きゃすたー(7mg)の雑多なネタ倉庫 作:きゃすたー(7mg)
「んあ」
薄ぼんやりと見える光景は見知らぬ天井だ。丸太を組み合わせたしっかりとした造りの木造の屋根。嗅ぎなれないベッドのにおい。ひんやりとした空気の漂う室内に差し込む朝日。これはナニカの夢だろうか。
いつの間に俺はこんな上等なベッドに潜り込んだのだろうか。俺は雪山で雪洞を掘って眠り込んでいたはず。
ベッドなんて上等なものはなく、草木を敷き詰めたクッションに木の皮を剥いで被っただけの粗末な寝床だったはずだ。こんな温かいものではなかったような――
「ああ、そういやここって確か――」
思い出した。ここは人類の生存圏の街だ。ゾーヤさんやイリーナの好意で泊めてもらったのだったか。しばらくまともに食べていないから簡単に夕食を摂って、汗ばんだ身体を濡れたタオルで拭いてさっぱりさせてから眠ったんだった。
新しい朝が来た。希望を持てるかどうかは未だ不明のままだけれど、今この瞬間にも俺は生きている。
俺はこれからどうすればいいのだろうか。元居た場所へ戻る方法を探すにしても宛ては無い。見ず知らずの土地。己の常識の通じぬ異界。言葉さえ満足に伝わらない。そんな状況でどうすればいいのだろうか。
これが夢の在る小説だったならきっと俺は主人公のポジションでやたらと規格外な能力やら技能を貰っているのかもしれないが、今この目の前にある現実はそんなご都合的なものを用意してはくれていない。
家族が居ない。仲間も居ない。頼れる相手すらいない。俺は何をして、何を頼りに、何を目指せばいいのだ。
「……人間なんて、こんなものか」
諦めよう。ああ、諦めるべきだ。切り捨てるということは何も悪いことではないのだ。取り返しのつかないものをずるずると引き摺ったってただ重いだけだ。ならせめて余計なことを捨て去って、前に向かって駆け出すべきだ。
人間は、そういう生き物だ。辛いことや悲しいことを振り払って進む。それが人間なのだから。
そういえばこんなに温かい寝床なんて、あの日こちらに放り込まれてから一度も入り込んだことがなかった。人肌よりも少し温かいこの感じ、湯たんぽでも入れて眠っていたのだろうか。
「うみゅ……」
「……ナンデ?」
俺の身体の左隣、胎で眠る赤子のように身を包めた少女――ソフィアが静かに寝息を立てている。
小さな手でしっかりと俺の寝巻きの裾を握り締め、俺の左足に自分の両足を絡めるように挟み込んだその姿はまるで親の身体にしがみつく仔猫のようだ。実際ネコミミの幼女なのだが。
「……大して変わらないんだな」
あどけない寝顔は向こうもこちらも変わりないものだ。安らぎへと堕ちて行く快楽。自らを妨げる者の居ない
その頬につい指先が伸びる。ふに、と瑞々しい柔らかな頬がその弾力で指を跳ね返してくる。
――この子を守れ。
どこかで何かがそのように語りかけてくるような錯覚。だがそれは心にどんな言葉よりも染み込んで焼きついて、更に強さを増して俺に訴えかけてくる。
――未来を守れ。
そうだ。子供というものは未来なのだ。この子たちもいつか大人になって子を成して、その子供達に未来を繋いでいくのだろう。命を繋ぎ、意志を繋ぎ、未来を繋ぐ……その果てにヒトの歴史が紡がれてきたのだろう。だからこそ“子は宝”なのだ。
不意にトントンという控えめなノックが静かな寝室に響くと、扉の向こうからは聞きなれた日本語が飛んできた。
「リュート君、起きているかい?」
「あ、ゾーヤさんですか」
「失礼するよ……ってソフィア……」
昨日何度も聞いたゾーヤさんのため息。けれど彼女の表情は呆れたようなそれではなく、慈愛に満ちたものだった。愛する者へ向けるまなざし、親が子へ向けるような優しい微笑みを浮かべて彼女は言う。
「……すまないけれど、ソフィアをしばらくそのままにしてやって欲しい」
「いや、それは流石にまずいんじゃ……」
「どうか頼む。……少しでいいんだ。この子に……父親の温もりを感じさせてやってくれないか」
「それは、つまりソフィアちゃんは……」
「君の察したとおりだ。ほんの少しの……束の間の夢でいいんだ……」
そっとソフィアの頬を指先で撫でた彼女の表情は母親の顔をしている。海よりも深い慈愛と空よりも広い寛容さを湛えた彼女は愛しげにソフィアを撫でていた手を離して静かに扉を閉めて立ち去った。
思えばイリーナとソフィアの祖母はゾーヤさんだが、二人の母はどのような人物なのだろうか。そしてあの言葉から察するに父は恐らく……既に鬼籍に入ったのだろう。そしてソフィアは父を知らぬまま育ったのだ。
昨日あの時、ソフィアは俺のニオイを何故か執拗に嗅ぎまわっていた。見知らぬ父の残り香が俺のニオイに似ていたのだろうか。それとももっと別の何かか。
一体この子は何を見出したのだろう。初対面でろくに話したこともない俺のベッドに潜り込むなど、いくら子供だからといっても警戒心がなさ過ぎる。
「いや、今はそんなことはどうでもいい――」
今はただ、一つの小さな命が安らぎに抱かれている。それを妨げない、妨げてはいけないのだ。この安寧のひと時を守ることこそ、今の俺のなすべきことなのだろう。
親というものはこういうものなのだろうか……父親というものは……。
「んあ?」
薄ぼんやりと見える光景は見知らぬ天井……いやつい先刻見た屋根だ。どうやら俺まで温かな気分になって眠りこけたらしい。
いい加減起きなければ流石にゾーヤさんも痺れを切らすだろう。ソフィアは……まだ眠っている。まるで赤子になったかのように自分の親指を吸いながら恍惚とした表情になってしまっているが。
幸いにも先のようなガッチリとした拘束ではない。これなら容易く抜け出せるだろう。
「あ、あれ?」
……何故か右半身が重い。身動きができないどころか何かに挟み込まれるようにしっかりと押さえ込まれている。二の腕に伝わるのは柔らかさ。指先に伝わるのは挟まれるような圧。鼻をくすぐる石鹸らしい爽やかな香り。
頭を右に傾けて見ればそこにはソフィアと同じ銀色の毛のネコミミをもった、よく似た顔つきの少女……イリーナが俺の半身を抱き締めて眠りこけていた。
「遅いと思って来てみたら……ハァ……イリーナァッ!」
「fe! ,wjpy! ,wjpy!」
ひとしきり終わったイリーナはゾーヤに急かされてそのまま部屋を後にする。
「……大変そうですね」
「普段はこんな子じゃないんだけどね……どうにもはしゃぎすぎている。半ば伝説になっている存在を自分の目で見たというのもその原因なのだろうけれど」
「伝説って?」
「ああ」
「なるほど……そういうことですか」
然り、とゾーヤさんは同じ白い上下の服の上にジャンパースカートのような衣装を揺らして空席の椅子の一つに腰掛ける。
彼女の語りは中性的というべきどこか威厳を漂わせる口ぶりで、所作もどことなく男性のそれに似ている。やはり代表代行という職にあるためなのだろう。
「リュート君、そのままでいいから聴いてほしい」
「……ああ、ソフィアちゃんですか」
ベッドから出ようとした俺だったが、それは彼女の言葉で押し止められた。その原因たるソフィアは今も俺の寝巻きの裾を握ったまま離すような気配がない。
片や怒られて洗濯物を畳み、片やそのまま幸せな眠りの中。同じ孫だというのにイリーナとソフィアでこうまで扱いが違うとは……邪険にしているような様子は無いし一体なんでまた……まさかあの“ババア”発言のせいか?
しかし話をするにも関わらずベッドに居るままでは申し訳ない。少し寒いものの上を脱ぎ、シャツ一枚になってベッドの縁に腰掛ける。
「むっ」
「どっ、どうしたんですか?」
「何か今イラッとした。理由がわからないのが余計に苛立つ……クソが」
まずい、薮蛇だったか。
「まあいいさ。とりあえずは君がここに来るまでの話を聞かせて欲しい。君は何故ここに居るのかわからないということだが、こちらは君のような人物と遭遇した先例がある。伝聞でしかわからないことだが、先例と比較して相違点を洗い出してみよう」
「……そう、ですね。まず自分は買出しに行った帰り道にトンネルに入りました。随分昔のころ……それこそ子供のころに通ったトンネルでしたが、何も違和感はありませんでした。
そしてトンネルを抜けて地上に出た次の瞬間には、自分は雪山の真ん中でたった一人でした」
「……地上に居たのかい?」
「ええ、そうです」
「……続けておくれ」
「日が傾きかけていたので……とにかく夜を越せるようにと思って雪洞を作りました。幸い食料もありましたし、酒や飲み物もあったのでどうにか生き延びられました。
日が昇ってから移動をはじめて、二日目を超えた日に斜面を降りていたときに何か古い遺跡……いえ、ねぐらの跡を見つけました」
「斜面にねぐらの跡が……? そんな場所があった記憶は無いけど……まあいい、続けて」
「……斜面を下りきってからなだらかな場所に出たのでそのまま滑り降りてきました。後は川沿いに森を歩いてきてこの街に辿り着いたんです。
ちなみに山の位置はこの街から見て北東部にある山です」
一通りの説明を終えるとゾーヤさんは腕組みをしてどこか遠くへと視線を投げかけたまま、静かに思考を走らせてるようだった。
しばらく考え込んでから、彼女はこちらに向き直って口を開く。
「相違点を挙げていこう。まずは一つ目だ。
君は雪山の真ん中に現れたが、彼等は遺跡群に設置されている“門”の前に必ず現れている。
二つ目、彼等は我々をしても尋常ならざる身体能力で以って、わずか十数時間のうちにこの街……当時はただの開拓村でしかなかったが、このセヴィル・ピオネルに辿り着いている。
三つ目、彼等はいずれも真北にある遺跡群からやってきている」
「……疑うようですみませんが、その情報の真偽の度合いは?」
「いずれも口伝でしか残っていない。まあ人の記憶から語られる話なのだ、真偽に関しては私もわからない。だがこの街の北には彼らがやってきたという“門”が実際に残っている。全てが全て嘘ばかりというわけではないだろう」
「遺跡群とのことですが、どれほどの規模なんですか?」
「広大だ。それこそ大国の大都市……地方が一つ収まるほどの巨大な遺跡群だ。とはいえそこまで辿り着いた者は僅かなものだが。
ああ、補足すると“門”とその遺跡群は広大な湿地帯を挟んで存在している。おそらく湿地帯は元々巨大な遺跡群の一部が存在していたのだろう」
となると手がかりになりそうなのはその遺跡とやらくらいか。いずれにしても俺の成すべきことは決まった。
「ゾーヤさん、無理を承知でお願いします。その遺跡に自分を連れていってください」
「それはダメだ」
返ってきたのは無常にも拒否の言葉だ。とはいえそれで引いてなるものか。少しでもいいから手がかりが必要だ。
「そこをどうかお願いします!」
「ダメだ。君の気持ちがわからないわけではないが……こればかりは私も承服しかねる。あの場所は我々にとって本来立ち入るべき場所ではないんだ」
「自分は帰らなきゃいけないんです。家族が心配しています。買い物に出かけて行方知れずだなんて……そんなのは御免なんですよ」
「私もできることなら助けとなりたい。だがその遺跡までは大人の足でも順当に進んで二週間以上かかる。おまけに今は冬の真っ只中だ。危険な肉食獣が腹をすかせて歩き回っている可能性もある。そんな危険地帯に君や私の同胞を行かせるわけにはいかない! むざむざ死にに行くようなものだ!」
彼女のこちらを見据える鋭い眼光と共に、俺を打ちのめすような警句が放たれる。
この極地に住む彼女達を以ってして危険地帯と言わしめるのだからそれは偽り無い事実だろう。
実際に俺自身も剣を振るえるわけではないし、弓を扱えるわけでもない。いざ命の遣り取り、となって真っ先にお荷物になるのは俺自身だ。それを守るために彼女の同胞が戦って散るなど、俺としても受け入れがたいことだ。
「……わかりました。なら夏場の雪解けの時期なら大丈夫ですか?」
「可能だ……と言いたいがそれも難しい。理由はちゃんと話す。よく聞いて欲しい。
まず遺跡がある場所はここから二週間から二十日はかかる。これは先ほども話したことだ。そして冬場は凍り付いていてよくわからないが、夏場は遺跡の周辺は雪が解けて広大な湿地帯になる。そしてその遺跡は湿地帯を抜けて氷河を踏破した先にある。
そのあたりは冬場になると北のリェーズヴィエ大山脈から吹き込む乱気流でとんでもなく冷える。木々も水も動物も完全に凍りつくような場所だ。生きた人間や獣も歩かない極寒の凍土だ。そのまま呼吸をすれば肺が凍りつくんだぞ?
夏は夏で雪が解けて草木や緑の茂る湿地帯になり、踏み込めば足をぬかるみに囚われてそのまま“大地に還る”時を待つしかなくなる。……足先からずぶずぶと、ゆっくりと咀嚼されるように呑まれて行く恐怖に君は抗えるか?
助けも来ず、足掻くほどに足をとられ、溺れて死ぬときをただひたすらに待つしかない…………悪夢のような末期を、君は望むのかい?」
「それは……」
「踏破してみせた者が居ないわけではないんだ。とはいえそれはほんの少数……我々フェリス・サイヴェリアス族とルプス・アルバス族の千二百年の中でもほんの数名しか居ない。
それも湿地帯をぐるりと迂回するように外縁部に沿って大山脈に辿り着いたものだけだ。大量の資材や物資を輸送することができない大山脈は未だに未開の地だ。どんな植生をしていてどのような動物が居てどのような気候風土をしているのか、さっぱりわからないことだらけ。おまけに彼らの調査報告では翼竜や亜竜どころではない、人語を解する龍が大山脈を縄張りにしているときたからもうお手上げなんだ。
翼竜を駆使して人を送り込むことさえできず、物資も輸送できず、徒歩で辿り着こうにも過酷な環境をいくつも乗り越えなければいけない。
ダメ押しにあの周辺は我々でさえ相手取るのが危険な獣も居る。そんな危険地帯なんだ」
冬場は極限の凍土に阻まれ、夏場は雪解けの沼地が待ち構えているわけか。しかもそこを縄張りにする謎の龍まで存在し、人が踏み入るための前哨基地さえ設置できない。つまり徒歩で凍土を超えるか沼地を越えるか、あるいは沼地を迂回していくしか方法が無い。
「わかりました。他の方法を考えることにします」
「すまない……しかし君はどうして戻ることにしたんだい? 他の者達は特に疑問もなくそのままここで暮らすことを選んだそうだが」
「家族を向こうに残してきたままなので。……心配性なんです。俺も、俺の家族も」
「……わかった。もはやこれ以上君を引き止める説得はナンセンスだろう。“門”までは案内しても構わないが、あの“遺跡”へ向かうことに護衛はつけられない。あの場所は我々の立ち入ってはならない場所だからね」
どういうことだろう。ゾーヤさんは“遺跡”周辺を探索した前例があると言ったが、その次には立ち入ってはいけない場所と言った。立ち入ってはいけないはずなのにその場所の調査報告が知られている。一体何故?
「物理的に立ち入ることが難しいのはわかりました。ですが、踏み入った者が居ないわけではないんでしょう? 何故入ってはいけないんですか?」
「君の言うとおり入れないわけではないのは確かだ。それ以上に我々の精神面や信仰の上で立ち入ることが難しいんだ」
「宗教上の理由ですか?」
「宗教というには少し弱い。だが御伽噺と言うには不可解が過ぎる。そんな出来事があったんだ。それ以来彼の地へ人が立ち入ることは禁じられ、この数百年誰も向かうことがなかったほどだ」
「差し支えなければ聞かせてもらうことはできますか?」
「話せる範囲でなら話そう」
飲み物でも飲みながらな、と言ってゾーヤさんは先日と同じように木彫りのカップに紅茶らしい飲み物を注いで手渡してくる。
「あれはそう、先ほど話した調査団が帰還する一ヶ月前だったそうだ。北の方角に……“太陽が生まれた”らしい。いくつかの流れ星が尾を引いていった直後に地を揺るがすような地震と共にその太陽が生まれたのだそうだ。
夜だというのに昼間のように明るく、肌を焼くような熱風が吹き抜けたらしい。建物がいくつか崩れ落ち、この世の終わりが来たのだと錯覚した人々はこぞって逃げ出したそうだ」
流れ星に太陽。地響きと熱風。まさかとは思うが……核弾頭なのか?
しかし彼女達の生活の風景からするにそんなものが存在する技術レベルであるとは思えない。魔法のようなファンタジー要素は未だ確認できてはいないが、今現在の俺の見た範囲内で文明の利器たる電灯やガスなどは見当たらない。だとすると巨大な隕石の落下が原因だろうか。
「問題はこのあとだ。その太陽は調査団が向かった場所……およそ“遺跡”が存在する場所……大山脈の付近で起こったらしかった。だがそこにいたはずの調査団は野営をしていたがそのようなものを見てはいなかったんだ」
「そんなバカなこと」
そんなはずはない。爆心地にほど近い場所に居ながら何も見ていないなど有り得ない。だがゾーヤさんの仕草や目線は嘘を吐いているようなものではなかった。
ゾーヤさんはカップの中身を少し口に含み、息を吐いて再び語り始める。
「……調査団はそのとき、夢を見ていたそうだ」
「夢、ですか」
「そうだ。光に包まれたと思った次の瞬間には見知らぬ集落の中に居たそうだ。鋼の獣が地を駆け、巨大な翼を広げた鳥が空を飛んでいるのを見たらしい。小人が入っている箱やひとりでに灯るランプなどが存在する摩訶不思議な場所に居る夢を見て、その夢の中から道具を持ち帰ってきたらしい。みながみなして、同じ夢を見ていたと」
まさかとは思うが……テレビや飛行機じゃあるまいな。いよいよオカルト染みてきたなこれは。いや……俺が既にオカルトに巻き込まれているんだから当然なのかもしれないが。
ならオカルト的に考えよう。科学的ではなく、論理的でもなく、オカルトで辻褄あわせをして補完する。意味不明になるのはわかりきったことだけれど、そうでもしなきゃ俺がおかしくなりそうなのだ。
カップの縁に口をつけ、風味を味わうように口に含む。……し、渋い……! 香りは紅茶のようだけどなんて苦さだ!
「……その話を聞いて一つ仮説ができました」
「聞かせてくれ」
「俺の世界でのオカルト……ええと超常現象に関する話なのですが、俺の居た場所では“重力が歪んでいる場所”なんていうものがあります。他には立ち入ればまったく違う場所へ出てしまうトンネルというものなんかも。
そしてそれに俺や他の人々が巻き込まれたことでこの場所へ出てしまったのではないかと。俺はこちらへ飛ばされたが、調査団の彼等はそのとき俺が居た世界に逆に飛ばされていたのではないかと思います。……荒唐無稽なお話ですけどね」
こちらの世界で起こった先ほどの事件……まるでツングースカ大爆発のような事件を聞かなければこの説には到らなかっただろう。
そしてこの世界で起こったその爆発によってこちら側にも“世界が歪んでいる場所”ができてしまった。そして俺の居た世界とこちらの世界とでその歪みが何らかの形で噛み合ってしまったために、俺はこちらの世界に出てしまったのかもしれない。
じゃあどうしてまったく別々の時代に出ているんだ、という疑問が出るのだがそこはオカルト。仕方の無いもの――というより様式美として受け入れるべきだ。
バミューダ・トライアングルの事件なんかもそうだしエルドリッジが時間を越えてしまって転移しただとかいうお話――後者は都市伝説だが――なんてものまであるんだ。難しく考えるべきではない。
……まさかとは思うがこちらの世界の動物が俺の居た世界でUMAとして発見されていたりしないだろうな。
「ふむ……なるほど……そう考えれば不自然ではないように聞こえる。けれどあの事件は何百年も前だ。今になって何故君が? それに他の者達のようにバラバラに現れた理由は?」
「そこまではなんとも。ただ人知を超えた何かが起こった、ということだけは確かです」
「要するに根拠の無い机上論と。……とはいえ現実に目の前に君が居る」
「信じがたいことですが。まあ、自分も未だに信じがたいことだらけですよ」
ううむ、とゾーヤさんは困ったようにくしゃりと白銀の髪をかきあげる。物憂げに窓の外を見やる姿は実際の歳とはかけ離れた妙齢の女性としての色香を漂わせる。
ぴょこ、と立ち上がった猫のような耳と相まってどこか愛らしさも感じる。
「まあ、わからないことを考えても仕方が無い。今は君をどうするべきか考えようか」
ふっ、と憑き物が落ちたように微笑むとゾーヤさんはテーブルに置かれていた羊皮紙とペンを手に取ってこちらに問いかける。
「君はどうしたい?」
「どう、というと?」
「君は遺跡に行きたいんだろう?」
「ええ、何としてでも行かなければいけない。そんな気がしているんです。そこに行けば何か手がかりがあるのでは、と」
「なら自分で自分の身を守ることができなければいけない。先ほど言ったようにかの地は広大な上に人の手が入っていない。助けなど望めないしそも近寄ることさえ無い。
君に必要なのは力だ。この大地を踏破し、遺跡まで辿り着くだけの技術と知恵が必要だ。しかし君にはそれがない」
「……仰るとおりです」
「なら、身に付ければいい。一人過酷な野を旅することになっても折れない強さを」
「それはつまり」
「ここに住んで力を身に付ければいい。……可能なら同道してくれる友を見つけられればなお良し、だ」
ゾーヤさんは羊皮紙にペンを走らせ、すらすらと何かを書きとめていく。紙面に目を走らせ、確認するようにして再びこちらを見る。
「君の居場所はここだ。ふわふわと漂う浮雲のような、存在の不確かな迷い猫になる必要なんて無い。君はここに居ていいんだ」
本当にいいのか。俺はここに居ていいのか。もうあの冷たい銀世界に戻る必要など無いのか?
「いいんですか……? 俺は、ただの……何も無い人間ですよ?」
「いいのさ。この大地はヒトに厳しい。だからこそヒトは手を取り合うことでこんな厳しい場所でも暮らしていける。
誰にだって帰りたい場所がある。君もそうだ。だが君の場合それは限りなく遠いどこかだ。ならひと時の間でも……君にとって帰るべき場所になってあげたい。足を休める場所となってあげたいんだ。
君は確かに昨日は私たちに牙を向いた。そう行動する切欠を私が作ってしまった。けれどお互いに敵ではないと理解し、平和的解決に導くことができた。私の不用意な行動で巻き込んでしまったイリーナにまで頭を下げてくれた。
君が礼節と自省の精神を持っているとわかったからこそ、私は君を受け入れると決めたんだ」
「俺はっ……生きて、いいんだ……。もう、一人にならなくて……いい……」
怖かったんだ。一人で居ることがずっと怖かった。自分を理解して受け入れてくれるヒトが居ないのが怖かった。孤独であることは何も怖くは無い。自分がどこか世間一般の感覚とはズレがあることくらいは理解していたから。ズレがあっても理解してくれるヒトが居て、受け入れてくれるヒトがいたから。変わったヤツだな程度には思われるだろうが、それでも親友も居たし同僚とも仲良くやれていた。
だけどひとりぼっちだけは耐え切れなかった。誰とも話さず顔を合わせず関係を構築することもなく、ただただ自分を励まし慰めるような日常だけは耐え切れない。
「まだやれることが……あるんだ」
俺は俺にできることをしよう。そしていつか必ず、帰るべき場所へ帰るんだ。