きゃすたー(7mg)の雑多なネタ倉庫   作:きゃすたー(7mg)

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チラ裏に載ってたやつを移動しました。多分ロクに進まない


ISの何か

 20XX/08/24 19:22

 中央アジア タジキスタン東部 ランクール

 TF108(非公開部隊) サジタリウスチーム 北條彩夏 大尉

 

「はぁ」

 

 ため息と共に吐き出した紫煙が空に昇る。視界に入るものは澄み渡る晴れた夜空に瞬く星たちの輝きだけ。

 パミール高原、通称では“世界の屋根”とも呼ばれる場所だ。仰ぎ見る山々はどれも7000メートル級。ヒマラヤ山脈の西端に位置するこの高原の空気は冷たく、そしてとても澄んでいる。そんな中で吸う煙草というものは格別だ。

 

「また吸ってるの?」

「たまにはいいじゃないですか」

 

 不意にかけられた声に応えて振り向くと、小さなランプを手にした同じ年頃の少女が小さな灰皿を差し出して構えていた。

 とんとん、と灰を落として見せると、少女は不満げにその凛々しい顔を歪ませて言う。

 

「まったく、身体によくないよ」

「そうですね。でも精神(こころ)には良いものです」

「屁理屈だね」

 

 諦めたような素振りで灰皿をしまい、少女はその場にランプを置いて小さな岩の上に腰を下ろす。土気色の野戦服から出した長い金色の髪。澄んだ青空のような碧眼。整った顔立ちの、まだ少女の域から抜け出していない彼女はチョコレートをポケットから取り出してその封を開ける。

 肩を並べるように隣に腰掛け、果てしなく続く山脈へと眼を向ける。

 

「それで、マックからは何か?」

「所属不明のIS2機と交戦し、シルヴィアがこれを撃破した」

「なるほど。遂に反体制側もISを投入してきたというわけですか」

「……そう、そしてそれだけじゃない」

 

 重々しく開かれた彼女の口から、声が紡ぎだされる。

 じり、と音を立てた煙草。中央アジアを吹き抜ける荒涼とした夜の風が灰を夜空に舞い上げる。

 ふう、と吐き出した紫煙が揺らぐすぐ傍で、彼女は囁く。

 

「……目標(ターゲット)が見つかった」

「それは――――僥倖ですね」

「ああ。篠ノ乃束はパミール高原のカラクリ湖の周辺に潜んでいる可能性が高い」

「北に行けばキルギス、東に逃げればウイグル自治区……国境線を一跨ぎしてしまえば私達が手出しできなくなる。三十八計逃げるに如かず、というわけですか」

「だが反体制派が同行しているのは想像するに難くない。私たちの分隊だけじゃ最重要目標を捉えるのは至難だろう」

「篠ノ乃束は技術を提供し、テロリストは資金と資源を提供する。彼女自身は逃亡に必要な寝床と資金の確保程度の意識なのでしょうが、そのせいでどれだけの人命や文化遺産が失われているのか――彼女は理解しているんでしょうか?」

「理解しているならもうとっくの昔にインターポールの手配リストから消えてるさ」

「違いないですね」

 

 彼女が関与していたテロリストや反政府勢力が、未確認のISを戦線に投入してきたことが何度かある。私自身幾度かの交戦経験もあるし、いずれも現行の第三世代を凌駕するか匹敵する性能を持った機体ばかりだった。

 とはいえ、いくら高性能の機体でも操縦者は正規の訓練や教育を受けたわけではないから、いずれも私たちのような非正規部隊(ひかげもの)や国連の正規軍IS部隊によって撃破されている。

 

「ジョンたちと話し合わないといけませんね」

「私たちが入ってから2年、他の皆は4年をかけてここまで来たんだ。逃がすつもりなど毛頭ない」

「ええ、必ず見つけ出しましょう。エリー」

「このくだらない追いかけっこを終わらせてやろう。アヤカ」

 

 ぎり、と奥歯をかみ締めたエリーの瞳に強い意思が垣間見える。

 何が何でも、どのような手を使ってでも、例え自らの全てを賭してでも成し遂げるという意思が青い瞳の後ろで炎のように揺らめいている。

 そうだ。私だって同じだ。例えこの身が滅びようとも、必ず、成し遂げてみせる。

 

 同じ戦場に立ち、敵を殺し、友を殺されてきた私たちの願いは同じ。たった一つの想いを貫くためだけに、幾つもの戦友と敵の屍を踏み越えてここまで来たのだ。

 互いに取り合った手の温もり。血に濡れ、咎を背負い、それでも共に分かち合った一つの悲願を果たすべく私たちは寄り添いあった。

 

 その願いは、もうすぐそこ、手を伸ばせば掴めそうな所にまで辿り着いた。

 

第一話 Arrival

 

 篠ノ乃束という人物について尋ねられたとしたら、私はこう返すだろう。

 戦争犯罪人、扇動者、無責任な女。表現は違えど彼女を“悪”だと断ずることだろう。

 

 インフィニット・ストラトス。通称IS。篠ノ乃束博士の開発したマルチフォーム・スーツ。宇宙空間での活動を想定した、簡単に言えば“ちょースゴイ宇宙服作ったよ!”という具合だ。

 確かにスゴイものではある。何せあれだけの小型サイズで戦闘機の巡航速度と同等かそれ以上の速度で飛行し、ロクな装備も必要とせず超高高度や極低温化、極高温にさえ平然と耐えているのだから。おまけにパッシブ・イナーシャルキャンセラーだなんていうトンデモ機能まで持ち合わせている。

 とはいえ、そんなISにも欠点がある。“女性でしか操縦できない”という点が一つ。そして“生産台数が467機しかない”という点だ。機体数というよりかはその中核たるISコアの個数であるが。

 

 それでも世界はISをこぞって欲しがっている。アラスカ条約、IS操縦者育成特殊公立高等学校、モンド・グロッソ、世界中がISに染まっていく様を見てきた。

 中でも注目を浴びる切欠となった“白騎士事件”の後、世界はISに魅了されたと言って良い。

 日本に向かって核ミサイルが撃ちこまれたのだ。日本を射程内に収めた大陸間弾道弾(ICBM)や中距離弾道弾(IRBM)が何者かの手によって制御不能に陥り、そしてそれらは撃ち出された。

 しかしその全ては日本に着弾する前に破壊された。そう、たった一機のIS――篠ノ乃束が自ら紹介した機体、通称“白騎士”によって、その全てがだ。

 そしてその直後、未確認のISを迎撃した国連軍や各国の軍を無血で退けた白騎士は、衛星軌道に存在する監視衛星さえも破壊するという暴挙に出た。

 その様子は全世界に放映されていた。何せ日本という国家の消滅という未来を誰もが想像したのだから。そしてそれは現実にはならなかった。回避された。否定された。

 

 ――――と、誰もが信じ込んだ。

 

 そんなわけがあるか。“白騎士事件”は未だ終わってはいない。

 あの日から世界はISに憑かれたのだ。現行の兵器システムを遥かに上回る“ように見せられた”存在、インフィニットストラトスに。

 事件の捜査が進むにつれ、白騎士事件が博士自らの手による自作自演であるという疑惑が浮かび上がった。篠ノ乃束博士は天才であるかもしれないが、世界だって馬鹿の集まりだけではないのだから。

 インフィニットストラトスの開発者である篠ノ乃束は、真っ先に逃げた。遂には国際指名手配にまで及ぶほどだ。捕まえられるものなら捕まえてみろと言わんばかりに世界の各地で燻る反体制派勢力に自身の持つ技術をばら撒き、追っ手を撒いて来た。

 

 今の世界はISの開発と技術開拓に躍起になっている。そしてその裏でいくつものISコアが所在不明となっている。篠ノ乃束博士というIS開発の第一人者を我が物にするべく、幾度も軍が組織され、その度に取り逃がしている。手段を問わない国も国だが、篠ノ乃束も篠ノ乃束だ。逃げるためとはいえ、テロリストに自らの技術を片鱗とはいえ明け渡すなどという愚行をするなんて。

 おまけに“ISを扱えるのは女性だけ”という認識をすり替えて“女性だけの特権”やら“女性は男性よりも優れている”と風潮する輩まで現れる始末だ。

 そんなこんなで、世界は今混沌の前哨戦の様相を呈している。いくつもの具材が地球という鍋に詰め込まれ、不協和音を奏でている。これが煮詰まってぐちゃぐちゃに混ざり合って、しかし反発し合い、その果てに残るものは――――何なのか。

 

 白騎士事件は解決などしていない。彼奴が口火となって、世界は今火の勢いを増し、間も無く――そう遠くない未来に、暴発するだろう。

 

 ISは最強の兵器だとのたまうオンナが居る。――――最大稼動時間が十時間にも満たない兵器だというのに。

 

 ISにはいかなる攻撃も無力だと声高に叫ぶ学者が居る。――――絶対防御なんて容易く破られるというのに。

 

 ISを国防の中核に据えるべきだと提言する政治屋が居る。――――十機にも満たない数でどうやってこの広大な国を守るというのか。

 

 

 この程度は冷静に考えればわかることだ。だが世界の流れは現実としてIS主流論に流れていっているのだ。

 ISを専門として取り上げる雑誌が刊行され、ISを特集した番組が組まれ、ISを用いたエンターテイメントの真似事まで行われるようになった。これでは“犯罪者”篠ノ乃束を世界が容認してしまっているようなものだ。

 今も世界のどこかで篠ノ乃束は悠々と過ごしているのだろうか。せめてチームの皆が彼女を追い詰めて、辛酸を舐めさせてくれていればいいのだけど。

 

「どうだ彩夏? 久々の日本は」

 

 IS学園の外、学び舎にほど近いところに立ち並ぶ工場地帯。その埠頭の一角、自販機の前で紫煙をくゆらせていると、不意に物陰から声がかかる。

 夜も更け、初春の肌寒い風が頬を撫でる海辺に佇む自販機に硬貨を入れ、ホットコーヒーを押す。

 ピロリンという軽快な音と、ガシャンと響く重い音が、打ち寄せる潮騒の音に呑まれて消えていく。

 

「……緩い空気だなあ、とは思いました。それ以外は何も。カフェオレですよね」

「ありがとう。それにしても辛らつだな。お前の師匠とやらもお前を気にかけていたじゃないか」

「ナタリヤさん、IS学園(こんなとこ)に居ていいんですか? ()()()だったのでは?」

「なに、家族の門出なのだぞ。お前は我々のチームにとっては娘同然なのだから、代表して私が見送るくらいはしてもいいのではないか?」

 

 すう、と物陰から現れたのは小学生かと見紛う容姿に女物のスーツを着込んだ灰白色(かいはくしょく)の髪の女。懐は拳銃を収めるショルダーホルスターをつけているのか、やや膨らんでいる。前を開いたまま、旧ソビエト連邦軍の暗緑色のトレンチコートを羽織ったその姿は子どもらしさと大人の雰囲気のアンバランスさを醸し出している。

 

「それにしても、大きくなりおったな」

 

 じい、と彼女が向ける視線の先にあるものは私の胸だ。青と白を基調としたレーシングスーツ。技術進歩によって薄手ながらも寒さをシャットアウトし、最適な温度を保ってくれる優れものを着込んだ私の胸に視線が向けられてる。

 

「当たり前です。もう二年も一緒に居たんですから当然ですよ」

「そうだった。ああ、そうだ、二年前にお前を拉致してからもう二年だったか」

 

 感慨深げに彼女はコーヒーを口に含み、大気汚染で薄汚れた夜空を見上げる。

 そう、私は彼女……正確に言えば彼女達に拉致されたのだ。そうして彼女の率いるチームに宛がわれた、そう――――

 

 ――――篠ノ乃束抹殺部隊に。

 

 なまじIS適正が高く、そして織斑千冬と山田真耶という世界最強クラスのIS操縦者に師事していたがために、私は彼らの戦力として()()された。

 

 そこからは訓練と戦争。そして戦争に続く戦争の連続だった。親しくなった同僚のIS操縦者が死んでいく姿を目の当たりにし、父親や家族のように接してくれた部隊の人々が私の知らないところで散っていったことを嘆いたりもした。

 私は二年間を戦い抜いて、世界の裏側で繰り広げられる闘争と、篠ノ乃束のもたらした災厄と、彼女の作り上げた欺瞞を身に染みて実感したのだ。

 

 そして、私は除隊となった。銃を引く指が震え、人を殺す感触に慣れていたことに恐怖し、終にISの起動が精一杯になってしまった。だというのに私の師匠―織斑千冬(ブリュンヒルデ)―によって無理矢理IS学園に編入させられてしまった。

 とはいえ私はこの国においての最終学歴が中卒だ。例え軍に所属して大学院生相当の学問を叩き込まれていようとも、学校を卒業したという事実が無いからだ。故に日本でもその他の国でもない、ある意味では治外法権とさえ言えるこのIS学園に編入されることしか選択肢がなかったからでもある。

 

 あとは喋ってよいことと喋ってはならないことの線引きをきっちりとやればいい。そうすれば、私はこの先ある程度の平穏―ただし監視付きだがーを得られるだろう。

 

「おめでとう、彩夏。これで君は晴れて――とまではいかんが自由の身だ。君の戸籍は息を吹き返し、太陽の下を自由に闊歩することができるようになる。そして君の二年間は――」

「記憶喪失。何も知らず、何も特別なことは起こらなかった。何も知らないし、何も聞かされていない。ロシアのウラル山脈の山奥で老夫婦にひっそりと育てられていて、先日その二人が事故死したことで、政府関係者の調査が入りようやく私の生存が確認された――そうですね?」

「うむ。Совершенство(カンペキだ)

 

 彼女はロシア語でそう告げると、スチール製の空き缶を握りつぶしてゴミ箱へと投げ捨てる。

 トレンチコートの懐から取り出した両切り煙草を私の愛車のシートの上でトントンと叩く。機銃弾を改造したお手製のライターで火を灯すと、一息だけ深く吸い込んで紫煙をゆっくりと吐き出していく。

 

「いいバイクだ。ヤマハ製か?」

「ええ。400ccの最新モデルです。素直に言うことを聞いてくれる優しい子ですよ」

「違いない。トルクメニスタンで乗ったときのバイクは暴れ馬だったな」

 

 くつくつと思い出し笑いを浮かべる彼女は翠の双眸を細め、左手に持った小型のランプをカチカチと点滅させる。

 二三回ほど繰り返すと、それをポケットに仕舞い込み、吐き捨てた吸殻を革靴で踏み消して私に向き直る。

 

「それじゃお別れだ。お嬢ちゃん」

「今までお世話になりました、隊長」

「よせ。今まで何度母親代わりを務めたと思ってる。お前以外にも手のかかる娘っ子どもを見てきたが――最期に残ったのはお前だけだ」

「ありがとうございます……義母さん」

「ではな。さよならだ、我らの義娘よ」

 

 ざあ、という波音と共に小さな潜航艇が姿を現す。さながら潜水艦の縮小モデルとも言えるそれのハッチが開くと、彼女はトレンチコートを翻して走る勢いのままに護岸から潜航艇へと飛び移る。そしてその影は波間に揺れて消えていく。

 

 

 私の世界は消え去った。私の暮らしていた平穏な日々は、まるで砂の城のように白騎士事件の荒波に呑まれて姿を消した。

 

 父がその大きな背中でみんなを庇ってくれたのを覚えている。

 母が今にも息絶えそうな声で励ましてくれたのを覚えている。

 妹が私の手を引いて“逃げよう”と言ったことを覚えている。

 

 空の覇者が落ちてくる。覇者に射落とされた矢が落ちてくる。いくつもいくつもいくつもいくつも、空中で瓦礫の散弾に変わり果てて街に向かって落ちてくる。人が落ちて赤い花を咲かせ、ミサイルの破片が街を榴弾で焼いたように崩していく。

 プリンにスプーンを入れたようにクレーターが刻まれ、ビルやマンションは脆いチーズのように崩れ、人は為すすべなく命を散らしていく。

 

 私の中で曖昧なままだったもの……戦争という言葉が確かな現実味と恐怖を伴って刻み込まれた瞬間だった。

 

 私達を守ろうとした優しい父はひき肉のように鉄塊に潰され、どうにか私達を逃がそうとした母は瓦礫に埋まり、手を取り合った妹はミサイルの墜落の衝撃で吹き飛ばされて、首をおかしな方向に向けたまま体を痙攣させていた。

 右隣の霞さんの家はただのクレーターに変わり果て、一緒に遊んでいたスミカちゃんは百舌の早贄の如くその胸からむき出しになった鉄骨を生やして事切れていた。

 スミカちゃんのおじさんとおばさんは仲良しな夫婦だった。ケンカも滅多に無いし、いつも手を繋いでいた。そう、今わの際でさえも。

 向かいに住む早苗おばあちゃん。“私のおじいちゃんは大切な家族のために遠い異国で戦った”と8月15日を迎える度にそう言っていたおばあちゃん。最近足腰が痛いと言っていた御歳八十八のおばあちゃんは、燃え上がる戦闘機の影に消えていった。

 今時珍しい木造二階建ての安アパートに住む大学生のケンイチさん。あの日も元気に挨拶を交わし、“ちょっと京都いってくるわ”と言ってバイクに跨った。

 ヘルメットを被り、走り出そうとしたところで鳴り響いた警報。と同時に道路に突っ込んで落ちてきた戦闘機のタービンに吸い込まれ、赤いナニカが飛び散った。

 

 何故、私だけが生きている。何故? どうして? いったいなんのために?

 

 一人あの地獄(まち)をさ迷い歩き、ほうぼうの(てい)で辿り着いた山奥の一軒屋――――祖母の住む家は相変わらず無人のままだった。

 祖父は数年前に亡くなり、技術者であり研究者である祖母が家に居ないのはいつものことだ。知っているはずなのに、見知らぬ誰かに縋るよりも先に祖母を頼った。

 “もしかしたら居るのではないか”、“祖母がいるならひとりじゃない”という如何にも子どもらしい身勝手で独りよがりの……だけど子どもなら当然考えるだろう選択をし、それが叶わぬことだった事実に自分勝手に落胆し、唯一の家族と呼べる人の手を振り払った。

 

 何故、私は未だ生きている。後悔? 自暴自棄? 果たしてその真意とは?

 

 後見人として祖母の名は形だけが残り、孤児院では誰にも口を聞かずに軋轢を生むだけ。たらいまわし、転校、厄介払い……その果てがIS搭乗者養成施設“ローンウルブス”……ラテン語で“都市”を意味するウルブス(URBS)と、そこにかけたのは“(WOLVES)”、そして“孤高・孤独(LORN)”の文字。

 “孤独な狼たちの町”とでも言うのか、変わり者の多い施設だったのは覚えている。まさに問題児大集合とでも言うべき様相の、凄まじいまでの個性の集合体だった。

 

 鼻息を荒げた同性愛者の淑やかな少女(変態淑女)に“お姉さま”と言い寄られたり。

 グレネードランチャーやロケットなど爆発物に偏執的な愛情を注ぐ操縦者が居たり。

 引きこもりで無口な、たまに口をきけば毒を吐く口の悪い厨二気取りな学生(わたし)が居たり。

 機械部品の造型や図面を見て興奮する(変態的な意味で)女学生が居たり。

 スピード狂で常識が一回りしてそのまま螺旋を描いて飛び去ったような女が居たり。

 生身でIS用近接ブレードを容易く振り回す大学生の操縦者(ブリュンヒルデ)が寮の一室を間借りしていたり。

 アキュラシーインターナショナル製スナイパーライフルを用いた狙撃で3000メートルを連続成功させるドジっ子な(ただし私との対戦以外に限る)代表候補生(山田真耶)が居たり。

 

 他にもいろいろ居たが、突出して個性的だったのはこの7人だろうか。

 誰も彼もが自身の意思や意見を貫こうとし、それゆえにぶつかりあい罵りあい……だけどお互いに認め合うことができた人たちだった。ろくに人の話を聞かないあいつらはずかずかと人の心や事情に踏み込んできて、自らの心を吐き出すまで離そうとはしなかった。

 だけど本音を吐き出せば、彼女達はその上で許してくれる。認めてくれる。受け入れてくれる。彼女達は自らの意思に忠実なのだ。自らの意思を押し殺したままの私の言葉はそれゆえに彼女達に真の意味で届いてはいなかったのだと思う。

 家族と呼べる間柄では……なかったと思う。親友、とでも言うべきだろうか。肩を並べて笑いあう友達だ。

 彼女達は、孤高だった。孤独ではない。一人その足で確りと野に立つ、それぞれが孤高の狼だった。

 

 そして私は立ち直り、しかしその足で戦場に立つこととなったのだ。

 

 

 400ccの排気量を持つフルカウルの車体に跨る。女の私でも軽やかに扱えるもの、として選んだ愛車のスタンドを左足で蹴って畳み、キーを回してセルを押す。

 

 キュキュッ、というセルの音に続いてヴンッという排気音が響く。、

 車体を揺らすエンジンの鼓動。フルフェイスのヘルメットを被りグリップを握り締め、やや前傾の姿勢でしっかりと前を見据える。指はしっかりとハンドルとレバーにかけ、しかし肩に無駄な力を加えずリラックス。

 ゆっくりと発進して少し速度を上げ、クラッチを切ってシフトアップ。二速、三速、四速と変速のショックに気をつけつつスムーズにギアをあげて海沿いの道を駆け抜ける。

 

 左手を見ればそこは一面の暗黒。星の光さえ映さない漆黒の海が広がるばかり。海沿いの岸壁を刳り貫いて舗装されただけの普通のワインディングのはずなのに、どうしてか恐怖心が顔を覗かせる。

 

 もう一度、私はインフィニット・ストラトスに乗ることになる。

 

 引き金を引けるのだろうか。剣を向けることができるのだろうか。

 

 ――そして何のために銃を握るのだろうか。

 

 

 

 20XX/03/31 日本標準時02:35

 太平洋 日本国領海内 小笠原諸島沖

 TF108(非公開部隊) 司令官 ナタリヤ・ロマノフスカヤ中佐 (元ロシア連邦空挺軍 極東軍管区直轄部隊 第105親衛空挺師団)

 

「ナータ」

「なんだ、ミーシャ」

 

 我々TF108の本拠地、ミタール級戦略重ミサイル潜水巡洋艦латунь(ラトゥーニ)の艦内へ戻るなり、私はスーツを着替える暇もないまま彼女に自室に連れ込まれて膝枕をされている。

 美しいブロンドの髪と映画俳優さえも羨むスタイルを備えた美女。サファイアのように青い瞳は澄み渡る水底の如く深い光を湛えている。

 穏やかな笑顔を浮かべ、彼女は緩やかに口を開く。

 

「アヤカは、どうだった?」

「……別段どうということはない。我々の娘はさしたる違和感も無く日常に溶け込めるだろうよ。まだ彼女は引き返せるのさ。我々ほど戦争の泥沼に浸かっているわけではない」

「そっか」

 

 美しい黒真珠を溶かしたような黒髪の少女が瞼の裏に浮かび上がる。少し幼い見た目の少女が少しずつ大人へと変わっていく。少女だった体つきは大人のそれに、しかし線の細さはどこか扇情的な感じさえさせる未熟さを備えている。

 凛々しい顔つきの涼しげな表情と、それを感じさせない素直さを併せ持っていた彼女の最期の表情を思い出す。優しげな笑みを湛え、敬礼をする彼女――北條彩夏の姿を。

 

 不意にミーシャの手が私の頬を撫でる。そのままシャツのボタンへと手が伸びる。一つ、二つと外されるボタン。私の起伏の少ない胸――永遠に幼いままの身体が僅かに曝け出される。

 

「寂しいのだろう」

「……ええ、そうね……寂しいわ。どんなに傷ついても、どんなに悲しくても前に進んでいけるアヤカが羨ましい。だからこそあの子は強くなれたのかもしれない。それはわかってるのよ?

 だけど、あの子は私たちの手で育ってきた。剣を教え、銃を与え、技術を授けてきた。あの小さな戦士は私たちの手で育ってきたの。大切なあの子が離れていくのは、やっぱり辛いわ」

「母親というものの性……なのかね? 生憎と私はそういうものは感じなかったな。むしろ嬉しいくらいだ。私たちの娘はようやく平穏な世界に生きていくのだから。

 だから、喜べ。我らの戦いは彼女の記憶に残っている。我らの行いが無駄ではないことを彼女は理解している。彼女がきっと――――語り継いでくれる」

 

 そうだ。彼女は我々が戦ってきたことを知っている。例え今は語ることができなくとも、数十年先、半世紀先の未来において……我々という人間が存在したのだという証明を遺してくれることだろう。

 

「寂しいか」

「ええ」

 

 私の問いに、ミーシャは素直にそう告げる。彼女の手が再び動き出す。私の身体を求めて指先を這わせるたびにミーシャは切なげな声を押し殺したように口をつぐむ。

 

「ミーシャ」

「ナータ」

 

 彼女の顔が近づく。そっと触れ合うように差し出されるそれを受け入れ――

 

「発令所よりナタリア・ロマノフスカヤ中佐へ! 三十分後に発令所へと出頭せよ。繰り返す! ナタリア・ロマノフスカヤ中佐! 三十分後に発令所へと出頭せよ」

 

 ああ、まったく!

 

「すまないが、お預けらしい」

「もーっ、空気の読めない!」

「ではな」

「ちょっとナータ! もう一ヶ月もお預けなのよ!」

「知るか。鎮静剤を打たれたくなければ大人しくしていることだ」

 

 スーツの乱れを整え、将官用の個室のドアを開き通路へと踏み出す。後ろでわめく親友(ビッチ)の声を意識的にシャットアウトし、扉を閉める。

 

「…………何をしているのだ貴様ら」

「Да! 中佐殿をお迎えに参りました!」

「正直に、答えろ」

「YES.Ma’am! 中佐殿と少佐殿のお楽しみを邪魔する愚か者を排除すべく警護しておりました!」

「……で、本音は?」

 

 二人の兵士は敬礼をしたまま至福の笑みを浮かべて答える。

 

「中佐殿と少佐殿のキャットファイトが見られると聞いて!」

「ちっちゃカッコイイ中佐殿と激カワ少佐殿のくんずほぐれつとかはかどるわー!」

 

 みしっ、という軋む音が艦内の通路へ響く。右手を開き再び握る。ボキ、ボキと右の拳から鳴る音に、眼前の二人は笑顔のまま脂汗を垂らしまくっている。

 

「で、ピョートル伍長は祖国の土に還る覚悟はできたか? ソヴィエトの曽祖父や高祖父に懺悔する内容は考えたか? シベリアで朽ち果てた同志たちに殴り殺される覚悟はできたか?

 ジョナサン伍長はノルマンディーやバトル・オブ・バルジで斃れ伏した先祖たちに詫びる言葉を選んだか? ああ、別に言わずともよい。なぜなら――」

 

「なあジョニー。これって――」

「皆まで言うな、ピョートル」

 

「――答えは聞いて無いッ!」

 

 抉りこむように捻りを加えた左フックがジョニーのシンボル(ゾウさん)を、ボという効果音と共に捉える。

 その勢いのままワンツーを決める流れで右拳のアッパーがピョートルの“ラスプーチンさん(ごりっぱさま)”を押し潰すように変形させる。

 

「アッー!」

「ヌウゥゥゥゥーンッ!」

 

「ジョナサン伍長、サジタリウスチームとアリエスチームを召集しろ。ピョートル伍長は尉官に召集をかけろ。共に五時間後に第二会議室集合だ」

 

 さて篠ノ乃束よ、今度はどこに現れたのだね?

 

 

第二話 

 

 

 入学式。それは一般的に言えば、きっと新しい出会いと青春に心を躍らせる一つの節目といえるイベントであるだろう。

 校門の前の桜並木が薄桃色の花弁を舞い散らせ、祝福する洗礼のようにその下を歩いて新たな学び舎へと踏み入れる瞬間に歓喜するものなのだろう。

 

 そう、一般的なヒトであるならば。

 

「ああ……痛い…痛すぎる……」

 

 学園の一年生が集合した入学式典を終え、それぞれが己の割り振られたクラスで席に着いて担任する教師を待っている時間は平和なものだった。

 ショートカットの快活少女である隣の席の相川さんや赤いカチューシャの眼鏡っ娘の岸原さん、独特な喋り口調の布仏(のほとけ)(愛称はのほほんさん)さんらと他愛の無いおしゃべりで時間が過ぎた。

 どこの出身とか、どんな小学校に通っていたかとか、初恋は誰だったかとか、年相応の少女らしいおしゃべりが続く。

 

 そして担任の教師が教室内に一歩踏み入れた瞬間に私の胃は、キリ……、と僅かな痛みを発した。

 その原因は今教壇に立つ二人のせいだ。一人は黒いスーツをビシッと着こなしたやや目つきの鋭い女性。シースから抜き放たれたナイフのような気配を持つ、どこかナタリヤ中佐を思わせる雰囲気を放っている。

 片やその隣に並ぶ女性は、隣に立つ黒髪の凛々しい表情をした女性とは対照的だ。

 緑のショートカットカットの髪とやや大きめの眼鏡。背丈は隣の女性の肩ほどしかなく、童顔なせいもあってさらに幼く見える。

 

「私がクラス1-1を担任する。織斑千冬だ」

「副担任の山田真耶です。よろしくお願いします」

 

 なんで私の保護責任者兼身柄引受人(そんざいしょうめい)の二人がここに居るのだろうか。

 確かに小学生高学年のころから織斑先生と山田先生(当時はどちらも学生だったが)にはお世話になっていた。ある事件によって祖母以外に身内などおらず、その祖母も学会や研究機関での仕事のためにまず自宅に帰ってくることがない。そのため私の身内同然に親しくしてくれたのがこの二人。

 IS適正が発覚してからではあるものの、師弟であり、姉妹のような関係だ。

 

 普段はIS操縦者育成機関(IS学園とは別で日本国の保有する施設)でトレーニングや仕事に励む織斑先生と当時高校生であった山田先生の二人と、同じ寮で生活してきた。

 未来の国家代表候補生はもちろん、同い年の新人操縦者までが集う施設で、私も指導を受けて育ったのだ。中佐によって拉致されるまでは、の話だが。

 孤児院としての役目もあったことから、身寄りの無い私たちは自然とお互いに支えあった。

 父や母が居ない寂しさを紛らわし、兄弟姉妹を失った悲しみを癒し、この先の未来を生きていく力を身に付けるために。

 

 手前味噌な言い方ではあるけれど、私はその施設内でもトップを争うだけの実力があったのは確かだ。最期に戦ったときには姉さん―山田真耶―を相手に相打ちだったのを覚えている。次こそは勝つ、と心に決め、その晩に私は戦争に身を投じるはめになった。

 おそらくナタリヤ中佐の言うところの()()というのは、優れた実力を秘めた若い操縦者を選別した上で行われるのだろう。事実として私以外にあの施設から引っ張ってこられた子はいなかった。

 

 腹から沸き起こる痛みは周囲から沸き起こる大歓声さえ忘れさせている。私の頭の中にあるのはただキリキリと悲鳴をあげる胃を案ずる意思と、“早く終われ”という切実な願いだけだ。

 

 自己紹介中のハプニング? 生憎だが私は何も覚えていない。唯一の男性操縦者とかどうでもいい。この腹痛さえ消え去ればそれでいい。

 

「――以上だ。それと、北條彩夏」

 

 まったく以って不愉快だ。胃の痛みが治まらない。きっと何か悪いことの前兆なのだろう。

 

「顔を上げろこの愚妹!」

「いたっ!」

 

 ゴッ、と尖った鋭利なモノが脳天を揺らす衝撃に目の前が真っ白になる。

 

「起きたか?」

「……はい」

「まったく、考え込むのはいいが休憩時間にやることだ。私の話は須らく耳を澄ませるようにしろ」

「はい、先生」

「よろしい」

 

 背を向けて壇上に向かう先生の後姿はどこかあの中佐に似ている。いや、背格好や髪の質感や色はまったくもって似ていないが、長い髪を背中で一まとめに束ね、スーツをきっちりと着こなした大人のオンナという雰囲気は瓜二つだ。

 

「さて、北條彩夏……お前には一週間後に適格者試験を受けてもらう。ブランクがあろうがなかろうが関係なくやってもらう。これはお前の実力の確認のためだ」

「試験、ですか」

「そうだ。お前は二年のブランクがあるのだから、実力の再確認というものは重要だ。これの成果如何によってお前の今後の扱いが変わる重要な試験だ。万全を以って事に当たれ。

 以上だ、二限目のチャイムまでは休憩時間とし教室内に限り静かに立ち歩くことを許可する」

 

 そう告げて先生たちは教室を後にする。しばらくしてぽつぽつと会話が生まれ、それが教室の全体に行き渡ったころ、私の正面に座っていた布仏さん――のほほんさんが私に向き直って尋ねてくる。

 

「ねえねえ、あーや」

「……それ、私のニックネームですか?」

「だよ~。それにしても、適格者試験ってなんなの?」

「元々私が操縦者育成機関の出身だからです。……二年以上も前の話ですけど。そのとき指導してくれたのが織斑先生と山田先生の二人です。

 おそらく、私の腕が鈍ってないか確認するということなんだと思います」

「はえぇ……そんなに強かったの?」

「流石に次期代表候補には勝てなかったですよ」

 

 そう、勝てていない。もちろん負けてもいない。真耶姉さんの土壇場での起死回生は毎度ながら奇跡(ミラクル)染みた……むしろ呪いではないかと思えるほどの幸運が起こる。

 真耶姉さんがあてずっぽうで撃った弾が私の持っていたグレネードに直撃して大爆発したりとか、私がブレードで斬りかかった瞬間に後退しようとした真耶姉さんがすっ転んで空振りとか、切り払ったナイフが宙を舞って自由落下してきて私のISに直撃するとか。

 

 幸運は英雄に必須のステータスとは言うけれど、あの恵まれ方は異常だと思うのは私だけではないと思う。

 

「おおー、じゃあ代表候補生なら勝てるっぽいかも?」

「どうでしょう。二年もブランクがありますし」

 

 操縦技術だけなら、引けを取らない自信はある。だが銃を手にすることができるだろうか。引き金を引くことができるのだろうか。たとえどんなに扱いが上手かろうと、引き金を引くべきときに引けないのでは意味が無いのだから。

 

 …………訓練、しておくべきなんだろうなぁ。

 

 

 どこか上の空な気分で窓の外を眺めていると、青い空を流れていく雲が目に留まる。自由で囚われないあの雲のように、のびのびと生きてみたい。高速道路を自分の思うがままにバイクに跨ってどこまでも走り抜けたい。このIS学園という檻を飛び出して自由に駆け回りたい。

 

 それはある種の逃避でもあり、また憧憬でもある。

 

「信じられませんわ!」

 

 キーンと耳を貫くわざとらしい大声に僅かな苛立ちを覚えたのは私だけではないだろう。

 声のするほうへと視線を向けるとそこには唯一の男性操縦者と英国の代表候補生の姿があった。

 

「ところで代表候補生ってなんだ?」

 

 ドリフも真っ青な勢いでクラス中の生徒がズッコケる。ある者は頭から床に崩れ落ち、足を滑らせたように流れるような所作で背中から倒れ込む者もいる。椅子に座っていた人たちは器用なことに椅子ごと転倒する始末。

 

 かく言う私はこの男性操縦者の思考が理解できずにいた。この男は本当に高校生なのだろうか。まさか幼児退行でも引き起こしているんではなかろうかとか、非常に申し訳ない考えさえ脳裏を過った。

 だいひょうこうほせい――およそ一般的な高校生ならばその発音を正しく理解し、紙に漢字で書いてみればおおよその意味合いくらいは理解できると思うのだが。

 代表候補生――つまり“代表”の“候補”の“生”=“人物”となるわけだ。漢字はいずれも常用漢字であり小学生で既に修学した範囲内のものばかりだ。ま、まさか私が気づいていないだけで、日本人の国語力というものはかつての“一般的”なレベルを既に大幅に下回っているのだろうか。

 

「そ、そうっ! エリート! エリートなのですわ!」

 

 いつの間にか復活した代表候補生の彼女は声高に自らの“選民思想”を誇示しているが、おそらくあの常識知らずの目の前の男には馬耳東風どころか“へーすげー”くらいな感覚でしかないだろう。

 どっちもどっちでまるでガキの喧嘩のようだ。目も当てられない。

 

「そう……そりゃラッキーだ」

 

 ほらね。興味の無いことにはとんと無頓着な人間というのはこういうものだ。

 と、すったもんだの末にどうにか一日目の授業は終わっていく。

 突発的な戦闘や自爆テロだなんかよりもよほど胃に堪える。必読の参考書を捨てるとかよく今までの学生生活で支障をきたさなかったものだと感心しそうだ。

 

 

「まさか一年生が入学式当日、それも放課後すぐからISの使用申請を出してくるなんて初めてですよ」

「山田先生、すみません。お忙しいところをお引止めしてしまって……」

「いいんですよ。彩夏ちゃんだってIS学園の生徒なんですから、そんなに堅苦しくしなくたってすぐみんなと仲良くなれますから」

 

 IS学園の第四アリーナの管理人室。一台のPCの前に座ってキーを打つ真耶姉さんの横顔。私が知る二年前と変わらぬニコニコとした笑み。しかしどこか大人びた印象を感じるようになってしまったその笑み。

 たったそれだけなのに、二年という歳月が過ぎ去った実感が去来する。失くしてしまった時間。生き残るために強くなることが必然であった時間。死に物狂いで戦い、力を求め……それを繰り返してもう二年も過ぎ去っていた。

 

 果たして自分自身に“強くなれたか”と問うたならば、その答えはきっと“是”と返ってくることは確かだろう。

 競技者では教えてくれない技術を飲み込み、見栄えも何も無い、ただ戦いに勝利し生き延びる術を学んできた。自身の感情を制御し、感覚を統御し、意志でもって武を振るうことを彼らに、TF108の先達から叩き込まれてきた。

 

 生身での戦闘技術。自然に溶け込んでの潜伏と偵察技術。ISを用いての実戦の経験。そして、人の命を奪う経験を。

 

 私たちの、TF108の戦いは黒塗りされた書面の上で、その名前が見えることも明かされることもなく、ただただ闇から闇へと消えていく戦いだ。

 その軌跡は何十年、そして百年と、機密として封じられたまま闇に消えていくのだ。その中から這い上がって生き延びることができた私は、きっと幸運なほうだろう。

 

 けれど私は果たして戻れるんだろうか。こんな壊れかけの私が、平穏な日常というものに馴染めるのだろうか。

 

「はい……これで申請完了、と」

 

 山田真耶―私の大事な真耶姉さん―は自らのIDカードをスキャナに翳すとそれを懐にしまって席を立つ。

 その身長は低い。二年前には同じだったはずなのに、真耶姉さんの目線は今や私より握りこぶし二つ分はあろうところになっている。

 

「彩夏ちゃん、おっきくなっちゃったね」

「そう、ですね」

 

 言葉にでも出ていたのだろうか。いや、そんなはずはない。だけど突然そんな風に核心を突かれたら流石にドキッとしてしまう。

 

「おかえりなさい」

 

 ふわり、と優しく引かれた私の肩。背中にまわされた細い腕。密着してくる二つのエベレスト。甘くて優しい、姉さんの囁き。

 小さくてドジなところが心配になってしまう姉だった。けれど思い悩んでいることがあると、姉さんはいつも穏やかに優しく気遣ってくれた。

 

 私は大きくなった。

  ――変わってしまった。

 

 私は人を殺めてきた。

  ――変わらざるをえなかった。

 

 だけど、そんな私でも…………真耶姉さんは私を変わらず受け入れてくれるだろうか。

 己の行ってきたことを伝えることさえできない卑怯者の私を、受け入れてくれるのか。

 

 “ただいま”という言葉さえ紡げないこんな私を――。

 

 

 

 20XX/03/31 日本標準時07:40

 太平洋公海上 ミタール級戦略重ミサイル潜水巡洋艦латунь艦内

 TF108(非公開部隊) 司令官 ナタリヤ・ロマノフスカヤ中佐 (元ロシア連邦空挺軍 極東軍管区直轄部隊 第105親衛空挺師団)

 

「これより我々はIS学園に潜入する」

 

 会議室内に揃った2チーム。その面々を見て結論だけをまず告げる。

 彼女たちは別段気にした様子もなく、淡々とした表情で耳を澄ませている。

 

「篠ノ乃束が出現する可能性のある候補地として、日本国内IS学園が挙がった。“何ゆえに”と思うかもしれんが、まあ簡単な話だ。篠ノ乃箒――アレの妹がIS学園に入学した」

 

 僅かに表情をしかめた者も数名居るが、他はさしたる変化もなく次の言葉を待つだけだ。

 もう少し怒りを見せるものかと思っていたが、存外に彼女たちは冷静さを保ったままだ。少なくともここに居る者たちは篠ノ乃束に対する何かしらを抱えているというのに。

 

「今まで保護……されていたらしい彼女がIS学園に入学する。まあ、日本政府からすれば面倒この上ない、という認識だろうがな。しかし我々が楽に手出しできる場所に来てくれたことは喜ばしいことだ。今までは上の指示で日本に対する干渉は禁じられていたからな。

 篠ノ乃束という存在にとってどの程度の価値があるかは知らんが、狂人や変人の類はヒトにしろモノにしろ、何かしらの偏執的な情愛を注ぐ対象が一つくらいはあるものだ。行為や結果によって絶頂感に浸るためであったり、自らの置かれる境遇やヒトから向けられる賛辞や同情であったり、まあ様々ではあるがな。

 篠ノ乃束に関する情報収集の一環として、篠ノ乃箒を監視する必要がある。何かしらの行動を篠ノ乃箒に対してとってくれれば尚良いのだが、あれは意外と周到かつ慎重なところがある。篠ノ乃束が行動を起こさない場合には、篠ノ乃箒からヤツの行動傾向や嗜好などを聞き出すようにするとしよう。これまでで何か質問はあるか?」

「中佐、よろしいでしょうか」

「なんだね、ダグラス大尉」

 

 小麦色に焼けた褐色の肌。スキンヘッド。がっしりとした体躯に見合う強靭な筋肉。鋭い眼光を放つ大男が手を上げて少女のような見た目の上官に対して問いかける。

 

「IS学園、となると原則的に女性のみが入学できる場所です。サジタリウスチームは条件を満たしてはいますが、何故我々アリエスチームまで?

 それに彼女達全員を潜入させた場合ジェミニチーム以外にISを運用できる隊が存在しなくなります」

「そうだな。確かにそうなる。サジタリウスチームを投入する理由としては二つ。篠ノ乃箒に干渉したことを知った篠ノ乃束がこちらに対して仕掛けてくる場合の対処。そして二つ目には史上初の男性操縦者、織斑一夏だ。

 織斑千冬の弟であり、歴史上に名を残すことになってしまった男性操縦者。そしてその幼馴染である篠ノ乃箒。彼女の姉である篠ノ乃束と織斑千冬は高校時代の同級生ときた。これまでの調査で既に知れていることではあるが、これだけの因果関係があのIS学園に揃っているという時点で、何かしらが起こるだろうことは容易く予想できる」

「なるほど。念には念を、ですね」

「そうだ。アリエスチームはIS学園近郊の都市部に潜伏し、IS学園に関する情報収集と衛星からの監視、及びサジタリウスチームの支援に回ってもらう」

「で、我々はいかが致しますか中佐?」

 

 先のはっちゃけ(ビッチ)ぶりはどこへやらという真剣な瞳でミーシャ・ポーレット・ウィンチェスターは愛用のインフィニット・ストラトス――Pale(ペイル)wail(ウェイル)の待機形態である万年筆を指先で玩びながら尋ねてくる。

 

「ミーシャ大尉たちには表の顔で出てもらう。国連から派遣された任務に忠実なIS査察官チームとしてな」

「了解。そういえばあの学園って更識という諜報部が監視しているのでは?」

「そうだ。だが更識は我々を迎え入れる。そうするしかないからな。実力が確かなものだといってもたかだか一国の諜報組織の権限では国連の勧告を突っぱねることなどできんさ」

 

 治外法権同然のIS学園ではあるが出資元や後ろ盾も無しには大掛かりな組織というものは基本的に成り立たない。IS学園の出資元と言えば土地を提供している日本国はもちろんとして、IS委員会所属の各国だ。そして委員会は国連の下部組織でもある。ならばIS委員会を介しての勧告や査察も、国連の本部からの指示として実行可能なのは当然だ。

 そして何より査察官としての名は紛れも無い本物なのであるから断ることなどできやしない。とはいえその肩書きを持つのはサジタリウスチームと私くらいなものだが。

 

「タートル・ベイに苦情が届くかもしれませんね」

「仕方なかろう。大将……総長殿に頑張ってもらうしかない。査察官チームはともかくとして、TF108は非公式部隊だ。国連が独自に組織した抹殺部隊など、今のご時勢とやらに照らし合わすと世間一般からすれば敵でしかないからな」

「でしょうね」

 

 くく、と噛み殺したような笑みを浮かべた彼女は手にしていた万年筆(IS)を士官用のコートの内ポケットにしまいこむ。

 

「大まかな内容は以上だ。部隊長、副隊長は十分後にこのままミッションプランの策定に入る。他の者は作戦に向けて備えろ。追って内容を伝えよう。では解散」

 

 

第三話 空へ

 

 

 20XX/04/01 日本標準時16:13

 日本国領内 IS学園 第四アリーナ内ピット

 北條彩香 (IS学園1-1所属)

 

 ピットに座する鋼色の機体を前にしてみると思わずため息が出る。

 テンションだだ下がり。期待外れもいいところ。何が悲しくて主兵装が実体剣(しかも両手持ち)の機体ばかりがずらりと並んでいるのだろうか。

 世界各国の様々なISが見られるのではないか、実際に乗って空を飛びまわることができるのではないかという私のささやかな願いは砕け散って潮騒の香りに溶け込むように薄れていく。

 いや、私がきっとIS学園というネームバリューに期待を寄せすぎていただけなのかもしれない。IS学園の敷地や運営資金の出資者がどこの国だったのかを考えれば自ずと気づいていることじゃないか。

 

 第二世代量産機、打鉄。堅牢さと安定性の高さは特筆すべき点。しかし、やはりというべきか――私見ではあるが――様々な点で難がある。

 何故使用者に高い技量を求める日本刀の形状をしているのか、というのがまず私がツッコミを入れたい点である。地上で振るうならまだしも、足場も何もない空中で闇雲に振ったところでまともな威力が発揮できるわけがない。ただ、それをやってのける一部の例外(バケモノ)も居るには居るが。

 やはり使うなら出の早いレーザーブレードだ。重量はレーザーを形成する発振機だけで済むし、何より嵩張らないのだ。エネルギーは少々喰うものの、あんな日本刀(ダンベル)を持ったまま右に左にと機動を行うほうがエネルギーを食ってしまう。振るう分には消費せずとも、空中戦が専らであるインフィニット・ストラトスなのだから、デッドウェイトになるものなら捨ててしまうべきだ。

 そしてツッコミを入れたい点その2。室内や通路などの閉所であんな日本刀(デカブツ)を十全に取り回せるわけがない。壁や天井にひっかかりでもすればそれこそ相手から手痛いカウンターを貰う破目になる。

 その点レーザーブレードであれば小型で済むし、何より実体が無いのでサイズ調整で振りやすいサイズを維持することだってできる。威力ももちろん折紙つき。形状やサイズ次第では仕込み武器のようにも使える便利なレーザー兵器なのだ。実体剣の利点といえば頑丈であるということくらいか。

 ともあれ私からすればという注釈がつくのだが、近接戦闘が主体のくせに、牽制用のマシンガンやハンドガンさえ基本装備(デフォルト)ではなく、ミサイルのような火器も無く、両手持ちの日本刀が主兵装の、防御力が高い機体、という結論で締めくくることになる。これでどうやって戦場で他のISと渡り合えと言うのだろうか。せめて高機動性くらいは欲しいものだが。

 

 いや、いやいやよく考えればIS学園は“兵器としてのIS”ではなくあくまで“宇宙服としてのIS”について学ぶ場所だと(建前の上でだろうけれど)公示されていたはずだ。打鉄がモンド・グロッソのような競技用に使用されるISだと考えればどうだろう。

 相手はルールに縛られて一定の高度と範囲から外に出ることができない。その上舞台によっては地上戦も強いられることになる。つまり相手の得意な領域外から一方的な攻撃を与えるという戦局はそうそう生まれなくなる。

 その状況下で打鉄を使うならばどうだろうか。堅牢さは言わずもがな。接近すれば一太刀のカウンターや、装甲に物を言わせた突撃もありうる。一応は射撃武器も使えるわけだから完全に後手後手に回るということもない。地上戦なら他のISよりも安定感のある機体だから、不意をついた各種の瞬時加速(ブースト)を絡めて接近できればワンチャン……もしかして意外といける?

 

 打鉄は競技用の機体としては十分なものを持っていると言えるのかもしれない。

 狙って作ったのならまさに慧眼。そうでないならただの暗愚でしかないが。

 

 と、日本国の誇る打鉄について考えたわけだが乗る気にはならない。なぜなら見つけてしまったからだ。フランス製第二世代量産機ラファール・リヴァイヴを。

 意気揚々と始まるステータスチェック。機体性能の諸元と武装構成画面とを交互ににらめっこしながらイメージを固めていく。

 第二世代型の中でも早い段階でロールアウトしたラファールの後期改良型であるラファール・リヴァイヴ。その性能において特に秀でた面は万能性と扱いやすさだ。

 マルチロールファイターとでも言うべきその機体は、そこそこ重量のある武装も不足なく扱えるパワーアシストと、遠距離のIS用マシンガンの弾程度は弾ける装甲と、高機動機には及ばないがそれなり以上の機動性を持った機体だ。要するに特化したわけではないが弱点らしい弱点も見当たらない。

 使い方を知らない搭乗者であると悪く言えば器用貧乏で終わるだろう。しかしラファールの強みを十分理解した搭乗者ならば第三世代機を撃破することも容易い。総数にして二十以上もの武装や装備を量子変換して格納する大容量のスロットから繰り出される、絶え間なく放たれる砲火による面制圧の脅威。必要ならばブレードやフレア、アンカーだろうがガトリングガンだろうが放り込んでおける上に、高機動戦闘や砲戦、偵察、隠密に特化した武装群を丸ごとパッケージ化して投げ込んでおき、いざというときにはその場で装備を変換してまったく違う戦闘スタイルに切り替えることさえ可能なのだ。

 

 というわけで武装を突っ込んでいく。初期装備としてまず選ぶのは中距離から近距離を主眼に置いた射撃戦機だ。

 右手に河崎重工製の高精度・高初速を誇る中距離ライフル“KAKO”、左手にはドイツのロート・フランメ社の発射レートの高さと精度と射程を両立した突撃銃(アサルトライフル)であるRF-101Aを選択。どちらも競技用とは名ばかりで軍用ISにも採用されている実戦用の火器だ。

 予備にガラハド・アームズ社製の軽量ハンドガンを二丁。これだけあれば十分に事足りるだろう。

 

 他の装備は必要ない。今から行うのは肩慣らし程度の簡単な機動と射撃をするだけの練習用プログラムでしかない。

 

 機体の準備が整う間に学園側から支給されたISスーツに着替えたものの、どうにも動きづらい。露出はそれほどではないけれど、なんとも気恥ずかしい。

 身体のラインはくっきりと浮かんでいるし、どうにも胸は窮屈だ。動かしにくいということはないのだけれど、やはり今まで使ってきた全身装甲(フルスキン)型のIS専用のものに比べるとどうしても心もとなく感じてしまう。

 

 とにかく今はそれは捨て置こう。まずは自分の今の実力の確認を済ませなければ。

 深緑のカラーリングが鈍い輝きを放つラファール・リヴァイヴを身に纏う。手足のユニットを装着すると腰のアーマーと背中のユニットが展開して固定される。そこから伸びる二枚一対のウイング、そして二枚のシールド。ぶっちゃけ二枚もいらないのだけれど、基本装備の仕様なので仕方が無い。

 パイル装備も素晴らしいが、私の得意な領域はあくまで射撃戦だ。弾切れになってやむなくシールドで体当たりなんかを喰らわせたこともあったけれど、あんなものはその場しのぎの奇策でしかない。

 

「山田先生、準備できました。いつでも構いません」

『はい、それじゃあカタパルトに移動してください』

「了解」

 

 カタパルトに脚部を固定し、前方を見据える。今はまだ閉じられた鋼鉄の隔壁のその先へ、早く飛び立ちたいという想いが募りゆく。だが焦りはだめだ。逸る心を押さえつけ、グリーンのランプが灯る瞬間をただ待ちわびるだけにしておかないと。

 

『それじゃあ訓練内容を説明しますね。今回の演習プログラムは総合演習プログラムのA-3Cを行います……といっても彩夏ちゃんはよく知らないでしょうし、詳しい説明をしますね。

 この演習プログラムはISの空中・及び地上での機動・姿勢制御を含む戦闘訓練です。実践的な内容ですからターゲットは当然動き回ります。立体映像(ホログラム)でコースが投影されますから、そのコースに従ってアリーナ内を移動しつつターゲットを破壊し、そのまま一周してください。もちろん障害物も配置されていますからコースアウトは厳禁です』

「理想のタイムは?」

『そうですね……四分弱というところでしょうか。まあ、三年生用の――』

「いきます」

『えっ? えぇっ!』

 

 グリーンのランプが灯る。指し示されたゴーサインに従って隔壁が開き、一瞬で最高速に達したカタパルトが衝撃と共に私を空に解き放つ。

 広がるのは青い空、無人の観客席、サッカースタジアムが二つ以上は入るだろう広大なアリーナ。真っ白な光のラインが進路を示し、その真ん中に瞬時加速(イグニッションブースト)を吹かして突っ込んでいく。

 不意に、眼前に現れる青いダイヤモンド状のターゲット。躊躇うこともなく左手のライフルのトリガーが引かれ、放たれた一発は――ガァンッという甲高い音を鳴らしただけだった。

 

「うそっ!?」

 

 ターゲットに向かって真正面から突っ込んでいくラファール・リヴァイヴ。目の前に迫る壁に向けて即座に右手のアサルトライフル――RF-101Aを一斉射。先ほどよりもやや軽い音を上げるものの、青いダイヤモンドはオレンジを経て、赤く染まると共に砕け散った。

 

「耐久性もある……か。要注意だね」

 

 ホログラムの矢印が進行方向をナビゲートする。示されたのは下、つまりは地上へ降りるということだ。もちろんターゲットも漏れなく配されている。

 推力カット、PICを着地時の衝撃吸収に設定、姿勢制御をマニュアルに変更、101Aをセミオート射撃に。

 

「大丈夫、彩夏。しっかりやりなさい」

 

 僅かに生まれた不安を打ち消すように声が漏れる。PICのふわりという感覚が消え去って、重力がラファール・リヴァイヴを捉える。加速度を増して落ちていくと同時に眼下に広がったターゲットに狙いを定める。ゆっくりと移動するターゲットの進路をFCSが予測しロック。一枚、二枚、三枚、四枚五枚六枚……あと二枚というところでPICが慣性を一瞬だけ打ち消し、両足が大地を捉える。羽毛の布団の上に落ちたような柔らかな着地だが、これじゃあ硬直が長すぎる。一秒近くも行動が阻害されてしまっている。

 

「PICのアブソーバが……ききすぎる! 初心者用の機体じゃあ仕方ないとはいえ……!」

 

 ターゲットは案の定落としきれなかった……やっぱり鈍っているみたいだ。

 思考は現実に悔やむものの、身体は動きを止めることをしない。自身が思考するよりも早く、身体は既に次の獲物に狙いを定めている。

 

「次っ!」

 

 瞬時加速で詰め寄ると同時に両手の銃をそれぞれのターゲットに向け、トリガーを引く。直後に砕け散った赤いクリスタルを尻目に、次の進行方向に向けてそのまま加速。訓練用のラファール・リヴァイヴが出しうる最高速度を保って真っ直ぐ、真っ直ぐクリスタルを撃ち漏らすことなく突き進む。

 左右に動くもの。上下に動くもの。障害物に半身を隠したもの。斜めに動くもの。円運動するもの。目の前に振って湧いたように現れるもの。

 優先すべきものを取捨選択し、近いものを取り回しのよいアサルトライフルで仕留め、距離のあるものには高精度のライフルで対応していく。

 

 と、眼前に見えるクリスタルの前に立ちはだかる立体映像の白い壁。横にも広がり、高さもそれなりにある。となれば飛び越えるまでだ。

 PICをカット、ブーストを解除し大地に脚をつける。ガリガリと大地を削る音と衝撃を伴って急減速したラファール・リヴァイヴはその脚で地を蹴り、先ほどの加速度から得た反発力をバネにして、最高速で遥かな空へ再び飛び立つ。

 

「……ッ、ぐ…ぅっ…!」

 

 ほぼ垂直に、ロケットのように急加速する機体。PICを切ったために私の身に襲い掛かるGは相応の衝撃を私の身体に叩きつけて過ぎ去っていく。壁を越えるだけの高度に到ればそこから更に連続での瞬時加速。垂直への移動から一気に水平の移動へと切り替わったことで押し寄せたGが意識を刈り取らんと私に襲い掛かる。

 

 壁を乗り越えた、と同時に目に飛び込んできた三つのターゲットに銃を向け引き金を引く。小気味良くタンタンタンと四散する青いクリスタル。ぐるりと反転する視界の中でターゲットの破壊を確認すると同時にPIC制御を行い、姿勢を整えて着地する。そしてまた瞬時加速で最高速度へ。

 四秒にも満たない間に行ったのは三度の瞬時加速。空中で一回転しながらの射撃。そしてそこからの姿勢制御を行っての着地と迅速な離脱だ。

 

 正面に現れたターゲットを撃破……右に一枚、左に二枚と新手が現れる。PICで慣性を打ち消し、速度をそのままにスライドしつつ、姿勢制御を行いつつ回転。右の一枚を破壊すれば後方に一枚。左手の二枚を撃ち落せば前方に二枚。ぐるぐると回る世界に次々と生まれ出るクリスタルに弾丸を叩き込む。

 

「残り、一枚!」

 

 一際巨大なクリスタルに肉迫する。地表スレスレを、まるで狼の駆けるように深緑の疾風が走り抜ける。ライフルを二丁ともパージ、脚部のハードポイントに配したハンドガンを手に取り全弾を叩き込む。

 

 ミシッという音と共に亀裂の生まれた結晶に向かってシールドを構える。ブースター最大、PIC制御耐ショック設定……瞬時加速(イグニッションブースト)

 

 ラファール・リヴァイヴから繰り出される一枚のシールド。その先端が、クリスタルに突き刺さる。深く、抉るように、その傷を押し広げて突き進むシールドが根元まで達しようかというまさにその時、赤い光を放ってクリスタルは砕け散った。

 

「ふぅっ……」

 

 演習終了のメッセージと共に安堵のため息が出る。久しぶりの訓練。扱いやすいラファール・リヴァイヴを使ったとはいえ、長らく離れていたせいでどうにも腕は鈍っている。

 こんな戦い方を見たナタリヤ中佐はきっとこういうだろう。“もっとスマートにやれ(殺せ)”と。

 

 ともあれまだ取り戻せる範疇だ。よしとしよう。

 人に向けてトリガーを引くのは……できるかわからない。演習だからどうにかなっただけ。ただの映像相手だから、引き金を引くことができた。

 

 だけどあの映像が本物の人間に置き換わったら? 競技であるとはいえ人を殺傷できるだけの力を、誰かに向けなければいけない時がきたら? それが親しい相手だったりしたら?

 

 ――――胃が裏返りそうだ。 

 

 

 身に纏った鋼鉄の鎧(インフィニット・ストラトス)をピット内のハンガーへ固定し、息を吐く。

 久しぶりのくせにやってみせようと張り切って、結局自分自身が抱えているブランクのせいで満足する動きすらできず、“最悪”の事態を考えた自分自身への嫌悪感に苛まれたままだ。

 情けない。こんな惰弱な思考じゃなかったはずだ。あの頃はもっと必死で、死にたくない一心で技術を磨き戦ってきたはずじゃないか。

 だというのにほんの数ヶ月でこの生温い平和に入り浸ってしまったことを痛感している。そしてそれをどこか恥じている節すらある。私は望んだはずだ。今一度戻ってきたこの平和な世界を、“生きたい”と思って選んだはずだ。

 

 更衣室でシャワーを頭から浴びても思考は霞がかかるようにうやむやなままだ。

 友を失う悲しみに耐え切れなくなって、人を殺める理由がわからなくなって、自らの心に掲げた大義さえよくわからなくなって、私は戦場を抜けたはずなのだ。

 だというのにいざ平和な日常に戻って頭に浮かぶのは、戦場を駆け抜けたころの“いつもどおり”の思考だ。警戒が甘いとか、あのタイミングなら殺せるとか、自分ならどのように始末するかとか、今ではもう必要が無いはずのことばかりだ。

 

 心は戦場を求めてなどいないのに、身についた習性は戦場のころのままだ。

 

 もう……戻れないのかもしれないという考えが無かったと言えば嘘になる。戦場帰りの兵士がPTSDを患うのは至極当然なのかもしれないとさえ思っている。

 自分自身と周りの環境とのギャップ。そのズレが次第に自らを蝕んでいくのだ。砲火の音が脳裏から消えることなどなかった。仲間たちの末期の姿は瞼の裏に焼きついたまま色あせることさえない。手のひらには肉を裂くナイフの感触とあたたかな血の温もりが残ったままだ。

 

「……ほっ、北條さん!? 大丈夫!?」

 

 先ほどの演習を思い返すだけでも吐き気が止まらない。ターゲットを撃ち抜いたとき、砕ける際の赤いエフェクトに被って見知った仲間の顔が浮かんでくる。鮮血の飛び散る光景が離れない! 消えてくれない!

 腕の中で力なく横たわる仲間の苦悶の表情が!

 私の瞳を見つめて息絶えた敵兵の恐怖に引き攣った表情が!

 蹂躙され、抵抗さえできないまま殺されていった人々の姿が!

 

「う゛ぅ……」

 

 違う、殺してなんかない。私は誰も殺してない。そう、そうっ、私は、的を撃っただけ! 的を撃っただけなんだ! 立体映像だ! 人の命を奪ったりなんかしていない!

 

 

 

 そう、私は――――私は、(まと)を撃っただけだ!

 

 

 

 (まと)だ。ただの標的だ。(まと)を撃てば赤い。赤いのが当然。撃てば動かなくなる。壊れる。壊れるだけだ。なにもおかしくなんてないおかしくないおかしくない! (まと)を撃てば私が撃たれることがない! (まと)が消えれば私は生きていられる!

 (まと)が壊れれば赤いのは当たり前なんだ。そうだ何も変なことなんてない。赤い赤いエフェクト()を舞い散らせて壊れるのが摂理だ! 撃てば壊れ、撃てば私は生きていられる!

 

「間違ってなんかない! 私は、私はっ、みん、なのために、やった、だけ!」

「北條さん! しっかりして! こっちを見て、落ち着いて!」

「こ、ろさな、きゃ、うた、ないと……み、みんな、ミ、み、ンな、しっし、しし死ぬ、死ヌ、死ぬ……! アリサもグリフィンもロベルトさんもミシェルもウラジミールさんもナタリヤさんもカマロフもジョシュアもサントスもペトロフもユーリアも父さんも母さんもお祖母ちゃんも妹も真耶姉さんも千冬さんもみんなミンな赤い紅いあかいアカイ」

「彩夏ちゃん! 私を見て! 私は死んでません。私を見てください!」

 

 皆が居る。皆が皆血を流して倒れてる。血の雨が止まらない。止まらない。ずっと血の雨が、彼らから流れ出た血が降り注いでくる。透明なように見えて、でもそれは何よりも濃い彼らの、彼女たちの赤い赤い()の雨で。

 

「織斑先生! 山田真耶です! 緊急事態です、急いで医療班を第四アリーナのシャワールームに! ……はい! はい、急いでください!」

 

 生きている私を呪っているんだ。なんで助けてくれなかったんだと叫んでいる。どうして間に合わなかったんだって責めてくる。

 

 

 

 20XX/04/01 日本標準時14:30

 日本国領内 IS学園 貴賓室

 TF108 ナタリヤ・ロマノフスカヤ中佐

 

「さて……“初めまして、私は国際連合監視検証査察委員会軍事・兵器関連部門所属捜査官であるナタリヤ・ロマノフスカヤだ”……とでも言っておこう」

「……私の記憶が正しければあなたは確か国連軍の指揮官だったのでは?」

「その通り。昔はそれでよかったが、今は一介の捜査官だ。ああ、こちらは私の同僚のミーシャ・ウィンチェスターだ」

「初めまして、オリムラ・チフユ。お噂はかねがね聞き及んでおります」

 

 フン、と苛立ちを隠す様子もなく二人が手を取り合う。ミーシャの言動が癪に障ったのだろう。もちろんそうするつもりで言っているのだが。

 

「それでナタリヤ中佐、わざわざこのIS学園に査察委員会のあなたが足を運んだ理由を聞かせてもらおう」

 

 久々の再会だというのに随分と上からの物言いだな織斑千冬。“嘗められてたまるか”という内心が見て取れるぞ。もう少し愛想笑いの一つでも覚えるべきだな。

 ゆったりとしたソファに春先の陽光が注ぐ貴賓室は目の前のブリュンヒルデがピリピリと殺気を放つせいで監獄の如く空気が重苦しい。それに扉の向こうには何者かの気配もある。

 天井の照明には集音性の高いマイクに、インテリアとして飾られた熊の彫り物の中に仕込まれたカメラまである。随分と警戒されてしまっているらしい。

 

「なに、簡単な理由だ。IS学園に所属するある学生が様々な勢力にその身柄を狙われているという情報が入った。そして今現在のIS学園の防諜及び情報収集はサラシキとかいう組織に一任されているらしいな」

「腕は確かだ。それに古くから続く組織で信用もある。何も問題は無い」

「いや、大いにある」

 

 今にも舌打ちの音が聞こえそうなほど顔を顰めているな。そんな顔をするなよお嬢ちゃん。腹の探りあいどころかまだ前哨戦でしかないのだぞ?

 

「現在の更識家のトップはロシア連邦国家代表だ。……言いたいことはわかるな?」

「……つまり更識楯無はロシア連邦に寝返っていて、IS学園の情報をクレムリンのヤツらに流している、とでも?」

「それだけではないぞ。中国の代表候補生を、この明らかに不自然なタイミングでの転入を認めた轡木十蔵とも密な関係だと聞いている」

「IS学園の運営責任者と癒着している、と言いたいか」

「疑いがある。それで理由は十分だ。諜報部のトップが特定の国の代表を務めていて、しかもそれが学園の運営者と繋がっているという事実は既に確認されていることだ。

 学園を思いのままにできる存在がある特定の国と密接な関係であるとなれば、当然他所の国からは不満が出る。そしてIS学園は“日本国の土地”に“世界中の各国が支援して”設立した組織だ。今の状況はこれら関係国間における公平性を著しく欠いていると言わざるを得ないだろう。

 本題を言おう。本査察は、IS学園の管理者である轡木十蔵と情報部である更識に関する正当性、及び管理運営能力についての調査だ」

 

 まあ、篠ノ乃箒を監視するついでの小遣い稼ぎでしかないが。 

 

「……フン、委員会の政治屋どもめ……大っぴらにスパイを送り込んでくるとはなかなか肝が据わっているじゃないか」

 

 よく理解している。所詮査察官など世界の主導権争いの場である国連の手先なのだ。ロシアの関係者がIS学園内で重要な位置を占めているという事実は既に周知のところだ。ならばそれを突き崩すべくアメリカが査察を頑なに推してくるのは明白。

 遅かれ早かれIS学園には査察が行われる。少し早まったか遅くなるかの違いでしかない。

 

「それは酷い言い草だな織斑千冬。我々はIS学園の防衛体制と防諜能力が果たして十分なものであるか、そして管理運営する者が情に絆されず的確な運営と判断を行えるかを精査するために居るのだ。総てはIS学園の生徒たちの安全のためだ。

 大事な生徒を“亡国”に奪われても構わないならそれでいいがね」

「よく言う…!」

「いずれにしてもスポンサーの要求なのだよ、これはな。つまりお前達の出資者はお前達の運営方針とあり方に疑念を持っている、というわけだ。

 IS学園は独立国でも治外法権の地でもなんでもない。日本国の土地を間借りしているだけの国際機関、というものでしかないんだよ。理解しているか?」

「ふざけた真似を……! こんなくだらない要求を我々が呑むとでも?」

「ああ、別に呑まずともいい。その時はIS学園が立ち行かなくなるだけのことだ。貴様らだけでこのIS学園の全生徒と職員の食費水道代光熱費雑費はもとより、ISの装備の開発費用や修復に要する資材を調達できるか?

 実弾の火器だって存在するんだ。弾薬費はもちろん、アリーナの設備維持費もかかるし職員の給与も払わねばなるまい」

 

 さあ煽ってやろう。お前の頭を空っぽにしてやる。そして怒りで満たすがいい。

 ――茶番の後、来るべき交渉の時に冷静さを欠くほどにな。

 

「そうさなこの学園の資産といえば……ISを使って傭兵でもやってみるか? 世界最高の兵器を多数抱えた傭兵組織……IS学園傭兵派遣会社の誕生だ。よかったな、実際に戦場で実戦データをいつでも得られるぞ。

 操縦者も自らが人殺しのできる兵器を操っているのだと身を以って知ることができて嬉しかろうよ。ISをスポーツだとか抜かす“うつけ”共にはちょうどいい薬だ。 それとも、貴様一人で世界に喧嘩を売ってみるかね……織斑千冬殿?」

「…………インフィニットストラトスは兵器としての側面を確かに持っているだろう。だがコレは人類が未だ到達しえない場所……宇宙に飛び立つためのものだ!

 断じて利権争いの手段ではなく、まして戦争の道具でもない!」

 

 殺気が凝縮されていく。視線は矢が閃光の如く駆けるように鋭く、握り締めた拳は鋼鉄さえもへし折らんとする威圧感さえ伴っている。

 

 が、温い。そのように感情を顕にするようでは、まだまだ温い。

 殺しを殺しとさえ思わない。書類一枚一枚に判を押すのと同じように、事務的に、機械的に命を刈り取る領域にまで到ることができなければな。

 例え鎔けた鋼の如き熱を持っていようとそれをすぐさま解き放ってしまうのは愚策だ。閉じ込め続け、抑え込み、最大の圧力を迎えた瞬間に解き放つからこそ意志の強さは輝くのだ。

 

「査察が行われる理由は了解した。……今は退こう。だが、努々忘れぬことだな」

 

 さあ前哨戦は終わりだ。ここから先が本当の地獄(交渉)だぞ。

 篠ノ乃束の情報を得るためだけに“査察というお題目”まで使ったのだ。せいぜいヤツに近しいポジションを取らせてもらうぞ。

 

 

第四話 Mind the Gap

 

 

「ではこれで一通り纏まったな。ミーシャ、内容に不備は無いか?」

「一応確認も含めて復唱します。まず第一に人員は三名で、うち二人はIS学園の職員として、一人は学生として内偵を行う。

 第二に査察における内容は織斑千冬と更識楯無のみが知るところとする。

 第三に査察官のIS学園内での自由行動権限と、国連所属捜査官として持つ権限の行使を容認する。

 第四にIS学園及び更識が入手した紙・電子媒体など形式に関わらず全ての情報及びIS学園生のプロファイルの開示。

 主だった特記事項はこの四つですね。あとは“いつもどおりの”査察が行われる時と同様のものです」

「と、いうことだ。異存は無いかミスオリムラ?」

 

 尋ねてみれば彼女は何やら訝しげに書面と特記事項を見比べている。そうだろうそうだろう。おかしいことが書かれているんだから当然のことだ。

 一つに内偵調査であるという点。IS学園はそこそこの規模を持つ組織だというのに、わざわざ人数を絞ってじっくりと長期間の調査を行うというのだ。おかしいと感じないわけがない。

 本来ならそんな悠長なことはせずに、情報を抹消されるよりも早く動く。何十人か、あるいは相手の規模などを考慮すれば下部組織なども含めて千人近くにもなる単位で捜査官を投入して通信ログから雑費の伝票一枚に到るまでおおっぴらに根こそぎの一斉捜査を行うものだが、こちらの目的はあくまで篠ノ乃束と繋がる情報を得ることだ。全力を出してほんの短期間のうちに現体制を崩してしまうと篠ノ乃束の情報を得られないまま解散となる。それでは意味が無い。

 二つ目に査察の対象となっている更識楯無に対して、わざわざその内容を通達してしまっているという点だ。

 考えてみればすぐにわかる。自分が査察される側だとすればこの条文は“あなたの行動やお金の動きを監視しますよ”と向こうが言ってくるのだ。当然警戒するだろうし、やましい部分があれば手を引くことだろう。ともすればもう一人の査察対象である轡木十蔵に対してこっそりと、暗に“監視されている”と伝えて警戒を促すことさえありうる。

 

 だが今回は()()()()()

 

 自分が見張られているのだと自覚してくれればいい。そして更識はそれを轡木十蔵に伝えることだろう。それでいい。それを私は望んでいるのだから。

 後ろめたいものを持つ人間というものは『誰かが見ている』と一度思い込むと見られてはいけないものや見られたくないものを割かし本気で隠そうとする。するとどうだろう、普段と変わらず居るように見えて妙にそわそわした様子を見せたり、見つからないようにと回りくどい隠蔽を行うことがある。

 泰然自若としていられる人間は大物だ。自らの施した隠蔽がよほどの出来で自信があるからか、それとも開き直っただけなのかはわからないが。

 更識よ、心せよ。貴様らに失態を犯された場合に事態の収拾に当たらされるのは我々なのだからな。

 

「しかし、何故学園の生徒になる必要が? さっさと書類やデータを引き上げて監査に入ればいいだけの話だろう」

「なに、もののついでというやつさ。この学園は“いささか教育が行き届いていない”ように見える。幼い子どもたちを導く学園教師の質と人となりを見せてもらおうかとな」

「……それは元軍人のあなたからすれば、だろう」

 

 確かに軍人として言わせてもらうなら、こんな教育機関はクソほどの価値さえも無い。

 更識とかいう防諜組織()()()は隠蔽や防衛こそそれなりにやるものだが、“やりかえす”ための力を備えていない。“対”暗部用暗部などと大風呂敷を広げて謳い文句を掲げるならば、こちらに仕掛けてきた組織・個人に対して致命的なカウンターパンチを叩き込めなければいけない。

 私が学園の防諜を担う立場であると仮定すればどう出るか。

 犯人を探し出し、命を奪わない程度で追い立て、元КГБ(KGB)エージェントである祖父直伝のソヴィエト流“交渉術”をくれてやる。その上でみせしめとして惨たらしく、ヒトとしての尊厳の欠片を塵と残さぬほど痛めつけて細切れにして――プレゼント付きで――送り返してやる。

 

 それにデータで見た限りではあるが学園教師の技術は平均して代表候補生並ばかりだ。突出して織斑千冬、次いで山田真耶と来るが、そこから下はどんぐりの背比べ。おまけに使用される機体は打鉄かラファール・リヴァイヴのどちらかばかり。しかもその中にはどうにも影の濃い人間がいくつか居る。生徒にも居るのだから教師が居てもおかしくはないとはいえ、このあたりの()()()が、私の更識に対する悪感情の源なのかもしれない。

 

 もしも万一この学園がテロの標的となった場合――それも極めて高度な、世界的行動が可能なほどの組織――に、ロクな軍事教育を受けていない民間人と同程度の教師たちがどうにかできるだろうか。佐官・将官クラスの立案するような高度な戦術・戦略的な作戦展開が可能なのだろうか?

 学園そのものを守り通すことができても、犠牲者が一人でも出た時点でそれは“IS学園側の敗北”と同義なのだ。世間からは“ISを大量に保持していながら民間人を守ることもできない無能”とレッテルを貼られ、被害者の家族からは仇として見られ、世界の各国からはIS学園の有用性に疑問符が浮かぶことだろう。

 

 表立っての名目は決まりだ。

 第一点として、更識と轡木十蔵についての信頼性と中立性、そして管理運営能力の有無の確認。

 第二点にはIS学園の防諜及び防衛体制を調査し、問題点があればそれを修正するように勧告すること。

 第三点には学園内部に潜む産業スパイ等不審人物のリストアップ。

 本来の目的とは違うものの、この査察で得られた情報は事務総長(大将殿)が既に計画していたIS学園査察の事前調査にもなる。事務総長(大将殿)もIS学園の情報が仕入れられて嬉しい。私も篠ノ乃束の情報収集のために潜入ができて嬉しい。これこそWIN-WINの関係だな。

 

 裏の目的は篠ノ乃束という一点のみだ。ヤツに関する情報を探ると同時に逃げ道を少しずつ潰していく。

 

 情報だけを得るためならコソコソと身分を偽って潜入してしまえば済む話だ。何食わぬ顔で篠ノ乃箒に接触し、友人を装って情報をそれとなく引き出せばいい。当の本人は事前に収集した情報の限りでは性格に難ありというものだったが、篠ノ乃束(クソウサギ)ほどではないだろう。

 では何故表立って行動しなければならないのかと聞かれれば理由はいくつかある。最たるものとして織斑千冬を含むこの三名は、推測だが篠ノ乃束と裏で繋がっている可能性があるからだ。特に年が同じである織斑千冬が怪しい。

 そして仮に繋がっていなくとも、篠ノ乃束の息の根を止めるにはこの三人を“こちら側”へ抱き込む必要があるだろうという予測だ。ヤツとてヒトであることには変わりない。切羽詰って助けを求めるならば、自らに危害を加えることはないと確信している人物か組織に当たる。

 国家のような組織に助けを求めるとはまず考えられない。利害の一致による団結など一時的なものでしかなく、遅かれ早かれ瓦解するのがオチだ。それに、()()()()人間は特別な存在以外の人間を等しく見下している。最初から眼中に無いのだ。

 篠ノ乃束にとって逃げ道になりうるこの三者をこちら側に抱き込む。そのためには篠ノ乃束の所業を暴露しても「くだらない妄想だ」と跳ね除けられないだけの説得力が無ければいけない。そのためにわざわざ正式な肩書きまで持ち出して国連の査察とまで銘打ってIS学園に入り、時間をかけてでも確実にこの三者を味方につけるべきだと判断したのだから。

 

「どうやら異存は無いようだ。それでは失礼する。明日の“転入”に備えて“予習”しておかなければならんのでな」

 

 息苦しいだけの貴賓室の扉を開けて立ち去る。ここから先はもうナタリヤ=ロマノフスカヤ中佐は存在しない。

 私はナタリー。ロシア連邦ウラル連邦管区スヴェルドロフスク州エカテリンブルク市近郊生まれの15歳。身長143cm、体重39kg、上から68.3cm、49.9cm、67.7cm。誕生日は8月15日、生まれてすぐに祖父と祖母に引き取られる。部族出身で特異体質的に色素が薄いため髪が銀髪に近い白色である。瞳はヴァイオレット。

 祖父と祖母が他界し、当時同居していた北條彩香の帰国に伴って来日する予定だったが葬儀後の遺産相続等の手続きで後日に来日となった。

 

 ――よし、記憶できている。肝心の彩夏(あいつ)には事後報告になるがまあよい。見知った顔が居ることに驚きはすれども下手に口を滑らせることはない。

 

「……なんだかんだで心配なんじゃない」

「どうしたのミーシャ姉さん? ナタリーとしてはその嫉妬心は少し嬉しいな」

「違うわよ。やっぱり母親は母親だ、って思っただけ」

 

 そりゃあ心配だ。あの子が乗り越えなければいけない壁はいくつもある。受け入れて進むか、ねじ伏せて進むかのどちらかしかない。そしてその道は、苦行なのだ。

 目の前を過ぎ去っていく担架を見やる。見知った顔、見慣れた彼女は眠りについているのかまばたきもせず運ばれていく。

 ああ、もう既に一つ目の壁がお前の前に現れたのか。おそらく私達と共に戦った記憶はお前を苛むだろう。自らの為した行為そのものがお前を責め立てるだろう。乗り越えたその先に答えを見出せるのはお前自身だけだぞ彩夏。

 ――お前は、折れるなよ。

 

 

 頭が痛い。一体どうしたのか、ここはどこだろうか。

 真っ白な天井――見覚えが無い。

 両手足の拘束――身に覚えが無い。

 見下ろす人影――織斑千冬。

 

「起きたか。……入学早々に他者(ひと)に心配をかけるのは感心しないな」

「織斑……先生?」

「具合はどうだ。苦しくはないか? 息が詰まるとか頭が痛むとかは?」

「え、あの」

「吐き気がしたらすぐに吐け。無理はするな。何も不安になる必要は無い。落ち着いて呼吸をしろ。落ち着いたらそのままもう少し寝ていなさい」

「あっ、はい」

 

 私の肩を掴んで睨みつけるように見るあなたが怖いです。口が裂けても言えないけれど。

 

「先生……私……何があったんですか?」

「――ハイパーセンサーとの同調による感覚野への負荷に伴う身体の不調だ。久々の操縦だったのだろう? その割りに随分張り切ってISを振り回したと山田先生から聞いたぞ。

 そのせいで()()()()()()()()()()()のだろう」

 

 たかだか数分乗っただけで倒れるだって? そんなことは有り得ない。

 トルクメニスタンやタジキスタンでの戦いのときだって数時間以上戦ってゲリラの掃討戦に参加したり篠ノ乃束の差し向けたISを撃破してきたけれど一度もそんなことは――

 

「うっ」

 

 赤が視界を染める。先生の凛とした表情も、白い天井も、照明も染め上げていく。

 絵の具を撒き散らすように飛沫が跳ねて、先生のその白い首も赤い血を噴き出して――

 

「あ、ぎっ……ァ……」

「彩夏! 私を見ろ!」

「せ……ん…せ……」

「落ち着くんだ、深呼吸をしろ。ゆっくりと……深く…………そうだ、いいぞ」

 

 思い出した。幻覚を見たんだ。あのシャワールームで私は――

 

「いたっ!」

「無理に思い出すな馬鹿者!」

「す、すみません……」

 

 はぁ、とため息を吐いた彼女は私の頭を引っ叩いた出席簿をパイプ椅子の上に投げ出して沈痛な面持ちで私を見る。

 

「……二年間の空白の間、彩夏に何があったのかは私は知らない。急に取り乱したり錯乱するようなお前ではなかっただろう。一体何があった?」

 

 何があったのか、それを説明することはできない。私の知る事実は決して口外してはいけないどころか、暗号のようにして書き記すことさえも許されないのだ。そんなことをしてみれば私は一巻の終わり。次の朝日を拝むことはおろか今日の夕日を見送ることさえできないだろう。

 

「言えない、か」

 

 ただ頷くことしか私には許されない。今この場に限っては言葉は自らを殺す縄だ。自らの首を絞めることに他ならない。

 

「わかった。この話はなかったことにしよう。……私にさえ言えないというのは少しばかり寂しいものだが……これだけは覚えておけ。

 ここにはお前を案じる人間が居る。クラスメートであったり私であったり山田先生であったり、お前を支えてくれる人が確かに居る。だから何も怖がらなくていいんだ」

 

 そっと私の頬に手が置かれる。一つ撫でたかと思えばその温かな手は名残惜しそうにしながらも私から離れていく。

 

「夜までは寝ていろ。一応山田先生が別室で監視しているから“催したら”呼ぶといい。もし私が帰ってきてお前が大人しく何も考えず寝て居なければその拘束は外してやらんからな。覚悟しておけ」

「あの、外しては……くれないんですよね」

「私だって悪夢に魘された教え子が喉を掻き切って死んだのでは夢身が悪すぎる」

 

 念のために、ということなのだろう。仕方の無いことだ。今は割り切ろう。

 先生が部屋を出ていく。私の他に誰も居ない、窓さえも無い真っ白な病室の天井を見上げて思考にふける。

 私を苛む過去の記憶(トラウマ)。いや、正確に表すならそう、経験……だろうか。私の意識、自我は戦うことというよりも生きた人間に銃を向けることを嫌悪している。なのに私に蓄積されてきた兵士としての経験はむしろ積極的に銃を手に取ることを促してくる。

 戦場で人を殺すことに躊躇いなんてなかった。それは大義があったからであり、大義や名分も無しに平時において人を殺すのは容易ではないはずなのだ。だというのに私の本能の部分とも言える何かが“敵なら殺せ”と突き動かしてくる。そしてそれを許してしまえば私はただの殺人鬼だ。もはや立ち戻ることなどできやしないだろう。

 

 人を殺したくないと思いながらも身体が殺しを許容しているという現実。精神と肉体が一致しない。そのズレが、私にとって何より恐ろしい。

 

 どうすればいい。一体――どう……すれば……

 

 

 

 薄らと霞がかかった映像が少しずつ晴れていく。そのモニターの向こうに映る少女の姿を見て胸を撫で下ろす。静かに聞こえる寝息とその穏やかな寝顔は、先ほどまでの狂気と恐怖が嘘のように鳴りを潜めている。

 

「やっと寝たか」

「みたいですね。呼吸、心拍共に安定してます。脳波の異常も見当たりません。散布濃度も正常値に戻りました」

 

 後ろでコーヒーを淹れていた私の先輩――織斑千冬はブラックコーヒーの注がれたマグカップを私に差し出してくる。ミルクの味わいの強い少し濃い目のコーヒーに少しばかりの砂糖を加えたそれに口をつけると、コーヒーの苦味と甘さが緊張で強張った身体を解きほぐす。

 

「……しかし山田先生、一体あの子に何が?」

「詳細はわかりません……。ドクターの所見では当時の状況や発言から鑑みるに、何らかの精神的ショックによるものということでしたが」

「なるほど……あのような状態に陥るほどのショックとなれば、人に話すことさえ難しいのも頷けるが。……確か演習の直後だったか……そのデータはここに?」

「ええ、あります」

 

 差し出した媒体を受け取るや、織斑先輩はそのデータを閲覧し始める。データ化された操作ログと撮影のためのアリーナ内のカメラが捉えた映像とを比較しながら流し見ていく。

 

「何かありましたか?」

「いや……何も無い。心拍や脳波の状態から察するに軽い戦意高揚の状態だったが、その程度は許容内だ。特におかしくなるような要素など何も無い。だが、ここだけは別だ」

 

 見せられたモニターには彼女が障害物の壁を乗り越えてターゲットを撃破したシーンが映っている。最高速度での突進から着地して速度を殺し、上空へ向けての瞬時加速を用いて壁を乗り越える高度に達した瞬間に水平に一直線に加速していく。そして宙返りの最中にターゲットを撃破……そのまま着地して瞬時加速で最高速に戻って離脱。

 

「この数秒の間に瞬時加速が4回。PICによる着地で発生する硬直を解除するために衝撃吸収機能をカット。瞬時加速中の高速状態からの急激な姿勢制御とリカバリーを空中で行い、即座に連続での瞬時加速。その真っ最中の射撃。そしてそのどれもが完璧なタイミングで成功している。……私も教えたことのない機動技術だよ」

「……ですよね。先輩がこんな荒っぽいやり方を教えているところは見たことがないです」

「自らの隙は最小限度に、しかし移動は敵に捉えられないように常に緩急をつけて行動している。空中での僅かな姿勢制御や射撃時の動きも、見る限りでは銃を扱いなれている人間の動きだ。それにあんな二丁拳銃みたいなやり方を山田先生なら教えはしないだろう?」

「ええ。銃は利き腕で持って、左手は銃身を保持するようにまず教えました」

「…………この二年間で一体何があったんだ……北條彩香……」

 

 二年間のブランクがあるはずの彼女は、まず間違いなく以前よりも高い技能を身に付けていた。二年前の彼女からは想像もできない機体の挙動。所々に荒々しさを持ちながらも細やかな制御や機動をこなす、さながら野生の狼のような印象さえ覚えた。

 だけどその雄雄しい姿は織斑先輩には受け入れられなかったらしい。

 

 

 

「えーと、まあ……よろしく」

「あら、あなたが(わたくし)のルームメイトでして? まあ、世界に名だたるIS学園の 入 試 主 席 であるこのセシリア=オルコットと寝食を共にすることの光栄さを身に染みて思い知ることですわ!」

 

 これからIS学園での日々を送ることになる私に宛がわれた一室には既に先客が待ち構えていた。美しいロールを描くブロンドの髪を揺らして、大仰な身振り手振りで自らの優勢を誇示する、まるでお人形のように可愛らしい少女の姿。

 あまりにも滑稽だ。くだらない。その姿が糸に繰られる操り人形のようにさえ見えるのは、IS学園の入試で良い成績を収めようが意味など無いということを彼女が認識できていないと感じ取ったが故にそう見えるのだろう。

 

「主席……ですか」

「ええ! ええ! まさにその通りですのよ! 七つの海を乗り越え世界を股にかける超大国を作り上げた連合王国(ユニオン)の代表候補生、このセシリア=オルコットの手にかかれば入試試験など子供のロバを乗りこなすよりも簡単なことですわ!

 当 然 ッ! 私の住まうに相応しい調度品も取り揃えましたし、貧相なシャワールームも汚れのつきにくい特殊加工の人工大理石を用いた上質の……まあ私からすれば平凡なものではありますがそれなりのシステムバスに取替えましたのよ」

 

 アクが強いものだ。こうも自己陶酔しながら弁舌も達者に行える姿はいっそ見ていて清清しささえ覚える。嫌味な言い回しが気にはなるけれど、これも“エリート志向”故の副産物なのだろう。だがそれも一時のことだ。上には上が居ると知り、いつの間にか己の分を弁えているだろう。

 だから今ここで敵対的に接する必要性もない。そのうち自然と態度は改まるのだから。

 

「英国代表候補生のオルコットさんと知己を得られるのは嬉しいことです。どうぞよろしくお願い致します」

「そんなに堅苦しくせずともよろしいのですよアヤカさん。気軽にセシリアとお呼びください。同じ学び舎で学ぶ間柄ですもの、末永き友誼を結びたく思いますわ。

 まあ、私が他の生徒に遅れを取ることは御座いません。是非私を一つの目標として奮励なさってください。代表候補生として、ISの先達として初心者の皆さんを導くのも私の務めですもの!」

 

 …………形式の面接だけ受けて合格だったことは黙っておこう。

 

 

 第五話 新入生(年齢不詳)

 

 

「あー、一日遅れだが新入生を紹介しよう」

Разрешите представиться(はじめまして)、ナターリヤ・ナタレンコ・ウリヴァノヤだ」

「彼女は、えー……ロシア連邦のエ……エカテ……」

「エカテリンブルク出身だ」

「んんっ……まあ要するにこの春の寒波の影響を受けて猛吹雪のため飛行機が発てず、一日遅れての入学となった」

 

 織斑先生は手にしていたメモをくしゃりと握りつぶしてゴミ箱に投擲すると咳払いを一つして言いなおした。

 ふん、とドヤ顔を決める小さな少女――見かけだけは、という但し書きが付くが――は陽光を浴びて銀色の光を映す灰白色の長い髪を揺らして騎士のようなお辞儀をする。

 学園の制服はいつも風になびくあのトレンチコートのような長い丈にされ、きっちりとベルトまでかけられている。その下に髪と同じ灰色のベストを着込み、スラックスと革製のブーツを履いた姿は幼い少女が精一杯の大人の装いをしたようなアンバランスさを見せているものの、彼女の纏う空気……オーラのようなものが彼女を“少女ではない”と物語っている。

 ヴァイオレットの両の目が私を見て笑う。“どうだ、驚いたか”と言わんばかりの不敵さを籠めた眼差しを受け、僅かにきりきりと痛み始めたお腹を思わず擦る。

 

「皆と学び舎を共にすることを嬉しく思う。見た目には僅かばかり幼いが私は貴君らと同年である故、気兼ねなく接してくれることを願っている。

 髪が白いのは生まれつきの先天の遺伝子異常によるもので、少々珍しいかもしれぬが世界には似たような先例(ケース)も存在している。普段目にすることのない稀有な事例であるが、しばらくすれば自然と受け入れられるようになるだろう。新しい靴を履いた際の違和感がしばらくして感じなくなるのと同じように。

 ――ま、要するに少々お堅い口調ではあるがよろしく頼む、ということだ」

 

 見た目には小学生。しかしその話し方はどう見たって大人のそれだ。

 

「それにしても久しいなアヤカ! どうだ、壮健であったか? 久方ぶりに親友の顔を見れて私はとても喜ばしい気分だぞ!」

「え、ええ……オヒサシブリデス……ナターリヤ」

「むっ、何故愛称ではないのだ。親しき友は愛称で呼ぶものだろう。ほら、ナタリーと今一度呼ぶがよい。お堅い口調もやめて、いつものアヤカらしい口ぶりでやればよいのだ」

「ひ、久しぶり……ナタリー」

「うむ、うむうむ。皆も我が友アヤカのように“ナタリー”と愛称で呼んでくれると私はとても嬉しい。私の喋る日本語は現代に於いては些か時代錯誤のような語りであるが、別段難儀なものでもない故気軽に話しかけてくれればありがたい」

 

 おお、と感嘆の声が沸く。若干のツリ目に凛々しく整った顔立ち、冷たい印象を与える中に僅かな笑みを浮かべた彼女は口調と相俟って少年的ですらある。

 背に流れる淡い灰白色の髪を揺らして彼女は周囲の騒ぎにも顔色一つ変えずに一礼をしてみせる。

 

「お、王子様だわ……女の子だけど王子様よ!」

「二次元だけじゃなかった! 三次元にだってちゃんと王子様が居るのよ! も、もしっ、あんなステキな声で愛を囁かれたら私……わたしっ」

「ん? 囁かれたら……貴女はどうしてしまうのかな……?」

「フヒィィィッ! 三杯余裕です! ありがとうございます! ありがとうございますっ!」

 

 ナタリヤさんも悪ノリが過ぎる。あんなに顔を近づけて流し目まで使って声も男性に似せた演技まで加えるだなんて。

 

「あー自己紹介が終わったようでなによりだ。なので早速授業を開始する。さっさと席について大人しく教科書を開いてペンを持て新入生(ニュービー)ども」

 

 最後列に座る私の隣の席は空白だ。まるであつらえたように、昨日も座っていたと言わんばかりに堂々とナタリヤさんが腰を下ろす。

 

「改めてよろしく頼む、我が友よ。伺いたいことも申したいこともあるだろうが、それはまた後ほど、な」

 

 ぱちり、と小悪魔のように目配せ(ウインク)する。くそっ、演技だとわかっているのに……私たちからすれば一回り以上年齢を欺いているというのに、不覚にもカワイイと思ってしまうなんて!

 授業の終了と共に彼女の手を取り、一目散に向かう先は屋上。阻むのは途中で妨害に入る淑女たち。

 

「そうはいかん! 我らの王子様(プリンス)をかどわかす悪しき魔女め!」

「アヤカ! 貴女の企みもここまでよっ! このままナタリーさんを攫ってあんなことこんなことをするつもりなんでしょうが、そうは問屋がおろさ……あんなこと……こんなこと……ぐひひひひひっ!」

「というわけでナタリーさんを置いていけ! 例え同級の誼と言えども……譲れないものがあるッ!」

「ああもうっ! 無駄にカッコつけてしゃしゃり出て!」

 

 女子生徒A・B・Cがあらわれた! アヤカはにげだした!

 

「そうはいかんざき!」

「くっ!」

 

 しかしまわりこまれてしまった!

 

「……無駄にすばやいですね、あなたたち」

「フッ、伊達で変態淑女三人衆と呼ばれてはおらんよ」

 

 呼ばれてるのかよ、とツッコミそうになるところでナタリーさんの手が私の襟首を掴む。

 

「じっとしているとよい。舌を噛みたくなくば、な」

「いいっ!?」

「甘く蕩けるような蜜月も吝かではないのだが、悪いが親友との先約が優先である故失礼させてもらう」

 

 ぐっ、と少女らしからぬ力で持ち上げられる。背中と脚に彼女の細腕(見た目だけは)が掛けられて抱き上げられる。これは、そう、少女漫画(おとぎばなし)でしか聞いたことのない――

 

「お、お姫様抱っこ……だと……!? あの体躯で!」

「…………う、羨まし……けしからん! ……そこを代わりなさいアヤカさん!」

「キキッ、キマシタワー!?」

「淑女B、淑女C! ヤツらにジェッ○ストリームア○ックを仕掛けるぞ!」

「フヒッ! ヤってやる! ヤッてやるぞ!」

「ユニバァァァァァースッ!」

 

 私を抱きかかえるナタリーさんが微かに笑みを浮かべた次の瞬間――ブレる。

 

「はっ!?」

「なん……だと……!?」

「み、見えていたはずだ……! “確かにそこに立っていた”ハズだ……!」

 

 景色が歪む感覚。その直後にナタリーさんは彼女達の背後に立っていた。

 

「ではな」

 

 あくまでクールに、ナタリーさんは涼やかな笑みを湛えたまま屋上への階段に一歩を踏み出す。

 

「ありえんっ……」

「……速さが、足りないっ!」

「紙一重、か……」

 

 膝をつく三人衆。その哀愁漂う背中は物悲しく、しかし滑稽さも同時に醸し出している。そう、一般人に彼女を、ナタリーさんを捉えることなど――できやしないのだから。

 

 四月、まだ寒さの残る浜風の吹きぬける屋上のベンチに下ろされた私は改めて彼女を見据える。

 ナタリヤ・ロマノフスカヤ中佐――今はナタリーことナターリヤ・ナタレンコ・ウリヴァノヤだ。彼女は私を座らせると自らも隣に座り、大きく腕を空に突き上げて脚を伸ばし伸びをする。

 ぱき、ぱき、と音を鳴らす肩を落ち着けると、ふっとため息を吐いて空を見上げる。

 

「いい空だ」

「そう、ですね」

「で、学校というものはどうだった? 記念すべき初日から医務室に担ぎ込まれたのを見たときにはヒヤリとしたものだが」

「……見てたんですか」

「ばっちりだ」

 

 恥ずかしい。6フィートの穴を掘ってその中に入ってしまいたいくらいには恥ずかしい。

 悠々と空を舞う海鳥たち。みゃあみゃあと鳴く声と海から届く少し肌寒い風。寄り添いあう私達の間に交わされる言葉は何も無いまま。過ぎ去っていくのは時間と鳴き声と南風。

 無言の気まずさは次第に私の心に不安を生み出す。話したいこと、聞きたいことはあったはずなのに全てどこかへと霧散している。

 

「……なんでここに居るんですか?」

「なに、お前の顔が見たくなってな」

 

 かろうじて搾り出した一言。こちらを見るわけでもなく彼女は空を眺めたまま応える。

 

「本当の目的は?」

「お前を嗤いに来た、とでも言えば満足か?」

「ごまかさないでください」

「仕事だ。それ以上でも、それ以下でもない」

 

 彼女は懐から取り出した濃紺のボックスから取り出したそれを口に咥え、手に取ったマッチを擦り火をつける。

 ふう、と立ち昇る紫煙。私の嗅ぎ慣れた煙草の香りが鼻をくすぐる。

 

「篠ノ乃束の絡みですか」

「機密事項だ。私は答えを持ち合わせていない」

「それとも私の監視ですか?」

「貴様が、それを知る権利はない」

「なら亡国の調査ですか」

「部外者に明かすとでも思うか?」

「思いません」

 

 平行線が続く。彼女は拒絶し、私は歩み寄ろうとする。でもその度にナタリーさんは私を突き放すように冷たい言葉を投げかける。

 

「私は軍属、お前は一般人だ。たとえ元が私の部隊の……娘のような存在でも、いや、だからこそ伝えるわけにはいかん。それを納得しろとは言わないが、どうか心に留め置いてくれ」

「……わかり、ました」

「すまない。いい子だな、アヤカ」

 

 そっと小さな手が差し出され、私の頭を優しく撫でる。その手のひらは小さく多くのものを取り零し、数多の敵と味方の血で(まみ)れたものであったとしても、その手の放つ優しさは母親の持つそれと同じものだ。

 

「ついでに言っておこう。もう我々の側に首を突っ込むな。お前は今やただの女子高生なのだから普通の生活に戻る努力を為すべきだ。平和な時代を精一杯に生きろ。

 何か困ったことやアクシデントがあれば我々がカタをつける。テロだろうが戦争だろうが知ったことか。子どもに降りかかる火の粉を払うのが親……大人の責務なのだからな。

 いいか、これからの私はお前の元上司でも同じ部隊の同僚でもない。“ただのナタリー”だ。同い年の友人として好くしてやってくれ」

 

 そっと離れた手のひらの温もりは四月の潮騒に乗って消えていく。ナタリヤ中佐、いやナタリーの浮かべた笑みはどこか寂しげな、だが確かに喜びを含んだものだ。

 もしかすると彼女がわざわざ学生などという身分を選んだのは、死んで行った彼らを偲ぶためだったのではないか。彼らが生きるはずだったろう未来、彼らが選ぶはずだったろう道を奪ったのは紛れも無く彼女であり、私も同様の末路を迎えたかもしれなかった。彼らが描くはずだった未来を思って彼女は今にも涙を流しそうな笑顔を浮かべているのだろうか。

 あるいは彼らとの思い出を心に刻み込むために。

 

 立ち上がって水平線を眺めるナタリヤ中佐の背中はいつの日にか見た父の背中のようで、しかし見たままの未だ幼い少女のようにも感じる。

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