世界を書き換えかねない存在。
そう言われて、咄嗟に思い付く人物や存在。菊代が思い付くのは実の母と、何があっても口にはしないが、もう一人の母とも言える人物、パイプを咥わえる変人だ。
「……ふむ、成る程」
その変人、ナジェーリア・リトリアが目を細めて、パイプを燻らせ頷く。普段の奇行や奇言で、そうは思えないが、仮にも世界最大国家最強の魔女。何か分かった事があったのだろう。
頷き、受話器を手に取り、本体に置き直した。
「まったく、またおかしなクスリを、やっていたみたいだね? 彼奴には困ったものだね」
「怒られますのよー!!」
菊代が叫べば、また受話器が暴れだした。
溜め息混じりに、ウルレイカが受話器を手に取り、本体に立て掛ければ、低くなったテレジアの声音が聞こえる。
『……おうコラ、ナジェーリア? 妾も気は長い方じゃが、ここまで嘗めくさった態度じゃと、すこーし考えがあるぞ?』
「はっはっはっ、今回は君が悪いよ? 同志軍曹が世界を書き換えかねないなどと、何時かの君の様に、また怪しげなクスリに、手を出したと疑われても仕方がない」
受話器に紫煙を吹き掛け、パイプを口の端に咥わえる。年季の入ったそれは、暖炉を火を反射し、黒々と光る。
それを手で弄りながら、ナジェーリアは事態に追い付けていない、シルヴィアに目をやる。
――この娘が、世界を書き換える?――
何かの冗談だろう。この娘に、そんな大層な力があるとは、とてもではないが思えない。だが、リューヌの性能が上昇し、そのリューヌの最近で、何か変わった事と言えば、あの会合での襲撃。そこでのシルヴィアの護衛だろう。
しかし、あの会合での変事は、二人の魔女による襲撃のみ。
「同志軍曹が、ねえ?」
「え? なんですこの空気? わ、私だって、やる時はやるですよ?!」
「そこで疑問系入るから、ダメなんだって、ボク思うな」
「言ってやるな、ルーデルハイト。……奴なりに必死なんだ」
ちらと、眇でナジェーリアに見られ、リーリヤとルーデルハイトからは憐れまれ、菊代はさっと目を逸らされた。
気まずい。今になって考えてみれば、自分以外は全員がネームド魔女の集団だった。
平凡以下は自分だけ、これでは自分が何を言っても、ただのみそっかすの戯言にしかならない。だがそれよりも、受話器の向こうから、もたらされた話題の方が重要だ。
「そ、それで、世界を書き換えかねないって、どういう意味なんですかよ?」
「言葉が乱れているよ。同志軍曹」
ナジェーリアは皆が思っているより、言葉遣いに厳しい時がある。多分、いいとこの出だからだろうが、リトリアという家は、彼女以外に聞いた事がなかった。
だからきっと、両親が厳しかったのだろう。だから、普段の奇行と奇言は、その反動なのだろう。
『……いまだ仮説の域を出んが、〝エーテル活性体〟という、正直な話、存在が眉唾なもんじゃな』
「ああ? エーテル活性体だぁ? あんなもん信じてたのか、ディートリッシュ公?」
「エーテル活性体? なにそれ?」
側の菊代を見るが、彼女も首を傾げている。ナジェーリアはパイプを燻らしながら、怪訝な目を受話器に向けていた。
知らぬのは、自分、シルヴィア、菊代。
知っているのは、テレジア、リーリヤ、ナジェーリア。
ある一定以上の世代が反応を示す単語、ウルレイカはエーテル通信を開き、身近な同年代の魔女に問う事にした。
荒鷲¦『ねえ、整備班長』
鉄火¦『あ? あ! おい小娘! お前いつ戻る?! カノン・フォーゲルの整備と調整が進まんだろうが!』
荒鷲¦『後で帰るから。今はほら、エーテル活性体っての教えてよ』
鉄火¦『エーテル活性体? また、変なもん覚えたな。誰だ? ナジェーリアだな?』
荒鷲¦『そこで迷わずリトリアの名前が出る辺り、昔から変わってないって理解出来るね。まあ、ちょっと今会議みたいなので、その単語が出てきてさ』
溜め息が聞こえた。
鉄火¦『いいか、ルーデルハイト大佐。エーテル活性体なんざ、信じる価値も無いガセだ。あんまり、若いうちから、んな与太話信じてると、碌な大人にならんぞ』
荒鷲¦『酷い言われようだぁ。というかなんで、信じる価値も無いのさ?』
鉄火¦『あ? 簡単な話だ。不変不滅が絶対のエーテルの質と量を、思うままに活性化させる。そんな有り得ん存在が、エーテル活性体だ。つうか、早く帰ってこい。お前が処理しなきゃならん書類が……』
そこまで聞いて、ウルレイカはエーテル通信を切った。
取り合えず、話を聞いて分かったのは、信じる価値も無い与太話だったという事。
だが、リューヌの急激な性能上昇の理由にはなる。
「あの、ディートリッシュ陛下? エーテル活性体って、子供が信じるスゴい存在、みたいなものですわよね?」
『そうじゃな。その認識で間違っておらん』
「しかし、その様な話、信じられるのですか?」
『妾とて、そのままを信じてはおらん。だがの、エーテル生物の性能を上げる。この意味が解るか?』
「……成る程」
エーテル生物の性能は、その成り立ちにより差は出るが、最大の上限が決まっている。人間などの生物とは違い、それ以上は強くなる事は無いし、弱くなる事も無い。その体を構成する、エーテルと同じく不変であり、活動を停止させられない限り不滅でもある。
そのエーテル生物である、リューヌの性能が上昇した。
そして、それにシルヴィアが関わっているかもしれない。
「しかし、同志軍曹。何時の間に、そんなスゴ技を覚えたのかね?」
「え? そんな子供でも解る、不可能パワーある訳無いじゃないですか」
「まあ、この仮説ぶっぱなしたの、どんなすっとんきょうだよって話だよね」
「私達の若い頃は、マジで信じる連中が湧いたな」
「ああ、確かにそうだったね。同志大尉の同期だったが、あの後、ちょっと脳の病院に……」
『お主ら、遠回しに喧嘩売っとらんか?』
「でも、リューヌさんの性能が、上昇したのは事実ですわ」
菊代の言葉に、シルヴィア以外の全員が頷き、彼女に視線を集中させる。
テレジアのエーテル活性体云々自体は、正直どうだっていい。本人も鵜呑みにしている訳ではない。
だが、実際に起こり得ない事が起こり、それを起こし得たのは、彼女しか見当たらない。
「……解剖?」
「な、何か恐ろしい事言い出しましたよ……!」
ウルレイカの言葉に後退る。だが、その未来はあり得る未来だ。
「将軍、将軍助けてください!」
「はっはっはっ、同志軍曹。私の後ろに居給えよ」
シルヴィアがナジェーリアの背後に隠れると、彼女の銀髪が揺れた。
まったく手の掛かる、ナジェーリアは紫煙を、溜め息代わりに吐き出し、ふと部屋の隅にある作業机を見た。
なんの事は無い。魔女魔導師の家になら、必ずある家具だ。そこには彼女の祖母の物だろう器材と、キセルと何かしらのケースが置かれている。
「時に同志軍曹、君の祖母殿は、如何様な魔導を得意としていたのかね?」
「へ? 祖母なら、私と同じ生活魔導でしたよ。あ、あと占い」
「ふむ」
ナジェーリアが作業机に向かい、木製のケースを掴み、その蓋を外す。
「カード占いかね?」
「あ、はい。何処で手に入れたのか、出所がいまいち分からないんですけど……」
「確かに、見た事の無いカードだね」
菊代達に手渡し、検分させれば皆が頷いた。カード占いは王国と共和国で盛んだが、他の国にもあり、大体がその国の神話や、故事に倣った絵柄で、その組み合わせや位置の反転で占う。
だが、シルヴィアの祖母のカードは、そのどれでもなく、男が吊られていたり、やけに偉そうな衣裳の男や女、戦車に月や太陽といった、何を示しているのか理解出来ないものだった。
「見覚えのある者は居るかね?」
「見た事は無いな。軍曹」
「ひゃい!」
何故か噛んだシルヴィアが返事し、リーリヤが睨む。
「貴様の祖母は、何処でこれを手に入れた?」
「いや、それは私にも……」
「分からんか」
勘だが、恐らくこのカードが手掛かりになる。
両親を知らないシルヴィアの、唯一の肉親。その祖母が遺した謎のカード。可能性は高い。
『では、妾の方でもそのカードは調べてみるかの』
「テレジア、頼んだよ」
『まあ、期待せずに待っとれ。娘、己の事じゃ。己でも調べよ』
「は、はい!」
受話器からの声が途切れ、燃える薪の弾ける音が部屋に響いた。
ナジェーリアは手にした、襤褸を纏った骸骨が、長柄の大鎌を持ったカードを見て、
「まあ、あまり気分の良い絵柄ではないね」
紫煙と共に呟いた。