ワンダユウは、大使としてトリステインとマール星を行き来し、
チンプイは、ルイズの使い魔兼お世話役として、トリステインに残った。
ワンダユウ「チンプ~イ!頼んだぞ~!」
長くなりそうなので、やはり原作3巻終了まで、2回に分けます。すいません。
アルビオン空軍工廠の街ロイサスは、首都ロンディニウムの郊外に位置している。
『レコン・キスタ』は、ウェールズ皇太子を仕留めそこなったとはいえ、アルビオンのニューカッスル城を攻め落とした。『レコン・キスタ』の総司令官、オリヴァー・クロムウェルは、アルビオン皇帝を名乗り、アルビオンの至る所に誇らしげに『レコン・キスタ』の三色の旗が翻っている。
ロイサスの赤レンガの大きな建物には、天を仰ぐばかりの巨艦、アルビオン空軍本国艦隊旗艦『レキシントン』号が停泊していた。そこは空軍の発令所であり、そこでは全長二百メイルにも及ぶ巨大帆走戦艦がこれまた巨大な盤木にのせられ、突貫工事で改装が行なわれていた。
アルビオン皇帝、オリヴァー・クロムウェルは、供の者を引き連れ、その工事を視察していた。
「なんとも大きく、頼もしい艦ではないか。このような艦を与えられたら、世界を自由にできるような、そんな気分にならんかね?艤装主任」
「わが身には余りある光栄ですな」
気のない声で、そう答えたのは、『レキシントン』号の艤装主任に任じられた、サー・ヘンリ・ボーウッドであった。彼は革命戦争の折り、『レコン・キスタ』側の巡洋艦の艦長であった。その際、敵艦を二隻撃破する功績を認められ、『レキシントン』号の改装艤装主任を任されることになったのである。艤装主任は、偽装終了後、そのまま艦長へと就任する。王立であった頃からのアルビオン空軍の伝統であった。
「見たまえ。あの大砲を!」
クロムウェルは、舷側に突き出た大砲を指差した。
「余の君への信頼を象徴する、新兵器だ。アルビオン中の錬金魔術師を集めて鋳造された、長砲身の大砲だ! 設計士の計算では・・」
クロムウェルのそばに控えた、長髪の女性が答えた。
「トリステインやゲルマニアの戦列艦が装備するカノン砲の射程の、おおよそ1.5倍の射程を有します」
「そうであったな、ミス・シェフィールド」
ボーウッドは、シェフィールドと呼ばれた女性を見つめた。冷たい妙な雰囲気のする、二十代半ばくらいに見える女性であった。細い、ぴったりとした黒いコートを身に纏っている。見たことのない、奇妙ななりだ。マントも付けていない、ということはメイジではないのだろうか?
クロムウェルは満足げに頷くと、ボーウッドの肩を叩いた。
「彼女は、東方の『ロバ・アル・カリイエ』からやってきたのだ。エルフより学んだ技術で、この大砲を設計した。彼女は、未知の技術を・・、我々の魔法の体系に沿わない、新しい技術をたくさん知っておる。君も仲良くするといい、艤装主任」
ボーウッドはつまらなそうに頷く。彼は心情的には、実のところ王党派であった。しかし、彼は、軍人は政治に関与すべからずとの意思を強く持つ、生粋の武人であった。
上官であった艦隊司令が反乱軍側についたため、仕方なく『レコン・キスタ』側の艦長として革命戦争に参加したのである。アルビオン伝統のノブレッス・オブリージュ・・、高貴なものの義務を体現するべく努力する彼にとって、未だアルビオンは王国であるのだった。彼にとって、クロムウェルは忌むべき王権の簒奪者であった。それでも、上官は上官だ。ぐっとこらえて、疑問に思っていたことをクロムウェルに尋ねた。
「そうかもしれませんな。しかしながら、たかが結婚式の出席に新型の大砲を積んでいくと、下品な示威行為と取られますぞ?」
トリステイン王女とゲルマニア皇帝の結婚式に、国賓として初代神聖皇帝兼貴族議会議長のクロムウェルや、神聖アルビオン共和国(新しいアルビオンの国名だ)の閣僚は出席する。その際の、御召艦が、この『レキシントン』号であった。
親善訪問に新型の武器を積んでいくなど、砲艦外交ここに極まれり、である。
クロムウェルは、何気ない風を装って、呟いた。
「ああ、君には『親善訪問』の概要を説明していなかったな」
「概要?」
また陰謀か、とボーウッドは頭が痛くなった。
クロムウェルは、そっとボーウッドの耳に口を寄せると、二言三言、口にした。
ボーウッドの顔色がみるみるうちに青ざめた。そのぐらいクロムウェルが口にした言葉は、ボーウッドにとっての常軌を逸していた。
「バカな!そのような破廉恥な行為、聞いたことも見たこともありませぬ!」
「軍事行動の一環だ」
事もなげに、クロムウェルは呟いた。
「トリステインとは、不可侵条約を結んだばかりではありませんか!このアルビオンの長い歴史の中で、他国との条約を破り捨てた歴史はない!わたしを卑劣な艦長にするおつもりですか!」
激昂して、ボーウッドはわめいた。
「ミスタ・ボーウッド。それ以上の政治批判は許さぬ。これは、議会が決定し、余が承認した事項なのだ。君は余と議会の決定に逆らうつもりかな?いつから君は政治家になった?」
それを言われると、ボーウッドはもう何も言えなくなってしまった。彼にとっての軍人とは物言わぬ剣であり、盾であり、祖国の忠実な番犬である。それが政府の・・、指揮系統の上位に存在するものの決定なら、黙って従うより他はない。
「・・アルビオンは、ハルケギニア中に恥をさらすことになります。卑劣な条約破りの国として、悪名を轟かすことになりますぞ」
ボーウッドは苦しげにそう言った。
「悪名?ハルケギニアは我々『レコン・キスタ』の旗の下、一つにまとまるのだ。それが困難な道のりであることは余も分かっておる。そのためには、手段を選んでおれぬこともあるということだ。
なに、心配するな。君の心配する汚名は、全て余が被ろう。君がもし誰かに何か言われたら、『余に指示された』とだけ答えればいい。大丈夫だ。君は何も悪くない。
君のミスや汚名は、全て余のものだ。だが、君の手柄は、君の手柄だ。君は安心して功を立て、名声を得るといい」
クロムウェルは、そう言ってボーウッドの肩をぽんぽんと叩くと、供の者たちを促し去っていった。
その場に取り残されたボーウッドは、呆然と立ち尽くした。部下の手柄を横取りしたり、部下に自分のミスを押し付けようとする『ジャイアニズム』な上官は数多くいたが、『君のミスや汚名は、全て余のものだ』と言う上官に、ボーウッドは出会ったことがなかった。
常軌を逸してはいるが、アルビオンを手に入れるという成果を上げている以上、優秀な上官なのだろう。
ボーウッドは、ぽつりと呟いた。
「そこまでして・・。あいつは、ハルケギニアをどうしようというのだ」
一方、こちらはトリステインの王宮。アンリエッタの居室では、女官や召使が、式に花嫁が纏うドレスの仮縫いでおおわらわであった。太后マリアンヌの姿も見えた。彼女は、純白のドレスに身を包んだ娘を、目を細めて見守った。
しかし、アンリエッタの表情は、まるで氷のよう。仮縫いのための縫い子たちが袖の具合や腰の位置などを尋ねても、あいまいに頷くばかり。そんな娘の様子を見かねた太后は、縫い子たちを下がらせた。
「愛しい娘や。元気がないようね」
「母さま」
アンリエッタは、母后の膝に頬をうずめた。
「望まぬ結婚なのは分かっていますよ」
「そのようなことはありません。わたくしは、幸せ者ですわ。生きて、結婚することができます。結婚は女の幸せと、母さまは申されたではありませんか」
そのセリフとは裏腹に、アンリエッタは美しい顔を曇らせて、さめざめと泣いた。マリアンヌは、優しく娘の頭を撫でた。
「恋人がいるのですね?」
「『いた』と申すべきですわ。速い、速い川の流れに、アンリエッタは流されているような気分ですわ。すべてがわたくしの横を通り過ぎてゆく。愛も、優しい言葉も、何も残りませぬ」
マリアンヌは、首を振った。
「恋ははしかのようなもの。熱が冷めれば、すぐに忘れますよ」
「忘れることなど、できましょうか」
「あなたは王女なのです。忘れねばならぬことは、忘れねばなりませんよ。あなたがそんな顔をしていたら、民は不安になるでしょう」
諭すような口調で、マリアンヌは言った。
「わたくしは、何のために嫁ぐのですか?」
苦しそうな声で、アンリエッタは問うた。
「未来のためですよ」
「民と国の、未来のためですか?」
マリアンヌは首を振った。
「あなたの未来のためでもあるのです。アルビオンを支配する、『レコン・キスタ』のクロムウェルは、野心豊かな男。聞くところによると、かのものは『虚無』を操るとか」
「伝説の系統ではありませぬか」
「そうです。それが真なら、恐ろしいことですよ、アンリエッタ。過ぎたる力は人を狂わせます。不可侵条約を結んだとはいえ、そのような男が、空の上からおとなしくハルケギニアの大地を見下ろしているとは思えません。軍事強国のゲルマニアにいた方が、あなたのためなのです」
アンリエッタは、母を抱きしめた。
「・・申し訳ありません。わがままを言いました」
「いいのですよ。年頃のあなたにとって、恋はすべてでありましょう。母も知らぬわけではありませんよ」
母娘はしっかりと抱き合った。
ところ変わって、トリステイン魔法学院。
ある日の夕方、シエスタは、いつものように厨房でチンプイに『ラーミエン』を振る舞っていた。
「チンプイさん、おいしいですか?」
チンプイが『ラーミエン』を食べている横で、シエスタが微笑んで尋ねてくる。
「うん。美味しいよ。シエスタちゃん、いつもありがとう」
チンプイも、微笑んで答えた。
「ふふっ。どういたしまして。ねえ?チンプイさん」
「なあに?シエスタちゃん」
「今夜、ヴェストリの広場にきてください。見せたいものがあるんです」
「見せたいものって何?」
チンプイが、きょとんとして尋ねた。
「ふふっ。それは、その時のお楽しみです」
シエスタはそう言うと、ウインクをして去っていった。
その日の夜、チンプイがヴェストリの広場に行くと、シエスタが古い大釜に火をかけて待っていた。
「こんばんは。チンプイさん、お待ちしてましたよ」
そう言って、にっこりと笑うシエスタは、いつものメイド服だったが、頭のカチューシャを外していた。肩の上で切りそろえられた黒髪が、艶やかに光っていた。
「こんばんは。シエスタちゃん、それは何?」
チンプイは、火にかけられている古い大釜を指差して尋ねた。
「うふふ。これは、『ゴエモン風呂(地球でいう五右衛門風呂)』っていって、私の故郷、タルブの村に伝わるお風呂なんです」
「お風呂?これが?」
チンプイは、まじまじと古い大釜を見つめた。釜の下にくべた薪を燃やし、蓋を沈めて底板にしてあるようだ。トリステイン魔法学院に、風呂はある。大理石でできた、ローマ風呂のようなつくりであった。プールのように大きく、香水が混じった湯が張られ、本来は貴族しか入ることを許されないのだが、チンプイはロバ・アル・カリイエの大国『マール星』の使者ということで、ルイズやエレオノールと一緒に入っていた。チンプイは、まだ子供なので、男子禁制の女子風呂に入っていたのだった。
ちなみに、ギーシュ達が「ずるい」だの「自分達も一緒に入れろ」だの喚いて、キュルケ達に魔法でギタギタにされたのは、余談である。
「ええ。さすがに、お湯は貴族専用のお風呂には負けてしまいますけど、こうして月見をしながら入れるので、『ゴエモン風呂』もちょっとしたものだと思いますよ。
チンプイさんの故郷の『ロバ・アル・カリイエ』から運ばれた『お茶』を用意したので、これを飲みながらチンプイさんと一緒にお風呂に入ろうと思って」
そう言うシエスタの隣にはお盆があった。そこにはティーポットとカップがのっていた。
「そうなんだ。ありがとう」
正確には、『ロバ・アル・カリイエ』はチンプイの故郷ではないのだが、チンプイはシエスタの厚意に甘えることにした。
シエスタは、ぽんぽんブラウスのボタンやスカートのホックを外していくと、脱いだメイド服や下着を近くの木の枝にひっかけた。チンプイの手を引いてお湯に浸かると、お盆を浮かべてティーポットからカップに『お茶』を注いだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
チンプイはそれを口に運んだ。『お茶』の独特の香りが鼻腔をくすぐる。口に含むと、爽やかな風味が口いっぱいに広がった。マール星の『ウサギクルイアドベンチャ』ほどではないが、これはこれで美味しい。
「うん、美味しいよ」
「ふふっ。よかった」
暗がりの中のシエスタ、黒髪が濡れ、艶やかに光っている。
こうして間近で見ると、シエスタがとても可愛らしいことにチンプイは気が付いた。今まであまり気に留めなかったが、ルイズやエレオノールとは違う、野に咲く可憐な花の魅力がある。大きな黒い瞳でチンプイをじっと見つめるシエスタの低めの鼻も、愛嬌があって可愛い。また、着やせするタイプなのか、ルイズやエレオノールが羨ましがるプロポーションをしていた。主に胸のあたりが。
チンプイは、子供なので、異性の体にまだ興味はなかったが・・、お風呂でキュルケの体を見る度に、ルイズやエレオノールに同じ愚痴を聞かされていたので、シエスタの体をルイズ達が羨ましがるであろうことは、子供ながらなんとなく分かったのだった。
「ねえ、チンプイさんの国ってどんな所なんですか?」
「ぼくの国?」
「うん、聞かせてくださいな」
シエスタが身を乗り出して、無邪気に聞いてくる。
「そうだねえ。どう言ったらいいかな~」
『科法』のことは秘密なのでどうしたものかとチンプイが悩んでいると、いつの間にかルイズが、こっそりとこっちを見ていることに気が付いた。何か言いたそうにしているので、チンプイは科法『テレパシー』を使った。
科法『テレパシー』。相手のことを視認できれば、頭の中で思っていることが相手に伝わる科法である。
『どうしたの?ルイズちゃん』
「わっ・・。ムグ!」
いきなり頭の中に直接響いてくる声に驚いて思わず声を上げそうになったが、手で口を押さえて、何とか堪え、おそらく科法なのだろうと思ってチンプイの方をじっと見た。
『相手のことが見えていれば、頭の中で思うだけで会話ができる科法だよ。そんな所にいないで、ルイズちゃんもこっちに来たら?』
呑気な自分の使い魔に、ルイズはあきれてため息をつくと、チンプイに伝えた。
『あのねえ。そのメイドは平民、わたしは貴族なの。わたしがいたら、そのメイド、羽を伸ばせないわよ?』
『そうなの?ところで、ルイズちゃん、この子の名前は、シエスタちゃんだよ』
『そう。そのシエスタと何してるのよ?チンプイ』
『何って?見たまんまだよ。一緒にお風呂に入ってるの』
『そりゃ、分かるけど、どうしてそういうことになったのよ? さっき、わたしと一緒にお風呂、入ったじゃない』
『うん。そうなんだけど・・、シエスタちゃんが見せたいものがあるって言うから来てみたら、シエスタちゃんの故郷、タルブの村のお風呂と、ロバ・アル・カリイエの”お茶”を用意してくれてたの。だから、一緒に月見しながら、お風呂に入ってるんだよ』
『ええっ!”お茶”って、ロバ・アル・カリイエからたまに運ばれる珍しい品じゃなかった!?』
『そうなの? じゃあ、シエスタちゃんには感謝だね。ところで、ルイズちゃん』
『何よ?』
『シエスタちゃんにマール星はどんな所って今聞かれたんだけど・・、どう答えたらいい?』
『うっ・・、難しい質問ね。マール星のことは秘密だし・・。そうだ!宇宙ってことは伏せて、マール星の観光名所の話をしたらどう?それなら、あまり問題にならないと思うわ』
『なるほど! ありがとう、ルイズちゃん』
『気にしないでいいわよ。じゃあ、わたしは先に戻ってるわね。あんまり、長湯し過ぎないようにしなさいよ。お休み、チンプイ』
『分かった。ありがとう、ルイズちゃん。お休み』
ルイズは、チンプイがどうして大釜にメイドと一緒に浸かっているのか分かると、満足して自分の部屋に戻っていった。
「・・さん」
「うん?」
「チンプイさん!聞いてますか!」
「あっ、シエスタちゃん、ごめんごめん。どう言えばいいか考えてたんだよ」
シエスタには、チンプイがぼーっとしているように見えたようだ。貴族であるルイズがいるとシエスタが羽を伸ばせないそうなので、チンプイは、ルイズがさっきまでいたことは黙っていることにした。
「そうですか・・。なら、いいんですけど」
「うん、それでね。マール星のことだけど・・、海が色々な色に変化する『ペンキキ海』とか、樹齢十万年の大木『セタメコイア』や正確に一時間ごとに噴火する『間欠火山』があるよ」
チンプイは、ルイズとルルロフの新婚旅行先の候補にも挙がっている、”七色の海”の『ペンキキビーチ』と雄大な自然が楽しめる『ギサミンゴ湖』の見どころを伝えた。
すると、シエスタはぷくっと頬を膨らませた。
「いやだわ。色々な色に変わる海だの、樹齢がやたら長い大木だの、私をからかってるんでしょう。村娘だと思って、バカにしているんですね」
「か、からかってなんかないよ!」
チンプイは思った。ほんとのことを言いたくても、ワンダユウやルルロフに口止めされているし、ほんとのことを言ったらシエスタを混乱させるだけだ。何せ、チンプイとワンダユウが宇宙からやってきたことを知るのは、今のところルイズの家族とオスマン氏と、アンリエッタと、ルイズの学友のキュルケ達だけなのだから。
「じゃあ、ちゃんとほんとのことを言ってくださいな」
シエスタは、チンプイを上目遣いで見つめた。
「ほんとのことなんだけどなあ・・。あとは、そうだねえ・・、食べ物が違うかな」
「食べ物って、『ラーミエン』は、マール星の『スパロニ』に似ているんですよね?他は、トリステインのお料理と違うんですか?」
「うん。『スパロニ』はそうだけど・・、『タロモンモコッコドンブラ』とか『カレキハナワンワ』とか『カメツレラレリューグ』とかがあるよ」
チンプイは当たり障りのない範囲で、マール星のことを話した。シエスタは、目を輝かせて、その話に聞き入った。
シエスタがあまりにも一生懸命に聞いてくれているので、いつしか時を忘れてチンプイはシエスタに、故郷の話をしていた。
しばらく経つと、シエスタは胸を押さえて立ち上がった。年頃の男子であれば、鼻血を出していることだろう。シエスタは、枝にひっかけてある服や下着を身に付けると、チンプイにぺこりと礼をした。
「今日は来てくれて、ありがとうございます。とても楽しかったです。チンプイさんの話、素敵でしたわ」
シエスタは嬉しそうに言った。
「また聞かせてくれますか?」
チンプイは頷いた。
シエスタはそれから、頬を染めて俯くと、はにかんだように指をいじりながら言った。
「えっとね? お話も素敵だけど、一番素敵なのは・・」
「シエスタちゃん?」
「あなた、かも・・」
「えっ・・?」
チンプイがきょとんとしていると、シエスタは小走りに駆けていった。
チンプイは、その異国少女らしい本気か冗談か分からないベタなセリフを聞いて、ルルロフを熱っぽい瞳で見つめるルイズのことを思い出したが、どうして思い出したのか分からず、
「ちんぷいかんぷい」
と、ひとりごちた。
そのことを、翌朝、ルイズに話すと、ルイズは目を大きく見開いた。
ルイズに、チンプイが尋ねると、
「あんたには、まだ早いわよ。あれ?でも、姉さまの話だと、マール星基準なら早くないのかしら? でも、チンプイはヒト型宇宙人じゃないし・・」
と、ぶつぶつ言っていてイマイチ要領を得なかった。
チンプイは、そんなルイズの様子に頬を膨らませて、
「もう!ルイズちゃんなんて、しらんぷい!」
と言って、怒って、朝食を食べに、先に食堂に行ってしまった。
「シエスタとかいうメイド・・、ほんとにチンプイに恋しているのかしら?」
一人残されたルイズはそう、ひとりごちた。
朝食の後。
ルイズが、今日は授業に参加しないで部屋で休んでていい、と言ったので、チンプイは、ルイズの部屋のベッドで昼寝をしていた。
すると、扉がノックされた。
誰だろう、とチンプイは思った。ルイズならノックなんかしないで入ってくる。ワンダユウかエレオノールだろうか?それとも、ルイズに会いに来たマール星人?
「開いてるよ」
チンプイがそう言うと、扉がガチャリと開いて、シエスタがひょっこり顔を見せた。
「シエスタちゃん?」
厨房で会うことが多いので、予想外の来訪者にチンプイは少し驚いた。
「あ、あの・・」
シエスタはいつものメイド服であったが、いつもと違って見えた。カチューシャでまとめた黒髪が、さらさらと額の上を泳いでいる。そばかすの浮いた頬が、親しみのある魅力を放っている。
「どうしたの?シエスタちゃん」
「あ、あのっ!昨晩の、その、お話とっても楽しかったです!特にあれ!なんでしたっけ! 『タロモンモコッコドンブラ』とか『カレキハナワンワ』、マール星のお料理!」
チンプイは頷いた。お風呂の中で、チンプイはマール星の料理の話をシエスタにしたのだった。
「共通の話題が無くて困ったら、食べ物か旅行の話をすればいい」
と、ワンダユウに以前教えてもらったことを思い出したチンプイは、マール料理の話をしたのだった。シエスタは、食に対して関心が高いようで、マール星の観光名所の話よりもマール料理の話で盛り上がった。
「ああ、マール料理、ね」
「そうです!一度味わえばそのおいしさが忘れられず、一生食べ続けたくて移住してくる人もいるほどの食文化を持つマール星!素晴らしいわ!」
「トリステインにだって、『スパロニ』と似たような『ラーミエン』があるじゃない」
「あれは、私の故郷だけの郷土料理です」
きっぱりとそう言い切った後、シエスタは身を乗り出してきた。
「あのね?マール料理もマール星の観光名所も素敵だけど、私の故郷、タルブの村も素晴らしいんです。ここから、そうね、馬で三日くらいかな・・。ラ・ロシェールの向こうです」
「へ~」
「何にもない、辺鄙な村ですけど・・、とっても広い、綺麗な草原があるんです。春になると、春の花が咲くの。夏は、夏のお花が咲くんです。ずっとね、遠くまで、地平線の向こうまでお花の海が続くの。今頃、とっても綺麗だろうな・・」
シエスタは思い出に浸るように、目をつむって言った。
「へえ~」
「そうだ!」
シエスタは、胸の前で、手を合わせて叫んだ。チンプイは驚いて、ルイズのベッドの上で尻餅をついた。
「ど、どうしたの?」
「チンプイさん、私の村に来ませんか?」
「え? ええええ!?」
「あのね、今度お姫さまが結婚なさるでしょう?それで、特別に私たちにお休みが出ることになったんです。でもって、久しぶりに帰郷するんですけど・・。よかったら、遊びに来てください。チンプイさんに見せたいんです。あの草原、とっても綺麗な草原」
「う、うん」
「あとね?タルブの村の郷土料理は、『ラーミエン』だけじゃないのよ。とってもおいしいシチュー料理があるの。『ヨシェナヴェ』っていうんです! 普通の人が見向きもしない山菜で作るんだけど、とってもおいしいの!『タロモンモコッコドンブラ』ほどおいしいかは分からないけど・・、是非、チンプイさんにも食べて欲しいわ」
「どうしてぼくに見せたいの?食べさせたいの?」
シエスタは、恥ずかしそうにうつむいた。
「チンプイさんが、私に『可能性』を見せてくれたから」
「可能性?」
「そうです。魔法が無くても、貴族に勝てるんだって。私たち、なんのかんの言って、貴族の人たちにおびえて暮らしてるんです。でも、そうじゃない人がいるってこと、なんだか自分のことみたいに嬉しくって。私だけじゃなくて、厨房の皆もそう言ってて・・、そんな人に私の故郷を見て欲しいんです」
と、シエスタは言った。
「そ、そっか・・。でも、ぼくは、ヒト型宇宙・・じゃなかった、人じゃないよ?」
チンプイが科法を使えることは秘密であるとはいえ、なんだかズルして褒められているような気がした。おまけに、たまたま伝説の使い魔とやらになって、科法が強化され、剣も使えるようになっただけだ。そんな風に、シエスタに褒められるほどのことじゃない。
「人かどうかなんて、関係ありません!」
「そ、そう?」
「はい!」
シエスタは力強く頷いた。
すると・・。
ぐうぅううううううううううぅぅぅ!
突然、チンプイのお腹が鳴った。
チンプイが恥ずかしそうにしていると、シエスタは微笑んで言った。
「もうすぐ、お昼ですからね。無理もないですよ。早く食堂に行きましょう。ミス・ヴァリエールもお待ちですわ」
「そ、そうだね。じゃあ、行こうか」
「はい」
こうして、チンプイとシエスタは、ルイズの部屋を後にした。
数日後、シエスタはタルブの村へと戻ったが、チンプイは悩んだ挙句、魔法学院に残った。というのも、ルイズがアンリエッタとゲルマニア皇帝との結婚式の際の巫女に選ばれたため、自分も使い魔としてルイズに付き添う必要があると思ったからだ。
その翌日・・。
トリステイン艦隊旗艦の『メルカトール』号は神聖アルビオン共和国の客を迎えるために、艦隊を率いてラ・ロシェールの上空に停泊していた。
ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世と、トリステイン王女アンリエッタの結婚式は、ゲルマニアの首府、ヴィンドボナで行われる運びであった。式の日取りは、来月・・、三日後のニューイの月の一日に行われる。
そして本日、 後甲板では、艦隊司令長官のラ・ラメー伯爵が、国賓を迎えるために正装をして居住まいを正している。その隣には、艦長のフェヴィスが口ひげを弄っていた。
約束の刻限をとうに過ぎている。にも拘らず、アルビオン艦隊は姿を現さない。
「奴らは遅いではないか。艦長」
イライラした口調で、ラ・ラメーは呟いた。
「自らの王を追い出したアルビオンの犬どもは、犬どもなりに着飾っているのでしょうな」
そうアルビオン嫌いの艦長が呟くと、鐘楼に登った見張りの水兵が、大声で艦隊の接近を告げた。
「左上方より、艦隊!」
なるほど。そちらを見やると、雲と見まごうばかりの巨艦を先頭に、アルビオン艦隊が静静と降下してくるところであった。
「ふむ、あれがアルビオンの『ロイヤル・ソヴリン』級か・・」
感極まった声で、ラ・ラメーが呟いた。あの艦隊が、姫と皇帝の結婚式に出席する大使を乗せているはずであった。
「しかし・・、あの先頭の艦は巨大ですな。後続の戦列艦が、まるで小さなスループ船のように見えますぞ」
艦長が鼻を鳴らしつつ、巨大な艦を見つめて言った。
「ふむ、戦場では会いたくないものだな」
降下してきたアルビオン艦隊は、トリステイン艦隊に並走する形になると、旗流信号をマストに掲げた。
「貴艦隊ノ歓迎ヲ謝ス。アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号艦長」
「こちらは提督を乗せているのだぞ。艦長名義での発信とは、これまたコケにされたものですな」
艦長はトリステイン艦隊の貧弱な陣容を見守りつつ、自虐的に呟いた。
「あのような艦を与えられたら、世界を我が手にしたなどと勘違いしてしまうのであろう。よい。返信だ。『貴艦隊ノ来訪ヲ心ヨリ歓迎ス。トリステイン艦隊司令長官』、以上」
ラ・ラメーの言葉を控えた士官が復唱し、それをさらにマストに張り付いた水兵が復唱する。するするとマストに、命令通りの旗流信号がのぼる。
どん! どん! どん!
と、アルビオン艦隊から大砲が放たれた。
礼砲だ。
弾は込められていない。大砲に詰められた火薬を爆発させるだけの空砲である。
しかし、巨艦『レキシントン』号が空砲を撃っただけで、辺りの空気が震えた。
その迫力に、ラ・ラメーは一瞬後退ったが、すぐに気を取り直して指示を出す。
「おっほん。よし、答砲だ」
「何発撃ちますか?最上級の貴族なら、十一発と決められております」
礼砲の数は、相手の格式と位で決まる。艦長はそれをラ・ラメーに尋ねているのであった。
「七発でよい」
子供のような意地を張るラ・ラメーに、にやりと笑って見つめると、艦長は命令した。
「答砲準備! 順に七発! 準備出来次第うち方始め!」
アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号の後甲板で、艦長のボーウッドは、左舷の向こうのトリステイン艦隊を見つめていた。隣では、艦隊司令長官及び、トリステイン侵攻軍の全般指揮を執り行う、サー・ジョンストンの姿が見える。貴族議会議員でもある彼は、クロムウェルの信任厚いことで知られている。しかし、実戦の指揮は執ったことがない。
サー・ジョンストンは政治家なのであった。
「艦長・・」
心配そうな声で、ジョンストンは傍らのボーウッドに話しかけた。
「サー?」
「こんなに近づいて、大丈夫かね? 長射程の新型の大砲を積んでいるんだろう? もっと離れたまえ。私は、閣下より大事な兵を預かっているのだ」
クロムウェルの腰ぎんちゃくめ、と口の中だけで呟いて、ボーウッドは冷たい声で言った。
「サー、新型の大砲といえど、射程いっぱいで撃ったのでは当たるものではありません」
「しかしだな、なにせ、私は閣下から預かった兵を、無事にトリステインに下ろす任務を担っている。兵が怖がってはいかん。士気が下がる」
怖がっているのは兵ではないだろう、とボーウッドは思いながら、ジョンストンの言葉を無視して命令を下す。空では自分が法律だ。
「左砲戦準備」
「左砲戦準備! アイ・サー!」
砲甲板の水兵たちによって大砲に装薬が詰められ、砲弾が押し込まれる。
空の向こうのトリステイン艦隊から、轟音がとどろいてきた。
トリステイン艦隊旗艦が、答砲を発射したのだ。
作戦開始だ。
その瞬間、ボーウッドは軍人に変化した。政治上のいきさつも、人間らしい情も、卑怯なだまし討ちであるこの作戦への批判も、全て吹っ飛ぶ。
神聖アルビオン共和国艦隊旗艦『レキシントン』号、サー・ヘンリ・ボーウッドは、矢継ぎ早に命令を下し始めた。
艦隊の最後尾の旧型艦『ホバート』号の乗組員が準備を終え、”フライ”の呪文で浮かんだボートで脱出するのがボーウッドの目の端に映った。
答砲を発射し続ける『メルカトール』艦上のラ・ラメーは、驚くべき光景を目の当たりにした。アルビオン艦隊最後尾の・・、一番旧型の小さな艦に火災が発生したのだ。
「なんだ? 火事か? 事故か?」
フェヴィスが呟いた次の瞬間!
どごぉぉぉーーーん!
火災を発生させた艦に見る間に炎が回り、空中爆発を起こした。
残骸となったそのアルビオン艦は、燃え盛る炎とともに、ゆるゆると地面に向かって墜落していく。
「な、何事だ!? 火災が火薬庫に回ったのか!?」
『メルカトール』号の艦上が、騒然となる。
「落ち着け! 落ち着くんだ!」
艦長のフェヴィスが水兵たちを叱咤する。『レキシントン』号の艦上から、手旗手が、信号を送ってよこす。それを望遠鏡で見守る水兵が、信号の内容を読み上げる。
「『レキシントン』号艦長ヨリ、トリステイン艦隊旗艦。『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明セヨ」
「撃沈?何を言ってるんだ! 勝手に爆発したんじゃないか!」
ラ・ラメーは慌てた。
「返信しろ! 『本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ』」
すぐに『レキシントン』号から返信が届く。
「タダイマノ貴艦ノ射撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス」
「バカな! ふざけたことを!」
しかし、ラ・ラメーの絶叫は、『レキシントン』号の一斉射撃の轟音でかき消される。
どがが、どがーん!!!
着弾。着弾。着弾・・。
『メルカトール』号のマストが折れ、甲板にいくつもの大穴が開いた。
「この距離で大砲が届くのか!」
揺れる甲板の上で、フェヴィスが驚愕の声を上げる。ラ・ラメーは怒鳴った。
「送れ!『砲撃ヲ中止セヨ。我ニ交戦ノ意思アラズ』」
しかし、『レキシントン』号はさらなる砲撃で、返事をよこしてきた。砲撃は一向に止む気配がない。
着弾。
砲弾の破片で、ラ・ラメーの体が吹っ飛び、フェヴィスの視界から消えた。
同時に、着弾のショックでフェヴィスは甲板に叩きつけられる。
フェヴィスは悟った。これは計画された攻撃行動だ。奴らは初めから、親善訪問のつもりなどない。
自分達はアルビオンに嵌められたのだ。
艦上では火災が発生している。周りでは傷ついた水兵たちが、苦痛のうめきを上げている。頭を振りながら立ち上がり、フェヴィスは叫んだ。
「艦隊司令長官、戦死! これより旗艦艦長が艦隊の指揮を執る! 各部、被害状況知らせ!艦隊全速! 右砲戦用意!」
「艦長・・」
苦痛の叫びを上げる間もなく潰えた敵を悼むような声で、ジョンストンは傍らのボーウッドにおずおずと話しかけた。次々と無情な砲撃を冷徹にトリステイン艦隊に浴びせ続けるボーウッドに、ジョンストンは恐怖したのだった。
「サー、ご安心を。すでに、勝敗は決しました」
ゆるゆると動き出したトリステイン艦隊を眺めつつ、ボーウッドが淡々と告げた。
「う、うむ。艦長、新たな歴史の一ページが始まったな」
ジョンストンは冷静さを装いながら、絞り出すような声で言った。
「サー、戦争が始まっただけですよ」
ボーウッドは、冷ややかな声で答えた。
行き足のついていたアルビオン艦隊は、全速で動き出したトリステイン艦隊の頭を押さえるような機動で、すでに動いていた。
アルビオン艦隊は一定の距離をとりつつ、砲撃を続け、あっさりと勝敗は決した。
トリステインの王宮に、国賓歓迎のため、ラ・ロシェール上空に停泊していた艦隊全滅の報がもたらされたのは、それからすぐのことであった。
ほぼ同時に、アルビオン政府からの宣戦布告文が急使によって届いた。不可侵条約を無視するような、親善艦隊への理由なき攻撃に対する非難がそこには書かれ、最後に『自衛ノ為神聖アルビオン共和国政府ハ、トリステイン王国政府ニ対シ宣戦ヲ布告ス』と締められていた。
ゲルマニアへのアンリエッタの出発で大わらわであった王宮は、突然のことに騒然となった。
すぐに将軍や大臣たちが集められ、緊急会議が開かれた。しかし、会議は紛糾するばかり。
まずはアルビオンへ事の次第を問い合わせるべきだとの意見や、ゲルマニアに急使を派遣し、同盟に基づいた軍の派遣を要請すべしとの意見が飛び交った。
会議室の上座には、呆然とした表情のアンリエッタの姿も見えた。本縫いが終わったばかりの、眩いウェディングドレスに身を包んでいる。これから馬車に乗り込み、ゲルマニアへと向かう予定であった。
会議室に咲いた大輪の花のようなその姿であったが、今は誰も気に留める者はいない。
「アルビオンは我が艦隊が先に砲撃したと言い張っておる! しかしながら、我が方は礼砲を発射しただけというではないか!」
「偶然の事故が、誤解を生んだようですな」
「アルビオンに会議の開催を打診しましょう! 今ならまだ、誤解は解けるかもしれない!」
各有力貴族たちの意見を聞いていたマザリーニ枢機卿は頷いた。
「よし、アルビオンに特使を派遣する。事は慎重を期する。この双方の誤解が生んだ遺憾なる交戦が、全面戦争へと発展しないうちに・・」
そのとき、急報が届いた。
伝書フクロウによってもたらされた書簡を手にした伝令が、息を切らせながら会議室に飛び込んでくる。
「急報です! アルビオン艦隊は、降下して占領行動に移りました!」
「なに!場所はどこだ?」
「ラ・ロシェールの近郊! タルブの草原のようです!」
生家の庭で、シエスタは幼い兄弟たちを抱きしめ、不安げな表情で空を見つめていた。
先程、ラ・ロシェールの方から爆発音が聞こえてきた。
驚いて庭に出て、空を見上げると、恐るべき光景が広がっていた。空から何隻もの燃え上がる船が落ちてきて、山肌にぶつかり、森の中に落ちていった。
村は騒然とし始めた。しばらくすると、空から巨大な船が下りてきた。雲と見まごうばかりの巨大なその船は、村人たちが見守る中、草原に鎖のついた錨を下ろし、上空に停泊した。
その上から、何匹ものドラゴンが飛び上がった。
「何が起こっているの? お姉ちゃん」
幼い弟や妹たちが、シエスタにしがみついて尋ねる。
「家に入りましょう」
シエスタは不安を隠して兄弟たちを促し、家の中に入った。中では両親が不安げな表情で窓から様子を窺っている。
「あれは、アルビオンの艦隊じゃないか」
父が草原に停泊した船を見て言った。
「いやだ・・、戦争かい?」
母がそう言うと、父が否定した。
「まさか。アルビオンとは不可侵条約を結んでいるはずだ。この前の領主さまのお触れがあったばかりじゃないか」
「じゃあ、さっきたくさん落ちてきた船は何なんだい?」
艦上から飛び上がったドラゴンが、村めがけて飛んできた。父は母を抱えて窓から遠ざかる。
ぶおん!
と唸りを上げて、騎士を乗せたドラゴンは村の中まで飛んできて、辺りの家々に火を吐きかけた。
「きゃあ!」
母が悲鳴を上げた。
家に炎を吐きかけられ、窓ガラスが割れて室内に飛び散ったのだ。村が燃え盛る炎と怒号と悲鳴に彩られていく。
父は気を失った母を抱いたまま、震えるシエスタに告げた。
「シエスタ! 弟たちを連れて南の森に逃げるんだ!」
竜騎士隊の火竜が飛び交い、兵が次々と草原に降り立った。広いこの草原は、侵攻軍が拠点とするのに最適だったのだ。
タルブ領主、アストン伯爵が数十人の軍勢を率いて応戦していたが、強力なアルビオン竜騎士隊が相手では時間の問題であった。
昼を過ぎた。王宮の会議室には次々と報告が飛び込んでくる。
「タルブ領主、アストン伯爵、戦死!」
「偵察に向かった竜騎士隊、帰還せず!」
「未だアルビオンより、問い合わせの返答ありません!」
それでも会議室では、未だに不毛な議論が繰り返されており、一向に会議はまとまらない。マザリーニも、結論を出しかねていた。未だ彼は、外交での解決を望んでいるのであった。
「タルブの村、炎上中!」
その急使の声で、呆然としていたアンリエッタは我に返った。大きく深呼吸して立ち上がると、一斉に視線が王女へと注がれた。アンリエッタは、わななく声で言い放った。
「あなた方は、恥ずかしくないのですか」
「姫殿下?」
「国土が敵に侵されているのですよ。同盟だなんだ、特使がなんだ、と騒ぐ前にすることがあるでしょう」
「しかし・・、姫殿下・・、誤解から発生した小競り合いですぞ」
「誤解? どこに誤解の余地があるというのです? 礼砲で艦が撃沈されたなど、言いがかりも甚だしいではありませんか!」
「我らは、不可侵条約を結んでおったのですぞ。事故です」
「条約は紙より容易く破られたようですわね。礼儀知らずのあの人たちは、もとより守るつもりなどなかったのでしょう。時を稼ぎ、虚を突くための口実に過ぎません。アルビオンには明確に戦争の意思があって、全てを行ったのです」
「しかし・・」
アンリエッタはテーブルを叩き、大声で叫んだ。
「わたくしたちがこうしている間に、民の血が流されているのです!彼らを守るのが貴族の務めなのではありませぬか? 我らは、何のために王族を、貴族を名乗っているのですか? このような危急の際に、彼らを守るからこそ、君臨を許されているのではないですか?」
誰も、何も言わなくなってしまった。アンリエッタは冷ややかな声で言った。
「あなた方は、怖いのでしょう。なるほど、アルビオンは大国。反撃をしたところで、勝ち目は薄い。敗戦後、責任を取らされるであろう、反撃の計画者にはなりたくないというわけですね? ならば、このまま恭順して命を永らえようというわけですね?」
「姫殿下」
マザリーニが窘めた。しかし、アンリエッタは言葉を続けた。
「ならば、わたくしが率いましょう。あなた方は、ここで会議を続けなさい」
アンリエッタはそのまま会議室を飛び出していった。マザリーニや、何人もの貴族が、それを押しとどめようとした。
「姫殿下! お輿入れ前の大事なお体ですぞ!」
「ええい! 走りにくい!」
アンリエッタは、ウェディングドレスの裾を膝上まで引きちぎった。引きちぎったそれを、マザリーニの顔に投げつける。
「あなたが結婚なさればよろしいわ!」
宮廷の中庭に出ると、アンリエッタは大声で叫んだ。
「わたくしの馬車を! 近衛! 参りなさい!」
聖獣ゆにこユニコーンが繋がれた、王女の馬車が引かれてきた。
中庭に控えた近衛の魔法衛士隊が、アンリエッタの声に応じて集まってくる。
アンリエッタは馬車から一頭を外すと、ひらりとその上に跨った。
「これより全軍の指揮をわたくしが執ります! 各連隊を集めなさい!」
状況を知っていた魔法衛士隊の面々が、一斉に敬礼する。
アンリエッタは、ユニコーンの腹を叩いた。
ユニコーンは、額から突き出た角を誇らしげに陽光に煌めかせ、高々と前足を上げて、走り出した。
その後に、幻獣に騎乗した魔法衛士隊が口々に叫びながら続く。
「姫殿下に続け!」
「続け! 後れを取っては家名が泣くぞ!」
次々に中庭の貴族たちは駆け出していく。城下に散らばった各連隊に連絡が飛んだ。
その様子をぼんやりと見つめていたマザリーニは、天を仰いだ。
どのように努力しようとも、いずれアルビオンとは戦になると思ってはいたが・・。
未だ、国内の準備は整っていないのだ。彼とて命を惜しんだわけではない。彼なりに国を憂い、民を思ってこその判断だった。小を切っても、負ける戦はしたくないのであった。
しかし、王女の言う通りであった。彼が傾注した外交努力はすでに泡と消えていた。しがみついてなんになろう。騒ぐ前に、すべきことがあったのだ。
一人の上級貴族が、マザリーニに近づいて耳打ちをした。
「枢機卿、特使派遣の件ですが・・」
マザリーニは、被った球帽をその貴族の顔に叩きつけると、アンリエッタが自分に投げつけたドレスの裾を拾い、頭に巻いた。
「各々方! 馬へ! 姫殿下一人を行かせたとあっては、我ら末代までの恥ですぞ!」
その頃・・。
燃え盛るタルブの村を見ながら、シエスタは、南の森で幼い兄弟たちと身を寄せ合っていた。
幼い兄弟たちをなだめながら、シエスタは祈るような声で言った。
「チンプイさん、助けて・・」
次回で、原作3巻の終わりまでいく予定です。