6番目のアーウェルンクスちゃんは女子力が高い   作:肩がこっているん

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静まれ……私の半身……!

 ーーつくづく私は運から見放された女だ。

 ぼんやりとした意識の中、私はこれまでの半生を振り返って、そのような感想に至った。

 不本意ながらも、この身は人より永く世を生き長らえてきた。

 そんな永い人生の中で、「岐路」と言えるべきものは、大きく分けて三つ。

 一つ目は忘れもしない、私がこの世に生を受けて十歳を向かえたーーあの忌まわしき誕生日。人から魔へと転身し、宛てもない旅に身を投じることを余儀なくされた幕開(まくあき)の日。あの日が無ければ、今の私は存在しない。そうーーあの日が無ければ、悠久の時を経た今、この時代で、生き恥を晒すような真似をせずとも済んだのだ。

 

「ーーさっきからやけに大人しいね、エヴァ。起きているんだったら少しは僕の話に相槌を打つくらいはして欲しいんだけど……ひょっとしてあれかい? 刹子くんが君を道端に置き去りにして行ったことを恨んでるのかい? まぁ、そればかりは刹子くんを責めないでやってくれ。あんな格好(チュパカブラ)で君を連れて行ったらなおさら収集がつかなくなっていたよ。ーーこうして僕が君を家まで送り届けているんだから、それで帳消しということにしてくれないか」

 

「…………」

 

 ……二つ目は、出来ることなら忘却してしまいたい、あの馬鹿(ナギ)との出会いだ。今更あの馬鹿(ナギ)のことで語ることなど何もない。いや、語りたくない、というのが本音だ。馬鹿(ナギ)に出会わなければ今のような、人なのか吸血鬼なのかはっきりしない中途半端な存在になることもなかった。ひとときの気の迷いがこのような結果を生むなどとは考えもしなかった。

 ーーそうさ、馬鹿(ナギ)のことに関しては、単なる私の気の迷いだったのだ! 吸血鬼である私を好き好んで助けるような変わり者だったから、ついつい目を掛けてやっただけなのだ! 何? 馬鹿言え、色恋沙汰の類などであるものか!

 

「ーー認めんぞ、私はーー断じて認めん!」

 

「おわ⁉︎ こらこらエヴァ! 人の背中でそんなに暴れないでくれよ。落っことしても僕のせいじゃないからね」

 

 三つ目はーー今まさにこの状況だ。

 馬鹿(ナギ)に掛けられた呪いから解き放たれるために行動を起こした私は見事に玉砕し、今現在、満身創痍の心身のもと中年(タカミチ)の背におぶられて、あえなく自宅送還などという異常事態を体験している。

 なぜこのようなことになったのかーーそんなこと、私自身が知りたいわ。

 段取りは完璧だった。

 馬鹿(ナギ)の息子の血を頂く為に、学園の目を掻い潜り、日夜私は力を蓄えることに尽力してきた。

 計画が上手く行っていれば、今頃私は十五年ぶりに舞い戻ってきた自由を噛み締め、歓喜の声をあげながら麻帆良の夜空を狂喜乱舞していたかもしれないのだ。

 しかし蓋を開けてみればーーなんと言う有様だろう。

 闇の福音と恐れられた私が、だーー所詮魔力制限のかかった分身体でしかないあの性悪(刹子)の存在に日々怯え、案の定計画を嗅ぎつけた性悪(刹子)の手によって私が何ヶ月も掛けて蓄えた魔力は一夜にして霧散、報復もままならず目が覚めた時には翌日の夕方という体たらく。あまつさえあの性悪(刹子)は「酔い」や「意識薄弱」といった謎の体調不良という置き土産をこの私に残していく始末。もはや意地だけで臨んだ今宵の再戦ですらーー

 

「エヴァ、君はいま足を負傷してるんだぞ? 怪我人は大人しく僕の背中でじっとしてなさい」

 

 ーーこの通り惨敗だ。

 性悪(刹子)が私に施した謎の体調不良のせいで、今宵の再戦は心なし半ばで私が気を失うという無残な結果に終わった。

 目が覚めた時には、身に覚えのない足(かかと)の負傷と、おっさん(タカミチ)のワックスでベタベタに塗り固められた髪が立ち並ぶ後頭部がお出迎えだ。

 寝ぼけていた私は「やけにチクチクする枕だな」とおっさん(タカミチ)の後頭部に顔を懸命になすりつけていたわけだ。おかげで抜け毛が何本か口の中に侵入し、それはもう最悪の目覚めだった。

 

「くそ、まだ口の中に貴様の毛の感触が残っている」

 

「頼むからさっきみたいな、起きがけに人の後頭部に向けて『ペッペッ』と唾を吐き出す真似はよしてくれよ? せっかく人が好意で背中を貸しているのに……」

 

「私が頼んだわけじゃない。貴様の自己満足に感謝する気など毛頭ないわ。それにーー未だ戦場を歩いている現役の貴様なら、己が良かれと思ってやった行為を踏みにじられる事など慣れているだろう? 唾を吐いただの吐かないだのでいちいち反応するんじゃない」

 

「辛いねぇ……。それになんだかご機嫌もナナメのようだ。これ以上暴れられても面倒だから、僕は静かにしておくよ」

 

 タカミチは「もし僕に娘がいたらこんな気難しい子に育って欲しくないなぁ」と挑発的な言葉を残し、ようやく黙った。

 この中年ーー今一度上下関係をわからせてやりたいところだが、今の私にそれが叶うはずもなく、ますます無駄なフラストレーションが溜まっていく一方だ。

 歯がゆい。

 私が本調子ならば、性悪(刹子)はおろか、こんなおっさん(タカミチ)などーー

 

『ーーだったらさっさとその鬱憤を発散してしまえばいいではないか』

 

 ーー頭の中で、『奴』はそう囁く。

 

「ーーうるさい、黙れ」

 

「なんだい、僕はちゃんと黙ってるじゃないか」

 

 ええい、貴様(タカミチ)ではない!

 ーー頭の中だ。

 私の頭の中から、私と同じ声で、私の気にくわないことばかりを、飽きもせず延々と語りかけてくるーー。

 『奴』に対して私は言っているのだ。

 

『ーー奴呼ばわりとは、また他人行儀な。釣れないじゃないか、私は誰よりもお前に近しい存在だぞ?』

 

 いくら耳を塞ごうと、『奴』の声は明瞭に聞こえてくる。

 今日の夕方、目が覚めた時からずっとだ。

 初めのうちは体の具合の悪さもあいまって、幻聴か何かだと思っていた。

 しかし、どうやら『奴』は幻聴などという生温いものではなかったようだ。

 それがはっきりと解ったのはつい先ほど。桜通りでーー性悪(刹子)と接触した、あの時。

 あの時私はーー確かに『奴』に意識を乗っ取られたのだ。

 

『己の頭の中にいるのだから、どちらかというと『こいつ』の方が言い回し的には正しいんじゃないか? いや、わかっているぞ?『こいつ』よりも『奴』の方がなんとなくカッコいいからな。ーー私はお前。お前は私だ。自分自身なのだから、そう言った痛々しい趣向も十二分に理解している。恥じる事などない。私が何事も受け止めてくれよう』

 

「痛々しいとか言うな! まるで私が厨二病みたいな風にーー!」

 

「うるさいよ、エヴァ。耳元でいきなり大声出さないでくれ」 

 

 話が逸れてしまった。

 まとめるが、『奴』は私の中に突然変異のように生まれた確固たる『意識』なのだ。それこそ、人の独白にまで突っ込みを入れてくるほどのーー『私のもう一つの意識』とも言うべきか。

 

『そこは『意識』じゃなくて『人格』と銘打ったほうが……いや、それだとコテコテすぎるか? なるほどな、少しストライクゾーンからずらす事で、痛さを和らげる手法か。涙ぐましい無駄な配慮、実に痛み入るよ』

 

 このような調子で夕方からずっと語りかけてくるのだ。

 今思うと、このような非常事態をただの幻聴の一言で片付けてしまった夕方起きたばかりの私はどうかしていたのかもしれない。

 

『安心しろ。私達がどうかしているのは今に始まった事じゃないさ。それよりも、この度お前は「二重人格者」デビューを果たしたわけだ。あまねく全ての少年少女が羨むシチュエーションだぞ? それに関しての感想はないのか?』

 

 ーーやかましい、その一言しか浮かばん。

 これ以上私に無駄なオプションを増やさないでくれ。

 六百年も生きてきて、今さら心に疾患を患うなど、死体殴りもいいとこだ。

 

 重ね重ね言うが、本当、何故こんなことになってしまったのか。

 

 おそらく、夕方からの体調不良と何かしらの関係があるのだろう。

 ーーすると、これもまた性悪(刹子)の仕業か?

 

「あの性悪(刹子)、一体なんの恨みがあって……」

 

 少なくとも、私が体調を崩した原因を作ったのはあの性悪(刹子)に間違いない。こればかりは確信している。

 性悪(刹子)は、現存の精霊魔法の中で最も不人気かつ扱いにも困る「水属性魔法」の使用者だ。

 ーー弱体化(デバフ)魔法。

 私が好むロールプレイングゲーム風に言うと、そんなところか。

 「眠りの霧」を始めとする「状態異常」に特化した補助系魔法群。それが水の魔法。

 それ自体には何ら殺傷能力を持たない水の魔法は、精霊魔法が綴る長い歴史の中で、表立った活躍が一切ない。

 それもそうだ。ただでさえ精霊魔法は“詠唱”というディスアドバンテージを抱えている。高速化が進む魔法戦闘において、1チャージの時間をかけて放つ攻撃は「必殺」に至らなければならない。実力者同士ならばそれはより顕著に表れる。お互い生死をかけた渾身の撃ち合いで、切り札を切らない馬鹿などおらぬ。

 加えていうと、水の魔法は避けやすい上に魔法抵抗(レジスト)もされやすい。

 魔法抵抗(レジスト)に関してはどの魔法を撃たれても同様に行われる行為だが、避けやすいというのはいただけない。

 そうだな、例えば「眠りの霧」を例に挙げるとするとーー

 

性悪(刹子)から水の魔法のダメ出しへと話がシフトしているぞ、私よ』

 

 ーーつまりは、だ。

 そのようなただただ面倒なだけの魔法を好んで使う性悪(刹子)こそが、このような事態(もう一人の私誕生)を呼び起こした原因を作った張本人でなくして他に誰がいると言うのか。

 

『ーー正確に言うと、性悪(刹子)は引き金を引いたに過ぎないがな』

 

 何? それはどう言う意味だ?

 お前は、この現象の真相を知っていると言うのか?

 

『自分がなぜ生まれたのか、それくらいはわかるさ。そうだな、強いて言うなら原因はーー他ならぬお前(エヴァンジェリン)自身にある』

 

 さすがは存在自体が厨二病の塊である『もう一人の私』様だ。

 原因は私にある?

 そのような心当たりなどあるはずがーー

 

性悪(刹子)がお前に施した魔法はーー“魅了”だ』

 

 冗談はよせ。

 真祖の吸血鬼たるこの私が、“魅了”状態に陥っただと?

 ありえん、いくら力を封じ込められた最弱状態とはいえ、そのようなことは。

 そもそも性悪(刹子)がそんなことをするメリットが見当たらん。

 無力化を目的とするならば、もっと良い選択があったはずだ。

 

性悪(刹子)がなぜ“魅了”を掛けてきたなど私の知るところじゃない。ただ、“魅了”を仕掛けてきたのは事実。(もう一人のエヴァ)の意識がこうして表面化したのもそれが引き金、これもまた事実だ』

 

 “魅了”を掛けたつもりが“もう一人の人格”を誕生させてしまったとでも言うのか。

 そんなデタラメな術式、ナギですら不可能だ。

 

『あくまで原因はお前(エヴァンジェリン)だと言っただろう? 度重なる失敗が(たた)って思考力すら落ちてしまったのか?』

 

 では何だと言うのだ。

 性悪(刹子)に“魅了”を掛けられた結果、お前と言う存在(もう一人のエヴァ)が誕生した。そんな意味不明な事態に陥った原因は私自身にあると、お前はそう言う。それは一体なんだと言うのだ。

 

『ーー闇の魔法(マギア・エレベア)の極意。“太陰道”に代わる、第二の奥の手』

 

 ……なぜ、今その話が出てくる。

 

『あらゆる「痛み」を受け入れ、何者にも干渉を許すことのない「絶対的な精神」の確立。()()()()()()()()()()()()、半ば壊れかけたお前が、それでも“己”を維持するために、まるで取り憑かれたかのように行なったあの研究だよ。それによって生まれてしまった副産物(イレギュラー)のことを、お前は忘れてはいないだろう?』

 

 まさか、お前はーー

 

『研究の失敗を悟ったお前は、すぐさまその副産物(イレギュラー)を自身の精神世界にて討伐し、以降闇の魔法(マギア・エレベア)の研究を行なうことを辞めた。ーークックッ、どこまでも厨二病かつ荒唐無稽な存在だなぁ、私たち(エヴァンジェリン)は』

 

 消えていなかったと言うのか。

 どこまで悪辣で、

 どこまでも欲深い、

 私が最も禁忌する「誇りなき悪」の具現化たるお前という存在は。

 

『消し去ることなどできやしないさ。私は、お前が六百年の歳月をかけて澱み貯めてきた怨嗟の念。妄執の炎(もうしゅうのほむら)に他ならない。お前が闇に生き続ける限り、私はどこまでもお前の中に在り続ける』

 

 その心が痒くなるような言い回しをやめてくれ!

 思い出したぞ。

 実に痛いやつだとは思っていたが、本当に私の「黒歴史」だったとはな。

 ああ、やはり私は運がない。

 こんな大事な時に、この世で私が最も忌み嫌う存在と再び巡り会うことになろうとは。

 

『無理に自分を否定しようとするな。いくら否定したところで、私がお前の中にある“可能性の一つ”であることに変わりはない。一歩間違えていればこうなっていたかもしれないという、悪いお手本のようなものだ』

 

 フン、勝手に言っていろ。

 ーーそれで? お前の正体が私の心の「搾りカス」だと言うことは理解した。

 しかし、性悪(刹子)に掛けられた“魅了”とお前の出現とに何ら関係性が見出せん。

 まさかーー性悪(刹子)の“魅了”にホイホイ釣られて出てきたなどと言う、馬鹿げたことは言わんよな?

 

『ーーあながち間違っておらんな』

 

 頼むから否定してくれ!

 私の心の闇がそんな軽い存在であってたまるか!

 

『まぁ、聞け。わかっているとは思うが、お前自身は性悪(刹子)から“魅了”を掛けられはしたが、現段階では特に精神的な干渉を受けていない。お前の意識は素のままのお前だ』

 

 当然だ。

 本来、“魅了”とは吸血鬼の代名詞の一つでもある。

 その吸血鬼の頂点とも言える「真祖」であるこの私が、己が行使すべき術に溺れるなどありえん。

 

『……今のお前はその「真祖」の力もほとんど弱まっているではないか』

 

 ほっとけ!

 実に癪なことだが、現に私は今こうして平静を保っているのだから問題ないだろう。

 

『平静を保っている、か……まぁ、そう言うことにしておこう。ーー話を戻すが、今回の(ケース)は非常に珍しい偶然が積み重なったことにより起きた事案でね。私がこうして出てきたのも、ほとんど奇跡と言ってもいいくらいなんだよ』

 

 …………。

 

『続けるぞ。お前の精神は“魅了”の影響を受けなかった。だがーー“魅了”の効果自体を魔法抵抗(レジスト)するまでには至らなかった。それは真祖の吸血鬼の力が弱まっていることも要因ではあるが、それ以上にーー性悪(刹子)の魅了魔法の威力が()()()()()()()()()()()()だったのだ』

 

 そんな馬鹿な。

 真祖の吸血鬼()と同等の「魅了魔法」だと。

 いくら精霊魔法に汎用性があるとはいえ、真祖クラスの固有能力を再現することなど不可能だ。

 そもそも、水の魔法自体に“魅了”を付与する呪文などーー

 

『ーー千の仮契約の女(サウザンドマスター)。お前がからかいの意味を含めて性悪(刹子)に付けた異名を忘れたか?』

 

 ええい! 意味不明な仮契約(パクティオー)カードの力かーー!

 ホントロクなことをしないな、あの性悪め!

 

『ただの“魅了魔法”ならこうはならなかったろうよ。しかし相手は「真祖」クラスの術式によって呼び寄せられた、“魅了のエキスパート”たる最上位の精霊たち。お前の心を支配できなかった精霊たちは、八つ当たりとばかりに次なる対象を求めてお前の精神世界を駆け巡った。それに応えたのがーーーー私というわけだ』

 

「ーーぬぅ⁉︎」

 

「ん? どうしたんだいエヴァ? ひょっとして僕、道でも間違えたかな?」

 

 相変わらずタカミチは素っ頓狂なことを返してくる。

 だがーー今はそれどころではない。

 

『“エヴァンジェリン”という流れる精神の川の中で、吹き溜まりにこびり付いた澱んだ泥に過ぎなかった私ではあるがーー魅了の精霊の啓示を受け入れたことにより確たる目的を得て、こうしてお前の表面意識へと浮上することが叶った』 

 

 ーーこいつ、また私の精神を押しのけ、体を乗っ取るつもりか。

 目的を得た、と言ったな。

 いかん。するとこいつはーー

 

『ーーセクストゥム、もとい六戸刹子を我がモノとする。それが私の目的だ。焦れったいお前に代わって、私が両者の間を取り持ってやる、そう言っているのだ。ククーー従者が増えるぞ? それも極上のな。やったねエヴァちゃーー』

 

 やめろぉ!

 くそ、そういうことだろうと思ったわ!

 まずい、手段を選ばない悪の三下のようなこいつが、表に出てしまってはーー

 

『安心しろ。何も麻帆良一帯を氷漬けにするような真似はしないさ。そうなっては後始末が色々と面倒だからな』

 

 脳髄を鷲掴みにされるような感覚に苛まれ、足元が涼しくなる。

 弱り目に祟り目、不運ここに極まれり。

 このままーー持ってかれてはーー

 

『悪の魔法使いらしからぬお前に、この私がお手本を見せてやろう。“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”はここに新生する。まずは手始めに、そこの警戒のけの字も無いおっさんを料理してやるとするかーー』

 

 ……逃げろ、タカミ、チーーーー

 

 

 

 †††††

 

 

 

 激動の「デスメガネ戦」を無事(?)乗り越えた翌日の朝、私はいつもよりも幾分早い時間に登校した。

 

「おはよーござい……って、ーーまだ誰も来てないとは」

 

 教室の戸を開け放った先に3-Aのクラスメイト達の姿はなく、さんさんと煌めく朝日の光をこれでもかと反射させている机たちが私を出迎えた。

 

『ーーまさか、全滅した、でちか?』

 

『さすがは麻帆良が誇る奇人集団。散り様もぶっ飛んでるのね』

 

 電子精霊たちが何やら言っている。

 単に私が他より早く来過ぎただけなのだが、彼女達(電子精霊)の脳内では3-Aの生徒達は如何様な最期を向かえたと言うのだろう。

 

『お、お、おはようございます! 六戸さん!』

 

「はいはい、おはようございますよ〜」

 

 ()()()()()()()が口にしたのだろう唐突な挨拶に軽く答え、私は重い足取りで自分の席に向かう。

 黒板から最も遠い、教室の最奥で孤島のように佇む二組の机。その内の片方が私の席だ。

 ウチ(3-A)のクラスは三十二人編成。席の配置構成は一列五人、それが計六列となれば、当然二人あぶれることになる。

 そして見事にあぶれ、あえなく孤島行きとなった二人の内の片割れが、私だ。

 

「ーーよいしょ、と。はぁ〜、しんど〜い」

 

 スクールバッグを机に置き、その上から顔面ダイブをする。

 人前ではお淑やかに、誰も見てないところでは全力で脱力する。長きにわたり「女子力とはなんぞや」を追求してきた私の導き出した答えのうちの一つだ。

 

『学校に来て早々このダレよう……随分と辛気臭い“女子力”もあったものでち』

 

「うっさいですよでっち。私は今と〜っても疲れてるんです」

 

『たいげ〜……夜、眠れなかった?』

 

「そりゃもう完膚なきまでに完徹くらっちゃいましたよ、ろーちゃん。……あれじゃ寝るに寝れませんよ、まったく」

 

 昨日の夜のことだ。

 私の買ってきた「激辛カップ麺」がよほどお気に召さなかったのか、突如大声をあげて部屋を飛び出した私のルームメイト(千雨)

 いくら待てども暮らせど帰ってこないので、戦闘後の疲れた体に鞭を打って、女子寮内を駆け回った結果、共同トイレの個室で閉じこもっている千雨を発見。そして確保。引きずるように部屋へ連行。その時の時刻、夜十一時。

 沸かしていたお湯はすっかり冷めきり、もう一度沸かそうとするも、千雨は「今日はもう寝る」と言って布団に包まってしまう。

 

「せめてお風呂だけでも入ってきたら……」

 

 と言った私の声にも耳を貸さず、だんまりを決め込む始末。

 仕方ないので私も夕食は諦め、一人お風呂へ行き汗を流し(その際脱衣所で、血まみれでブラッディ状態な自分のパンツに驚く)、ようやくの思いで床に就く。

 のだがーー

 

「ーーちくしょう……、うぅ、ちくしょうーー」

 

 ……そんなに嫌だったんですか、激辛カップ麺。

 そんなこんなで、自身が横になっている二段ベッドの下から聞こえてくる怨嗟の声に悩まされ、気づけば夜が明けていたのだった。

 疲労を全身に感じながら二段ベッドのはしごをのしのしと降りると、そこには血走りドライアイをこれでもかと見開いた千雨の姿が。

 思わずはしごから落っこちそうになった私に、千雨の泣きはらし枯れ切った声が追撃をしてくる。

 

「……私、今日学校休む」

 

 有無を言わさない声色に慄きながら、うんうん、と首を振る私。

 ーーこの空間は耐えきれない。

 すっかり目が覚めてしまった私は、手早く身支度を整え、一刻も早くこの場から離脱をしようとスクールバッグを肩にかける。

 ーー千雨に再び声をかけられる。

 振り向くと、「信じられない」といった風な顔がそこにあった。

 

「……六戸、学校、行くのか?」

 

「え、はい、まぁ……行こうかな〜なんて、行っちゃおうかな〜なんて……あはあは」

 

「…………なんで」

 

「え、……千雨?」

 

 千雨はその後すっかり黙り込んでしまい、より一層気まずくなった私は「ごめんなさい」とだけ残し部屋を出ようとする。

 そんな私に千雨は一言だけ、

 

「ーー今日は、早く帰ってこいよ」

 

 と告げたのだった。

 

 そういうわけもあって、足早に部屋を出た私は、通学ラッシュの波がくるよりも先に、誰よりも早く教室へとやってきたのだ。

 

『なんというか六戸さん、朝から大変だったんですね〜』

 

「お〜、わかってくれますか、え〜と……君は」

 

『「さよ」です! 「相坂さよ」です!』

 

34(さよ)ちゃん……ウチ(電子精霊)にそんな名前の子いましたっけ? あぁ、新入りさんですか。よろしくですよ〜」

 

『はい、よろしくお願いします! ……あ、あの、よければ私とお友達に……』

 

「はいはい、ズッ友ですよぉ〜」

 

 スクールバッグに顔を押し付けながら、回らない頭で新入りと思しき電子精霊と会話する。

 

『たいげ〜……とうとう頭がおかしくなって……アハトアハト』

 

『昨日無理して「人形師の繰り糸(テレプシコーラ)」の演算処理を自分の頭でやったのが響いてるのね。大人しくデスメガネと戦ってた時みたいに私たちに任せておけばよかったと思うの』

 

『でも、たいげ〜の残念な頭で自分の部屋まで辿り着けたのは奇跡でち。そこは褒めてやるべきでち』

 

『それよりも、さっさと回復魔法使っとくべきだったと思うんだけどなぁ。そうすれば、千雨に怪しまれずに済んだかもしれないのにーーって、たいげ〜聞いてる?』

 

「うっさい。私はたいげ〜じゃないって何度言ったら……」

 

 だめだ。やかましくてかなわぬ。

 だぁ〜、と唸り声をあげながら顔をあげ、席を立つ。

 外の空気でも吸おう。

 そう思った私は、教室の外窓を勢いよく開き、入り込んでくる外気に身を委ねる。

 

「ああ、大いなる風の精霊よ、このまま私をどこか遠くへと連れ去って……」

 

『わぁ、六戸さんってロマンチックなんですね〜!』

 

「…………」

 

 何を馬鹿言ってるんだ私は。

 目の前の現実から目を背けるのはとうの昔に卒業しただろうに。

 

「ーー来たれ(アデアット)

 

 制服の内ポケットに手を入れ、一本の包丁を取り出す。

 太陽の光を浴びて爛々と輝くそれを、指先で器用に(もてあそ)ぶ。

 これは昔からの癖だ。

 手持ち無沙汰になるとついやってしまう。

 それは麻帆良にきてからも変わらず、おかげで多方面から誤解を招く要因にもなった。

 

「うまくいかないなぁ……ホント」

 

 麻帆良に戻ってきた当初の目的は、ネギ君の成長を見届ける……そんな感じだったと思う。

 だけど、近くで見ている内にだんだんもどかしくなっていって、結局、一生徒としてどうにか接点を持とうと右往左往している内に、今回の事件(桜通りの吸血鬼)が起こってしまった。

 戦況は非常に思わしくない。

 やることなすこと全て空回りで、現状リザルト画面はマイナス評価を最速でマークしていっている。

 私という異物が混入したことで、世界がゲーム難易度を底上げしているーーそんな錯覚すら覚える。

 

 ーーゲームをしようじゃないか、性悪。

 

 故にそれはーー世界からの挑戦に等しいのかもしれない。

 私というイレギュラーがここで退場したところで、この物語になんら影響を与えることはない。元どおりに歯車が回り始めるだろう。

 しかし、私はそれを認めることなどできない。

 

ここ(麻帆良)は、私の居場所の一つだから」

 

 生まれてこのかた、私はこの世界に自分の居場所を求め続けている。

 ここ(麻帆良)は、そんな私が心に決めたお気に入りの一つ。

 それを守り抜くためにも、私は……そう、頑張らないといけないのだ。

 

「いっちょ、やったりますか」

 

 敵は弱体化しているとはいえ、強敵に変わりはない。

 あの人は、いついかなる時でも私相手に手を抜く事はなかった。

 今回はいつも以上に本気でくるに違いない。

 ……少しばかり様子がおかしいのが気になるが、ひょっとしたら、それもまた新たな手口なのかもしれない。

 負けてなるものか。

 

 指先で弄んでいる包丁の回転を早める。

 落としたりなどしない。

 もはやこの得物は己の感覚器官の一つになっている。

 

 包丁が風を切る音がより一層高くなる。

 それが頂点に達したーーその時、

 

「ーーッ!」

 

 私は、それ(包丁)を背後へと投射した。

 ーー衝突音は一切なかった。

 

「……お見事」

 

「私の背後に立つな、でしたっけ? 自分がされて嫌な事は人にするもんじゃないですよーーマナ」

 

 振り向くと、そこにいたのは片手にハンドガン、もう片方の手で、私の投げた包丁を二本指で受け止めている色黒の女。

 私の昔の仕事仲間が立っていた。

 

「凶器を教室で振り回す癖はいい加減やめた方がいいぞ、セツ子。ましてやそれを投げつけるなど。私じゃなかったらどうするつもりだったんだ? ……いや、私であっても、目元を狙うのは勘弁して欲しいんだが」

 

 眼球スレスレで包丁を受け止めているマナは、若干冷や汗を垂らしている。

 どのみち()()()はたかが包丁くらいじゃ傷ひとつ付かないでしょうに。

 

「同じく凶器携帯しているあなたに言われたくありませんよ〜だ。というか、私の気配察知力をお忘れですか? 対象を誤るなんてヘマはしませんですし」

 

「ほ〜、気配察知力ねぇ?」

 

 いきなりニヤニヤしだしたと思ったら、すぐさまため息をつくオープンキャリー女。

 そして、顎でくいくいと明後日の方向を示し出す。

 随分と感情豊かになったものだ、と感慨深い気持ちで、マナが示した方へと目を向ける。

 

「ーーあ」

 

「………………」

 

 そこには、教室の入り口で顔を真っ青にしている私のクラスメイト達の顔があった。

 

 

 

 †††††

 

 

 

 どうやら私の気づかない内に、生徒達の登校時間になっていた模様。

 私の後にやってきた宮崎さん(図書委員の仕事で早めに登校した)は、窓から外の景色を眺めながら、鬼気迫る表情で包丁を振り回す私が怖くて、教室に入るに入れなかったようです。桜通りの時といい、よくない現場に出くわしますね。めげないで、本屋ちゃん。

 宮崎さんが固唾を呑んで私のトリップを見守っている内に、一人二人、三人と、ギャラリー(3-Aの生徒)は増え、このままでは埒が明かないとなって、ちょうど良いタイミングでやってきた龍宮真名(マナ)に白羽の矢が立ったようだ。

 気配察知力(笑)。

 あいつ(マナ)、それであんなニヤニヤしてたのか。

 それよりあのハンドガン本物?

 さすがの私も障壁無しの状態で脳天打ち抜かれたら死んでしまうのですがそれは。

 アルさんじゃあるまいし、分身体だからなんでもアリだなんて、私はそんな都合よくできちゃいないのです。

 他のクラスメイトが見てる前でそんなスプラッターな事態を引き起こして、マナはどう事後処理をするつもりだったのでしょうか。案の定、マナがハンドガン片手に私に近づいていく様を見て、ギャラリー(3-Aのクラスメイト)はかなり肝を冷やしたそうです。

 まぁ、マナからして見たら、私が何らかの対応をしてくるのを見越してのことだったのでしょうけど。

 学園は、私のようなたかが不良少女に躍起になるのではなく、リアルアウトレイジなあの色黒女にスポットを当てるべきだと私は思います。

 

 …………

 

 はぁ、せっかく人がいい感じでこれからの行動指針を定めていたというのに、何というか、またしても気分が落ち込んできました。

 何とも情緒不安定、今を生きる女子中学生の乙女心は繊細なのです。

 しくしく……

 

「刹子、あんたさっきから何やってんのよ」

 

「行き場のない(いきどお)りを、身振り手振りを交えながら外界へ発信しています」

 

「……あんた、なんかヘンなモノにでもハマった?」

 

 またしても人がトリップしているところに水を差す輩が現れました。

 

「うっさい。そっとしておいてください。今の私は触れれば引き裂く出刃包丁。いくらミサミサといえど、容赦はしませんよ」

 

 チョップを空切らせながら威嚇する私。

 柿崎美砂(ミサ)は、そんな私を見て苦笑いを浮かべ、そのまま自然な流れで私の机の上に腰を下ろす。

 ちなみに、今の教室内は先ほどの一触即発な空気(不良vsアウトレイジ)はすっかり霧散し、ホームルーム前の和気あいあいとした時間を各々過ごしている。

 

「ねぇ刹子、いい加減そろそろ部活に顔出しなさいよ。あんた、一応はチアリーディング部所属なのよ? 忘れたの?」

 

「そんな設定初めて聞きましたけど? ……あ痛た」

 

 いきなり脳天チョップをかましてくるミサ。

 不良の机の上にずかずかと座って、おまけに暴力まで振るってくるとは。

 こんのエロ番長、やはり私たちは相入れない。

 

「ったく……。そんで? 出る気はあるの? ないの? 旅行から帰ってきて一度も練習に顔出してないじゃない。あんたが勝手な性格なのは百も承知だけど、ずっと幽霊部員ってのも同じクラス在籍の私からしたら色々と納まりが悪いのよ」

 

「……去年のバスケ部の他校合同練習会で出禁喰らって以来、実質チアリーディング部は解散状態じゃないですか。部の方から練習再開したなんて知らせ、私には届いてませんけど?」 

 

「うぐ、それは……」

 

「ミサの言っている部活とは、あれのことでしょう? チアの練習なんかじゃなくて、ミサが勝手に組んだバンドのことでしょう? えと、名前は確か……デコポンロケットだか、テポ……」

 

「で・こ・ぴ・んロケットよ! なによ、ちゃんとわかってんじゃないの」

 

「え〜、まだあのバンド続いてるんですかぁ〜?」

 

 思いを馳せるは去年の麻帆良祭。

 でこぴんロケットは、チアリーディング部が無期限の活動休止に追い込まれたことで、暇を持て余したミサが突発的に組んだ、組まされたロックバンドである。

 メンバーは私、ミサ。そして同じチア部所属の釘宮円(くぎみー)椎名桜子(桜子大明神)

 各々初めて楽器に触れたということもあり、最初の内はアットホームで素敵なバンド練習だった。

 だが、ギターを手にしたことで調子に乗ったミサが、よせばいいのに、麻帆良祭でステージに立とうなどと言い出したことが悪夢の日々の幕開け。

 各々のバンドに対する熱量の差。

 いつまでたっても上達しない楽器の腕。

 少し自分の方が上手くなったからと言って、勝手気ままに担当楽器をチェンジ。それによるいたちごっこ。

 見合わない楽曲の難易度と演奏力。 

 すれ違っていくメンバー間の意識。

 乖離していく理想と現実。

 

 そしてミサを襲った突然の悲劇。ミサ、彼氏に別れを告げられる。

 

 「言い出しっぺが抜け駆けして自分だけ良い思いをしてきた。当然の報いだ」とは、誰が発した言葉だったか。

 

 ますます冷え込む人間関係。

 幾度にわたる言い争い。

 そして、極限の精神状態で臨んだ本番(麻帆良祭)のステージでの演奏はーー

 

「それはもう、最悪でした」

 

 ボロボロだった。

 空き缶とか飛んでこなかったのが不思議なくらいだ。

 客席の生暖かい視線がかえって心にくる。

 金輪際、あんな目に合うのはこりごりだ。

 

「ーー私は、もうステージの上に立ちたくはありません」

 

 居住まいを正して、ミサとしっかり目を合わせて、そう告げる。

 

「私、でこぴんロケットから脱退しまーー」

 

「却下よ」

 

 無情。

 渾身の告白を、ミサはあっけなくぶった切った。

 私はお尻に火がついたように椅子から立ち上がり、ミサに食ってかかる。

 

「なぁ〜んでですか〜⁉︎ またあの辛くて苦しくて何の実りもない虚無の日々を送れと⁉︎」

 

「えぇい、黙りなさい! 私は悔しいのよ! 音楽のおの字も知らない外部の連中にわかったような顔されるのは! 刹子、あんた知ってた? 麻帆良チア部活動休止の直接の原因となったウルスラのチア部の奴ら! あいつら客席で私たちの演奏聞いて大笑いしてたそうよ! ムカつくじゃない!」

 

「知ってますよぉ、知ってますとも! 実はバッチリ録音もされてて、今でも時折昼休みに教室で流してクラスみんなで大笑いしてることもね!」

 

「はぁ〜⁉︎ ちょっとなにソレ初耳なんだけど⁉︎ あいつらそこまでして私たちをコケに……くぅ〜ッ! くやしいくやしい! だったら、だったらなおさらあいつらをギャフンと言わせてやる必要があるわ! 刹子、今こそ立ち上がるときよ! 私たちの音であいつらの鼻をへし折って鼓膜をブッチブチに破ってやろうじゃない!」

 

「はいそれ却下〜、却下で〜す! あんなギスギスした放課後を送るくらいなら陰で笑われてる方がずっとマシです! 一切の表情を失った桜子とか、煙草の自販機の前で意味深に立ち止まるくぎみーとかもうこりごりです! 人間関係めっちゃくちゃになって、お互いの雪解けに何日費やしたと思ってるんですか! そんなに音楽がやりたいなら一人で路上ライブでもやって欲求を解消しててください! ただし演奏はド下手」

 

「な〜にお〜!」

 

「な〜んです〜⁉︎」

 

 練習終わりに立ち寄ったエヴァさんの家で、なぜだかいつもよりも優しいエヴァさんにトキメキを覚えてしまうくらいには精神が落ち込むんです。

 そうーーそう、エヴァさん!

 今はエヴァさんのことで手一杯なんだからなおさらバンド練習なんざやってる暇ないではありませんか。

 

「おお! 刹子、たつみ〜の次は柿崎とバトってる! やれやれ〜!」

 

「私、刹子に食券五十枚!」

 

「だったら私は刹子に七十枚!」

 

「私は刹子に手持ちの食券全部かけるよ!」

 

「誰か一人くらい私に賭けなさいよ!」

 

 ミサと両手で取っ組んでるうちに湧き上がり出すクラスメイトたち。

 力で私に勝てると思うてか!

 こちとらアーウェルンクスですよ、舐めないで!

 

「ちょっと! 何やってますの! もうすぐホームルームの時間ですわよ! 皆さんさっさと席にお戻りなさい!」

 

「ちぇ、良いところだったのに〜」

 

 オンオフの切り替えが早いのもウチ(3-A)の特徴。

 いいんちょの一声で皆、蜘蛛の子散らしたかのように解散していく。

 さすがの私たち(私とミサ)も空気を察し、両手に込める力を抜いて、お互いの体で重心を支え合う姿勢になる。

 私の耳の後ろでミサが声を発する。

 

「とにかく、ステージに立つか立たないかは置いといて、練習には顔出しなさい。いいわね」

 

「……ほんと、諦めが悪いですねあなたは」

 

 ゼェゼェと肩で息をしながら、ミサは自分の席へと戻っていく。

 それを目で追っていると、ふと、こちらを見ているくぎみーと目が合う。

 くぎみーの目はこう語っている。

 

 ーーあきらめて

 

「……もう、こっちはそれどころじゃないってのに」

 

 いつの間にか蹴飛ばしていた椅子を起こし、着座、そのまま脱力する。

 

「あ、そうだ。今日、千雨に早く帰れって言われてた……」

 

 ふと思い出した今朝方の件。

 あの有無を言わせない声色が頭の中で再生される。

 そうだ、今日私は寄り道をせず真っ直ぐに帰宅しなければならない。

 これはバンド練習をサボる免罪符になるのではーー

 ーーと、一瞬考えもしたがーー

 

「さすがにエヴァさんを野放しにするわけにはいかないじゃないですかぁ……」

 

 なんとも堂々巡り。

 あちらを立ててはこちらが立たず。

 かといってどちらも無視することはできない。

 窓際での決心は何処へやら、私の心象は再び奈落の底へ堕ちていく。

 

「……しんど」

 

 優先順位を設けるとするならば結果は明確だ。

 だというのに、私はまとめていっぺんにそれらを背負いこもうとしている。

 取捨選択を曖昧にしたままでは何一つとして結果は得られないだろうに。

 まぁ、それは今回に限ったことではないのだけど。

 

 教室にネギ君が入ってくる。

 

「みなさん、おはようございます! え、え〜と……」 

 

 ネギ君の表情には、緊張とか、困惑とか、そういった類の相が張り付いている。

 麻帆良で先生を初めてだいぶ経つと思うけど、やはりまだ緊張するのだろうか。

 思えばこうして私がホームルームから出席しているなんて、ネギ君が来てから一度もなかったっけ。

 見慣れない顔があるもんだから、ひょっとしてそれで驚いてるのかな。

 あれ、ホームルームといえばーー

 

「ーーエヴァさん、まだ、来てない?」

 

 私の隣席が未だ不在だということに、今更になって気がつく。

 よっぽどのことがない限り、登校という誓約から抜け出せないあの人が。

 遅刻? いや、そんなわけない。

 茶々丸さんという優秀なママンが、そんな蛮行許すはずがない。

 そうだ、茶々丸さんはーー

 

「…………」

 

 ーー居る。茶々丸さんは来てる。

 私の視線に気づいたのか、茶々丸さんはこちらを振り向くやいなや、何やら口をぱくぱくとさせている。

 なに、私に何か伝えたいことがあるの?

 

「…………」

 

 ごめん、ちょっとよくわかんない。

 

「茶々丸さん、何て言ってーー」

 

「ーーちょっと、刹子さん! 今はネギ先生のお話中ですわ! お静かになさって!」

 

 いいんちょ(ショタコン)からのストップが入る。

 そこまで大きい声出してないじゃないですか〜。

 あなたの声の方がよっぽどーー

 

 ーー前を向くと、ネギ君がなんとも言えない顔で私の方を見ている。

 

「あ、あの……六戸さん、続けて、いいでしょうか?」

 

 はい、なんというかその、話の腰を折ってしまってごめんなさい。

 あぁ〜、そんな目でお姉ちゃんを見ないで〜。

 柿崎ィ! ニヤニヤしてんじゃねー! です。

 

 この場での会話は不可能だと判断した茶々丸さんは既に前へ向き直っている。

 今日は何かと衆目に晒される。

 恥ずかしい真似は控えたいというのに。

 このまま教室の隅で石になってしまいたい。

 もうネギ君の話が耳に入ってこない……。

 

「ーーそれでは、えと、お入りください」

 

 クラス全員が一斉に教室の前扉の方へと顔を向ける。

 え、なに?

 私なにも聞いてなかった。何が始まるというのでーー

 

 ーーガラガラ

 

 扉を開けて入って来たのは、麻帆良女子中等部の制服を来た一人の生徒だった。

 流れるような金の長髪は、それ自体が光を放っているのかと思うほどに眩しく、

 

「うわ、めっちゃ美人ーー」

 

 しなやかで細い体の線と、月の光を閉じ込めたような白い肌。

 生者とは思えないほどに作り物めいた存在がそこにある。

 背丈は私と同じくらいだろうか。

 

「こ、これは、レベル高すぎ……?」

 

 クラス中が感嘆の息で溢れる。

 しかし、美人なのは認めるが、皆、色々と雰囲気に流されすぎではないだろうか。

 

 両手にレースの手袋。

 左目に青いバラの眼帯。

 

 校則無視とかそんなレベルじゃない。

 今現在、ノーネクタイで胸元のボタンを二つ解放している私が言うのもあれだが。

 

 ネギ君は進行するのを忘れて、完全に惚けてしまっている。

 あ、どうやら再起動したようだ。

 

「え、え〜と、この度、妹のエヴァンジェリンさんが事故に合われまして、それを心配して遠路はるばる麻帆良へとやってきて……え〜と」

 

 ネギ君落ち着いて。

 説明がしどろもどろかつ意味不明になってる。

 というか気づいて!

 そこにいる本人が当のーー

 

「ーー“エカテリーナ”と申します。この度、妹に代わって皆さんと一緒にお勉強をさせて頂く運びとなりました。……()()()ですが、どうぞ宜しくお願い致します」

 

 ーーなにしてんですか、あんた(エヴァ)

 

 

 

 




なかなか筆が進まず、気づけば一ヶ月がすぎて……
遅れてしまい申し訳ありません!

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