ウルトラマンノヴァ シーズンⅠ(00〜03話) 作:さざなみイルカ
この日の朝の空は霧のような雲に覆われていて、冴えなかった。しかし、午後にはそれも彼方に流れていって、太陽の光によって映える青空が広がっていった。
ある橋の下。街の中だが、その場所は静かだった。
少し行けば車道もあるのだが、そこで聞こえるのは鳥の
都会の中にもこのような場所があるのか。驚くようなことではないはずだが、五感を澄ましてみると、新鮮な発見だった。
俊太郎たち科学特務隊の六名が区役所の要請を受けてそこにやってきたのは、時計の時刻が二時を過ぎた頃だ。一人足りないのは、こういった野外活動では決まって留守番するチキン頭がいるからである。
「どう? 遥」
朱里は尋ねた。
集中していた遥は閉じていた目を開き、触れていた手を引いた。
「何も見えません。ただ……」
「ただ?」
「不自然です。自然に発生したものなら見えるはずのものが見えません」
遥は脱いでいた指貫グローブを再び身につける。
キノコだった。橋の下に奇妙なキノコが一株、生えていたのだ。紫色のシミ模様の赤い傘。大きさは全体で三〇センチほどあった。それは当然、図鑑に載っていない種類であり、そのため調査が依頼されたのだ。
役所の担当者によると、このようなキノコが同区内の数十ヶ所で確認されているらしい。奇妙なのは、近隣の区には一切見られず、この区だけに発生しているという点だ。
遥は
「突然変異や生存圏の拡大とは違うでゴワスか」
ドン助が言った。
陽の光が橋の下にも漏れてきているが、キノコは日陰の内にいる。太陽を好まないのはキノコらしかったが、そこは雑草が生えるだけのコンクリートの隙間で、湿気も多くない。本来繁殖するような場所でないのは明らかだった。
「何かしら意図を持って、ここに生えたのかと」
その意図が何なのかは不明である。しかし、超能力者である遥の能力を防御するくらいなのだから、そこには相当な透視遮断能力、そして、目論見があるように思えた。
「焼き払うのが賢明みたいだな」
ごく妥当な提案をビリーは述べた。すると、即座に分析担当のドン助が言葉を返した。
「待つでゴワス。念のためサンプルを少し採取していきたいでゴワス」
「そうね。このキノコの発生に何かしらの作為が絡んでいるとしたら、なおさらこのキノコについて知っておく必要があるわ」
朱里はドン助にサンプルの採取を許可した。ドン助は持ってきていた分析キットから手袋とハサミ、そして特殊カプセルを取り出し、キノコの採取を始める。
「持ち帰ったサンプルが怪獣化して基地で大暴れ、なんてやめて下さいよ」
「そんなベタな展開ないでゴワスよ」
終えると、小型火炎放射器を手に持ったビリーが前に出て、他の五人は少し下がった。地を這うようなバーナー音と共に噴射された超高温の炎が、正体不明のキノコを黒い塵に変えてしまう。
「それじゃあ、三手に分かれて他のキノコも駆除しにいくわよ」
役所の担当者から区の地図をもらっていた。そこには、同じキノコが確認された箇所に印がされている。その数は少なくない。いずれもひと目につきにくい場所らしく、それだけあると、街には普段の生活には見えない死角が数多く存在するのだと、改めて思わされる。
「遥、あなたはマモルと南方面を」
「G.I.G.」
「ドンさんは、ビリーと北西方面」
「G.I.G.でゴワス」
「北東方面は俊、私と一緒に」
「G.I.G.」
返事をしたとき、班の割り振りに少し不思議に思った。超能力のある遥と分析担当のドン助を分けたのは解るとして、いつも弟を側に置きたがる隊長が今日は真っ先に彼を別の隊員と組ました。それは、珍しいことだった。
俊太郎がその意図を知ったのは、車で移動し、隊長と二人で行動していたときだった。
「俊、あなたに聞きたいことがあるんだけど」
朱里がそう漏らしたのは、三手に分かれてから二つ目のキノコを焼却した後だった。廃工場の一角である。
「マモル、最近何かあった?」
「何かとは?」
小型火炎放射器をしまう動作を止めなかった。突かれると不味い質問だが、意識していただけに白々しく振る舞うのも簡単にできた。
「彼、このところ雰囲気が変わったじゃない? 言動も行動も、以前とは別人みたい。私の知っている弟じゃないわ」
平静を装ったが、俊太郎は内心迷った。ここで真実を言うべきか、否か。
今頃、マモルは遥と別の場所に生えたキノコを駆除しに行っている。後輩に取り憑いた未来人に会話を聞かれる恐れはなかった。ここで、全てを打ち明けて、隊長に状況を知ってもらえれば――。
刹那、俊太郎は想像した。
「あいつにもきっと、いろいろあるんですよ。養成学校卒業して、現場に立って、思うことがあったんじゃないですか」
想像した結果、そう答えた。彼はそのとき、自分に役者としての一面があることを知った。
「そう……。そうなのかしら」
「きっとそうですよ」
隊長と未来人に対する対策を考える――。
それも良かったが、何故か俊太郎は嘘をついてしまった。実は弟の身体が何者かに乗っ取られた、などという事実を伝えることに抵抗があったのか。あるいは、自分がウルトラマンになったことを知られたくなかったのか。それとも、周到なヨーがどこかで盗聴している可能性を恐れたのか。わからない。
ただ、ここで真実を言わないことが、俊太郎には正しいことのように思えた。
自信はなかったが。
しかし後日、俊太郎は自分の回答に後悔した。真実を隠したことではなく、マモルの変化の理由を環境の変化のせいにしたことをである。
その日、俊太郎はマモルと隊員用カフェテリアで休憩していた。積極的に休憩時間を共にしたい相手ではないが、向こうからやってきたのだ。どこからかチェスのボードと駒を一式持ってきて、勝負を挑んで来たのである。
朱里が声をかけてきたのは、俊太郎のキングがチェックメイトされる寸前だった。
「ねぇ、俊。席を外してくれる?」
負けそうだった俊太郎は、それを口実に席を立とうとしたが、マモルの声がそれを止めた。
「どうして? 俊に聞かれたらまずい話なの?」
タイトな声だった。一瞬の威圧感が、俊太郎の身体を突き抜ける。
「座って。場合によっては第三者の意見も必要かも知れないから」
対している相手に
俊太郎は離れた臀部を再びイスに戻した。
「わかったわ」
彼女は立ったまま続けた。
「実はあなたに来週、セラピーを受けてもらおうかと思うの」
「セラピー?」
「あなた、最近行動にも言動にも奇異が目立つわ。おそらく、X−GUYSに入隊して環境が激変したからね。実地での任務を経験して心に変調をきたす隊員は少なくないわ。だからあなたにも……」
「ボクはおかしくなった、とでも言いたいの?」
「そこまでは言ってないわ。でも、最近家にまったく帰ってきていないでしょ?」
「ボクにだってプライベートはある」
「毎日は異常よ」
両者は淡々と言葉を返し合っていたが、決して穏やかではない。一触即発というのは、まさにこういう状況のことをいうのだろう。重苦しい無色無臭のガスのような空気。積極的に火を点けていたのは弟の方だった。
「確かにボクは変わったよ。姉さんのお人形から、一人の人間にね。姉さんはそれを心疾患の類だっていうんだ?」
「違うわ。あなたは自覚がないだけよ」
するとマモルは
「自覚? 姉さんも自覚したら? 本当は弟が自分のモノで無くなることを恐れているだけなんじゃないの?」
「いい加減にしなさいッ!!」
ついに、ガスに火が引火したようだった。無音の爆発がカフェテリアに広がり、そこにいた全ての人の時が止まる。姉弟のテーブルに周囲の視線が集まった。
そのことを気にしたのは意外にも、自分だけだと俊太郎は気づいた。二人はそれでも会話を止めない。
珍しく声を荒らげた朱里は、今度は小さな声で
「……私はあなたを知っているの。小さい頃からのあなたをずっと見ているの。あなたはおかしくなった」
「ボクはセラピーを受けない。かわりに人事局に行くよ」
「は?」
「異動願を書くんだ。姉さんの下で働いていたら、一生自立なんてできやしない」
その発言には、朱里だけでなく俊太郎も驚かずにはいられなかった。しかし、空気が重いせいか言葉を挟めない。
「あと、家も出ていくよ。俊と同じ宿舎に入るんだ」
「ふざけないで。そんなの聞き入れられる訳ないでしょ」
「そう。だったら隊服を脱ぎ捨てるまでだよ。幸い、ボクはフェニックス奨学金を利用しているわけじゃないし」
「X−GUYSを辞めるっていうの!?」
「X−GUYSに入るばかりが人生じゃない。誰かからそう教わったから」
眼鏡の奥の瞳が、教えた相手をまたも一瞥した。「お前に教えたわけじゃない」と返せば正しかったのだろか。
「あなたが外の世界でやっていけるわけがないじゃない! ずっと……ずっと、私が守って来たのに!」
「……それが本音だね。姉さんはボクをいつまでも弱い存在だと思ってる」
「!」
言っているのは、マモルに取り憑いた未来人であるはずだった。しかし時々、俊太郎はその秘密を忘れてしまうときがある。述べている人間を錯覚してしまうのだ。
マモルは腰を上げた。
「姉さんのそういうところ、嫌いだよ」
そう言い残して、彼は歩き去った。
朱里は何も言い返せず、すれ違う肩を見逃すしかなかった。
両親の遺骨が埋葬されている霊園はドラグーンベースと同じ県下にある。朱里が墓前を訪れたのは日没後のことだった。盆以外でここに足を運ぶことはほとんどなかった。入隊後は特にである。
暗い闇を照らす室外灯の光。虫の鳴き声がどこかから聞こえる。蚊が彼女の肌を狙っていたが、その手に軽く払われた。
線香を焚き、手を合わせる。
朱里は目を開いた。そして、墓碑に掘られた「夜雲家之」の文字を見つめる。その意味の向こうに居る両親の姿に会おうとしたのだ。しかし、再会するには朱里のもつ記憶すら古すぎる。それでも、故人の幻が見たかった。
「お父さん、お母さん」
こういうとき、心中を吐露すべきなのだろう。しかし、彼女はそれに慣れていなかった。たとえ聞き手が存在しなくても。
弟がわからない――。
彼女はそう述べたかった。あるいは、肉親にそれを聞いて欲しかった。義理の父はいるが、姉弟間の悩みを持ち込むのは気が引ける。相手は多忙な身分だし、何より迷惑をかけたくない。だからと言って、死んだ人間がどこからかともなく現れて助言をくれるはずもない。結局最後は自分で答えを出すしかないのだ。
わかってはいた。しかし、それは困難だった。基地で最高の腕を持つスナイパーであっても、アカデミアを主席で卒業した秀才であっても、科学特務隊を率いる隊長であっても、自分は弱い存在のままなのかもしれない。
この一七年間、ほとんど過去を振り向かずにいられた。それはX−GUYSクルーとしての使命があり、弟を守るという義務があったからに他ならない。しかし今、二つあるうちの一つが揺らぎ始めた。バランスを失った彼女の内面は過去の方に傾きだしていた。
もしも、両親が死ななかったら――。
一瞬そんな想像が頭を過った。いや、意味がない。朱里はすぐにそれを捨てようとした。しかしふるい落とした想像は再び思考回路から生えだし、彼女の頭を再び過去への誘惑にかりだした。
すると、声が聞こえた。
「姉さん」
いつもと同じ声。振り向くと、いつもと同じ顔。朱里が驚いたのは、その姿が
「マモル……?」
眼鏡をかけていない。これが夜雲マモル。朱里の弟だった。
何故か、涙が溢れた。今日も会ったはずの弟を抱き締める。突然の抱擁を彼は拒まなかった。自分の行動が自然ではないと気がついたとき、朱里は弟を腕から開放した。
「ごめんなさい」
「ううん」
マモルはただただ微笑んで背の高い姉を見上げていた。何故か、いつもより背が低く見える。あるいは、最近の彼が大きく見えただけなのかもしれない。数時間しか離れていなかったのに、ものすごく懐かしく思えた。
「でも、どうしてここに?」
涙を拭いて、ごく妥当な質問をする。本来、この言葉が抱擁より先に出るはずだった。
「姉さんに伝えたいことがある」
「何?」
「あれは僕じゃない」
朱里は一瞬止まる。その代名詞が指す意味を、彼女はすぐに洞察できた。あの眼鏡だ。
「僕は、あいつに身体を乗っ取られている」
言葉は脳に浸透するように、彼女にじわじわと理解させていく。弟の瞳に、姉は吸い寄せられていた。
「姉さん助けて。僕をあいつから救って」
あいつとは具体的に誰のことか。朱里は訊かなかった。訊く必要などなかったのだ。何故なら、その“あいつ”は敵なのだから。
朱里はこのとき気が付いていなかった。
数日前駆除したキノコの胞子が、自分の体内に入っていたことを。