飲むエミヤに、彼女はちょっとした仕返しをする。

 

「じゃあランチは屋台で済ます」

「あそこは当たり外れの差が激しいと、エリカ達が言ってなかったか?」

「私に任せてくれるんじゃないの?」

「……」

「冗談だよ」

 

 クスっと微笑む雫は満足そうだ。

 

「一緒に考えてくれる?」

「あぁ」

 

 そんな彼女にエミヤは苦笑を浮かべて頷くしかない。結局エミヤは無難な提案しかできず、昼以降屋台に行くことが決定してしまった。

 

 それから一、二分してトレーを持った光井が戻ってきた。盆にはフルーツ系からスイーツ系まで、沢山のデザートをのせている。エミヤは朝からよく食べれるなといった感じで視線を飛ばし、雫は太るぞとジト目で訴えた。

 

 二人にじっと見られて、光井は両手を膝に挟み顔を俯かせる。雫の視線の意味を察したのか、それとも見詰められて恥ずかしいだけか判断の付きにくい反応だ。

 

「な、なに?」

「よく食べるね」

「お腹すいちゃって」

 

 雫は態とらしく溜息を吐く。

 光井は雫の皮肉の意図に気づかなかった。となると、はっきり伝えるほかない。

 

「太るよ?」

「え? ……大丈夫だよ! 朝に甘いものは痩せるって論文もあったんだから!」

 

 彼女もちゃんと調べていたようだ。エミヤも似た内容の論文を読んだことがある。だがそこまで都合のいい話ではなかったはずだ。

 

「光井。それはカロリー制限をしている人間が痩せるだけだ」

「してないほのかは太るだけ」

 

 二人の言葉に凍りつく光井。テーブルまで持ってきた以上、残すことは許されない。

 

「二人とも食べない?」

「……食べてあげる。士郎さんも良い?」

「仕方ないな」

 

 フルーツを光井に残し、雫はデザートカップに盛りつけられた生菓子を自身とエミヤの前に分ける。後々お腹にくる生クリームがなかったのは、不幸中の幸いだった。

 

 

 カップが置かれると受け皿が小さな金属音をたてた。烈はウエイターを下がらせ、コーヒーの酸味と芳醇な香りを楽しむ。

 VIPルームで遅めの朝食を楽しんでいた烈の元には響子が訪ねてきていた。

 

「お時間をいただいて、ありがとうございます」

 

 前の席で軽く頭を下げる孫娘に烈は表情を崩さない。九校戦中、一日の多くをこの部屋で過ごす烈にとって、時間などいくらでもある。

 

「構わんよ。朝食はもう摂ったのか?」

「はい、お先にいただきました」

「そうか」

 

 響子がカップの縁に唇をつけ、若干間が生まれる。口にしているのは烈と同じコーヒーだが、彼女はミルクより砂糖を入れた方が好みだったようだ。

 響子が容器を置くのを待って、烈は口火を切る。

 

「それで、何か話があるのではなかったかな?」

「……お祖父様、本年の事故については何処までご存知ですか?」

「詳細は聞いておらんが怪我人が出ているそうだな」

 

 口吻から響子には烈が学生達を本当に憂慮しているのだと思えた。何より重傷者が多いことを祖父も知っているのだろう。

 

「証言に共通点が多いと士郎君から相談を受けました。お祖父様なら原因が分かると」

「詳しく話してみなさい」

 

 士郎という言葉に、烈は休めていた背中をゆっくりと起こした。響子は手持ちの端末から報告書を開いてあらましを説明し始める。

 

「最初に起こったのはバトル・ボード本選での選手同士の接触事故です。七高選手の危険走行と処理されてますけど、七高選手は最後までCADの動作不良を訴えていました」

「ほう」

「次は新人戦モノリス・コード、一高対四高の試合。状況としては試合開始直後、一高のスポーン・ポイントである廃ビルに対し、四高が破城槌を使用。一高選手全員が瓦礫の下敷きに。四高側はCADに破城槌は登録していないと主張、選手も否定してます」

 

 報告書を読み上げた響子は端末から目を離し、顔を上げる。

 真表の烈は何故か不快感を表にしていた。何か癪に障るような真似をしてしまっただろうか。

 

「それで彼は他に何か言っていたかね?」

「いえ、なにも」

 

 烈は鼻で笑ってしまいそうだった。

 どう考えてもエミヤは原因を把握している。その上でこの件は烈が適任だと、彼に任せているのだ。

 

「分かった。後は私が対応しておく」

「お祖父様、原因をご存じなんですね?」

 

 彼女も乗りかかった船だ。原因ぐらいは知っておきたいのだろう。

 烈は椅子から動く気配のない響子を無理に追い出すことなく、彼女の知りたいことから順に述べていく。

 

「原因は大亜連合が大戦中に使っていた、CADの動作不良を発生させる魔法だろう。それを複数校のCADに紛れ込ませることができるのは、一か所しかない」

「……運営によるCADのレギュレーションチェック」

「運営委員会が恥を晒しおった。であれば私が対処すべきことだ」

 

 事態を理解した響子は、烈に一礼すると部屋から出ていった。

 

 この後の行動は決まっている。このまま部屋にいるわけにはいかないのだ。今から向かえば、第二試合のレギュレーションチェックには間に合うだろう。

 VIPルームのドアを開けて、烈は運営のテントに向かった。

 

 

 ○ ○ ○

 

 

 九校戦も早いもので残りの日数もあと二日。

 何事もなく終わってくれというエミヤの願いは、理性が出した答えの通り簡単に砕かれてしまった。

 

 ミラージ・バットの第一試合、選手である一高の小早川が言葉の通り空から落ちたのだ。魔法が発動しなかったのだろう。それはCADを操作していた小早川の必死な表情からも窺えた。

 小早川は大会委員によって救助され、一命は取り留めている。だが心には一生残り続ける傷を負ったに違いない。

 

「小早川先輩、大丈夫かな……」

「分からない」

 

 光井と雫のように他の観客が心配するのも無理はない。

 

 魔法への不信で魔法行使ができなくなる事例はよくあるのだ。今の小早川がその最たる例。彼女のように数秒で希望が絶望に変われば、相当な意志と努力がない限り再び魔法を使うことはできないだろう。

 担架で運ばれていく小早川をエミヤは気の毒に思った。

 

 だが刹那、エミヤの意識は斜向かいのゲートに移る。

 そこで男がまばたきもせずにエミヤを見つめていた。喜怒哀楽を浮かべることなく、ただ無機質に。

 

 眼鏡越しだったが間違いない。おまけに男は迷いのない足どりで此方へ歩いてくる。

 雫なら何となく想像もできるが、エミヤが目的というのは彼自身も心当たりがない。何が狙いかは分からないが、いずれにせよエミヤにとっては面倒な事に違いない。

 

 会場の放送によれば一旦休憩を挟んで、第一試合の最終ピリオドを行うようだ。抜け出すには丁度良いタイミングだろう。

 

「雫、悪いが少し席を離れる」

「どうしたの?」

 

 雫達は小早川のことで頭が一杯だったようで、幸い向かってくる男には気づいていない。

 エミヤとしても雫やその隣の光井を巻き込みたくはなかったので好都合だ。

 

「お手洗い」

 

 席を立ち、エミヤは近くのゲートからスタジアムの外にでる。男が会場に残ることを警戒していたが、やはりというかエミヤを追ってきていた。

 

 昨日の試合を見て何か話があるのか、将又知らぬ間に恨みでも買ったのか。どちらにせよエミヤにとっては迷惑な話だった。

 

 

 響子がミラージ・バット会場の防犯カメラで、不審な男を発見したのは小早川が落下した直後だった。知識ある者が見れば警戒せざるを得ない格好をしている男。服装だけはどこも可笑しくはない。男がかけていた物が問題なのだ。

 

 それは軍用の眼鏡型HMD(ヘッドマウントディスプレイ)。一般のアイウェアと違い、ヨロイからテンプルの分厚さが普通のサングラスの比ではないので、知っていればすぐに分かる。用途は通信から魔法や小銃等の弾道予測、AIによる攻撃対象の識別まで様々。

 

 そんな物騒なものを持ち込んでおいて、何もしないわけがない。

 

「お二人とも、火急の案件です」

 

 立ち上がった響子は待機していた柳と真田を呼び、状況を伝えながら会場に走る。HMDの名前をだすと、二人も事態の緊急性を把握したようだ。会場に近づくにつれて大きくなる喧騒が響子に不安を募らせる。

 

 三人が入退場のゲートの近くに着いた時には、チラホラと人が出てきていた。先頭にいた響子は出入口に背を向けて、柳達に振り返る。

 

「では説明した通り、私は西口と南口を巡回します。真田大尉は北口と東口を、柳大尉は場内をお願いします」

「了解した」

「……了解と言いたかったんだけどねぇ。その必要はなくなったようだよ」

 

 真田の視線をなぞると件の男がいた。

 場内で新たな騒ぎが起こった気配はないが、一応確認した方がいいだろう。響子は待機している部下に連絡し、会場に不審物がないか探すよう一方的に伝えた。

 

 その間も男は人気の少ない方へと進んでいっていた。柳達とアイコンタクトをとり、響子は男を追跡する。

 響子は男の目的が何か分からなかった。爆発物等を設置して出てきた可能性もあるが、事前に会場の図面を手に入れて設置箇所を決めておけばいいだけだ。警戒されるHMDは却って逆効果になるだけ。

 

 男の後を追って、人の少ない通りに入る。そして、響子はようやく気づいた。男の歩く先に()がいることに。

 無意識に拳に力が入る。握った掌はほんのり湿っていた。

 

 

 後ろから聞こえる足音で付いてくる人数が増えた事を察知したエミヤは、長嘆したくなった。

 

 エミヤは人がいないスピード・シューティングの会場へと続く道に入っていく。その際さり気無く背後の様子を覗き見た。後続しているのはストーカーの男と女性を先頭にした三人組の計四人。

 

 その中に見知った顔を見つけたエミヤは、疲労の波がどっと押し寄せてきたように感じた。

 

 目の疲れとも思いたかったが、パステルイエローのブラウスを着ているのを見て響子だと確信した。ならば他の男二人は軍の関係者の可能性が極めて高い。響子達がいなければ()()()()()()()()()()()()()()()()つもりだったが、この状況ではそれは無理だ。

 

 だが響子達も仕事で出てきているはずだ。それでいてエミヤの後ろを歩いているということは、彼女達の目的が後ろの男だと見当がつく。

 ならばこのまま押し付けてしまえばいい。

 

 周りに自分達以外誰もいないことを確認するとエミヤは足を止め、踵を軸に振り返る。それに呼応するように男はピタリと静止し、響子達も距離を詰めると歩みを止めた。

 

「……あの何か用ですか?」

 

 年相応の高校生らしく視線を空に彷徨わせ、不安そうに声を震わせてみる。自分がもう一人いればきっと大劇場の俳優顔負けの演技力と評価してくれるだろう。

 男は無言を貫いている。

 エミヤはストーカーからの返答を諦め、助けを求めるように響子たちに目を向けた。

 

「すみません。此方の方がずっとついて来るんですが……。怖いので警備の人を呼んでもらってもいいですか?」

 

 白々しいと響子は心の中で叫ぶ。普段の態度を見れば、エミヤがこの程度で怖いなどと毛ほども思ってないことは響子には分かる。

 ただ好都合な事に変わりないし、「じゃあ私たちが見張っておくから君が呼んできて」とでも言えば自然な流れだ。その後に響子たちが男に事情聴取等々すればいい。

 

 エミヤがそこまで計算しているのが無意識に分かってしまい、響子は面白くなかった。これは仕事だと自分に言い聞かせ、響子は口を開く──が言葉は続かない。

 

 それより早く男がエミヤに対して一気に距離を詰めた所為だ。エミヤは怯えたような顔をしまい、相手を冷めた目で観察する。

 

 自己加速術式を使っていたとしても、並の魔法師よりも十分速い速度だ。おそらく身体能力が普通の人間より桁違いに高い。構えからして男は右腕でエミヤの頭部を殴るつもりだ。

 

 相手が本当にただの高校生であれば一撃で意識を失わせ、二~三発で殺すこともできるだろう。だがエミヤの場合、殴られたとしても傷を負うかすら怪しい。

 ただ響子達の手前、エミヤは自身の体の異常性を見せるわけにはいかないのだ。

 

 男が殴りかかる直前、エミヤは相手の軸足を踏み両手で男の肩を勢いよく突く。少しではあったが力も込めたので、バランスを崩した男はそのまま後ろへ倒れこんだ。

 

 声を上げるわけでもなく、上半身を起こした男はエミヤを見上げる。

 だがそれも僅か。

 次の瞬間には男の体に何本もの針が刺さり、そこに流れた電流が男の意識を刈り取る。響子の被雷針だ。

 

 動こうとした響子を手で制し、柳がエミヤへと歩み寄っていく。

 

「大丈夫だったか?」

「助けて頂いて、ありがとうございます」

「気にしなくていい」

 

 好青年を演じ続けるエミヤにそう応じる柳。「それに」と彼は喋ることをやめない。

 

「俺達が手を出さなくても何とかできただろ?」

 

 薄く笑みを浮かべる柳の後ろで、響子の左頬が吊り上がったように動いたのが目にはいる。

 何かしら怪しまれているのか、それとも単に昨日の試合でエミヤを認知しているだけなのか。

 エミヤは柳と同じような笑みを浮かべ、言葉を返す。

 

「いえ、護身の心得が少しあるだけですよ」

 

 エミヤの謙遜に柳はそれ以上問を投げない。

 一息おいて彼の視線が目の前の青年から捕らえた男へと移ったタイミングで、後ろで様子見をしていた真田がようやく口を開いた。

 

「さて予定ではミラージ・バットの第二試合が始まるし、君は会場に帰りなさい」

 

 人の良さそうな笑みを浮かべた真田に、エミヤは礼をしてその場を去る。

 響子がその姿を横目で追っていたことを柳は見逃さなかった。

 

 

 会場に戻ったエミヤは「おやっ?」と思った。

 予定通りならばスタートしている第二試合が、まだ開始されていなかったのだ。更に加えて出場するはずの深雪、そのエンジニアである達也が会場に姿を見せていない。それは他校の選手も同様で、少なからず会場にはどよめきが広がっている。

 

 席に近づくと、堅い表情を浮かべていた雫がエミヤに顔を向けた。

 

「帰りが遅かったから心配したんだよ?」

「すまん。……それで何かあったのか?」

「CADの検査で一校の生徒が暴れたって……。たぶん達也さんだと思う。心配したほのかが本部テントに確認しに行ってる」

 

 そこまで聞くと、エミヤの中である推測がたつ。

 その人物が本当に達也であれば原因は電子金蚕だろう。電子金蚕は第三次大戦期にも大亜連合が使用していたSB魔法の一種で、機器の電気信号そのものを改竄するというもの。エミヤはこの魔法が、今回の九校戦における全ての事故に関わっているとみていた。

 

 だがエミヤにとって気掛かりなのは、それがどのようにして暴かれたのか。

 可能性としては二つ。一つは響子から話を受けた烈が達也のいる場で電子金蚕を明かした可能性。もう一方は達也自身が電子金蚕に気づいた可能性だ。知識に富んだ達也だ。SB魔法の知識があってもおかしくはない。

 

 達也があの九島烈の前で暴挙に及ぶような人物か考慮すると、後者の方だろう。

 ならば前者はといわれば、それはエミヤが無意識下に烈へ期待を寄せてのものとしか言えない。

 

 何はともあれ不安がる雫にエミヤはカフェオレを買ってきて、光井の帰りを待つ。

 開始を二十分遅らせるとのアナウンスから十分が経ったころ、ようやく光井が肩を上下させて帰ってきた。雫が彼女の名前を零すと、光井は大丈夫という風に笑みを浮かべる。そんな彼女にエミヤは待ち時間に用意したスポーツドリンクを手渡した。

 

「それで何があったの?」

 

 光井が席に着くと雫がそう話を切り出した。

 

「チェックの時に深雪のCADに細工をした大会委員を達也さんが捕まえたんだって。九島閣下もその場にいらっしゃって、すごい騒ぎだったみたい」

「深雪と達也さんは?」

「二人とも問題ないみたい。もうすぐ出てくると思うけど」

 

 話の内容はともかく光井の表情は柔らかく、声音は明るい。事態は悪い方向へは向ってないのだろう。彼女の話を聞いた雫も安心した様で、先程まで全く口をつけていなかったカフェオレを口に含んだ。

 その際、さり気なく横にいる男を見る。エミヤは薄く笑みを浮かべ瞼をおろしていた。何度見てもその姿は様になっている──のだが。

 

「士郎さん、自分の分の飲み物は?」

「……必要になったら買いに行くさ」

 

 そうは言っているが買い忘れただけなのだろう。あくまで雫がそう思っただけで、本当は喉が渇いてなかったのかもしれない。

 だがこの際、そんな事は雫にとってどうでもいい。「んっ」と雫は自分のドリンクをエミヤの前に差し出す。

 

「買ってきてもらったのに、自分たちだけってのは気が引ける。だから」

 

 ほら、と催促した。

 嘘は言ってない。それがエミヤ以外の親しい異性、例えば達也とかが相手であっても雫はそう感じただろう。けれども何かしらの断りを入れるくらいで、自分が口をつけたものを差し出すなんて決してしない。エミヤを除いては。

 

 だから下心なんてないとは言わない。むしろ雫にとってはこちらがメインだ。エミヤが受け取ればよし。受け取らなければ別の機会にもう一度試みるだけ。

 

「悪い」

 

 一瞬の間があったがエミヤはカフェオレを受け取ると、恥じらったりせずに口をつける。

 

「甘いな」

「うん。私ももう少し控えめの方が好き」

「いつもこれじゃなかったか?」

「あれは関東限定。パッケージのここ、微妙に違うの。今度飲ませてあげる」

 

 共有したものの感想を言い合う雫とエミヤ。エミヤはその味に顔を少し顰めたが、雫の顔にはうっすらとえくぼが出来ている。彼女と付き合いの長いものであれば、それだけで今の雫の心情を理解することができるだろう。

 

 その筆頭である光井は──口を開けた埴輪と化し、恋路の方面で自分より遠くを走る姿を視界に収めるのに精一杯。

 

 その後現れた深雪は隠していた飛行魔法で他校との点差を広げ、順当に決勝に進んだ。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

「どういうことだ‼」

 

 九校戦の地から約一〇〇キロ離れた横浜中華街でダグラス=黄は自制を失っていた。破壊工作は実を結ばず、管理下にあると思っていた今回の九校戦は自分達が望まぬ未来へどんどん進んでいる。

 

「ジェネレーターは何をしている⁉ 現地の協力員もだ! 何故中止になっていない!」

「『一高の司波達也と九島烈によって電子金蚕を周知された』と連絡がきて、三時間が経った。連絡がつかないとはそういうことだろう」

 

 ジェームス=朱はテーブルの上で組んだ手で頭をかかえ、淡々と返す。黄以外のメンバーの様子も朱と似たり寄ったりで、これからどうするか考えあぐねている様子だ。そんなことを考えても無駄と知っていても。

 

 未来のことなど自分達に選ばせてもらえるわけない。文字通り、組織が黄達の心臓を握っているのだから。

 そして今のレールのままだと終着駅は死。運賃として自分だけではなく家族全員の命をも差し出すことになるだろう。

 

「まだだ! 明日ここにいるジェネレーターを全て投入する‼ 九校戦は今年が最後になるだろうが、知らん!」

 

 なりふり構っていられる場面ではない。どんな手を使っても今回の賭けをなかったことにしなければならない。

 一人を除いて朱達、他の三人も同意するように頷く。

 

「……そもそも衛宮とかいうガキを襲わせたのが原因だ! だから言っただろう!」

 

 纏まりつつあった雰囲気に呑まれず、賛同を寄せなかったグレモリー=白は黄達を責める。そもそも黄は状況を楽観視しすぎていた。

 ジェネレーターや協力者を失った時点で、彼らよりも力を持った何者かがいると判断するべきだ。そこへ闇雲に殺人マシーンを送ったところで、返り討ちにあうのは明白。

 

「グレゴリー。今さら言っても仕方ないだろう」

「あぁ、そうだな! だが慎重にやらねば今回も失敗する! 投入といってもここのジェネレーターには戦闘以外の複雑な思考はできない! 位置も把握できていないカメラをどうやって避けて富士まで送るつもりだ⁉ 運搬にさける人員はいないんだぞ! それに──」

「分かっているとも。先の失敗はお前の意見を聞かなかった我々四人に責任がある。……だから今度こそ、お前の知恵を貸してくれ」

 

 激昂する彼を朱はなんとか宥める。運命共同体である以上、内輪揉めは意味がない。

 朱の態度に白も何か言う事はなく、ただフンと鼻を鳴らすだけだった。話を進めて良さそうだと判断した朱は場を仕切る。

 

「では計画を練ろうか」

 

 彼らにこれ以上の失敗は許されない。

 しかしながらその計画が実行されることは遂になかった。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 空には星が散らばり上弦の月が昇っていた。

 終わってしまえばあっという間。エミヤはぼんやりと窓の外を眺めながら柄にもなくそう感じていた。

 

 彼が今いるのは一昨日に訪れた宿舎十二階の会議室だ。ただ前と違って堅苦しい呼び出しではなく、優勝の祝賀会さらにそのプレパーティーに連れてこられた次第。

 

 一口に優勝といっても新人戦優勝ではなく総合優勝。要はミラージ・バットで深雪が優勝し、最終日を残して総合成績で一高の優勝が確定したのだ。

 ミラージ・バット決勝は選手全員が飛行魔法を使うも、深雪以外の選手は最終ピリオドまで自分のペースを保てず。最後まで宙に残った深雪が一位という内容。

 

 ただモノリス・コード本戦が残っているので、この場にいる全員を代表して真由美が克人達に準備の手伝いを申し出ていた。

 克人の返事は真由美曰く「これ以上人手が増えても持て余すだけ」とのこと。

時間もあるし、それならということで決まったようだ。エミヤはそれでいいのかとも思ったが、彼女たちも克人に信頼を寄せているからプレパーティーを催せるのだろう。

 

 さて急遽決まったパーティーとはいえ、やる以上なぁなぁで済ますつもりはないらしく真由美と市原が真面目な挨拶をして音頭をとった。

 

「それじゃあ一高の総合優勝を祝して、乾杯!」

 

 エミヤは軽く上げていたコップを降ろすと、隣にいた雫がいなくなっていることに気づいた。

 いなくなったと言ってもいつの間にか女子の輪に入っていただけで、それを見たエミヤも同性の知り合いに歩み寄る。

 

「幹比古、レオ」

「お疲れ、士郎」

「俺だけ場違いな気がすんだけど、ホントに大丈夫か?」

 

 レオは選手でもスタッフでもない自分がこの場に居ていいのかと部屋を見まわし遠慮を口にする。

 

「レオ達は司波に連れてこられたんだろう?」

「あぁ」

「それなら気にしなくていい」

 

 深雪が真由美たちに許可も取らずに連れてくるはずもない。エミヤのその推察はあながち外れてはいないが、実際は真由美がせっかくだからと深雪にそう提案したのだ。

 そうでなくとも現にレオ達が部屋にいても何も言われないのだから問題ないと判断できる。

 

「士郎は北山さんに無理やり?」

「……どうだったかな」

「そうだよ」

 

 幹比古の問いを曖昧に流そうとしたエミヤとは別に、その背後から誰かが是を唱える。

 エミヤが振り返ると聞きなれた声の主は深雪達を伴って立っていた。

 

「雫」

 

 必要もないのにわざわざ名前を呼んだエミヤは、少し困ったような顔をする。そんな表情を見てエリカが何も感じないわけない。

 ニヤニヤと悪趣味な笑みを浮かべエリカはとぼけた声をだす。

 

「何かあったのー?」

「誘ったのに断られた」

 

 エリカはエミヤに訊ねたつもりだったが返事をしたのは雫だ。エリカも即答で、それも横から返ってくるとは思っていなかったのか少し驚いている。

 エミヤも言われっぱなしではなく、当時の状況を振り返ってささやかな抵抗をする。

 

「断ってないし、後から行くとも伝えただろう」

「連れてこなかったら来てなかったくせに」

「……」

「図星」

 

 こういう時の後からとか行けたら等の返事ほど信じられないものはない。「顔を出すだけでいいから」と雫はエミヤの腕を引っ張るように連れてきたのだ。もちろん筋力はエミヤが上なのだから解くこともできた。それをせずここで話しているということは、エミヤが雫に根気負けしたのだ。

 

 ただ勘違いしないでほしいのは傍目からでも、雫達は殺伐と言い争っているのではなく楽しんでいるということ。カップルが互いにからかいあって戯れる、そんな空気。控えめに言えば和やかであり、はっきり言うなら甘ったるい。

 

「まぁまぁ良いじゃない。こうして集まれたんだし」

 

 深雪達、特にエリカはまさか惚気が始まるとは思っていなかったので、もう十分といった感じで場を仕切り直す。ただ集まったといっても何時もの全員が揃っているわけではない。

 

「そういえば達也は何してんだ? 先に来てると思ってたんだけどよー」

 

 レオの発言の通り、この部屋に達也の姿はない。事情を知っているであろう人物は妹の深雪だけなので、彼女の方へ当然視線が集まる。

 

「随分とお疲れみたい。今日は先に休むって」

「今日まで気が抜けなかったんだろうね。無理もないよ」

 

 幹比古の言葉にほぼ全員が同調した。選手としてもスタッフとしても、達也は誰もが優秀な成績だと疑わない活躍を収めている。たしかに疲労も溜まるだろうと。

 

 ただそれはエミヤの知っている達也とは違う。エミヤも達也の全てを知っているわけではないが、疲れていても平気な顔をして深雪の傍にいる。それが達也だとエミヤは思っていた。だが怪しんだところで、出来ることなど高が知れている。

 例えば昼間の工作員から尋問するにしても、身柄はすでに響子達に移っているはず。いくら四葉の関係者とはいえ、彼女達と協力関係でもないかぎり情報の提供を強いるのは難しいだろう。

 

 故に意外だったとあっさり納得してしまい、それ以上気にすることもなくエミヤは友人たちとの会話を楽しんだ。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 エミヤが雫達との会話で盛り上がり、達也が横浜で無頭竜東日本総支部のメンバーを塵も残さず消している頃。

 

 九島烈は昔の部下との司波達也についての問答に一段落をつけた。

 どうやら風間玄信は達也の管理は個人に任せるべきではないが、四葉から引き抜くつもりはないらしい。達也が戦略級魔術師とも風間は陳じていた。

 

 それは烈にとって驚くことでもなかった。やはりと合点がいったまである。

 勿論四葉がそれほど迄の力を有しているというのは好ましい話ではない。このままでは四葉が十師族というシステムを崩し、日本全ての魔法師の上に君臨する将来もあり得るだろう。もしかしたら魔法師に兵器としての立ち振る舞いを押し付けるかもしれない。魔法師が戦争で有意義な資源である内は、四葉を頂点と戴くならばそんな未来だってあり得るのだ。

 

「閣下。自分からもお伺いしてよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「閣下は第一高校の生徒を随分と気にかけてらっしゃるようですが」

「話が抽象的すぎるな。はっきり言いたまえ」

 

 烈は表情を変えずに風間の言葉を待っていた。

 

「あの青年──衛宮士郎でしたか。閣下にとって彼は何なのですか?」

「彼は古い友人だよ」

 

 予想外の解答に風間は言葉を詰まらせる。古い友人というにはあまりに年が離れすぎているから、そのままの意味ではないだろう。

 気づけば烈は笑みを浮かべている。風間が何を言うか楽しみだといった感じで。

 

「……それは御友人の御子息ということでよろしいでしょうか?」

「そうではない。言葉通りだ」

 

 風間は余計に混乱した。言葉通りということは、古いという単語によって意識に差異が生まれているのかもしれない。そう見立てれば知り合ってから十数年経っているものだと風間も理解できた。

 

「閣下、自分はあの衛宮という青年がどのような人為かは存じ上げません。ただ知りたいのです。彼が達也を何処まで知っているのか。程度によっては──」

「なんだ、そんなことか」

 

 かいつまんで言えば、風間は達也が戦略級魔法師ということを口外されたくないということか。

 烈にとって今の話は期待外れで、興味を失ったというのが態度に出ていた。

 

「彼に教えたのはせいぜい、司波達也とその妹が四葉の関係者だということだ。響子と深夜の息子がつながっとることも、今回の話も聞かせるつもりはない。ただ彼が何を知っているかは私も把握しとらん」

「そうでしたか」

 

 風間はエミヤを司波兄妹の監視に烈が第一高校に潜らせた位の認識なのだろう。勿論烈はエミヤにもそう説明しているし、その役割が全くないわけではない。

 

 彼を第一高校に進学させた理由は単に十師族、特に権力闘争に明け暮れる四葉と七草を混乱させたかっただけだ。

 あそこには今いるだけでも四葉の他にも十文字家や七草家の縁者がいる。そこに十師族にも匹敵する魔法力のエミヤを投入すればどうなるか。当然彼が何者か探りを入れる。少し調べた程度では何も分からないが、彼の行動を逐一追えば烈に行きつけるようにしてある。

 

 そして烈、もしくは九島家が何か企てていると考えるのは言を俟たない。例え何もなかったとしても、エミヤの素性に辿りつくまでの苦労を考慮すれば無理もない。かくして誤想してくれれば、七草や四葉は慎重にしか行動できまい。

 

 というのが烈の希望的観測だ。最悪エミヤが手元を離れることになっても、彼が存在する限りはどうとでもなる。

 烈にとってエミヤの真価はそこにはないのだから。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 九校戦最終日。時刻は既に正午を過ぎ、残るモノリス・コードの試合も決勝のみ。

 運営から『決勝は渓谷ステージ』との連絡を受けた真由美は、それを口実に克人に会議室まで足を運んでもらった。

 

「時間もあるわけじゃないし早速本題ね。さっき父から連絡があったの。士郎君が一条君に勝った件で、師族会議からの通達」

 

 克人は相槌を打つこともなく黙って続きを促す。

 

「十師族は日本の魔法師の頂点。たとえ高校生の競技大会だろうと、これに疑いが掛かることは許されない」

「……理解した」

 

 自身が何を求められているのか把握したに違いない。克人の言葉は簡素だった。

 

 克人もあの試合の内容には思うところがある。

 いくら高校生とはいえ十師族の直系である将輝が手も出せずに、一方的に負かされるのは十師族で似たような位置に立つ者として愉快ではなかった。

 

 勿論誰が悪いという話ではない。チームの総合力という面から見て、一高にはエミヤと達也という規格外がいたことは事実。それでも十師族の次期当主が為すすべもなくというのは、不甲斐ないと感じてしまう。

 

 ただ見方を変えれば二人の異質さが際立った試合とも言える。

 あれほどの力が十師族、ましてや百家でない家系から生まれるものなのかと。

 

 極稀にそういう人物が現れることもある。そのほとんどは親が魔法力に恵まれていたというケースで。だが達也と深雪、エミヤの三人が揃いも揃って平凡な家庭で生まれ育ちましたなんてことは、克人には考えられなかった。

 

「ねぇ、十文字君。聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「達也君と深雪さん、それか士郎君。誰でもいいけど、昔あの子たちに会ったことない?」

 

 予想の斜め上をいく真由美の質問に克人は少し前のめりになる。

 

「どういうことだ?」

「私と十文字君みたいに」

 

 自身と克人を交互に指差した真由美に、なるほどと克人は腕を組んだ。

 二人は親が設けた席で出会っている。その際克人は七草邸に招待され、彼女の兄や妹も紹介された。真由美は同じように他の十師族から招待され、その際会ったことはないかと聞いているのだろう。

 彼女も克人同様、エミヤ達を十師族ではないかと怪しんでいるということか。

 

「いや、ないな。会っていたら顔を忘れるはずがない」

「そうよね……。じゃあ百家? ……まさかエクス──」

「七草」

 

 思考の海に潜りつつあった真由美を克人は引き留める。

 数字落ち(エクストラ)。彼らをそう呼称するのは褒められたことでない。それも彼らの犠牲の上に今の地位を得ている十師族(かれら)が。ふとしてしまって、で済んだのは相手が克人だったからだ。

 真由美も罪の意識があるのか、自身の小さい顔の下半分を手で隠していた。

 

「七草も疲れているんだろう。あとは任せて本部テントに戻れ。俺も決勝の準備に向かう」

「……そうさせてもらうわ」

 

 七草が会議室から足早に出ていく。部屋に残った克人は自分が為すべきことを再確認すると、取り出した携帯端末を耳にあてて二言三言呟いた。

 

 

〇 〇 〇

 

 

 モノリス・コード決勝戦。一高の相手は第三高校で新人戦決勝と同じカードになった。新人戦ではワンサイドゲームに終わっている。総合優勝は逃したが三高選手は後輩のリベンジをと息巻いていたことだろう。

 

 だが彼らは運に恵まれていなかった。

 

 モニター越しに観戦しているエミヤは三高選手が不憫に思えた。

 準決勝まで一高は服部が攻撃を務め、サポート兼防衛に克人と服部にまわっていた。それが今回、克人がオフェンスで服部たちのサポート無しで一人敵陣に乗り込んでいる。

 

 三高の選手たちも克人の進行を止めようと、三人がかりで魔法を放ち続けていた。それでも克人に魔法が届く前に『壁』によって阻まれる。

 

 『ファランクス』。

 四系統八種の壁をランダムに、いくつも生成し続ける多重移動防壁魔法。十文字家の代名詞であるこの魔法で、克人は敵の攻撃を防いでいるのだ。

 

 一歩また一歩と三高選手との距離を詰めていく。あと十歩で届くというところで克人は前屈みになり、一拍置いて飛んだ。ファランクスを展開したまま、敵選手に向かって。

 

 まさか飛んでくるとは思っていなかったのか、三高選手は回避行動をとれず吹き飛ばされる。克人の猛進は止まらない。方向転換すると次の標的に向かって突っ込んでいく。もう一度繰り返した時には、三高選手は誰も立っていなかった。

 

 

 試合終了のブザーが鳴り、観戦をしていた全員が拍手を送る。

 当然エミヤも横にいる雫と光井同様手を叩いている。だが考えているのは先程の試合だ。

 

「圧倒的だったね」

 

 エミヤの感想を雫も持っていたようだ。ただ高校生相手にあの力は過剰ではないかと思う。克人の振る舞いはまるで力を誇示するようだった。何の力かとは考えるまでもない。支配する者として、十師族としての力だ。しかしエミヤが九校戦を見たのは今回の大会が初めて。毎年のことかもしれない。

 

「雫。会頭は去年の試合もあんな感じだったのか?」

「ううん。十文字先輩は去年も一昨年も、ずっとディフェンスだったよ。オフェンスにいたのは初めて」

「……そうか」

 

 モノリス・コードのフリークである雫が初めてというのならその通りだ。となればやはり力を示したのだろう。

 将輝の敗北が十師族にどれほど影響を与えたのか、エミヤに興味はない。

 

「行くか」

 

 今以上に何らかの形で十師族と関わっていくことになるかもしれないと、エミヤはそんな予感がした。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 まさかこんなに早く勘が当たるとはエミヤも思っていなかった。

 あと十五分もすれば始まる後夜祭パーティーの会場を、エミヤは宿舎の庭から見上げていた。一人で散策ということではなく、克人に連れて来られてだ。

 

 入口が混む前に会場に入っておくよう雫に言われ、早めに部屋を出たのが失敗だった。エレベーターを使い会場である最上階まで昇ったエミヤは、運悪くもう片方のエレベーターから出てきた克人と目が合ってしまったのだ。

 無視するわけにもいかず、お疲れ様ですと声を掛けたエミヤ。「お前もな」と返した克人は突然腕を捲った。時間を確認していたのか、「話がある」と歩き出した克人の背を追ってきて現在に至る。

 

 そんな克人の歩みもようやく止まった。そこから二メートル離れたところでエミヤも足を前に動かすのをやめる。振り返った克人の表情はいつもと変わらない。しかしその瞳に普段以上の力が宿っていると感じた。

 

「会頭、話とは?」

 

 ここまで一言も口を開かなかった克人の代わりにエミヤが火付け役となる。人気のないところまで連れてきて、九校戦を振り返りたいわけではないはずだ。

 エミヤの中でも大方目星はついていた。一条将輝に勝ったことで、今後の身の振り方を考えるよう諭されるのだろうと。

 

「衛宮。お前は数字付き(ナンバーズ)、もしくは十師族の人間だな?」

 

 それだけに克人の問いはエミヤに多少の衝撃を与えた。分かりやすく驚きを顔にすることはなかったが、まさか自分を十師族かと聞いてくるとは読んでいなかった。

 

「まさか」

 

 裏付けがあったのか、鎌をかけたつもりだったのか。いずれにせよエミヤの答えはノーだ。本当のことなのだから、それ以外に答えようがない。

 ただ烈との接触を証拠と把握していたとしたら、根掘り葉掘り聞かれることは覚悟しておかなければならない。

 

「……ならば」

 

 しかし話はエミヤが予想だにしていなかった方向へと進み始める。

 

「衛宮。十文字家代表代理の立場として、お前に十師族との婚約を奨めておく」

「……は?」

「お前の性格からすると、そうだな。七草の次女がいいだろう」

「待て、待ってください会頭。なぜそんな話に?」

「お前自身がどう評価しているかは知らないが、十師族はお前の力を放っておけない。それは薄々気づいているだろう? ならば巻き込まれる前に、自分がどう接していくか考えるのが得策のはずだ」

 

 身の振り方の一つとして提案しているのではない。克人はこの道しかないと言っているのだ。

 けれどもエミヤと烈のような互いに協力し合う形だってあるはずだ。

 

「協力関係では駄目なのでしょうか?」

「他の国であればいいだろうが、日本は既に十師族が頂点というシステムが出来上がっている。その頂点がただの魔法師と対等な関係を築けば、その構造に疑問を抱くものが現れるだろう」

 

 あり得ない話ではない。

 かつて多くの偉人がそうだったように、それは歴史が証明している。

 だが今の時代に照らすと、十文字の言は過剰とも思える。

 

「勝ったとはいえ相手もまだ十六。少し大袈裟では」

「接戦だったなら俺もここまでしつこく言ってはいない。一条の次期当主に少しの抵抗も許さなかったというのは、それだけ影響が大きいということだ」

「急を要するほどですか?」

 

 エミヤが頑なに拒み続けるのをみて、克人は不思議そうな顔をして口を開く。

 

「衛宮、何をためらっている?」

 

 心からそう思っていると、そう感じさせる口調だった。

 

「お前の事情は知っている。それを考慮すればこそ、断るような悪い話ではないはずだ」

 

 克人が言っているのはPDの情報だろう。エミヤは三年前親族を失っていることになっていて、客観的にみると今のエミヤには守ってくれる家族も後ろ盾もない。

 克人なりにエミヤを気にかけて提案しているのだ。

 

「それとも恋人でもいるのか?」

 

 克人の言葉にエミヤは何故か、雫の顔が浮かんだ。

 恋人ではない。けれど雫が好意を寄せてくれているかもしれないと、エミヤ自身最近になって思い始めていた。

 

 エミヤにとって雫との時間は居心地が良い。それも非常に。彼女と行動する時間が長いせいかもしれないが、あれこれ世話を焼くのも焼かれるのも、何かを共有することも悪くないと思っている。

 

 されど、それは恋心かと聞かれると否定してしまう。

 

「……いえ」

 

 結局、雫がそうだなんて嘘は言えなかった。

 名前を出さずに「います」などと返す手もあるが、裏をとればすぐに虚言だと分かる。

 おそらくこれ以上の抗弁は無駄だ。

 

「心配するな。七草家当主には話を通しておくし、まだ縁談の段階ですらない。それに招待されれば嫌でも俺が同伴する」

 

 慰め程度に一言付け加えた克人は、制服の袖から時計を覗かせる。

 じきにパーティーが始まる頃合いだ。

 

「この話は後日連絡する。そろそろ戻るぞ」

 

 来た時と同じように克人はエミヤを背に歩いていく。

 烈が知ったらなんと言うだろうか。雫に話せばどんな顔をするだろう。

 断るつもりではある。ただ断っても拒否権が必ずしもあるとは言い切れない。

 エミヤは来た時より重くなった足で会場に戻っていった。

 

 

 〇 〇 〇

 

 

 会場に戻ったエミヤを迎えたのは芸能プロダクションを語る複数の男女だ。物腰こそ柔らかかったが、あまりに勢いよく喋るので適当に話を切り上げた。

 内容はそろってモデルの依頼。そういう方面は深雪に集まると思っていたが、彼女を探したら市原が追い払っている。どうせなら自分にもそうしてほしかったと、エミヤは思った。

 

 演奏が始まり、学生とスタッフだけになった会場を見渡してエミヤは知り合いを探す。

 光井や達也はすぐに見つかったが、人が多いこともあり、どうしても雫の姿が見当たらない。エミヤの知る限り、今夜を楽しみにしていたので居るはずなのだ。

 

 近くで摩利の相手をしていた達也が手隙になったのを見て、エミヤは声を掛ける。

 

「達也」

「士郎か。さっき雫が探していたぞ」

「……どこにいる」

「そこまでは俺も知らない。……エリカ!」

 

 達也は近くを通った給仕姿のエリカを呼び止める。エリカがエミヤをみて半目になったのは気のせいではないだろう。

 

「なにー、達也くん」

「士郎が雫を探しているんだが、どこにいるか分かるか?」

「あっちで男子に囲まれてる。雫、困ってたよ。あー誰か助けてあげないかなー」

 

 わざとらしい口調でエリカは『誰か』を強調する。

 居心地の悪い視線を感じたエミヤは二人に礼を言うと、エリカが指した方向へ歩いていく。

 

 達也がいた壁際とは反対側。そこで雫は他校の男子に巻かれていた。

 

「待たせたな」

 

 男たちの後ろから声を掛ける。これで雫に声が聞こえてなかったり、無視されていたらエミヤは恥ずかしい思いをしていただろう。

 

 男子を押しのけて雫が姿を現した。機嫌は、あまり良さそうではない。

 男子達はエミヤと雫を見ると、どこかへ散っていく。そのうち何人かは何を誤解したのか、彼に「悪い」と片手で謝る者もいた。

 

 二人になると雫は何かを要求するように、冷ややかな目をエミヤに向ける。

 

「遅れて悪かった」

 

 初手からとぼけるようなことはしない。

 雫がずっと待っていたのは達也たちと話して分かっている。だから「待っていてくれてありがとう」とも伝える。

 素直なエミヤの態度に多少気分が良くなったのか、雫は少し笑った。

 

「いいよ。許してあげる」

 

 普段通りの口調。どうやらご機嫌は直ったようだ。

 それでもまだ一安心とはいかない。

 

「それでなにしてたの?」

 

 流れで聞かれるだろうとはエミヤも思っていた。

事情が事情なだけに公の場で話すことはできない。しかしながらパーティーに人が集まっている今なら、雫を連れ出して二人きりにもなれる。

 

 ただエミヤはどう雫に伝えるか決めかねていた。それも後夜祭を楽しみにしていた彼女の気持ちを傷つけずに。

 

「会頭と少し話をしていた」

 

 エミヤは縁談の話を先延ばしにした。

 もしその間、雫との仲が深まり彼女の気持ちを知ることになれば、この手の話題はし辛くなる。

 それをエミヤも承知の上で下した判断だ。

 

「雫の方は随分と人気者だったな」

「誰かさんが遅いせい」

「その誰かを雫は待ってくれてたんだろ?」

「私くらい待ってあげないと可哀想だと思って」

 

 雫と軽口を叩きあう。

 彼女と過ごしたこの四ヵ月は、入学当初に想像したものよりもずっと濃密な時間だった。

 互いのことを知り、様々な共通の経験をした。知らないことの方が多いはずだと、言われるかもしれない。

 けれどそれは一緒に過ごした時間を否定することまではできない。

 

 だからエミヤは分かっている。雫が彼に何を求めているかを。

 

「私と踊っていただけませんか?」

「芝居がかりすぎ」

 

 文句を言いつつも、雫は微笑交じりに差し出されたエミヤの手をとる。

 目を合わせる雫とエミヤ。

 エミヤは改めて雫を誘う。

 

「雫、俺と踊ってくれるか?」

「喜んで」

 

 エミヤの瞳が映すのは雫だけ。雫の視界に映るのはエミヤだけ。

 見つめ合うこの時は雫とエミヤ、二人きりの世界。

 あるのは音楽と両者の存在のみ。

 二人はそこで動きを重ねる。

 

 ずっと、この時間が続けばいいのに。

 

 そう永遠を望んだのは雫か。それとも──

 




皆様、お久しぶりです。ききゅうです。二年ぶりですね。言い訳はしません。本当に申し訳ございませんでした。

 本当は「見えますか……? この文章は2017年から送っています」とか言いたかったんですが、皆さまを長く待たせたのに失礼だと思い、やめました。

 謝辞の前に先ずは注意というかお詫びを。開いた期間でかなり文調が変わってしまいました。
 初めて読んでいただいた方は九校戦編Ⅶまではかなり薄い内容なので、覚悟の準備をお願いします。もし前のように手ごろに読める方が好きだという事であれば、感想にてご意見お待ちしてます。
 

 さて、では謝辞を。高評価を頂きました、くるるるさん、むらさき君さん、Sinji3256さん、ヤコウさん、真碧さん、赤谷赤也さん、吾が輩はボッチである さん、蒼 点さん、ロベスピエールさん、niftyさん、梅矢さん、KAI1222さん、自由に生きたいさん、パーレクシィさん、はなたはなたさん、ウルブラさん、小鳥遊陣さん、渡部焔さん、貴方のファンさん、idiotさん、フォンバックさん、宝仙さん、このめさん、tubuyakiさん、yamaking917さん、正当な予言者の王さん、GREENver52.3さん、蕈野山子さん、gigapurinさん、イルさん さん、phu-sanさん、紗理奈さん、朱神姫さん、斎藤元さん、宴九段さん、kuufeさん、レオンハートさん、白き夜の魔王さん、ヒラタンさん、くらくらぴえろっとさん、陣海さん、ティーダさん、ビフロンズさん、ktkrtakisanさん、黒零 紗希さん、あべしさん、鯖ライトさん、外道麻婆今後ともヨロシクさん、Mark・Rainさん、東野丸さん、Kazuma@SBさん、Solidasさん、タッケーさん、さくら饅頭さん、ラノベ大好きさん、レグルスアウルムさん、まーろんzさん、砒素さん、脳筋さん、shopeiさん、城山恭介さん、TRIGUNさん、マーボー神父さん、ChaosUnicornさん、和人 桐ケ谷さん、緒方さん、ザキノ海軍中佐さん、噴門 無視樹さんtomo00さん、Krahideさん、masayasugitaniさん、小米さん、カレンはルルーシュの嫁さん、Ryo1104さん、絢都さん、わらふじさん、ゆる さん、sion1231さん、ゴレムさん、黒安さん、家畜魔法師さん、からあげ3号さん、(*ゝ`ω・)さん、クロスゼリアさん、赤椿さん、平田なごみさん、特急しなのさん、粉みかんさん、カキヨミさん、isaですさん、水面水面水面下さん、Alice マーガトロイドさん、アレッティオさん、Guilty Crowさん、Reiasskさん、巌窟王蒼魔オルタさん、紅城さん、abesiさん、MA@Kinokoさん、弄月さん、綿の鍋さん、ムリエル・オルタさん、颯颯さん、センリさん、感想を送っていただいた方、そしてこの作品を読んでくださる読者様に心より感謝申し上げます。言葉が乏しいですが、作者は皆様に本当に救われています。本当にありがとうございます。

 九校戦編Ⅷですが長くなってしまいました。前のあとがきで「短いから余裕ですわ」とか言ってた過去の作者をぶん殴りたいです。
 さて九校戦編が終わり、次回から夏休み編になります。雫視点で色々語ろうかなと。
 まぁこちらは今回ほど長くならないと思うので、1~2話で横浜編に入るでしょう。

 それと九校戦編Ⅶまでですが加筆を予定しています。我ながら良くこんなもので満足していたなと猛省しているところです。ただ物語の進行を優先させますので、ご心配には及びません。

 また頂戴しました感想も順次お返事させていただきますので、お待ちいただければと存じます。 

 最後に再三申し訳ございませんでした。再び皆様にこの作品を読んでいただいてること、また応援していただけていることに深く御礼申し上げます。

 近いうちにまたお会いしましょう。

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