未来への進撃   作:pezo

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暴力的な表現や流血表現があります。

苦手な方はお気をつけください。








 

 

 

 

 

その日、イリヤは己の不甲斐なさに絶望していた。

 

 

 

クルトが地下で尋問を受けている。それも非人道的とも取れるやり方で。少なくとも、あの副官の目は決して冗談で拷問を命令したようなものではなかった。あれは、本物だ。

 

 

しかし、三年間苦楽を共にした同期の状況に、彼は何事もできずにいた。いや、何事も考えないように、なるべく関わらないようにその日1日を過ごした。

 

 

班の先輩であるエーミールに副官率いる研究班の任務を教えてもらい、午後からは訓練を行ない、そのあとは研究班に回ってくる雑多な書類整理を行なった。

 

 

その間中、彼はほとんどクルトを思い出そうとしなかったし、早朝に見せられたあの光景も、頭の片隅に追いやって、埋没させて過ごした。

 

 

 

仕事が忙しかったからというわけでもない。ただ単に、ここでクルトの保護を主張することは、兵団内での立場を危うくするだろうという保身故だった。

 

 

 

その浅ましくも正常な人間としての保身が、彼の内面に剣を立てたのは、クルトと特別な仲にあったユディの姿を見たときだった。

 

 

 

ユディはクルトやイリヤより一年先輩の女性兵士である。先日の壁外調査から共に生還した優秀かつ幸運な兵士である。そんな彼女が自分が最も憧れていた、リヴァイ兵長率いる特別作戦班へ配属されたことに暗い嫉妬心がなかったわけではない。

 

 

 

しかし、彼女の凜と澄まされた白い横顔に、訓練で流した汗が一筋落ちるのを見たとき、彼は不意に己の不甲斐なさと卑しさに苛まれた。

 

 

要するに、ユディの姿を見て、クルトへの罪悪感が爆発的に発露したのだ。己は不甲斐なく、浅ましい人間だ。胸の内部をまるでじりりと焼き尽くすようなその感情に、イリヤは夕食の終わり、ユディに声をかけてしまった。

 

 

 

「クルトが地下牢で尋問を受けている」

 

 

 

突如イリヤに呼び出されて、兵舎の脇に連れてこられたユディは、その知らせに一瞬、青い双眸を大きく見開いた。

 

 

 

「そう」

 

 

 

しかし、イリヤの予想に反し、彼女は静かに頷いただけだった。恋人の報せに恐ろしいほど冷淡に頷いた彼女に、イリヤは「夜なら見張りが薄い。クルトを逃すことができるかもしれない」と焦るように言った。そのイリヤの言葉に、ユディは高く澄んだ声を尖らせて、

 

 

 

「何を言ってるの」

 

 

 

と驚いた。周囲を見渡して声を落とした後、「あなた何を言ってるのかわかってるの」と再度問うてきた。

 

 

 

「だから、クルトを逃すんだよ。だってあんなこと、お前許せるのかよ」

 

 

「何を言ってるのよ」

 

 

 

ユディは今度はその白い顔を歪めて、咎めるように一息に反駁した。

 

 

 

「あなた、それが規律違反だって自覚あるの?第一、逃すってどこに?この壁の中のどこに逃げるっていうのよ。あなた、クルトと一緒に一生兵団から逃げることできる?私にそれをやれっていうの?」

 

 

 

空の色を収めたような眼球が、透明の涙を湛えている様子を見て、イリヤはようやく己の問いかけの不毛さに気づいた。

 

 

 

「……なんでそんなこと私に言ったのよ」

 

 

 

どんなに絶望的な状況下でも、調査兵として冷酷かつ冷静な姿勢を崩さないユディの声が震えた。彼女が逃げるようにその場を立ち去って、兵舎の脇に夜色の影が濃厚に落ちる。兵舎の中の喧騒から離れたその影に立ち尽くしながら、イリヤは無責任な己の発言を後悔した。

 

 

 

そう。彼らには、最初から選択肢などなかったのだ。

 

 

イリヤは己の浅薄さに堪えきれず、それを振り払うためだけに考えなしにユディに告げてしまったのだ。それは結局、ユディの高潔な調査兵としての誇りと、恋人を想う柔らかい想いを傷つけただけだった。

 

 

 

 

その夜、イリヤは、ユディの綺麗な瞳からこぼれ落ちた涙のかけらが、地下牢に落ちて、クルトの血となって石の床に流れる夢を見た。まるで粘土の中に閉じ込められたような、重苦しい夜だった。

 

 

 

クルトが逃亡したという報せがイリヤに届いたのは、翌朝のことだった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

機密情報漏洩の容疑のため、地下牢にて尋問中であったクルト・ウェルナーが逃亡した。

 

 

その報せをうけて地下牢へと団長直々に召集されたのは、クルトの上司であったハンジ・ゾエ分隊長、尋問をうけもっていたクシェル副官とその班員のエーミールとイリヤ、そして夜間に地下牢の見張りをうけもっていたリヴァイ兵士長とその部下のエルド・ジンとユディだった。

 

 

 

イリヤはエーミールに、ユディはエルドに夜の行動を細かく尋問されたことから、おそらくクルトの逃亡ほう助の疑いをかけられての召集だと知れた。

 

 

 

地下牢は、一夜にしてその顔を一変させていた。

 

 

 

イリヤが上官たちに連れられてユディと並んでそこに入ったとき、まず鼻腔をついたのが鉄臭い血の臭いだった。

 

 

 

地下独特の湿気た空気のなかに、濡れて錆びたような鉄が香っていた。エルヴィン団長、リヴァイ兵士長とハンジ分隊長、そしてクシェル副官が検分している地下牢の中に目をこらせば、そこに据え置かれたベッドの上に、赤黒く変色した血痕の跡があった。

 

 

 

よく見れば、冷たい石の上にもいくつか血痕が散っていた。出血量は致死にいたるものではないが、決して少なくない血痕に、ユディがう、と口を覆った。青い顔の彼女にとっさに手を伸ばしたが、気丈にもユディは「大丈夫」とその手を払った。

 

 

 

「逃亡をほう助した者にやられたのか。それとも逃亡する前に別の者にやられたのか……。調査兵団の地下牢でとんっでもないことになっちゃったね」

 

 

 

やけに緊張感のないような声色でそう言ったのは、ハンジ分隊長である。

 

 

 

昨日、夕刻近くに最後の尋問を終えたクシェル副官のあとをうけて、リヴァイ兵長が地下牢へつながる地上の扉前での見張りをうけもった。それが、クルトを見た最後であったとクシェル副官は述べた。リヴァイ兵長によると、夜半は彼の班員と交替で見張りを行なっていた。その見張りに穴があいたのは明け方近く。リヴァイ兵長がひとり見張りを行なっていた際、少しその場を立ち去ったときだけだった。

 

 

エルヴィン団長は、その兵士長あるまじき行動に苦言をていしたが、当の本人は「すまなかった」と悪びれるでもなく述べた。

 

 

 

「し、しかし……エルヴィン団長」

 

 

 

逃亡ほう助の犯人は誰か、と思考を巡らせている団長たちの姿に、一抹の不安を覚えて発言したのはイリヤである。若輩者の許可を得ていない発言に、エーミールが彼を止めようとしたが、エルヴィン団長は咎めなかった。

 

 

 

「クルトは……、まずはクルトの安否の確認が重要ではないでしょうか。こんな怪我……いったい誰が……早く見つけないと!」

 

 

「早く、見つけないと?」

 

 

 

探るような、醒めた蒼の眼球が、イリヤを見る。エルヴィン団長のそれは、ユディと同じく空の色をしているのに、こちらはひどく冷たく硬く、怖い色だ、とイリヤは子供のようにその青に震えた。

 

 

 

「え、……早く見つけ、ないと……だって、早く手当しないと、」

 

 

 

「手当てならしたから問題ない」

 

 

 

 

団長の問いの意図がつかめずしどろもどろになっていたイリヤを遮ってそう言ったのは、クシェル副官だった。

 

 

ひとつだけ灯された松明の炎が照らす闇の中で、こともなげにその副官は無表情にそう言った。一瞬、その場に沈黙が落ちた。ちりりと、松明の焼ける音だけが響く。

 

 

 

「え?」

 

 

「クシェル。ではお前が「これ」をやったのか」

 

 

 

団長がベッドの上の赤い染みを顎で示せば、彼女ははい、と静かに頷いた。

 

 

 

「尋問中、必要と判断して行ないました」

 

 

「私は暴力を許可した覚えはないが」

 

 

「はい。私の勝手な判断です。申し訳ございません」

 

 

 

まるで従順な人形のように謝罪する黒髪の副官の内面は、その表情からは一切読み取れない。その心のあり方が、行動の意味が理解できない。

 

 

 

「副官。どうして、クルトにそんなことを……」

 

 

 

心底わからず、イリヤが問えば、問われたクシェルは首を傾げて、

 

 

 

「どうしてって、質問に答えなかったからそうした。それ以外にないだろう?」

 

 

 

と心底わからない、とでもいうように言った。

 

 

 

「クシェル」

 

 

 

そんな彼女の名を呼んだのは、先ほどからずっと押し黙っていたリヴァイ兵長だった。彼の声に副官が振り向いた瞬間、突如としてその細い体が宙に浮いて地下牢の格子にしたたかに打ち付けられた。

 

 

その場にいた者たちが、リヴァイ兵長が彼女を蹴り上げたのだ、と気づいたときには、その鋭い蹴りが彼女の細くて薄い肩口を再度蹴りあげていた。

 

 

 

「リヴァイ兵長!!!??」

 

 

 

格子の外で驚愕の声をあげたのは、彼女の腹心でもあるエーミールだった。エルドもまた、己の敬愛する上官の突然の行動に、驚きの声をあげた。

 

 

 

「おい、クシェル。腹に力入れろ」

 

 

 

リヴァイ兵長の声に、咄嗟に防衛本能で両手で腹をかばった彼女の左頬に、強烈な右足の一撃が入った。「ああ、悪いな。顔だ。腹じゃねえ」とこともなげに言いながら、衝撃で倒れて動かない彼女の髪を掴み上げた。

 

 

その鋭い三白眼が、彼女を見つめる。皆が一方的に暴力を受けたその女性に視線をやると、その真っ黒な瞳が、まるで熱を帯びたような眼光をもって、彼を睨みつけていた。

 

 

 

壁外であれほど信頼を寄せ合っていたように見えた二人の姿は、そこにはない。

 

 

 

「オイ、クソメガネ、ユディ。どうする?気がすまねぇなら、俺が代わりにもう一発くれてやってもいいが。……それとも、お前らが直接やるか?」

 

 

 

突然呼ばれたユディが、驚いたように肩を震わせた。クソメガネ、と呼ばれた分隊長は、開ききった瞳孔をそのままに、笑い声をあげた。その声が乾ききっていて、そこに部下を貶められた彼女の分隊長としての怒りが抑えられていることに気づき、イリヤは背筋を凍らせた。普段温厚そうに見える分、ハンジ分隊長の怒りは薄ら寒い。

 

 

 

「いいよ。十分だ。まあ、暴行された私の部下の分には及ばないとだろうけど」

 

 

 

彼女が冷たく見下す視線の先で、リヴァイ兵長が手を離した。バランスを崩したクシェル副官が、四つん這いになって咳き込めば、冷たい石の上に粘り気のある赤い血が口から一筋落ちた。エーミールがそれを見て、すばやく牢の中に入ってきて、彼女の背中をさすりながら布を差し出す。

 

 

 

「……しっかし、シガンシナで女神と言われた彼女がこんなザマとはね。エルヴィン。この落とし前はどうつけるつもり?これはあなたの監督不行き届きだろ」

 

 

 

厳しい声で分隊長が、その怒りの矛先を団長へと向けた。確かに。内部の機密を漏えいさせた上に、その容疑者を暴行したのち逃亡させるとは、調査兵団の管理体制そのものを問わざるを得ない事態である。

 

 

調査兵団の責任者たる男は、ふむ、と頷いたのち、「彼女を処罰する時間も労力もない」と言って、「しかし、確かに私も、クえシェルもリヴァイ兵長も、それぞれ責任を負う必要はあるな」と述べた。

 

 

 

「オイオイオイオイ。なんで俺も入ってる」

 

 

「クルトの逃亡にはお前の見張りの怠慢が大きい。当然だと思うが」

 

 

「はっ。それで調査兵団のトップと俺が責任をとるってか。悠長なもんだな。調査兵団ってのは」

 

 

 

それもそうだ、とイリヤは頷く。青い瞳の団長は、抑揚の少ない声で、

 

 

 

「イリヤの言う通り、クルトの安否確認は最重要課題だろう。ハンジ。この件についてはお前の分隊に任せる。クシェルやリヴァイにはもちろん責任をとってもらわねばならないが、彼らに謹慎させるような真似はできない。その代わり、彼らには最も苦手とする任務をになってもらうことにしよう。ハンジ、それで手を打とう。この不祥事は、次回の壁外調査に必ず活かしてみせる」

 

 

 

団長の提案に、分隊長は怪訝そうに首をかしげた。団長が少し笑ったのを見て、リヴァイ兵長はその不機嫌そうな顔をさらに歪めて、口を曲げた。シガンシナ陥落の際の女神は、黙ったままその男の口から出される言葉を、じっとさながら犬のように待っている。

 

 

 

「豚貴族どもへの接待だ。今度の調査では再度巨人捕獲作戦を実行しよう」

 

 

「え、でもそれは資金が不足してるって、この前、」

 

 

「だからこその接待だ。大丈夫。クシェルとリヴァイと協力して、必ず金をもらってこよう」

 

 

 

だからクルトの消息を頼んだ、と笑いかけた団長に、ハンジ分隊長の表情が一変したのは言うまでもない。

 

 

 

彼女があげた歓喜の声に、リヴァイ兵長はわずかに舌打ちし、エルドやエーミールは冷や汗をかいていた。イリヤがちらりと地に伏せるクシェル副官を盗み見たが、彼女は顔を伏せていてその表情はまったく見えなかった。

 

 

イリヤの隣で、ユディが少しだけ震えていたのは、ハンジ分隊長の歓喜に踊る姿に圧倒され、誰も気がつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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