私が海を往く力を取り戻したのは、ある男達のおかげだ。
理由も無く、ただ街を徘徊し、平和に溺れ、私達が戦った過去を呑気に金儲けをしているものを無差別に殴りつけていた時、その男達に出会った。彼らは、深海側と違法取引をしていて、私にぴったりのものがあると、命乞いをしてきた。その時、私は自分自身の間違った正義に酔っていた。だから私は彼らのいう物に手を出した。その結果、私は力を取り戻したのだ。
彼らの他にも、その物を扱っている業者はいたが、彼らは私が他との取引をする事を拒んだ。彼らが望んでいたのは私の身体だ。研究機関に売り飛ばしても金になる。私の強い臓器を売れば金になる。身体を売っても金になる。彼らは私が薬欲しさに身売りするのを望んでいた。なんて浅はかなのだろうか。
私が彼らに物を求めた時、彼らは私に非常識的な金額を要求した。駄目なら他にも手段はあると。話を聞いた私は怒りを通り越し、呆れていた。取引が行われている場所にぞろぞろと男達が集まり始めた。私の呆れ果てた態度を、彼らは諦めたと思ったのだろう。一人の男がこちらに手を伸ばしてきた、私はその腕を、力任せに引き抜いた。胴体から腕が外れ、のたうち回る男を私は見ていた。愉快だった。
それからの記憶はとても愉快なものだった。私を陥れようとした男達が血を流す光景を私は愉快な気持ちにさせた。
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「……夢か」
私は目を覚まし、散らかった室内を見渡した。足元には酒の空き瓶が転がっている。私自身にはこれらを口にした記憶は全くない。気付をする為に、私は煙管盆を引き寄せた。葉を確認すると、殆ど底を尽きていた。川内が補充してまだ一週間も経っていない。川内は大体一週間分より少し多い量を補充するから、私がそれを上回るペースでこれを摂取していたことになる。私は思わず苦笑いをこぼした。私しかこれを摂取する者はここにはいないはずなのだが、まるで私じゃない誰かが私の知らないうちに摂取しているのじゃないか。そう思えて仕方なかった。しばらく、煙管盆を眺め、意識がはっきりしてくると、私の胃が異常事態を示している事に気がついた。込み上げる吐き気に我慢出来なくなった私は、洗面台まで駆け足で向かい、汚れた洗面台に胃の中のものを吐き出した。殆どは水分であった。黒く変色した私の体液を私は眺めていた。あの夢を見る日は大体翌朝こうなる。
水を流し、血の混じった吐瀉物を流しきった後も、私は流れる水を見ていた。蛇口から出た水は水受けで暴れわまり、すぐに排水口へと吸い込まれていった。まだ残っていた私の血が水に混ざり流れていく。私はそれを虚しく感じた。
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川内を呼び出し、彼女がやってきたのは昼過ぎであった。彼女は眠たそうな目を擦りながら私の家にやってきた。部屋に転がっている空き瓶を見るなり、彼女は呆れた顔をした。何も言わず、それを袋に詰めると、煙管盆の中をチェックした。
「そんな事だろうとは思ったけど」
川内は呆れきった顔で私を見ていた。私はそれをただ眺めているだけだった。
「いいから足してきてくれない?」
私はイラつきを隠さずそう言った。全く、呼び出した人に対してなんて非常識なんだろうか。そう感じながらも、私の本能が勝り、その様な言葉を口にしてしまった。
「わかったよ。でも、今回は少なめにするからね」
川内は、そう言うと、私の家を出て行った。彼女を目で見送る途中、一枚の写真を見つけた。妹の日向と撮った、私が今唯一持っている写真だ。何度も捨てようと思ったが捨てきれずにいるものだ。私はそれをぼんやりと眺めていた。
「日向は今、自分の道を見つけたのよね。昔は私が見せつける立場だったのに」
日向のことは噂で……いや、川内が持ってくる情報だ。確実なものだろう。私の妹だった彼女は世の秩序とやらの為に働いている。今の私とは違う。真面目な日向のことだ。今の私を姉としてではなく、世の秩序を乱す悪者として見ているだろう。私の頰に水滴が流れ落ちた。
「早く……」
情緒が安定しないのも煙がないからだ。私は川内が帰るまで自責の念で押しつぶされそうだった。
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私がベッドの上で膝を抱えてどれぐらい経っただろうか。私の待ち人は帰ってきた。
「ただいま」
川内は煙管盆を私に手渡そうとしたが、私が動かないのを見て、煙管に葉を詰め、火をつけて私に手渡した。それを受け取り、一口含むと、ゆっくりと身体に力が湧いてきた。この感覚だ。
「ありがとう」
煙によって理性を取り戻したの私は素直に川内に礼を言った。川内は頷くと、私の横に座った。
「伊勢もみんなの為に戦っているんでしょ。ただ方法を間違えただけじゃない」
川内はそう言って私を見た。先程までの私の心の中を知っている様だった。そう言われて見て、私が昨日酒に溺れた理由をなんとなく思い出してきた。ふと、川内の手に目をやると、そこには絆創膏が貼られていた。
「その傷……」
私が声をかけると、川内は首を横に振った。
「伊勢じゃないよ。転んだの」
嘘だ。微かに覚えている。川内は昨日、私から酒の瓶を取り上げた。その時に私はその手を掴んだ。かなり強く掴んだ。爪が彼女の皮膚を破る感触を覚えている。
「そう……」
彼女の優しい嘘を甘受することにした。はっきりとしてきた頭も、少しずつ考えることを放棄し始めている。煙管を口に含むと、火が消えていることに気がついた。火種が無くなっていた。川内は私の様子を見ていた。きっと私が葉を詰めようとしたら彼女は止めただろう。紙に巻いていたのを、彼女は煙管に変えた。一度に摂取する量を減らす為だった。
私は煙管を川内に渡し、もう要らないと意思表示を示した。彼女もそれに気がつき、受け皿を綺麗に服と煙管盆にしまった。
「最近、イ級が暴れているみたい」
「そう、イ級が」
ぼんやりとした頭で彼女の話を聞いていた。今の私にとって、それはただの出撃命令にしか過ぎず、難しいことを考えるほどの理性は残されていなかった。
「じゃあ今夜は海に出ないとね」
私はそう言い、狭くなった視界に愛用している刀を捉えた。無造作に投げ出された刀は前回海に出た後から動いていない。艤装を大事に扱えと教えていた自分が懐かしく思えた。
「今夜出るなら、私は少し休むね」
川内はそう言うと、私を押しのけて、ベッドに横になった。しばらくすると彼女の寝息が聞こえてきた。私は刀に手を伸ばそうかと考えたが、それすらも気怠く感じ、川内の隣に横になった。まだ煙が効いているのか、硬いはずのベッドが柔らかく、浮いている様だった。
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眠りから目が覚めると、窓から射していた光が消え、外が暗いことを示していた。起き上がろうとすると、どうも身体を重い。ここまで弱るものかと考えていると。私の胴体に後ろから川内が抱きついていることに気がついた。彼女は私が動き出したことに不快感を示しながらも起きようとする意志はない様だ。私はそんな彼女の頭を撫でた。
「起きなさいよ」
私は小さく呟いた。本当は起こして一服したいのだが、川内の寝顔を見ているとその気も起きない。私は手を動かして彼女を撫で続けた。同じ姿勢を保つことが辛くなった私が姿勢を直そうとすると、彼女は目を覚ました。咄嗟に手を引いたが、どこか名残惜しさを感じた。
「ごめん。今離す」
川内の手が私の胴体から離されていくことに寂しさを覚えたが、それを口に出すことはしなかった。川内から解放された私は、煙管盆を引き寄せ、一服する準備を始めた。
「それで、いつ出るの?」
川内が大きく伸びをしながら私に訪ねた。彼女は直ぐにでも飛び出せそうだが、私はそうはいかない。
「これ吸ったら、すぐ」
本心は動きたくない。だが口から出たのはその言葉だった。
「わかった」
川内はそう言うとベッドから降り、洗面所へと向かった。
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暗い海は怖い。日中は日差しを受けて輝く海面も、今は私を飲み込もうとしている。そんな海面を蹴り飛ばしながら、私は川内から言われた場所へと向かっている。
遠くの方から、自然に起きた波の音とは違う波の音が聞こえてきた。よく目を凝らすと、鯨の群れの様な者がこちらに向かってきている。
「駆逐艦だけで私を……」
そう言いかけて、私はやめた。今の私は、戦艦でも航空戦艦の艦娘ではない。私の頭には、主砲の射程に入ったと直感が教えてくれたが、砲撃する力も無く、ただ刀を振り回す狂人に過ぎない。情けなく感じた。
鯨の群の様なものが、駆逐イ級の艦隊だち視認できた頃には、彼らはこちらに向け魚雷を放っていた。こちらに水面下を走る白い筋が向かってきていた。これに当たれば、私は死ぬ。そう感じると感情が高ぶった。戦意高揚と言ってもいい。
私はその白い筋の間を縫うと、先頭のイ級が砲撃しようと口を開けたところに抜刀した。引き抜いた刀は反対向きで峰の方がイ級に当たったが遠心力と腕力でイ級を吹き飛ばした。私が戦艦の姿では出来なかったこと。艦娘として生まれて得た肢体によって生み出される暴力をありがたいと思った。先頭の感を失った彼らは闇雲にこちらに砲撃を加えてきた。私がかんたいの中央にいるというのに、彼らは砲撃、雷撃をやめなかった。
「バカめ」
昔の仲間が言っていた言葉を口にすると、不思議と勝てる自信が湧いた。なるほど、言霊というのはこういうことか。そう考えながら、一隻、一匹へと襲い掛かり。二十分も経たぬうちに私は駆逐イ級の艦隊を無力化した。辺り一面に浮かぶイ級を眺め、冷静になった私は違和感を感じていた。
「こいつらは何の目的があってここに艦隊でいたのかね?」
遠くで見守っていた川内が近づき、私の疑問を口にした。彼女はモーターボートを運転しながら、近くの漂流するイ級を見て回った。
「こいつらは知能が低い。単艦では大したことは無かったが、指揮艦がいる時は驚異だったね」
私は昔の記憶を呼び起こしながらそう言った。
「じゃあさ、こいつらは誰かに命令されたってこと?」
「知らない」
私はそう呟くと、川内の乗るモーターボートに近づいた。この後、このボートを押して陸地まで帰らなくてはならない。私は身体を休めようと、モーターボートによりかかった。
「私はただ、この力で深海棲艦を叩くだけ」
私はイ級が少しずつ沈んで行くのを眺めた。こいつらは沈んでも死なない。けど、私は沈めば死ぬだろう。
沈んで行く彼らの姿を、いつ訪れるかもしれぬ自分の姿と重ね合わせながら、私は黒い海を眺めていた。