9話
意識が戻り最初に見た光景は、医務室の天井だった。
窓から光が差し込んでいる。窓際のベッドに寝かされているらしい。
その窓の反対側は仕切りのカーテンが掛かっていた。
ドックで目を覚ますと思っていたのだが、ここにいると言う事は何か異常があったのだろうか。
体を動かそうとするが、目以外はほとんど動かないし感覚もほぼない。声を出そうとしても乾いているのか、掠れた感じになってしまう。誰かが来るのを待つしかないか。
私は最後の記憶を思い出す。
深海棲艦の襲撃があって出撃し、1人で鎮守府に戻る際にル級と戦った。結局私では倒しきる事が出来ず、最後は陽炎と不知火の前で倒れたのだったか。現状を鑑みるに、彼女達は私を鎮守府まで運んでくれたのだろう。後で礼を言っておかなくては。
それにしても改めて思い知らされる。やはり私は戦闘で役に立たない。今回も皆に迷惑を掛けてしまった。特に第1艦隊には本来ならやらなくてもいい事をさせてしまっている。その中でも陽炎と不知火には私を止めて、鎮守府まで運ぶという力仕事までして貰った。本当に自分が嫌になる。
戦闘で役に立たないからこそ他の事で役に立とうとして来たが、それを抜きにしても今回のこれはあまりにも酷い。
ル級との戦いからどれくらいの時間が経ったのだろうか。今の姿勢で見れる範囲に時計は無いが、窓から差し込んで来る光の方向からして0900くらいだろう。昨日出撃したのが1100くらいだったから、ル級と戦ったのが1600くらいだとすると約17時間も寝ていた事になる。これはマズイ。急いで仕事をしなければ大変な事になってしまう。
時間的に援軍が来ているはずだから戦力的な心配はしていないが、執務に関しては別だ。食事の用意などは1日くらい各自でどうにか出来ると思うが、執務は1日しないと大変な事になる。
起きようとするが体が動かないので何も出来ない。仕方ないので誰か来るのを待って執務室に連れて行ってもらおう。
私は自力で動くのを諦めると、誰かが来るまでゆっくりする事にした。
外は砲撃音がしておらず、静かな時が流れている。時折楽しそうな声が聞こえるから、無事に深海棲艦の脅威は去ったという事か。
しばらくするとまた眠くなって来たが、誰かが来るまで寝ないように我慢する。
それにしても喉が渇いた。水が飲みたい。
皆は、彼女は、無事なのだろうか。
1人で考えていると、医務室に誰かが入って来た。
「そろそろ点滴の交換時間ですね」
声を聞く限り、明石が来たらしい。
私は掠れた声で彼女を呼ぶ。
「あ、かし」
「っ! 加賀さん! 気が付いたんですね! 」
彼女はカーテンをめくり私が気が付いた事を確認すると心配そうに聞いてきた。
「気分はどうですか? 痛いところないですか?」
「水を、ちょうだい」
「水ですね!今持って来ます!」
明石はすぐに水を用意すると、私を起こして飲ませてくれる。首も自分で動かせないのは辛い。喉に潤いが戻って来て、声の調子も良くなった。
「ありがとう。だいぶ楽になったわ」
「いえいえ、気分はどうですか?」
「あまり良くは無いわね。それより皆は無事なの?」
「無事です。大破以上は加賀さんだけです」
「そう、よかった」
私は胸に安堵感が広がるのを感じた。皆も彼女も無事らしい。
そして1番気になっていた事が分かれば、次に気になっている事に気持ちが行く。
「ところで執務室に連れて行ってくれる? 体が動かないし、どうも感覚があまりないのよ」
「いいですけど、何するんですか? 報告なら提督をここに呼びますよ?」
「急いで仕事をしないと」
「何言ってるんですか!? お願いですから寝ていてください!」
明石はそう言うと私をベッドに寝かせた。体が動かないのでそれに抗えず、横になった途端に強烈な眠気が襲って来る。まぶたが重い。
「ほら、もう限界じゃないですか。体が睡眠を要求しているんです、今は寝てください。続きは次に起きた時に聞きますから」
私は明石に何か言おうとしたが、眠気に負けてそのまま目を閉じた。
ーーーーー
次に私が目を覚ますと、窓から差し込んでくる光は夕焼けのオレンジ色に染まっていた。
ベッドのすぐ側には明石が居て何かをしており、彼女は私の視線に気付くと申し訳なさそうに聞いてくる。
「あ、すみません。起こしちゃいましたか?」
「いえ、大丈夫。今何時? かなり寝てしまったみたいね」
「ちょっと待ってくださいね。点滴の交換だけ先にやらせて下さい」
「私、点滴なんてしてるのね」
「そうですよ。毎回私が責任を持って交換しています。ところで気分はどうですか?」
「おかげでだいぶ良くなったわ」
「それは良かったです。体はどうです? 動きますか?」
少し力を入れてみると、まだまだ動きづらいが一部を除きなんとか動くようだ。感覚もだいぶ治ってきている。
「大丈夫みたいね。ただ右腕だけ違和感があるわ」
「………加賀さん、落ち着いて聞いて下さい。……残念ながら加賀さんの右腕は、まだ再生出来ていません」
「……………そう」
それは修復剤でも再生出来なかったという事だ。ごく稀にだが、長期的な疲労が抜けていない状態で負傷すると、修復剤の効きが悪くなるという報告がある。その場合、治りきっていない負傷箇所は普通の人間と同じように治療していかなければならない。
今回、右腕の再生は絶望的と見ていい。人間は失った腕が再生したりはしないからだ。
私は苦労して何とか右腕を上げてみるが、そこには包帯に巻かれた肘辺りまでだけがある。その先には何も無かった。ル級との戦闘中はあまり気にならなかったが、改めて見ると違和感があるな。
「加賀さん、気を落とさないでというのは無理かもしれません。でも諦めないで下さい。私達がいつか必ず治してみせます」
「………ありがとう。それなりに期待はしているわ」
「はい。それで今の時刻ですが、1705です」
「そう。そんなに寝ていたのね。そろそろ執務室に行かないと本格的にマズイわ」
「大丈夫ですよ。確かに最初はみんな死にそうでしたけど、最近は慣れて来ていますから」
「? どういう事? 執務は私の仕事です」
「? ああ、もしかして加賀さん、運ばれて来たの昨日だと思ってますか?」
「違うの?」
「違います。加賀さんが運ばれて来たのは35日前、1ヶ月以上前ですね」
「…………………へ?」
「修復剤での治療を試みた後はこちらで集中治療を受けてもらっています。詳しい説明を聞かれますか?」
「…………ええ、お願いするわ」
私は混乱する自分を落ち着ける意味も兼ねて明石に説明を頼んだ。
「まず、加賀さんが運び込まれた時ですね。気になるでしょうから少し前から説明します。第1艦隊が帰港中に打ち上げられた信号弾を発見、救援に向かうも会敵し中断、戦闘終了後に陽炎さんと不知火さんが先行し加賀さんを発見、大和さんがル級を撃破、陽炎さんと不知火さんが加賀さんを緊急搬送、ここまでで何かありますか?」
「……大丈夫よ」
「その後ですが、搬送後に加賀さんを緊急入渠、高速修復材が必要と判断し使用、5日間に渡り入渠を続けるも腹部と右腕の負傷箇所が完全には回復せず、医務室での集中治療に移行、外科手術と1日4回の点滴による投薬にて経過を観察、というのが大まかな流れです。そして今日は医務室に移行してから30日目ですね」
「…………そう」
「攻めて来た深海棲艦に関しては、加賀さんが搬送された2日後には掃討が完了しました。各鎮守府自体への被害もありません」
「………………そう」
「それ以外の執務などに関しては提督から詳しい説明があります」
「……………………」
「……大丈夫ですか?」
「………………ええ、大丈夫」
「……そうですか。ところで加賀さん、今回修復剤が効かなかった事と長期間に渡り目が覚めなかった事は長期間の疲労が原因です。何か心当たりはありますか?」
「……最近忙しくてあまり寝る時間が取れなかったからかしら」
「いつからです? 睡眠時間は?」
「間宮さんの出張が決まってからね。30分くらいよ」
「……それが原因の1つで間違いないです。他には?」
「特に思い浮かばないわ。でも元々あまり寝る方じゃないから、これが原因とするのは早計じゃない?」
「どう考えても睡眠不足が原因の1つであることは確かですよ。いつもどれくらい寝てるんですか」
「2、3時間かしらね」
「……もうそれしか考えられません」
「これくらい問題ありません」
「問題しかないです。……加賀さん、いつもそれしか寝られないくらい仕事があったんですか?」
「本当は効率良く処理したいのだけど、なかなかうまくいかなくて」
「あの人たちが死にそうになる訳です……。加賀さん、ちゃんと寝ないと疲労は回復しないんですよ? なんで周りを頼らなかったんですか? 少なくとも私がそれを知っていれば、絶対に工廠の仕事は手伝ってもらいませんでした」
「…………」
「加賀さんは私達が開発に時間を使える様に、毎日工廠の仕事を手伝ってくれてましたよね。もちろんそれは感謝しています」
「…………」
「加賀さん、今、私怒ってるんですよ」
「……悪かったわ」
「加賀さんにだけじゃありません。それに気付かなかった自分に対してもです」
「あなたは気付いたでしょう? 前に私に疲れていないか聞いて来た事があったじゃない」
「あの時は確信が持てませんでしたし、結局その後は気付かないままこうして加賀さんの疲れが溜まってしまいました」
「それはあなたのせいではありません。私が気付かれない様にしていたから……」
「だから私は加賀さんにも怒っているんです! どうしてそこまでして自分を追い詰めるんですか! どうして周りを頼らないんですか! 私は加賀さんなら自分で考えて体調管理くらい出来ていると思っていました。でも加賀さんは仕事優先で自分の事なんか全然考えてなかったわけですよ!」
「ご、ごめんなさい」
「修復剤の効きが悪かった時、私がどんな思いだったか分かりますか!? どんなに高速修復材を使っても、入渠時間を掛けても、どれだけやっても回復しなかったんです!! 1日に何回も鎮守府のみんなが私に加賀さんの容態を聞いてくるんです! 外科手術なんて本当に最後の手段なんですよ! 失敗すれば死ぬんです。私のせいで、加賀さんが、死んで、しまうと、思うと、手が、震えて……」
「……ごめんなさい」
「………すみま、せん。………熱くなりすぎました。本当は工廠の仕事を手伝ってくれたお礼を言わないといけないのに……。それに、疲労に気付かなかった私にも落ち度はあります。申し訳ありませんでした」
そう言って明石は泣いてた顔を隠す様にして頭を下げた。
彼女がこれほど感情的になるのは初めて見たし、正直意外だった。彼女は精神面が落ち着いているのに加えていつも冷静なので、怒るとしても静かに怒るタイプだからだ。それほど精神的に辛かったのか。
「………なんというか、私もこれからは気を付けるわ」
「……もぅ、それはやらない人の常套句ですよ。まあ今は良いです。簡単な検査の後に提督を呼びますから、来たら説明を受けてください」
私は明石から問診と簡単な検査を受け、右腕と疲労以外は大丈夫だろうと言われた。精密検査は明日以降にするそうだ。
提督はその後、すぐに医務室へ駆け込んで来た。
ーーーーー
窓の外は暗闇が支配していて何も見えない。今夜は月と星は出ていないようだ。
私は誰もいなくなった医務室のベッドの上で1人横になっている。
先ほど提督の説明を受けてから、私は呆然と天井を見つめる事しか出来なかった。
提督と会った時、彼はまず私に土下座をして来た。いきなりの完璧な土下座は私と明石を黙らせるには十分な物で、しばらく誰も声を発しなかった。
正気に戻った明石が提督に蹴りを入れ、ようやく話が出来る状況になり、提督がベッド脇の椅子に座り改めて謝罪をして来た。
彼曰く、私の仕事量を把握できておらず、それでも加賀さんなら大丈夫だろうと思い込んでいたらしい。それは私も自分から申告しなかったので別に良いのだが、他の子達はそう思わなかったようだ。今私の代わりに仕事をしている子達は、仕事量を見ると提督にキレてから散々説教をして、数人で仕事を回しているそうだ。これはアレだな、私の睡眠時間とかがバレたら私も怒られるパターンだな。
体調不良が見抜けなかった事に関しても謝罪されたが、明石でも見抜けない物を提督に見抜けるとは思わないので流しておいた。
私はそんな事よりも執務や雑務に関する事の方が重要だった。
現在私の代わりに働いているのは5人いるとの事だ。
秘書官を2人にしても全く仕事が終わらず、秘書官補佐をさらに2人付けて、大本営から大淀まで呼び寄せ、やっと回っている状態だそうだ。幾ら何でもそれはやり過ぎだろうと思ったが、最初はこれでも死にそうになっていたらしい。ちなみに間宮さんは私が搬送された翌日に帰って来て食堂に立っている。急いで帰るためにわざわざ飛空艇を出してもらったと聞いた。
そして最後に、私は提督と明石に無期限で一切の訓練と仕事を禁じられた。しばらく休息が必要との事だったが、私はそれに対して大きなショックを受けた。
2人が休めというのも分からなくはない。
今回修復材が効かなかった原因が疲労にある以上、休息を取るのは妥当な選択だと思う。
しかしそれはダメなのだ。
それはここに居る私の存在を否定してしまう様で我慢出来ない。
私は建造された当時、深海棲艦に対して劣勢なこの国とそれに属する鎮守府を見て、必死に戦う仲間を見て、そして欠陥がある自分を見て、思った事がある。
ーーーこの場所で役に立たない存在は必要とされていない。私はこの場所に居ていい存在ではないかもしれない。
しかし自分でそれに気付いた時は既に遅かった。
私はみんなと一緒に居たいと思ってしまっていた。この海でまた戦いたいと思ってしまっていたのだ。
私は、この場所に皆と居る事を望んでしまったのだ。
だから私は、誰かに必要とされたくて、自分の居場所を失いたくなくて、皆の役に立つように自分が出来る事は全てやってきた。
それでも結局、それらは自分がやらなくても他の誰かが出来る事で、今は私の代わりに誰かが全て行なっている。
私の存在を肯定していた唯一のものが無くなってしまう。
それが無くなったら、私はどうしてこの場所に居るのか。
私だけ何もしないまま、皆が戦っているのをただ見ていれば良いのだろうか。そんな存在がこの場所に居て良いわけがない。
もう私は要らないのか。
私の居場所を奪わないでくれ。
私は2人に仕事をすると言った。
もう私は大丈夫だ。これ以上休む必要はない。すぐに復帰出来る。腕がないから少しスピードは落ちるかもしれないが、その分時間を掛ければ良い。
しかし提督は首を縦には振らなかった。この鎮守府で一番上に立つ彼の命令には従わなければならない。
彼は私にすぐに忙しくなると言ったが、私にはその場凌ぎの慰めにしか聞こえなかった。
「…………………そう」
私はそれだけ返すと、退室していく提督を見送る事しか出来なかった。
ーーーーー
明石もいなくなった部屋で、私はただ呆然と天井を見ている。
ル級と対峙した時から薄々分かってはいたのだ。私はこのまま今まで通り鎮守府の生活へは戻れない。
そして1ヵ月以上寝て、提督から休息を言い渡された時に確信した。
私はもうこの場所に居てはいけない。
胸に大きな穴が空いた様な感覚と自身の不甲斐なさにどうしようもなくなり、気持ちが落ち込んでいくのが自分でも分かってしまう。
私はもう何も出来ないのだろうか。何か少しでも私に出来る事があるのではないか。他の加賀ならこんな時どうするのだろうか。
その時ふと思った。
そうだ、他の加賀だ。他の加賀ならこの鎮守府の大きな戦力になる。それは今後とても役に立つ事だろう。私が居なくなれば欠陥など無いちゃんとした加賀がこの鎮守府に着任するはずだ。
私が最後に出来る事は、私以外の加賀がこの鎮守府に着任出来るようにする事だ。
ーーー解体してもらおう。
どうせこんな体ではもう何も出来ない。秘書艦の仕事や艤装関係の仕事、鎮守府の補修も、もう満足に出来ないのだから。
軍属ではなく一般人としてひっそりと暮らそう。未練はあるが時間が解決してくれるはずだ。
私は天井を見ていた目を閉じて、着任してから今までの事を振り返った。
最初自分に欠陥があると分かった時はとても落ち込んだ。
今はもう引退した鳳翔さんに教えを乞い、なぜか下手に出てくる翔鶴に気後れし、陽炎と不知火の面倒を見て、実はバトルジャンキーな数人の子達に振り回されたりした。
人数が増えてきて私が出撃しなくなると、その後着任した私の欠陥を知らない子達に怖がられた事もあった。出撃しないのは戦闘力が高すぎて周りを巻き込むからだとか、目線だけで姫級を倒したとか、少し考えれば嘘だと分かるだろうに。古参メンバーがそれとなく私の事を伝えてフォローしてくれた時は本当に助かった。あの時は卯月が泣いて謝っても尻を叩き続けた。
明石や夕張の作った物が原因で鎮守府が大混乱に陥った事などは数え切れない程あった。
なんだかんだ言って、鎮守府に所属している艦娘とは全員となんらかの思い出がある。特に瑞鶴との時間はやけに鮮明に覚えている。
最後まで正規空母の加賀として戦えなかった事は残念だし、忙しくて大変な日々だったが、とても楽しかった。
もう寝ようと思った時、瞼の裏に瑞鶴の顔が浮かんでくる。
彼女とは喧嘩別れしたままだから次に会う時は少し気まずいな。もう会えないかもしれないが。
せめて基礎指導くらいは最後まで私がやりたかったなぁ。でも赤城さん達ならそれくらい任せても大丈夫なはずだ。一航戦の名は伊達ではない。私は伊達だけど。
もうすぐ彼女に会えなくなる事に胸を裂かれそうになりながら、ふと昔から繰り返し考えてきた事が頭をよぎる。
ーーー何故私は、他の加賀とは違ってしまったのだろうか。