しかし、愚かな祈りこそが人の願いを洗練させる。
洗練された願いこそが成就する。
愚かさこそが願望を叶える肥しなのだ。
――とある少年の言葉。
「なにが起きているのッ!?」
時の庭園。
フェイトの母親、プレシア・テスタロッサ。
彼女が根城としている拠点が振動でゆれていた。
「次元震ですって!? 馬鹿な、ジュエルシードが起動しているとでもいうの? そんなあり得ないわ!」
ジュエルシードは現在、封印状態にて隔離してある。
プレシアほどの魔道士が施した封印だ。
誰かが意図的に起動しない限り、ジュエルシードが次元震を起こすはずがないのだ。
「一体誰がジュエルシードを起動したというの?」
プレシアの頭の中で、嫌っているはずのフェイトが真っ先に除外される。
フェイトの使い魔であるアルフも同様に除かれる。
あれは主人想いの使い魔だ。
フェイトの身に危険が及ぶであろう、ジュエルシードの起動をするわけがない。
となると、残るは――。
「あの子ね……」
忌々しい少年がプレシアの脳裏に映る。
それはつい先日、フェイトが無断で連れてきた少年であった。
「……ええっと、この子なんだけど、役に立ちそうだからここに置いても大丈夫かな?」
「は?」
普段はわがままを言わないフェイトの不意打ちにプレシアは困惑した。
ただでさえ忙しいのに余計な手を煩わせないで、だとか、いくら次元犯罪者と言っても誘拐は気が引ける、だとか。
そんな注意すら口に出てこない位の衝撃。
「どうも、こんにちわ。あなたがフェイトのお母さんですね。どうぞ力をお貸ししますよ」
そんな精神状態でこの少年を前にすればまともに応対できるはずもない。
あれよあれよと言う間に話は進み、プレシアはいつの間にか少年の滞在を認めてしまっていた。
「大丈夫です。両親の許可は取ってありますよ。ご心配はいりません。
そうだよな、フェイト」
「うん。私も一緒に工作したから抜かりはないよ。母さん」
「……そういう問題じゃないのよ。フェイト」
「大丈夫。ジュエルシードの収集効率も上がるはずだから、もう少しの辛抱だよ。母さん」
フェイトに初めて気圧された瞬間だった。
ともかく、フェイトと少年がペアを組んだ。
効率は上がった。
少年に魔力はない。
魔力はないが、土下座でジュエルシードの封印はできる。
だから、管理局は少年の追跡ができない。
少年はジュエルシードの探索ができる。
管理局もジュエルシードの追跡はできる。
しかし、不完全なジュエルシードに対しての感度は少年の方が上だった。
だから、少年たちは管理局を出し抜ける。
少年が魔力を持たないからこそ、フェイトたちは管理局を上手くやり過ごすことができた。
時たまに管理局と鉢合わせするし、先を越されることもあった。
管理局へと力を貸すことになったなのはとぶつかる事もあった。
しかし、それでも、当初の想定を超えるペースで集まっていくジュエルシードが、時の庭園へと積み上がっていく。
だが、しかし――。
「でも、なぜ……?」
現在、そのジュエルシードが起動している。
暴走状態というほどに荒ぶってこそいないものの、不安定な状態だ。
なぜ、そんなことをしたのか。
それ以上に――。
「彼は一体何をしたの……ッ!?」
現時点では少年が何かをしたという確証も無いのに、少年が何かをしたという確信だけが強くなっていく。
もともと、底が知れない少年だった。
いつの間にか、フェイトに取り入り、アルフも渋々ながらそれを了承していることもそうだが、何より彼の土下座だ。
映像は見た。
何度か、少年の土下座を観察したこともある。
それでもそのメカニズムは未だに分からない。
だから、プレシアは魔力の面で見れば何の変哲もない少年を恐れている。
少年への確信は、プレシアの無意識の発露だった。
プレシアは鳴動の中心部分に足を踏み入れた。
時の庭園の最深部。
そこにいたのはジュエルシードに囲まれた少年、土ノ下座。
想像の通りに少年はジュエルシードを起動していた。
少年が振り返りプレシアへと憎々しいほどに清々しい笑みを向けてくる。
「ああ、ちょうどいい所に来てくれた」
「! あ、あなた、それは――」
だが、プレシアが真に困惑したのは、彼がジュエルシードを起動していたからではない。
ジュエルシードは大事なものであるが、それは手段としてのもの。
成就させるべき願いの結晶ともいうべき、培養液で満たされた生体ポッド。
もっと言うのなら、その中で眠る少女こそが命に代えてでも守りたいものだった。
「どうして! なんで、アリシアがここに?」
アリシア。
それこそが、培養液に浸された少女の名だ。
金髪に整った顔立ち。
その姿はフェイトと瓜二つである。
「ごめんね、母さん」
「フェ、フェイト? あなたなの? あなたがアリシアをここに――」
「ごめんね、私どうしても母さんの力になりたくて。
だから、色々、調べたんだ。母さんの過去とか、特に昔起きた事故については念入りに」
「勝手なことをしないでちょうだい!」
忌々しい、とプレシアは思う。
フェイトはクローンだ。
アリシアに似せて作られた偽物だ。
それが母のためとうそぶいては、足を引っ張ってくる。
これほどまでに不愉快な存在はない。
感情に任せて、フェイトを押し除ける。
その先に立ち塞がっている少年をも排除しようとした矢先。
少年の口が開いた。
「この千載一遇のチャンスを逃しても良いんですか?」
「なんですって?」
「今なら、アリシアを蘇らせることができるかもしれない」
聞かなくても良い言葉だった。
警戒する少年の言葉ならなおさらそうすべきだった。
だけれども、プレシアはついつい聞き入れてしまう。
土下座という正体不明の術を操る少年の言葉に耳を傾けてしまう。
「そもそも、何故、このアリシアという少女は目を覚さないのでしょうか?」
そんな原因などすでに知っていた。
肉体を作り記憶を埋め込むだけでは、不十分。
例え、クローンを作ってアリシアとしての記憶を刷り込んだとしても、それは別の存在が生まれるだけ。
それはフェイトという存在が証明している。
だから、そういうふうに作った。
器を作り込み、そこに魂を入れるという算段でアリシアはできている。
「あえて、意識を持たないように作られたから、なのでしょう。
このアリシアという娘にはおよそ意識と呼ぶべき、ものが感じられない」
しかし――、と少年は自らの言葉で、その推測を否定する。
「それだけではない。
これほど精巧にできた肉体には必然的に魂が宿るはず。
つまりはアリシアはもうこの段階で目覚めていてもおかしくはないのです」
「だったら、どうして、アリシアは目を覚まさないのよ?」
「あなたのせいだ」
突然の非難にたじろいだ。
少年を恐れる理由など何もないのに、身を竦ませてしまう。
自分が悪人であることなど、とうの昔に理解していたというのに。
「あなたは娘を生き返らせたかった。
非合法の研究、生み出される無数の検体、およそ、まともな行いではない」
「……黙りなさい」
「アリシアとの日々を取り戻すための執念はついには身を結び、そこのフェイトを生み出すことに成功する。
最初はあなたも喜んでいたのでしょう。
しかし、フェイトがアリシアではないことに気がついてしまう。
喜びが大きかっただけに失望も大きい。
ただでさえ過激だった研究はついに冒涜的なものへと変貌し、その結果としてアリシアの器が完成した」
「……黙れ」
「しかし、それこそが落とし穴だ。
あなたの執念は身を結んだが、その執念ゆえに魂は回帰しない。
あなたの業と、あなたが生み出したものの罪が、帰還しようとしている魂を拒んでいる」
「……黙れ、黙れ、黙れ、黙って!」
ヒステリックな叫びと背筋を伝う冷や汗。
まるで、上段から犯してきた罪を糾弾されているような。
被告人席で罪が言い渡されるのを待つ罪人のような。
そんな心境で耳を塞ぐ。
しかし、耳を塞いでも、少年の低く響く声が直接響いてくる。
「俺が力を貸します」
顔を上げた先には少年がいた。
複数のジュエルシードの光が少年を照らしている。
逆光の中で、少年が手を差し伸べてきている。
少年の所作には、紛れもなく、フェイトとプレシアを救いたいという意志があった。
「ふ、ふふふ、ははははは、あっはははははは」
だが、プレシアは信用しない。
口から狂笑が漏れる。
何を言っているのだこの少年は、と思う。
散々、自分を非難しておいて、手を差し伸べる。
これはあれだ、と思う。
傷つけられた後に、優しくされると、その人物に服従してしまう、という現象。
それを利用した人身掌握術。
まさか、10歳にも満たない子供がそんな手を使ってくるとは。
だが、プレシアは納得する。
聖人ぶっても所詮、悪知恵が効くだけの子供にすぎない。
危うく騙されるところだった。
何を企んでいるのかは分からないが、大方、ロクでもないことを考えていたのだろう。
プレシアの鞭を持った手がわなわなと震える。
「今すぐ、私の前から消えなさいッ!」
プレシアは鞭を振るった。
少年は貴重な協力者だった。
ジュエルシードをのどから手が出るほどに欲しているプレシアにとっては、かなり有用な存在と言える。
しかし、それでも、許せなかった。
勝手にアリシアを持ち出してきた挙句に、ジュエルシードの無断開放。
なにより、己の苦悩を全て分かっているかのような言動。
少年の全ての言動が鼻についた。
そして、それ以上に、そんな少年を神々しいなどとほんの少しでも思ってしまったことが許せなかった。
「なッ!?」
だが、鞭は空を切った。
プレシアの視界から少年の姿が消えていたのである。
一体どこへと思う暇もなかった。
プレシアは何かにつまずいた。
足元になにかが当たってきたのだ。
少年だ。
その場で身をかがめた少年が素早くプレシアに体当たりしたのだ。
プレシアは起き上がろうとして両手を地についた。
そして、気がついた。
その姿勢は正しく――。
「そう、やはり、この姿勢こそが今のあなたに一番ふさわしい」
少年の手がプレシアの頭を押さえつける。
プレシアはなおも抵抗しようとするも、その胴に鎖が巻きついて動きが封じられる。
「なッ! フェイト、止めなさい。この男に魔法を打ち込むのよ。今すぐに!」
プレシアの抗議をフェイトは無視した。
あまりの状況にフェイトの後ろでアルフがあわあわしているものの、主人の邪魔をできるはずもない。
止めるもの不在のまま、状況は進んでいく。
「あなた、一体何を考えているのよ?
フェイトも何故、止めないの?
こんな無様な格好をさせて、それで満足だとでもいうの?」
プレシアの声が弱々しいものへと変わっていく。
想定外のできごとの連続と、自身が取っている屈辱的なポーズに、心が折れそうになっている。
「アリシアを救いたい。それ以上にあなたを放ってはおけない」
少年の口調が強くなる。
「あなたの願いは正当なものだ。
願いに至るまでの過程には問題も多いが、だからといって、俺はあなたが報われないべきではない、などとは考えてはいない。
それでは、フェイトとアリシアがあまりにもかわいそうだ」
少年が願っているのはあくまでも誰かの幸せで、土下座を志しているのは誰かを幸福にするため。
幸せとは願いが報われることだ、と少年は定義する。
そのためならば、自分が土下座をすることも、誰かに土下座をさせることも躊躇をしない。
鋼の意思。
本気で誰かの幸せを願う少年の阻めるものなど、この世には存在しない。
「だから、あなたの助けが必要なのです。ただ一言、フェイトとアリシアに謝ってくれればそれで願いは成就する」
「ふざけないで! そんなことでアリシアが戻ってくるわけがないわ!」
「もし、仮にアリシアがあなたの行いを全て見ていたとしたらどう思うでしょうか?
きっと、こう思うはずです。
『お母さん、もう、ひどいことをするのは止めて。私の妹をこれ以上虐めないで』と」
「人は死んだらそれまでよ。だから、私はこんなにも苦しんでいる!」
「ここで重要なのは、霊魂の有無ではありません。
あなたが娘を生き返らせるためにした行いを、娘の前で誇れるかどうかです」
「!?」
「あなたが苦しいように、あなたの娘、2人は苦しんでいる。
アリシアは彼岸の向こう側で、フェイトはあなたのそばで、今も苦しんでいる」
「やめて……ッ」
「心優しかったアリシアは特に苦しいでしょう。
自分が生き返ればそれで済むのに、それができないんだから。
アリシアの幸福を祈っているはずのあなたが、アリシアを苦しめている」
「もう、いやよ……。聞きたくないわ」
プレシアの言葉に涙声が混じる。
阻むものない少年の言葉に宿る説得力は、プレシアを容赦なく打ちのめした。
プレシアはいつしか、追い込まれていた。
もう、限界は近い。
「さあ、言うのです。その一言であなたたち家族は救われる。家族を救うのは他でもない……あなた、だ」
極度の羞恥と極大の興奮。
生命の危機にも匹敵するそれら衝撃は、プレシアに走馬灯を見せる。
アリシアを失ったこと、違法な研究に没頭する自分自身、そして――。
――忘れていたわ。私がこんなにも喜んでいたことを。
フェイトを作り出したときのことも、かつて感じていた喜びも甦る。
かつて感じていた罪悪感も鮮やかになる。
そして、今さらながらに後悔する。
どうして、もっと優しくできなかったのか、と。
過去を無かったことにはできない。
してはいけない。
ならば、どうすれば良いのか。
ああ、そうだ。
あるではないか、と思い至る。
プレシアの手に力がこもる。
上へと押し上げるようにではなく、下へと引き寄せるように。
それは何かをはねのけるようにではなく、何かを抱き寄せるように。
少年はもう押さえつけてはいない。
拘束していた鎖も解かれている。
にも関わらず、彼女は選択した。
頭を下げることを、自身の愚かさを認めることを。
「ごめんなさい。フェイト、アリシア、どうか私を許してください」
土下座が出現していた。
ジュエルシードはより一層強く輝いて――願いは完遂された。
アリシアの目がゆっくりと開いていった。
アリシアは蘇ったのだ。
少年は両手を広げて祝福した。
願いの成就を。
「ママー! ごめんなさい! 遅くなってごめんなさい!」
「それは私の台詞よ……アリシア。フェイト。あなた達を傷つけた私は最低の母親だわ」
「謝るのは私の方だよ。ひどいことしてしまってごめんなさい」
アリシアの復活。
それは目に見えた効果を発揮した。
具体的には、プレシアの病んだ精神の回復、それによるフェイトとの和解だ。
まだまだ、これからこの家族の前には困難が立ちふさがっているだろう。
だが、彼らには家族としてこの危機を乗り越える意思が芽生えつつある。
プレシアが過去の反省を胸に、娘たちを幸せにしようと心がけるのであれば、どうということはないはずだ。
「おい、待ちな。あんたはどうする気だい?」
アルフは、クールに去るぜとばかりに背を向ける少年に声をかけた。
魔法の世界であっても非常識な行為で、少年は事態を丸く収めて見せた。
しかし、だ。
それでも、不安は消えない。
プレシアは重罪人だ。
管理局の追跡を振り切れるわけもない。
「まあ、俺は大丈夫だろうと踏んでいる」
「その言葉にどれだけの根拠があるっていうのさ?」
「プレシアさんには研究者として大きな価値があるはず。
だったら、色々と減刑のためにできることもあるだろう。
司法取引とかね」
「そんなことあんたに分かるもんか!」
いかに土下座を操ろうと未来は不定形。
土下座は所詮祈りの技法に過ぎない。
が、少年の表情に陰りはない。
何かを信ずるように、いや、プレシア・テスタロッサを信じているかのように、その顔つきは明るい。
「ああ、確かに俺には分からないことの方が多い。
それでも、一つ確実に言えることがある」
「なにさ?」
「ようやく願望を成就させた大魔導士が、状況に流されるだけで終わるわけがない。
だって、これから先に望んでいた未来が待っているのだから」
少年はそうして歩き去っていく。
それをアルフは止めようとは、思わなかった。
ただ、黙って、感謝とも警戒とも定まりきらない視線を少年へと投げかける。
「さあて、なのはたちはどうしているかな」
間抜けにも聞こえる呟きを残して、少年は部屋の外へと出ていった。