6番目のアーウェルンクスちゃんは女子力が高い   作:肩がこっているん

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ニンニク大好きエカテリーナさん

「ーーラス・テル・マ・スキル・マギステル、雷の精霊37柱、集い来たりて敵を討てーー魔法の射手! 連弾・雷の37矢!」

 

 夜の森を数多の閃光が駆け抜ける。

 精霊の意思が込められた雷の矢は、木々の間を器用にすり抜け、やがて目標へと到達ーー凄まじい放電音を響かせながら対象を攻め立てる。

 

「よし、当たった! 今度こそ!」

 

 雷撃を放った主ーーネギは、この度の一撃に確かな手応えを感じ、目標の状態を確認しようと木々の間から顔を出す。

 

「……うそ、まだ倒れてない? そんな、ここまでやって……」

 

 驚くネギが見つめる先には異形の怪物がいた。

 怪物=チュパカブラは、己の身体がジュウジュウと音を立てて焼き焦げている事など気にした様子も無く、悠々とその場に佇んでいる。

 

「まずい、また逃げないと……!」

 

 一目散にその場から離れるネギ。今の攻撃で自分の位置、場所は確実に割れてしまった。故に、距離を取るべく今日何度目かになる全力疾走をする。

 夜闇のせいで視界がままならない。途中何度も木にぶつかっては倒れそうになるも、すんでの所で堪えてはまた走り出す。その身に魔法障壁という不可視の加護がなければ、全身打撲の大怪我をしているところだ。

 

 魔法を一当てしては距離を取り、気づかれないように最接近しては魔法を放ち、そしてまた距離を取る。

 ネギの懸命のヒットアンドアウェイ戦法が報われる時は中々訪れない。

 チュパカブラの驚異的なタフネスを前に、幼い魔法使いは満身創痍だった。

 

「ーーはぁ、はぁ……、ここまでくれば……」

 

 ひとしきり走り、もう大丈夫だろうと後方の確認もせず、その場に座り込んで息を整えるネギ。

 

「馬鹿、何やってるんだ僕は、逃げるんじゃなくって追撃しないと……いや、でも、さっきみたいに詠唱中に攻撃されるかもしれないし……」

 

 周囲の警戒もせず、うずくまったままブツブツと独り言を始める。実戦経験もなければ、相手に向かって攻撃魔法を撃つという行為自体が初めてだったのだ。こうなるのも仕方のない事である。

 

「アスナさんとエカテリーナさんは大丈夫かな……そうだ、僕は早く二人を探さなきゃいけないんだ、こんな所で……」

 

 まさに今、自分の生徒が脅威にさらされているかもしれない。

 疲労を訴える体に鞭を打って、ネギは立ち上がる。

 

「空が飛べればもっと上手く立ち回れるのに……もう、何でこんな時に限って飛行魔法が使えなくなっちゃったんだよ……今までこんな事なかったのに……」

 

 原因不明の不調が、常日頃から秀才だと持て囃されてきた少年の心を荒立てる。

 先ほどチュパカブラに対して、ネギは飛行魔法による空からの攻撃を試みた。杖にまたがって、夜空へと飛翔すべくと術式を発動させたが、しかし、どういう訳かネギの足はいつまでも地面についたままだった。

 今まで飛行魔法など自転車に乗るような感覚で扱えた。焦りや戸惑い、理不尽な仕打ちに対する怒り等が脳内を支配し、ネギから正常な思考を奪った。

 

 できる事ならこの場でじっくりと不調の原因解明に努めたいが、ここは戦場である。悲しきかな、そんな悠長な事をしている暇は無い。

 

 ーー来てる!

 

 全身が泡立つ感覚を覚え、すぐさま周囲の警戒に入る。耳を澄ますと、確かに、遠くの方で木々を派手にかき分ける物音が近づいてくるのがわかる。

 

「(だんだん僕を探し出す時間が短くなってきてる? ……あれだけ攻撃を受けておいて、なんでそんなに動けるんだ!)」

 

 今一度この場から逃げるべきか、それとも立ち向かうか。心身ともに追い詰められたネギが下した判断は、後者であった。

 

「もう一回“雷の暴風”を撃とう。さっき一発撃った時、あいつ(チュパカブラ)は確かに怯んでた。あの魔法(雷の暴風)ならダメージが通るんだ」

 

 鬼ごっこを初めてまだ序盤の際に、“魔法の射手”レベルの魔法では良くて足止めにしかならないと思ったネギは、思い切って自らの切り札である最大威力の魔法“雷の暴風”の仕様に踏み切った。

 効果は目に見えて明らかで、“魔法の射手”では仰け反らせるのが関の山だったチュパカブラの巨体を、“雷の暴風”は大きく後退させ、暴風が止んだ頃にはチュパカブラはその場に膝を折っていた。

 

 本来ならそのまま追撃をかければよかったのかもしれない。しかし、元来気の優しい性格のネギにそのような選択肢は浮かばなかった。手負いの相手を前に「やり過ぎた、ごめんなさい」とばかりに大慌てで背を向けて逃げてしまうような少年なのだ。例え相手が、異形の怪物であったとしても。

 

 最も、そんな少年もいい加減鬼ごっこには疲れたようで……

 

「(……もう手加減しないからな。先に襲ってきたのはそっちなんだ)ーーラス・テル・マ・スキル・マギステル、来れ雷精、風の精……」

 

 相手の正確な位置は掴めていないが、出会ってからでは遅い。

 先ほど、倒したと思い込んでいたチュパカブラが再度ネギの目の前に現れた。その形相はまさに報復相手を見つけた血に飢えた怪物。

 そして、混乱のあまり怪物の目の前で迎撃用の呪文を悠長に詠唱した結果、詠唱中にあっけなく攻撃を受けて呪文を中断させられた(魔法障壁によってネギ自身のダメージはさほど無いのだが)。このことは、戦闘初心者であるネギに軽いトラウマを植え付ける形となった。

 

「ーー雷を纏いて、吹きすさべ、南洋の嵐……」

 

 それ故の、先手必勝。

 基本的な魔法使いが武力を得るのは呪文が完成したその瞬間から。それ以外は魔法障壁による防御はあれど、攻撃面ではほぼ無力である。

 半ば追われるような心持ちで呪文を完成させたネギは、チュパカブラがどの方向から現れてもいいようにその場をぐるぐると回る。

 

「(うぅ、早くきてよぉ……)」

 

 ネギの右手で待機中の魔力が少しずつ漏れ出し、周囲に放電現象が起きる。

 こんなにバチバチと目立つように音を立てていたら普通の敵だったら警戒し、無闇に近づこうとはしないだろう(実際、このままなら勝手に暴発する)。

 流石に焦り過ぎたか。ネギ自身もそのように感じ、待機状態の雷魔法の処理をどうするべきか考えあぐねていた。

 

 しかし、意外にもその怪物はあっさりと迷える少年の前に姿を現した。

 

「…………」

「……あ」

 

 本日何度目かになる少年とUMAの邂逅。

 暗闇で鋭く光る赤い眼差しも、この瞬間絶対的な武力をその拳に宿す少年の前では、ただの目立つ《まと》に過ぎない。

 このような肝心な場面で思わず惚けてしまっているネギを急かすように、右手の雷は一際大きく唸りを上げた。

 正気に戻ったネギは、弾かれたように右手を突き出す。

 

「……っ! ーー雷の暴風!」

 

 待機の任を解かれた魔力の嵐が、轟々と音を立ててチュパカブラへと襲いかかる。

 チュパカブラは棒立ちだった。

 避ける気がないのか、自身に迫り来る魔力の嵐を前にして何ら動きを見せない。

 

 チュパカブラが魔力の渦に飲み込まれる。

 刹那、チュパカブラは嗤っていた。その獰猛な姿とはとても似つかわしくない、妖艶な声だった。

 

 

 †††

 

 

「ーー神楽坂さん、どうやら私はここまでのようです」

「ダメよエカテリーナさん、そんなの私が許すわけないじゃない」

 

 なんでこんなことになっちゃったんだろう。

 揺れる電車の中。乗客の訝しむ視線。隣には転校初日にして早くも山場を迎えようとしている金髪の女の子。

 私の今日の運勢は最悪。今朝、木乃香がそう言ってた。

 どうせネギ関連で一悶着あるとかそんなんでしょ? ここしばらくあいつに振り回されてきた私よ? 今さらちょっとした面倒ごとじゃ一ミリも動じないわ。

 って、思ってたんだけど……

 

「……くっ!」

「エカテリーナさん!」

 

 いよいよ堪え切れなくなって膝をつくエカテリーナさん。

 私は覆いかぶさるようにして、周りの乗客からエカテリーナさんを隠す。

 

「……誤算でした。気持ちだけでは届かないものですね。ここまで、辛抱のない我が身だとは思いませんでした……!」

「喋らないで、少しでも体力を温存して。もう少しで次の駅に着くから。何としてでも耐えるのよ!」

 

 油断していた。震える背中をさすりながら、「まさかネギ以外でこんな面倒ごとが起きるなんて」と自分の不運を呪った。

 抱え込まされた爆弾をどう処理すべきか。簡単な方程式を前にしただけで、いとも容易くショートしてしまう我が脳細胞をフル回転させる。

 

「……うぶ」

 

 あ、これもうダメだ。

 くぐもった声が目の前でうずくまるクラスメイトから発せられた。それを耳にした瞬間、私は諦めにも似た境地になって、何か色々どうでもよくなってしまったのだった。

 

 

 

 放課後。一日の勤めから解放された学生達で賑わう街中。そこを歩く私の心は、そんな明るい空気とは対照的に、ずんと沈んでいた。

 

(ちょうど五時か。約束の時間までまだまだあるわね……)

 

 今日も夜に桜通りのパトロールがある。

 なんか流れでメンバー入りしちゃった私なんだけど、今更になって自分の場違い感がヤバいっていうか。

 なんだったかな。確か、まきちゃんに続いてエヴァちゃんがチュパなんとかってのに襲われて、ネギがそいつをこらしめに行くとか言い出して。私は止めたんだけど、そこに高畑先生がやってきて、「だったら僕もついて行くよ」って。しまいには、「高畑先生が行くなら私も」だなんて言っちゃって。確かそんな感じの流れ。

 そりゃ私だって自分のクラスメイトを襲った奴には腹が立ってるし、出来ることなら思いっきりぶん殴ってやろうって思ってた。それに、居候で私より年下のネギが行くって言ってきかないんだもの。こんなのじっとしてる方が無理な話よ。

 なんだけど……

 

(ありゃ、私なんかがどうにかできる相手じゃないわよね……)

 

 実際に現場で憎っくき報復相手を前にして、色々と諦めた。

 まさか本当に《怪獣》が出てくるなんて思わないじゃない!

 何あれ、今時の《怪獣》って瞬間移動できるの? 凄いのね、馬鹿じゃないの?

 高畑先生は何であんなのと殴り合いができるのよ? ネギと同じ魔法使いだって聞いたけど、どっちかって言うとグラップラーじゃないの? 魔法どこ行ったのよ! 高畑先生が魔法使いって事以上に衝撃だったわよ!

 

 なんてな感じで、怪物同士の戦いにあっけなく心を折られた私は、パーティ内における自分の存在意義の無さを自覚し、ため息を漏らすのであった。

 

(かと言って今さら抜けますだなんて言えないし、それに、ネギの奴なんてますますやる気になっちゃて……)

 

 昨日はタカミチに任せっきりだったから、今日は僕が頑張らなきゃーーとか、よく言えるわよホント。あいつ、あんな無茶苦茶な殴り合いにどう介入するってのかしら。……やっぱ、魔法使いだから似たような事が出来るのかしら? まさか、あのネギが? いやいや、流石にないでしょ。速攻で怪我して泣いてる姿しか浮かばないわね。

 

「ま、そん時は介抱くらいはしてやるか。いや、そうなる前にしっかり見張っておかないとね」

 

 一緒に夜出歩いて大怪我なんてされたら木乃香になんて言われるかわかったもんじゃない。

 同居人の無事を見届けるとか、そんなのが私の役目ってことで。曖昧なままだけど、それでとりあえず決定。頭使うのは疲れるし苦手なのよ。

 

 勝手に自己解決して、いくらか心が軽くなった。我ながら良い性格してると思う。

 ……って、あれ?

 

「やっば、見失っちゃった!」

 

 少し考え込み過ぎた。

 現在進行形で私に与えられている役目を放棄してどうする。

 足取りを速め、目的の人物の後ろ姿を探す。

 その人物は案外すぐに見つかった。

 

「エカテリーナさん!」

「神楽坂さん、今ならこの《からおけ》? なるものが安いそうですよ」

 

 目的の人物はどうやらカラオケ屋のキャッチに捕まってたみたい。

 キャッチの持つ看板に目をやる。

 ……確かに安いけど、最低二時間コースか。軽く時間オーバーね。

 

「ごめんなさい、私たちこれから予定があるので。……エカテリーナさん、ほら、行こう」

「あっ、ごめんなさいお兄さん。そういうことなので……」

 

 エカテリーナさんの手を取ってその場を離れる。

 律儀にもキャッチのバイトさんに手を振ってるエカテリーナさんを見て(そして顔を赤らめながら手を振り返すキャッチのお兄さん)、つい先ほど封印したばかりのため息が漏れた。

 

「もうっ、勝手に先行っちゃ駄目って言ったでしょ? あと、知らない人にはフラフラついていかない!」

「ごめんなさい。何だか目に映るもの全てが新鮮で。ついつい足が進んでしまいました」

 

 彼女は今日3-Aに転入してきたエカテリーナさん。

 少し込み入った事情があって、今こうして私が放課後の街を案内してるわけなんだけど。

 ……私って日本に来たばかりの外国人に縁でもあるのかしら。そんでもって、どうして私が相手をする外国人は揃いも揃って落ち着きが無いのかしら。

 ジトッとした視線をエカテリーナさんに送ると、改まってもう一度謝られた。

 口元の前で行儀良く手を合わせるエカテリーナさんを前にして、怒る選択肢を選び続けることは私にはできないわ。

 同じ金髪ロングでお嬢様キャラでも、ウチの委員長とはえらい違いね。

 

「私がボーッとしてたってのもあるし、もういいわよ。それより、ほら、そろそろ何処行くか決めないと」

「だったら、先ほどの《からおけ》というお店に……」

「あそこ入ったら待ち合わせの時間に間に合わなくなっちゃうからダメ」

 

 そう言うと、あからさまに落胆した表情を浮かべる。どんなお店かもわからないのに何でそこまで執心になれるのか不思議だわ。

 

 そうそう、どうして私がエカテリーナさんと一緒に街を歩いているのかなんだけど、その理由はとても簡単で、実はこの子……

 

 

「申し遅れました。本日は、私の可愛い妹を襲った下手人“チュパカブラ”を成敗すべく、此度のパトロールに参加させて頂く運びとなりました。改めまして、エカテリーナです。どうぞよろしくお願い致します」

「と、いうことなんだ。僕からもひとつよろしく頼むよ」

 

 自然な流れで会話を進める二人に、私とネギは「ほぇ〜」だなんて揃って口を開けては頷くことしかできなかった。

 桜通りパトロールの打ち合わせ。放課後にメンバー同士で一度集まった私達なんだけど、そこに、昨日のメンバー三人に加えて何故かエカテリーナさんまでしれっと混ざってるんだから驚きよね。

 それで、訝しむ私とネギの視線を受けて出たのが、さっきの言葉。

 私の可愛い妹。

 ウチのクラスにエヴァちゃんって言う外国人の子が居るんだけど、エカテリーナさんはそのエヴァちゃんのお姉さんでね、久々に妹の顔を見に遠路はるばる異国からここ麻帆良へとやって来たってわけ。

 そんな大事な時にやってくれたのが、例のチュパカブなんとかっていう《怪獣》ね。

 ウチのクラスでは二人そいつに襲われちゃったんだけど、なんとその内の一人がエヴァちゃんなのよ。

 そのことを知ったエカテリーナさんはカンカンに怒っちゃって、「自分の妹を襲った相手を懲らしめてやる」って、そりゃお姉ちゃんだもの、当然許せないわよね。

 でもね、そうは言っても……

 

「危ないですよ! なんたってあのチュパカブラは本当にーー」

 

 本当に怪物だったんだから。

 直接戦ったわけでもない私達でも、あいつが人間じゃないことくらい肌でわかった。

 チュパカブラかどうかなんてこの際どっちでもいい。

 どのみち、私達女学生が喧嘩を売っていい相手じゃないってのは確かなんだから。

 

「ーーそんなわけで、普通に一般人がどうにかできる相手じゃないんです! ですからどうかここは僕達に任せて……」

 

 これから自分達が相手をする敵の危険性を説くネギ。

 というか、ネギ。その言い方だと私は大丈夫みたいに聞こえるんですけど?

 そんでもって、事情を知らないエカテリーナさんからしてみたら一番ひ弱そうなのは間違いなくあんたよ、このガキンチョ。

 

「じゃあ、エカテリーナ君が“一般人”じゃなければいいんだね?」

「ほっへあをつねらないへくらはいあふなはん(ほっぺたを抓らないでくださいアスナさん)! なんへすか、いきなり…………えっ、タカミチ今なんて……」

 

 思わずネギのほっぺたを弄る手が止まる。高畑先生はさらっと次のように言葉を続けた。

 

「“魔法使い”なんだよ、エカテリーナ君は。ネギ君、君や僕と同じね」

「ええっ! エ、エカテリーナさんが⁉︎」

 

 驚くネギとは対照的に、私は「あ〜、またこの展開か」とすっかり諦め顔。

 魔法使い、居すぎじゃない?

 ネギに続いて、昔からの知り合いの高畑先生が魔法使いだって知らされた(それも昨日)こともあって、なんかもう何でもウェルカムって感じ?

 今なら私以外の3-Aの生徒全員が「実は魔法使いでした」なんて事になっても受け入れられるわ。

 ……ごめん、流石にそれは盛り過ぎた。

 あの木乃香や委員長にそんな隠された裏事情があったら、それをあの二人が今まで隠し通せたと言う事に驚きを隠せないでしょうね。

 

「お二人と同じだなんてそんな……私がそこまで優秀な魔法使いでない事は高畑先生もご存知のはずでしょう?」

「ひょっとして、タカミチはエカテリーナさんと知り合いだったの?」

 

 どうやら高畑先生とエカテリーナさんは魔法関係で元から知り合いだったみたい。

 そう言われると、二人の間に何やら親密な空気が流れているのを感じる。

 私にとってはこっちの方が問題だわ。魔法使いが云々とか最早些細な問題に過ぎないくらいに。

 くっ、場違いなこと考えてるってのはわかってる。わかってるけれども!

 

「……(ニコッ)」

 

 私の視線を感じたのか、エカテリーナさんはこっちを見てキョトンとした表情を浮かべたと思ったら、「ええ、わかってますよ」と言ったニュアンスの微笑みを返される。

 なによ、何がわかったって言うの!

 

 私が恋敵(仮)? と視線のみで探り合いをしている間も、高畑先生の説明は続いていた。

 

 エヴァちゃんとエカテリーナさん。

 なんでもこの姉妹、《魔法使い》なのはエカテリーナさんだけで、エヴァちゃんは普通に一般人っていうなんだか意味深な事情を抱えてるんだそうな。ようはそれが原因で二人は遠い地で離れ離れになって暮らしてたみたい。なんというか、正直深く踏みいらないほうがよさそうね。

 ネギも、かくいう私もそうだけど、この学園には“わけあり”の子供がなんともまあ多いこと多いこと。

 

 

 そんな事情もあって、エカテリーナさんのメンバー入りは何ら問題なく決まった。

 作戦みたいなのも決めて、その結果、約束の時間まで私とエカテリーナさん組は別行動ってことに。

 そんなわけでこうして集合時間までエカテリーナさんをエスコートしてるってわけ。

 

「そうです! 実は私、前々から日本に来たら行ってみたいお店があったんです!」

 

 手をポンッと叩いて私の方を振り向くや否や、目をキラキラ光らせて食いかかるように迫ってくる。ああ、こういうのに男は弱いんでしょうね。わかっていても私は絶対にやらないけど。

 それよりも、エカテリーナさんが行きたかったというお店。

 お店の名前を聞いて、私は何とも微妙な反応をするしかなかった。

 

「それ、マジで言ってる? 確かにそのお店ならここ(麻帆良)にもあるし、私も一回だけ行ったことあるけど……」

「本当ですか! 私の国ではお目にかかれないものでして、カルチャーショックと言うんでしょうか。前に、麻帆良に来たら一緒に行こうってエヴァを誘ったんですが、素っ気なく断られちゃいました」

 

 それでもやっぱり気になってしまって、エカテリーナさんはよっぽどそのお店に行きたい様子。

 だけどねぇ、何というか人を選ぶお店って感じだし、とてもエカテリーナさんに合うとは思えないんだけど……

 というか、私があんまり行きたくないってのもあるけど。

 

「お願いします! 私、絶対に残しませんから!」

 

 エカテリーナさんの意思は固い。

 これ、どのみち却下したらこの後気まずくなるやつじゃない。

 ああ、最早私に選択肢なんて無いようなものなのね。

 

「うん、まぁ……それじゃ、混まないうちにいこっか……」

「わあ! ありがとうございます、神楽坂さん!」

 

 後で木乃香に夕飯要らないって連絡しとこ……。

 

 

 †††

 

 

「大の方、ニンニクは?」

「ーーヤサイネギマシマシニンニクチョモランマアブラカラメ!」

 

 ムフ〜っと、いかにも「してやった」と言った感じの表情を浮かべるエカテリーナさん。何でそんなに満足そうなのかしら。

 店内の他のお客さんが一斉に箸を止めて「えっ」って言う顔でこっちを見てる。

 ちょっと、私を勝手に仲間扱いしないでよ。

 

「ミニの方は?」

「……私は何も無しで」

 

 店員さんが私とエカテリーナさんの顔を交互に見比べている。

 何よ、「こっち()の方が食いそうなのになぁ」って言いたいわけ?

 

「神楽坂さんはニンニク入れない派なんですね」

「そう言うエカテリーナさんはニンニク好きなのね。……初めて聞いたわチョモランマって」

 

 てな訳でやってきたのがこのラーメン屋。

 麻帆良近辺の学生の胃袋を支える(主に男子)脂っこい味方。その名もラーメンショップ小太郎。

 連日、食事時になると飢えた戦士たちが道路沿いに長蛇の列を作るほどの人気店。まさにカルト的な人気ってやつかしら。

 それにしても、エカテリーナさんがラーメン屋に行きたかったなんてねぇ。しかもよりにもよってここかぁ。

 前に私も興味本位で木乃香達と食べにきたことがあるんだけど……量のチョイスからトッピング、何から何まで失敗したわ。まさかもやしだけでお腹いっぱいになるなんて思わなかった。一緒に来てた刹子が途中で援軍を呼んでくれた(弐集院ほか数名)から事なきを得たけど、あのままだったら確実に残してたわね。

 

「日本に来る前から“呪文(コール)”の練習を毎日欠かさず行ってたんです! 報われてよかったわぁ」

 

 どんだけよ。

 それに呪文って、大げさな。

 まったく魔法使いじゃ無いんだから……あぁ、そうだった、この人魔法使いだったわね。今の今まで本気で忘れてたわ。

 というか、現時点で私の中じゃネギが一番魔法使いらしいんだけど、そこんとこどうなのよ。

 最初は「こんなガキが魔法使いとか無いわ〜」とか思ってたけど、蓋を開けてみれば、ねぇ?

 

「……(ワクワク)」

「(喰い入るような目で自分の器にトッピングされていくニンニクを凝視してる……そこまで好きか)」

 

 蓋を開けてみれば、怪獣相手にボクシングしたり、かたやクリーチャー級の大盛りラーメンを恍惚とした表情で見つめたり。まぁ、ネギも大概おかしな所あるけど。てかそんなんばっかりか、魔法使いって!

 

 ……今はこんなエカテリーナさんでも、いざ戦いとなればネギみたいに難しそうな言葉でブツブツ呪文を唱えたりするのかしら。まさか、高畑先生みたいに肉弾戦志向なんてことはないわよね? 

 結局のところ、私って魔法のことについて何も知らないのよね。

 いや、知ってどうしようって言うわけじゃ無いんだけど。私ってば魔法使いの知り合いが多い……どころか、その内の一人とは実際一緒に住んでるのよね。つまり、長い目で見るとこれから先も魔法に触れ合う機会が多い訳で。

 何が言いたいかって言うと、そんな常日頃から身近にあるモノ(魔法)について何も知らないってのは問題なんじゃないかなって。

 何が問題だとか、具体的にはわかんないけど。こういうのは、あれよ、気持ちの問題っていうか。

 

「(エカテリーナさんにそれとなく聞いたら教えてくれるかしら?)」

 

 ネギに聞くってのはなんかシャクなのよね。

 聞いてないことまでベラベラ喋りそうだし、何よりもアイツの得意げな顔が腹たつし。

 あ、聞くにしても、魔法の何を聞けばいいんだろう。もうそこからわかんない。か〜、なんたってこんな頭使うことばっかりなのよ〜!

 

「……ごめんなさいね、神楽坂さん」

「え、なに?」

 

 急に謝られた。横に視線を移すと、そこには先ほどの浮かれた面持ちは影を潜め、表情に反省の色を浮かべたエカテリーナさんがいた。

 

「無理に合わせてもらった形になってしまって、少しわがままが過ぎました。……迷惑、でしたよね」

 

 私が考え込んでたせいかな。多分、無意識でイヤ〜な顔してたんだと思う。

 あちゃ〜、ちょっと水を差しちゃったかな。

 これは完全に私が悪いわ。

 

「いいのいいの、別に迷惑なんて全然思ってないから!」

「でも……」

「街を案内するって言ったのは私なんだし、それに本当だったら今日は……」

 

 そこまで言いかけてやめる。

 あ〜、これは言わない方がいいかな。

 

「神楽坂さん?」

「ううん、やっぱ何でも無い。でも、迷惑じゃないのは本当よ?」

 

 本当だったら今頃3-Aのみんなで「エカテリーナさんの歓迎会」をやっていたはず。

 チュパカブなんとかのせいで「放課後部活動はしばらく休止、生徒は速やかに下校」だなんてことになってなければね。

 ウチのクラスの連中も歓迎会中止は残念だと思ってる。ただ単に騒ぎたいだけのやつもいるけど。

 まぁ、この事件を解決した後に改めてやりましょ。エヴァちゃんも加えてね。

 そんなわけで、その時がくるまで内緒にしておくほうがいいでしょ。

 

「ほら、ラーメン出来たみたいだし、余計なことは気にしないで食べよ食べよ。エカテリーナさんの量が多いし、ちゃんと集中しないと残しちゃうわよ?」 

 

 雑談を交わしている間に注文したラーメンが完成したようだ。店員さん、ナイスタイミング。

 待ちに待ったラーメンを目の前にして、エカテリーナさんの表情に喜色が戻る。そうそう、その顔その顔。そういう明るい顔の方がエカテリーナさんには合ってるわ。

 

「わぁ、ニンニクがこんなに! これを待ち望んでたの!」

「……す、すごいわね。量も、そして匂いも……」

「今日は限定でネギが追加トッピングできる日なんです! 本当にツイてるわぁ……これで()()()()()()()だな、ふふふ」

 

 ……切り替えも早いようで何よりね。最後の方はよく聞き取れなかったけど、とっても喜んでるってことだけはわかる。これ、あんまり心配する必要なかったかしら。

 

「いただきます!」

「……いただきます」

 

 隣のもやしとネギとニンニクがこんもり盛られた妖怪のような物体は見ないふり。目の前の自分のラーメンのサイズを見て安心する。

 さっさと自分の分食べて出ましょ。思った以上にすっごい香ってくるのよ、隣から強烈なニンニク臭が!

 箸を割って、もやしを一口含んだら続けて麺を啜る。うん、一口目は美味しいのよね。この間来た時は暴力的な量とビジュアルに圧倒されて味を楽しむどころじゃなかったけど。男子がハマるのも頷ける。そしてスープは飲み干してはいけない、絶対に。

 

「……(ミニサイズにしてよかった。この量ならいけるわね)」

 

 二口目、と麺を丼の底から引っ張り上げたところで、何気なく横を見て、すぐに視線を麺に……戻せなかった。

 

「……ねぇ、エカテリーナさん? その、手、すっごい震えてるけど……」

 

 なぜなら一緒にやってきた連れの様子がおかしいからだ。

 

「あら、どういうことでしょう。神楽坂さんの仰る通り、手が震えて震えて仕方がありません」

「……箸、ひょっとして使うの初めて、とか?」

「いえ、日本に来る前に練習しました。幾度と無く苦戦した強敵“あずき豆”ですら今では赤子の手をひねるも同然」

「……よくわかんないけど、箸は問題なく使える、と。じゃあ、その震えはナニ?」

「さぁ、どういうことなのでしょう。私の()()()()()()が最後の抵抗を示しているのでしょうか」

 

 なんか雲行きが怪しくなってきたわ。

 表情自体はとても穏やかで涼しい顔をしている、が、よく見ると汗が吹き出ている。

 どういうこと? ひょっとして、悪ふざけでこんなの頼んじゃった? いや、とてもじゃないけど、そんなことをするような人には見えないし……。いや、それよりも……

 

「食べられるわよね? 全部」

「……食べられますよぅ?」

「ホントに頼むわよ⁉︎ そんなの私手伝えないからね!」

 

 なんかいっきにこの子の事がわかんなくなったわ。

 その後、震える手を空いた方の手で必死に押さえながら、やっとの事で最初の一口にありつくエカテリーナさん。

 

「ハフッ…………ゴホッ!」

「…………」

 

 ()せた。今この子()せた。え、好きなのよね? ネギとニンニク。

 

「〜〜〜〜〜っ! お、美味しい! ゴホッ、ゴホゴホッ!」

「流石に無理があると思わない⁉︎」

 

 さっきから周りの客や店員の視線がこっちに集中してるけど、そんなの気にしてる場合じゃない。()せながらも一口、また一口とラーメン(ほぼもやしとニンニク)を口に運んでは戻しそうになる連れの奇行から目を離すわけにはいかないから。目を離したら、次の瞬間には悲惨なことになっていそうだから。

 しかし、どんなに辛そうでも、彼女の箸は止まらない。いや、むしろ箸の進みは次第に早くなっている。

 依然として震えは収まっていないのに、汗はもう滴るほど流れているのに、それでも止まらない。

 

「……っ!」

 

 私は驚いた。

 笑ってる。

 私の連れは、笑ってる。

 そうか、美味しいんだ。美味しいから笑みが溢れてるんだ。

 でも、なんで?

 どうみても貴女の体は必死に拒否反応を訴えているのに、なのに、なんで貴女はそれをあざ笑うかのように大量のネギとニンニクを受け入れているの?

 気になってしまった。貴女はなんで、そこまでしなくちゃいけないのか。だから、聞いてみた。エカテリーナさんは私の問いに対して一旦箸を止め、こっちを向いて実に良いキメ顔でこう答えた。

 

「ーー己に打ち勝つには必要なことなので……ゲフッ!」

 

 私はもう何も言えなかった。

 私とエカテリーナさんはもう、同じ次元でラーメンを食べちゃいない。彼女がラーメンを食べる意味は、お腹を満たすだとか、美味しいからとか、もはやそういうレベルじゃないのだ。

 そんな遠い次元に居る人に対して、私の理解が及ばないのは仕方のない事なんだから。

 

「ズルズル、ズズズ! ハフッハフッ……ッ! ゲフッゲフッ! ゴッホ! ンンン!(どうだ、宿主! 身が引き裂かれる思いだろう? ハハハハハッ!)」

「…………」

 

 とりあえず、この店出たらコンビニでブレス○ア買おう。

 私の、エカテリーナさんに対する認識は、ほぼほぼ「変人」方面に固まった。

 

 

 †††

 

 

 ラーメン屋を出て適当にブラブラしてたらいい時間になったので、私達は待ち合わせ場所の桜通りへと赴くべく(といっても帰り道なんだけど)最寄りの駅のホームで駄弁ってた。

 電車が来るまで暇だったから、何の気なしに“魔法”のことに関して聞いてみたんだけど……

 

「魔法とはなんなのか……ですか」

 

 今更ながら随分と大雑把な質問をしたと思う。

 案の定、エカテリーナさんは唇に指を当てて考え込んでしまった。

 

「まるで禅問答のような質問ですね」

 

 エカテリーナさんは困ったように笑う。そうね、私も質問の仕方が悪かったと思う。

 それでもエカテリーナさんは「ではなるべく掻い摘んで、そうですね、では魔力とはなんなのか……」と素人の私に懇切丁寧に話してくれた。

 でも、どんなに聞きかじったところで私の日常生活には馴染みの無い世界。魔力や呪文、精神力がうんぬんと言われても、単なる文字の羅列が頭の中をぐるぐると掻き回すばかりで一向に理解が及ばない。

 

「結局のところ実際に魔法を見てもらった方が理解しやすいと思うのですが……」

 

 ごめん、ネギの魔法なら何回か見てるけど、正直それでもサッパリだわ。

 ようは私の頭じゃ魔法の“ま”の字すら理解できないのね……。

 なおもエカテリーナさんは私が理解できるように例えを挟んだりして説明を続けてくれるんだけど、イマイチどれもこれもピンと来ない。

 なんだか申し訳なくなってくる。

 

「ようは、魔法使いは“妖精”の力を借りて、魔法を使ってるって事、かな? そんでもって、それが“妖精魔法”」

 

 私が精一杯情報を咀嚼して出した結論がこれ。というか、これ以外に理解できたところがない。

 

「“妖精”ではなく“精霊”ですね。神楽坂さんの仰っている事で合っていますよ。……ああ、なるほどそこからですか」

 

 どうやら私はギリギリ「初級の門」は叩けたようだ。もっとも、叩いただけで開くことは叶わなそうだけど。

 その後もエカテリーナ先生と出来の悪い生徒の間で授業は続く。次第にエカテリーナさんの声が大きくなっていくのは、間違いなく怒気が混ざってきてるからだろう。自分の教え方が間違ってるのかもしれないという不安からくるものなのか、単にコイツ本当頭悪いなって苛立ってるのか。どっちかはわからないけど。ネギもこんな気持ちで私に勉強を教えていたのね。なんかゴメン。

 

「もうお手上げ! ごめんね、無理な事聞いちゃって。こういうのってあれでしょ? 一般人にベラベラ喋っていいもんじゃないんでしょ?」

 

 もう限界とばかりに首をブルブルと振ってギブアップの意を示す。

 初めから私の質問は破綻してたんだ。自分が何を知りたいか、何を持って納得するのか、他ならぬ私自身がソレをわかっていないんだから。

 私がそう言うと、エカテリーナさんは目を瞑って黙ってしまった。あれ、ひょっとして呆れられちゃった?

 心配になった私は、エカテリーナさんに呼びかけようとしてーー

 

「エカテリーナさーー」

 

 その横顔を見て、奇妙な感覚に襲われた。

 それはひとえに違和感であったり、一風変わって懐かしいモノを見たような気持ちだったり、はたまた悲しい出来事に見舞われたような嫌な感覚だったり……いっぺんに様々な感情がない交ぜになって浮き上がってきて、なんて形容したらいいかわからなかった。

 

「……(あれ、なんだろこれ、この感じ)」

 

 奇妙な感覚の正体が掴めない。

 ただ、それらの感覚を引き起こした大本は、目の前にいるエカテリーナさん、なんだと思う。たぶん、断言なんてできないけど。

 肩が触れ合うほど近くにいるのに、吐息一つ聞こえない。周りの景色は忙しなく動いているのに、唇一つ動かない。

 そんなエカテリーナさんを見ていると、不思議なことに彼女を《赤の他人》だとは思えなくなってきた。私、なんだかどうかしちゃった? 変だよね、今日初めて会った人に対して、なんでこんな気持ちになってるんだろう。

 

 ーー妾は、結局のところお主に何もしてやれぬのだな。

 

 それは誰の声だったか。

 エカテリーナさんを基点に周囲の景色がぼやけていく、そんな中、ひどく懐かしい声を聴いた。

 

「(ああ、もう少しでーー)」

 

 もう少しでーーなんなのだろう。

 もう少しで、この感覚の正体がわかるとでも言うのか。

 ついには視界がぐにゃりと捻れた。

 私は無意識のうちに手を伸ばしていた。

 私を、置いていかないでーー

 

「ーー神楽坂さん!」

「っ!」

 

 気がつけば私はエカテリーナさんの腕の中に居た。すぐ目の前にエカテリーナさんの顔がある。青味がかった透明な薔薇ーーを模した眼帯が、やけに鮮烈に私の目に映った。頰をひんやりとした冷気が撫でたような気がした。

 

「あ、れ……私、今なにを……って、うええ⁉︎」

 

 なんで私こんな仰け反って……のわ、地面近っ⁉︎ そんでもってエカテリーナさんも近っ⁉︎

 

「ごめん、なんか急に立ち眩みが……」

「……あそこのベンチで休みましょうか」

「いや、今はもうなんともないから……」

 

 なんども大丈夫だって言ったんだけど、エカテリーナさんは問答無用で私をベンチまで連行した。「何か飲み物を買ってきます」と言ってこの場を離れるエカテリーナさんを目で追いかける。

 

「なんだったんだろう、さっきの」

 

 寸前まで観ていた夢の内容が思い出せないのと同じようにに、先ほどの奇妙な感覚は綺麗さっぱりなくなっていた。いくら思い起こそうとしても、それは叶わなかった。

 しばらくしてエカテリーナさんがペットボトル飲料を持って戻ってきた。特別のどが乾いているわけじゃないんだけど、せっかく買ってきてくれた物に手をつけないのもあれなので、中身も見ずに蓋を開けて、少量を含み、口の中で転がす。

 しばらく私たちの間に会話はなかった。

 電車は一向にくる様子も無い。

 そろそろ帰宅ラッシュの時間であるにも関わらず、私達以外に人は疎らだった。その事に対して、なぜか不思議と私は疑問を抱かなかった。

 エカテリーナさんは空を仰いでいた。

 夕暮れを羽ばたく鳥達の影が、その透き通るコバルトブルーの瞳に映る様を眺めていると、不思議と心が安らいでくる。

 さっきに言葉を発したのはエカテリーナさんだった。

 

「少し昔話をしましょうか」

「昔話? ひょっとして、エヴァちゃん関連?」

 

 私の言葉にエカテリーナさんは首を横に振る。

 違うんだ。じゃあなんだろう?

 

「それは遠い遠い昔、まだ(あまね)く全ての人間の目が“精霊”を視認できた、古い神代の世の物語です」

 

 胸に手を当てて、高らかにそう告げる様はまるで舞台劇の語り部のようで、とてもエカテリーナさんに合っていた。

 そして昔話とはエカテリーナさん自身のことではなく、どうやら魔法に関することのようだ。

 

「神代って……それってどれくらい昔?」

「ずっとずっと昔です。教科書で習うような範囲よりもずっと前だとお考えください」

「昔の人は、“精霊”を視ることができたの?」

「視ることもできれば触れることもできました。昔の精霊は実体を持っていたので、飲食もすれば睡眠もとります。……当然、“死”という概念も。それこそ、先ほど神楽坂さんの仰った“妖精”と言う存在に近いですね。最も、姿形は人間に比べてかなり個体差に幅がありますが」

 

 想像してみる。羽が生えてて、肌の色がカラフルで、耳が尖ってて……し、尻尾とか、あるのかしら? んでもって、頭とか長くて……。

 ……私の脳内であらゆる人外パーツを備えた学園長の図が出来上がった。

 堪え切れずに盛大にむせる。

 

「そういうデザインの精霊も居ますよ。長いだけじゃなくて二つに分かれてるような精霊もいます」

「えっ⁉︎」

 

 なに? 頭の中でも読まれた? これも魔法の一種?

 エカテリーナさんは構わずに話を続けた。

 

「今でこそ多種多様な精霊が存在しますが、元を辿れば大まかには精霊は四つの種族に分かれていました。火、風、地、水……魔法使いの間では《四大元素》と呼ばれ、あらゆる魔法の根幹と言われています」

 

 火に風に地……地は地面かしら? そんでもって水、ね。なんかゲームに出てくる属性みたい。

 四大元素とか、なんか難しそうな言葉でちょっと身構えちゃったけど、魔力うんぬんよりかは分かりやすいわね。

 火族とか風族とかそんな感じかしら。

 私が尋ねるよりも先にエカテリーナさんは「それで合っています」と返してくる。なんだか便利なんだけど複雑だ。

 

「人間と、四種族の精霊達は互いに手を取り合い暮らしていました。中には人間と精霊の間で愛を育む事あり、それにより産まれた子供は“混血”と呼ばれ、両種族間の平和の象徴として受け入れられていたほどです」

「えっ、子供ができるの⁉︎ 人間と、精霊の間で? その……モニョモニョしたりして?」

「はい、性行ですね」

「ちょっ」

 

 あの? エカテリーナさん? そう言うのはもうちょっとボカして! 周りに人だって……あんまりいないわね、よかった。

 

「神話ではそう言った異種間で子供が産まれる事など日常茶飯事ですからね。あくまで当時の時代背景を鑑みた上でご想像ください」

 

 そんな時代背景想像できるか〜!

 でも、そういう種族の間で差別が無いって言うのは見習うべきところかもね。……麻帆良はなんでもかんでも受け入れすぎな気がするけど。

 

「話をここからですよ。……ある日、そんな仲睦まじい両種族の関係に亀裂が入る事件が起こったのです」

「ああ、平和は長く続かないっていう……」

「そうです。先程も言いましたが、その時代の精霊は火、風、地、水の四種族に分かれていました。そして、それら四種族の上に立つ者としてリーダー的な存在……“四柱の王”が存在したのです」

 

 エカテリーナさんはここで一息入れる。

 ちなみに「“四柱の王”というのは“四人の王”という事ですよ」と補足を入れてくれた。この短時間で私の脳みそのレベルは十分把握したみたい。馬鹿で悪かったわね。

 

「四柱の王の事を、私達魔法使いは《El(エル)》と読んでいます。火のEl(エル)、風のEl(エル)、地のEl(エル)、水のEl(エル)。大昔の精霊は、それら四柱のエルを頂点とした、四つのピラミッド式の組織として成り立っていたのです」

「まさに精霊の四天王みたいね」

 

 そう言うと、エカテリーナさんは「実に的を射た例えです」と言って笑った。

 

「現在魔法使いが魔法行使のために使役できる精霊の中でも最大規模の霊格を持つ“上位精霊”すらも、El(エル)を前にしたら頭を下げるしかないそうです。文字通り、四天王ですね。……まぁ、ここで四天王の中で最も厄介なお方が色々とやらかしてくれた所為で、人間と精霊の間で戦争が起こってしまうんですけど」

 

 戦争⁉︎ いや、さっき確かに両種族の間に亀裂が〜とは言ってたけど、なんでいきなり⁉︎ こういうファンタジーな物語に出てくる王様ってなんでこう突拍子もないのかしら。

 

「やらかしてくれたのは、四柱の中で最も権力を持った長女と呼ぶべき存在、水のEl(エル)です。彼女がもう少し慎ましい性格だったら、ひょっとしたら未だに神代の世は続いていたかもしれないですね」

 

 長女? ってことはその水のエルって女性ってこと? ……あ、子供が出来るくらいだからそりゃ精霊にも性別くらいあるのか。

 一番上のお姉ちゃんだから、一番偉いってこと?

 そもそもエルってみんな女性なの?

 

「女性は水のEl(エル)のみで、他三柱は皆男性です。“水”のEl(エル)が長女、“火”が長兄、“風”が次男、“地”が末っ子ですね。これはEl(エル)の誕生の順を表しています。……ちなみに地のEl(エル)は重度のシスコンで、姉の水のEl(エル)もそんな弟を溺愛していたそうです」

 

 あら、微笑ましい……って、そういう細い所まで伝えられてるのね。

 

「……そんなお姉ちゃんの水のエルが、戦争の引き金なの?」

「原因は“痴情のもつれ”だと言われています」

「は?」

 

 ちじょうのもつれ? って?

 

「水のEl(エル)は恋多き女性でした。惚れやすい性格と言いますか、己の権力を利用して男を取っ替え引っ替え。精霊、人間問わず気に入った男は妻帯者でも御構い無しに関係を持ったそうです。実質その時代の最高権力者ですからね。男の方々には断る術などある筈もなく」

「え? え?」

「ちなみに、弟の地のEl(エル)は最愛の姉の閨での情事を毎晩覗いては悔し涙を流し、水のEl(エル)も弟に覗かれている事に気づいていながら見せつけるように行為に耽けることで、さらなる快感を得ていたそうです」

「生々しいうえに愛が歪んでるわぁ!」

 

 何その昼ドラや時代劇とかに出てきそうな典型的な悪女は。もはや魔法とか精霊とかどっか行っちゃったんだけど。

 というかこれのエ○本の内容に片足突っ込んでるんじゃない⁉︎ これがあんたら魔法使い達のバイブルなの⁉︎ エ○本じゃないの! あんたらのバイブルはどう聞いてもエ○本よ!

 私は、別に、エ○本とか読まないけど?

 

「神楽坂さん。時代背景を考慮してください。そういうものなのです」

「わかったわよ、もう!」

 

 はぁ〜、なんかもうあれだ、疲れた。

 

「まさかとは思うけど、戦争の原因がその、水のエルの痴情のもつれって言うのは……」

「一人の人間の男にフられて、その逆恨みで戦争を起こしました」

「うわぁ……」

 

 思わず頭を抱える。

 エカテリーナさんは「神話ではよくある事」って言うけど、そんな国のトップ最悪過ぎる。

 

「続けますね。水のEl(エル)が口火を切った事により始まった人間と精霊の戦は、当然のことながら精霊側が有利に事を進めました」

 

 それはもう、圧勝と言っていいほどに一方的だったそうだ。

 その時代の人間側にも、現代の銃火器に値する武器は存在してたらしいけど、戦力差を埋めるまでには至らなかったみたい。

 

「ていうか、精霊たちはよくもまぁ水のエルの無茶苦茶な命令に従ったわね。“混血”……人との間に子供がいるヤツだって居たんでしょ? 子供はどうなっちゃったのよ?」

「それが戦というものですから。神楽坂さん、念のためもう一度言っておきますが、時代背景を考慮して……」

「はいはい、わかってますよ。とりあえず水のエルって言うのはサイテーな女ってことでいいんでしょ?」

 

 エカテリーナさんには苦笑いを返されたけど、ごく一般の受け手目線からしたら間違った認識じゃないと思う。

 

「それで結局、人類側は……滅ぼされちゃったの?」

「私達のご先祖様が滅ぼされていたら、ここに私達はいませんよ。先に結末だけ言ってしまうと、この戦争はちゃんと人間側の勝利で幕を閉じるのです」

 

 そりゃあ「私達の先祖は大昔精霊達にボコボコにされました」ってだけの話を代々ありがたく語り継ぐわきゃあないわよね。

 

「今と昔では倫理観が違えども、精霊達がやってる事は即ち弱い者イジメ。いくら自分達のトップの命令だからと言って、精霊の中には乗り気じゃない者も当然いました……そんな中、遂に一柱の精霊が立ち上がったのです」

 

 エカテリーナさんの口調に熱がこもる。

 私は思わず唾を飲み込んだ。

 

「風のEl(エル)。四柱の精霊王の中において、最強のEl(エル)とも謳われる存在。その風のEl(エル)が、途中で人間側に味方をしたのです」

「なんか、ヒーロー登場って感じね」

 

 風のエル。エカテリーナさんが言うには、天候を自由自在に操れた精霊で、それはもう自然そのものって言われるくらい強かったんだって。

 ようやくお話として受け入れられるようになってきたわね。やっぱりストレートにバッドエンドなんて認められないわ

 あれ、風のエルが一番強いって……水のエルは?

 

「水のEl(エル)はあくまで“位”が一番高いというだけであって、強さに関してはあまり明言されていないんです。組織のリーダーが前線で戦うことはありませんからね。……三人の弟よりも喧嘩が強い姉というのは、それはそれで面白いかもしれませんが」

 

 ボスよりもその取り巻きのエネミーの方が強いっていう、あれね。なんかいつかやったゲームでそんなステージがあった気がする。

 

「風のEl(エル)は配下の風精、雷精を率いて精霊軍に反旗を翻し、文字通り疾風迅雷の働きで瞬く間に戦況を塗り替えました。そして、そのまま精霊軍を滅ぼすーーとはならず、風のEl(エル)は戦の間に何度も水のEl(エル)に対して停戦勧告を訴えたのです。しかしその訴えも虚しくーー」

 

 ーー水のEl(エル)の改心には至らなかった。最後まで己の為に戦ってくれた地のEl(エル)が、最愛の弟が戦場で命を落とすその時まで……

 

「地のEl(エル)は最後まで水のEl(エル)の理解者として、自身の姉を護りました。そして来たる決戦の時、地のEl(エル)と風のEl(エル)の一騎打ちになり、両者は相打ち。そこに至ってようやく水のEl(エル)は自らの過ちに気付いたそうです」

「……遅すぎるわよ」

 

 エカテリーナさんは戦の描写に関しては所々曖昧に濁した。戦だから、やっぱり説明にも困るどギツイ場面もあるし、わざわざ語るものでもないらしい。

 

「風のEl(エル)は力尽きる前に、自らの力を共に戦った人間達に分け与えたといいます。それから、配下の精霊達に命じました。『人と共にあれ』と。ここから永きに渡り西洋魔法界で主流として扱われる《精霊魔法》が始まったのです」

「精霊、魔法……それが……」

「はい、ネギ先生や私が扱う魔法の事です。ちなみに風系呪文は魔法使いの間でトップシェアを誇っているんですよ。神代の世が終わり、精霊達は人々の間から姿を消した。それでも風のEl(エル)の思いは今もなお続いているのです。とても素敵な事だと思いませんか?」

 

 なんとなく、エカテリーナさんが言いたかった事が解った。

 私達(魔法使い)が使う魔法は、別に悪意があって生まれたものじゃないって、多分、そう言いたかったんだ。

 私は、不安だった。

 自分の理解が及ばない未知の力が。知らず知らずのうちに私達の日常を脅かしてるんじゃないかって。

 エカテリーナさん、ひょっとしてそれに気づいてたのかもしれない。

 そういえばさっきだって……

 

「電車、来ましたね」

 

 図ったようなタイミングで電車がやってくる。それと同時にホームに人が大勢なだれ込んで来た。よいせ、とベンチから立ち上がったエカテリーナさんに、先ほどから気になっていたことを尋ねる。

 

「エカテリーナさん、今も私の心を読んでるの?」

「え? 何のことですか?」

 

 惚けた演技か、それとも私の思い違いなのか、どっちかはわからなかった。まぁ、気を遣われたことに変わりはないと思う。

 私の中のもやもやは晴れた。それで良しとしましょうか。

 

「そういえば、その後、水のエルはどうなったの?」

「ご想像にお任せします」

 

 はい?

 

「ちょ、ちょっと、ここまで話しといてオチだけブン投げって、そりゃ無いわよぉ!」

「ごめんなさい。水のEl(エル)のその後に関しては正確な資料が残っていなくて。どのみち話すことはできないんです」

 

 エンディングは読者の心の中にありますって? 何よその適当な打ち切りエンドは!

 せっかくさっきまでのもやもやが無くなったのに!

 

「ねぇ2(ツー)は? その神話って2(ツー)とかないの?」

「あるわけないでしょう、そんなの。ギリシャ神話2(ツー)とか聞いたことありませんよ。ほら、さっさと電車に乗りますよ」

 

 あぁ〜もう! 作品はちゃんと完結させないよ! 馬鹿!

 

 

 

 

「すいません神楽坂さん。なんだか私とっても気分が悪いのですが……単刀直入にこれから私の身に起こるであろう症状を申し上げますとーー吐きます。……うぷっ」

「絶対さっき食べたラーメンが原因でしょ! ちょ、こんなところで……ぜ、絶対ダメよ! 耐えなさい!」

 

 電車を降りる頃には、先ほどの打切りエンドへの不満は綺麗さっぱり無くなっていたのだった。

 エカテリーナさんが耐えたか耐えられなかったかどうかは、一人一人の想像にお任せするわ。




お久しぶりです!
気力やら時間やらがなくて完全にエタっていました……
最後の明日菜のセリフは作者に対するブーメランです。

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