さらに数日の時が流れた。この数日は今までの人生で感じたことのない濃密な数日だった。当主としての引き継ぎが行われ、勉強の一環として篠川の政務を一部行うようになった。もちろん獅子吼の監督の元だが、獅子吼はある程度の失敗はした方が勉強になるというスタンスらしく致命的な判断ミス以外は確認こそ取るが見過ごす事が多いのだ。そのせいで慎重に慎重を重ねて、分からないことは獅子吼にその都度確認して行うことになる。なにせ下手しなくとも人命に関わってくるのだ。
最初に犯した判断ミスは今でも覚えている。飢饉が発生した村がありそこから援助の陳情の書類だった。俺は困っているならと求められている援助するという決定をした。これがあらゆる意味で判断ミスだった。援助物資を届けるところまでは順調に進んだように思えたのだが、翌日、援助した村は援助物資ごと居なくなった。援助物資を元手に夜逃げしたのだ。この報告を聞いた時には愕然とした。そして獅子吼に言われた。人を助ける事はとても難しいことだ、と。安易に行ってはならないのだ、と。
俺の犯したミスは大きく3個あった。最初に本当に困っているかの確認をしなかったこと、どうもこの村は最初から物資の持ち逃げを企図していたようで、確かに飢饉は起きていたが書類に書いてあった規模とは程遠かったのだ。そして次に、他にも飢饉が起きている村があり深刻な状況にあった事に気付かなかった事、要するに公平さの問題だ。最後に最優先で物資を用意したため無理が生じ、一部の兵士への補給が滞った事。結果、兵士の一部が反乱を起こし山賊となり人死が出ることになった。
俺の責任だった。獅子吼はこうなることを見越した上で敢えて俺を失敗させたのだ。それから俺はしばらく決断できなかった。決断の重さを知ったからだ。これがまた失敗だった。決断しないという決断こそが事態を悪化させたのだ。獅子吼は暗にこう言っているのだ。迷っても決断せよ、それが大鳥雄飛の責任である、と。俺は恐怖した。それでも逃げ出すことはできなかった。逃げ出せば小夏に迷惑が掛かる。それだけは許せなかった。獅子吼に全てを任せてしまうという選択肢もあったのかも知れない。だが、それは今の六波羅を認める事と同義だった。それも選択できなかった。
今日も鍛錬と講義を終え、執務室に入る。獅子吼がいつも通り膨大な量の書類を処理している。自分に任せられている案件など重要度も優先度も低いものばかりだ。それでも人が容赦なく死ぬ。背筋に鉛を流し込まれたような重さを感じる。こんな重いものを背負っているのだ。為政者というモノは。
「雄飛様」
「……なんだ?」
用意された豪華な執務机に座る。冬太が飲み物を机に用意してくれる。獅子吼が声を掛けてくる。このタイミングで声を掛けられるのは珍しい。大概俺が判断に迷い質問するという形になるのがいつもの流れなのだが。
「申し訳ございませんが、これより数日、篠川を離れますので、雄飛様の教育が行なえません」
獅子吼が忸怩たる思いだと言わんばかりに言葉を発する。どうも獅子吼は俺の教育が全てに優先すると考えているフシがある。獅子吼は四公方としての仕事もある。その関係だろうか。
「鎌倉に行くのか?」
「いえ、会津の方に行きまする」
「えっ……会津?」
そこまで言われてようやく気付く。会津、即ち岡部弾正尹の本拠地である。そして岡部と六波羅の関係は非常に悪い。そこに四公方の一人大鳥獅子吼が行くのだ。ただ事ではない。そう言えば屋敷内もいつもより騒がしい気がする。あまり慣れていないので変化を感じ取れなかったが。
「戦争になるのか……?」
「はい」
獅子吼が断言する。ある意味予想はできていた事だ。誰もが言っていた。いずれ岡部と六波羅による戦争が起こるだろうと、それが今なのだ。また血が流れる。その事に胸が痛む。
「……それは避けられないのか」
「避けられませぬ。……丁度良うございます。岡部と六波羅の関係について講義を行いたいと存じます」
そう言うと、自らの執務机を立ち上がり、部屋に用意されている黒板へと移動する。それに合わせて俺も黒板の前へと移動する。こう言った事は前にもあった。
「岡部弾正尹について雄飛様が知っていらっしゃる事を述べてください」
「分かった。一般市民に知られている事って事だよな?」
「はい」
岡部についてはまだ篠川に来てから何かを特別教わった事はない。ならば今問われているのは俺自身がどういう認識を持っているか、だ。学校で習った知識を必死で浚う。
「……岡部弾正尹頼綱は北の露西亜帝国への抑え、鎮守府を任されている人物だ。六波羅幕府において四公方に次ぐ実力者だと言われている。民衆よりの人物で度々民衆のための献策を行っており、足利護氏に対抗できる唯一の人物であると言われている。……弾正尹という重しがあったから六波羅は成り立っていたとも言われていたな」
「ふむ、まぁ大まかには正解です。朝廷が護氏様を掣肘できるようにと本来皇族を充てる位である弾正尹を与えた事も述べられるとより良いでしょう」
どうやら及第点は得られたようだ。その事にホッとするがすぐに気を引き締めなおす。今は戦争になるかどうかの瀬戸際なのだ。少なくとも六波羅、大鳥獅子吼は避けられないと見ている。本当に避けられないのか?その点を確認するのは俺の義務だろう。
「さて、では六波羅側から見た弾正尹と六波羅の関係について一般に知られていない事を講義いたします。まず、雄飛様も仰られたように弾正尹と護氏様は政敵と呼べる関係でございます。その根は深く護氏様と弾正尹が戦場を駆けていた頃にまで遡るとか。僅かに武勇で勝った護氏様が六衛大将領となり、弾正尹は護氏様の下に就くことになりました。しかしそれで事は終わらなかったのです。時の政府と朝廷が護氏様を怖れ、対抗馬を欲したのです。その結果が弾正尹という位になります。その頃から対立関係にはあったのですが、敵対まではしていませんでした。お互いに国の行く末を思っていたからです。それが変化していったのは六波羅が国を裏切った時、いえ、国内を平定するために民に銃を向ける事になった時からでしょうか。目指す国に差が出てきたのです。完全独立を第一義に置いた護氏様と国民生活を重んじた弾正尹、どちらが正しかったのかは歴史が審判を下すでしょう」
そこで獅子吼は一度言葉を切ると、ちゃんと付いてこれているか確認するように俺の顔を見る。歴史が審判を下すと言っているが、間違っているなどこれっぽっちも思っていないという顔だった。
「契機が訪れたのは2年前です」
「2年前?」
「はい、岡部弾正尹はこのままでは護氏様に潰されると判断し、先手を取って足利守政――前堀越公方――と手を組み護氏様への反乱を企図したのです」
「なっ!?」
「ですがこの企みは失敗に終わります。計画の最終段階で堀越において政変が起こったのです。現堀越公方である茶々丸が当主守政を含めた派閥のトップを鏖殺し、権力を握ったのです」
足利茶々丸が堀越公方になったというのは俺も知っていた。だがその裏にこんな血なまぐさい政争があったとはつゆ知らなかった。
「単独では勝機が見えなかった弾正尹は反乱を断念、会津の地に引きこもります。弾正尹は勝利を諦めたのです。ですが、不平分子はそんな事も分からずに岡部を頼ります。結果、配下を抑えきれず反乱に至るという訳です」
「…………岡部を餌にしたのか?」
「クックック、ご慧眼です」
不平分子を固めるために敢えて岡部という爆弾を放っておいたというのだ。見えない脅威よりも見える脅威の方が対処しやすい。見えないのなら纏めて見えるようにすれば良いという理屈は分かる。だが悪辣だ。
そしてここまで説明した上で獅子吼はのたまう。岡部討伐の許可を頂きたい、と。
――――――
岡部の反乱はあっという間に鎮圧された。この2年間で岡部はほとんど軍拡をできなかった。旧式の劔冑に、練度の低い兵士、意気だけ荒い倒幕の志士。烏合の衆でロクに統制も取れずに一方的に篠川軍によって鎮圧された。岡部弾正尹も討ち死に。岡部の血統はまとめて根絶やしにされた。
「……以上です。何か質問などはございますか?」
岡部の反乱の事を獅子吼の口から直接報告される。俺は結局、岡部討伐の許可を出した。この犠牲者の山は俺も加担した事なのだ。俺はこの戦争が必要だと判断したのだ。
「いや。……よくやった……」
それでも割り切れない思いがあった。決断には後悔が付き纏った。獅子吼は俺の気持ちなど御見通しの癖に仰々しく一礼すると何気ない口調で続ける。
「裁可頂きたい事案があります」
「……なんだ」
「岡部に組みした村々にございます」
「!!」
「見せしめが必要かと」
獅子吼の言っていることは分かる。だが理解したくない。冷静に判断すれば獅子吼の言う通りにすべきなのかも知れない。だが、俺は我慢できなかった。
「許可しない!」
子供っぽい反発だ。獅子吼に叱られるかも知れないと思った。だが、獅子吼はニヤリと嗤っただけで話を続ける。
「……愚者は助けられても恩を感じる事はございません。それどころか恨みに思うだけでしょう」
「……それでも、だ」
「フッ、御意にございます」