人生初となる列車に乗り移動、いや護送された俺は篠川の地を踏んでいた。特別に仕立てられた列車に軍しか使用できないレール、出される食事は食べたことがないような豪華さだった。まさか列車内に立派な食堂があるとは思わなかった。そこで噂にしか聞いたことのないフランス料理とかいう物を食べたのだ。正直に言えば気後れしてしまい味もろくに判別できなかった。対面に座っていた獅子吼の目が気になったというのもあるだろう。最初にマナーについては『まだ』気にしなくていいとは言われたとは言え、やはり気になる。
篠川の公方府、大鳥家本屋敷に着いた時にはすっかり疲労困憊と言った体だった。それでもまだ気を抜くことはできない。いや、これから本当の意味での安息など許されない立場になるのだろう。
「……それにしてもでけーな」
横に座る獅子吼に聞こえないように小声で呟く。まず驚愕すべきは敷地の広さだった。無駄に巨大な門を潜って『車で』数分掛かったのだ。そして屋敷もまた大きい、荘厳という言葉が相応しい一際巨大な建造物、それが本屋敷だった。そんな事を思っていると、一つの如何にも豪華な、しかしどこか落ち着いた品の良い部屋に案内される。
「ここが雄飛様の部屋となります。何か用事があれば――冬太!」
「はっ!ここに」
獅子吼が誰かの名を呼ぶと即座に一人の少年が現れる。まだ声変わりも済んでいない甲高い声。背もそう高くない俺よりも頭半分ほど低いだろうか。身に纏っている和服はこなれており着慣れていることが窺える。その表情はまじりっけのない純粋な笑顔、ここまで来る間に見た人達のように窺うようなところはない。
「この者は風間冬太、雄飛様専属の小姓、世話係となります。ご自由にお使いください」
「風間冬太と申します。ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」
「あ、ああ、よろしく」
「はい!よろしくお願いいたします」
本当に嬉しそうに冬太が深々と一礼し言う。その事に気後れしながらもどうにか言葉を返す。それにしても、カザマ、か。思う。守ることのできなかったかけがえのない友人のことを思い出す。
「雄飛様もお疲れでしょう。今日のところはお休みになってください。では、私めはこれで」
そう言うと冬太に後事を託し獅子吼が去っていく。冬太は礼をして獅子吼を見送ると先ほどまでと変わらぬ笑顔で身の回りの世話を始める。その動作に嫌味な点は全くなく、慣れていない俺でも戸惑うことなく世話を焼かれてしまった。正直に言えば身の回りのことなど自分でやってしまいたいのだが、冬太になら任せても良いかもしれないそう思わせる程だった。
疲れていたのだろう。まだ眠くないという俺を冬太は派手ではないが品の良い、やたらと寝心地の良いベッドに優しく押し込む。そしてしばらく冬太と話をしている内に寝ていた。冬太は気配が自然でなぜか居ても気にならないのだ。まるで長年の友人のように。
翌日、自然な光に目が覚める。起きて伸びをするとスッと冷たい水が差し出される。冬太だ。一体いつから居たのだろうか?
「おはようございます!雄飛様」
「ああ、おはよう、ずっとここに居たのか?」
「いえ、ちょうど起こしに来たところです」
「……そうか」
ベッドから抜け出すと全自動で着替えさせられる。用意ができたと見たのだろう。冬太の案内でとある扉をくぐる。すると、俺の瞳に一人の女性の姿が映った。貴族を思わせる華やかなドレス。腰まで伸びている二つ結びの黒髪が照明の光を受けて微かに煌めいている。整った顔立ちをした僅かに幼さを残した女性はまさにこの屋敷に相応しい姫に見えた。
だが、女性の外見などよりもよっぽど気になる物があった。彼女が自分が部屋に入った瞬間から見せている笑顔だ。愛しげに母のように恋人のように柔らかで慈愛に満ちた表情だった。
「雄飛くん」
彼女の口から、自分の名が零れる。ふと思い至る。この感覚は以前にも感じた、と。自分は無条件に愛されている。そう疑いなく思えた。
「月並みな言葉だけど、大きくなったね……本当に」
「……貴女は?」
そう問い返すのが申し訳なく思える。だが、自分の記憶の中に彼女の姿は、ない。自分が問を発すると僅かに残念そうな仕草を見せる女性、だがすぐに答えてくれる。
「覚えてないよね?私は花枝。――雄飛くん、貴方の婚約者」
「こんやくしゃ……?」
意味が理解できず、彼女が言った音をそのまま繰り返す。こんやくしゃ、こんやく者、婚約者!?
「……婚約者!?」
「そう婚約者、貴方と私の親が決めてくれた許嫁」
どう理解していいのかわからず、助けを求めるように周りを見回す。そこでようやく気付く、獅子吼もまた部屋に居たことに。そして獅子吼は苦々しいという思いを隠すことなく表情に浮かべながら俺の視線に答える。是、と。そして言う。
「さて、そろそろよろしいでしょうか?」
「チッ、うんこ野郎か」
「えっ……?」
今なにか幻聴が聞こえたような気がする。
「おい、うんこ野郎。お前はどっか行け。私は雄飛くんと食事するんだ」
「幻聴……じゃないよな」
「それがその女の本性です。雄飛様。お気を抜かれぬように。そして貴様と雄飛様を二人っきりにするなどありえんわ」
「ふん、まぁいいわ。居ない者を相手にしても仕方ないもの」
「……貴様」
そのまま花枝は俺の手を取り、純白のクロスが掛けられたテーブルへと導く。そして席につくと次々と料理が運ばれてくる。幸いと言っていいだろう。洋風な見かけには全く合わないが和食だった。花枝に勧められるままに食べ始める。……美味い。気付いた時には夢中になって料理を食べていた。
和やかに――獅子吼の存在を無き物として扱った上で、だが――食事は済んだ。最初は緊張していた俺も美味い食事と花枝の気さくな物言いにいつの間にか獅子吼の存在も忘れて食事を楽しんでいた。
――――――
新田雄飛がなくなり、大鳥雄飛になってから一週間が過ぎた。この間にやったことと言えば大鳥家の当主として必要な勉強と鍛錬だった。あまり勉強が得意ではない俺だが小夏のためにも頑張らなくてはと思いどうにかやっている。幸いと言っていいのか獅子吼が用意した教師陣はとてつもなく優秀だった。どうすれば勉強が分かりやすくなるのか、面白くなるのかを熟知しており、うまく俺のやる気を引き出し、導いてくれた。学校の先生もこうだったら良かったのにそう思った程だ。
「それでは僭越ながら、帝王学についての講義を開始いたします」
そんな俺が唯一苦手としている授業がある。獅子吼本人による帝王学の授業だ。他の授業とは緊張感が違う。ちょっとでも手を抜こうものなら斬られるのではないかとすら思える。
「先日は六波羅幕府の歴史について概略を説明いたしました。ではまず復習を兼ねて六波羅幕府の成り立ちについて簡略に述べてください」
「……えっと、六波羅幕府の始まりは八年前、国記2992年。大和は国際連盟軍との戦争で敗色濃厚の情勢だった。その大和に露西亜帝国への備えとして残されていた軍事組織、六波羅が政府、議会の承認を得ずに独断で連盟軍と終戦協定を結び、国内を制圧した。で、六波羅幕府が成立する」
先日までの講義を思い出しながらできるだけ簡潔になるように述べる。前回の講義では詳細な大和の状況や六波羅の内情、連盟軍の規模などを中心に授業を受けたが、大まかな流れは学校で習ったものとそう変わりはなかった。獅子吼は可能な限り客観的に判断材料を増やすように講義しているように思えた。
「結構、ではそれらの基本事項を踏まえ雄飛様に問います。六波羅の行動を雄飛様は如何様にお考えか」
これだ。獅子吼はこういった問を頻繁に投げてくる。どう答えるべきか悩ましい、答えのない問。これがあるからこの講義は気を抜くことができない。そして最初の講義でこうも言われている。取り繕わず、率直に、考えを述べろ、と間違っていても良い。本当の間違いは間違いを認めないことだ、と。
「昔はこう思っていた。裏切り者、と」
「ふむ、では今はどうですか?」
「今は……今も正しいとは思っていない。――だが、間違っているとも思えない。現実的に取る得る唯一の方策だったのかも知れない。……少なくとも俺にはもっと良い方法ってのは思いつかない。なら批判するのは違うと思う」
獅子吼に俺の思うところを素直に伝える。中途半端な回答だがこれが俺が今返せる精一杯の返答だった。獅子吼は瞑目するように一度目を閉じるとじっと俺を見つめる。
「……責難は成事にあらず、良き見識にございます」
どうやら俺の返答は獅子吼の眼鏡に叶うモノだったらしい。だが緊張は抜けない。むしろ高まる。責難とは批判の事だろう。批判することは何かを成す事ではないと獅子吼は言っているのだ。
「六波羅の成した事は悪の誹りを免れない事です。……ですが世の中には必要悪というモノがあるのです。そして私は六波羅の選択こそが必要悪であり、唯一の現実解だったと信じます」
「必要悪……」
躊躇う。それでもここで言葉を飲み込むようならそれは湊斗さんのような正義の味方ではない。そう心を定めて斬り込む。
「必要悪なのかも知れない。――だが、それでも六波羅は悪だと思う」
「ほう、何故ですかな?」
獅子吼の眼光が鋭くなる、雰囲気が重厚になる。圧される。下手な回答をすれば徹底的に潰される予感。だが、引かない。ここで引くようなら最初から口に出していない。この程度予想を通りだ。腹に力を込め一語ずつ言葉を吐き出す。
「必要悪だと言い訳して、その事を恥じたか?最小限に抑える努力はしたか?守るべき民の事を本当に考えていたか?」
「――――――」
獅子吼は目を見開くと口元を歪ませた。
「クッ、クックック……失礼。鋭い指摘です」
「六波羅は自分達が絶対的な権力を得るために連合軍の手先になったんじゃないのか?」
「肯定です。そうした思惑は少なからずありました。特に六衛大将領――足利護氏様は顕著でありましたな」
「なら――「ですが六波羅も、本懐ではなかった事は事実。
嗤っていた獅子吼が表情を引き締め居住まいを正して述べる。そこに嘘の気配は欠片もなかった。真実、篠川の兵士が民のためにあったと信じているのだ。
「そしてそれは、この獅子吼にも当て嵌まります。これだけは理解しておいて頂きたい」
真摯な言葉、今までの短い付き合いの中で最も心を込めた言葉だった。足利護氏はともかく獅子吼という男は国を、民を思って生きてきた事は間違いないのだろう。それは否定できない、そう思った。だが、それでも六波羅という総体が悪――必要悪であったとしても――である事は否定されなかった。
「さて、先程雄飛様は六波羅の行いが現実的に取る得る唯一の方策だったと仰られました。では、まず何故六波羅が政府や議会、国家を裏切ることになったか、です。もし裏切らなかった場合どうなったと予想できますか?」
「それは……連盟軍と六波羅軍が潰し合いする事になったらって事だよな?」
「はい、その通りにございます」
連盟軍の方が規模が大きく勝率が高くないという単純な事実を答えろ、という話ではない。国内情勢、国際情勢を踏まえて大和がどうなるのか?という問だ。
「――露西亜帝国が頃合いを見計らって攻め込んでくると思う。そうなれば連盟軍が勝とうが、六波羅が勝とうが関係ない大和は戦場となり国体を維持できなくなる。そして――露西亜帝国の農奴になるのが一番ありえる未来だと思う」
「その通りです。露西亜帝国に隙を晒すことは最悪の未来に繋がる可能性が高かった。もちろん露西亜が動かず連盟軍に六波羅が勝利するという可能性もありましたが、考慮に値するような物ではありません。奇跡がダース単位で必要になるでしょうな」
要するに連盟軍と戦うという選択肢は存在しなかったという事だ。
「じゃあ、もし大和が連合軍に全面降伏していたら?」
「民にとってはそう悪くない選択肢に見えます。大英連邦は人種差別があるとは言え圧政を敷くような短絡的な国ではありません。民は死ぬことなく生きていくことができるでしょう。――ですが、それは生きているだけです。大和という国は、大和という民はその魂を殺されるのです。それを良しとする事は私にはできません」
魂、誇りと言い換えても良いのかも知れない。そういう精神的な柱がなくなった時、果たして人は人足り得るのか?そう問いかけられているのだ。その選択は理解できなくはない。だが果たしてそれは命を、他人の命までも賭けて守るべき物なのか、その判断はまだ付かなかった。
「…………」
「どうか雄飛様には、”先代”当主のような目先の餌に釣られるうつけ者を他山の石とし、御父君である時治様に倣っていただきたい。時には己の手を汚し、兵の、民の犠牲を厭わず、真の平和を求めていただきたいのです」