獅子吼に真実を突き付けられた俺はフラフラとまた来た道を戻る。この屋敷に他に行くべき場所などない。部屋の前まで戻ったところでふと異常に気付く。薄暗い廊下に扉の下から灯りが漏れていたのだ。先程まで部屋は確かに暗かった。誰かいる。そう思った時には迂闊にも駆け出していた。
「冬太!」
部屋の中には以前何処かで見たことのある二人の人物がのんびりとお茶をしていた。この豪華な屋敷にお似合いの背の高い貴婦人とその従者らしき老婆。見回す冬太は居ない。その事に肩を落とす。分かっていたことだ。それでも確認せざる負えなかった。
「お久しぶりです。雄飛さん」
「あっ、……ええっと駅にいた占い師のお姉さん……?」
「はい、貴方の運命を占った流しの占い師です」
ようやく俺の部屋にいた二人に意識が向く。お姉さんが椅子から立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。それに合わせて従者も付き従う。両者共、心配そうな顔でこちらを見ている。その姿は以前見た時のままだった。細い目筋が特徴的な、明らかな美人。長い髪が煌めく衣装のようでもある。そして以前も感じた自惚れた直感をまた得る。この人に俺は無条件で愛されているという悟り。だが、それも二度目となればもしかしたら正しいのではないかと思える。少なくともこの人の事を信じてもいいと思える程度には。
「占い師さん、なんでこの部屋に……?」
「雄飛さん、あなたに道を示すために」
「この前みたいに楽器で占ってくれるんですか?」
道を示してくれる。確かに今、俺は迷子になっているのかも知れない。
「雄飛さんが望むのなら、喜んで大縦断森羅法による占いをしますわ、さよ」
そう言うとたおやかに笑む。そして従者の老女に何かを要求するように名を呼ばう。そう言えば今はあの楽器を手にしていない。見回してみると壁際に楽器ケースらしき物が鎮座している。きっとあれを取ってくるように頼んだのだろう。……が、さよと呼ばれた従者は貴婦人の要求には答えずに言う。
「……お嬢様、この辺りで方向修正いたしませんとずっと占い師扱いのままでございますぞ」
しばらく沈黙が流れる。
「……コホン、私の名前は大鳥香奈枝。あなたの従姉、花枝の姉と言えば分かりますかしら」
「香奈枝さん」
「はい」
占い師改め香奈枝の名前を舌に乗せる。不思議と馴染む感覚。名を呼ばれたことに嬉しそうに、だがおしとやかに返事をされる。なんとなく納得する。自分はこの姉妹に愛されているのだ、と。同時に疑問も浮かぶ大鳥の名を冠しているからにはここに香奈枝がいること自体はおかしくないのだろう。だが、なぜ今まで紹介もされなかったのか、そして今なぜ自分の部屋にいるのか、それが分からなかった。
「えっと、香奈枝さんはなんでここにいるんですか?」
「雄飛さん、あなたに道を、選択肢を与えるためです」
「選択肢、ですか」
「はい、このまま大鳥雄飛として苦難の道を歩くのか、それとも市井の一市民に戻るのか、その選択です」
意外、と言う程意外でもなかった。今振り返ってみればこの人は初めて出会った時にも警告してくれていたのだ。きっと大鳥雄飛となる運命が待ち構えていることに気づいて警告してくれたのだと思う。感じるのは平穏な生活を送って欲しいという願い。
だからこそ、この人が選択肢をくれるというのであればそれは本当にこの先の運命を決める選択肢なのだ。初めは獅子吼に強制された事だった。不本意で選択肢などなかった。今までの事を振り返る。内臓がずっしりと重くなるような感覚。
「ありがとうございます。でも……でも大丈夫です。本当に理解なんてしてないのかも知れない。苦しくて止めたくなるかもしれない。だけどこの道を行きます、行かなくちゃ、ならないんです」
「……来栖野家のことを思っての選択ならそれも心配しなくて大丈夫ですよ」
「確かに小夏達のことは心配です。でもこの選択は違います。自分はもう背負ってしまったんです」
冬太のことを思う。自分の失敗のために野盗に身を落とした兵士のことを思う。自分の選択のために道を踏み外した村人のことを思う。自分のために死んだ人がいる。彼等の事を思うとふつふつと湧き上がってくる物がある。彼等を死なせてしまった自分への怒りだ。弱い自分を許すことができない。弱いことは悪なのだ。そして弱い事が許されない世界が許せない。それなのに逃げ出すなんていう選択肢は選べない。いくら魅力的でもダメなものはダメなのだ。
「もう決めておしまいになっているのですね」
「はい、俺は無力なままでいることはできないです」
香奈枝の目を見てまっすぐに告げる。
「お嬢様、どうやら遅かったようでございます」
「そうね、さよ。でも雄飛さんが自分で決めたことですもの。私達にできるのは見守ること、そして助けが必要な時に手を差し伸べること、それだけですわ」
「はい、お嬢様」
香奈枝とさよと呼ばれた従者が、残念なような誇らしいような不思議な表情で会話を交わす。
「あの、香奈枝さん……」
一体何を聞こうとしたのか自分でもよく分からない。そしてその問いは発せられることはなかった。廊下の方が突然騒がしくなったのだ。
「あら、気づかれたようですわね」
「そのようでございますな」
「雄飛様、残念ですがお別れの時間です」
「えっ……あっ」
「また会いましょう。今度はあなたが助けを欲するときに」
「さっ、お嬢様こちらでございます」
それだけ告げると香奈枝は楽器ケースを担ぎ、さよに連れられて窓から闇の中へと消えていく。次の瞬間だった。ドアがノックされ開かれる。急いで、しかし丁寧に礼を失さないように。飛び込む、そういった方が正しい風情で獅子吼が入ってくる。
「雄飛様!ご無事ですか!?」
「……獅子吼」
それは初めて見る獅子吼の姿だった。自分の無事を確認するとすぐさま視線を四方八方にやる。そして茶器が残されているテーブルと窓が開いているのを見咎めると、背後に続いていた兵士に向かって短く、窓だと指示を飛ばす。そして自分の前へと進み出ると膝をつき、頭を垂れる。
「雄飛様、申し訳ございません。何者かに侵入を許してしまいました。この失態、死をもって償う所存です」
「……別にいい」
「ご厚情ありがたく存じます。……侵入者について知っておられることを教えていただきたく存じます」
侵入者がいなかったなど言っても納得してくれそうにはなかった。断固たる意志を感じる。俺が香奈枝と会った事を既に確信しているようだ。
「……大鳥香奈枝と名乗っていたな」
「あの女狐が……海外にいれば見逃してやろうものを……」
獅子吼が低く唸るように呟き、窓の外を見やる。そして改めて自分の方を向き言う。やはりというべきかなんというか香奈枝と獅子吼は敵対しているようだ。
「何か言われましたか?」
「いや、ちょっと話をしただけだ」
「……そうですか、ありがとうございます」
まだ、納得してなさそうな獅子吼に先んずるように言う。
「獅子吼、頼みがある。鍛錬と勉強を増やして欲しい」
「……ほう?」
「冬太が死んだのは自分に力がなかったからだ。今は一刻も早く力を付けたい」
「……ちょうど良い、か……。良いお覚悟です。わかりました。雄飛様には試練を受けていただくことにいたしましょう」
「試練?」
「はい、代々の当主が真の当主となるための試練でございます。まだ雄飛様には早いと思いお伝えしておりませんでしたが、そこまでの覚悟があるのならば挑んでいただきましょう。……先代はその意味でも愚物でした。当主の証を得ることができなかったのですから」
詳しい説明を求めたが、獅子吼は答えてくれなかった。何かよく分からないが、力を得ることに繋がるのなら避けることではないだろう。試練、上等だ。今は一刻も早く悪を倒せるだけの力が欲しい。
――――――
屋敷の地下に案内される。この屋敷に来てしばらくになるがこんな地下室があるなんて知らなかった。同行しているのは獅子吼のみ、香奈枝の襲来から増えた護衛の兵士達は部屋の外に置いてきた。代々当主の書斎だと言う部屋は高価そうな本で溢れていた。その中の一つの本棚を動かすと地下へと降りる階段が現れた。
獅子吼と本当の意味で二人っきりになったのはこれが初めてのように思う。とは言え別に言いたいことなどない。向こうも特に言うこともないのか黙々と階段を降り続ける。どれほど降りただろうか。
「ここです」
獅子吼が指し示したそこには無骨その物な巨大な鉄塊があった。一瞬これが扉なのだと認識できない程の重厚さ。唯一取り付けられた巨大な錠のみが扉であることを主張している。
獅子吼は懐から古ぼけた鍵を取り出し、巨大な錠前に差し込む。ガゴンと低く唸るような音とともに錠前が開かれる。獅子吼が扉を押し開ける。化け物が唸るような音がするものの、意外と滑らかに扉が開く。知らず知らずのうちに唾を飲み込む。
「さぁ、行きましょう」
無言で頷く。獅子吼が奥へと進んでいく。暗い。灯りはついていないようだ。階段から差し込む僅かな光を頼りに慎重に奥へと進む。視界が真っ白になる。目を眇める。獅子吼が灯りをつけたようだ。徐々に目が慣れてくる。そう広くない。
「これは……」
この部屋の主は一目で分かった。存在感が違う。周りの空気すらねじ曲がっているように感じる。絢爛であり、重厚であり、鋭い。それでありながらどこか素朴だ。畏敬の念すら覚える。美術品に詳しくなくても分かる凄みがある。金属でできた見事な造形の巨大なホトトギスがそこには鎮座していた。直観する。劔冑だ。
「三日月宗近、大鳥家の当主が代々纏った劔冑です」
「三日月、宗近……」
「この劔冑に認められ、仕手になること。それが試練です。……さぁ、触れてみてください」
躊躇する。あまりの神々しさに触れて良いものかと思う。だが、意を決して歩み寄る。そして、ホトトギスの首の辺りにそっと触れる。
《我が銘は三条宗近》
「あっ、に……大鳥雄飛です」
脳に直接響くような独特の感覚。確か金打声と呼ばれる劔冑の会話方法があったはずだ。これがそうなのか。
《力なき正義は無能である
正義なき力は圧制である
我は力、王道を征く者のための力である
問う、汝に正義の志はあるか、ないか》
正義、そう問われて思うのは紅い武者の事、湊斗景明の事。戦うべき時に戦った正義の味方。憧れかも知れない。だがこの道を征くと決めたのだ。
「――ある。悪を許さない事、それが俺の正義だ」
《悪とは一体何だ?》
「理不尽に奪われることだ」
間髪をいれずに答える。腹はくくった。ならば後は素直に答えるだけだ。
《何を以て正義を行う?》
何を以て、要するに動機を聞かれているのだろう。自分を振り返る。なぜ正義を行いたいのか、悪を許せないのか。
「――怒りだ。俺は怒りを以て悪を断つ」
《それだけか?》
それだけ、即ち足りなかったという事だろうか?だが、怒りというのは素直な気持ちだ。何が足りなかったのだろうか。
《……青き者よ、考えるのだ。怒りは正義を変容させる。いずれ独善へと堕するであろう》
「それは……」
あり得ないとは言えなかった。自分の事だけ考えてもこの数週間で変わったという認識がある。だがそれでも怒りを否定する気にはなれなかった。その時、指先に冷たい感触を感じる。いつの間にか首から下げていた勾玉を触っていた。
その冷たい感触に思い出す。冬太の事を。優しい思い出を。最期に交わした会話が思い出される。そうだ、怒りだけじゃ足りないんだ。俺は日常を守りたいのだ。なぜ?それが尊い物だからだ。だから奪われれば怒る。だがそれ以前に奪われないように守り、育てること、それを忘れちゃいけなかったんだ。奪われた者の事を思う。俺が連れ去られた時、小夏は泣いていた。その悲しみを忘れちゃいけなかった。
「……怒りが間違っているとは今も思ってない。……だけど、それじゃ足りなかった。悲しさ。悲しさを産まないように日常を守り、育てる。――怒りと悲しさ、これが俺の答えだ」
《その答え、未熟である》
ダメ、か。だがこれでダメなら諦めも付く。
《未熟な者よ。我はその可能性に身を託す。考えよ。精進せよ》
「……えっ?」
《汝はこれより我が仕手である。御堂、しっかりせよ》
「認められた……?」
《王道を歩む限りこの身、汝の力となろう。我が銘を呼べ、誓言を唱えよ》
宗近に言われて誓言を問い返そうとする。だが、誓言と思った瞬間に脳裏に浮かぶ物がある。自然とそれが宗近の求めているものなのだと理解する。
「宗近」
銘を呼んだ瞬間、青と白の螺旋の中に立っていた。自然と右手を前に突き出し、左足を半歩引く。右手で虚空を掴むように握りしめ誓言を唱える。
「五月雨は
露か涙か
不如帰
我が名をあげよ
雲の上まで」
俺の全てが変貌を遂げる。
外は甲鉄に覆い尽くされ。
内は異力が駆け巡り。
人間にあらざるモノに成りおおせる――
余りの超越感に意識が恍惚としそうになる。
呆然と手を見つめる。青を基調に白が優美な模様を描く金属製の籠手が見える。自分と劔冑とのあまりもの差に感覚が付いていかない。
「お見事にございます。雄飛様」
「……獅子吼」
「この獅子吼、雄飛様が試練を越えられる事、信じておりました」
「そうか。……宗近、とりあえず脱ぎたいんだが」
《承知》
次の瞬間、宗近が俺の横に現れる。手を見る。見慣れた手だ。その事に安心する。俺は俺なのだ。そこを間違えてはいけない。
「――行くぞ」