不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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第二十話 せめて心は

気が付けば、男は既に不死人であった。人であった頃の記憶はとっくの昔に消え失せ、あるのは泥と血に塗れた今だけだった。

 

『お前さんはあの朽ち果てた門へ辿り着く。望もうが、望むまいが―――』

 

どれほど歩いたのか。光に惹かれる羽虫のように、男は朽ち果てた門(そこ)へ辿り着いた。そしてその先で渦を巻く水流の底へと、男は身体を躍らせる。

 

『やがて失くした事すらも思い出せなくなったら、お前さんは人じゃないものになる』

 

浮遊感にも似た感覚を味わいながら、小屋で出会った老女の言葉が脳裏をかすめた。

 

男はまだ人だった。

 

 

 

遥か北の地、貴壁の先。失われた国、ドラングレイグ。人の理を取り戻す“ソウル”と呼ばれる力を求め、男は果てしない戦いの日々にその身を投じる事となる。

 

襲い来る亡者、デーモン、闇霊、巨人、そして特別なソウルを持つ者たち。男はその全てを屠っていった。

 

時には瘴気を纏った竜を屠り、過去の反逆者を屠り、そして混沌に灼かれた白き王をも屠り去った。

 

無論、無傷では済まなかった。何度も死に、その度に生き返る。幾度となく繰り返される流れの中で、それでも男が自我を保てていたのは奇跡と言う他ない。

 

旅路の中では出会いもあった。槌を振るい続ける者、同じ目的を持つ者、武者修行をしていると言った者。他にも多くの出会いがあり、白霊として共闘する事もあった。

 

最初は仲間らしく振舞っていたのだろう。しかし時が経つにつれて、そう言った考えは頭から抜け落ちていった。辛うじて仲間の上っ面を保てていたのは、せいぜい()()()()程度だ。

 

人間らしい考え方は出来ているのか?それを疑問に思い始めたのは、果たしていつ頃からだったであろうか。

 

気が付けばそんな事ばかり考え始めたのは、果たしていつ頃からだったであろうか。

 

まだ自分は人なのか―――男には分からなかった。

 

 

 

遂に開かれた最後の扉……『渇望の玉座』。

 

玉座の守護者と監視者を倒した後に待ち受けていたのは、深淵の落とし子にして偉大なソウルを渇望する異形の王妃だった。ドラングレイグの王を唆し、彼に巨人のソウルを簒奪させた張本人でもあったこの化け物は、男にこう言い放つ。

 

『今こそ、闇と一つに』

 

そう。

 

特別なソウルを持つ者たちを打ち倒し、それらを己が糧とした不死人を喰らう。それこそがこの化け物の目的だったのだ。その企みに勘付いたドラングレイグの王の時には果たせなかった悲願を、今度こそ果たそうと言うのだ。

 

戦いは必然だった。互いの得物が互いの肉を切り裂き、血とソウルを周囲に振り撒く。やがて冷たい地面は黒い血で染まり、そこに化け物の身体が崩れ落ちた。

 

男は勝利した。全てを渇望した深淵の落とし子は、最後の最後で全てを奪われる事となったのだ。

 

しかし、強大なソウルを手にした男の心は動かない。戦いに勝利した喜びも、まだ自我を保てている安堵も、何の感慨も浮かばなかった。

 

頭の中にある事はただ一つ。

 

“まだ俺は、人なのか?”

 

幾度となく繰り返してきた自問は、未だに頭の中を渦巻いていた。

 

 

 

『かつて、幾多の王が現れた』

 

その場に立ち尽くしていた男は、背後から聞こえてきた声に振り返る。

 

その声は旅路の中で何度か耳にした事があるものだった。地面から湧き上がるようにして現れたそれは、燃え盛る枯れ木の身体を起き上がらせる。

 

『ある者は毒に呑まれ、ある者は炎に沈み、そしてある者は、凍てついた地に眠る。一人として、この地に辿り着く事なく』

 

語り出した異形はその見た目に反し、非常に静かで理知を帯びた声色をしていた。全てを悟り、遥か天上から人々を見下ろす存在であるかの如く、男に迫る。

 

『試練を超えた者よ……答えを示す時だ』

 

異形は鎌首をもたげるようにして無数の触手を蠢かせ、浮遊する炎を周囲に展開した。

 

連戦に次ぐ連戦。疲弊しきり、武器も半ば壊れかけている。そんな絶望的な状況にも関わらず、男は地を蹴って走り出した。

 

猛攻を躱し、防ぎ、いなし、なけなしの力で壊れかけの武器を振るう。朦朧とした意識の中で繰り広げられた為か戦闘の記憶はなく、ただ動いていた、という覚えだけがあるだけだった。

 

しかし、その瞬間だけははっきりと覚えていた。

 

かつて因果に挑み、果たされず、ただ答えを待つ者……アン・ディール。又の名を『原罪の探究者』。燃え盛る枯れ木の異形と成り果てた彼の瞳と己の瞳とが交わった、あの瞬間だけは。

 

『―――』

 

「―――」

 

そこに言葉はなかった。代わりとばかりに男は剣を、原罪の探究者は触手を振るう。

 

そして―――――。

 

 

 

男はまたしても勝利した。

 

原罪の探究者は最期に何やら問いを男へと投げかけ、そして消えていった。何を言っていたのかなどは、もはや知る由もない。

 

その場に立ち尽くしていた男は顔を上げ、正面を見据える。目の前には深い絶壁を隔てて、石造りの巨大な炉のようなものがあった。入口に当たる場所には巨大な扉が設けられており、それが外見に対して不釣り合いに仰々しかったのを覚えている。

 

男は吸い寄せられるようにその場所へと向かって歩き出した。絶壁に近付くと周囲に立っていたゴーレムが動き出し、互いに組み合って男が歩くための道を作った。まるで、王が歩くべき道であるかの如く。

 

炉の前まで来るとひとりでに、その大扉は迎え入れるように開いた。

 

外開きの扉の先にあったのは灰で覆われた地面と、中央に置かれた簡素な岩の玉座であった。人が座るには大きすぎるそれは、無理に人が座る形に合わせたような痕跡が見えた。もしかすると後になって新たに削り出されたものなのかも知れないが、そんな事はどうでも良かった。

 

男はもう疲れ果てていたのだ。終わりの見えない不死の旅路に。

 

最初の頃に抱いていた呪いを解くという悲願は、もはや希薄になっていた。繰り返される戦いの日々の中で人間らしさはすり減り、摩耗し、徐々に消失していった。遂には自分がまだ人であるのか、その自信すら失ってしまった。

 

過去の事はもう思い出せない。故郷の景色も、家族の顔も、己の名前さえも。そこまで忘れてしまった存在を、一体どうして“人”などと呼べるだろうか。

 

その結論に至った瞬間、男はついに諦めた。皮肉にもそれは長きに渡った旅路の終着点……つまり、岩の玉座の前であった。

 

男は玉座に腰を落とした。歩き疲れた旅人のように。脳裏を何者かの()()がちらりと掠めるも、もはや気にも留めない。

 

それと呼応するように、開いた巨大な扉がひとりでに閉じてゆく。

 

ゆっくりと遮られてゆく光。暗い炉の中に閉じ込められる恐怖を、しかし男は感じなかった。否、もう何も感じなくなってしまったのかも知れない。

 

恐怖はなかった。自分はもう“人”ではなくなったのだから。

 

そうして男は瞳を閉じ、一切の光が届かない炉の中で静かに座り続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パチッ、と、松明の火が弾ける。

 

自身の事を語り終えたファーナムを迎えたのは、痛いほどの静寂だった。彼の言葉を黙して聞いていた二人の胸中には、複雑な思いが渦巻いている。

 

不死人という存在、ソウルという概念。そして亡者やデーモンといった異形の存在で溢れ返った、終末じみた世界。あまりに荒唐無稽で突飛な話であったが、神であるウラノスにはそれが事実であると理解できてしまったのだ。

 

ファーナムの話を聞き、未だ沈黙しているフェルズに代わってウラノスは口を開く。

 

「驚かされた。お前がただの冒険者ではない事は分かっていたが……よもや、我らが知りもしない存在であったとは」

 

「それも無理はない。どうやらこの世界は、俺がいたあの地とは根本的に異なるようだからな。この世界にソウルという概念すら無いと理解した時から、そんな気はしていたが」

 

ダンジョンを千年もの間監視し続けてきたウラノスですらも知らない出来事。多くの神々の中でも“大神”とも呼ばれる彼が知らないという事は、既に事情を聞かされているロキとへファイストスを除いた全ての神が知らないという事を意味する。

 

正真正銘の“未知”の存在。もしもこの事実が明るみに出れば、ファーナムはたちまち他の神々に付け狙われるだろう。そうなれば、彼を巡っての争奪戦がオラリオで勃発しかねない。

 

ファーナムの正体だけは絶対に秘匿する。娯楽に飢えた神の執念深さを熟知しているウラノスは、胸中で密かにそう決意した。

 

「……一つ、良いか」

 

と、ここで、今まで沈黙していたフェルズが声を発した。彼は顔を伏したまま、漆黒が広がるフードの奥から問いを投げかける。

 

「なんだ」

 

「不謹慎な事だというのは重々承知している。だが、どうか言わせてくれ……正直に言って、私は君が羨ましく感じた」

 

その言葉に、さしものウラノスも眉をひそめる。

 

今しがた聞かされたファーナムの凄惨な旅路。来る日も来る日も戦い続け、徐々に人間らしさが消失してゆく恐怖と隣り合わせの生。その元凶となった“闇の刻印”が刻まれ、不死人となった彼が羨ましいなど、普段の彼からは考えられない発言だ。

 

が、同時に理解する。

 

フェルズがどのような過去を歩んだのか、それを知っているが故に。

 

「何故、そのような事を?」

 

口を開いたファーナムの言葉は硬質で、僅かに冷たかった。

 

多少の非礼で怒りを覚える程、ファーナムは血の気が多くない。しかしそれは飽くまで“多少”だ。フェルズの言葉が単純な好奇や軽々しい興味から出た言葉であれば、流石のファーナムも黙ってはいられない。怒りに任せる事はしないが、今後の関係は確実に悪化するだろう。

 

刺々しい空気が漂い始める中、フェルズは伏いていた顔を上げる。視線をまっすぐにファーナムへと向けた彼は、唐突にこう切り出した。

 

「……私は、魔術師だった」

 

それはフェルズの過去であった。

 

ファーナムが己の事を語ったように、今度はフェルズが、自身について語り始めたのだ。

 

「かつて私は魔法大国と呼ばれる場所にいた。そこでは様々な魔法の研究が進められており、多くの者たちがその叡智を深めようとしていた」

 

「……」

 

「私もその例に漏れず、誰よりも魔法の高みを欲した。無限の知識が欲しくて、欲しくて……しかしそれを得るには、人の生は余りに短すぎた。だからこそ求めたんだ、永遠の命を」

 

「永遠の命だと?」

 

未だに堅いファーナムの言葉に、フェルズは怖じる事なく肯定の意を込めて首を縦に振る。その姿がどう見えたのか、ファーナムは先の質問の意味を吟味し、見定めるように目を眇めた。

 

ウラノスが黙して見守る中、フェルズの言葉は更に紡がれる。

 

「そしてある日、私はついに作り上げた。永遠の命を与える魔道具(マジックアイテム)、『賢者の石』を。狂喜した私は、早速当時の主神にこの成果を報告しに行った。誰にも成し得なかった大偉業を遂げた私は喜び勇んでそれを見せ―――――そして、呆気なく砕かれた」

 

「……何?」

 

「呆然としている私の姿を見て当時の主神は、あいつはゲラゲラと笑っていたよ。私が人生を賭して作り上げた神秘の結晶体を、まるでガラクタのように、床へと投げ捨てたんだ」

 

フェルズの口から語られたその内容に、ファーナムは少なからず衝撃を受けていた。

 

自分の眷属(こども)の成果をそのように扱った神の意図が分からないというのもあったが、一番の衝撃は、フェルズが永遠の命を与える『賢者の石』なる魔道具(マジックアイテム)を作り出した事だった。

 

呪いではなく、正真正銘の神秘の結晶体。そんな途方もない代物を目の前で砕かれた当時のフェルズの絶望の程は計り知れないだろう。

 

「それからが私の妄執の始まりだった。あの憎き主神の元を去り、別の手段で永遠の命を手に入れようと躍起になった……そして見つけたんだ、不死の秘法を」

 

「……では、お前は手に入れたと言うのか。永遠の命を」

 

ごくり、と生唾を呑み込み、ファーナムは問うた。

 

呪いによるものではない永遠の命を与える『賢者の石』を生成した彼が編み出した、もう一つの方法。終わりなき命に絶望したファーナムであっても、それは僅かばかりにも関心を引く内容だった。

 

「ああ、ついに私は渇望した不死の身となった。もっとも……」

 

質問に答えたフェルズは、おもむろに手を動かす。手袋(グローブ)で覆われたその手はフードの端を掴み上げ、そして勢いよく剥ぎ取った。

 

露わとなるその顔。それは暗闇の中でもハッキリと分かる程に白く、浮かび上がるように異彩を放っている。

 

ファーナムに晒されたフェルズの素顔。それは本来あるべき肉が全て剥がれ落ちた、白骨の骸骨の顔だった。

 

「……!」

 

「この通り、人ではなくなってしまったがね」

 

言葉を失うファーナムに対し、フェルズは自嘲するように小さく笑い、そして語る。

 

「単純な事さ。私が編み出した不死の秘法は、完全ではなかったんだ。反動として体中の肉は腐れ落ち、今ではモンスターよりも醜悪な存在となってしまった」

 

がらんどうの頭蓋から発せられる言葉は大空間に反響し、ファーナムの耳へと木霊する。フェルズは立ち尽くす彼の元へ歩み寄ると、謝罪の意を込めて頭を下げた。

 

「不死人である君を羨む発言をした事を、ここに謝罪する。肉を持たない私が述べた先の無礼を許してくれ。……だが、どうか分かって欲しい。私の言葉は偽らざる本心なんだ」

 

ファーナムを羨んだ事、それは紛れもない本心であった。

 

不死人にとって生者の外見を保つ方法はいくらかある。そうする事で人々の中に紛れる事も出来るし、太陽の下を歩く事も出来る。が、フェルズはそうではない。

 

鏡を見る度に、モンスターを見る度に、笑い合う人々を見る度に、肉の剥がれた白骨の、人とはかけ離れた自分の姿が頭の中に浮かぶのだ。素顔を晒して人前には出られず、暗闇に紛れるしかない。そんな彼がファーナムを羨むのを、どうして責められるだろうか。

 

「君がどれほど過酷な運命を辿って来たのか、話を聞いただけの私ではその断片しか推し量る事は出来ないが……ファーナム、それでも君は“人”だよ」

 

「っ……」

 

「私も身体こそ変わってしまったが、せめて心は“人”で在りたい。恐らく、君もそうなのだろう?」

 

誠意を込めた謝罪。しかし己の言葉は曲げず、そしてファーナムを“人”だと断言したフェルズ。

 

自身が人であるか疑問を抱いていたファーナムにこの言葉を贈ったのは、経緯は違えど同じ不死の身となった者として哀れみを抱いたからなのか?―――――否。これもまた、フェルズの本心であった。

 

「……ハハ」

 

こちらを見上げるフェルズに向けて、兜越しに声を漏らす。さっきまでの張り詰めていた空気は既に霧散し、そこにはいつもと変わらぬ、穏やかな姿のファーナムがいた。

 

そして、彼はフェルズへと手を差し出す。開かれた右手が求めるのは友好の印、つまり握手である。

 

「お前の事を全て理解できた訳ではないが……少しだけ、近付けた気がする」

 

フェルズという()()の本質。不完全な不死の身となった事を絶望するだけではなく、それでも人であろうと足掻き続ける者。その姿に、ファーナムはある種の眩しささえ覚えた。

 

気が付けば、ファーナムは握手を求めていた。いつもであれば言葉を交わす程度で済ますそれを、このような形で行おうと思ったのは、『せめて心は“人”で在りたい』というフェルズの言葉が、無意識にも心を突き動かしたからに違いない。

 

「ここで改めて名乗ろう……俺の名はファーナムだ。尤も、これは偽名だがな」

 

「……ふふ、そうか。ああ、そうだな。では私ももう一度、自己紹介といこう」

 

小さく笑い、フェルズもまた名乗りを口にする。

 

「私はかつて無限の知識を欲し、その果てに不死と成り果てた『賢者』と呼ばれた者の成れの果て……今は『愚者(フェルズ)』と、そう名乗っている」

 

差し出された手を握り返し、二人は固い握手を交わす。

 

呪いによって望まぬ不死となった者と、理想の探究の末に望まぬ形で不死と成り果てた者。経緯は違えども同じ結果を辿った二人はこの日、友となったのだ。

 

「どうやら……互いに認め合えたようだな」

 

「ああ、ウラノス。そして間違いない。ファーナムは今ダンジョンで起きている異変についての知識はあるが、それを招いた存在ではない。私はそう確信した」

 

と、ここで沈黙していたウラノスが口を開いた。彼の言葉に自身を持ってそう答えるフェルズは、次いでダンジョンでの出来事の原因は別にあると断言する。

 

その言葉に、ファーナムは敏感に反応する。

 

「ダンジョンでの異変、それはつまり……」

 

「そうだ。今回君に接触したのも、それが原因だ」

 

フェルズの声が若干低くなる。

 

ウラノスは彼の言葉を引き継ぎ、切り出す。

 

「あの赤い亡霊……闇霊(ダークレイス)だったか。それがダンジョンに現れたという事はつまり、君の世界とこのオラリオが、何らかの要因で繋がっているという事なのだろう」

 

「あれは君を狙っていたが、他の冒険者たちが狙われない保証はない。あれほどの脅威を野放しにする訳にはいかないんだ」

 

「当然だ。俺もそんなつもりはない」

 

オラリオで目覚めた理由。それを求めているファーナムにとって、二人の協力を拒む理由はない。

 

それに、今のファーナムは【ロキ・ファミリア】の一員だ。彼らにも被害が出るような事態、それだけは何としても阻止しなければならない。

 

「お前たちが知っている事、推測している事……全てを、俺に聞かせてくれ」

 

ギルドの最奥。薄暗い大空間を松明の火が照らす中、ファーナムは情報の開示を促す。

 

迷宮都市オラリオ。その代名詞とも言えるダンジョンで起きている異変について、彼らは誰にも知られる事なく、その密談を開始するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「団長、それに皆さん。お帰りなさい」

 

「ああ、ただいま」

 

ダンジョンから帰還したフィンたち一行を、本拠(ホーム)の門番をしていた団員が迎える。彼らはアイズとリヴェリアの姿が見えない事に首をかしげるも、フィンからの説明を受けて納得した風に頷いた。

 

「待っていて下さい。すぐに夕食の準備を……」

 

「いや、いい。それよりも先にやる事がある」

 

団員が一行の帰還を知らせるべく館に戻ろうとするも、フィンが素早くそれを制した。振り返った団員は、後ろに控えているティオネたちの顔がやけに硬い事に気が付き、戸惑いの表情を浮かべる。

 

何かあったのか?という疑問が口をつくよりも早く、フィンは団員にこう尋ねた。

 

「ロキはいるかい?少し話しておきたい事があるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今戻った」

 

「遅いぞ。大したデーモンでもないだろうに、何をもたついていた」

 

「まあ良いじゃねぇか。きちんと始末してきたんだろう?」

 

漆黒の空間に響く三つの声。

 

一つはダンジョンへと向かった男のもので、もう一つは以前、彼の言葉に反感を抱いていた者の声だ。そして最後の声は、地面に胡坐をかいて座っている男の声である。この男も例によって、全身を黒いローブで覆っている。

 

「今回の目的地は神どもが多い。我が物顔で地上にのさばり、鼠のように病気を世界にまき散らしている。私は……俺は、それが我慢ならん。王の為にも、一刻も早く皆殺しに……ッ!」

 

「君の気持ちは分からなくもないが、それこそ王の意志に背きかねない。今はまだ“その時”ではないだろう」

 

新たな声が加わる。

 

それは落ち着き払った様子で、昂る男を嗜めた。学者然とした印象を与えるその声もまた、男のそれである。

 

「ところで王は?ここにいないって事は、またどこかの世界にでも行ってるのか?」

 

「はい。行き先は告げませんでしたが、少し出てくると……」

 

胡坐をかいていた男の声に反応したのは、この場では唯一となる女のものだった。年若い少女を連想させる声の持ち主は、静かな声でそう答えた。

 

この場にいる全員が同じ格好、すなわち黒いローブで全身を覆っていた。その下に着込んでいる鎧や衣服は完全に隠れ、体格と声でしか個人を判別する事は出来ない。

 

彼らはこの漆黒を照らす唯一の光である篝火を囲むようにして固まっていた。それぞれが思い思いの姿勢で、“王”の帰還を待っているのだ。

 

「大体お前は王に対する敬意がなっていない。以前はいくら親しい間柄だったと言っても、今は違うのだぞ」

 

「そう怒るなよ。俺だって時と場合は弁えているつもりだぜ。……つーかあんた、随分と変わったな」

 

「ふん、今更だろう。俺は王に仕えると誓った。そうである以上、徹底的にやるだけだ」

 

「ははは。以前の君からは想像もつかない台詞だ」

 

「ええ、本当に……」

 

篝火を囲んでのささやかな談笑。それは、“王”が帰ってくるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時を同じくして、“王”は()()に立っていた。

 

古い王たちの地(ロードラン)から遠く離れた、とある開けた空間。そこには乾いた土と僅かばかりに生えた雑草、そして朽ち果てた建物の残骸が散らばるのみである。

 

そこにはポツンと一つだけ、小さな石板が立てられていた。長く雨風に晒されて古びてはいるものの、最低限の手入れはされているらしい。そこに刻まれた人名らしき文字を、どうにか読める程度には。

 

「………」

 

“王”はその石板の前に―――小さく簡易な墓の前に立っていた。

 

無言で微動だにせず、ただそれを見下ろす。いつもは得物を振るうその手には、道中で摘んだ紫蘭(シラン)の花が一輪。

 

“王”は地面に片膝をつき、墓石にまとわりついた苔や枯れ葉を取り除いてゆく。ゆっくりと、決して墓石を壊さないように、注意深く。

 

「………すまない。今回は少し、遅くなった」

 

掃除を終えた墓の前に一輪だけの紫蘭(シラン)を添えると、“王”は静かに立ち上がった。すぐにその場を立ち去る事もなく、彼は黙ったまま墓石に視線を落とす。

 

 

 

『―――――■■■■!』

 

 

 

「………」

 

脳裏に過ぎったのはかつての記憶。

 

覚えている限りでは最も古く、そして間違いなく幸福と言える瞬間。記憶の海に溺れてしまいたい欲求が己を駆り立てるが、“王”はゆるりと首を振って思考を中断させる。

 

「………また来る」

 

それだけを言い残して墓を後にする“王”。その手は首元の、ぼろぼろのペンダントが収められている鎧の上で、力強く握られる。

 

振り返る事もしないその足取りには、静かな意志が宿っていた。

 




一応これで外伝2巻までは終わりました。

ようやく物語も半分くらいまでは進められたかなと思います。更新速度が落ちてきてしまいましたが、今後もどうか読んで頂ければ幸いです。

読者の皆様、これからも宜しくお願い致します。

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