エルヴィンとニックの絡みは書きたくてたまらなかったのですが…思うように書けたかどうか不安。
ニックはきっと避難民を見るまで、はっきりと何を自分がしていたのかわかっていなかったのではないか、と思う。
そして、エルヴィンは、勇者であり、悪魔でもあるかもしれないけど、決して誰かを救う人ではないように思います。
彼は導く人だと思って書いています。彼の導く先が、地獄か、楽園かは知りませんが。
ウォール教にとって、調査兵団という存在は、王政に反する不穏分子の塊のようなものであった。彼らが存在できるのは、王政に反する者の末路を壁の中の住人へ、見せしめる役割を担っていたからにすぎない。
「自由」という魅力ある夢を背負った彼らが、絶望の表情を浮かべて戻ってくるのを見るたびに、親は子に言うのである。
――ほら、壁の外に出ようとするとああなるんだよ。
調査兵団など、そのような存在意義しかなかったはずだった。あの日、壁が破られるまでは。
シガンシナ陥落によって、唯一巨人に抗する技術を持っていた調査兵団は、世論によってその役割を求められた。設立目的のひとつでもある、人類の未来のために、彼らは存在意義を得たのだ。存在意義を与えられた自由の翼は、水を得た魚のように躍動的に動き始めた。それ以前とは比べ物にならないほど頻繁な壁外調査はその現れだろう。
しかし、実際に調査兵団を動かしているのは、住民どもの要望などではない。たった一人の人間なのだ。
「ニック司祭。初めまして。調査兵団13代団長、エルヴィン・スミスです。挨拶が遅れて申し訳ない」
その人間は、にこりともしない無表情で、ニックに言った。それは、ハンジ分隊がエルミハ区を出発してから間もなくのこと。残留の調査兵団本隊がトロスト区へと向けて出発しようと準備を始めていた頃だった。
月は高く蒼い天に登り、星たちが賑やかに明滅する頃合い。彼らが顔を合わせたのは、そんな夜空の光など程遠い、松明の光に満ちた兵団施設の中であった。
「……私はこれ以上は話せない……」
「承知しています。ご協力感謝しますニック司祭」
碧眼に金髪の男は、抑揚の少ない低い声で謝辞を述べた。ニックにはそれが嫌味なのかどうかすら分からない。かの男は、全く感情を滲ませない。その金糸の髪の毛一本すら乱していない様は、この緊急時には不釣り合いなほどであった。
「礼なんて言いやがって…。いちいちわからねえ男だな、お前は」
そう舌打ち混じりに言ったのは、その団長たる金色よりかは、いくらか分かりやすい黒色の兵士長だった。少しばかりだが、時間を共にして、ニックはこの兵士長という男が、話に聞いていたよりも感情の豊かな人間のようだと知っていた。子細を話そうとしないニックに、あからさまに不躾な態度を示す兵士長に、団長たる男が諌めるように彼の名を呼ぶ。
粗暴なゴロツキと揶揄される兵士長は、ニックへ向けていた殺意に似た視線を逸らした。どうやらこの二人の関係は少しばかり団長の方が優位のようであった。
「あなたが全てを話さなくとも、我々は必ずあなた方が隠している真実へと辿り着くでしょう」
「……この壁の秘密を暴こうと言うのか。この100年の安寧を?お前たちができると?」
100年とは長きに亘る時間である。平均寿命の短い壁の中の住人からすれば、まるで悠久の時間にも思えるだろう。しかし、その金色は真っ直ぐに、射すくめるような瞳でニックを見つめて頷いた。
「もちろん。我々が必ず。壁の穴を塞ぎ、巨人どもを駆逐し、そして真実に辿り着く。必ず全てをやり遂げてみせます。……それができなければ……」
「できなければ……?」
「人類は滅びる。それだけです」
迷いなく告げられた言葉に、背筋がゾッとする。この男は、それがなによりも重要で、正義だと思っているのだろうか。
「……そのために無辜の民を殺してもか。それは正義と言えるのか」
ニックの呻くような言葉に、初めて金色の男の表情が変化した。少しだけ、その青い瞳が不気味に輝いた。
「正義など知りません。それは我々が決めることではない。……それに、我々がしたことは、あなた方がしようとしていたことと、何か違いでもあるのですか?」
その言葉に、今度はニックが表情を強張らせた。壁の中の無辜の民を、滅亡へと導いていたのはまぎれもない王政の方針だ。
わずかな時間でもいい。
争いに濡れたこの血塗られた民に、一瞬の安寧を。世界の辺境のこの土地に、黄昏の世界を。
そう願ったのは、まぎれもなく王家の一族だ。そしてそれは、その子孫たる我らがユミルの民の願いでもあるはずだった。ニックは、それこそが救いの道なのだと、信じて疑わなかったのだ。それこそ、家を失った民が絶望の表情で目の前に現れるつい先程まで。
「少しだけ、あなたの信じる宗教について聞かせてください」
冷や汗を流していたニックの隣に、その団長がやおら腰掛けてきた。彼の屈強な身体が荷馬車に乗ったことで、簡素な作りの荷台がぎい、と少し音を立てた。こんなときに悠長にしてていいものか、と見上げれば、その金色は少しだけ穏やかな笑みを浮かべているようだった。
場違いな微笑みに驚いて目の前の兵士長を見やれば、苦々しそうに彼は上官を見つめて、
「エルヴィン。お前がこんなとこで寛いでる時間はねえだろう」
と注意したが、当の本人は「まだ準備には時間がかかるさ」とやけに軽く言い放った。まるで、聞き分けの悪い子供を持つ親と、ワガママな子供のようにも見えるのは気のせいか。その大きな子供は、大きな両手をいじりながら、他愛もない話をしだした。
「私の父は学校で教師をしていましてね。私は彼から壁の中の歴史を学んだものです」
曰く、子供の頃に教わったその歴史から、エルヴィン少年は壁の外への興味を持つようになったという。彼の知的好奇心は壁の外だけではなく、壁の中の知識にも及んだ。特に、一面的で一方的な視点から語られる歴史には大変興味をそそられたらしい。
「この壁の中の「語り」が矛盾していると気づいたのはその頃です。しかし、その矛盾を矛盾と理解する者は私以外、誰一人としていませんでした」
不意に男が顔を上げて、満点の星空へと視線を向けた。その横顔は相変わらず表情の読めないものだったが、口調だけは団長らしきそれではなく、どこか柔らかさをもっていた。その男が、星の瞬きからニックの首飾りへと、その視線を落とす。
「シグリ・アーレントという女性をご存知だそうですね。連発式の拳銃を所持していたという女性です」
「ああ……我々の界隈では有名な話だ」
「私は貴方の信じる神を知りませんでしたが、それを教えてくれたのは彼女でした。宗教なるものに命を捧げる宗教者を、敬うようにと彼女は教えてくれました」
「……ただの娼婦だ」
「その仕事を課せたのは私です。彼女はもともと教養の深い人物だ。私の感じる矛盾を理解した、唯一の人間です」
ぱちり、と松明の炎がニックの耳元ではじけた。話の着地点が分からない恐怖に、目線をさまよわせれば、兵士長の鋭い視線と目があった。シグリという女の話をやけに嫌った彼が、腕組みをしながら、微動だにせずに視線だけを厳しくニックと団長に配っていた。
「彼女は言っていました。宗教とは、一切の生ける者を救わんとするものだと。ウォール教は、……いや、あなたは、一体何を救おうとしていたのですか?」
覗き込まれた青い視線に、息がつまる。ニックの脳裏に、ストヘス区で女型に踏み潰された信徒たちの血まみれの姿と、エルミハ区の避難民たちの姿がよぎる。
あれは、いずれ来るべき民の姿であった。彼らが築こうとした、黄昏の世界の終焉の景色だったはずだ。
「……無駄話がすぎました。我々はこれから夜通しローゼ内地を抜けて、トロスト区へと向かいます。ローゼ内地の安全性は確保されていません。ですが、我々は人類を救うため、そこに向かう必要があります」
金色の男が立ち上がりながら言う。荷馬車が揺れ、彼の装備している立体機動装置ががしゃりと大きな音を立てた。
「あなたは、どうしますか。ニック司祭」
そう問うた声は、冷たい温度の、調査兵団団長のそれとなっていた。ニックは、その声と、調査兵団という命知らずの人間の長たる男に、初めて恐怖を覚えた。
ニックに、死地への旅路の同行を断る選択は、用意されていなかった。
*****
「前方!ウドガルド城付近に巨人確認!!」
イリヤたち調査兵団先遣隊が、目的地のウドガルド城を視界に入れたのは、もう西の空が白じんできた頃合いだった。夜通し炊いていた松明の炎も必要ないほど、朝が近くまで来ていた。
「総員、戦闘準備!!巨人を全て叩け!!」
ハンジ分隊長の鋭い指示が飛ぶ。イリヤの目の前を走るエレンが、湧きだったように「おう」と叫んだ。それに少しばかり嫌な予感を覚えながらも、イリヤは並走するクルトに声をかけた。
「クルト!訓練してないだろ!?なまってるんじゃないのか!?下がってたらどうだ!」
「バカ言うな!下がる訳ないだろ!」
そう返したクルトの表情は覚悟が決まっている。数ヶ月前、共に壁外へと取り残された時のような臆病さは、微塵も感じられなかった。それに嬉しさと、少しばかりの違和感を覚えながらも、イリヤは大きく頷く。
巨人を前にした行軍は幾度も経験した。しかし、こうして訓練兵時代を共にした仲間が隣にいるというのは、これほどまでに心強いものなのか、とイリヤはしみじみと実感していた。
「……あれは!」
巨人が群がるウドガルド城に近づいた矢先、単騎、前に躍り出たのはミカサだった。彼女が前に出たのと、イリヤが彼女の進路の先に、私服姿の人の姿を目視したのは同時だった。
「あいつらだ!!」
エレンが気色ばった声で叫んだのを聞きながら、イリヤは立体機動装置のグリップを握って目標との距離を測り出す。が、その一瞬のうちに、目の前の馬からその少年は飛び立っていた。
「お、おい!エレン!!?」
愚鈍そうな8メートル級のうなじめがけて、エレンがワイヤーを巻き上げて宙を舞う姿に、イリヤは素っ頓狂な声を出した。戦闘に加わるなと再三分隊長に指示されていたのを忘れたのか。
「やった!討伐数1!!」
訓練兵団を上位で卒業しただけのことはある。愚鈍な巨人とはいえ、補佐なしでうなじを削いだのは確かに悪くない腕だ。だが……。
「エレン!ワイヤー!!」
宙に浮いた片方のワイヤーが、城の瓦礫に打ち込まれた対のワイヤーに接触して、エレンの身体が衝撃でバランスを崩し、そのまま地面へと落下した。
「馬鹿野郎!下がってろって言ってんだろエレン!!」
ハンジ班のケイジに怒鳴られて、エレンは半身を起こしながら返事だけは元気よく返した。
「おい、エレン!バカかお前!?遊んでるワイヤーはすぐに巻き取れって、訓練兵の頃に嫌ってほど習っただろ!」
「悪いって……ちょっと失敗しただけだろ」
イリヤが慌てて駆け寄れば、エレンはいつものように減らず口を叩いて返した。受け身を取れたようで、大した怪我はしていないようである。
「イリヤ!」
ほっと胸を撫で下ろした時、背後で声がしたかと思うと、地響きと土煙が背中を襲った。振り返れば、うなじを削られた小柄な巨人と、息を切らしたクルトが立っていた。
「おい、油断するな!」
「わ、悪い、クルト」
ウドガルド城は、大きな塔が目印となる古城であることが地図上で記されていた。しかし、今目の前に広がるのは、その塔の崩れ去った瓦礫の山である。そこに群がる巨人に、幾重にも立体起動のまっすぐな白い煙が伸びている。薄桃色の朝焼けの空に、煙がきらりと光っているようで、イリヤは眩しくて目を細めた。
血しぶきをあげる巨人の周りを、調査兵たちは翼を得たように飛んでいる。その光景に、イリヤは既視感を覚えて微笑んだ。
「おい、クルト。見てみろ。俺たちが壁の外に取り残されたときと同じ光景だぞ。あの時はミケ分隊長の隊に助けられたけど、今度は俺たちが助けたんだ」
噴射されたガスが幾重にも重なり、朝焼けの光を抱きしめるようにきらきらと輝いている。それは、数ヶ月前にクルトとイリヤが死の淵で見た光景そのものだった。
「あの時はお前、ビビってたのにな。そういえば、クルトが補佐なしで討伐したのって初めてじゃないのか?」
ハンジ分隊の猛撃に、既に動いている巨人は視界に映る限り見当たらなかった。鮮やかな勝利と、瓦礫の向こうにいる生存者と思わしき人間の姿に、イリヤは喜色を隠しきれない様子でクルトを見た。
しかし、そのクルトは一瞬険しい表情をした後、イリヤから目を逸らして、
「……もう躊躇ってられないからな……」
と、ぽつりと呟いただけだった。イリヤがその言葉の意味に首を傾げた時、エレンを呼ぶ声が耳に入った。それは、生存者である104期生たちだった。
**
ハンジ分隊長率いる調査兵団の先遣隊の到着により、ウドガルド城に群がった十数体の巨人は一瞬のうちに、一匹を残してすべて駆逐された。
一匹の巨人だけは、その近くに104期調査兵と思わしき少女が寄り添っていたため、誰も手出しをすることができなかった。
その巨人は、他のものに比べれば小柄で、ひどく醜い容姿であった。今、彼ら調査兵が見る前で、そのうなじからひとりの細身の女性が、ゆっくりと蒸気に包まれながら出てきているところである。
「あれは……ユミルです。そばにいる小さい子が、例の……クリスタです」
震える声で、ハンジの隣で言ったのはアルミンである。その巨人から離れた位置で、彼らは遠巻きにうなじから人間が出てくる様を見ていた。
「状況を……誰か、状況を説明してくれ」
苛立ったように、焦ったように、ハンジ分隊長がしかめ面で言った。その右手には、瓦礫の上に打ち捨てられていたボロボロの兵団ジャケットが握られている。
「……ミケ分隊長の指示で、兵団施設から近隣の村へ伝令を終えた後、ゲルガーさんとリーネさん率いる南班と、ナナバさん、ヘニングさん、それからクシェル副官の西班が合流してこのウドガルド城に一時避難しました。ですが夜中にいきなり巨人が多数襲来して……。まずクシェル副官が食われて、そのあと奇行種の投石によってリーネさんとヘニングさんが……。日が昇る寸前にナナバさんとゲルガーさんが食われて戦死しました」
震える声で、しかし必死に冷静さを保ちながら言ったのは、コニー・スプリンガーだった。「あの巨人は?」とハンジ分隊長が問えば、彼は目を見開いたまま、首を横に振った。
「分かりません。ただ、塔が崩されそうになった時、あいつが……ユミルが突然巨人化して、俺たちを助けてくれました」
俺たちにも分かりません、とぽつりと呟いたコニーに、エレンが労わるように肩を叩く。混乱しているのは、皆同じのようだった。ハンジ分隊長は、そうか、と一つ頷いた後、
「彼らの……。ナナバやクシェルたちの最期はどうだった?彼らは戦って逝ったのか?」
「はい。最後まで、俺たちを守ろうとしてくれました」
コニーがすかさず頷いたのを見て、ハンジ分隊長が「そうか」とまた小さく頷いた。その声は小さくて、その視線はゴーグルのガラスが陽光に照らされて反射し、全く見ることができなかった。たが、なんとなく、イリヤには彼女が泣いているように感じた。もちろん、分隊長は泣いてなどいないだろうが、それでもイリヤにはそんな風に思えた。
「モブリット。1班と2班を後続の班と見張りにつかせろ。3班には担架を用意させろ」
「担架、とは」
モブリットと呼ばれた彼女の副官が、隣で問う。
「ユミルのだ。彼女に応急処置を」
巨人のうなじからこぼれ落ちるように出てきた女性を、小柄な少女が受け止めようとするのを見て、ハンジ分隊長はそれに駆け寄った。
彼女たちがユミルという巨人の女に手を差し伸べる姿を見ながら、イリヤは言葉を失っていた。
助けられたのは、ほんのわずかな人間だけだった。いつかの日、彼を助けてくれたミケ分隊の兵士たちは、誰一人として生存していなかった。
あの、イリヤの苦手な上官もまた、跡形もなく死んでいったのだという。その報せに、イリヤは信じられないような心地で言葉を飲み込んだ。
「イリヤ。大丈夫か」
「何が」
問うてきたクルトに、それだけ返した。なぜだか、イリヤは喉の奥がカラカラに乾いたような心地になっていた。一言返すだけでも喉が痛い。痛い。ただただ、痛い。
「大丈夫だ。イリヤ」
「だから、何がだよ」
痛みに苛立ちながら振り返った時、クルトのまっすぐな視線が食い入るように覗きこんできていて、思わずイリヤは言葉を飲む。
「心配ない。大丈夫だ」
クルトは、迷いのない声で、イリヤにそう言った。
その言葉の意味はわからなかったが、その声色はイリヤを不安に陥れるには十分なものであった。
――クルト・ウェルナーを監視しろ。
出立前にそう言ったハンジ分隊長の声が、イリヤの耳の奥でこだました。
今回も長い文章を読んでいただきありがとうございます。
あと少しで、本章も終わりにしたいと思います。これが終われば、この物語の謎の一つに迫りたいと考えています。
早く、早く!!書きたいなあ!!