6番目のアーウェルンクスちゃんは女子力が高い 作:肩がこっているん
刹子の拳はすでに限界を向かえていた。
咸卦法により高められた高畑の護りは、それを打ち崩さんと振るわれる刹子の拳を、鉄で打ち付けるかのような衝撃を与えた上で跳ね返す。
鉄塊。今私は鉄塊を殴っている。刹子は高畑の護りを前にそのような印象を受けた。
ーーダメ、もう手を握っている感覚すらない。
『硬度』が備わった、高畑の『咸卦の盾』とも言うべき鋼の護りは、刹子の拳に確固たるダメージを与えていた。高畑への攻撃は己の拳へのダメージとなって、ことごとく還ってくる。打ち付ければ打ち付けるほど、それは蓄積される。刹子の拳には魔力によるコーティングが施されているが、そんなものはもはや気休めにもならない。
ーーこの強度、練り込んでる魔力と気の量が尋常じゃない。ほとんど実戦用に近いレベルじゃないですか。……高畑先生ったらマジになってますーーねッ!
手の方はもうダメだ。着ぐるみを着用しているために確認はできないが、おそらく中々にエグいことになっているだろう。骨も折れているかもしれない。そのため、今は蹴りを主体にした攻めに移行したが、別段効果があるようには思えない。刹子とて、そのことは文字通り、痛いほどに理解している。
「ーーーーッ!」
高畑のガード越しに、刹子はハイキックを放つ。生じる打撃音と共に、何か別の、
「かはッーーーー」
蹴り上げた片足が地に着く前の、態勢も整っていない状態。そこに叩き込まれた高畑渾身の一撃。当然その場で踏ん張ることもできず、刹子はその勢いのまま後方へ、車に跳ねられたかのように宙を飛ぶ。
「すごい! チュパカブラを殴り飛ばした!」
ネギが歓喜の声を上げる。
彼の目に映っていた今までの戦い。刹子と高畑。二人は五分に渡り合っているかのように見えていた。
いや、ガードを固めている分、高畑の方が圧されているようにすら思っていた。
しかし、実際は言わずもがな。ほとんどが刹子の自滅とも言える試合内容なのだが、まだ10歳にもなっていない子供であるネギに、そのような判断がつくはずもなかった。
そんなところに此度の高畑の一撃。ネギからしたら、この戦い始まって以来の決定打に見えたのだ。
表情に喜色を浮かべるネギ。
しかし、それもすぐに曇ることになる。
「えーー」
かなりの勢いを持って殴り飛ばされたかのように見えた。
地に伏すまではいかずとも、膝を突く程度の光景は幻視していた。
喜びから一転、困惑へ。
ネギの視線の先には、たった今高畑が殴り飛ばしたはずの“チュパカブラ=刹子”が、なんてことはなく整然と立っていた。
「あれ、僕、目がおかしくなったのかな? ……チュパカブラが、一瞬、
「……奇遇ね、ネギ。私もおんなじものをこの目で見たわよ。何? チュパカブラって超能力でも使えるの? あは、あはは……」
ネギと明日菜が、今しがたの刹子の動きを目の当たりにして、何やら戦々恐々としている。
高畑は、今起こったことを冷静に分析していた。
「(まさか受け身すら取ることなく、さも当然のように着地するとはね……)」
己の拳により弾き飛ばされ、そして着地するまでの刹子の動き。高畑はその一部始終をしっかりと捉えていた。
刹子はかなりの勢いで宙を飛んでいた。それはもう、風を切るという言葉が合うほどに。
高畑自身の計算でも、刹子の着地点はこの場からおよそ70m先は見積もっていた。。
しかし現実は、その半分もいかない距離に留まることとなる。
空中での突然の失速。
不可解な急停止。
まるで、
そして、刹子の周りだけ重力が働いていないかのような、あまりにも穏やかな着地。
さながらーーロープアクションのような機械的な動きに見えた。
「(今のは飛行魔法か? それにしては挙動がおかしかったけど。ーーーーふむ、考えても仕方がないね)」
この場にいるすべての者が、刹子が行なった妙な動きを前に疑問符を浮かべていた。楓、古菲に至っては動揺すらしている。
そんな中、対峙している高畑だけが、次なる一手をどう繰り出すかに神経を注いでいた。
「(あれで決まるなんて到底思ってはいなかったけど、ああもダメージが無いかのように振舞われるとはね)」
高畑は刹子の足を注視する。
「(先ほどの接触時、刹子君の片足の骨は確実に折れた。あの独特の乾いた音は間違いない。普通ならあのように平然と立ってなどいられないはずなんだけどーー)」
片足の骨が折れている。高畑からそのような診断を受けた当の刹子は、二本足でしっかりと地を踏みしめ、静かにその場に佇んでいる。
着地以降、刹子は微動だにしない。
それは虚勢なのか、はたまた他に狙いがあっての事なのか、判断はつかない。
高畑は腹を決めた。
「(虚勢か否かーー今一度その身に聞いてみるだけのこと‼︎)」
高畑の上体が少し前に傾いたかと思われた途端、影がぶれ、瞬く間にその場から消え失せる。
瞬動術だ。
縮地とまではいかないものの、高畑のソレもかなりの精度を誇っていると言える。
「ーーッ! 消えーー」
ネギが言葉を言い終える前に、高畑は再び姿を現す。
今尚、高畑が消えた場所をただただ見つめているだけの刹子。その、あまりに無防備な真後ろからーー。
「(獲ったーー)」
刹子の首筋、ただ一点を見据える高畑。
振るうは拳ではなく、手刀。
刹子がこのまま何もしないのであれば、容赦無くその意識を刈り取るつもりだ。
しかしーー
ーー高畑はこの場面で重大なミスを犯していた。
それはーーーー咸卦法の使用を解いてしまった事である。
なぜ高畑は今になって、己の絶対的なアドバンテージを手放してしまったのか。
答えは簡単である。単純に刹子の身を案じたためだ。
今現在、刹子が自身の肉体に魔力による身体強化を施しているのか、高畑にはわからなかった。
咸卦法により高められた高畑の攻撃は、ただの生身で受けるにはあまりにも、威力が高すぎるのだ。
ただの手刀が、刹子の首を容易く両断してしまう可能性だってありうる。刹子は今、本当に満身創痍なのかもしれない。
そう思った高畑は、最後の最後で手を緩めてしまった。
鉄塊とも言うべき護りを、捨ててしまった。
故に、奇襲とも言うべき意識外からの攻撃をーー通す事となってしまった。
「がッーーーーーー⁉︎」
高畑の視界がーー突然切り替わった。
眼前には、煌びやかな星々が散らばる、満面の夜空が広がっている。
先ほどまで刹子の首筋に向かっていたはずの自分が、なぜ、今はこうして夜空を眺めているのだろう。高畑が事態の把握に至るまでに、幾許かの間が空く。
「(ーー顎を、蹴り上げられた、のかーー、一体、どうやってーーーー)」
顎にほのかな痛みを感じる。
間違いない、顎に強打を受けたことによる軽い脳震盪。自身の身体に起こっている現象はそれだ。
景色がスライドする。
まるで急激に落下するエレベーターの中から、流れる外の景色を見ているかのように。
夜空から地上へ、チュパカブラの背中を滑らかに視線が走る。
途中、信じられない表情でこちらを見ているネギの顔が映る。
「(ーーやあ、ネギ君。僕はどうやら君のお姉さんに打ち負かされてしまったようだよ)」
今、自分は倒れようとしている。
薄れゆく意識の中、かろうじて高畑は視界の端に、自身がこうなってしまった原因と思われる
「(ーー参ったな。君、起きてたのかい。てっきりーーーー刹子君の尻尾として収まってしまったのかと思ったよ…………エヴァ)」
高畑は見た。
刹子と高畑の戦いが始まってからずっと、刹子の腰にしがみ付いていた、金髪の少女。
彼女は今も刹子の臀部から、うつ伏せのまま垂れ下がっている。
ただーーその片足だけが何故か
夜空に向かって、
ああーーあの足に蹴られたんだな、僕は。
意識が暗転する間際、高畑はそんな事を思った。
††††††
「何だよこんな時間に。何か用かーーいいんちょ」
自室で飢えに苦しんでいた千雨の元を訪れた人物は、雪広あやかだった。
てっきり同居人が帰ってきたのだと思った千雨は、夕食の支度をほっぽらかして何をしていたんだという怒りと、「お前鍵持ってる癖に何でわざわざインターホン鳴らすんだよ」という、これまた怒りーー二重に重なった怒りの感情を胸に、荒々しく玄関のドアを開け放ったのだ。
しかし、そこには自分の想定とは別の人物が驚いた表情を浮かべ立っていた。
不躾な対応をしてしまった気まずさと、行き場を失った同居人への怒りがないまぜになるも、持ち前の律儀さでそれらの感情を一旦奥へと押し込めて、極めて冷静な口調で先の言葉を発したのだった。
いいんちょこと雪広あやかは、そんな千雨の気持ちを知ってか知らずか、次のような第一声を口にした。
「……あの、刹子さんは今部屋にいらっしゃいますか?」
「居ねぇ。じゃあな」
有無を言わさずドアを閉めようとする千雨。
いいんちょは機敏な動きでドアの間に足を入れてそれを防ぐ。
「ちょっと千雨さん⁉︎ まだ私の話は終わってませんわ⁉︎」
「ーーんだよ、用があんのは私じゃねぇんだろ⁉︎ あいつはまだ帰ってきてねぇんだよ! そんなことより私はもう腹が減って……とにかく、イライラしてしょうがねぇんだ! そんな時にいいんちょみたいな奴と話したら余計にストレスが溜まるし疲れるんだよ! 私に無駄なエネルギーを消費させんじゃね〜‼︎」
「まぁ⁉︎ 千雨さんは私の事をそんな厄介者か何かのように思っていたのですか! ちょっと顔を出しなさい!」
ドアを挟み軽い小競り合いを始める二人。
程なくして、体力と腕力の劣る千雨が音を上げる結果となった。
「……あぁ〜、もう何なんだよぉ。あいつに話があんなら伝えとくから、とっとと要件話して帰ってくれよぉ……」
空腹が応えている、千雨はそのようにアピールをし、壁にもたれかかり気だるそうな態度を示す。
実際空腹なのは間違いないが、千雨がやたらと情緒不安定な理由は他にあった。
しかし、そんなことはおくびにも出さず、「さっさと話せよ」といいんちょを急かす千雨。
いいんちょはそんな千雨の様子を見て、軽くため息をついた後、ようやく今回の訪問の旨を話し出した。
「少し落ち着いてくださいな。ーーいいですか、私は今この女子寮に住む3-Aの方々の部屋を一つずつ回って、不在の方が居ないかどうかの確認を行なっているんですわ」
「確認? 何でまたそんなこと」
「それはーー」
いいんちょが言うに今回の訪問は、近日起こっている『桜通り事件』を受けての事らしい。
吸血鬼だのチュパカブラだの、事件の概要はおよそ現実味の無いものであるが、実際に被害が出ている事だけは確かである。
それに被害者の内二人は、同じクラスメイトである3-Aのメンバーだ。
クラスの代表として、これは見過ごすわけにはいかない。そう思ったいいんちょは、勇敢にも単身で夜の桜通りへと乗り込むつもりでいたらしい。
そんな決意を固めていたいいんちょだったがーー。
「止められた? 高畑先生とネギ先生。それと、神楽坂に?」
「ええ。
いざ寮を出発しようとした際に、偶然会ったのがその三人。こんな夜に外に何しに行くのか、そう聞かれたいいんちょは正直に目的を話したところ、三人から待ったをかけられたとの事だ。
「それ、何時ごろの話だ?」
「……7時前だったと記憶してますわ。それであの方々は、「自分たちがこれから調査をする故、心配はいらない」と、そのように仰いました。アスナさんは、そんなネギ先生の付き添いとか。……同室のよしみだとか、何とか言ってましたけど、どうせ高畑先生に釣られたのでしょう。それにしても何でアスナさんはよくて私はダメなのでしょう、納得がいきませんわ‼︎」
「まぁ、自分だけがつまはじきにされたってわけだもんな」
先ほどのことを思い返して腹が立ったのだろう。いいんちょは、「キィーッ」と悔しそうな声をあげ地団駄を踏んでいる。
壁にもたれかかった態勢でその奇行を眺めていた千雨は、何はともあれと件の桜通り事件について、改めて脳内で情報整理を始めた。
千雨自身今回の事件について、当初は噂に尾びれがついたくらいのものと思っていたのだが、身近で被害者が出たことで、そうも言ってられなくなった。
吸血鬼やチュパカブラの存在を肯定する訳では無いが、少なくとも、ことを起こした「犯人」と呼べる存在がいる確率は高い。
その「犯人」はーー。
「(当然ーー「人間」ってことになるよな)」
人間だ。
吸血鬼だのチュパカブラだの、そのようなファンタジーな存在などでは決して無い。
犯人がいるのなら、それは間違いなく人間だ。そこに異論を挟む余地などありはしない。
「(というか、普通に考えたらそれしかないだろ。何だよチュパカブラって。
3-Aのノリにはやはり着いて行けないーー改めてそう思うと同時に、次の懸念が千雨の頭を過ぎる。
それはーー犯人の「目的」だ。
千雨は、犯人の「目的」についての大まかな推測をする。
「(女子寮前の通りで待ち伏せしてるわけだろ? そいつは。つったらもう、
千雨は、自身の推測に対して確信めいたものを感じていた。
「(それも、被害者は襲われたって事になってる。ーー
思わず最悪の事態を想像して、千雨は足元が寒くなるのを感じた。
最悪の事態ーーそれは犯人が、被害者の身体に接触しているかもしれないという事。
それも、自身のクラスメイトである二人がーー。
「(考えたくもねぇ。佐々木とエヴァンジェリンの奴らが、まさか、そんな。あいつらまだ中学生なんだぞ? いや、別に歳の問題じゃ断じてねぇんだが……それにしたって、エヴァンジェリンみたいな、あんな体の小さい奴を…………くそ! モヤモヤすんな畜生!)」
考えれば考えるほど、自身の考えていることが本当に行われたのではないかという不安が強まる。
被害にあった二人の顔を思い浮かべる。
何とも言えない、嫌な気分になる。
「(すると宮崎もアウトって事になるな。現場で気絶するとか……何やってんだよ。ーーそういや、あいつは犯人の姿を見たんだっけ? チュパカブラがエヴァンジェリンを襲ったって。ハァ、チュパカブラ、ねぇ……)」
本物のチュパカブラが桜通りに現れて、血だけを丁寧に頂いて、去った。というのが真相なら、そっちの方が断然いいーー千雨はそう思った。
何故なら、血は吸われたかもしれないが、命に別状はないのだから。他に何かされるよりは全然マシだ。
そういった意味では、千雨はチュパカブラの存在を認めたい気持ちになっていた。
しかしーー。
「(藁にもすがるって気分なのかね。馬鹿か、私がそんなんでどうすんだよ。どうせ宮崎の奴が錯乱してて、暗がりから現れた陰がそう見えたってだけか、もしくはーーーー何かしらの変装をしてた、とかか?)」
顔ぐらいは隠しているだろう。
少なくとも個人が特定できないような服装のはずだ。
それこそ、のどかが思わず「チュパカブラ」と見違えてしまうような、大掛かりな変装をーー。
「(ーーいやいや、チュパカブラと間違えるような変装って何だよ⁉︎ コスプレか⁉︎ そいつチュパカブラのコスプレでもしてんのか⁉︎ 特殊メイクか? それとも着ぐるみか? 何だそりゃ、意味不明すぎるだろーーッ⁉︎ ……いや待てよーーーーそうやって事件の重大性から目を逸らさせてる、とか?)」
千雨は壁に傾けていた態勢を正し、顎に手を当てて考える。
「(桜通り=チュパカブラって図式は生徒の間ではもはや確立されたものになってる。そうやって学園側の印象操作を狙ってるなんてことはないだろうな。ありえない話じゃない。現に警察が動いてる様子も無ければ、学園から何の注意喚起もない。おいおい、嘘だろ、そんな馬鹿みたいな手口がまかり通るってか? 現代日本だぞここは⁉︎ 普通事件が起きたら些細なことでも調査をするってのが筋だろ⁉︎ こんなーー馬鹿げたことがーー)」
千雨は顔を左右に何度も振り、自身の考えを払拭しようと試みる。
今考えていたことは己の拙い妄想だ、そんなことはありえない、あってはいけないーーと。
未だ地団駄を踏んでいる、いいんちょの足が千雨の視界に入る。
「……おい、いいんちょ。もうその辺にしとけ、てかまだやってたのか。いい加減近所迷惑になるぞ」
「ーーハッ! こ、これはこれは、私としたことが……」
コホンッと咳払いをして、態度を取り繕ういいんちょ。
そんないいんちょを見て、千雨が口を開く。
「だいぶ話が途切れちまったけど、要はあれだろ? いいんちょは、ネギ先生達から戦力外通告を受けたものの、居ても立っても居られない事に変わりはねぇ。だからこうして、3-Aの奴らが無事かどうか確認に回ってるってわけだ」
「ーーっ、え、ええ! そうですわ千雨さん、その通りですわ!」
いいんちょは胸に手を当て、「どうだ」と言わんばかりに謎の主張をする。
心構えは委員長として素晴らしいと思う。
しかし、それでも千雨は微妙な表情のままである。
その理由はーー。
「でもなぁ、いいんちょ。言っちゃあ悪いがーーーー
「うーー」
「部屋でただじっとしてた私が言うのも、あれだけどよぉ……。見回りするなら、もうちょっと早い内にやっとくべきだったんじゃねぇか?」
「そ、そうですわね、それは確かに……」
「ーーあっ! さっきいいんちょがネギ先生達に玄関でおっ返されたのは、確か
「そ、それはーー」
千雨が立て続けに指摘すると、いいんちょは何ともバツの悪そうな表情を浮かべ、うつむく。
「(ーーやべ、がっつきすぎたか? ちっとばかし私も気が立ってるみたいだな、いけねぇ)」
別に責めたつもりではないのだが、なぜだかそのような態度を取られて、千雨は少し気がひけた。
いいんちょは少し間を空けてから、やがて、ポツポツと喋り出した。
「実は、女子寮の玄関前でネギ先生達に戻るように言われた後も…………ずっと、
「留まってって……いいんちょ、あんた女子寮の玄関にずっと居たって事か? 2時間も? なんでまた?」
「……ネギ先生達が無事
いいんちょの性格ならありえる、千雨はそう思った。
慕っているネギの身を案じた結果、そのような行為に繋がったのだろう。
「ネギ先生達は、ちゃんと帰ってきたんだよな?」
「……ええ、たった今お戻りになられましたわ。ネギ先生が仰るには、今夜は何も起きなかったとのことです。念のため、まだ高畑先生が現場に残ってらっしゃるそうですが、少ししたら引き上げるそうです。」
「それを聞いてもまだ不安が残るから、いいんちょはこうしてクラスメイトの安否確認をしている、と……」
「ええ、そんなところですわ……」
「ちなみに聞くがーー何でいいんちょは7時前に寮を出ようと思ったんだ?」
桜通りから完全に生徒の影がなくなるのが大体6時半。
それ以降は、訳あって学校に残っていた生徒がたまに通るくらいだ。
何かしら事件が起こるとしたらその辺りの時間になるだろう。高畑達も同じように考えて、現場に赴く時刻を定めたのかもしれない。
だとすると、いいんちょもその考えに至ったのだろうかーー千雨がそのことを聞くと、帰ってきた答えはーー
「……同室の千鶴さんに、夕飯はちゃんと取ってから行くよう言われまして……」
ーーだった。
これまたらしいと言えばらしいかーー千雨はそんなマイペースなクラスメイトにいささか呆れにも似た感情を抱く。
「(……私が必要以上に考え過ぎなだけか? それとも那波の奴がそこまで事態を深刻に受け止めてねぇのか? あいつは今朝の宮崎の話を聞いてなかったのかよ。いいんちょもいいんちょだ、何軽く流されてんだよ…………だめだ、3-Aの奴らの感覚を理解しようとしちゃいけねぇ。私とあいつらじゃそもそもの考え方が違うんだ、惑わされるな、頼れるのは自分自身の感覚だけだ)」
幸い千雨は帰宅部である。遅くまで学校に残るような用事などない。放課後は寄り道などせず真っ先に帰宅し、以降外を出歩いたりはしない。
そう言った点では、千雨自身が危険に晒される可能性はとても低いだろう。
結局のところ、夜中に外を出歩かなければいいのだから。
そもそも千雨は学校に行く以外であまり外出することがないのだ。
あったとしても、その時は千雨一人ではない。
大抵は、この部屋に住まうもう一人の住人が、出不精な千雨を無理矢理外へ連れ出すのが常だ。
そして、千雨からしたら大変迷惑な同居人はーー未だこの部屋に戻っていないのである。
「それにしても、困りましたわね……まさかとは思いましたが、案の定ーーーー刹子さんがいらっしゃらないとは……」
「……言っとくけど、六戸は学校が終わってから一度もこの部屋に戻っちゃいねぇぜ? そんなわけで、私はあいつがどこにいるのか知らねぇ。……悪りぃな」
「千雨さんが謝ることではございませんわ。……貴女も、心配しているのでしょう?」
「……私がしてんのは飯の心配だ」
「素直じゃありませんわね、貴女も…………ハァ、さて、どうしたものやら……」
二人はそれきり黙り込む。
お互い、いい落とし所が見つからないようだ。
「……深夜の外出は立派な規則違反。何かあったらあったで、それは六戸の自業自得だ。いいんちょ、何もあんたが責任感じることはないんだぜ?」
「そうは言いましても……」
このままじゃ埒が明かない。
現場にまだ高畑がいるというなら、いっそのこと捜索を頼むという手もあるーー千雨はそこまで考えた後、いざそれを口にしようとしてーー踏み止まった。
「(今からわざわざ桜通りに行くってか? 実際に事件が起きた場所に? こんな夜中に?)」
無理だーー千雨はそう思った。
いくら高畑が警備をしているとはいえ、今の時間、あの場所は完全な危険地帯。千雨の中でそれは確かなものになってしまっている。
危ないと知っていてわざわざ首を突っ込むなど、他のクラスメイト達のような芸当は、千雨にはできない。
千雨は事件の詳細を長々と考察していたが、それはあくまで自分の身の安全を確かめるために行なっていた。決して、目の前のいいんちょのように、クラスの為に何かしなければーーなどという使命感からではない。
単純にーー自分が被害者になるのが怖いだけ。
千雨のような普通の少女にとって、それは当たり前のことだった。
未だ帰らぬ同居人のために腰をあげるなど、千雨には荷が重かった。
それゆえに、千雨の足は先ほどから動こうとしない。
ただただ、歯を食いしばりその場に立っていることしかできなかった。
「千雨さん……?」
何やら様子がおかしい千雨を、いいんちょが不審に思ったーーーーその時だった。
「ーーあれ? いいんちょ? 千雨も、二人して部屋の前で立ち話なんて珍しいですね?」
その声に、千雨といいんちょは同時に振り向く。
「ーー六戸……」
「せ、刹子さん……⁉︎」
二人が振り向いた先には、片手にコンビニのビニール袋を持った刹子が、キョトンとした表情を浮かべ立っていた。
††††††
「今日の夕飯はコンビニ飯かよ……」
台所でガサガサとビニール袋の中身を取り出している刹子に、千雨は不満を込めてそう言った。
「飯じゃなくて、麺ですよ。千雨、今夜は私と一緒にこの激辛カップ麺を食べましょう」
そう言って、刹子はやたらと真っ赤なパッケージのカップ麺を高々と掲げる。
「それめちゃくちゃ辛くて有名なチェーン店のやつじゃねぇか! ……ただでさえこっちは空腹でテンション下がってるっつうのに、何でそんな要らんチョイスを……」
「ちょっとムシャクシャした事があったもので、そのストレスを発散するためにも刺激のあるものが食べたかったんです。そもそも、これは私の奢りなんですから、つべこべ言わずありがたくいただいて欲しいものですね」
「お前の個人的なストレス発散に私を巻き込むんじゃねぇ! 奢りでも嬉しくねぇわ!」
刹子の何とも身勝手な態度に、千雨は怒りのボルテージが湧き上がるのを感じるも、同時に体が空腹を訴えてくるせいで、着火までには至らない。
そんな千雨の心境など御構い無しに、刹子はふんふんと鼻歌を鳴らしながらカップ麺の開封を行なっている。
「(心配してホンット損したぜ! この非行女、私の気も知らないでーー)」
結局、刹子は何事もなく無事帰宅した。
話を聞いたらと、どうやら『友達』からゲームに誘われ、時間が経つのも忘れるほどに熱中してしまったらしい。それこそ、スーパーに夕飯の買い出しに行く事すら忘れて、今の今までずっとだ。
そのことを聞いた千雨は怒る気力さえ湧かず、ただただ脱力した。
横で聞いていたいいんちょも、同じ気持ちだったのだろう。刹子に軽く小言を言っただけで、その場は流れになった。ただ去り際に、刹子に「明日少しだけ話がある」とだけ残していった。千雨は、おそらく日を改めてからのガチ説教コースだなーーと内心清々した気持ちで汗る刹子をニヤニヤと眺めていた。
「(どうせならその『友達』も一緒に説教してやってくんねぇかな。毎度毎度ウチの料理担当を拘束しやがって……)」
刹子は度々その『友達』とやらと一緒に遊んでいる。刹子にそういった仲間がいることは千雨も知っていた。
最も千雨自身は刹子の言うその『友達』とやらと会ったことはない。会いたくもないーーと言うのが本音である。
刹子から外出に誘われる際、千雨は真っ先にその『友達』やらは同行するのか否かを聞く。
執拗に何度も聞いてくるので、なぜそのようなことを聞くのかーー刹子は以前千雨にそう問うた事があるのだが、その時の千雨は、
「お前と私、二人だけじゃなきゃーーどこも行きたくない」
と、このように言った。
聞きようによったら、何ともいじらしい台詞である。
これを受けて刹子は、「千雨はそこまで私と二人きりがいいのですね、うふふ」などと勝手に舞い上がっていたのだが、当の千雨からしたら、これは死活問題だった。
要は、千雨は刹子の『友達』との接触を避けたいのだ。
『不良』と呼ばれる刹子とよくつるんでいると言うことはすなわち、その『友達』もまた『不良』に違いないのだ。
目の前の不良はーーまだ「こんな感じ」だからいいが、お友達の方はわからない。マジの不良かも知れない。いきなりイチャモンをつけられるかも知れない。
何よりも、自分が不良にビビってる姿を目の前の刹子に見られたくない、何だか負けた気がするーー故に千雨は意固地になっていたのである。帰宅部少女の妙なプライドがそこにあった。
「…………」
千雨は刹子の姿は黙って眺めている。
「(なんだかんだ心配しちまったけど、思えばこいつが変質者に屈してる様なんて想像もできねぇな。ーー
腕を組み、改めて刹子のことを考えている。
「(……逆にこいつの事だから、案外ノリノリで応じるなんてこともあるのか? 夜中によく会ってる『男』もいるみたいだし、あながちそっち方面は割と軽いとか……いやいや、無い、さすがに無いだろう! ていうかこいつが色々ふけってる姿なんざ想像もしたくねぇ!)」
肩を抱いて悶える千雨。
そんな千雨に、刹子が声をかける。
「……千雨、何一人で興奮してるんですか? そんなにこの激辛カップ麺を食べるのが楽しみで仕方ないとーー」
「……私にも色々あんだよ、ほっといてくれ。てか、カップ麺作んのにいつまでかかってんだ? 蓋開けたままお湯も入れねぇで……」
先ほどまでルンルン気分でカップ麺を開封していた刹子は、今はその開け放たれた二つのカップ麺を前にして困った顔を浮かべている。
今になって激辛カップ麺に臆したかーー千雨はそう言おうとしたのだがーー。
「ーーお湯、空っぽじゃないですか」
刹子はポットを指差し、口を尖らせてそう言った。
「……は? いや、そんなバカな。確か私が学校から帰ってきた時にお湯入れ替えたから、まだたっぷり残ってるはずだぜーーーーあれ? 嘘だろ、マジで空っぽかよ」
ずかずかとポットの前まで歩み寄り、蓋を開けてみると、中身はすっからかん。
「千雨がコーヒーがば飲みしたから無くなっちゃったんじゃないです?」
「アホか、短時間でポット丸々なんていけねぇっつうの。……おかしいな、確かに並々入れたはずなんだが……」
千雨はポットの前で深々と考え込む。
刹子は手をパンパンと鳴らして、千雨の意識をより戻す。
「ほらほら、そんなところで突っ立ってないで、今からお湯沸かしますよ。……時に千雨、あなたお風呂まだなんじゃないですか? 何だか汗臭いですよ?」
「ーーあ? 確かにまだ入ってねぇけど……って、そんなに汗臭いか⁉︎ 私ずっと部屋に居たんだが⁉︎」
「それはもう、何とも芳しい濃厚なスメルが……」
「っておい! 近くで嗅ぐんじゃねぇ!」
「ん〜、やっぱり匂いが強い感じがしますね。千雨、あなた先にお風呂行ってきたらどうですか? お湯は私が沸かしてますので」
「お前は入んないのかよ? それこそばっちいぞ」
「私は夕飯をとってから入りますよ。ささ、汗くさ千雨はとっとお風呂に行った行った!」
「わかった、わかったから! 今入浴セット取りにいくから、押すなっつぅの!」
押されるがままに台所からの退却を余儀なくされる千雨。
ポットのお湯が空だったこともまだ納得しておらず、何やら狐につままれたような気持ちで、千雨は入浴具と着替えを取りに行った。
風呂へ行く準備を整えた千雨は、リビング越しから台所にいる刹子の後ろ姿を見やる。
刹子はカップ麺と一緒に買ったのであろうペットボトルの飲み物やカット野菜やらを冷蔵庫に入れ、そして整理している。
千雨はその様子を見て、何やら
「(なんだ? やけに動きがパッとしねぇな。一個一個たらたらと……)」
あんまりにもじれったいので、千雨は思わず声をかけた。
「おい、何チンタラやってんだよ。お湯沸かすのはどうした? つうか冷蔵庫開けっ放しにすんなって、お前がいつも私に言ってることじゃねぇか」
「何ですか、まだお風呂に行ってなかったんですか? 私は冷蔵庫の中がごちゃごちゃにならないように、正しく整理整頓をですね……」
「大して何も入ってねぇのに整頓もねぇだろ? それよりさ、お前ーー」
「何ですか? 千雨」
「いや、何つうか、そのーー」
千雨は刹子の動作が妙に気になっていた。
思えば、それはカップ麺を開封している時も、いや、もっと前、刹子が帰宅してからというもの、ずっと。
それは、他人から見たら何らおかしくは感じないほどに、些細な違和感だった。
帰宅して刹子はローファーを脱ぎ、すぐさまスリッパに履き替えた。いつもなら刹子はそこで脱いだばかりの靴を正しく揃えるのだが、先ほどはそれをしなかった。これに関しては別段、こういう時もあるか、と言った感じで千雨はそこまで気に留めなかった。
次に感じたのは、歩き方だった。
というのも、先ほどから刹子はやたらとパタンパタンと音を立てて歩くのだ。
スリッパを履いているのだから、仕方ないだろうと思うかもしれないが、普段から共に暮らしている千雨からしたら、それも気になる点であった。
刹子は普段、意識的に足音を忍ばせているのではないかというほどに静かに歩く。それはスリッパを履いていようがなかろうが関係ない。
机に向かっている千雨の背後にいつのまにか立って、耳元で「夕飯の支度ができました」と囁かれるのは毎度のことだ。
言ってしまえば、刹子は一々の動作がやけに洗練されているのだ。
その素行とは裏腹に、食事の際には箸の使い方から器を持つ動作まで、いいとこのお嬢様のように丁寧で、静かで、気品がある。
短い時間であらゆる家事を済まし、一度に複数の料理を同時に手がける手際の良さもそうだ。
過去にそう言った仕事でもしていたのではないかと疑ってしまうほどに、完璧だった。
これで口を開かなければーーと、千雨は何度となく思ったことである。
そんな刹子を、千雨は誰よりも近くから見てきた。
故に、今冷蔵庫の前で食品片手にもたもたとしている刹子の姿が、不自然に思えて仕方がなかった。
「お前……なんか動き方ヘンじゃねぇか?」
千雨は、それを指摘せざるを得なかった。
「…………変、とはーー」
刹子は千雨の方を見ない。手にしているペットボトルを冷蔵庫にどう納めようか、といった様子である。
千雨は構わずその先を口にした。
「……いつものお前はもっとこう、テキパキとしてた。今のお前の動きは、カクカクっていうか、機械的っていうかーー
ーー
刹子は手にしていたペットボトルを床に落とす。
「おっと、いけないいけないーー」
刹子は
千雨の違和感は沸点に達していた。
入浴セットを床に置き、千雨は刹子に駆け寄る。
「おい、やっぱなんかヘンだってお前!」
千雨は刹子の肩を掴み、無理やり立ちあがらせる。
思ったよりも華奢な肩周りを感じながら、千雨は刹子の目を真っ直ぐ見据える。
「ちょ、千雨⁉︎ 何ですかいきなりーー」
「……お前顔色悪くねぇか? それにーーなんだよ、汗くせぇのはお前の方じゃねぇか! 何でそんな汗だくなんだよ!」
なぜ今まで気がつかなかったのか。
やたらと上気した頰、額に張り付いている前髪、荒い息遣い。
刹子の様子がおかしいのは明白だ。
「ヘンだ、ヘンだって! 具合でも悪いのか⁉︎」
「へ、ヘンなのは千雨の方ですよ⁉︎ ちょっと、痛っーーーー」
刹子の弱々しい反応を前に、千雨の懐疑心が強まる。
抵抗はしているがぎこちない。腕力は断然刹子が優っているはずなのだが、これはどうしたことなのか。
「ひょっとして帰り道で何かあったのか⁉︎ まさか桜通りで何かーーーーーー」
刹子の全身をくまなく確認していた千雨の瞳が、
千雨の視線は、刹子の
スカート下から始まり、ひざ下の黒いソックスに至るまで、すらっと伸びた真っ白な肢。
その白い肢の上を、一筋の
その赤い線は、刹子の内股から始まっている。
血だーー。
普段の千雨なら、それを見て女性特有の生理現象の方を想像したかもしれない。
しかし今の千雨はーー気が動転していた。
「……ろ、六戸…………おまえ、それ……それって……」
「千雨……?」
千雨は手の震えが止まらない。
先ほどまでの
それは、千雨の脳の許容範囲を上回った。
「あ……あぁ…………そんな……嘘だ……六戸が……あの六戸が…………あぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー」
よろよろと後ろへ後ずさり、壁に力なく手をつく。
そんな千雨に刹子が近づこうとしーー
「千雨、一体どうしたとーー」
「ーーッ! ご、ごめん……私、私は……っ! ぅ、うわぁあああああああ‼︎」
千雨は、目の前の刹子からーー逃げた。
入浴セットやタオルを床に置き去りにして、玄関まで走る。
「(ーーくそ! くそ‼︎ 六戸が……変質者なんかに……ちくしょうーーーー)」
刹子の静止の声も聞かず、千雨は部屋から飛び出して行った。
そして、一人その場に取り残された刹子はーー
「…………
千雨が走り去った音を聞いた刹子は、おもむろにその言葉を発する。
すると、刹子の全身から光の粒子が放たれ、収束。やがてそれは一枚のカードとなって具現化し、床に落ちる。
同時に、刹子も床に崩れ落ちた。
それはまるでーー
「ーーハァ、ハァ……よかった、何とか耐え凌ぎました……痛たたたーー」
苦痛に顔を歪める刹子。
「……動けない体を
刹子は床に落ちているカードに目をやり、そう口にする。
そのカードにはーー
エヴァ「これ……本当に私の話なんだよな(震え)」
刹子「たぶん」