絶望は呪いと祈りを産んだ。
呪いは書を産み、祈りは土下座を産んだ。
――いにしえの賢者。
土下座とは奇異な行為である。
見る人によっては不快感を覚え、嫌悪するものもいるだろう。
その土下座という行為の中に輝きを見出すものは余りにも少ない。
「……土下座とは力なきものがたどり着いた最後の手段だ」
だから、少年は語る。
土下座の効能を知るものは、魔法世界においては皆無。
誰かが語らねば、その意味を紐解けるものなど誰もいないのだ。
「祈祷。
懺悔。
浄化。
激励。
応援。
命乞い。
土下座とはどれでもあって、どれでもない。
場のシチュエーションとタイミング、のせる感情と所作の組み合わせにより、無限の可能性を秘めている」
少年の声は厳かだった。
洞穴の奥深くからとどろく振動であり、教会のオルガンがかなでる旋律でもあった。
「あいつらは無念の集合体だ。
ずっと使われず仕舞い込まれるだけだった、数千年間の感情がよどみ溜まっていた。
無念は誰かが晴らしてやらねばならない」
でも、いったい誰が?
どうやって?
台詞が言外のうちに内包していた問いに少年は自ら答える。
「土下座にはそれができるんだ」
恍惚の表情で少年は両手を開いた。
「プレシア・テスタロッサの土下座は素晴らしかった。
彼女の祈りをジュエルシードは聞き届け、道具としての役割をまっとうすることができたのだ。
祈りが叶うのと同時に無念が浄化される、その瞬間はたまらなかった」
目を閉じて情景を反芻する少年。
語り終えた少年の前に、見たところ10歳前後の男の子が座っていた。
「君、頭は大丈夫か?」
入室するなり土下座論をぶち撒けた少年。
クロノは面食らった様子で言った。
土下座を操る少年、すなわち、土ノ下座は管理局に保護されていた。
管理局はすでに協力関係あったなのはとユーノから、少年の特徴と人相は伝え聞いていた。
だから、少年の保護は余計な行き違いはなくスムーズに済んだ。
しかし、問題はここからだった。
管理局はなのはとユーノから事情を聞いている。
少年がフェイトと共に時の庭園へと赴いたことを知っているのは、当然ながら、それが自分の意思によるものであるということも把握していた。
クロノはこれを問題視した。
クロノ・ハラウオンは生真面目である。
管理局に勤めて、犯罪を取り締まり、執務官という地位までに上り詰めたのが、クロノという人物である。
そんなクロノにとって、少年の行動は身勝手極まりないものだった。
次元犯罪者への協力とも取られかねない行動。
ロストロギアへの不用意な接近。
見過ごすことのできない行為である。
少年に罪を問えるわけではないし、糾弾するつもりもない。
それでも、せめて自分がしでかしたことが危険だということを理解させてやろう。
そう思っていた。
「……君は一体なんなんだ?」
それがどれほど甘い見通しだったのかを、痛感していた。
土下座。
少年の信仰は想像を超えていた。
なぜ、フェイトについて行ったのかと問えば、そこに救うべき人がいたのだ、と言った。
なぜ、不用意にジュエルシードと関わったのかと不満をぶつければ、そこに浄化すべき無念があったのだ、と悪びれない。
土下座の話が織りまぜるものだから、言葉を重ねていくごとになんの話をしていたのか、分からなくなる。
「まあ、それくらいにしてあげたら?」
「艦長!?」
そんなクロノを見かねてか、リンディが助け舟を出した。
リンディ・ハラウオン。
次元航行艦アースラーの指揮官である。
「まあ、そこの座くんだって反省しているでしょうし、ね」
「……分かりましたが、これだけは言わせてください。
良いかい、座?
ロストロギアは管理局でさえ全容を把握できていない代物なんだ。
下手に手を出せばどんな被害が出るか、想像すらできない。
今後、こういう事態に遭遇したら余計な事はしないでくれよ。
君が土下座を信用するのは勝手だが、それで怪我でもされたら困るのは君だけじゃない。
心配してくれる人がいるんだろう?」
クロノの言葉はどこまでも正論だった。
しかし、少年は頷かない。
少年はばつが悪そうに頬をかいて、首を横に振ったのだった。
「ジュエルシード以上の危険物が海鳴市に存在している以上、黙って見過ごす事はできない」
「それは本当なのかい?」
ユーノが怪訝そうにつぶやいた。
海鳴市の海岸沿いの公園。
そこで少年とユーノの視線の先ではなのはとフェイトが話をしている。
なのはが積極的に話しかけて、フェイトが相槌を打っている。
ジュエルシードを巡って争っていた二人はかなり相性の良い組み合わせのようだった。
「ああ、本当さ。俺は呪いの気配を感じている」
「呪いの気配?」
「土下座ってのは祈りから生まれたものだ。
だから、土下座をやっていると人の負の感情に敏感になるものなんだ。
それが負の極地にある呪いとなれば、なおさら、その気配を感じ取れないはずがない」
祈りと呪い。
それは絶望が生んだ双子。
相反する二つのものは、総じて、近似の関係にある。
土下座を操る祈りの申し子とも言うべき少年が、その存在を感知しないなどということがありえるだろうか?
少年は隠れ潜む、呪いの気配を、大まかに探り取っていた。
「そこまで言うんだ。証拠はあるのかい?」
ユーノは半信半疑だった。
少年の異能を認めてこそいるものの、まさか、未だに隠れ潜む呪い、この場合だと、おそらくは潜伏しているロストロギアを察知するほどとは思ってはいない。
その疑念をことさら否定するつもりは少年にはない。
いくら土下座に精通しているとはいえ、魔法に関してはズブの素人だ。
そんな素人が何でもかんでも見通せるなどという思い上がりはない。
しかし、ないならないなりにできることもある。
「ない。ないけど、管理局のクロノ執務官は俺の話をある程度信じているらしい」
「なんだって!? それは本当かい?」
ユーノは少年から出てきた言葉に驚いた。
クロノ・ハラウオンのことは知っている。
だって、つい最近まで、アースラーで一緒にジュエルシードを追っていたのだから。
人となりもある程度は理解している。
与えられた仕事をきっちりとこなし、自身の裁量で動けるだけの判断力を備えた、優れた人間だった。
そんなクロノのお墨付きがもし付いているとなれば、ユーノが前のめりになるのは仕方のないことだろう。
ユーノは少年と顔を突き合わせた。
「呪いに関して俺なりの推測を話したら、目の色を変えていた」
「本当に?」
「リンディ艦長もどうやら俺の話に思うところは合ったらしい。
まず最初、ほんの少し、俺の考えを話したら彼らどんどん先を促していった」
「でも、彼らが君の話に興味を持ったとは限らないんじゃ?」
「そうかな?
俺はあのとき、彼らから厳重注意を受けていた。知っているだろう」
「ああ、君には少し問題があったね」
「ははは。
そんな話の最中に、でたらめな話をしても聞き流されるか注意されるのがオチだ。
でも、あのとき、彼らは適当に頷くんでも、話を中断するでもなく、真剣に俺の話を聞いていた」
「……君のいう通りなのかな」
ユーノが認めかける。
そのときだった。
不機嫌な声が会話を遮ったのは。
「でたらめなことを言うんじゃない」
「ああ、クロノ執務官、来てたんですね」
「当たり前だろう。フェイトはまだ裁判を控えているんだから、目を離すわけがないだろう」
クロノ・ハラウオン。
話に出てきていた張本人である。
少年はその張本人に悪びれず問いかけた。
「それで、フェイトはどうなるんです?
なのはからはそう重たい刑にはならないだろうって、聞いていますが」
「裁判中だからはっきりとは言えないけど、罪は比較的に軽いものになるだろう。
近いうちに拘束も解かれるはずだ」
「プレシア・テスタロッサの方はどうなっているんだい?」
「彼女はやり手だね。
ロストロギア関連の違法は本来、何百年単位の懲役になりうる大罪なんだが、そうはならないだろう」
「それは良かった。だけど、なんで?」
「彼女は娘を、アリシアを助けるために、必死になっていた」
「同情かい?」
「そうじゃあない。
そうじゃあないけど、情状酌量の余地があったのも事実だ」
プレシアはアリシアを救いたかった。
事故で亡くなったアリシアを助けるために全力を尽くしたのである。
無論、その手段は褒められたものではない。
だから、プレシアは申し出たのだ。
自身の刑期をできる限り短くするために、研究成果の提供と管理局への協力を。
プレシアは優れた魔道士でもあり研究者でもある。
これほどまでに優秀な人間が手を貸りられるメリットはあまりにも大きい。
プレシアは今後、かなり自由を制限されるだろう。
監視が常時張り付くこともあり得る。
が、それでも、プレシアは家族との時間を過ごせるはずだ。
裁判の成り行きによっては良い条件を引き出せるかもしれない。
そういう話を聞いてから、少年は満足そうに頷いた。
「そうだ、話がある。君に会いたいって人がいるんだよ」
「座!」
クロノが脇に退いた。
そこから、一人の女の子がいた。
少年はその正体に気がついた。
女の子はアリシア・テスタロッサ。
少年が取り仕切った土下座によって生還した少女である。
「初めましてだね。座」
「アリシアも元気そうでなによりだよ。
今はアースラーに保護してもらっているんだって?」
「母さんたちが帰ってくるまではね」
「俺の方に来るだなんて、随分な物好きだな。フェイトとはお話ししなくて大丈夫なのかい?」
「フェイトとはもう何度も話をしてるし、それよりも……座と話がしたくて」
「僕は、向こうに行ってるよ」
クロノはユーノを肩に乗せて一旦その場から去っていった。
少年はアリシアと対面する。
思えば、こうしてアリシアとゆっくり話しをするのは初めてだった。
最初に口を開いたのは、アリシアだった。
「君って結構変わってるよね」
「いきなり本質をついてくるな」
「うん。だって、普通の人は土下座なんてしないから」
少年は笑う。
笑って、こう言った。
「一回やってみるかい?」
「は?」
「自分の尊厳も生きる権利も、何もかもを投げ出して相手に押し付けるんだ。
これほど気持ち良い行為はこの世のどこにも存在しない」
「ぷっはははははは!」
アリシアは爆笑して、少年を見た。
「なんとなく分かったよ」
「何がだい?」
「ママとアルフがあなたを警戒する理由が」
「何、あの二人は俺のことをよく思っていないのかい?」
「さあ。そんなことはないと思うけど……。
ただ、私があなたと会うって話をしたらすごい心配されたからさ」
「心外だね。恩人面するつもりはないんだが、感謝されていなかったとは」
少年は天を仰いだ。
その様子はいかにもといった感じで演技じみてはいるものの、一掬いほどは本当の感情が混ざっていた。
アリシアは目ざとくそれを見抜いて、慰めるように少年の肩を叩いた。
「まあ、しょうがないんじゃない?
ママの首根っこを掴んで地面に擦り付けたんだからさ」
「俺が掴んだのは首じゃなくて、頭」
「余計悪いよ」
「それもそっか」
少年は柵にもたれかかり、アリシアはその横で身を乗り出して海を見ている。
「う〜〜ん、気持ち良い〜〜」
「良い風だ」
「風だけじゃないよ」
「へえ」
「この青い空も良いし、海も青くて綺麗だし、潮の香りも慣れれば悪くないし、波の音は落ち着くし……」
アリシアは目を輝かせた。
「とにかく、全部、全部、こうやって全身で色んなものを感じられるのがすごく嬉しい。
目にするもの、手に触れるもの、口にするもの、全部が新鮮で生きてて良かったって思える。
何より、ママと、私が死んでる間に増えていた妹と、生きていけるなんて夢みたい」
アリシアは少年の手を取って、自分の胸に当てた。
「だから、ありがとう」
少年はアリシアをチラリと見て、視線を下げた。
顔を少しだけ赤くして、ただ一言。
「そのお礼。土下座でしてみない?」
「嫌!」
そりゃそうか、と少年は笑うのだった。
どこまでも青い気持ちのいい晴天だった。
闇がうごめいていた。
呪いが煮詰まった、ヘドロのような闇。
それがうごめいている。
闇の書。
呪いから生まれた魔導書は一人の少女を侵食していた。
少女は知らない。
自分が呪いに侵されていることに。
自分がもう長くないことに。
闇から生まれたものは彼女の孤独を癒すだろう。
しかし、それとて一時しのぎに過ぎない。
いずれ彼女は孤独の中で全てを失ってしまう。
一体誰がこの闇から彼女を救い出せるのだろう。
闇はどこまでも深い深淵を形作り、やがて、この地上すらも呑み込んでしまう。
そんな闇を祓うのに必要なのは、他の何者でもなかった。
ーー呪いあるところに土下座あり。
誰よりも雄弁に、誰よりも厳かに、誰よりも真摯に、誰よりも低姿勢に、誰よりも静寂に、土下座をしている男。
彼の土下座こそが求められていた。
そして、彼もまた土下座の機会を伺っていた。
「……かかってこい。いつでも土下座の準備はできている」
闇と土下座の邂逅はもうすぐだ。
少年の土下座が闇を祓うだろう。
土下座少年リリカル⭐︎どげざ ー完ー