イ級が活発化してから、何日、いや、何週間が経っただろう。
川内に起こされて、夜な夜な海に繰り出す私の身体のことも考えて欲しい。そんなことを思いながら煙を吹かしていた。
「また吸ってる!」
川内が音も無く私の家にやってくる。夜戦馬鹿というあだ名の裏で忍者と呼ばれた彼女だ。私に気付かれずに忍び込むことなど、朝飯前……いや、彼女の場合晩飯前とでも言うのかな?
「おはよう」
私は彼女に声をかける。私が起きる時間は毎日違う。朝から起きていることもあれば、深夜まで寝ていることもある。彼女に起こされなければずっと寝ているんじゃないかと思う日だってある。
「おはようじゃない!葉っぱの値段も上がって大変なんだから有事の時は吸わないでよね!」
彼女はそう言って私の手元にあった煙管盆を取り上げた。困った。あともう一口で燃え尽きるというのに……私は葉の入る皿を見つめた。私もこの煙管と同じだ。この葉が無ければ意味を為さない。その事を考えると悲しくなった。だが、顔には笑みをこぼしていた。
「それで、あなたが来たって事は今日も海に出るの?」
暗くなった外を窓から眺めると、満月が海を照らしていた。その月は自分が取り込まれるような、不思議な感覚を私にもたらすものだった。
「そう。また漁船が襲われたって報告があるの」
「わかったよ」
私は重たい腰を上げた。心象的なものではなく、物理的に重いのだ。私の体はいよいよ弱ってきたようだ。
ーーーー
またイ級の艦隊だった。私から言わせて貰えば、はぐれ狼の群れに過ぎない。統率も取れていない。平気で仲間を撃つ。艦隊という言葉が、単純に艦船の集まりというなら艦隊だが、私が知っている艦隊と比べればお粗末なものだ。
「そう思うでしょ、日向」
私は愛用している日本刀の刀身を見ながらそう言った。私と同じだ艦種、姉妹艦と呼ばれた彼女も手にしたこの刀。日向に能力を奪われてから、鞘から引き抜くことが出来なかったものだ。どんなに力を込めようと引き抜けなかった刀は、あの葉っぱのおかげで簡単に刀身を表した。まだ艦娘と呼ばれころは何も感じなかったが、今こうして見ると美しいと感じる。
この刀を見て、何故かつての妹の名を口にしたのかはわからない。けれど、彼女が奪ったはずの力、私が奪われた力は今こうして目の前に存在している。私のものではない私の思考、この刀が、何度も日向の力を、命を奪おうと言ったかはわからない。けれど、私はその言葉に耳を貸さなかった。
「なに危ない顔してるの?」
普段なら力尽きて、家に帰ればベッドに突っ伏す私が刀を見ている事を不信に思った川内が私に問いかける。その顔は少し怯えているようにも見えた。
「別に。それよりもお酒が飲みたい」
私は自分の欲求を口にした。気分が高揚している今、欲しいものは酒だった。
川内はため息をつくと、私に背を向けた。きっと買いに行こうとしてくれているのだろう。その一歩を踏み出すには一秒もかからなかった。だが私にはその一秒がとても長く感じられた。手に持った刀が斬りかかれと私に訴えてきたからだ。
「やめろ」
私はそう呟いた。一歩を踏み出した川内が振り返る。その顔は警戒仕切ったものだった。
彼女の顔を見て、自分が情けなくなった。私は苦笑いを見せると手に持った刀を鞘に収め、手の届かない所に投げた。ゴトンッという鈍い音とともに床に落ちた刀を見て、私はため息をついた。
川内はその様子を見届け、踵を返した。
情けない。私は視界の隅に捉えた煙管盆を横目に眺めた。これが無ければよかったのに。
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体内に摂取されたアルコールが悪さをして、私の頭を殴った。私はその痛みで起きることになった。窓から見える太陽はまだ高い。いつもの癖で、煙管盆に手を伸ばしたが、アルコールの気だるさが優ってしまった。ベッドから室内を見渡すと、空き瓶がいくつも転がっていた。どれも度数の高いものだ。なるほど、これだけ飲めば怠く感じるわけだ。私は何度目かわからないため息を漏らした。
「しかし……」
私は窓の外を見る。まだ明るい。もし今日海に出るとしても、川内が来るのは夜のことだ。まだ何時間もある。もう一度寝ようか。そう考えたが、頭を叩くアルコールがその気にはさせなかった。きっと横になれば気付かないうちに寝ているだろう。
「たまには外に出ようか」
私は以前、川内が買ってきてくれた外行き用の服に何ヶ月ぶりかに袖を通した。
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人間の住む街は平和だった。私達が深海棲艦と戦っていたのが嘘の様に感じた。もっとも、私たちを指揮していた男は常々に「銃後の人を危険に晒すわけにはいかない」と言い、私たちもそう思っていた。だが、ここまで無関係な生活を送っている彼らを見ると、自分の頑張りへの達成感と共にイラつきも感じた。
「すいません、ちょっといいですか?」
突然背後から声をかけられた。私は警戒しなが振り返ると、上下青い服に軍帽のようなものを被った男に声をかけられた。
「もしよければ、荷物見せてもらえませんか?」
「別にいいけど」
私は財布しか入っていない鞄を手渡した。男は鞄から財布を取り出し、中身をあらためた。見ず知らずの人間に財布を見られるのは不愉快だが、それ以上の不愉快が私を襲った。
「すいません、ボディチェックもいいですか?」
この男はそう言った。この男が警官なのはすぐにわかったが、私がなにをしたと言うのか。私は黙っていなずくと、男は丁重に私の体を弄った。胸は触ってこなかったが、腕や、足首を念入りに触ってきた。実に不愉快だ。私は気を紛らわす為に辺りを眺めると、一人の音が煙を吐きながら歩いていた。タバコか。
「すいません、お手数をおかけしました」
警官は何もないことがわかり、そう言った。私は不愉快な思いさせられた分を取り返そうとして思った。
「あなた、タバコ持ってない?」
私がそう言うと、警官の男は顔をしかめた。
「ここは条例で路上喫煙は禁止されています。罰金も取られますよ。喫煙マナーぐらい知っておいてください」
私は不愉快な思いをさせられた挙句、私を馬鹿にするような物言いに、この男を嫌悪した。だが、彼は一礼をすると、歩き出したので、私は声をかけた。
「じゃあここらでタバコ売ってるお店を教えてよ」
「あそこの信号を右に曲がればタバコ屋があります。そちらに行かれて見てはどうですか?」
「わかったわ。ありがとう」
私はそう言って、言われた通りに歩き出したので。イライラは解消されなかったが、先程脳裏を過った男が言っていた言葉を思い出した。
「憲兵に手を出すな」
私が思い出した言葉を口にすると、懐かしさに笑みがこぼれた。
ーーーー
言われたタバコ屋につくと、その種類の多さに驚いた。どれがなんだか、全くわからない。
「いらっしゃい」
私が並べられたタバコを眺めていると、店番をしていた老婆に声をかけられた。会釈を返すと、私は再び陳列棚を眺めた。
「お客さん、何か探し物かい?」
老婆は言うと、私が見ていた棚を眺めた。私が何か適当なのを言えば、すぐに取ってくれそうだ。
「えぇ、私に会うのを探しにきたの」
私が探し物を探していることを告げると、老婆は和かな顔で私を見た。
「吸わなくていいなら吸わない方がええよ」
老婆はそう言ったが、私は首を振った。
「普段は煙管なの。でも持ち歩くわけにはいかないでしょ」
私がそう言うと、老婆は嬉しそうに私を見た。一体なんなのか……
「じゃあこれを吸ってみて」
老婆は懐からタバコを取り出し、その一本を私に進めた。私はそれを受け取ると、売り物のライターで火をつけた。私の無礼な行動も老婆は和かな顔で見ていた。わざとそういう態度を示したのに、逆に申し訳なくなってしまった。一口吸い込むと、タバコの煙が濃く
私はむせた。そんな私を老婆は笑って見ていた。
「若いねぇ」
老婆はそう言うとタバコを取り出し、火をつけた。私とは違い、余裕のある表情だった。私はそれにムッとし、負けじともう一口吸い込んだが、どうしてもむせてしまった。
「味はどうだい?」
老婆に言われて、今度はほんのすこしだけ吸い込んだ。濃いし、雑味はすごいが、味そのものは嫌いではない。私はその旨を伝えると、老婆は棚から一つのタバコを手に取った。
「探し物はこれだね」
老婆はそう言って青い箱を私に手渡した。
「ピースのクラウンってタバコだよ。少し高いけどね」
「ピース……平和ねぇ」
私はその箱を手に取り眺めていた。まぁなにも知らない私にオススメだと言うのだから、オススメなんだろう。私は老婆に一番大きい紙幣を渡した。
「あと、これはサービス」
老婆はそう言って丸い缶を取り出した。私がそれを見ていると、老婆は前と同じ和かな表情をした。
「あんた、煙管で吸っちゃいけいもの吸ってるだろう?今度からこれにしな」
老婆はそう言ってそれを袋に入れ、釣銭を一緒に入れた。その対応にイラっとしたが、老婆は悪戯な笑みをこぼした。
「仕返しだよ。あんたが使ったライターの分も引いといたから持って行きな」
「また来るわ」
私はそう言うと受け取ったタバコの封を開け、一本を取り出した。ここで火をつけると今度はどんな仕返しを受けるかわからないので、外に出てから火をつけた。甘い匂いが鼻をぬける。なるほど、悪くない。
「さっき路上喫煙はダメだと言いましたよね?」
横を見ると先程の警官がタバコをふかしていた。
「あんたも吸ってんじゃん」
「ここは喫煙所内ですよ。もうちょっとこっちに来なさい」
警官はそう言って近くの灰皿を指差した。吸い込んだ煙を盛大に吐き出して袋に入った釣銭を手渡した。だが、警官はそれを拒んだ。
「缶コーヒー、ブラックで」
彼は先程の老婆のような悪戯な笑みをしていた。そんな彼を私は意外に思い少し好感を感じた。彼は顎で置かれた自販機を示した。私は加えタバコのまま自販機に小銭を入れ、ロイヤルミルクティーなるボタンを押し彼に渡した。
「ごめんね。コーヒーのことはよく知らないんだ」
彼は苦笑いをしながら私の渡した熱い缶を見ていた。
太陽が痛いほどに私たちを見ていた。