「俺は強くなんてない。君の方がずっとずっと強いよ。」
「え?」
何を言われたのか分からない。
私の方が強い?
「そんな、そんなはずない!私は弱い!妹を憎く思うような姉なの!それのどこが強いのよ!」
彼は悪くないのに自分を抑えられない。
気付けば立ち上がり、声を荒げてしまう。
彼は困ったように苦笑している。
「そこだ。」
「え?」
何を言われているのか分からない。
「君は妹を憎んでいられるんだろう?」
何を言っているのか理解が出来ない。
ただ呆然と、唖然としてしまう。
「それは君が妹に負けたくない、勝ちたいと思っている証拠だ。」
その通りだ。
私は妹に、ヒナに負けたくないのだ。
特にギターだけは。
もう私に残っているのはギターだけだから。
「俺は一度何もかもを諦めたんだよ。」
私は言葉に出来ない。
そんなはずはないと叫んでしまいたい。
あの試合で彼は諦めてなどいなかった。
どんなにやられても彼はすぐに立ち上がっていた。
表情に出てしまったのか彼は苦笑して続ける。
「ああ、もちろん今はそんなことない。正確に言えば諦めたつもりになったの方が正しいかったんだ。」
苦笑ではあるが晴れやかな表情だった。
「つまらない話だ。それでも聞いてくれるか?」
そういう問いかけに私はブランコに再び座り、黙って頷いた。
「俺の弟は君も知っているように天才だ。」
そう言った彼に負の感情は見えなかった。
「初めて乗った自転車でガードレールを走るようなやつだった。俺は乗れずに転んでいた横でな。」
彼の表情は明るくはないが、暗くもない。
どこか隠していた物が見つかったかのような苦笑。
「あいつは俺の前を走ってた。俺はあいつに勝てなかった。努力なんて全くしていないあいつに。ただの一度も。何千回も思った。どうして阿含なんだ。俺じゃないんだって。」
どうしてそれを負の感情なく言えるのだろうか。
私には出来ない。
「高校受験を控えていた頃だ。」
それまで私を見ながら話していた彼が自分の組んだ手に目線を落としながら言う。
「ある高校からスポーツ推薦の案内状が来た。」
私は彼から目が離せず、声もかけられない。
それは彼の独白であり、私が入り込むスペースなんてなかった。
「素直に嬉しかったよ。ずっと行きたかった学校だったし、より恵まれた環境でトレーニングが出来ると思った。俺の努力が認められたようにも感じた。あまりにも嬉しかったから雨の中、推薦状を握り締めて事務所まで走って行ったんだ。」
そんな。
これは彼が諦めてしまった話だ。
なら、この続きは…
「事務所で言われたのは『君じゃない』だった。」
言葉が出ない。
「『間違えた』と、『我々が望むのは阿含くんの方だ』と。そう言われた。」
何も言えない。
「その時に思った。凡人は天才に勝てない。何をしても、どう努力しても圧倒的な才能で潰されるだけ。阿含本人にも言った。『才能無い者を振り返るな。実力の世界で同情は誰も救わない。凡人は踏み潰して進め。暴力的なまでの自分の才能だけを信じろ。そうしてこそ、俺が救われる』と。阿含は『当たり前だ』と答えた。実際、あいつはその通りに振る舞った。」
私の目から涙がこぼれる。
彼は泣いてない。
「俺を、凡人を顧みない阿含の振る舞いは当時の俺にとって救いだった。」
当然だろう。
彼にとってはもう終わった話だ。
私には未来の話かもしれないけれど。
「それからは阿含を最強の選手にするために過ごした。
素行の悪いあいつの起こす問題を俺が起こした事にしたりとかな。監督や選手も協力してくれていたし上手くいっていたと思う。俺は凡人として天才を支えることにしたんだ。そうやって俺は何もかも諦めた。」
私は怖いのだ。
自分が諦める事も。
ヒナに振り返られなくなることも。
彼は一呼吸置いてから話を続ける。
「凡人の俺にはトップ選手にはなれない。天才である阿含を支える事こそが俺の役目である。凡人がトップを目指すなど醜いだけだと。そうやって自分を慰めた。」
それは私には認められない。
私が必死に目をそらしていることだ。
努力して、努力して、努力して。
ギターだけは負けられない、と。
盲目的に耳を塞いで見ないようにしている。
「そうして過ごしていたある日、ある試合で俺達は負けた。」
その試合は知っている。
神龍寺ナーガ対泥門デビルバッツ。
その年、弱小であった泥門が起こした奇跡のひとつ。
「その試合から阿含は少し変わった。素行は悪いままだったが練習を始めたんだ。俺は嬉しかったよ。先輩たちも悔しがっていた。『もう一年遅く生まれていれば本気になった阿含と神龍寺ナーガをやれたのに』とな。阿含は怖がられてはいたけど、どこか惹きつける物があったから。」
ヒナにもそんな所はある。
どんなに空気の読めない発言をしても周りから人がいなくならないのはそういうことなんだろう。
「それからまたしばらくしてワールドカップが開かれる事になった。選抜メンバーを選んでの世界戦。阿含は当然選ばれた。俺はトライアウトすら受けに行かなかったよ。今思えばどこか意固地にもなっていたんだろう。当時はそれが正しいと思ったんだ。」
彼は組んだ手を見つめたまま話す。
どこかそれは懺悔しているようにも見える。
「いろいろあったようだが、まぁ最終的に決勝は日本対アメリカになった。試合が進んでいくなかで一人の選手が負傷した。エースの一人でその選手が抜ければ試合には負ける。進清十郎。天才と呼ばれる選手の一人だった。その選手の代わりに入ったのは葉柱ルイ。俺と同じ、凡人だった。」
賊学カメレオンズの主将。
不良たちを束ねる暴君。
そんな風に書いてある雑誌を読んだことがある。
「はっきり言ってしまえば、まるで相手になっていなかった。進が回復するための数分間をどうにかもたせている。ギリギリの泥くさいプレーだった。俺はそれを見てやはり凡人は足掻いてはいけない。天才には勝てない。俺は正しいと思っていた。」
涙が止まらない。
今日だけで私の涙は枯れてしまうかもしれない。
「その時、阿含がサングラスなんかを外した。俺達は双子だ。同じ髪型なんかにすればそっくりになる。阿含は俺に無言でメッセージを送っていたんだ。『テメーはそこでなにやってんだ?』って。そこまで一度も振り返らなかった阿含が凡人である俺に向かって。葉柱と阿含、二人を見て俺は後悔した。どうして俺はこんな処にいるんだ。どうしてあのフィールドで闘っていないんだ。俺は諦めきれて無かった。諦めたフリをして物わかりのいい自分になったつもりだった。」
彼は憑きものが取れたかのような顔で続ける。
「諦める事を諦めたんだ、俺は。今はがむしゃらにやってる所だ。天才、阿含を倒すために別の大学に進学までしてる。まぁ、今回はやられてしまったが。」
彼が苦笑してこちらを見て顔を歪めた。
「しまったな、泣かせるつもりは無かったんだが。すまない。」
謝らないでほしい。
そう言いたかったが、どうも言葉にならない。
しばらく一人泣き続けた。
「落ち着いたか?」
彼は静かにただ待っていてくれた。
私は恥ずかしくなってしまう。
泣き顔を男の人に見られるなんて初めてのことだ。
顔が赤くなっているのが自分でも分かる。
「ええ、ありがとうございます。」
私の返答を聞いて彼は少し安堵したようだ。
「そうか。すまなかった。泣かせるつもりは無かった。」
再度謝る彼に私が少し焦ってしまう。
「謝らないで下さい。私は大丈夫です。それより、話づらいことを話させてしまってすいません。」
「いや、俺は大丈夫だ。今ではもう気にしてないことだしな。」
彼は穏やかな様子だ。
ここまで強くなるにはどれだけの葛藤があるのだろう。
今、聞いた話だけではない、苦悩がもっとあったのだろう。
「俺の話はこんなところだ。何か君のためになればいいのだが。」
「ありがとうございます。おかげでこれから私も頑張っていけそうです。」
彼の話はこれからの私を見ているかの様だった。
その彼が立ち向かっている、というのは私にとって救いである。
私も同じように頑張れるという証拠が彼なのだ。
「なら良かった。」
そう言って笑う彼に少し欲が出てしまう。
「あの…良ければ連絡先を教えていただけませんか?」
「え?」
キョトンとする彼に私が焦ってしまう。
「良ければ話を聞いていただけませんか?それに今度ライブにも招待いたしますので!」
早口でまくし立てるように言ってしまう。
頬が赤くなっているのが自分でも分かる。
私の顔色は今日はとても忙しいようだ。
「俺で良ければ。またライブに招待してくれるのなら、俺は試合に招待するよ。今度は不甲斐ない結果でないようにしないとな。」
そうして私の携帯に初めて父親以外男性の連絡先が登録された。
その後、メンバーと合流したのだが、私としたことが飲み物は買い忘れるし、泣き後を見られ大騒ぎされるなど大変であった。
何故か飲み物は今井さんの家にあったのであるが。