未来への進撃   作:pezo

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二章 交戦


 

 

じっとりと、緊張による汗が滲む。

緑色の外套の下で、イリヤは息を吐くと同時に、凝り固まった肩を少し鳴らした。

 

「そろそろか」

 

エルヴィン団長たちを載せた馬車がストへス区の街並みを横切る。その馬の足音が迫ってくるのが、イリヤたちが潜む路地裏にも聞こえてきた。

 

「馬車が通り過ぎて憲兵団が動けば、目標に声をかけます」

 

イリヤに目配せして、アルミンが言った。緊張からか、その声がわずかにうわずっていた。イリヤの後ろには、エレンとミカサが控えている。皆、立体機動装置が見えないよう、長い外套に身をつつみ、フードで顔を隠していた。

 

女型を取り逃がした壁外調査から数日後。エレンと調査兵団の責任者の王都召集の日である。場所はシーナ内地を囲む壁の突出地区、ストヘス区である。

 

アルミンが立てたアニ・レオンハートの捕獲作戦は、今のところ滞りなく進んでいるように思えた。エレンを囮に、女型と疑わしきアニ・レオンハートを誘き出すという作戦。その実行部隊には、エレンとミカサ、アルミンが選ばれ、班長としてイリヤが任命されている。

 

「人類の盾」としてエルヴィンが評するイリヤは、その再生能力でもってエレンの護衛を果たす。それは先の壁外調査と変わらない。しかし、その配置に対して、反対したのは彼の直属の上官であるクシェル副官であった。

 

曰く、在団歴一年足らずの兵士に班長は務まらない。

 

曰く、甘い覚悟のイリヤに、人間相手の作戦は荷が重い。

 

要は、イリヤにはアルミンの立てた作戦の指揮をとるのは不可能だ、とはっきりと否定したのだ。その抗議のせいかどうかは分からないが、結局クシェル副官はイリヤの上官からも、女型捕獲作戦からも外された。

 

――イリヤはエレンの護衛へ。君は待機だ。クシェル。

 

そう、団長に命令された時の、クシェル副官の絶望に満ちた表情たるや。

 

してやったり。

 

にっくき上官の処遇ににやりと笑みを零したのは、イリヤの秘密である。今回の作戦で功績をあげ、あの口うるさく乱暴な上官の鼻をへし折ってやる。イリヤは今回の作戦が決行されるまで、そう息巻いていた。

 

「大丈夫か、イリヤ」

 

悲しいことに、息巻いていたのは、作戦が決行されるまでだった。

イリヤの様子に案じて声をかけたのはエレンである。一年若年のくせに、なぜかイリヤに対しては全く敬語も使わないエレンは、目の前で手を震わせているその長身の兵士に言った。

 

「何言ってんだ。俺は全然問題ない」

 

巨人相手の時よりも緊張している、などとは後輩たちの前では決して口にできない。

 

「イリヤさん。声が震えています」

 

ミカサの不安そうな視線が痛い。彼女は無愛想で、感情の起伏も激しくないようだが、ひどく正直だ。その視線が、イリヤに対する不安感を真っ向から表しており、イリヤはなんだか泣きそうな心持ちになる。

 

「来ました」

 

アルミンが足早に大通りの方へと駆けていく。その後姿には迷いがない。エレンを背中で守るミカサも、立案者のアルミンも、その任務に全霊をかけているように見えた。先日、古城での会議で滲ませていたわずかな動揺も、既に消化されたようだった。

 

自分などよりよっぽど、彼らの方が覚悟がある。

 

イリヤはそんな事実を目の前にしながら、アルミンが「アニ」と目標の名を呼ぶのを聞いていた。

 

イリヤには、同期を疑うなどという真似は、できそうもなかった。クシェルの言う通り、甘ったれたところは変わらない。そう、はっきりと自覚した。

 

 

 

**

 

「さすが憲兵団様だ。日頃の仕事具合がうかがえる」

 

「きょろきょろしない」

 

そう、憲兵団を揶揄したのはエレンであった。エレンのすぐ後ろにぴったりとついて歩くミカサが、彼の挙動を諌める。

 

それは、アニに、エレンを逃がすために憲兵団である彼女の助力を借りたいと説得し、合流したときである。彼女に疑いを抱かせないように、辺り一帯を調査兵団が監視している状況をごまかす演技の途中であった。

 

調査兵団の仲間たちは首尾よくやっているらしい。あたりには憲兵団どころか、一人の住人の姿も見えない。作戦通り、このまま地下通路へとアニをおびき寄せそうであった。

 

「あんたは?」

 

先頭をいくイリヤの背中に、落ち着いた声が届く。振り向けば、まるで鷹のように鋭い瞳と目があった。

 

「俺はイリヤ・ツェラン。あんたらの一期上だ。よろしく」

 

「……イリヤ・ツェラン……」

 

「ん?なんだ?」

 

一瞬その鷹の目に、光がきらめいた気がして、イリヤは首をかしげた。

 

「いや。なんでもないよ」

 

だが、アニはそのまま視線を落としてそう言った。長身の彼からすれば、女型と思わしき彼女はひどく小柄であった。こんなか弱そうな少女が、仲間を無慈悲に殺した巨人だとは、到底信じられない。

 

助けられなかった仲間たち、今もなおケガに苦しんでいる仲間たちを思い出し、イリヤの胸に怒りがふつふつと湧きあがる。だが、目の前の小さな金色の髪の少女に、怒りと共に複雑な心持ちも去来する。まるで、鍋の中に怒りと困惑を一緒に、低温で煮ているような感覚だ。

 

こんな小さな少女が、いったい何のために仲間たちを殺したのか。

 

「ここだ」

 

複雑な感情を腹の底に抱えながら、イリヤは目の前の階段を指して言った。ストヘス区の街並みにある、地下へと続く階段。今は既に廃棄された地下空間へと続くものである。そこに彼女を連れ込む。そうすれば、彼女が万一に巨人化したとしても、被害は最小限に抑えられる。

 

「ここ?」

 

「うん。ここを通る。この地下には昔計画されてた地下都市の廃墟があるんだ。これはちゃんと外扉の近くまで続いている」

 

アルミンの説明をうけたイリヤは、エレンたちに合図して、イリヤはその階段を真っ先に下りていく。目の前に広がる暗い地下へと続く階段。中腹あたりから、地上の光は途切れて、ただただ暗い闇が広がっている。ちょうど、イリヤの足がその闇の先端、地下から伸びる影を踏んだあたりで、エレンがアニを呼んだ。彼女は一歩も、その階段を降りていなかった。

 

「アニ?何だお前。まさか暗くて狭いところが怖いとか言うなよ」

 

「そうさ。怖いんだ。あんたみたいな勇敢な死に急ぎ野郎には、きっとか弱い乙女の気持ちなんて分からないだろうさ」

 

「大男を空中で一回転させるようなやつはか弱くねえよ。バカ言ってねえで急ぐぞ!」

 

「いいや。私は行かない」

 

再度歩みを進めたエレンたちに、アニが拒否をしっかりと示した。みるみるうちに、エレンの表情がこわばっていく。

 

「そっちは怖い。地上を行かないなら、協力しない」

 

「何言ってんだお前は!さっさとこっちに来いよ!ふざけてんじゃねえ!!」

 

「エレン!叫ばないで!」

 

狼狽しきったエレンに、ミカサが叱咤する。が、アニは既に、気づいていた。

 

「大丈夫でしょ、ミカサ。さっきからこの辺には……なぜか、全く人がいないから……」

 

そう言ったアニの表情が、悲しげに歪められた。それは、年相応の少女のそれで、イリヤには到底あの女型の巨人のそれとは思えなかった。

 

「……ったく傷つくよ」

 

イリヤの目の前で、アルミンがそっと信煙団のトリガーに指を添える。その手が、震えているのが、イリヤの視覚からよく見えた。

 

「いったいいつからあんたは……私をそんな目で見るようになったの。……アルミン」

 

「……アニ。なんで、マルコの立体機動装置を持っていたの……?わずかなヘコみや傷だって一緒に整備した思い出だから、僕にはわかった」

 

「そう……あれは、拾ったの」

 

狼狽して言葉を失ったエレンの代わりに、アルミンが詰問する。それに、アニは顔をそらして答えた。アルミンの方を、見ようともしない。

 

「じゃあ、生け捕りにした二体の巨人は、アニが殺したの?」

 

「さあね。……でも、一ヶ月前にそう思っていたんなら、何であの時に行動しなかったの」

 

「今だって信じられないよ!きっと何か、見間違いだって思いたくて……。そのせいでっ……!!でも、アニだって……あの時、僕を殺さなかったから、今こんなことになっているんじゃないか……!」

 

 

徐々に、アルミンの声が震えだす。地下階段の入口に立つ彼女に叫ぶその姿は、罠をかけようとする兵士のそれではなく、まるで何かを乞い願う迷い子の姿のようであった。

 

「ああ。心底そう思うよ。まさか、あんたにここまで追い詰められるなんてね。あの時……何で……だろうね」

 

苦渋に歪められたそのアニの横顔に、イリヤは思わず息をのんだ。

 

 

「おいアニ!お前が間の悪いバカで、クソおもんねえ冗談で話を合わせてる可能性が、まだ!あるから!!とにかくこっちに来い!この地下に入るだけで証明できることがあるんだ!こっちに来て証明しろ!!」

 

 

「そっちには行けない。……私は、戦士になりそこねた」

 

エレンの叫びに静かに拒否を示したその声は、泣き出しそうな悲しい声だった。

 

「だから!つまんねえって言ってんだろうが!!」

 

「レオンハート!!」

 

それまで黙って彼らのやりとりを聞いていたイリヤが、我慢ならずにその名を呼んだ。アルミンたちを見ようともしない。否、見れないように顔を背けたその悲しげな表情に、いてもたってもいられなくなったのだ。そんな悲しい顔をしてまで、何を背負うのか。

 

「俺たちは君に危害を加えたくない!まだ話せる!まだ戻れるから、事情を話してくれ!!」

 

「もう遅い!!」

 

手を差し伸べたイリヤに、少女の鋭い怒声が返ってきた。彼女は忌々しそうに顔をゆがめ、イリヤを見据える。

 

「私は戦士じゃない。でも……あんたみたいな「出来損ない」にはなりたくないんだ!ツェラン!」

 

「は……!?」

 

「私は……あんたたちみたいな「裏切者」にもなれないんだよ……!」

 

「アニ!僕たちは話し合うことができる!こっちに来て話してくれ!」

 

アルミンの声に、それまで沈黙を守っていたミカサがしびれを切らした。

 

「もういい。これ以上聞いてられない。……不毛」

 

スラリと抜かれた刃に、話し合いの可能性は断ち切られた。

 

「おいミカサ!やめろ!」

 

イリヤの制止にも、ミカサは一切耳を貸さない。階上の女性を睨みつけたまま、

 

「もう一度ズタズタに削いでやる!女型の巨人!!」

 

その名を呼んだ。それは最早、同期の仲間を呼ぶ声などではなかった。

 

そのミカサの台詞に、アニーー否、女型の巨人は突如、おかしそうに笑い声をあげた。場違いな、そして彼女らしからぬ笑い声に、一同が黙り込む。

 

「アルミン。私があんたの、良い人でよかったね。ひとまずあんたは賭けに勝った。……でも、私が賭けたのはここからだから!」

 

女型の巨人が右手をあげた。それと同時に、青い空に、アルミンが放った信煙団が立ち上る。それを合図に、彼女のもとに、仲間たちが一斉にとびかかる。か弱い少女の身体を、幾人もの大人たちが押さえ込み、猿轡をかませようとする。

 

その一連の流れを、イリヤは黙ってみていた。

 

否、呆然と、彼女の言葉を反芻していた。

 

――「出来損ない」。「裏切者」。ツェラン。

 

イリヤの能力を代々引き継ぐツェラン家とは、王家の従者ではなかったか。以前、それを教えてくれたケニー・アッカーマンの言葉がよみがえる。彼の話では、「出来損ない」などという言葉は一切出て来なかった。

 

何が。何を、知っているのか。

 

思考の波に飲み込まれそうになったイリヤを、叱咤するように呼んで浮上させたのはミカサだった。不意に振り返って、アルミンとエレンを引っ張って階段を駆け下りてくる彼女は、その勢いのまま、イリヤに突っ込んできた。

 

「イリヤさん!早く地下へ!!」

 

ミカサの背後で、オレンジ色の閃光がアニ・レオンハートの姿を包み込んだのが、イリヤの視界に一瞬だけうつった。

 

 

***

 

 

 

退屈で死ねる。

 

窓の外に広がる穏やかな青空を眺めながら、ユミルは本日何度目かのあくびをかみ殺した。

 

場所はウォールローゼ内地の兵団施設の一室。隣では同期のクリスタ・レンズが他の同期の女性と談笑している。他の者も、本を読んだり、チェスをしたり、愚痴をこぼしたりとそれぞれに暇をもてあましているようだった。

 

それはちょうど、エレンたちがストヘス区に入るより少し前の頃合いだった。

 

ユミルたち新兵は、早朝、エルヴィン団長をはじめとした兵団上層部とエレンが王都に召集されるより早く、突然号令されてこのローゼ内地の兵団施設へと連れてこられた。

 

日が昇る前に本部を出発し、この施設についたのは日が昇りきった頃だった。集められた104期は平服のまま、訓練すらも禁止されて待機を命じられて既に数時間が経過する。

 

否、104期の面々も数人欠けている。エレンを含めたあのシガンシナ三人組とジャン。四人の姿がない。

 

そして。

 

あくびで滲んだ涙をぬぐいながら、ユミルは窓の外を歩く兵士に視線をやる。上官たちは、こぞって立体機動装置をつけたフル装備で待機している。その中の、ひときわ目立つ容姿の黒髪の女性兵士。

 

役者のように見目麗しい彼女は、立体機動装置に加えて、その肩にライフル銃を背負っていた。まるで、憲兵団の兵士のような出で立ちだ。あれは、対人武器であったはず。

 

「どうしたの、ユミル?」

 

隣で他の同期と話していたクリスタが、その大きな瞳をユミルに向けて首を傾げて問うてきた。その可愛らしい仕草に、ユミルはとろけるような気持ちで笑う。

 

「あ、「女神様」だ。クシェル副官も待機だなんて珍しいよね。いつも団長か兵長の近くでの勤務が多いのに」

 

その上官の通り名を呼んで、クリスタが無邪気に目を輝かせる。シガンシナ陥落の際、住民の命を救ったとされる「女神様」は、どうやらクリスタの憧れらしかった。

 

「お前の方がよっぽど女神様だぜクリスタ」

 

「もう!ユミルはそればっかり!冗談やめてってば」

 

拗ねて頬を膨らませる愛らしい女神様に、ユミルはからかいながら笑う。しかし、実際のところ、それは冗談ではない。

 

――あの上官が銃を持ってるってことは、タダ事じゃねえだろうな。

 

兵団内の不穏分子の摘発。それが、「女神様」のもう一つの仕事である。「女神様」とはとんだふざけた名前だ。その裏では、兵団の仲間を懐疑の目で監視するのが彼女の仕事なのだから。クリスタが思うような、公平無私で勇敢かつ優しい「クシェル副官」など決して存在しない。それを、ユミルは知っている。クリスタの思い描く人間など、ユミルからしてみれば最早人間ではなかった。

 

「ユミル?どうしたの?」

 

「ん〜。何でもねえよ」

 

ユミルは窓の外のその上官の姿を横目で見ながら、クリスタの絹のような髪を撫でた。

 

 

**

 

ユミルたち104期生の新兵が隔離されている一室の外。彼女たちの動向がよく見える場所で、クシェルは数人の兵士たちと見張りを勤めていた。

 

否、正確には見張りなどはしていない。ただ、そこに突っ立って、一枚の書類に書かれた文章に何度も目を通していた。

 

そこに書かれていたのは、クルト・ウェルナーの出身地の情報だった。

 

「アニ・レオンハートと同郷……」

 

まだトロスト区が破られる前、兵団に潜入した不審者であったクルト・ウェルナーは逃亡。それから憲兵団・駐屯兵団に要請して、彼の居場所を捜索しているが、未だその網に彼が引っかかったという情報はない。壁が破られてからこのひと月あまり、トロスト区を中心として壁の防衛は少々難があるようだが、だからと言って壁の外には出れまい。

 

「怖い顔だな、クシェル」

 

思考の底に沈みかけていたクシェルの頭上から、低い声が落ちてきた。聞き慣れたその声に、クシェルは苦笑しながら顔を上げる。

 

「悩み事が多いもんでね。ミケ」

 

アニ・レオンハートと同期の新兵たちの監視の指揮をとるその分隊長が、わずかに笑みをこぼした。

 

 

 

エレンたちを中心とするアニ・レオンハートの捕獲作戦とは別に、ミケ分隊には新兵たちの隔離と監視が指示されていた。憲兵団所属であるはずの彼女が女型であった場合、壁外調査の日程や細かな時間、情報を知ることは困難であったはずだ。しかし、女型は正確に調査兵団の隊列を追い、半壊にまで追いやった。エルヴィン団長は、それができた可能性のひとつとして、104期の新兵たちの中に、女型の仲間、すなわち超大型や鎧の巨人がいると考えたのだ。

 

「104期生の出身地はわかったのか」

 

施設の中で唯一の物見櫓である塔にアンカーをひっかけながら、ミケ分隊長が言った。大柄な体格には不利なはずの立体起動装置を、まるで自分の翼のように操ることのできる彼は、兵団の中でリヴァイ兵長に次ぐ実力者である。

 

「いや。そちらはまだだ。申請が遅かったからね、まだ手間取ってるらしい」

 

「そうか」

 

ミケ分隊長に続いて、クシェルも放ったアンカーを巻き上げるために両手にもった装置のトリガーを引いた。

 

きゅるりと独特のワイヤー音と共に、体全体が宙づりになる。重力と引っ張り力、そして風力に逆らわないように体を預けて、彼女が塔の上に足をついたときには、すでに彼はアンカーを全て巻き終わり、装置のグリップを両脇に収めているところだった。

 

クシェルもミケ分隊長も、共に兵団を長く生き抜く猛者である。兵団の中でも特に女性らしさを残すクシェルもまた、その腕は確かなものであるが、二人の立体起動には違いがある。クシェルが非力な代わりにその身軽さと長けた空間把握能力を駆使して、上下左右、そして立体起動の特質上不得手になりがちな低空飛行が得意なのに対して、ミケ分隊長はスピードには劣るものの、パワーと瞬発力、そして持久力はずば抜けている。

彼は、その優れた屈強な体格故に、アンカーを巻き上げる際に体にかかる圧を、筋肉で耐え抜くことができるから、初速が速い。

 

一方のクシェルは、子供の頃から兵士として鍛え上げられた調査兵とは違い、成人してから訓練を受け始めたので、どうしても骨格や筋肉で他の兵士に劣る。元々のセンス故、空中に舞ってしまえば彼女の立体起動は流れるように速いが、もっとも圧がかかる初速はお世辞にも速いとは言い難い。

 

そんな差が、こうしたわずかな上下の動きのみで、露呈するのだから、クシェルは少しだけ悔しく思う。

 

「あまり悩みすぎるな。お前は笑ってるときが一番いい」

 

わずかな時間で悶々と考え抜いたクシェルを見上げて、塔の中に降り立った彼が笑った。長い前髪の間からのぞく小さな目は、優しくゆるめられていたので、クシェルも思わず破顔する。

 

「どうしたの、ミケ。クシェル」

 

地上から塔へと登ってきた二人に、そう問うてきたのは彼の副官のナナバである。ミケと親しい仲のナナバは、短く刈り上げた髪が特徴的な、線の細い女性である。女性にしては少し低めの声と、端正な見た目で、毎年新兵たちに「男装の麗人」と噂される美丈夫だ。

 

「いや。クシェルがリヴァイやエルヴィンと離れて拗ねていただけだ」

 

「なんだ。いつものことじゃないか」

 

ミケの軽口に、ナナバが笑う。その後ろで遠くを見つめて見張りをしていたトーマがつられて少しだけ口元を緩める。

 

「そうじゃないって!何言ってるの、ミケ!」

 

「確かに、エルヴィンに「自分も連れて行け」って食ってかからなかったのは偉かったね」

茶化すように言ったナナバに、「違うって!」とクシェルが顔を赤らめて反論する。彼らは皆、クシェルよりも在団歴も年も上の兵士である。だからだろうか、クシェルより後に入団したリヴァイや、先輩だが年下のハンジとはまた違った関係性が彼らの間にはあった。見た目よりも気さくな彼らに、やけにからかわれるのは、この七年ほど全く変わらない。

 

「クシェルは最近は年下の男に夢中だからな」

 

「ああ、イリヤ?彼も個性的だよね。あんたも悪い女だね。乗り換えかい?」

 

「だから!」

 

黙って見張りを続けるトーマが、ぷっと吹き出す声がする。任務中とは言え、気心知れた仲間だけの塔の上に、穏やかな空気が満ちたとき。

 

突然、わずかに笑みをこぼしていたミケ分隊長の表情に緊張が走った。人よりも優れた嗅覚をもつ鼻をひくり、とひくつかせる。

 

「ミケ?」

 

鋭く視線を走らせて、彼が周囲を見渡す。辺り一帯は、何の変哲も無い草原が広がるばかりである。青い空の下に広がる緑の平原。そんな穏やかな光景を前に、ミケ分隊長が鋭く尖った声でクシェルを呼んだ。

 

「クシェル!早馬に乗って報告しろ!」

 

「え?」

 

南方の平原の向こう。その一点を見据えて、彼が顔を青くしながら言った。クシェルには、まだそちらに何も見えない。

 

 

「おそらく104期調査兵団の中に巨人はいなかった……!」

 

まさか。

 

ミケが見る方向に、クシェルは視線をやった。一瞬、何か蠢く虫のように小さな影が見えた。

 

「南より……巨人多数襲来!!ウォール・ローゼは……突破された!!」

 

交戦の火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 

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