「…………」
「うふふ!」
ある日の正午、更識家の流夏君と春奈ちゃんの遊び部屋。そこには、従者の一人であり、流夏君の子守りでもある黒影さんがいました。流夏君は青い肉食恐竜で遊んでおり、楽しそうでした。
そんな彼を黒影さんはじっと見ていましたが何も言いませんでした。自分は流夏様を守る——それだけなので、それ以外の感情は、あまり持たないようにしていたのです。
しかし、流夏君は黒影さんに近づきました——白い草食恐竜のロボを持って。
「く〜〜ぼ〜〜」
あらあら、流夏君ったら黒影さんに一緒に遊んで欲しいと、白い草食恐竜を差し出していました。一人で遊ぶよりも、二人で遊んだ方が良いと思ったのです。
妹の春奈ちゃんも一緒にいたのですが、妹の春奈ちゃんはぐずった為に、一緒にいた従者の女性が奥様の方へと連れて行ったからです。
でもでも、黒影さんは流夏君の行動に何も言わず、視線を逸らしました。一緒に遊ぶ気は無く、そう言ったことはあまりしないからです。
「く〜〜うにゅ?」
流夏君は黒影さんの行動にキョトンとしていました。でも、黒影さんは視線を逸らしたままある事を考えていたのです。
それは亡き妹さんのことでした。両親を喪い、たったひとりの家族をも喪ったからです。本来は妹の役目なのに、自分はこんなことをしている——やりたくはない訳ではなく、約束したからです。
だけど、自分に出来るのか? 妹の方が上手いのでは? そんなことを考えていました……ですが、そんな中、流夏君は彼の気持ちを察したかのように……。
「く〜〜よ〜〜よ〜〜」
あら? そんな黒影さんの頭を流夏君はポン、ポンと叩きました。キョトンとしていますが、黒影さんは流夏君の行動に驚きもせず、じっと見ていました。
まるで、自分の心情を察し、自分を気遣っているようにも思えました。二つのつぶらかな瞳は黒影さんを見ている中、流夏君は黒影さんの頭を優しく叩き続けています。
可愛くて、何処か気遣っている——そんな感じがしました。流夏君の行動に黒影さんは見続けている中、ある異変に気づきます。目尻が熱く、その何かは触らなければ、いえ、頬を伝っていたのです。
黒影さんはそれを、頬に伝う何かを触りました。冷たく、水のようにも思えました。それを見て、液体であることには気づきました。それが何かは直に分かる、いえ、分かっていたのです。
それは、涙でした——自分はいつの間にか、気づかない内に涙を流していたのです。悲しいことや苦しいことがあると、自然と流す。感動すれば流れる——生理的なことですが、黒影さんは涙を流していたのです。
冷たくも、とても温かく、心が洗われる感覚に陥りました。子供の頃から影の世界で生きて、闇夜の世界で暗躍する自分には似つかわしくない物を、彼は流していたのです。
黒影は何も言わずに、驚きもしない中、流夏君を見ます。未だにキョトンとしている中、彼は、黒影さんは妹の言葉を思い出しました。病室で二人きりの時でした。
長い黒髪に美しい容貌の二十代女性。大和撫子を沸騰とさせる姿に誰もが振り返る程の綺麗な人でした。それが黒影さんの妹である、楓さんという女性でした。
『お兄ちゃん、私思うの——流夏様は当主様と奥様の血を受け継いでいるけど、その子、とっても強い子だと思うの』
『……憶測だろ?』
『そんなことないわ、流夏様は奥様が春奈様の相手をしても、奥様が平等に愛しても、流夏様はぐずる様子もなかったわ』
『……』
『まるで、春奈様を認識しているし、守るべき対象としても見ているようにも思えるの——お兄ちゃんみたいに』
『……流夏様とは違う』
『そんなことないわ、流夏様はお兄ちゃんと同じお兄ちゃんとしての役目を自覚しているようにも思えるの——お兄ちゃん、流夏様は強い子よ、当主様よりも、いえ、当主様を超える大きな器を持っているようにも思えるわ』
『……』
『流夏様は更識家を……それにお兄ちゃん……もしも私に何か遭ったら、流夏様を』
「…………」
刹那、黒影さんは目を閉じると、俯きました。その言葉の先を思い出したくなかったからです。あの発言は、妹の遺言にも近く、今の状況になっているのも、流夏君や春奈ちゃんの子守りを松岡さんと、他の女性従者と一緒にやっているのも、楓さんの意志を継いだからです。
忍びの人でありながら、流夏君を守っているのも、楓さんとの約束だからです。黒影さんは亡き妹・楓さんを思い出す中、流夏くんは松岡さんの顔を覗くと、彼の頬を触りました。
黒影さんがそれに気づき、目を開け、流夏君を見ました。彼は、流夏君はキョトンとしていましたが黒影さんに対し、ニパッと笑いました。
そして、また、彼の頭を優しく叩きました。
「く〜〜よ〜〜よ〜〜え〜〜お〜〜」
その言葉に黒影さんは目を丸くしました——そして、目を閉じると、そのまま流夏君を抱きしめたのです。
「うにゅ〜〜? く〜〜?」
流夏君は黒影さんの行動に驚きもせず、キョトンとしており、首を傾げていました。どうしたの〜〜? と思っているみたいです。
しかし、黒影さんは流夏君を愛しそうに、守っているように抱き包んでいたのです。彼がそうしたのも、言え、そうしたくなったのには理由がありました。
楓さんを喪い、それを周りに吐き出すことも、甘えることも出来ない彼が唯一、心の拠り所を得たようにも思えたからです。流夏君の優しさに、少しは心を奪われ、救われたからです。
流夏君を抱きしめている中、流夏君はまた、彼の頭を優しく叩きました。
「じょ〜〜じょ〜〜」
流夏様は黒影さんを慰めていました。一切半とは思えない程、優しい子になっていました。同じお兄ちゃんとして、彼に何かを抱いたのかもしれません。
でも、黒影さんを救った——流夏君は知らないうちにそんなことをしていたのです。黒影さんは声を上げず、声を殺すように涙を流していたのです。
亡き妹・楓さんを思い出し、泣いていたのです。流夏君は黒影さんを慰めている中、黒影さんは流夏君に甘え、今までの哀しみを吐き出していたのでした。
「おいおいおいおい!? 奥様は良くて、舞も良くて、俺はダメなの!? ってか見る気ないからな!」
「ワン!(あったり前だバカ! 春奈様の授乳を見ようなんざ百年はええよ!)」
「クゥ〜〜ン(春奈〜〜ちゅぱちゅぱ飲んでまちゅね〜〜)」
その頃、別室では松岡さんは二匹のドーベルマンの内、ポチに血走った目で睨まれ、威嚇されていました。クロは刀奈さんに授乳されている春奈ちゃんを愛しそうに見ていました。
そして、近くには長い黒髪を伸ばした、お淑やかな女性がいました。二十代前半の若い女性でした。黄緑のブラウスに、膝まである緑色のスカートを穿いていました。
その女性は春奈ちゃんの子守りをしたりする従者なのです。春奈ちゃんを連れてきたのは彼女ですが、松岡さんは刀奈さんに当主様がお呼びだと伝えにきたのですが、部屋にはポチとクロがいましたが、ポチに睨まれていたのです。そして、こんな状況になったのです。
春奈ちゃんはちゅぱ、ちゅぱと音を立てていましたがクロを見ていました。刀奈さんは春奈ちゃんを見て微笑んでいましたがクロを見るとニコッと笑いました。
クロはにへらぁ〜〜と頬を緩めていましたが飄々とした性格をしており、ポチとは全く正反対な性格をしていました。ポチとクロは双子でありますが流夏君と春奈ちゃんの兄妹を守ることは誰よりも強く、強い気持ちで一杯なのです。
ポチは春奈ちゃんやお母さんであり、自分達が仕える当主の奥様でもある刀奈さんを松岡さんから守るように威嚇し、クロは春奈ちゃんを見て頬を緩めていたのでした。