東方氷精伝   作:さいきょ

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紅ノ三

案内人はいない。

 

チルノは紅い館の想像よりも幾分を広い廊下を歩いていた。その姿はまるで館の主であるかのように堂々たるものであったが、勿論チルノがこの館の主であるわけもなく、彼女はただいつものように根拠のない自信を持って迷いなく館の中を彷徨っていただけである。

 

彼女は何時しか一つの扉の前で立ち止まった。大きな館の中にあってそれほど大きいわけではなく、かといってとても小さいわけでもないいたって普通の扉であった。チルノが歩いていた廊下には明らかに大きな扉や、物置か何かだろう小さな扉もあったが、チルノはそれらを全て無視して目の前の普遍的な扉の前で立ち止まった。

 

チルノは扉のノブに手を掛けたところで、ほんの少し前に聞いた言葉を思いだした。

 

曰く、館の主はとても高貴な方である。

 

曰く、館の主はとても恐ろし存在である。

 

曰く、館の主には礼儀正しくしなければならない。

 

曰く、館の主の機嫌を損ねると食べられてしまう。

 

その他にも細かいことをくどくどの言い並べたのは館の門番である紅美鈴である。美鈴に言いつけられた言葉を一つ一つチルノは小さな声で復唱した。ブツブツと美鈴の忠告を全て覚えている事を声に出して確認したチルノは扉のノブを持つ手に力を込めた。

 

「たのもぉー!」

 

チルノは力いっぱいに扉を開け放った。もしこの場に美鈴がいれば、チルノの礼儀のレの字も知らんとばかりの行動に顔を真っ青にすることだろう。更にはどこで覚えたのか、まるで道場破りのような口上である。これには美鈴も顔を青くしたうえで更に地面に膝をつくことだろう。美鈴満身創痍である。

 

だがいない者のことを考えても仕方がない。今そこにいる者たちに目を向けるべきだろう。

 

チルノが開け放った扉の先にはそれほど大きくない部屋があった。部屋の片隅にあまり上等ではないが品は悪くないベッドとクローゼット、そして部屋の中央には少しばかり貧相な部屋に不釣り合いななにやら美しい様式のテーブル、そしてそれと同じ様式だと思われる椅子が二脚あった。チルノの知識の中にはそれらの様式を表す言葉はなかったので、彼女はなんか丸っこくてかっこいい机と椅子と判断した。

 

部屋の中には二人の人物がいた。一人は二つあった椅子の内の一つに腰かけ、優雅に何か飲み物を飲んでいる。幼い子供のような身長のチルノよりも少し高い身長、ドレスのような服を身に纏い、室内だというのに何故かふわりと柔らかそうな帽子を被っている。しかしなにより目を引くのはその背に生えた羽であった。細い枯れ枝のような芯から薄い膜が張ってあり、それは蝙蝠の翼を連想させた。作り物には見えないそれがその者を人外だと証明している。

 

部屋の中にはもう一人いた。椅子は二脚あるにも関わらずその者は椅子には座らず立っている。その姿をもし現代日本の人間が見たならば一言呟くだろう。リアルメイドだ、だと。当然ながらチルノは現代の者ではなく果たして日本在住かどうかも不確かでそもそも人間ではないので、メイドについての知識など全く存在しない。フリフリのフワフワの変な服、そうチルノは思った。

 

「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」

 

チルノ曰く変な服を着た人物が、チルノの前まで来て一礼する。そして顔上げ、チルノを空いていた椅子の方に誘導する。一妖精に対しては慇懃無礼ともとれるようなその態度に対してもチルノは臆することなく椅子へ向かう。

 

チルノが椅子の横に立ったところで音を立てずに静かに椅子が引かれる。座れ、ということだろうとチルノにも理解出来た。その椅子はチルノの身長には不釣り合いな大きさだったので、ピョンと跳ねるようにしてチルノは椅子に飛び乗った。座った状態で足を目一杯に伸ばすチルノだが、足の裏が床を捉えることはなかったので仕方がなく足を自由にプラプラと投げ出した。

 

「よく来てくれたわ」

 

一頻り足と床との距離の戦いを終えたチルノに対して、初めから彼女の正面に座っていた蝙蝠羽の少女が声を掛けた。

 

「何飲んでるの?」

 

掛けられた声を無視してチルノは蝙蝠羽少女が持つカップに目をやった。傍から見れば露骨に飲み物を催促しているようだが、チルノにはそんな考えは微塵もなくただカップに入っている飲み物に興味を覚えただけであった。

 

「咲夜」

 

蝙蝠羽の少女はチルノの態度に気分を悪くすることもなく一言だけ呟いた。すると次の瞬間、チルノが瞬きをした一瞬のうちに音もなくチルノの前にカップとそれに入った紅茶が現れた。突然現れたそのカップをチルノは興味深く眺め、持ち上げ下から覗き込み、上から見て中に紅茶が入っているのを確認すると、首を傾げながらも中身を勢いよく口にいれた。

 

「熱い! おいしくない!」

 

予想以上に熱かったその紅茶にチルノは顔を顰める。さらに熱さに驚いたことにより紅茶の入ったカップが乱暴に机に叩きつけるように置かれる。中に残っていた僅かな紅茶が勢いよく飛び散り、あわやチルノの腕に掛かりそうになる。

 

「咲夜」

 

再び、蝙蝠のような少女が一言。すると飛び散り宙を舞っていた紅茶はおろか、それが入っていたカップまでもがチルノの目の前で消え去った。その光景にクエスチョンマークが目に見えるかのように大げさな仕草でチルノは目を見開く。そして音もなく、消え去ったカップの代わりに透明なグラスが現れる。グラスは氷で満たされており、涼し気な印象を与えるものの飲み物は入っていなかった。

 

テーブルの横から手が伸びて来た。その手にはポットが握られており、チルノの目の前でそのポットの中身をゆっくりとグラスに注いでいく。トクトクと注がれる紅茶をチルノが目を輝かせながら見ていると、グラスの六割ほどを埋めたところでそれは止まる。グラスに対して少ないのではないかと思われる量だったが、それが氷で冷やされて冷たいことに気が付いていたチルノは待ちきれずに手を伸ばす。しかしそれを遮るように再び横から手が伸びてきた。その手には今度は透明な液体の入った小さなグラスがあった。チルノは不思議そうにその液体に目をやっていると、またもゆっくりとその液体はグラスに注がれていった。初めに注いだ紅茶と合わせてグラスの八割を占めたところで、仕上げにストローがすっとグラスに挿されくるりくるりと何度か紅茶を攪拌した。手が引っ込みそれ以上グラスに変化がないことを確認すると、チルノは待ってましたとばかりにグラスに手を伸ばしストローに口をつけた。

 

「冷たい! 甘い! おいしい!」

 

先ほどたっぷりと注がれた透明な液体はシロップだったようで、チルノはその甘さに大変満足した。

 

「気に入ったみたいでよかったわ、咲夜の紅茶は美味しいのよ」

「咲夜?」

 

蝙蝠羽の少女は声を出さずに背後に佇むメイドに視線をやる。そのメイドが美味しい紅茶をいれた咲夜なんだとチルノは理解した。

 

「とっても甘くておいしい! ありがとう咲夜!」

 

チルノの礼に対して、咲夜は静かに頭を下げて返答とした。

 

「さて、それじゃあ改めて、私はこの紅魔館の主であるレミリア・スカーレットよ」

「あたいはチルノ!」

「知っているわ、氷の妖精チルノ。それでまずは謝罪を、そういった運命だったとはいえ本来なら応接間に案内するところをこんな辺鄙な部屋に招いたことを」

「うん許す! あたいは最強だから!」

「そうありがとう」

 

この風景を美鈴が目にしたなら顔を青くして気絶して仰向けに倒れるだろう、泣きっ面に蜂どころか満身創痍にパイルバンカーくらいのダメージである。それ程までにチルノとレミリアとの間には格差が存在するのだ。例えるならばミジンコと太陽程の開きがある。もちろんチルノがミジンコだ。つまりミジンコが太陽に向かって暑すぎて干からびるから止めろと言っているに等しいのだ。太陽の大きさを知らぬチルノはお構いなしに無邪気に考え無しに口を開くのだった。

 

「では早速だけど本題に入りましょう。チルノ、私はあなたにお願いがあるの」

「お願い?」

「ええ」

 

レミリアはそこで数枚の紙束、スペルカードをテーブルの上に広げた。

 

「弾幕ごっこをしましょう」

 

レミリアは複雑に絡み合った運命の糸の中で一本だけ輝く糸を見た。混じり合いもはや毛玉のようになってしまい未来に向かっているのかも分からない運命の糸の中で、はっきりと輝くその糸ならば、きっと前に進むための道標になるとレミリアは確信していた。

 

「やる!」

 

チルノの無邪気に輝く笑顔を、レミリアは自分の選択が誤りでないことの証明とした。

 

ここから停滞した現在は前へと進み始める。

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