五月の中旬。ここは更識家のとある部屋。そこには私服姿の刀奈さんと、刀奈さんの息子、流夏君と、ある男性がいました。
それは二十代前半か後半に差し掛かる男性であり、爽やかな男性でした。
白いシャツに青いズボンを穿いていました。そして、その人物は更識楯無、前の名前は織斑一夏であり、更識刀奈さんの夫であり、流夏君のお父さんであり、更識家の現当主でした。
しかし、当主でありながらもどこか恥ずかしそうでした。なぜなら……。
「うぐっ、ちゅぱ、うぐっ、ちゅぱ」
「う〜〜ん」
「ふふっ」
流夏君はお母さんの刀奈さんに授乳されていたのです。ですが、気持ち良さそうに音を立てていました。
妻の刀奈さんはお父さんの前で流夏君に母乳を与えていました。でもでもお父さんの楯無さんは少し恥ずかしそうでした。
それもその筈です――楯無さんは妻が自分の目の前で息子に母乳を与えているのです。
これにはお父さんも恥ずかしいに決まってますが、お父さんは誰にも見せない様に奥さんを自分の目の前に正座させていたのです。
「なぁ刀奈? もうすぐ終わるか?」
「まだよ? それに急かさないの? 流夏が困るでしょ?」
「それはそうだけど……刀奈の肌を、授乳を誰にも見せたくない」
楯無さんはそう言うと、少し恥ずかしそうに俯きました。耳まで真っ赤にしていますが楯無さんは刀奈さんを、最愛の奥さんを大事に思っているからこそ、そう述べたのです。
結婚して数年、楯無さんは楯無を襲名してから、楯無だった刀奈さんを大事にしない日はありませんでしたから。
楯無さんの言葉を聞いた刀奈さんは微笑むと『貴方』と楯無さんを呼びました。
「う? ……っ!?」
あらあら、楯無さんが顔を上げた直後、刀奈さんは楯無さんにキスしました。
それは不意打ちとは言え、楯無さんは刀奈さんの行動を素直に……いえ、突然的な事で驚いていますが刀奈さんは頬を紅くしながらクスッと笑いました。
「うふふ」
「……か、刀奈〜〜」
楯無さんは刀奈さんを見て恥ずかしそうに声を上げました。ですが、刀奈さんは微笑んだ後、視線を流夏君へと向けます。
流夏君は今だ母乳を飲んでいますが……あら? 流夏君はお腹いっぱいなのか飲むのをやめたみたいにお母さんの胸から放れました。
「あら? 流夏、もう飲まないの?」
刀奈さんは流夏君の様子に気付きましたが流夏君はお母さんを見ると「うわぁ〜」と何かを訴えるように言いました。
これには刀奈さんは微笑むと、楯無さんに差し出します。
「はい、貴方。私、服を整えたいから抱っこしてて」
「あっ、あ、ああ」
楯無さんは刀奈さんから差し出された流夏君を抱き締めると、流夏君を見ます。
「あうう〜〜あわぁ〜」
流夏君はお父さんに抱っこされていると思っているのか笑っています。これには楯無さんは笑います。我が子の笑う姿は父としての喜びでもありました。
でも、楯無さんは家族は姉しかいませんでした。両親は幼い頃に蒸発してしまい、姉弟の二人で生活していました。お姉さんは……千冬さんは自分のために家計をやりくりしたりしていて、楯無さんはそんな姉を助けるべく家事をしていました。
二人で生きていくしかなかったのです。ですが周りも助けてくれたりしていました。寂しくはありませんでした。今の自分がいるのも周りのおかげでした。
ふと、楯無さんは目を閉じました。周りのことを思い出しているのです。IS学園で出会った幼馴染みにイギリス、フランス、ドイツからやってきた級友達。そして妻の刀奈さんの妹である簪さんや二人の従者達に同級生や先輩方、教員方。色んな人を思い出していました。
苦しくも楽しい思い出がありました。楯無さんはその思い出に耽っていました。
「貴方、貴方?」
そんな中、楯無さんを誰かが呼びます。妻の刀奈さんでした。楯無さんは妻の呼ぶ声に我に返る意味で現実に引き戻されると、刀奈さんを見ました。
刀奈さんは服を整え終えていたのです。しかし、夫の様子に気づきキョトンとしていたのです。どうかしたの? そう訴えていたのです。そんな刀奈さんに楯無さんは微笑みました。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない……ただ」
一夏は流夏君を見ます。流夏君はお父さんに甘えるように抱き着きながら笑っていました。天使のような無邪気な笑顔に笑い声。それだけでも父親としての喜びを感じました。
「嬉しいんだ……父親になるって言うのは……」
楯無さんはそう言いながら流夏君は人差し指を差し出します。あらあら? 流夏君ったら、お父さんの人差し指を両手で掴みながらじっと見ていました。
誰の手なんだろう? そう思っているみたいです。そんな流夏君に楯無さんは微笑みますが刀奈さんも釣られるように流夏君の行動を見て微笑んでしまいました。
我が子の行動に親としての喜びを表していました。
「なあ、刀奈?」
「何?」
刀奈さんは楯無さんを見ます。楯無さんは流夏君を見続けながらも視線を刀奈さんに向けました。
「ありがとう……流夏を産んでくれて」
楯無さんはそう言いました。嬉しくもどこか恥ずかしそうでした。父親としての喜びと愛する妻が我が子、流夏を生んでくれたことへの感謝の言葉でもありました。
そんな楯無さんの言葉に刀奈さんは目を見開きますが直ぐに微笑むと、首を左右に振りました。
「違うわ、それは違うわよ?」
「えっ?」
楯無さんは目を見開きますが刀奈さんは流夏君を見ます。
「違うわ……貴方の言ってることは間違っているわよ?」
「それって……どういうこと?」
「……だって」
刀奈さんは一夏さんを見ます。そして言葉を続けました。
「だって私も感謝してるのよ?」
「えっ?」
楯無さんは驚きますが刀奈さんは笑みを崩さないまま言葉を続けました。
「私もね……嬉しいのよ……流夏が生まれて、母親としての喜びを感じたのよ」
「母親……」
「ええ。流夏は私と貴方の大切な宝、それだけでも嬉しいのよ。母親になれただけでなく、貴方の妻になったことや、貴方が私のために楯無を継いでくれたことにも」
「……刀奈」
楯無さんは哀しそうに笑います、刀奈さんの言葉が嬉しかったのです。ですが刀奈さんは言葉を続けます。
「私は貴方の妻で、流夏の母親。それだけでも充分幸せ、でも、貴方や流夏と過ごす時間はもっと嬉しい……それに」
刀奈さんはとびっきりの笑顔で言いました。
「ありがとう! 私に幸せを与えてくれて……ありがとう!」
刀奈さんはとびっきりの笑顔でそう言いました。彼女なりの本音でもありました。楯無……いえ、一夏さんの妻になったことを誰よりも嬉しく、流夏君を産んだことで母親になれたことを誰よりも嬉しく感じたのです。
一夏さんの妻になれた。流夏君を授かった。それだけでも幸せなのです。そんな刀奈さんを観た楯無さんは驚いていましたが直ぐに微笑むと、深く頷きました。
「刀奈……ありがとう」
楯無さんはそう言いました。妻の言葉を嬉しく思っていたのです。結婚して、彼女を伴侶にして良かった……再びそう思ったのです。
「う、にゅ……」
あら? 流夏君ったら声を上げてしまいました。二人は流夏君を見ると、流夏君は眠たそうに瞼を閉じていました。お腹いっぱいだったのです。
そんな流夏君に二人は微笑みますが楯無さんはあることを思い出し、刀奈さんに訊ねました。
「そうだ刀奈、お願いがあるんだ」
「何かしら?」
刀奈さんは楯無さんの言葉を聞いて首を傾げました。すると、楯無さんは流夏君を差し出しました。
「流夏を抱いてくれ」
「えっ? いいけど……」
刀奈さんは楯無さんから流夏君を受け止めると、流夏を見て微笑みます。流夏君は眠たそうでありました。
「刀奈……ここに来てくれ」
「えっ?」
刀奈さんは楯無さんの言葉を聞いてキョトンとしながら楯無さんを見ました。一方、楯無さんは自分の膝を指差していました。
「……あっ、ふふっ、ええ!」
刀奈さんは何かに気づいたのか立ち上がると、楯無さんの膝の上に座りました。そうです、楯無さんは流夏君を刀奈さんに頼んだのは、刀奈さんを膝の上に座らせるためでしたのです。
自分の膝の上には妻の刀奈さん。刀奈さんが抱っこしているのは我が子、流夏君。愛する妻と我が子を同時に膝の上に座らせる意味でもそうしたかったのです。
刀奈さんは楯無さんの言葉に気づきましたが楯無さんに対して横向けになる意味でも膝の上に座ります。一方、楯無さんは刀奈さんの背中に手を回しました。
落っこちないようにするためでした。刀奈さんは楯無さんを見て微笑んでいます。頬を微かに赤くしていました。嬉しかったのです。
そんな刀奈さんを楯無さんは嬉しそうに微笑んでいました。二人は互いの相手を見合っていました。
「……す〜〜」
おや? 流夏君たら寝息を立ててしまいました。お母さんの腕の中が気持ちよかったみたいです。これには二人も気づきましたが、我が子を微笑ましそうに見ました。
我が子が安心そうに眠っている。それだけでも親としての喜びを感じました。ですが……そんな流夏君を見た後、二人は何を思ったのか、再び互いの相手を見合いました。
「「…………」」
二人は何も言わず見つめ合うと、顔を近づけ……キスをしました。とても長くもなく、短くもありません。少し経った後、離れました。
どちらも頬を赤くしていました。そして、再びキスをしました。今度はとても長かったのでした。
でもそれは……二人が互いを愛し合っている証拠でもあるため、それを行動で表す意味でもありました……。
そんな二人に流夏君は寝ていますが、二人の愛情を受け継ぐ限り、立派な子になりますね……。