マゼンタのともしび   作:さろめ

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第1話

 

 

 カルデアに五月が訪れていた。

 

 といってもどこかの小さな島国のように、美しい四季など望むべくもない。標高云千メートルを超えるその地に吹き抜けるのは、やはりというべきか、皐月の風はおろか、いつもの通り柔らかな氷を含まない日はないという有様だった。

 そんなあらゆる現代科学で護られなければやっていかれない殻の内側。普段と何も変わらない様子の食堂の片隅に、エリザベート・バートリーはおかしなものを見つけていた。

 お昼のパスタを口に運ぼうとしていたフォークが思わず止まる。二度見、三度見してから、食事どころではなくなったのか皿の上に食器を置いてしまった。はしたなくも席を立ち、その傍まで行き、話しかけた。

「アナタ誰? いつの間に、どこから来たの?」

 彼女の近づいた二人席には、ぽつんと一人の少女が腰かけていた。

 昨日までカルデアの中で一度も見かけたことのなかった顔だ。

 こげ茶色の大きな瞳に、柔らかそうな栗色の長い髪。彼女は問いには答えず、エリザベートの翡翠色の瞳を真っ直ぐ見つめたまま黙っている。緩く結ばれた口元と、動きのない表情とが物静かな印象に拍車をかけていた。歳の頃は、立香と同じくらいだろうか。

「ねえったら。(アタシ)とお話するのが嫌ってワケ? それともお喋りができないの? できないのだったらそうと言ってみなさいよ」

 苛立ちからか無茶な注文をつけるエリザベート。けれど言われた方の彼女は、それにこくりと頷いてみせた。

「……本当に喋れないの?」

 こくこく、と慌てたように彼女は頷く。

「ふうん、そう……」

 もしや場面緘黙症というやつだろうか。どうしたものか、とエリザベートは少し面倒に思う。

 というか、人間などあのマスター以外誰がいようと構わないのに、見慣れない顔だからといって、何故話しかけてしまったのか。外界との連絡が取れるようになった今、この先、知らない顔が増える事など珍しくなくなるはずなのに。

 しかし、彼女の容姿を眺めながらふとその答えに気づく。

「――ああ」

 なんのことはない簡単な理由。それは彼女が『少女』だから。

 人知れず、エリザベートは少しの倦怠を抱く。僅かな自己嫌悪から渋面をつくる。そういえば立香とマシュの他に、これまで、今を生きる人間で少女の姿をしたものはここにいなかった気がする。いたのかもしれないが、自分は出会ったことがない。

 栗色の髪の少女はそんなエリザベートの感情を僅かでも感じ取ったのか、どうしたの、とでも問いかけるように首を傾げた。

「……いいえ、なんでもないの。で、アンタ、兎にも角にも迷子なのよね? どこに行ったら良いのかもわからないんでしょう?」

 しかし少女は首をふるふると横に振る。

「なら、行くべきところに行ったらどうなの。道案内もいらないでしょう?」

 けれどやはり首は横に振られる。

 答えが矛盾している。何がしたいのだこの人間は……とエリザベートは流石に訝った。意志疎通がイエスオアノーでしか図れないことがとても疲れる。

 とにかく、自分一人ではどうしようもなさそうだと考えた。彼女は少女の手を取り、二人して食堂の様子をずっと眺めていたであろう、厨房にいるエミヤの所へとぱたぱたと駆けて行った。

 案の定というべきか、エプロン姿の彼は今日もそこで鍋を振るっていた。けれど昼休憩の時間ももう終わりに差し掛かっていて、忙しさのピークは過ぎている。なんとか話しかけられそうな頃合いだ。ステンレスのカウンターから身を乗り出して、エリザベートは厨房の喧噪に負けないように声を張った。

「ちょっと、ねえ!」

 名指しをしないのに、一度だけの声掛けで彼は振り返ってくれた――というか、エリザベートの方を一瞥すると、何かね、と訊き返すことだけをし、あくまで作業の優先順は料理第一らしく鍋から目を離さなかった。

「この子、迷子みたいなのだけど。アナタ、ずっと調理場にいたんでしょう? 何か知らない?」

「迷子……?」

 エミヤはエリザベートの言い方に首を捻る。

 何しろ心当たりが全くない。確かにカルデアに子供は幾人かいるが、彼女が改まってこの子と言ったことに何処か違和感を覚えた。外部の人間が来るなどという話も、ダ・ヴィンチや他の職員から聞いた覚えはない。

 少し待っていたまえと返し、作りかけの回鍋肉を手早く仕上げる。盛り付け用のバットに滑らかにそれを足してから、彼は改めてエリザベートに向き直った。

「しかし、まさか君が誰かの世話を焼こうとは」

 手を拭きながら彼は信じられないといった顔になる。エリザベートは、余計な一言はいいからさっさと教えなさいよ、と憤慨した。

「それで、その迷子というのは何処にいるのかね」

「はあ? アナタ本当に耄碌したの? ここにいるじゃないの。髪が長くてひたすら地味な感じのニンゲンが」

 エリザベートはぽん、と少女の両肩に手を置く。

 エミヤの顔が、怪訝な表情のまま固まった。

「――私には、そこに誰もいないように見えるのだが」

「へ?」

 

            ◆

 

「…………」

 エリザベートは黙って少女の手を引いて廊下を歩く。

 どういうことなのだろう、と頭の中で状況を整理する。

 自分には見えてエミヤには見えない。食堂にいた他の人間にも少し聞いてみたがそれは同じで、思い返せば誰もこの少女に話しかけようとする者はいなかった。あまりに何人にも訊いて騒いでは頭の心配をされてしまう気がして、沢山の人には訊けなかった。

 やりきれなくなって少女の手をとって引っ張って来てしまったのはいいが、何処に行ったら良いのだろうとふと思う。

「その、なに……アンタってばもしかしてオバケ?」

 少女は少し目を伏せて首を振る。お化けという言葉の意味はわかるらしい。

「でもきっと……私自身がオバケだったら、そうじゃない! って叫ぶわよね……」

 もはや彼女の方は向かず、独り言に近い言葉を呟いた。少女は手を引かれたまま心配げに彼女の後姿を見ている。

「うーーーーーん…………」

 お化けって果たしてこんな感じのものだったろうか? とエリザベートは首を捻る。

「足はあるし触れるしあたたかいし……」

 絶対におかしい。

 夢を疑って隠れて頬をつねってみるも、効果はない。

 と、彼女は何かに気づき、つと足を止める。少女はエリザベートの背中にぶつかりそうになったが、ぎりぎりの所でそれを堪えた。

 立ち止まったそこは、清姫の部屋のドアの前。

 いつの間に、なんでこんな所に、と彼女は思う。

 けれどそれは自明のこと。

 何故かって、この部屋にいる彼女なら、真正面から本当のことを言ってくれること請け合いだから。だから何処へ行こうかと悩みながらも、無意識のうちにこの部屋を目指してしまっていた。

 ダ・ヴィンチ、それにマリーや立香……彼女たちではこの少女を自分(エリザベート)の見ている幻覚と断じた後で、何か優しい言葉をかけられて絆されて終わるかもしれない、そんな気がしていた。そんな風になってしまったら、自分もそうだと思い込んでしまい、結局少女の行き場がなくなりそうな気がして恐ろしかった。

 ただし――こいつに意見を求めるということは。

「すっっっっごい、馬鹿にされそう……」

「どなたがどなたを――馬鹿にするんです?」

「!?」

 声なき声を上げて飛び退る。片手を掴まれたまま振り回されて、物言わぬ少女も転びかけたがなんとか体勢を立て直した。

「このスト……、ヘ……」

「はい?」

 あまりに驚かされて、エリザベートは怒りと共に語彙を失う。ただ喧嘩をしに来た訳ではないという当初の目的がセーフティになってくれ、聞くに堪えない悪態をつくのをギリギリで食い止めることが出来た。

「……」

「どうしたのです? 何か用があってわたくしの所に来たのではないのですか。でなければ、わたくし、色々やって疲れてしまったので、もう部屋に戻って休みたいのですけれど」

「え、ええ……」

 落ち着け、と自分に言い聞かせて深呼吸をする。なじったり責めたくなる衝動を無理に抑え込んだ。何故こんなに自分は真剣なのだろうと、一瞬だけ疑問に思う。普段ならここでひと悶着あってもおかしくはない……というか確実にそうなっていただろうに。

 ともかくと問いかける。ここまで少女の存在に清姫が反応しないことで、半ばの諦めはあったけれど。

「アンタ、今ここに、私以外の誰かがいるように見える?」

 清姫は少しぎょっとした様子で、袖で口元を隠す。

 淡い望みのためか。その仕草が何かに目を凝らしているように見え、エリザベートは一瞬だけ期待をしたが、

「……誰もおりませんね」

 ただ自分の質問に引かれただけだとその答え方でわかった。

「いよいよ頭痛が進んでおかしくなったのですか? 本当にそこにいる霊なら霊で、わたくしたちにはそのまま視える筈ですのに」

「あっ……」

 確かにそうだ、とエリザベートは気づく。自分たちはサーヴァントだった。人間には見えないものも普通に見えるはず。程度の差はあるだろうが、自分は霊視にそんなに長けた能力ではなかったはずなのに。

 もしかして、新しい能力に開眼してしまったとでもいうのか?

 でも、こんな少女一人が視えるだけで、あとは変わったことは何もない。

 だとしたら、この少女は自分の願望か理想像か何かで、そんな架空の姿が投影されているだけ、とか。

 いや、これが……こんな地味な女の子の姿が?

 いくら自分が惚れっぽいとはいえ、こんな初対面の――

「うん……?」

 エリザベートは小さな違和感を覚え、蹲って頭を抱えたまま少女の方を見上げる。

 けれど、その閃きのような思考の走りは、清姫の言葉に遮られた。

「さっきから心の声がダダ漏れでしてよ。まあ、いつも通りですけれども。――ところで貴女」

「なによ」

「何かとっても大事なことをお忘れではありません?」

「大事なことって……」

 聞き返すも、わからなければそれで構いません、と呟き、清姫は上品に口元を袖で隠して欠伸などすると、それきり自分の部屋に引っ込んでしまった。

 

 

 

 

 

 今度は清姫の部屋とは全然違う方、明確な行先へとエリザベートは脚を向かわせていた。

 少女はまた静かに相手の顔を伺う。それに気づき、彼女は少し眉根を寄せた。

「いったい何を心配がっているの。すぐなんとかなるのだから、アンタは黙ってついてきたら良いのよ」

 尚も少女が彼女から視線を離さないでいると、

「あん? なんとかって、どうするのか――ですって?」

 アイコンタクトで多少の疎通はできるらしい。少女はこくりと頷く。

「そんなの決まっているじゃない。ヘビ女が言っていたでしょ。霊ならば大抵のサーヴァントなら見えるって。なら、アンタを見えているか、見えていないかを分けるのは認識しようとする側の能力の差なんでしょうよ」

 少女はわからない、という風に首を傾げる。

「だーかーらー、私に声が聞こえないなら、誰か他のひとに声を聴いて貰えば良いでしょってこと! 私は、アンタが視えてそこにいることがわかる。そこにいるということさえ教えれば、声を拾ってくれるひともいるかもしれないでしょ。それが認識能力の差ってこと。役割分担で協力プレイ! そういうこと。オーケー?」

 こげ茶色の瞳を見開き、さも驚いたような顔をされる。

「……何か、すっごく馬鹿にされてる感じしかしないわね」

 廊下ですれ違っていくカルデアの職員や、サーヴァントたちの殆どがエリザベートの方を振り返る。ひとり相撲を繰り広げているように見えているのだろうから当然だ、と彼女は割り切ったことを思うも、不思議とそれが苦ではなかった。

 そもそもこの少女の世話を焼こうとしたことといい、清姫と喧嘩にならなかったことといい――それに元をただすなら少女の存在自体がそうなのだが、今日は不思議なことの連続だ、と彼女は思う。

 何だか、自分にとってとても大切なものの価値を誰にも判ってもらえないような。上手く言えないが、そんなもどかしい思いがする。

 もしかしたら、裸の王様はこんな気持ちだったのだろうか。連鎖的に自分が裸になった所を思い描き、彼女は少しだけ赤面する。

(いえ、というか――大切ってなにがかしら?)

 今の自分の躁鬱は激しいものだろうか、とエリザベートは自問する。

 確かめてみるがそうでもない。そんな客観的な視点を持てるあたり、今日の心はかなり落ち着いていた。 なら、こんな浮かれたことをつらつらと考えるのは何故なのだろう。

 浮かれている。確かにそんな風だと改めて思う。何故そのようになっているのかは、やはり全く見当もつかないけれど。

「っと、確かこの部屋だったわね」

 一も二もなく無造作に速攻でチャイムを押す。それから彼女はドアの前で叫んだ。

「出て来なさい、セイバー! いるんでしょう!」

 道場破りよろしく堂々の仁王立ちで待ち構える。少女は突然あがった叫び声のためか、気が気ではないといった不安げな様子でエリザベート見上げている。

 けれど十秒、三十秒してもセイバー、もといネロ・クラウディウスは姿を現さない。

「…………」

 早速堪忍袋の緒が切れたエリザベートの眼が据わる。そして神経質そうに黙りこくったまま、壊さんばかりの勢いで容赦なくチャイムのボタンを連打した。

 防音の壁を隔ててもわかる。出鱈目に耳障りなチャイム音が部屋の中で連続した後、ドタドタという足音と共にやっとドアが開いた。

「あー、うるさいっ!! 何事か! やっとひとが色々を終えてまどろみかけたところで!」

 ドアの間から美しい金色の髪をした少女がまろび出るのと同時に、廊下にぶわりとマジョラムの香りが広がった。

「なにこの……アロマじゃないの!? アナタ、こんなものいつの間に使ってたのよ」

「これか? ふっふっふ、冬の間にマスターにゴネ通し、つい先日半年分を運び入れてもらったのだ」

「う、うらやま……じゃなくて、なんたる物質主義なのかしら。落ちたものねセイバー、それしきの品物、独力で用意できないだなんて」

「馬鹿者、ランサー。それしき、ではないのだ! このような白銀に包まれた世界の果てであるぞ。そこに心安らぐこの香り。それも魔術で製造したりレイシフトで採って来た代物ではなく、人理焼却を乗り越えた無辜の民の営みが作り出したもの。これがどれほどの意味をもつものなのか、わからぬ貴様ではあるまい」

 この際ゴネたどうだという話は置いておく。こんな力説をされては由来はともかくやたらと羨ましくなってしまう。しかも自分がワガママを言ってもあんまり聞き入れない癖に、ネロの言うことは聞き届けたというのか、あのマスターは――!

「ぐぬぬ……」

 ほぞを噛むエリザベート。そうして何も言い返せなくなっていると、ふと思いついたようにネロは話題を切り替えた。もとい、話を本筋に戻した。

「それはそうとこんな昼下がりにどうしたのだ。律儀にも呼び鈴を鳴らしたということは、闇討ちをしに来た訳でもあるまいに」

「誰がいつそんな汚いこと――ああ、ええ。そう、ちょっと、訪ねたいことがあるのだけど」

「前口上もなしとは直截よな。よほど切羽詰まっているとみえる。だが丁度良いぞ、申してみよ。今の余はとある雑務のためやたらめったら疲れておる所。もはやちょっとした塩対応でしか貴様の期待に応えられぬほどだ」

 本当にどこかで労働をしてきたようで、はあと肩に手をやりながら溜息をつくネロ。

「それは今日は構わないけれど。ねえセイバー、アナタ、私の隣に誰かがいるように見えて?」

「どういう意味だ?」

 ああ……とエリザベートは思う。もしかしたら彼女ならと思ったのだが。それでも一縷の望みを抱いて答える。

「笑わないで聞いてくれる?」

「うん? 何だ、急にいじらしく」

「い、いじらしくなんて――」

 ネロは彼女の怒り顔を慈しむかのように微笑む。

「よい、何を言われても笑わぬぞ。とにかく申してみよ」

「なら……。その、今、私にはここに人間が一人いるように見えているの」

「…………」

 ネロは真剣な面持ちでエリザベートの指さした場所にじっと目を凝らす。意識して霊視の眼を開いてみる。けれどやはり、

「うむ、そこには誰もおらぬな」

「……そう」

 同じ頭痛持ちの彼女ならと思ったのだが。エリザベートはがっかりして目を伏せる。彼女だけに視える少女も、周囲の状況を察しているのか繋いだ手はそのままに肩を落とした。

「だが、そこには余が視えないだけで誰かがおるのだな?」

 エリザベートは残念そうな表情を変えないまま頷く。

「それで、その者の目的はなんなのだ」

「それがわからないのよ。どうも……喋ることが出来ないみたいなの」

 しどろもどろになりながらエリザベートはそう答える。自分一人の妄想かもしれないことを口にしていて恥ずかしい気持ちと、少女の境遇を伝えたいという積極性がないまぜになってとても困る。

「そやつはどんな見目をしている? どのような振る舞いをする者だ?」

 まさかの羞恥プレイであった。エリザベートは流石に言い淀む。

 けれど、ネロの眼差しに全く揶揄が含まれていないことにふと気づく。それに気圧されたのか、それとも安心させられたのか……少女の今の様子を、素直に伝えることにした。

 

 

「ふむ、成る程な……」

 教えられた彼女は十秒も何か考え込んでいたが、やがて、

「よし、あいわかった。ならば余も、そやつの目的を達するために協力をしようではないか」

「ええ……?」

「素直に喜ばぬか、余が申し出ているのだぞ」

「でも、一体どうするつもりなのよ。アナタ自身がこれの声を聴ける訳ではないでしょうに」

「うむ、全く聞こえぬ。今もその少女とやらが何処にいるかすらわからぬ。だがな、貴様はまだそやつのためにしておらぬことがあるであろ? 余はそれを手伝おうと思う」

「……?」

「なに、簡単なこと。カルデア中の人間に訊いて回ればよいのだ」

「――それは」

 それは、辛い。そんな言葉が喉まで出かかった。しかし本当にそれを口にしたら、ネロの申し出を断るのと同じになる気がして言葉を飲み込む。

「どうするのだ。やらぬのか? 素晴らしいではないか。視えると騙すも、視えると騙されるのも悪くはない。その者が本当に存在しそれが証明されるなら、もっと楽しいではないか。余はむしろ、それがどうやって成るのかが見たい」

 先刻自己申告していた疲れとやらは何処へやら。今にも先に立って歩き出しそうな様子で、ネロはエリザベートに向かって首を傾げる。

 どうやら、『恥なら一緒にかぶってやる』とか、『お前の言うことならば信じよう』とかそういう崇高な(うそっぽい)フレンドシップから誘われているのではないらしい。

 『ただ楽しそうだから付き合うのだぞ』。

 口にされこそしないが。不思議そうにこちらを見やるネロのその顔に、思いっきりそう書いてあるのがわかる。

「アンタって……ホント、全っ然私よりわがままよね……」 

 エリザベートは呆れ果てて溜息をつく。

「ようし、決まりだな」

 ネロは踵を返して歩き出す。エリザベートは負けじとその隣に並ぶ。

 そんな二人の背中を眺め、栗色の髪の少女は人知れず淡く微笑んだ。

 

       ◆

 

 三人の聞き込みは夕方を過ぎ夜まで行われた。

 しかし収穫というものはなんと――何もなし。皆無であった。誰も少女の姿や声を確認できないことはおろか、ある女性スタッフの所を訪れた際には、『英霊の方も見目相応に遊んだりすることもあるんですね』なんて微笑ましげに見守られてしまう始末。

 振り出しの食堂に戻り、ネロはぐったりとして四人席のテーブルに突っ伏した。

「ま、まさかの誰もわからん事態とは……」

 エリザベートも再び運ばれてきた紅茶に手をつけることもせず、俯き気味に目を伏せている。

「……もういいわよ、セイバー。後は私一人でやるから」

 この埋め合わせは今度してあげる、と呟く。心が頑なになっていくのがわかる。

 これでは、やはり自分の認識が普通の人間とは違うということがわかっただけだ。

 妄想癖、虚言癖。そういうものを支えるのは、本来誰にも見えないこうした幻影なのかもしれないなどとエリザベートは考察をする。いや、既に過去、そんなものは腐るほど見て来た気もする。

 ただ不思議と、お前がいることが悪いのだと、この幻影の少女の存在を責める気にはならない。今も、気落ちしながらも、明日からまた別の方法でこの子の処遇をなんとかしてやらなければと頭の隅で考えている自分がいた。散々に振り回されているというのに、こうまでしてあげようと思うのは何故なのだろう。おかしな話だと思いながら少女の方を横目で盗み見、紅茶を啜る。

 すると、向かいのネロが何やら唸り声を上げた。

「むうう」

「なによ」

「貴様なぜ、そんなに落ち着いている?」

「はあ?」

「いつもなら、もう癇癪を起しているところではないか。これだけ成果が出ていなければ尚更であろう」

 エリザベートはどういう意味かしら、とでも言うように小首をかしげる。

「まあ……そう……かしら。でもそういうアナタだって、『飽きた』って言って部屋に帰っている頃合いじゃなくて?」

 普通だったら。

 そう口にしてから、エリザベートとネロは同時に『普通ってなんだろう』と首を捻った。

 荒野にたむろするアンデッドと対峙したことがある。

 冥界で馬鹿でかいゴーストを退けたことがある。

 影のようなサーヴァントのなりぞこないを嫌というほど見て来た。

 そんな風にこんな幽霊沙汰は今までにも沢山あった。ならば、この幻の少女が幽霊(?)だから特別であるという訳ではないらしい。

 ただ、彼女のことをどうしても無視できない――捨て置けない。

 そんなことを、テレパシーを使ったみたいに二人して思う。

 『特別』ではないのだ。だから、この気持ちは瞬間的に燃えようとする刹那的なやる気と違うらしい。

 日常的に、あるいは、前に一度だけ。

 経験したことがあるような。

「「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーん…………」」

 同時に頭を抱えてしまう。

 二人の脇にいる少女はそれをとりなすことも出来ず、かといっておろおろするでもなく、仕方がなさそうに微笑んでいる。

「お困りかな、お嬢様がた」

 二人が顔を上げると、そこに微笑みながら立っていたのは花の魔術師……マーリンだった。

 いつの間に現れたのかとエリザベートは思う。実際にそう訊こうとしたが、相席良いかなと先手を打たれ、疑問を飲み込まされてしまった。

 結局二人がOKを出してもいないのに、マーリンは少女の向かい側、エリザベートの隣に腰を下ろした。

「なんだ貴様、笑いにきたのか?」

 挨拶すらなくやや剣呑にネロが問う。自分と違い、彼女の姿が見える訳でもなくここまで付き合ってくれたのだ、無理もないなとエリザベートは思う。

「まさか。ただのしがないボランティアだよ。何やらあちこち訊いて回っている子たちがいると聞いてね。つまり、きみたちの草の根活動の賜物がいまここに座っているこの私、というワケなのさ」

(良い匂い……)

 エリザベートは彼の横顔を見ながら関係のないことを思う。一緒に戦ったことは何度かあるがあまり喋ったこともなく、そんな今更の感想を抱いてしまっていた。

 長いまつ毛、ふわふわの髪。柔和なくせに感情の読み取れない被造物じみた貌。改めて不思議な雰囲気だ、等とぼんやり思い始めた頃、そんな視線に気づかれたのか、彼は彼女の方を横目に見、意地悪げに少しだけ微笑んだ。慌てて目を逸らす。

 その様子を伺っていたネロはますますむすくれた。

「貴様何を知っているのだ。カウンセリングなら、こちらは敢えて他を当たりたいぞ」

「なに、助けてあげたいと思っただけさ」

「答えになっておらぬ」

「何を知っているのかと訊かれても、何も知らないと答える他ないさ。何しろ、まだ何も君たちから事情を聞けていないんだから」

「…………」

 エリザベートは僅か逡巡する。あまり面識がない以上に、この男からは得体の知れない感じがする。

 ただ……と少女の方を見る。物に干渉することはできぬようで、頼んであげたカフェオレの嵩は変わらないまま。同じように、聞き込みが手詰まりなのは確かなことだ、と思い直す。

 けれど今までの数時間の経験が心に半分だけ蓋をした。

「どうせ、アンタも視えないんでしょう?」

「そこに、コーヒーがおいてあるよね」

 マーリンは嘘っぽく微笑む。

「けど僕には視えないなあ、その席にいるんだろうけど、全然わからない」

「ほら、アンタでも視えないということは、そういうことでしょう。私のアタマがおかしいってだけ。セイバーはそんな私の妄言に付き合ってくれたの。わかる?」

「うん、わかるよ。でも自暴自棄になるのはまだ早いさ。何故ってエリザベート、きみ、もう自分で答えがわかっているじゃないか」

「はあ?」

「きみの頭がおかしいってところだよ」

「…………」

 堪忍袋の緒が切れる音がネロにも聞こえた。エリザベートは拳を握ってマーリンに掴みかかったが、彼はちがうちがう、と弁明した。

「なーにが違うのだ」

 エリザベートの蛮行を止めようとするでもなく、呆れたようにネロは訊く。いつの間にか召喚された彼女の殺人マイクスタンドをぎりぎりの所で押し返しながらマーリンは答える。

「別段、頭がおかしくなったと言いたいんじゃないんだ。だってそれは元から――いや、そうじゃなく! エリザベートだけが視えているものならば、彼女の脳でしか認識できないことだろう。つまり、彼女の経験と記憶にあるものを元に、何かの要因で生きたものに見えているだけなのでは、と私は思ったんだ」

 彼にしてはやたら早口の説明にネロはほう、と僅かにテーブルから身を起こす。

「一理あるな。それならばランサーにしか視えぬ理由には説明がつく。――しかしな、急にそうなった理由はなんなのだ? 昨日まではそやつの姿など視えなかったのではなかったか、ランサー」

 エリザベートは鮮血魔嬢の形相で槍の柄をマーリンの方に押し込みながらもええ、と返す。

「そら見たことか。それを説明せぬ限り、貴様の言っていることは結局、ランサーが幻覚を見ていると言ったのと同じに過ぎぬ」

 マーリンはのらりくらりとエリザベートの攻撃――というか殺意のこもったじゃれつき――をかわしながら話す。

「それは、ネロ、きみと……エリザベートで、持ってるものの、違いを、考えれば……わかることだ。――ほら、落ちたよ」

 言いつつマーリンが拾い上げたのは、ちっぽけな一枚のカード。

 エリザベートは自分のスカートのポケットを抑えて手を止める。暴れている内に、そこにある筈のものを落としてしまっていた。

 それは、魔術回路めいた紋様の描かれた金属製のもの。

 マーリンはその表を返す。そこに刻みつけられた文字曰く――

 

 "Another Ending.(もう一つの結末)"

 

「概念礼装だと?」

 ネロはテーブルから身を乗り出した。

「それがランサーの見ているものに影響を与えたというのか」

 マーリンは何処か満足げに頷く。

「うん、そういうこと。結局、礼装は霊基に影響を与えるものだからね。簡単な帰結だろう?」

 でも、とエリザベートは食い下がる。

「どうしてその礼装だけが? というか、その礼装……私が子ジカに付けてもらったのと、違う……」

「おっと、色んなことがわかってきたねえ」

 困ったように微笑む花の魔術師。

「まあ、その礼装を誰がすり替えたのかは、もはや現在視の私にはわからないことだ。ただ、その礼装が取り換えられた時にエリザベートの認識が変わったのは確かなんだろうね。そして礼装に残っている魔力の残り香。そんな僅かな量しか残されていないということは……きっと、その子は声が出ないのではなく」

 マーリンはそこで何故か言い淀む。

 ネロが首をひねるのをよそに、エリザベートは直感的に、彼の言いたいことがわかった。

 改めて、少女の貌を彼女は見る。

 少女はやはり、さっきまでと同じように真っ直ぐにエリザベートを見返す。

 あるいは、今実際に彼女の姿を視ることが出来るからわかる。

 固いというにもおこがましいような強い決意、覚悟、どちらでもない……そう、一過性のエネルギーの発露、その場しのぎの火事場の馬鹿力としてではない、とてつもなく長い間維持され、積み上げ続けられたような、慣れ切った強い意志を感じた。

 どんな不自由に陥いろうと、自らの意志を護り通すことも、

 最後に伝えたいことを相手に伝えることも、

 それらはきっと、彼女の日常。

 無根拠に、エリザベートはそんなことをふと思う。

 いや、まるで難破船をサルベージするかのように、元あった語彙が概念を伝えて来た。

「声が出せないんじゃなくて――自分の意志で出していない。きっと私に伝えたいことを伝えたら消えてしまうのね、こいつは。だから、今まで何も喋らないでいただけなんでしょう?」

 回答する。マーリンは、彼にしては深く頷いて見せた。

「そう、私も同じ予想だ。魔術においては"言語"に近しいものほど記憶容量(メモリ)をたくさん使うんだろうね。姿形、動き、熱、固さ、嵩、柔らかさ、そして色彩……そういうものよりは遥かに多い。そしてどんな存在もそうしたものを消費しながら生きている。見た目や存在感を構成するものより"言語"に近い"声"を発露し、消費すると、彼女はたちまち消えてしまうんだろう」

 そこで彼は一度短く咳払いをした。

「だから多分、その子に目的があるとしたら、エリザベート、きみに伝えたいことを伝えるために、その時を待っているだけなのではないか、と私も思っている」

 流石に伝えたいことというのが何かまではわからないけどね、と彼は柔らかく微笑んだ。

 そんなもの、自分にだってわからない。予想がつかない。そうエリザベートは思うも口にはしない。その予想がつくなら、初めからこんな苦労はしていない。予想がついたらこの場でバラしていたのか、この男はと、改めてその非人間さに驚いた。

 ただ、ふと気づく。初めの少女への問いかけに対する答え――

 

 ――どこに行ったら良いのかもわからないんでしょう?

 これに少女はノーと答えた。首を横に振った。

 

 ――なら、行くべきところに行ったらどうなの。道案内もいらないでしょう?

 これにも彼女はノーと答えた。

 

 それらが、矛盾のない回答だったことにようやく気づく。

 初めから彼女は、自分の傍で何かを伝えるために待っていただけだったのだから。

 エリザベートのそんな説明に、ネロは訊く。

「礼装を取り換えるとどうなる?」

 二人は試しに礼装を交換してみた。しかし、エリザベートの視界から少女が消えることはなく、また、ネロの認識の中に彼女が現れることもなかった。マーリンは、

「礼装を初めにつけた時に入力が終わってしまったか……エリザベートにしか意味のない入力だったのかもしれない。まあ、私はあんまり魔術に明るくないから、予想でしかないのだけれどね」

「……会わねばならぬ相手な気がしたのだが。余も耄碌したか」

 礼装を元に戻しながら、彼女は無念そうに頭垂れる。けれどまあよい、とすぐに顔を上げた。

「何せ今日は貴様の……いや、なんでもない。なんでもないぞ」

 エリザベートは首を傾げる。しかしネロは、なんでもないからな! と明らかに慌てた様子で念押しする。

「とにかく視えないので自分で視ることは諦めたが、エリザベートよ。後でその者の似顔絵を描くがよい」

「そこまでして視たいものなの? なんというか……本当にただの地味な日系人よ?」

「ね、ネタバレ禁止! よくわからぬが、視なければならぬ。絶対に視る。そうしろという天啓がいま余に下っておる。絶対だからな!」

「良いけど、絵を描くものなんて私、持っていないけれど」

「画材ならば余のところにある! カンバスも油絵具も消しパンも何もかもあるぞ! なんならペンタブもある!」

「なっ……!?」

 流石にちょっとときめいてしまう。

 絵心なんてあったかしら? とエリザベートは自分自身に疑問に感じたのもつかの間、

「ねえ、い、今から描きに行ってもいいかしら……?」

 脊髄反射でそんな申し出をする。そんな彼女とは反対に、画題になるだろう少女はえっと顔を強張らせた。自分を置いてきぼりにして何かまずい談合が始まろうとしているのがわかる。何しろ時計は、もう夜の七時を回ろうとしていた。

 しかし、

「良いぞ、構わぬ。何せ、いつそやつがいなくなってしまうかわからぬからな。善は急げだ、行くぞランサー!」

 エリザベートはぱあっと顔を輝かせる。

 連行決定の瞬間であった。

 説得をするすべもない。少女は何もかも観念したのか、うなだれたまま手を引かれ、ネロの部屋に連れていかれることとあいなった。

 

 

 


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