「だから、そんなんじゃないって言ってるでしょ!」
珍しくオノデラが声を荒げているから本当はびっくりしているけど、俺は知らん顔してクッションで丸くなって寝ているふりをしている。
だけど意識は全部、ひげの先どころかお腹の毛の先っぽまでそっちに向いている。ちなみに、マサムネなんて心配過ぎて知らんぷりもできないみたいで、招き猫みたいに座って二人を見つめていた。(ちなみに手はあげてない)
「じゃあどんななんだ!」
バシッと机に叩き落とすみたいにぶつけたのは何やらちょっと厚めの紙だった。本よりは薄くて大きさは『書類』という奴に似ている。
「お見合いは断りました。行きません。それはちゃんと返したはずなのになんで持ってきてんですか。」
「それは聞いたし、別に見合いに行く行かないはどっちでもいい。」
「どっちでもって…。」
「イサカさんに言われたんだ!オノデラもさっさと婚約者と結婚しないからこんなの来るんだって!お前から渡してって。」
タカノの低い糾弾の言葉にオノデラはぐっと喉を詰まらせた。
「婚約者ってなに!?」
タカノがその書類みたいなものを目の前に突き付けるみたいに差し出して問う。
婚約者ってなんだ?それ食えるのか?って…、そんな事言える雰囲気じゃないな…。
「あ、杏ちゃんは…。」
「『杏ちゃん』って言うんだ!可愛い名前だな!」
「幼馴染です。親同士が将来結婚させるって子どもの頃、勝手に…。」
「それまだ生きてんだ。断ってないってこと?」
「そういうわけじゃなくて…。」
オノデラがもじょもじょとするからタカノがイライラを募らせるのが分かる。タカノはなんでもいいからきっぱりと言って欲しいってなんでわかんないんだ、オノデラのアホ!
この間の『新年会』ってやつで、オノデラが御曹司だってことがあちこちにばれて取引先のえらいさんから娘のとか孫のお相手にって色々言われているらしい。
でも、タカノはそんなことは気にしていないみたいで、昨日まではお坊ちゃんはモテモテだなとか揶揄ってたのに今日は違ってた。それがその婚約者ってやつのせいだってことなんだろう。それぐらい俺にだってわかる。
「昔お前が居なくなった時にそういう噂聞いた。金持ちのヤツが留学して、そしてそいつに婚約者が居るって。それがその子?」
「知ってたんですか?」
オノデラは俯いたままタカノを見ないし、タカノはオノデラの質問には答えずに、「昔の苦しかった事とか全部思い出した…。」と手に持ってた書類みたいやつをテーブルに弱く放り出して立ち上がった。
「どこに行くんですか!?話はまだ終わってないでしょ?」
ハッとしたようなまん丸い目でオノデラがタカノを見上げて聞くけど、タカノはオノデラに背を向けたまま上着を無造作に掴んでスタスタと部屋を出て…、それから遠く玄関のドアがパタリと弱々しく音を立てたのが分かった。
タカノは外に出て行ったんだ。
オノデラは長い息を吐いてから口を手で覆って、「いつだって勝手なんだから…。」とつぶやいてそれからしばらく動かなかった。
マサムネがスルリと膝に乗り上げて金茶の瞳でオノデラを心配そうに見ているから、俺もちょっとドキドキしてオノデラの足元に座った。オノデラが「リツおいで」と呼んでくれたからちょっとだけ戸惑いもあったけどオノデラの膝に乗った。
スルスルとオノデラの長い指が俺とマサムネを交互に撫でるから、さっきの喧嘩は無かった事になるかな?って思ったけど、それでもやっぱりタカノはここにいなくて、オノデラはここに居るのに居ないみたいにぼんやりしていて、マサムネも俺もどうしていいか分からなくて、ただただ冷たい指先にさすられていた。
俺はタカノが好きだけど、喧嘩になるとオノデラの方が弱いからどうしてもオノデラの味方をしてしまう。オノデラ泣くなって思ってしまう。
でも今日のオノデラは泣かなかった。そしてすごく時間が経ってから「ただ好きなだけじゃダメなのかな?」って誰にでもなく、しいて言うなら空気に向かって呟く様に言った。
▽
俺は今呆然としてる。
ここはどこ私は誰?ってか?
昔少しだけ住んでたばあちゃんの家も広かったけど、ここは天国っていうくらいすごかった。ってことは俺は死んだのか?俺たちみんな?
分かってるよ。
現実逃避しててもしょうがないって。ここはオノデラの実家ってやつだってオノデラが教えてくれたんだ。
タカノとオノデラが喧嘩をしたあと、タカノは朝になっても戻ってこなかった。
オノデラはずっと起きて待ってたけど、それでも明るくなったところで何かを決めたみたいで、オノデラの方の部屋に戻ってからどこかに電話を掛けて服を着替えた。
オノデラが何かを決めるとちょっと怖いんだ。
普段はどっちでもいいみたいな顔してるから忘れがちだけど、オノデラは決めたことを簡単には曲げないから…。
ほどなくしてどやどやと人間が来て、あわあわしてる時に「マサムネ、リツ、おいで。」とオノデラに優しく呼ばれたから、ちょっと油断しているうちに白い手袋をつけた人間に抱えあげられて、イヤダとか放せとかいう間もなく連れ出されたんだ。おっきな黒い車は見た目とは違って中はふかふかで、オノデラは『坊ちゃま』って呼ばれてた。
ドキドキしていたのは、外出なんて『病院』とか『シャンプー』とかいう所に行くだけで、いつだって嫌な予感しかしなかったからなんだけど、でも今回は違った。
連れていかれた広い部屋は猫タワーどころかまるでアスレチックみたいな遊具がいっぱいで、出されるごはんもカリカリとちょっとだけ混じったやっこいもんじゃなくて、マグロの百倍ぐらい旨いものばっかりだった。
タカノとオノデラの家の外にある、ちっちゃい『テラス』っていう名前のお庭とは比べ物にならないくらい広いお日様の見える場所は木も植えてあって、赤ん坊の時に居たばあさんの家の外より広くて、ガラスで囲まれているから閉めてしまうと夜でも寒くないんだ。
毎日歯磨きとブラシをされるのは、はじめは嫌だったけど、きれいな『メイドさん』って人が代わる代わるやって来て優しく撫でてくれるからそれはそれで気持ちが良かった。
「リツ、お前王様みたいにのびのびしてる。」ってマサムネが呆れてたけど、なんだろう、ここにいるとすげー偉い猫になったような気がして気持ちよかった。
飯もうまいし待遇もいいし、いいんじゃね?これ。何日経ったんだっけ?ここに来て?ひょっとして俺ずっとここで暮らすの?王様みたいに暮らしちゃうの?
どうせ一生あの部屋で寝てるしかないって思ってたんだけど、アスレチックみたいなタワーとか、勝手に動くおもちゃが沢山あってさ、攻略に躍起になったから結構筋肉ついたと思うぞ。今ならエベレストも登れそうな気がする。
ノミだってリュック背負って富士登山するんだから猫が登ったっていいだろう?って笑うとマサムネが「あほらし」ってため息ついた。
そして俺たちは知ってる…、『メイドさん』が俺たちをブラッシングしたりしている時にワイワイと噂話をしているのを聞いているから。
オノデラは実家に帰って来て舞踏会を開いてお嫁さんを探しているのだそうだ。
っていうのは『比喩』なんだそうだけど、自分にふさわしい女性と結婚しますと公言して、パーティーを開いているんだって。今は候補の人を選んでいる最中なんだと。
オノデラにふさわしいってどんなだ?って思ったけど、ここにいるオノデラは俺たちの知っているオノデラではなかった。
ちょっとぼっさりしていた髪を切ってすっきりと整え、(しゃらくさい)『ポールスミス』とか『ダンヒル』とやらをさらりと身に着けて、冷たく笑って俺たちの知らない言葉でしゃべっていた。
どこぞのレートがどうとか、入札がとか、GNPの予算がとか、防衛相とか国交省とか、カタカナの言葉とか数字の話ばっかりしていた。
きっとそれはモンスターとダンジョンでエンカウントしたけど、ドロップアウトアイテムがレアで、パーティ組んでたやつと山分けして、新しい道をアクティベートしたなんて話じゃないだろう?
そしてびっくりしたのがそれがオノデラの本当だってここのみんなが言うんだ。
おかしいだろ?オノデラってそんなじゃないんだ。もっとユルユルでグダグダでノビノビでダラダラなんだ。一人じゃ何にもできなくて(メイドさんがいるからオノデラは何にもできないんだってここに来て分かったけど)危なっかしくて見てらんないんだ。
だけどすごく立派なお坊ちゃんをやってるくせに、毎晩寝る時にオノデラは深く深くため息をついて「疲れた」って俺たちを抱きしめる。
そして「マサムネとリツが気に入らなきゃお嫁さんにはなってもらえないからね。」って笑った。
「ちゃんと素敵な人を選んでね。」って背を撫でてくれた。
▽
「マサムネ…、これ、どうしたらいいと思う?」
人人人、人間が重なるようにいる中で俺がそう言うと、マサムネは「知らねー。」とそっぽをむいた。
ここに来てずっとマサムネはこんな風だ。
嫌がってるわけではないみたいだけど、だからって納得している感じでもない。
浮かれた俺の事を馬鹿にすることはないけど、おんなじように浮かれることはない。
今だって俺の戸惑いをマサムネは無視してふかふかのクッションの上でぐるりんと丸くなって寝てしまった。
いつもいる部屋とは比べ物にならないぐらい広くて明るい部屋。これが『メイドさん』の言っていた『舞踏会』か??
目の前ではごーかなお料理と金魚みたいなピラピラでキラキラの『お姫様』たちがオノデラと話をしたいらしくて行列を作ってる。オノデラがこの子(猫)達は家族なので、この子たちに気に入ってもらえないと結婚できません。っていうから金魚のお姫様たちがみんな俺たちのご機嫌を取ろうとしてる。
淑やかなお姫様なはずなのに、発情期のメスみたいに目がギラギラしてて怖いよ…。
そんな中でオノデラと楽しそうに話をしているのはどうやら『婚約者』の『杏ちゃん』らしかった。
「ねえりっちゃん、こんなことしてどうするつもりなの?」
『杏ちゃん』はヒラヒラの金魚のお姫様たちに引けを取らないぐらい華やかだったけど、オノデラとは仲良しらしくてそこが違った。
お嫁さんになりたいって言って俺たちのご機嫌を取る気ならちょっと引っ掻いてやっても良かったけど『杏ちゃん』にはそういう気はないみたいだ。
「ごめんね、ずっと防波堤になってくれていたけどそろそろそれも効かないみたいで。」
「ううん。私はまだ勉強もしたいし留学予定もあるから誰とも結婚する気はないからいいんだけど。りっちゃんの先輩は?」
「うん…。どうかな…。」
オノデラの目はちょっと寂しそうに揺れた。
オノデラの実家は広くて楽しくて、みんな優しくて、ご飯もメチャ美味しかったんだけどそろそろカリカリが恋しくなった。
血統証があろうとド庶民なんだから、なんつーか、旨いご飯だって毎日だったら飽きるんだ。甘いもん食ったらしょっぱいもん食いたいって、あれ?違うか?
寝返りを打っても転げ落ちることも無いような広いベッドは隙間がスカスカして寒い。部屋は温かくても気持ちが寒い。
狭いベッドで落ちないようにギュッとくっつきあって、それでもゴロンと落ちることもあって、それをケタケタと笑いあってるのが懐かしくなった。
行列を作るお姫様は俺たちのご機嫌を取ろうとするけど俺はちっともそんな気にならなくて、マサムネとおんなじように丸くなって目も合わせなかった。
俺はマサムネが初めからフンっとしている意味がやっと分かった。
要するに俺たちが『お嫁さん』を選ばなきゃいいだけだ。
▽
そろそろ終わりかな?って退屈なタヌキ寝入りの時間にも飽きた頃、ちょっと離れたところでザワザワとした声が聞こえて来た。
近くで愛想笑いのオノデラと喋っていたお姫様が「あら…ハンサム…。」って目をハートにしているのが分かった。
お姫様の中に王子様が登場なのかな??
しかし人垣をかき分けるように近づいて来た人間にオノデラの目が釘付けになっていた。
「猫に気にいられたらいいんだって?」
相変わらず偉そうな口調のタカノが突然現れて、俺はびっくりしたんだけどマサムネは招き猫みたいに(手はあげてないけど)初めてちゃんと座って、待ちかねたようにナーっと鳴いた。
オノデラはちょっとだけ険しい顔をして「なにしに来たんですか?」って言ってタカノは「人質?猫質を返してもらいに。」と笑った。
「答え合わせはせめてガラスの靴にしてくれ。それともお姫様を笑わせればいいのか?世界観ブレブレだな。」
何人かのイケメンたちがオノデラの周りを囲んでいて、「何日ズル休みしてんだ?仕事が溜まってるよ。」って笑った。
「帰るぞ!」ってタカノがちょっと強い声で言うと、オノデラがびくっとして身を引くから、つられたようにタカノが腕を引っ張って、まるで荷物みたいにオノデラを肩に背負った。
呆気にとられていると「リツ!マサムネ!」ってオノデラが首だけ振り返って俺たちを呼ぶ。マサムネが心得たとばかりに背負われたオノデラの背に飛び乗るから俺も遅れないようにズボンにがっつりとしがみついた。
「ってことで、あとはよろしく。」
呆気にとられた周りの人にタカノが世界で一番カッコイイなげっキッスをしてお姫様をさらって逃げたのだ。
ちらっと見えたのは一緒に来ていた人たちが周りのお姫様にニコニコと愛想を振りまいているシーンだった。
▽
結局そのあと、どんな騒ぎがあったかは知らないけど、オノデラは狭い家に戻って来たし、ベッドも相変わらず狭くて、俺たちのカリカリのグレードは上がらなかった。
オノデラの部屋の方に運び込まれたアスレチックみたいなタワーはみっちりと場所を取ったけど、それでも俺たちの運動不足は解消された。
たまにマグロを喰わせてくれるといいなって思いながら、ポリンっとカリカリを齧るとマサムネが笑う。
「おとぎ話ってさ、めでたしめでたしで終わりなんだってさ。」
おとぎ話ってなんだ?それうまいのか?
そう言おうと思ったけどやめた。
だって俺たちの現実はまだめでたしめでたしでは終わらないから。
な。
一旦めでたしめでたし(にゃん)♪