英雄の夢
ひととおり、今日の掃除を思う存分済ませた頃、家の扉を開ける音が聞こえてリヴァイは自分の部屋から飛び出した。
「いや。しかし、地下街はけっこう怖いところだな。まさかいきなり絡まれるとは思わなかった」
「オイ、ツェラン。それはお前がそんな良い身なりしてるからだ。襲ってくださいって言ってるような格好しておいて、そりゃねえぜ。あの野郎も可哀想になあ、殴られ損だぜ」
「殴ったのはお前だろ、ケニー」
数日ぶりに帰ってきたケニーの後ろから、こぎれいな格好をした男が入ってきたのを見て、リヴァイは思わず扉の後ろに体を隠した。ケニーほどではないが、身長のある男だが、一目見てわかるほど細く、弱々しい印象を受けた。
あれなら、自分でも殺せる、と判断して、リヴァイはその軟弱そうな客人のためにお茶を入れようと炊事場へと回った。
「で?どうだよ、地下街に初めて来た感想は?」
「ああ。何というか、彼女がこんな劣悪なところで過ごしていたなんて……本当に過酷な生活だったんだな」
「人の家を見ながら言う言葉じゃねえがな。……本当にお前のそういうところ、俺は嫌いじゃねえぜ」
隣の部屋で、ケニーと珍しい客人の会話が聞こえてくるのを、聞くともなしに聞きながら、リヴァイは湯を沸かした。そして、なけなしの紅茶の葉が入った缶を手に取る。振ってみれば、わずかだがまだ残りはあるようだった。
一年以上前に、ケニーと仕事をした時に「拾った」紅茶だ。大切なときにだけ、大事に大事に飲んできた、初めての自分の紅茶だった。
「あの子を使用人として雇いたいなんて、御主人に言ったらなんて顔をなさるだろう……」
「はっ。あの王様なら、「奇跡」だのなんだの言って二つ返事で了承するだろ。ちょっと考えりゃわかるだろ馬鹿かお前」
「しかし、お前が連れてきたあの子がどれほど魅力的で良い子だとしても、出自が卑しい者であることに違いはない。屋敷の者がそういうのを嫌うの、お前が一番よくわかってるだろう?」
簡易な茶器(と言えるものではないが)を用意して、リヴァイが彼らが話す居間に入れば、その客人らしき男が素っ頓狂な叫び声をあげた。
「おぉおおぇぇえ?お前、ケニー!!」
「おお、リヴァイ。茶か?」
「そうだ」
豚のように耳障りな悲鳴だな、とリヴァイは聞いたこともない豚の悲鳴を想像しながら思った。自分には少し高い机に、客人とケニーに茶の入った器を出せば、その軟弱な男は「ありがとう。すまないね」と心苦しそうにリヴァイに頭を下げた。
「お前、ケニー!子供がいたのか!?」
「俺のガキじゃねえよ。……知り合いのガキだ。そいつが死んだから今、面倒見てるだけだ」
「まさか、彼女が地下街で面倒を見ていたという人の息子か?」
頭上でやかましく何やら言っている客人への礼は済んだ、とリヴァイは器を乗せた盆を引いた。
リヴァイがケニーに教えてもらったことはいくつもある。そのなかで、特に何度も言われたことに、客人のもてなし方がある。
家にやってくる客人には、種類がある。まず大きく分けて、ひとつが扉から入ってくる奴。もうひとつがそれ以外から入ってくる奴だ。どちらも丁寧な対応が必要だという。
後者はケニーに教えてもらったナイフで、前者はお茶で。
他にも、色々ともてなす相手の見極め方は聞いたが、ケニーが連れてくる相手には茶を、というのは初めて実践するものだった。何しろ、ケニーが誰かを家に連れてくるなど、今までなかったことなのだ。
ケニーは、リヴァイが入れたお茶を一口飲んでから、「オイこれ、薄すぎだろ!」と声を上げたが、客人は、「美味しいよ」と笑ってくれた。
「オイ、お前は下がってろ。ほら、土産だ。これでも読んでろクソガキ」
「絵本?」
「お前そんなもの買うのか?」
「ウーリが持たせたんだよ。俺が買うと思うか?これを?笑えるぜ!」
見たこともないような、そのキラキラとした装丁の、立派な絵本に、リヴァイは目を輝かせた。もう絵本を読むような年でもない。しかし、最近文字を学習したばかりのリヴァイにとっては、文字が載っているものは全て宝物のように見えていた。
「ガキだと言やあ、こんなもん持たせやがって。あいつはガキは等しく乳しゃぶってる赤ん坊だと思ってるんじゃねえのか?こいつは見てくれはチビだが、もう兵士になれる年だぞ」
「ご主人のご好意をそう言うんじゃないよ」
「お前だって、あの女のガキが欲しいならそう言やあいいんだ。惚れた女と一緒になれるってのは、幸福なことなんだろ?」
リヴァイが本を両手に見上げれば、客人が顔を赤らめて俯いていた。何の話をしているのか、正直全くリヴァイには理解できていない。
「お前が戦うべきは身分の差だけじゃねえだろ。その、ツェランの、いや。クルーガーだったか。その血とどう折り合いつけるのかってところだろ。ガキができりゃ、その血はそいつにも受け継がれるんだぞ」
「…………さすが、アッカーマンが言う言葉は重いな」
リヴァイはその理解できぬ会話を無視して、隣の部屋に戻ろうとして背中を向けたが、不意にケニーが「オイ!」と怒鳴ったので驚いて振り返った。
「お前な、」
「すまない。ケニー。ここではその名は厳禁だな。すまない。もう口にしない。私はこれでもお前を尊敬してるんだ。私と彼女の結婚が認められて、もし子供に恵まれたなら。私は必ずその子をこの理不尽な血から守るよ。平凡だが、安全で平和な世界で幸せになってもらうために。……なあ、君、リヴァイ君。こっちにおいで。本を一緒に読もう」
客人の誘いにリヴァイが戸惑っていれば、ケニーは黙っていたので、許しが出たと思って、椅子をひとつもってきて彼らと同じように机についた。
笑いかけてくるその軟弱な客人に請われて、絵本の表紙をめくれば、驚くほど鮮やかな色が目に入った。
地下街の薄暗闇のなかでは決して目にすることのできない、花の赤、山の緑、そして空の青。
高価な本らしく、それらの色が散りばめられた絵本には、金色の王子様と、何人もの従者たちがいた。その従者の中には、一際小さな者がいた。それは、「英雄」なのだと言った。
物語は、本当にありふれた、しかし壁の中では滅多に聞かないような冒険譚であった。
金色の王子様が住む世界では、巨大な敵がいました。その敵を倒し、人々の幸せを守るために、王子様は家来たちをつれて戦うのです。その家来たちのなかには、皆から慕われる英雄もいました。
数々の戦いのなか、家来や英雄たちは死んでしまいます。しかし、王子様は彼らのために頑張って敵を倒すことに成功します。
平和が訪れた世界で、王子様はその平和を守るために、かつての英雄たちの墓をつくって、一緒に世界をおさめていくのです。そして、その世界は、末長く平和に暮らしました。もはや敵と戦うことなど、誰もしなくてよくなったのです。
「平和な世界が一番ってやつだな。王子様に感謝しろってか」
「ウーリ様らしい」
リヴァイはその絵本の物語が特段面白いものとは思えなかった。敵など、巨大なものでもなく、ありふれてすぐそこいらにいるものであったし、平和な壁のなかでも、地下街では敵と戦うべく、日々命のやり取りがあるのだから。
その絵空事は、特に興味をそそるものではなかった。
ただ、その金色にはひどく惹かれるものがあった。
「ケニー。こいつらは、どうして死ぬまで戦ったんだ」
金色の家来を指差してリヴァイは問うた。その従者たちは、一様に金色の王子様を守るために死んでしまった。なぜ、そんな生き方をするのか。リヴァイにはわからなかった。
ケニーは少しだけ考えた後、
「そうしても良いって思えたんだろ」
「そうしても良いってなんだ」
「その金色の王子様のためなら、死んでもいいって思えたんだろ」
ケニーは面白くなさそうに、その絵本の真ん中、金色の王子様と戦う、小さな英雄を指差した。
「こいつらは家来じゃねえ。きっとこの王子様と一緒に戦って、対等になって、守って、知りてえって思えたんだ。そのためなら、別に何だってよかったんだ」
「どういう意味だ。何だそれ」
ケニーは、リヴァイの頭をくしゃりと撫でて、「そう思える奴ができたらわかる」と呟いた。
「テメェみてぇなクソガキでも、こんだけ立派になりゃ、御の字だろうな。オイ、リヴァイ。こんな英雄みてぇに強くなれよ」
「……俺にはわからねぇ」
「ケニー。難しすぎるだろう。何言ってるんだ、お前」
結局、リヴァイにはケニーの言わんとしていることは理解できないままだった。その後、その客人が彼らの家を訪れることもなかった。その名を知ることもなかった。
ケニーがリヴァイのもとを去ったのはそれからしばらくしてからである。そのときもらった絵本も、金に困った際に売り払って、もうリヴァイの手元にはない。
ただ、その金色の王子様と英雄の話は、今でもリヴァイの記憶の底にある。時折、底からすくい上げて、はっと目の覚めるような鮮やかな色彩の記憶に、身を委ねることがある。
リヴァイのほんの僅かな、幸福の記憶だ。
思えばあれが、きっかけだったのかもしれない。
「命令だリヴァイ。従え」
巨大樹の森。
目の前で巨人どもに、食われる女型を横目に、リヴァイが班員のもとへと行こうとしたのを止めたエルヴィンが強く言った。一刻も早くエレンたちの元に戻らねば、と気が焦るなか、ガスの補充を命令したその金色は、揺るぎない視線でリヴァイを見下ろしていた。
「了解だ、エルヴィン。お前の判断を信じよう」
実物の金色の王子様は、絵本とは違い、傲慢で慈悲深さのカケラもない。しかし、あの絵本の従者が、なぜ王子様のために命を投げ出したのか。少しだけ、分からなくもない気が、今のリヴァイにはしていた。
――強くなれよ。
そう言った父親だったのかもしれないあの男の期待には、どうやら自分は答えられなかったらしい。その証拠に男は自分のもとを去ったが、今、ここではリヴァイを「英雄」としてその力を求める人たちがいる。
リヴァイは、金色の命令を信じ、補給兵のいる場所へとアンカーを放った。
*****
作戦は失敗に終わった。
多くの兵士を犠牲にして、調査兵団は敗走を余儀なくされた。その恐ろしいまでの敗北の感情に、クシェルは身を焦がすような思いをしながら馬の手綱を握っていた。
生き残った体はまだ重たいが、動けないほどではない。まさか、おめおめと生き残るとは思わなかったので、少し放心していた。
巨大樹の森からの敗走中だった。
その、巨人の声が森の中でこだましたのは。
「エレン!?」
その声にいち早く反応して、馬の首を返したのは、隣を並走していたイリヤだった。クシェルが呼んでもどこ吹く風。その無鉄砲な兵士は、あっという間にその声の方向へと単騎で走り去ってしまった。
「団長!イリヤが離脱しました!追います!許可を!!」
前方を行くエルヴィン団長が許可の頷きを返したのを確認して、クシェルは最速力で隊列から離れた。
その無鉄砲な兵士の後ろ姿を確認できたのは、それからだいぶ走った後のことだった。
15メートル級はあろうか。その巨大な体から蒸気を発している、巨人の死体の前で、彼は止まっていた。
「イリヤ!」
その巨人の頭部は欠損している様子であった。あたり一体は、巨大樹がなぎ倒されている。その様に、その死体がエレン・イェーガーのものであることが推測された。
「クシェル班長!エレンの巨人の死体です!中身はありません!うなじごとかじられています!」
女型にやられたのだろう。そうあたりをつけたイリヤにクシェルもまた、その巨人の死体に近づいた。先ほど、リヴァイ班の面々の死体を見てきた。
あの死体は、女型にやられたと考えて間違いない。
そう、馬の速力を落として巨人の死体を見上げて、クシェルは驚きに言葉を失った。
「クシェル班長!早く!きっとリヴァイ兵長があとを追っています!援護に向かわなければ!!」
「エレン……」
「そうです!エレンですよ!」
「エレン・クルーガー…………?」
クシェルの呟きが、森の中で小さく響いた。
こちらにて、第一幕完です。ここまで読んでくださった方、お気に入りに登録してくださった方、感想をくださった方、そして評価をくださった方、本当にありがとうございます。
とても中途半端で、最後はわかりにくいところも多かったように思います。
が、なんとか自分の中で最初から決めていた終わりを迎えてよかったです。
主人公の心情を描きたいあまり、はりまくった伏線は回収せずに終わりましたが、それもまた、ぼちぼちと第二幕以降で回収できたらいいなと思いながら、結びといたします。
至らぬ物語、読む人が限られてくるであろうこの物語を、ここまで読んでくださった方々に、本当に感謝の意を。ありがとうございました!!!!