きゃすたー(7mg)の雑多なネタ倉庫 作:きゃすたー(7mg)
「ユーリ、貴公の見た赤い光とやらについて教えて欲しい」
パチパチと暖炉の火が煌々と燃える一室。外からは轟々と雨風の降る音。眼前には着替えを終えたモニカ。そして何故か周囲を囲むように居座る四人の団員たち。
これは取り調べや事情聴取というよりも最早尋問なのではなかろうか。そんな勘違いを起こしそうなほどに周囲の四人の眼差しは鋭い。こちとらけが人なのだからもう少しストレスをかけないように気を配って欲しいものだ。
「船団長、お茶をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
彼女の前に置かれたティーカップには芳しい紅茶。しかし俺の目の前には何も無い。モニカへの気配りをもう少し俺にも向けて欲しいものなのだが。
「船団長、お茶菓子をご用意しました」
「う、うむ……ありがとう」
どん、と眼前に置かれたのは紛うことなきバウムクーヘン。直径にして30センチはあろう分厚いそれは皿の上で温かな湯気を昇らせて鼻腔をくすぐる。
「船団長、トッピング用のチョコレートソースとメイプルシロップです」
「え、あ、うむ……」
真っ白な陶磁の小皿と銀製のナイフとフォーク、そして銀製の小さなミルクポットが皿の隣に二つ置かれる。モニカの表情は紅茶が出されたころの嬉々とした表情から“どうしてこうなった”と言わんばかりに困惑を浮かべている。
「船団長、リーシャ副長が」
「ええい! 話が進まないではないかっ! さっさとお前達は下がって待っていろ!
それともう1セット皿とナイフとフォーク持ってくるんだっ! この者は客人だぞ!」
「了解!」
どたどたと騒がしく部屋を出た彼らは名残惜しそうにモニカを見やり部屋を出る。さらりとこちらを見て舌打ちしたのはどこのどいつだろう。今すぐダイダロイトベルトの岩塊ごと地上の旅に送り出してやってもいいんだぞ。
「すまない。うちの部下はどうにも慌しいものでな」
「自分の上司が見知らぬ相手、それも帝国軍の軍人を連れてきたんだ。気になるのは当然だろう」
もう1セットの紅茶と食器のセットをトレーごと受け取ったモニカは手早くバウムクーヘンを切り分け、その皿によそって俺に差し出す。
香気の立ち昇る断面にかかったシロップ。琥珀色の鏡が暖炉の炎を写して輝く。
「ふむ……瘴流域にさしかかるあたりで赤い光が見えた、と」
「ああ。何者かが居たからか、はたまたただの自然現象だったのか……モニカは何か思い当たる節はないか?」
「むぐ……もしかすると……星晶獣なのではないか?」
口に入れていたバウムクーヘンを嚥下し、モニカは紅茶のカップを手に取りそれらしい答えを告げる。
「可能性としては有り得るのか? ガルーダのような独立した個体ならともかくとしても、ここは島と呼べるか怪しいような場所だろう」
「うむ。ユーリの言うとおりダイダロイトベルトは無数の岩塊や土くれが集まった列島だ。だが研究者の、ああ……在野の民間研究者の話だが、ダイダロイトベルトは元々一つの大きな島だったのではないかと考えられているんだ」
「随分眉唾な話だな」
「自分でもそう思うさ。しかし何も無い場所に突然島ができるなども考えにくい話だろう?」
モニカはバウムクーヘンにナイフを入れて一切れ――とはいえ全体の四分の一ほど――を自らの皿にとりわける。
「まあな。地上から島が浮き上がってくるのを見たらイヤでも信じるしかないんだろうが」
「同感だ。話を戻すと、元々島だったダイダロイトベルトが何らかの理由で今のような岩塊の集まりに変化し、浮力を失ったものの落下することなく存在しているのは不自然だ。しかし星晶獣は島と契約することでその島を“縄張り”とする……まあ自らの特性や資質に応じた“
「ダイダロイトベルトは今も尚何らかの星晶獣と結びついている、とも考えられるわけだ」
「あくまで推測。しかし星晶獣のトンデモぶりを考えれば簡単に捨てきれる可能性ではない」
「……で、その研究者というのは?」
「名は羅生門という。巨大な研究艇を擁する地質学者で、他の空域にも跨って島々の地質調査を行っているそうだ」
羅生門? ……日本酒の銘柄くらいしか浮かんでこないのだが。
「それで、その羅生門先生とやらはそれなりに信の置ける学者なんだろうな?」
「当然だ。島々の古代遺跡の調査なども行っている学者集団の頭目だし、その護衛任務の依頼も入ることがある。私も二度三度ほど会ったことがあるが、理知的で誠実なおじさまだった」
なるほど。地質調査のプロフェッショナルたちだし実績もあるわけだ。モニカが素直に賞賛の言葉を述べるからには人も好いのだろう。
それに遺跡調査も行っているのなら……何か手がかりが得られるかもしれない。寄り道はしたが思わぬ収穫だった。
「明日の巡回はより厳重に行うように伝えておこう。最優先で目撃情報のあった近辺を調査せねば」
「頼む。ただの錯覚というだけならいいんだが、どうにも何かあるような気がする」
「わかった。一応確認するが、調査報告は?」
「カルテイラ商会に頼む。あいつのフットワークの軽さならすぐ飛んでくるはずだ」
さて、アガスティアに帰ったら商会に伝えておかなければな。あとは遠征終了の打ち上げと報告を済ませて休暇。休みが明ければ部隊の再編と新兵訓練に加えて新造艦の視察と次の任務か。次の任務もまた長くなりそうだ。
装備や資材の調達も指示しておかなければ。それに予算編成も組み上げて各部署に伝えて……しかもこれを新任の副官に教えながらこなすのか。デスクワークなんぞやりたくないが、やらねばならないなら仕方が無い。
「ユーリ、紅茶のおかわりはいるか?」
「頂こう」
楽しそうに紅茶を注ぐ彼女の微笑みを眺める。その笑顔は少女のころと変わりない。唯一違うといえば、左頬に張られた絆創膏くらいだろう。
「……そうじろじろと見られては落ち着かないぞ。そんなにこの下が気になるのか?」
「それは当然だろう」
「わかった。ユーリ、少しこっちで温まろう」
暖炉に近いソファに腰掛けたモニカは催促するようにぽんぽんとクッションを手で触って手招く。どすんと腰を下ろすなり、モニカの小さな肩が寄り添う。
いつだったか、過日の光景が重なるようにして脳裏を過る。
「うむ……やはりユーリは大きいな」
「別に普通だろう。ドラフ族じゃないんだからな」
零距離。爽やかな石鹸の残り香と艶のある肌。少し湿りを帯びた、ウェーブのかかったブロンドヘアー。珍しいオリーブ色の瞳。幼さを持ちながらも妙齢の女性の色香を放つ彼女の顔がすぐ傍に迫る。
「……ほら……これで満足……か?」
モニカは自身の左頬の絆創膏をぺらりとめくる。そこにはあの傷が――無かった。
「ふふっ、驚いたか?」
不敵な笑みを浮かべたものの、すぐにその笑みに僅かな陰が射す。
「けど、痛かったんだ。剣で斬られるよりもずっと痛い、身を引き裂かれるような痛みがした。このまま死ぬのかと思ったほどには」
「あの時はすまない、モニカ。痛い思いをさせてしまった」
「……謝らないで。空に夢見る少女だった私にとって、あれは通過儀礼だったんだ。お陰で私は現実に向き合う覚悟もできたし、決心もついた。剣を振るう意志も定められた。
もしユーリが撃ってくれていなかったら……私はあのまま人買いに売られて見るも無惨な姿で家畜同然に扱われていただろう。助けてくれてありがとう、ユーリ」
屈託の無い笑顔。いつかと同じ優しい声。つい、その白い頬に指が伸びる。
くすぐったそうに瞳を閉じるモニカ。手のひらにおさまる柔らかな感触。ふぅ、と腕を這うように感じる彼女の息遣い。
「んっ……どうした。今日は……なんだか甘えん坊じゃないか?」
「戦場帰りだしな。それに気が置けない相手も居る。少しくらいいいだろう?」
「まったく……妹分に対してべったりしすぎだ」
そりゃあそうだ。モニカには剣を振りかざして欲しくなかった。血生臭い戦いの世界へ足を踏み入れてほしくなどなかった。平穏に、普通の村娘として生きて幸せを掴んで欲しかった。
モニカは元々正義感の強い子どもだった。空の青さに魅了され、空を駆けずり回っていた当時の俺を見て、そして空の現状とその中で戦う俺を見て、彼女は剣を手にすることを選んだのだ。
その選択を決定付けたのは紛れも無く俺の所業だ。悪党を取り締まり、外敵を征し、守るべき人のために戦う姿に幼いモニカは憧憬を抱いた。
「だが、こういう近さも……悪くは無い」
そう、剣を手に取ったモニカを悲しく思う反面で、嬉しく感じている自分が居ることも確かなのだ。
共闘し、敵対し、反目し、和解し、剣を通じてモニカの在り方を感じ取ることができたこともまた事実だからだ。そして彼女がヒトとして、知性ある生命として研鑽を積み高みへと向かって駆けていることが何より嬉しいことだった。
憧憬を恋心と誤認していた時期だってあった。お互いに命がけで戦場に立つときだってあった。だけどそのような
第二話 英雄の帰還
「ぶすー」
「……なぁガルーダ」
「むすー」
「すまなかった」
「許さん」
部屋中に舞い散ったガルーダの黄土色の羽。それに埋もれるように散乱した書類やペン、部屋に飾っていた現地で買った小物。ベッドのシーツはビリビリに破れて千切れ、その上で褐色肌の少女ガルーダは不貞腐れた様子で寝転がったまま、怒りを籠めた声で告げる。
「わらわは
「……心配をかけてすまない」
「当たり前のことじゃ!
ガルーダはばさりと翼を広げ、胸倉を掴むと視界がぐるりと回ったかと思うと天井が映り、その視界の片隅にガルーダの顔が映りこむ。
馬乗りになったガルーダは憤怒と悲哀をない交ぜにしたような、苦悶の表情で俺を怒鳴りつけてくる。
「
まずい、と思って見やったガルーダの瞳が収縮する。歯をがちがちと言わせ、視線はそこかしこを彷徨い、息を荒げて身を震わせる。
止まり木を失ってしまった鳥。帰るべき場所を失った人間。俺が死ぬということは彼女にとって自らの帰結するべき場所が失われることと同義なのだ。俺にとっては回帰すべき地上が存在していないのと同義なのだ。
“鳥無き里の蝙蝠”と言えば有名な故事だ。知ってか知らずか、あるいは自嘲なのだろうか、ガルーダは長い時の中を生きる自らを獣と称した。
「もう、イヤじゃ、イヤじゃ! 一人になどなりとうない! ばけものなどと持て囃されて矢を射掛けられるなどイヤじゃ! 腹に刃を突き立てられ、手足翼をもがれて見せしめにされるなど考えとうも無い!
なあ、なあ、
ヒトと似た姿を持ちながらヒトに在らぬ少女の心は、まだ幼い。幼くしてその未熟な精神に甚大な傷を負った彼女は時々過去に押しつぶされそうになる。
独り立ちすらできてもいない斯様な少女を兵器としてこの空に放り出した存在、彼女の創造主たる星の民というヤツラはとんでもないクソッタレだ。覇空戦争だかなんだか知らないが、純真無垢な心根の幼い少女を血みどろにして苛烈、凄惨にして悲壮なる戦争の現実に送り込んだのだから。
そして自らの為したことが悪であるという事実に耐え切れなくなって、彼女は歪んでしまうこととなったのだ。助けて欲しいときに助けてくれる
彼女はまだ人間で言えば十代になったばかりか前半の少女、それも多感な時期の女の子と大差ない精神構造をしている。
元来の前向きな気質で立ち直りつつあるが、未だに過去を払拭できていないのもまた事実だ。こうして嫌な思い出が自らの理性を狂わせる程度には、ガルーダはまだまだ精神が未熟なのだ。
「大丈夫だ。死んだりしない」
俺の胸に泣き顔を埋めたガルーダをそっと撫でる。さめざめと滴る涙にシャツは濡れ、ガルーダの撒き散らした羽根は彼女の慟哭に触発されたのかパチパチと僅かに放電を起こしている。
痺れる感触を無視して頭を撫でてやると、ガルーダはおずおずと顔を上げて涙で濡らしたままこちらを睨みつける。
「…………それは、まことか?」
「でなけりゃとっくに寿命で死んでるさ」
「……空に落ちたりはせぬか?」
「しない。落ちるときも一緒だ」
「…………もう一人はいやじゃ……」
「大丈夫だ」
何分、何十分かと錯覚するほどの静かな時間が流れていく。胸に耳を当てるようにしていたガルーダはそっと起き上がり、もじもじとしながら言う。
「ぬ、
「いい。それくらい甘えてもいい。辛い時はお互いに支えあうのもまた家族というものだ」
雨に濡れた外套と上着をハンガーにかけ、涙で濡れたシャツを着替えて籠に放り込む。
「さ、散らかしたら片付けるんだぞ。俺も手伝う。それが終わったら晩飯にしよう」
「……うむ!」
ガルーダの眩しい笑顔が浮かぶ。分厚い雲の過ぎ去った後の太陽のように、屈託の無い純真な少女は喜びをあらわにして、一つ一つ抜け落ちた羽を拾い集めていく。
先ほどまでの様子が嘘のように生き生きとしている姿を見て一抹の不安が胸中を過る。“まだまだ子どもだから”と言って割り切ってしまうことができるほど俺は楽観的な人間ではないのだ。
彼女の知性は大人に引けを取らないものがある。戦術論だってある程度理解できているし、何より彼女の“強者”としてのあり方は上位者のそれだ。例え相手が自らと同じように強大な星晶獣であろうと、膝を屈することも退くこともしない。
だが彼女の理性や精神は幼い子どもにも似通っている。思い通りにならない時はわがままを言い、癇癪を起こせば多少加減しているとはいえ星晶獣の権能を使ってでも我を通そうとする。
知性が高い分だけいくらか聞き分けはいいものの、自らよりも格下の存在が何を言ってこようが聞き入れることはない。俺が言い聞かせていることで
「
「ん、ああ、どうした?」
「手伝うと言いながら手が動いておらぬ! 怠けておるのなら腹が減らぬ。ならばお主は飯抜きじゃ! 主計長に言いつけてやる!」
「じゃあガルーダは新しいシーツをボロボロにしたから三食抜きだな。こいつは名工のデザインした逸品なんだぞ。お前のお小遣いが容易く吹き飛ぶくらいには値が張るのは確かだが……買い換えてくれるのか?」
「そっ、それはあんまりではないか!?」
「じゃあお互い言い合いするのはナシだ」
その後機関の不調を伝えにやってきたガルストンに平謝りしたのは言うまでも無い。
「今日はいろいろとありすぎたな……」
夕食を終えてガルーダと風呂を済ませ床につく。新しく引っ張り出したシーツの堅い感触で眠気が遮られるが、眠れないという状況は自らを省みるにはもってこいの時間でもある。
くだらないこと、思い出深い出来事、嬉しい出来事や悲しい事件まで、つらつらと振り返ることは山のようにある。
「必死にアウライ・グランデから戻って来たと思えば嵐に巻き込まれ、義妹には変なトコ見られた上に心配され、ガルーダには泣きつかれ……どうにも運が向かないな」
「
強化ガラス製の窓から差し込む月明かりに照らされたガルーダの表情は不満げなままだ。
キクリが悪いだの云々と呟くガルーダの髪の感触を確かめるように頭を撫でると、ガルーダは途端に笑みを浮かべる。
「ほら、もう寝たほうがいい」
「んんぅ……
二人で一つの寝床は暖かい。高空ゆえの寒さもこの寝床に限っては無縁だ。
俺の二の腕を枕代わりにした彼女はそのまま身をすり寄せて甘えてくる。スキンシップをねだる、というよりも安心感のほうが強いのだろう。
「んふふ……やはりここは誰にも譲れぬ。ふぁ……極楽というのは……こういうものか……」
厚手のシャツごしにだが、ガルーダが頬をすり寄せているのがわかる。最適な位置を探るようにしてこすり付けてくる行動は幼い子どものそれだ。
「んー……むふぅー……んふふっ……」
やがて最も落ち着く姿勢に行き着いたのか、ガルーダのもぞもぞとした動きはなくなり、静かな寝息だけが聞こえてくる。
求めていた安息に落ちていくガルーダ。その柔らかな肢体を俺に押し付け、離すまいとしがみつくように密着する。
小さな体に島をも消し飛ばす力を秘めた存在、覇空戦争の遺産。星の落とし子。神鳥を冠する星の獣。表現は多々あれど、それはどれも相応しくない。今のガルーダは親の愛情や存在感を求める幼子でしかないからだ。
「すぅ…………んむ…………んっ…………」
やはりまだまだ彼女は子どもだ。愛情に飢え、孤独を恐れ、人肌の温もりと庇護を求めている。
する、と脚が絡められる。健康的に引き締まった、幼い娘の脚から下腹部が擦り付けられ、まだ未成熟な肢体が密着する。最後には俺の左胸の上にガルーダの顔が乗りかかる。
密着するよりも更に近い。誰にも渡すまいとするかのように、寝巻きであるシャツが強く握られる。
「…………とと、さま……」
「……おやすみ、ガルーダ」
規則正しい安らかな寝息をおぼろげに感じながら、静かな夜は更けていく。
エルステ帝国の帝都アガスティアは遠目に見ればまさに「空に浮かぶ城」とも言える威容を誇っている。
天を衝く尖塔の数々と建築物。アーチで繋がれた建造物同士が連なり、水路が走り、地面がむき出しの場所など公園くらいなものしかない。昼夜を問わず煌々と煌く外灯と、多数の
全ての土は石畳で覆われ、中央に聳えるエルステ帝国の官邸たる“タワー”はその尖塔の先が霞んで見えないほどの巨体で我々を出迎える。
「エルステ帝国万歳!」
「皇帝陛下万歳!」
陣形を組んだ外征艦隊の兵士達。彼らが織り成す隊列の中央に陣取った
儀仗兵や楽隊までもが同道するこの光景は帰還の度に行われる。常に戦場にその身を置く外征艦隊の兵士にとって、これは数少ない喜びの瞬間でもあるのだ。
勢力圏内とはいえ空域を越えた先の僻地に駐留するというのは容易いことではない。日常的に敵の攻撃に備えなければならず、片時も気の抜けない哨戒任務をこなさなければいけない。その上街に出ようにもその道中や街中で危険が無いとは言い切れないのだ。
常に磨り減っていく精神。休まることのない肉体。折れそうになる心。それらを勇気で奮い立たせ、使命を以って剣の柄を握り締め、約束を胸にエルステの臣民――引いてはファータ・グランデの人々の盾となる。
命がけの日常がようやく終わる。愛する故郷へ、家族の下へ戻ることができる喜びは何ものにも変えがたいものだろう。そして彼らの奮闘を、挺身を、守られる人々は賞賛し温かく迎え入れるのだ。
このパレードはその一部でしかない。まだまだ序章でしかないのだ。彼等はここから任を解かれ、船に乗り、故郷で待つ愛する家族や仲間の下へ帰っていく。門の戸を叩き、それが開いた先に大切な誰かの笑顔があって初めて全ての戦いに幕が下りるのだ。
未帰還となった仲間も居る。目の前で息絶えた仲間も居る。空の底に消えていった仲間も居る。彼らの思いも共に背負って、我々はようやくここへ帰ってきたのだ。
周囲から万歳三唱が飛び交う中、官邸のゲートを潜り抜ける。喧騒が次第に遠のき、衆目に晒されていた肩の荷が下りる。
そのまま隊列は官邸に併設された軍学校の演習場に移動する。そしてそこで待ち構えているのは――やはり山のような人ごみだ。
「相変わらず騒がしいものだな、ガルストン」
「こればかりは仕方がありませんな。士気高揚のための一大イベントなのですから」
ある者は軍学校の校舎から、ある者はグラウンドに出て、またある者は屋上の手すりから身を乗り出して、集結した外征艦隊――プリンツ・ユージン、グラーフ・シュペー、アトミラール・シェーアのほぼ全戦力の陣容を焼き付けようと熱烈な視線を送ってくる。
頭上には我が旗下の三隻。俺の周囲には三隻の保有する地上戦力の全てが布陣している。
陸戦の主戦力である歩兵は刀剣や槍、もしくは弓や銃を携えている。隊の人員のいくらかには魔法兵が配され、より多彩な戦局に対応することを可能としている。
そしてそれを支援する工兵隊。火砲や爆弾などによる前線支援や建築物の破壊はもちろんとして、要塞陣地の構築や防衛ラインに配置する罠の考案、引いては即席の指揮所の設置なども可能な兵士達だ。
そしてその後方から左右に
長剣を携えた者、長槍を携える者、ライフルを背負う者、魔法を使うための杖をベルトに挿した者など装備は様々だ。
そして地上部隊の本隊。事実上の艦隊最高戦力。
数多の激戦を潜り抜け、百戦錬磨の錬度を誇る歩兵部隊。主将である俺の護衛を務める万能の兵士、
迫撃砲や試作型の強化外骨格装備など強力な火器を持つ機械化部隊。
唯一この場に居ないのは艦の運用を行うミュラー大佐などの要員と偵察・ゲリラ戦などの任務に就く者達だけだ。後ろ暗い使命を帯びた者はどんな時代、どこの国にでも存在している。俺にできるのはエルステのため、臣民のために自ら望んでその任に就いた彼らを守ることだ。
素性を誰にも知らせず、経歴を見せることもせず、彼らの名は報告書の上ですらも黒塗りで潰されていることを確認してから提出する。総ては彼らの献身に応えるため。彼らが陽の当たる場所へ出たとき、己の過去の行いが足かせとならないようにするためだ。たとえ心無い言葉を投げつけられても、どのような屈辱的な言葉を吐かれても、俺だけは最後まで彼らの味方であり続ける。
それが彼らへの、自ら血塗られた道を選択した彼らの貢献に報いる術だからだ。
「外征艦隊の勇士諸君、エルステ帝国皇帝陛下に代わって、まずは無事の帰還をお祝いさせていただきます」
即席の観覧席に立ち、演説を始めた人物に目をやる。
背中はほとんど明け透けで、スリットの深いスカートは膝上20センチにはなるだろう。膝下は黒のサイハイブーツで覆われている。スカートとブーツの隙間を埋めるように網目状のストッキングとそれを引き上げるガーターベルトが走っている。
胸元も明け広げられたままで、そのたわわに実った果実が瑞々しく揺れる様は並みの男ならば一度はじっくりと拝みたくなるだろう。
「諸君らの献身によってファータ・グランデ、ならびにエルステ帝国の領内へ他空域の脅威が侵入する事態は減少傾向へと転じ、年々その数を減らしています。これは偏に諸君らがエルステ帝国の精強さと果敢さを誇示し、正道を敷く強者としてのあり方が他国に広く認識されていることの証左であると言えましょう」
ぴくり、とエルーンの彼女はそのピンと張った獣のような
聴衆である軍学校の生徒たち。教官である軍人たち。官邸から出てきた官僚や役人たち。それらの意識を一身に集める帝国の宰相、フリーシア・フォン・ビスマルクは一息の間を置き、更に
「しかしここは未だ通過点に過ぎない。ファータ・グランデを付けねらう脅威は未だこちらを伺い、虎視眈々と牙を研いでいる。
今後も諸君らには厳しく、過酷な任を担ってもらうこととなるでしょう。諸君らの働きのお陰でファータ・グランデは大事無く統一が着々と進められているのです。
既に空域の過半を制し、今やエルステは他空域の強国とも渡り合うだけの国力を有するに到りました。しばしの休息の後、我等エルステ帝国はより磐石の態勢でもって立つ時が来るでしょう。
そしてそのときこそ、諸君ら外征艦隊の勇士たちがエルステの旗印と共に一番槍として数多の敵を撃滅せしめるものであると確信しています。
栄光のエルステの未来のために! エルステ帝国、万歳!」
「エルステ帝国、万歳!」
「帝国に栄光あれ!」
彼女の一声で万来の喝采が巻き起こる。びり、と大地を震わせる歓声と賞賛を背に、彼女は悠々と白と赤、そして金糸で装飾された外套を羽織り官邸への馬車に乗り込む。
「……また、多くの命が散っていったか」
出撃時の兵数合計1000名。未帰還者が127名。戦死者221名。残存戦力は652名。過去最大の損失となった第三次遠征は辛うじて及第点といえるレベルでしかない。
この空の世界において、人が住める、繁殖できる場所は限りなく少ない。我々が住める大地は島々しかなく、故に必然的に兵力というものは容易に集めることができない貴重な資源となる。それを500近くも失った。手痛い損失だ。
「……せめて、大陸と言えるような巨大な島が一つでもあれば……」
慰霊碑への道すがら、ふと横目に仰ぎ見た空は夕闇に染まっている。
アウライ・グランデは既に激戦区となりつつある。そして隣接するナル・グランデも次第に飲み込まれつつある。じわりじわりと、このファータ・グランデも戦火に呑まれて行くことになるのだろう。
人が集中して住まうことのできる島でも、資源が豊富な島でもいい。どちらかがあればそれだけでエルステ帝国の立ち回りは変わってくる。人的資源が多いのならば地上戦力を強化し、歩兵による浸透戦術なども手の一つとなる。多方面から攻め立てて包囲するなど物量で押すことも可能になるだろう。
鉱物資源が多ければ機械化、主にゴーレムなどの無人兵器や艦船の技術を拡充していく方針で進められる。強力な艦艇の砲撃と
どちらにしても艦船技術の向上が急務であるのに違いは無いが。
「いや、所詮無いものねだりだな……やれることをやるしかないか」
他の小国家とは違いエルステ帝国は常備軍、つまりは職業軍人で構成されている。一般市民を戦争や一定の年齢になってから徴兵によって動員するのではなく、戦争を専門とする者達で各軍が形成されている。
メリットを挙げるならば兵士の、引いては軍としての質の向上だ。常日頃から訓練を行って研鑽を積む軍人と、普段剣を握ることの少ない一般人とでは雲泥の差だ。座学での戦術知識の蓄積はもちろんとして、訓練を共にすることで生まれる連帯感や、苦境に陥っても抗いぬく反骨心が根付くのだ。
指揮に必ず従う忠実な、それでいてファイティングスピリットの旺盛な兵士に育つのだ。戦術の幅が広がり、戦略の選択肢が増えるだけでなく、軍事力の誇示にもなるだろう。
逆に一番のデメリットといえば数を揃えることが難しいという一句に尽きる。人の成長速度は犬猫のそれとは段違いなのだ。ペットを育てるのとはワケが違う。
兵士それぞれのモチベーションや成長速度、習熟度合いの違い。一律で同じ教育を施してもそれら全てを習得し、習熟させるまでにはひたすらに訓練と実践を繰り返す他に無いのだ。まだよちよち歩き同然の新兵、訓練兵である間はこちらで彼らの生活の面倒を見てやらなければいけない。そして一端の軍人になったとしても、剣や銃などは高級品なのだ。量産品とはいえ上質な武器を与え、身を守る装具を与えて大切な戦力を易々と喪失しないようにしなければならない。
つまり、金がかかる。人を育てること、人材育成というものは往々にしてカネがかかる。
逆に言えばそれらの面倒を見れるだけの
とはいえその貴重な戦力が400名弱喪失されたのだ。
400人の命と未来は失われ、そして400人分の家族の悲しみが生まれた。
400人に費やした資金と時間は最早戻らない。だが彼らの行いは、命を賭した献身は無為にしてはいけない。忘れてはいけない。
仲間や家族、国に住まう人々のために戦った彼らの尊厳が失われることがあってはいけない。
そのための
「きみ――」
開きかけた口が閉じる。同時に駆け出し、花束を投げ捨てて空いた両手で彼女のぐったりとした細身の体を抱き起こす。
赤髪のショートヘアの美しいエルーンの女性。スレンダーな体つきとラインのきわどい蟲惑的なシースルーが目を引く踊り子の赤いドレス。彼女の青ざめた端整な顔、一文字に結ばれた口の端から零れる赤黒い液体。足元に転がった小さな杯から微かに香る独特なにおい。
顔と同じく血色の引いた首元、頚動脈の上に指先で触れる。仄かに灯っているような、しかし燃え尽きた灰の残り火のような熱。僅かに見開かれた双眸は翡翠の輝きを微かに放つものの、それもすぐにおぼろげに消えうせていく。
「…………エ……リ……ット……?」
絞り出されるように紡がれた最後の言葉は誰を呼んだのだろうか。一滴の涙と彼女の口元から垂れる血が混じりあい、真っ白なコートの袖に落ちて染み渡っていく。
彼女は何故ここで自らの命を絶ったのだろうか。それも毒杯を呷るという方法での自決は相応の苦痛を味わったはずだ。死の恐怖を上回る絶望など、そうあるものではないはずだ。
彼女が最後に命を燃やして呟いた“エリオット”という名。彼は彼女にとってどのような存在であるのだろうか。この女性ををここまでさせた彼はどこで死んでいったのだろうか。
警邏中の衛兵に亡骸を引き渡して事情聴取を終え、無駄に広い官邸に隣接する住宅区画にある自宅――もう1年も使っていないが――でごろりと横になる。
部屋の主は居らずとも清掃は行われているらしく埃臭さは感じられない。真新しいシーツに張り替えられたベッドの上は心地よいものだが、常に揺れる艦艇の寝室での眠りに慣れた身にはまだ違和感がある。
しばらくして風呂を済ませたガルーダが戻ると、一人で寝るのはイヤだとごねるガルーダを寝かしつけて部屋を後にする。
眠れないうちに積もり積もっていくもやもやを解消しなければ。そう思い官邸内の執務室に足を踏み入れる。窓の外は夜のアガスティア市街地の明かりで煌き、夜の帳が下りたとは思えないほどの賑わいをみせている。
執務室は資料や書籍の眠る棚の前には大量の紙の山が積まれ、応接用の豪奢なソファーとテーブル、あげくはカーペットの上にまで紙の山が置きっぱなしになっている。
ソレを横目に自身の執務机――もちろん紙の塔が聳え立っている――に着くと、堂々とど真ん中に置かれた真新しい装丁の本を手に取る。
第三回特務外征任務戦没者名簿。約300人の命、その末路が記された本だ。
「E……L……これか?」
エリオット・テューダー・ランカスター大尉。旧エルステ王国のそこそこ大きい貴族の家系。享年27歳。種族はヒューマン。家族構成は両親は居らず年の離れた妹が一人。
殉職前だと少尉になる。尉官を終えれば佐官、将官へと行く行くは進んでいたのだろうか。
「……似ていないな」
あの慰霊碑の前で自決した彼女は赤髪のエルーンの女だ。対して写真の彼、エリオットは美しい稀少なプラチナブロンドの身目麗しいヒューマンの青年だ。少し女性的な曲線と面影を残した美丈夫。少なくとも二人は血縁ではないらしい。
「戦域からの撤退時に殿軍を務め殉死……か」
婚約者であるにしては身分が違いすぎる。ランカスター家は元貴族、今では貴族位こそ無いが政府の役人やアルビオンの士官学校に入れるくらいには裕福なはず。
それに対して女のほうは踊り子だ。毒のニオイと混ざりながらもはっきりと感じられた強い臭い消しの香料。肩首や背中に残っていたキスマーク。左の鎖骨のすぐ下に彫られた刻印。英字のFに似たそれは僅かに魔力の残り香を放っていた。
ぱっと見ただけだったが、細身に見えて引き締まった筋肉のついた足はすらりと長く、しかし足首を捻っていたのかそこだけはやや腫れていた。
彼女は長らく踊り子をしていて、その魅力的な肢体を武器に夜の街宿で“踊っていた”のだろう。
「…………行くか」
時刻は夜12時。まだ店は開いている時間だ。着替えていっても間に合うだろう。
20メートルはある歓楽街の大通りは夜中であるにも関わらずそこそこの人通りで賑わっている。店の前にテーブルが並べられ、そこに運ばれてくる大衆料理とエールの香りがなんとも食欲をそそる。
ラガー、エール、スタウト、ランビックなどのビールはもちろんとしてワイン、スピリッツ、リキュール、ブランデーなど多種多様なものが並んでいる。エルーン族はこうした酒造りの伝統技術を多く持っていることもあって、
こじんまりとした居酒屋から大きな料理屋、宿屋にギルドまで様々な施設が揃う大通りの脇に佇む細道へ入ると、街灯の明かりさえも届かない裏路地には飲み潰れた男たちや逢瀬を果たす男女の姿がちらほらとみかけられるようになる。
その裏路地の一件、小さなランプが看板を照らすだけの店のドア。キィと古びた木製の扉を開くと、久しく嗅ぐことのなかった甘い香りが鼻をくすぐる。
20人ほどが入れる店内は客で一杯になっていた。複数の女を数人で囲む一団や、カウンター席でサシで飲みあう者、カウンター内で料理する女を口説く者まで様々だが、皆一様にべったりとくっつくほどに体を寄せ合っている。ある男はニヤけた顔をして女の臀部や脚に手を伸ばし、ある女は扇情的なシースルーの衣装で客を誘っている。
「いらっしゃ……」
「どうも」
「あ、あぁぁっ!!! ……ォ……オーナー! オーナァァァァッ!」
そのうちの一人、トレーを片手に給仕に勤しんでいた黒髪のハーヴィン族の女性がこちらに気づく。細やかな刺繍が施された白黒のエプロンドレスにフリルのカチューシャを着けた彼女はあわあわと動揺した様子で店の奥へと駆けて行く。
しばらくして奥から彼女を連れ立ってやってきたのは丸眼鏡をかけた、腰ほどまでアッシュブロンドの髪を伸ばした若いエルーンの女性。深いスリットのスカートと胸元のところが開いた上着のレディーススーツを纏った姿はどこかウチの
「先ほどは店の者が失礼致しました。お客様をこのような場所でお待たせしてしまうとは」
「気にしていないさ。連絡も無しに来た俺の不手際だ。それに用事で来ただけだ。大層な話でもないさ」
「ですがこのままでは先ほどの者が犯した失態がそのままになってしまいます。店の娘たちの失態は
「大した用事じゃない。この紙に書いた人物の捜索依頼だけだ。すぐに済むし、すぐに帰るさ」
「わざわざお越しいただいたというのに、愉しんで戴けぬまま帰られて仕舞われては我々の立つ瀬が御座いません。それは我等にとっては死にも勝る恥辱で御座います。どうか……」
ここまで言われては仕方がない。彼女たちにとってはそれが誇りであり生き方であり、なによりも違えてはいけない鉄の掟なのだから。
「……少しだけだ」
「ありがとうございます。こちらへどうぞ。マリー、蔵のお酒を用意して頂戴」
「忙しいのではないのか?」
「ええ。ですので、私が」
「お前はもう店に立つような役では無いだろう」
「はい。……でも、1年ぶりですよ。一目見て……疼いたんです。ふふっ、そう易々と衰えるようなことはございませんわ……」
「自分がやりたいだけとはな――――朝までは勘弁してくれ。仕事なんでな」
彼女が開いた扉の先は安宿のように見える店の外観からは想像もできない金細工や彫物で装飾された天蓋付きの
「旦那様」
「……急かすな。準備しろ」
「んぅっ……はい……御随意に。本日はそのままで?」
「ああ。脱がなくていい。湯浴みも必要ない」
「承知致しました」
ぺろりと舌なめずりした彼女は頬を紅潮させたまま、荒い吐息を隠すこともなく寝所へとそのスレンダーな体を横たえる。
これは必要経費だ。お互いに相手から得たいモノがあるからには、お互いにナニカを差し出す必要がある。そう、それだけなのだ――――そう思っておこう。
「アリーシャ様、おまたせしました」
「ありがとう。業務に戻って頂戴」
「かしこまりました」
事を終えてしばらくして、女中の一人が持ってきた羊皮紙を下着姿のままで受け取ったアリーシャ――この売春宿兼情報屋の主はエルーン族特有の耳をぴくりと震わせて視線を走らせる。
「もう見つかったのか?」
「ええ、もちろんですとも。閣下がご執心なされている女性のプロフィールですよ。存分にっ、ご覧になってはいかかですか?」
読み終えるなり、アリーシャは不機嫌さを隠しもせずにくしゃりと丸めたソレをこちらに投げ渡してくる。
彼女が拗ねたときは耳がツンと張るのだが、そのクセはどうやら少女時代から何も変わっていないようだ。
「通り名はエリザ。年は二十歳。出身地はアウギュステ。四年前にアガスティアへ移住か」
「正確に言えば四年三ヶ月。あっちでも“踊り子”だったらしくて、傭兵相手にやっていたらしいわ」
「随分詳しいな。面識でもあったのか?」
「ええ。裏のとはいえここは商業区。そこで届出も無しに勝手に“売り”をされちゃスパイ扱いされて投獄が関の山だもの。お客のためにも、そして彼女自身のためにも、事情聴取は必要なことだったのよ」
「……お前なら」
「はい?」
「お前なら、愛した者に先立たれたとき……どうする?」
「どう、とは?」
「そのままの意味だ」
ふむ、と汗ばんだ下着姿のまま彼女は腕組みして考え込むと、しばらくして口を開いた。
「私としては、と付け加えて言えばだけど……きっと塞ぎこむかと。……もしかして慰霊碑の前で服毒自殺した赤毛の女の相手って……」
「ああ、ウチの部下だった」
「――そう、まあこんな商売だもの。心から愛してくれる人が居たのはいいことだけど、一途に男を愛してしまった時点で身を引いておくべきだったわね。
日陰の仕事ではなくもっと日の当たる場所へ帰るべきだったのよ」
「そういうもの、か」
「そういうものよ。こういう仕事は所帯や恋人を持ちながらするものではないわ。遅かれ早かれ日向と日陰のギャップが日常を侵食して、おかしくなっていくのよ」
夜明けも近い。そろそろ戻るべきだろう。ガルーダが癇癪を起こす前に傍に付いておくほうがいい。
アリーシャと入れ替わりで湯浴みを終えるとさっさと外出用の普段着に着替える。裏町に似合う質素なズボンとシャツだけだが、丁寧に洗濯されて折りたたまれていたそれに袖を通し、店の裏口から表通りへの道へと入っていく。
夜明け前の表通りは静かなものだ。酔いつぶれた者達は裏路地への小道で寝転がり、悪漢どもは日陰へと逃げ帰るように去っていく。歩く者の居ない場所にただの一人……まるで世界からヒトが消えたかのような静寂はあの日を思い出す。
…………帰ろう、あるべき場所へ帰るんだ。思い出すべきじゃない。
「しかし、どういうことだ……更にわけがわからなくなった」
外征艦隊は元々はエルステ王国の遊撃部隊が前身になっている部隊だ。はみ出し者や厄介者が回されてくる、謂わば“お邪魔虫”と表現すべき場所だったがそれは過去の話だ。それを纏め上げた俺を危険視しているのは黒騎士くらいなはずだ。フリーシアは黒騎士からエルステの全権を取り戻すべく裏でいろいろと手を回しているものの、未だに動きは見られない。
エリオットとエリザ、この二者の繋がりからどう広がっていくのだろうか。エリオットは元王国貴族で、エリザは一介の平民だ。一夜の逢瀬から本当にお互いに愛し合っていたのか、それともエリザによるハニートラップだったのか。
「……やめとこう、どのみち真実など誰にもわからない」
一抹の不安を胸に抱いたまま戻ってきて、あれやこれやと脳裏を過る憶測を振り払って将官用の黒い軍服を身にまとう。執務室で再び紙の束を目の当たりにして軽い眩暈を覚えそうになるものの、どうにか気を取り直して日の出と共に執務を始める。
主な案件は現在進行中のプリンツ・ユージンの後継となる艦の建造に関するものと、外征艦隊の再編に関する内容のものが多い。俺を“潜在的な王国派”と見なしてくる黒騎士……アポロニア・ヴァールから暗に“死んでこい”と言われている遠征任務ばかりだった。
帰還でさえ年単位で間が開くような遠征を数度こなしているのだ。死んでいれば御の字だったのだろうが、最早黒騎士もこれ以上は無駄と判断したのかもしれない。ようやく解放されたかと思うと少し気楽だが、暗殺者にはこれまで以上に注意しなければいけないだろう。元王国軍の士官や兵士は多くが退役させられ、残っている一部のものは将官か地位に縋りついているヤツらくらいなものだ。その中でも軍内部で発言権を有している不穏分子――黒騎士にとっての――が俺なのだから、暗殺はいつでも起こりうるだろう。事実として“王国派”とやらも俺に擦り寄る姿勢を崩さないから、必然俺まで王国派に見られるのだ。
ガルストンの異動や外征艦隊の再編も俺の戦力を削ぎ落とす一環なのかもしれない。まったく、俺はエルステの市民を守ることだけを考えているというのに、どうして内輪もめなんぞで命を狙われなければいけないのか。
……あちらが諜報員を送り込んでくるのなら、こちらも諜報員を連れてこなければならないだろう。目には目を、だ。
「ぬーしさまーっ!」
勢いよく開け放たれたドアの向こうから突風の如く胸に飛び込んできたのはいつもの元気な笑顔のガルーダだった。飛ぶ鳥の如く突っ込んできて膝の上に座ったというのに書類の一枚さえ飛び散らないあたり、どうやら周辺の大気を操作していたのだろう。変なところで器用な子だ。
「おはようガルーダ。ご飯は食べたか?」
「うむ! 久々にメリーベルの作った朝餉を食べたが更に腕を上げておるぞ!」
「ほう、そりゃあ楽しみだ。と、そこでちょっとお願いなんだけど」
「ぬ?」
「コレをカルテイラ商会に渡して欲しいんだ。二つあるから落とさないようにな」
「わらわを子ども扱いするでない! ……まあガルストンもおらぬし、副官も決まっておらぬのではわらわを頼るのも致し方ないのじゃが!」
ニヤニヤと笑みを浮かべるガルーダの手がそっと差し伸べられる。その意図するところは言わずもがな。
「わかったわかった、500ルピだけな」
「むー! それでは甘味を一つ二つ買ったらなくなってしまうのじゃ!」
「仕方ないやつめ……ほら、これで足りるだろう?」
彼女の小さな手にじゃらりと乗せられた硬貨。金額にして2000ルピほどはあるだろうそれを見た彼女はなるほどと一人ごちる。
「何個ずつ買ってくればよいのじゃ?」
「2個ずつでいい。種類はガルーダに任せるさ」
「にんむりょーかいなのじゃ! 食後のデザートを心待ちにするがよいぞ!」
先ほど入ってきたとき同様に風一つ起こさぬまま、ガルーダは執務室から走り去っていく。きっちりと書類入りの封筒も抱きかかえるように大切に持っていったことだから落とすこともないだろう。
果たしてどうなることやら。こればっかりは開けてみなければわからないビックリ箱のようなものだ。……せめて事務仕事もできる優秀なヤツが来ればいいんだが。