不死人、オラリオに立つ   作:まるっぷ

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第三十五話 『遠征』五日前

太陽とは昇り、暮れるもの。月もまた同じ。

 

人の世に何があろうと、それらはお構いなしに自らの役割をこなしてゆく。急ぐ事も遅れる事もなく、ただ淡々と。

 

故に―――人はまた歩く事が出来るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

己の胸の内に溜まっていた思いの全てをロキへと曝け出し、そして救われたファーナム。

 

自身はまだ亡者ではない、過去を悔やむ事が出来るのであればそれはまだ人間である事の証である。そう言われた彼は現在、まさしく後悔していた。

 

「よーっし、いっくぞーーっ!」

 

「次こそぶっ倒す……!」

 

彼の目の前にいるのは闘志を滾らせる褐色の姉妹……ティオナとティオネ。彼女らは全身を擦り傷に塗れさせながら、それでもなお爛々と目を輝かせている。

 

臨戦態勢の獣のような二人を前にファーナムはごくりと生唾を飲み込み、思わずこう呟くのであった。

 

「……何故、こうなった……」

 

 

 

 

 

事の発端はつい先程にあった。

 

「む?」

 

館の空中階段を歩いていたファーナムはふと視線を落とすと、そこには中庭の一角で組み手をしていたティオネとティオナの姿があった。

 

組み手といっても二人は互いに上級冒険者。下位の団員が見れば本気でやり合っているようにしか見えず、事実その戦いぶりは激しさを増していった。

 

「……他の者たちが心配するか」

 

本気の姉妹喧嘩(・・・・)と勘違いする者を出さない為にも、ファーナムは中庭へと目的地を変えて歩き出す。お目付け役として第三者が近くにいれば、そうそう誤解もされないだろうとの判断である。

 

そうしてやって来た彼は溜め息をひとつ吐いた。

 

青々としていた芝生は組み手の余波によってあちこちが抉れ、土が露出してしまっている。恐らく互いに投げたり、叩きつけたりしたのであろう。

 

ティオネもティオナも衣服の所々を土で汚し、血が滲むような怪我までしている。それでも全く止めようとしないのは、彼女たちが生粋の戦闘種族(アマゾネス)だからか。

 

強さを求める事は冒険者にとって素晴らしいが、流石に限度というものがある。ここまで中庭を荒らしてしまうのはどうかと思い、ファーナムは夢中で拳を繰り出し続ける二人へと声をかけた。

 

「ティオネ!ティオナ!」

 

「あれ、ファーナム?」

 

「どうしたのよ、アンタ」

 

幸いな事にまだ彼の声は届いたようで、二人は組み手を中断させてファーナムへと土塗れの顔を向ける。あれだけ激しく動いておきながら、それでも何事もなかったかのような様子であるのは流石Lv.5の体力と言ったところか。

 

感嘆か呆れか。自分でもよく分からない溜め息を更に吐き出しつつ、ファーナムは二人へと近付いてゆく。

 

「どうした、ではない。少しは周りを見ろ」

 

「え……って、あっちゃー……」

 

「ちょっとやり過ぎたかしらね」

 

彼の言葉に少しは冷静さを取り戻したようで、ティオナとティオネはバツが悪そうな顔で周囲を見渡した。見るも無残な有様と成り果てた中庭の一角は、さながら戦闘でもあったかのようだ―――事実、それに近いのだが―――。

 

アイズもそうだが、どうも【ロキ・ファミリア】(うち)の若者たちは熱が入ると周りを忘れてしまう癖があるようだ、とファーナムは思った。

 

普通はもっと心身共に成長してから至るべき強さの領域に足を踏み入れているが故に、強さへの渇望も人一倍。それ故の無茶も過去に何度もあったとフィンたちからも聞かされている。

 

(まぁ、この若さでこれだけの力を手にしているからこそ、今の【ロキ・ファミリア】があるのだろうが)

 

ファーナムはアイズたちが分不相応の力を手にしているとは思っていない。むしろそれに相応しい器はすでに手にしていると考えている。

 

問題なのは若さ故の無茶(・・)。いざという時に冷静な判断を下せるか、あるいはそれを下せる者……例えばフィンのような者がいてくれるのかどうか。それだけを懸念していた。

 

(このファミリアでは最も若輩者の俺が心配する事ではないのかも知れないが、それでもな……)

 

不死人として人生経験(・・・・)が豊富だからか、十代半ばの彼らを見ているとつい余計な心配をしてしまう。

 

こんな感情が芽生えてしまうのも、昨夜ロキに打ち明けたからなのか。

 

以前であれば未練がましいとすら思えた人間らしい感情も、今となっては妙に心地良い。少なくとも、この思いを抱くのは決して間違いではない―――そう思える程度には。

 

「……ふっ」

 

「? どうしたの、急に笑ったりして?」

 

思わず漏れた小さな笑い声。それをティオナの耳は聞き逃さなかった。

 

気付けば、彼女はファーナムの顔を覗き込むようにして見上げていた。その身長も相まって小動物じみた印象を抱くも、即座にそれを否定する。小動物はここまで派手には暴れないからだ。

 

「いや、何でもないさ」

 

「そっか。ところでファーナム、ちょっとお願いがあるんだけど……」

 

「む?」

 

足取り軽やかに、両手を広げてその場でくるりと一回転したティオナは、満面の笑みを浮かべながらこう切り出した。

 

「組み手の相手、ちょっと付き合ってくれない?」

 

 

 

 

 

ティオナの主張はこうだった。

 

せっかくLv.6の―――ロキのついた嘘であるが、事実その位の力はある―――ファーナムがいる事だし、最後の一回くらいは手合わせをしたい、との事だ。この意見に姉のティオネも賛成し、なし崩し的に相手をする事が決定してしまう。

 

土やら何やらが露出した芝生の処理はその後で、という流れになった。すでにかなり荒れていたので、多少酷くなっても許容範囲内だろう、との考えである。

 

二人の熱意に折れ、しぶしぶファーナムは相手をする事になった。このまま消化不良でいさせるより、いっそ発散させてやった方が良い、という判断を下したのだ。

 

しかし、彼は甘く見ていた。

 

戦闘種族(アマゾネス)の姉妹の有り余る体力、そしてその負けず嫌いさ加減を。

 

 

 

 

 

「えいっ!」

 

「っ!」

 

可愛らしい掛け声とは裏腹に、鋭い風切り音がファーナムの顔の真横を通り過ぎていく。

 

「ッラァ!」

 

「!?」

 

放たれた拳は空を切るも、続く第二撃目が畳みかけてくる。怒気すら感じさせる程の声と共に迫り来る足刀を、今度は上体ごと後ろへと大きく逸らせて回避する。

 

そのまま後方へと転がり距離を取る。片膝立ちの恰好になったファーナムは、兜の中で冷や汗を垂らしながら前方を見やる。

 

「あ~ん、また外したー!」

 

「アンタさっきから邪魔!割り込んでこないでよ!」

 

そこには肩を並べて立ちはだかる褐色の姉妹の姿が。純粋に悔しがるティオナとは対照的に、ティオネは苛立ちを隠し切れずに顔にまで出始めている。

 

「全く……本当に、何故こうなった……」

 

荒くなり始めた呼吸を整えながら、ファーナムは静かにぼやく。

 

最初は良かった。

 

まずはティオナから相手をし、その後にティオネと手合わせをした。が、彼女たちの繰り出した攻撃が当たる事はなかった。

 

レベル差というのもあるが、やはり場数が違ったのだ。数百年の時を戦い続けてきた彼にとって、一対一であればそうそう負ける事はない。結局彼女たちは一発も当てる事が出来ぬまま、時間切れとなってしまったのだ。

 

しかし、それで納得する二人ではなかった。

 

もう一回、もう一度!と再戦を申し込み、その度に攻撃が全て空を切る。この事実にティオナは悔しがり、ティオネは言わずもがなである。

 

そして、とうとう二人は一斉にかかってきた。

 

制止の声も聞かずに繰り出してくる拳と足刀。組み手の域を越えつつあるその威力は中層程度のモンスターであれば容易く屠れる程であり、これをまともに受ければ流石のファーナムであっても無傷では済まない。

 

完全に聞く耳を持っていない二人を前に、ファーナムは困り果てていた。これまでに組み手らしい事などした事がなく、故に時間切れ以外での終わらせ方を知らない。

 

かと言って下手に攻めてしまえば、二人に怪我をさせてしまうかも知れない。そんな考えもありこの状況から脱する事が出来ずにいるのだ。

 

「それっ!!」

 

「うっ!?」

 

「まだまだぁっ!!」

 

「ぬぅっ!?」

 

二人の攻撃は留まる所を知らず、それどころか更に激しくなっている。

 

踏み締めた脚が芝生を抉り、跳躍と同時に地面が爆ぜる。もう青い芝生が見える箇所はまばらであり、そこら中が土色に染められていた。

 

「お、おい!芝生が……っ!」

 

「えー、なにーーっ!?」

 

「ごちゃごちゃうっせぇ!!」

 

攻撃の合間を縫いながら説得を試みるも、聞く耳を持たないティオナとティオネ。連撃はますます勢いを増し、その精度も次第に高まってゆく。

 

(不味いな、これ以上は……!)

 

いよいよ身の危険すら感じ始めたファーナムは、遂に攻撃に打って出る事を決心した。極力加減し、しかし動けなくなるであろう絶妙な力加減でもって、この事態を収束しようと試みる。

 

「っ!」

 

「わっ!?」

 

まずティオナが繰り出した拳を左手ですくい上げるようにして弾く―――つまりはパリィし、体勢を崩す。

 

「ふッ!」

 

「なっ……!?」

 

次にティオネだ。彼女が放った拳、それと合わせる形で右拳を突き上げ、同じく体勢を崩す。

 

それぞれが放った拳が続けざまに弾かれ、彼女たちの顔が驚愕に彩られる。そしてファーナムは次の攻撃に移らせまいと、流れるような動きで腰を落とし地面を強く踏み締める。

 

力加減を忘れてはいけない。これは飽くまで組み手であり、殺し合いではないのだ。

 

かつての旅路ではあまり経験した事のない“加減”というものを意識しつつ拳を固め、強く握り締める―――――!

 

 

 

 

 

「お前たち、何をしている」

 

 

 

 

 

と、その直前。

 

背後より聞こえてきたその声に、三人の時がピタリと止まった。

 

「「………あっ」」

 

珍しく息の合うティオネとティオナ。二人は立て直しかけの不格好な体勢のまま身体を硬直させ、だらだらと冷や汗を流し始める。

 

あれだけ興奮していた二人が一気に冷静になった。その答えは振り返ればすぐそこにあるのだが、生物的直観(・・・・・)がそれに待ったをかける。

 

「ティオネ、ティオナ……そしてファーナム」

 

しかし振り返らない訳にはいかない。何故なら人の世に生きる以上、避けては通れない事も多くあるからだ。

 

そう。例えば―――ちょうど今現在の、この状況のように。

 

「……リ、リヴェリア」

 

掠れた、情けない声がファーナムの喉から絞り出される。

 

ギギギ、と振り返った恰好の彼はそのまま硬直し……エルフの王族にして【ロキ・ファミリア】副団長たるリヴェリア・リヨス・アールヴの半眼をその身に受けてしまう。

 

「誰か説明してくれないか……主に、この中庭の惨状について」

 

九つの魔法を操る、オラリオ最高峰の魔導士『九魔姫(ナイン・ヘル)』。

 

彼女の魔法を彷彿とさせる【ウィン・フィンブルヴェトル(極寒の視線)】に晒された三人は顔面を蒼白にし―――珍しく声を荒げたリヴェリアから、直々に雷を頂戴するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻。

 

オラリオ北東のメインストリート―――魔石製品製造など、都市の工業の中心地たる第二区画―――から出てゆく二人の人影があった。

 

「いやぁー、何とかなって良かったわぁ~」

 

「そうだね。今度の遠征には椿たちも同行してくれるし、今のところは順調だよ」

 

一人は子供と見紛う程の大きさの金髪の小人族(パルゥム)、そしてもう一柱(ひとり)は朱髪朱眼の女神。

 

【ロキ・ファミリア】団長、フィン・ディムナ。そしてその主神であるロキが、肩を並べて工業地帯を歩いていた。

 

「しっかし『不壊属性(デュランダル)』の武器を五つ。かかっ、こんだけの数を一気に揃えたんはウチらが初なんやないか?」

 

「以前の遠征では芋虫型に苦労させられたからね。今後の事も考えれば、必要な出費さ」

 

「流石フィンや。ファミリアの金の大半を注ぎ込んどんのに、そないな台詞そうそう言えへんで」

 

「あまり言わないでくれ、ロキ。これでも結構悩んだんだよ?」

 

談笑しながらも歩みを進めてゆく二人の足は、気が付けばオラリオの大通りにまで伸びていた。

 

今まで二人は椿とその主神たるヘファイストスと、次回の遠征について話し合いをしていたのだ。と言うのも、前回の遠征で撤退せざるを得なかった元凶たる、溶解液を放つ芋虫型への対策のためだ。

 

金属をも溶かすこの厄介なモンスターに対抗すべく、フィンは椿に『不壊属性(デュランダル)』の武器の作成を依頼した。その現物確認を終え、今は帰路についているところだ。

 

当然ながら遠征には危険が伴う。人死にのリスクを可能な限り下げるべく、事前準備は最も重要であると言える。そんな大仕事に一応の区切りがついたからか、ロキは肩をコキコキと鳴らしながらぼやく。

 

「あ~、ほんまに疲れた~。神酒飲みたいわぁ~」

 

「我慢してくれ。遠征が終わるまでしばらく資金繰りは火の車になりそうなんだ。今はそんな高級品を買う余裕はないよ」

 

「それは分かっとるけどぉ~……」

 

ぶー、と膨れる主神にフィンはくすりと笑みを零し、そしてその視線を一件の建物へと向ける。

 

そこは喫茶店だった。二階部分には外の景色を眺められるバルコニーがあり、実に洒落っ気のある外見をしている。昼に差し掛かるにはまだ少し時間があり、そのせいか客の数は少なそうだ。

 

「酒は駄目だけど、少し一休みしていこうか。そこの喫茶店が空いているようだしね」

 

「おっ。なんやフィン、気が利くやん!ちょうど小腹が減ってたんや」

 

フィンに促されるまま、ロキは喫茶店へと足を踏み入れた。

 

店の主人はとんだ有名人の来客に驚いた様子だったが、気を取り直して二階のバルコニーへと案内する。気を使ってか、案内された席は他の客たちからは離れていた。聞き耳でも立てない限り話し声を拾う事は出来ないだろう。

 

席に着いたロキはサンドイッチのランチセットを、フィンはコーヒーを一杯注文する。程なくして運ばれてきたそれらに口にし、二人はほう、と息をついた。

 

「そういや、フィン。本当に魔剣は用意せんでええんか?」

 

「ンー。欲を言えば欲しいけれど、それを用意するとなると本当にファミリアの資金繰りが危なくなる。手持ちの魔剣で我慢するしかないね」

 

クイ、とコーヒーを飲みつつそう語るフィン。ロキはぱくぱくとサンドイッチを口に放り込みながらも、眉を八の字にして難しい顔をしている。

 

「そっかぁ。ファイたんは借金(ローン)を組んでもええって言うてたけど、やっぱ流石になぁ……」

 

「ハハハ、心配してくれてありがとうロキ。でも大丈夫さ。リヴェリアもいるし、それに今回からはファーナムもいる」

 

「うん?」

 

突如として話題に上がったファーナムの名前に、ロキは顔を上げる。

 

フィンは更にもう一口コーヒーを飲み、そして言葉を続けた。

 

「彼のスキル……手持ちの武器やアイテムを膨大な数格納(・・)しておけるという、例のアレさ。彼の力があれば必要な物資を運ぶ手間も大幅に削減できるし、その分下位の団員の危険度も下がる」

 

ファーナムのスキルという事になっている、物質のソウルへの還元。

 

これがあれば物資を運ぶ低レベルの団員たちがモンスターに襲われる可能性も下げる事ができ、かつ迅速に目標階層まで進む事が出来る。

 

「それに彼も何本か特殊(・・)な魔剣を持っているみたいだしね。いざとなれば、それに頼らせてもらうとするよ」

 

魔剣、というのは属性派生した武器の事だ。

 

フィリア祭の時にファーナムが椿に見せた武器の数々。本質的には魔剣とは別のものではあるが、オラリオの知識からはそうとしか言いようがない。事実、椿自身も魔剣である事を疑ってはいない。

 

修復可能、という前代未聞の魔剣。これほど便利な武器に頼らない手はない、と考えたのだ。

 

「新入団員の武器に頼る、か。臆面もなくようそんな事言えるなぁ、フィン」

 

「当然さ。僕は団長として全員を地上へと帰還させる義務があるからね、その為なら何だって使わせてもらうよ」

 

そして、と。

 

フィンはいったん区切り、言う。

 

「その為にも、彼の素性は明らかにしておきたいと思っている」

 

「………」

 

続いていた会話が唐突に途切れる。

 

普段であれば気にも留めない、僅かな間。しかし対面する者―――ロキはその変容した雰囲気を感じ取り、残り一つとなったサンドイッチへと伸ばしていた手を止めた。

 

「もう一度言うよ、ロキ」

 

空白を破り、口火を切ったのはフィンだった。

 

彼はその碧眼を己が主神へ向けると、強い意志を感じさせる口調でこう続ける。

 

「僕は彼の……ファーナムの素性を明らかにしたい」

 

 

 

 

 

前回の遠征。その最中にダンジョン『深層で』偶然にも彼らが出会ったファーナムという男。

 

クァトという神が主神を務めるファミリアの出身で、実力はLv.6相当。聞いた事もないスキルを保有し、特殊な武器まで所有している。これ程の実力者を今まで噂程度にも知らなかった事を、彼はずっと不可解に感じていたのだ。

 

「今日までギルドで記録などを見せてもらいながら、僕の方で色々と調べていたんだ。彼とその主神、クァトに関する事をね……でも、そんなものはどこにも見当たらなかった」

 

リヴィラの街の一件以降、フィンは独自でこの件についての情報収集に動いていた。

 

団長という立場柄、割ける時間は限られていたが、それでも調べるのにそう時間はかからなかった。ただそれは、誰かが手伝ってくれたからという訳ではない。

 

「それも当然だ。何故なら【クァト・ファミリア】なんてものは、これまでに設立された事はないのだから」

 

いくら調べても【クァト・ファミリア】という名前は見つからなかったのだ。

 

ファミリアが設立され冒険者となった眷属がいるのならば、当然ギルドにその記録があるはず。しかしそんな記録はどこにもなく、またファーナムという冒険者に関しても同様であった。

 

「考えられる可能性は、ギルド設立当初かそれよりも以前―――ギルドが完全に今の管理形態になるよりも前にファーナムがクァトという神の眷属になったという線だが、これはあり得ない」

 

確かに、ギルドが現行の管理形態になる以前であれば、数百年前のファミリアに関する詳しい記録などは残っていないのかも知れない。しかしそう考えると、どうしても矛盾が生じてくる。

 

それはファーナムの種族に起因する。

 

彼の種族はヒューマンであり、身体的特徴からもそれは裏付けされている。その大前提で考えるならば、とっくに寿命を迎えているはずなのだ。

 

神の恩恵によって肉体の最盛期を維持できるにしても、寿命を延ばす事など不可能。数百年単位の命を持つ種族など、それこそエルフのような長命種族だが、ファーナムの身体的特徴とは一致しない。

 

「考えれば考える程おかしい。“クァト”という神も、ファーナムという冒険者も。彼に関する何もかもが疑問に満ちている」

 

「………」

 

口を噤み続ける主神に対し、フィンは一方的に持論を展開し続ける。

 

それでもロキは口を開こうとしない。あるいはこちらが考えている事全てを聞こうとしているのか。後者であると直感したフィンは、最後を疑問で締めくくった。

 

「……これは飽くまで推測だし、間違っていたら失礼に当たるが―――――ロキ」

 

 

 

「“クァト”という神は、本当に実在するのか?」

 

 

 

再び、沈黙が落ちる。

 

昼時になったメインストリートからは人々の賑やかな声が木霊し、みな昼食を取りに思い思いの場所へと足を運ばせている。その顔は一様に活気に満ち、楽しげな雰囲気を振りまいている。

 

そんな彼らとは対照的なのが、ロキとフィンである。

 

フィンは鋭い眼差しをロキへと向けており、彼女もまたそれを受け止めている。やがて僅かに目を伏せたロキは、ふぅ、とロキは小さな溜め息を漏らした。

 

「……なんや、やっぱ勘付いとったんか」

 

「当然だろう?僕は団長だからね、ファミリア全員の素性を頭に入れておかなければならないんだ」

 

「はは、敵わんなぁ。だからってギルドの記録まで調べ尽くすか、普通?」

 

笑いながら、降参とばかりに両手を上げるロキ。その行為に自分の推測は間違っていなかったと確信を得たフィンは、更に深く追求しようとする。

 

「さて、ここまで来たんだ。もうはぐらかしたりはしないで正直に話してくれるね?」

 

“クァト”という神はいない。それはつまり、ファーナムは別の神の眷属であったという事を示している。

 

ロキが何故、彼のついた嘘を肯定したのか。その理由は?ファーナムという男は、本当は何者なのか?

 

聞きたい事は山ほどあるが、その一つ一つを吟味しなくてはならない。何せ相手は道化の神である。彼女が語る言葉に嘘が紛れているかどうかを知る術はない。そうである以上、頼れるのは己の頭脳のみだ。

 

いつでも来い。表情には出さずとも確かな決意をしたフィンに対し、ロキは―――。

 

 

 

「すまん、堪忍してや」

 

 

 

抜け抜けと、それこそ臆面もなくそう言ってのけたのだ。

 

「……何だって?」

 

「あら、聞こえへんかった?堪忍してやって言うたんや」

 

まさかの拒否。これは予測していなかったのか、流石のフィンも面食らってしまう。

 

ロキとは長い付き合いがある。だからこういった局面において、彼女は無暗にはぐらかすような性格ではない事は良く知っている。それなのにこのような行動を取る意味が分からない。

 

数瞬の思考停止に陥るフィン。その隙を突き、ロキは語り始める。

 

「フィンの言い分はもっともや。素性の分からん奴をファミリアに入れるなんざ、どんなボンクラでもあかんって分かる。ウチもそう考えとる」

 

「っ、それならなんで―――」

 

「ファーナムの為や」

 

「……っ!」

 

もしも誰かがこの光景を見ていれば、大層驚いた事だろう。食い下がるフィンをたった一言で黙らせたのだから。

 

いつものおどけた表情はそこにはない。あるのは昨夜、ファーナムが抱いていた葛藤を全て受け止め、真の解を与えた女神が浮かべる決意のそれだ。

 

「ファーナムは……あいつはこれまでに、散々な目に遭ってきた。長い間、ずっとずっと苦しんできた」

 

「長い間……」

 

「せや。そんなあいつがフィンたちと出会って、オラリオで生活して、ようやく()を見つけられそうなんや」

 

ロキは思い出す。己の腕の中で、小さな子供のように震えていたファーナムの事を。

 

自分はもう亡者なのだという考えが浮かんでしまう程に追い詰められていたファーナム。一見すると強い冒険者であった彼は、その実どこまでも弱く、いつ心が折れてもおかしくはない状態だった。

 

そんな彼がようやく、数百年ぶりに人間らしい生き方が出来そうなのだ。

 

消えかけの残り火が息を吹き返し、以前の在り様を取り戻す。ロキは決してその邪魔をしたくはないのだ。

 

「確かにファーナムの素性は全部嘘や。クァトっちゅう名前の神の知り合いもおらん、でっち上げや。けどこれだけは約束できる……あいつは絶対に悪者やない」

 

強く、強く。

 

フィン以上に固い意志を込め、断言する。

 

ファーナムは決して、害となるような存在ではないと。

 

「………そう思う根拠は?」

 

「それは自分も分かっとるやろ」

 

「………敵わないなぁ」

 

今度はフィンが手を上げる番だった。

 

彼は軽く笑い、これ以上の追求を取り止めた。ロキの神意、そしてファーナムという男は(よこしま)な考えを持っていないという共通認識であると分かったからだ。

 

張り詰めていた緊張の糸が解け、空気が弛緩してゆく。気が付けばすでに雰囲気は元通りとなり、ごく普通の昼食風景が広がっていた。

 

「分かった。とりあえず、しばらくは無理にこの事は追求しないよ。僕としても今ファミリア内で不和が起こる事は望ましくない」

 

「またまたぁ、そないな事言うて。ほんまは嫌われたくないだけやろ!」

 

「それもあるけどね。今回の遠征に行かない、なんて言い出されたら計画が狂ってしまうからね」

 

「……え、マジで利害の事しか頭にないん?」

 

「……ロキ、僕だってたまには冗談も言うんだよ?」

 

 

 

 

 

何はともあれ、遠征まで残り五日間。

 

ある者は己を高め、ある者は準備を進め、そしてまたある者は、とある少年を鍛え上げていた。

 

刻限は迫る。

 

望む望まざるに関わらず、それはゆっくりと、しかし確実に近づいてゆく。太陽が昇り、月が入れ替わるが如く。

 

そう。

 

望む、望まざるに関わらず―――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――っ」

 

「な、なに………今の夢?」

 

 




~おまけ~


雷ドーン!

ファーナム「雷返し!」

リヴァリア「ふざけるなよ」

ファーナム「   」

九魔姫(ナイン・ヘル)』の巴流に隙はなかったのだ……。


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