5話
年明けの雰囲気がまだ残る鎮守府。
瑞鶴が海上移動訓練を開始して数日が経った頃、私が居る執務室に赤城さんと翔鶴が入ってきた。
「珍しいわね。執務室に2人で来るなんて」
「たまたま翔鶴とそこで会ったんですよ」
「そう。何かあった?」
「瑞鶴の調子はどうかと思いまして。指導は順調だと聞いてますが」
「大丈夫よ。あの子は物覚えが良いし、体も動きも悪く無い。まだまだ基礎指導は残っているけど、赤城さんに引き継ぎをする時にはすぐに応用に行けるくらいに仕上がっていると思うわ」
「そうですか、それは楽しみです」
「あ、あの、うちの瑞鶴がご迷惑お掛けしていませんか?」
「迷惑なんて掛けられた記憶はないわね」
「そう、ですか。加賀さんがこう言ってるんだから大丈夫なのかな」
「心当たりでもあるの?」
「……実は私、瑞鶴の報告書を見せてもらう事があるんですけど、少し前からあの子報告書に『今日も加賀さんの手は暖かかった』とか、『加賀さんの髪が綺麗だった』とか指導とは関係ない事も書く様になっていて……。ご迷惑をお掛けしているんじゃないかと……」
「あら、加賀さん愛されてますね? 何だかドキドキしてきました」
「赤城さん、からかわないでください。それにしてもあの子、そんな事を書いてるのね。確かに感想とか遠慮せず正直に何でも書いて良いって言ったけど……。それで提督は何て言っているの? 私の方には何も言ってきてないわ」
「面白いからとむしろ推奨している様で……」
「……本当にあの人は……真面目に仕事をして欲しいものね」
「あの、私からやめる様に言いましょうか?」
「いえ、それには及びません。感想や思った事を書いて良いと言ったのは私ですし、本来私はあの子の報告書の内容は見れないはずですから。提督が推奨している以上、聞かなかった事にします」
「加賀さん、ひょっとして照れてます?」
「そんな訳ないでしょう」
「それにしても随分と懐かれてるんですね」
「そうなんですよ、赤城さん。最近なんて訓練から帰って来ると加賀さんの話ばっかりなんですから。少し嫉妬しちゃいます」
「懐かれてないです。それに翔鶴の話がつまらないから私を話題にしてるんじゃないの?」
「そんな、加賀さん酷いです」
「まあまあ翔鶴、やっぱり照れてるのよ」
「照れてないです」
「耳赤いですよ?」
「赤くないです」
「あ、顔も赤くなってきた」
「……」
「「かわいいですね」」
「頭にきました」
私が立ち上がると2人はキャーキャー言いながら執務室から逃げて行った。
まったく……駆逐艦じゃないんだから廊下であまりはしゃがないで欲しい。
それにしても、私は瑞鶴に懐かれているのだろうか。確かに最近よく近くにいるし話しかけて来るが、それはよく指導をしているからだろう。
ま、まぁ、懐かれて悪い気はしないが……。
いや、まだそうと決まった訳じゃない。これは赤城さんと翔鶴が勝手に言っている事だ。
私は気分を切り替えようと深呼吸して、執務に取り掛かった。
ーーーーー
どうやら私は瑞鶴に懐かれているらしい。
目の前に座るニコニコした彼女を見れば、さすがの私でも納得せざるを得ない。
ここは街にあるファミレスの一角にあるテーブル席だ。
そろそろ寒さがやわらぎ、コートが要らない日も増えてきた。暗くなった空には相変わらず月と星が輝いている。
家族連れやカップルが夕食を楽しむ中、私達もそれに混ざって食事をとっていた。
追加でデザートを選んでいる彼女を見ながら思い出す。こうなったきっかけは何だっただろうか。
事の始まりは瑞鶴の様子がおかしいのに気付いた時だったと思う。
鎮守府の共有スペースで、私は瑞鶴に座学の指導として講義をしていた。普段は空いている会議室などで行うが、あいにく今日のこの時間帯はどこの会議室も使用中で空いていなかった。
講義が終わり立ち上がろうとすると、瑞鶴は私に何かを言いたそうに口を開いては閉じたりを繰り返したり、こちらをチラチラ見てきたりで落ち着かない。
どうしたのだろうか。講義の最後に質問があるか聞いた時は大丈夫と言っていたが。
「どうしたの? どこか分からない所でもあった?」
「っ、いや、それは大丈夫なんだけど……」
「……何か相談?」
「相談……というか何というか……」
何ともはっきりしない感じだ。彼女にしては珍しい。
それともここでは言いにくい事だろうか。
「……ここでは言いにくい事なのね。分かったわ。後でいつもの会議室で話しましょう」
「そういう訳じゃ……」
しかし彼女は一旦そこで止まると、何か考えた後に、
「いや、待った!! 相談ある! 加賀さんに相談ある! だけどここじゃ話しにくいから明日街まで付き合ってくれない!?」
どういう事だろうか。
会議室がダメで街ならば良いということは、瑞鶴の言う『ここ』とは鎮守府全体の事なのか。それは鎮守府内では絶対誰にも聞かれたくないという事か。
……………もし、脱走したいとかだったらどうしよう。
私の指導は厳しすぎただろうか。前に本人から優しい云々聞いた気がするが、いつの間にか私は調子にのって厳しくしてしまっていたのか。
いや、待て待て。それなら私には相談しな………瑞鶴の性格からして文句を言いに来るかもしれないが、そうだとしたら最初から脱走はしないし相談は鎮守府内でもいいはずだ。
なら生活面で問題が? イジメか? 実は私が見ていない所でイジメられたりしていたのか。イジメが辛くて逃げ出したいとか。
いやいや、うちの子達はそんな事しないはずだ。
他には身体面で何かあった? でも休みは定期的に取らせているし、脱走を考える前に明石に相談に行くだろうし。………もしかして、妊娠!? それなら脱走するのにも頷ける。いきなり妊娠なんかしたら鎮守府として問題になるし、監査なんかが来たりしてみんなに迷惑が掛かる。……相手は誰だ。提督か? それなら彼が辞任すれば責任は取れるが、誰とも知らない人とかだったら本気でまずい事になる。
…………違う、落ち着け私。もしそうなら、相談相手は私の前に姉の翔鶴だ。その後に翔鶴から私に相談が来るはず。だからこれはありえない。
そもそもまだ脱走かどうかなんて分からないじゃないか。
というか翔鶴ではなく私に相談するなんて、本気で内容が想像出来ない。いや、もう既に相談はしたが解決しなかったのかもしれない。
「…さん。加賀さん! おーい!」
「えっ? あ、あぁ街までね。良いわよ」
「どうしたの? 大丈夫?」
「……瑞鶴、何にせよ余り思い詰めないでね」
「うん? わ、分かった」
結局、待ち合わせの時間と場所を指定され、その日はそのまま別れてしまった。
ーーーーー
翌日、相談内容に戦々恐々としながら一睡も出来ずに待ち合わせ場所へ行くと、既に瑞鶴はそこで待っていた。
こちらに気が付くと、手を振りながら近づいて来る。
彼女の全体的に暗い色でまとめられた服はとてもかわいらしく似合っていて、思わず見惚れてしまった。
「加賀さん? どうしたの?」
瑞鶴は私の前に来ると不思議そうな顔でこちらを伺ってくる。
するとすぐにニヤニヤし出して悪戯っぽく言ってきた。
「分かった! 私がかわいくて見惚れてたんでしょ?」
図星を突かれ、思わず下を向いてしまう。
「……よく分かったわね」
言ってしまってから気付いた。
何言ってるんだ私は。テンパりすぎだろう。
今の私の顔は羞恥で赤くなっているに違いない。
恥ずかしくて思わず睨みつけると、瑞鶴も固まったまま顔を赤くしている。
「「……………」」
変な沈黙が続いてしまう。
ダメだ。昨日からどうも調子が悪い。
私は一度深呼吸して気持ちを落ち着けてから瑞鶴に問いかけた。
「それで、相談という事だったけど、どこか場所の宛てはあるの?」
「え、えーと、とりあえず街に行ってから考えようと思う」
「そう」
私と瑞鶴はとりあえず街を歩く事にした。
最初は座って話が出来る店を探していたが、途中から瑞鶴が雑貨を見たり服を選んだりし始めて、それに付き添って行く。私は猫のマグカップは恥ずかしいし、かわいい系の服は似合わないから遠慮したいのだが。
マグカップは2つセットだと安いからと言われてお揃いのを買ったが、いつ使えば良いのか。とりあえず赤城さんと翔鶴がいない所で使おう。
その後は完全に目的を履き違えたまま過ごし、気付くと流行りの映画を見たりしていた。
そして夜になり、今私達はファミレスで夕食を食べている。
瑞鶴は出てきたケーキを幸せそうに食べていて、思わず私も顔が緩んでしまう。
今日は楽しかった。
駆逐艦と一緒に遊ぶ事と妖精さんを見る事以外でこんなに楽しくて癒されたのは久しぶりだ。
そう思うと思わず笑みを浮かべてしまった。
瑞鶴が驚いたように顔を赤くしているのを見て、しまったと思った。やはりまだ調子が悪い。
私は誤魔化す様に問いかける。
「それで結局、相談は何だったの?」
「あー、それはその……」
瑞鶴は気まずそうにした後、また今度話す、と言って黙ってしまった。
まぁ、既に意外と遅い時間だし仕方ない。
また日を改めて相談を受ければ良いか。
「そう」
それに、また瑞鶴と出掛けるのも悪くない。
夜の空を2人で眺めながら、鎮守府に戻って来る。今夜は満月だから月がとても大きく見えた。
瑞鶴と別れる時、次はいつ時間が空いて出掛けられるか聞かれた。今日は出来なかった相談についてだろう。
正直言って仕事の量によるから分からない。今日はたまたま急ぎの仕事が少なかった。
それを伝えると瑞鶴は複雑そうな顔で言った。
「じゃあ、私も加賀さんの仕事手伝う。そうすれば、すぐにまた出掛けられるでしょ?」
彼女の言葉はありがたかったが、私は誰かを頼るつもりはない。それに彼女には自分の訓練を優先して欲しかった。
私は、手伝って欲しい事が出来たら言うわ、と返し瑞鶴と別れる。
しかし、今日は本当に楽しかった。
まだ残っている仕事を徹夜でする事も余り気にならない。2徹は久しぶりだ。
私は一瞬だけ後ろを振り返ると、執務室へ向かい報告書を作り始めた。